
2023/01/31 - 2023/02/01
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たびたびさん
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コロナ禍で関西方面に行くのはじっと我慢をしてきましたが、さすがにそろそろ解禁してもいいのかな~ ということで満を持して計画した関西八日間の旅。京都の四日間を中心にして、その前後に神戸や飛鳥に大阪を加えましたが、それぞれがそれぞれにすべて懐かしい。やっぱり、京都に関西はホームグラウンドだし、本格的に旅心が芽生えたたびたびの原点でもあるんですよね。
さて、スタートは高砂から神戸。ところで、関西でも兵庫県は意外にフロンティアが多く残っていて、まだまだ納得できる状況にはなっていない。というのも摂津(神戸・阪神)、播磨、但馬、丹波、淡路という5つの特色ある地域があってそれなりに押さえたつもりではあるのですが、やっぱり姫路を中心とする播磨だけをみても、明石や赤穂、たつの、加古川とか多様性があって一筋縄ではいかない。神戸市もそう。元町・三宮なんかはごく一部で、北野やハーバーランド、長田地区や須磨の辺りは全然別物ですからね。そういう意味ではこれからもう少し播磨と神戸辺りに拘ってみたいような気もしてきますが、その中で今回とりあえず選んだのは高砂と神戸は新開地とハーバーランド周辺です。
で、高砂と言えば、やっぱり高砂の謡曲かな。おめでたい席で謡われる歌ですよね。
高砂や~ この浦舟に 帆を上げて~
この浦舟に帆を上げて~
月もろともに 出潮の
波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて
はやすみのえに 着きにけり~
はやすみのえに 着きにけり~
高砂の浦にやってきた九州阿蘇宮の神官。松の木陰を掃き清める老夫婦に高砂の松と(大阪の)住吉の松は離れているのに相生の松と言われるのはなぜかと問いかけます。老夫婦は、離れていても心は通じていると説き、自分たちは高砂・住吉の松の精であると打ち明け、小舟に乗って消えていく。神官もまた舟を出し、松の精を追って住吉までたどり着くというストーリー。高砂神社や尾上神社といったゆかりの地に、かつての美しい砂浜と松の景色がそのままといった高砂海浜公園も訪ねて、その世界観の一端に触れることができたように思いました。
さらにもう一つの収穫は、加古川の舟運と瀬戸内海航路を結ぶ港町として栄えた歴史のこと。姫路藩主の池田輝政は砂が堆積し港の機能を失いつつあった加古川左岸の尾上に代わり、右岸の高砂に高砂港を整備し、京の伏見から移築させたという百間蔵を置く。それは姫路藩の用となるだけでなく、以降は広く周辺諸藩の米の集積地としても活用されていきます。その辺りの隆盛の象徴の一つが工樂松右衛門。北前船の帆の改良等も含め海運業で大成功を収めると、今度は幕府の命を受けて函館や鞆の浦等の港湾整備を行うといった公共的な活躍が素晴らしい。菜の花の沖の高田屋嘉兵衛かそれ以上のスケール感ではないかと思いますが、高砂恐るべしですね。
そして、後半の神戸は新開地からハーバーランドへ。戦後娯楽の街として賑わったオールド神戸から一気にバタ臭いニュー神戸に変わる感覚ですが、その途中には楠木正成の湊川神社や平家ゆかりの神社もあって、単純ではない神戸の多面性がまた改めて身に染みたよう。まだまだ神戸は分かってないなあと反省しきりなたびたびです。これに、翌日はおまけの灘区、東灘区から芦屋の散策。旅の序盤にやり過ぎないよう気をつけたつもりでしたが、この辺りの地形はアップダウンが想像以上に激しくてかなり参りました。また、元気になってどこかでリベンジしたいなと思います。
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イチオシ
姫路駅には7時9分に到着。そのまま、山陽電気鉄道で高砂駅へ。高砂駅から市街中心部に向かいます。
市街に入るとすぐ目に入るのは十輪寺。三つの屋根を組み合わせた仁王門がすばらしい威容ですが、京都だと萬福寺みたいな中国風の感じもしますけどこれは貴僧門という形式の門。大阪の大念仏寺の山門を真似て作ったものとうかがいました。 -
もともとは空海ゆかりの真言宗の寺だったものを法然がこの地で教えを広めたことから法然の弟子が浄土宗の寺に変えたという歴史。今では法然上人二十五霊跡第三番となっています。
本堂から -
左手は法然の御影が祀られる御影堂。
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右手の奥には
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大方丈と
大寺の風格がそこかしこに漂っていて、高砂の往時の隆盛を偲べるような気がします。
なんか始めからテンション上がってきましたね~ -
すぐ近くの申義堂は、姫路藩、酒井家の家老、河合寸翁の建議によって庶民教育を行うために開設された学問所。教育は朱子学の素読、会読、輪読。姫路藩では唯一残る郷学の建物として価値が高いのだそう。大きさはさほどではありませんが、玄関周りとか簡素で端正な印象です。
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旧高砂通運本社屋は、十輪寺から商店街の方に向かっていくとその商店街の入り口。昭和14年に建てられた木造二階建。外壁を煉瓦積スクラッチタイル貼で、当時でいえばかなりモダンなデザインではなかったかと思います。今はかなり古びて痛々しさもあるんですけどね。
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そのままアーケードを抜けると
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こちらがむしろメインストリートかな。本町通りです。
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その本町通り沿いにあるこちらの下村商店は、焼き穴子のお店。高砂では誰でも知っている老舗の名物店。
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イチオシ
午前中の早い時間から店先でいくつもの穴子を焼いていて、それを見たらやっぱり素通りはできないでしょう。持ち帰りで一匹いただきましたが、香ばしくて滋味深い味わい。歴史を感じる逸品です。
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では、本町通沿いにあちこち。
旧高砂銀行本店は、現在は高砂商工会議所会館として活用されています。昭和7年に建てられた鉄筋コンクリート造2階建ですが、外観は正面入口の両側にイオニア式オーダーの柱を設けて、堂々とした古典主義様式。石造り建築にも見えますね。表通りに建っていて今でも存在感を放っています。 -
少し裏通りに入って。
魚町倶楽部は、明治期に建てられた木造りの洋館。住宅地の中にあって、淡いライトブルーが印象的です。もともとは、三菱製紙高砂工場の外国人技師の居住施設として建てられたもの。傷みもそれなりにあるよう。非公開で外観を確認するだけしかできません。 -
表通りに戻って。
これは旧高砂消防会館と南本町巡査派出所が合体して一つの建物となっているもの。昭和10年に建てられているのでかなり古い建物のはずなんですが、鉄筋コンクリート造の外装工事がかなりよくしてあるんでしょう。まだ新しい建物なのかと思いました。消防も警察も街を守る目的。この組み合わせはなくはないかもしれません。 -
続いては、街のシンボルでもある高砂神社へ。
この神社は、神功皇后が西征の凱旋の際、加護を受けた大己貴命をここに祀ったことが始まり。 -
相生の松がよく知られていて、これは1つの根から雌雄の幹をもつ松。イザナギとイザナミが宿る霊松とされたのだとか。ただ、どれがその松だったのかなあ。よく分かりませんでした。
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高い土塀で囲まれた広い境内は海岸近くの松林の中みたいな雰囲気もあるし、本殿の迫力ある構えもさすがです。
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イチオシ
さて、もう一つの必見は工楽松右衛門旧宅。この工楽松右衛門は、江戸の後期に活躍した実業家。
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冒頭でも触れましたが、廻船業を経営する中で木綿の太い糸で作る丈夫な帆布(松右衛門帆)を発明したり、新たな築港工事の方法で択捉島の埠頭や箱館のドック、鞆の浦の防波堤などの建築を請け負ったり。
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活躍の中身としては全国スケールだし、
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商才だけではなく社会的な貢献度が高い郷土の偉人的な人物ですね。
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旧宅はほぼ完全な形で残っていて、松右衛門の偉業を今に伝えています。
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こうした人物を生んだ高砂の街の歴史にも深く敬意を表したいと思います。
少し蛇足になりますが、北前船の歴史や文化を思う時、その現場として思い浮かぶのは、酒田や加賀・越前の船主やニシン・昆布の産地、北海道の江差や松前、函館に文化の交差点であった佐渡とか。最終目的地である大阪に向かう瀬戸内海にも当然多くの寄港地はあったのですが、その面影が濃いところはとても少ないような気がします。一つには、もともとの経済規模の大きさがあるので、北前船の経済的な効果が相対的に小さかったということもあるのではないかと思いますが、ただ、北前船の上り荷の主力、ニシンの活況は瀬戸内海や近畿で換金作物である綿花、井草、藍の栽培が盛んになり、金肥の需要が高まったというのが背景。下り荷の主力は、米、塩、酒であり、北前船による販路の拡大はこうした産業が安定的に操業できる大きな要因となりました。絵に描いたようなウィンウィンの関係ですが、その基本的な構造が成り立ち、隆盛を極めたのは多くの先人の知恵や努力が想像以上にあったから。江戸期、幕末も含めて日本は閉鎖的な封建社会にあったわけですが、人々の営みはそれなりに活気もあって、次の時代に向かうエネルギーがちゃんと準備されていたということかな。明治維新は革命的な事実ですが、江戸時代の経済や思想、文化は、もう少し正しい評価をしてほしいものだと思います。 -
工楽松右衛門旧宅を出て、通りを挟んだ向かい側に残るのは南堀川遺構。
繰り返しになりますが、高砂は、瀬戸内海運と加古川舟運をむすぶ拠点の湊として栄えた町。南堀川遺構はその江戸時代の遺構で、護岸の石垣や舟の荷物を揚げ降ろしする雁木という石階段などが見つかっています。 -
イチオシ
少し歩くと、なかなか美しい三連蔵。これも、その海運の繁栄を今に伝えるもの。
明治時代初期、食器などを保管するために建てられたという蔵で、堅牢そうな建物。路地に入ると突然見えてきます。 -
他にもいくつか回ります。
大崎家住宅主屋は、国の登録有形文化財。明治期に建てられた木造2階建、瓦葺。白い漆喰壁に木の格子窓。うだつも備えて、高砂の近代町家の一典型なのだそう。大通りに面して建っていますが、ただ、外観はそれなりの傷みも目立つように思います。 -
そこから裏手に少し入ったところ。花井家住宅主屋も国の登録有形文化財。明治期に建てられた木造2階建、瓦葺。しっかりとした二重屋根で、特に二階の屋根は大きくてひさしが深いので、その分、二階部分のしっくい壁や格子窓が奥まっていて、ちょっと豪壮な雰囲気になっていると思います。古びてはいますが、比較的保存状態はよさそうです。
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そのはす向かい松宗蔵も国の登録有形文化財。江戸時代の後期に建てられた土蔵造平屋建、瓦葺の蔵。規模はさほどではありませんが、入口部に専用の屋根が付いていて、ちょっと豪華さを感じます。
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ここから小さな運河を越えて
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今度は加古川の河口の方へ歩きます。
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ちなみに、加古川は、播磨灘に注ぐ一級河川。兵庫県では一番大きな川です。河口部には少し干潟らしきところもあって、野鳥の観察をしている人の影も見えました。
高砂がこの加古川河口に面していることで港町としての歴史が始まったことは、冒頭触れたとおりです。 -
加古川の河口へさらにどんどん下っていきますが、これは向島公園。
木々が生えた緑のエリアもありますが、まっ平らな地形に広々とした運動場が二面も整備されていて、それが特徴的くらいかなと思います。 -
そして、ドン詰まりにあるのが県立高砂海浜公園。加古川の河口部。一番先端です。
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駐車場からいい感じの松林を抜けるとはっとするような美しい砂浜が現れて、これは何でしょうねえ。
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イチオシ
いきなり予想外の展開で、びっくりですけど、高砂の松や相生の松の伝説が生まれたのはまさにこういう風景の場所からなのかも。正直、人工的なところもあると思いますが、高砂のかつての風光明媚な面影をしっかり残してくれているように感じます。
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再び、河口を引き返して、対岸の尾上の地区に向かいます。
うーん、さっきからかなりの距離なんですけどね。 -
尾上神社に到着。こちらも、謡い「高砂」ゆかりの地。
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本殿は意外に新しい感じですけどね。
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本殿の隣りには、片枝の松。神功皇后を慕って枝葉ことごとく東に向って張ったという松。ほか、神功皇后が三韓征伐の際に持ち帰ったと伝えられている銅鐘もあるようです(実際には高麗の時代に鋳造されたもののようです)。
一方、境内には謡いで相生の松とされる尾上の松もあったはずなのですが、見逃してしまいました。ここまで歩くのにへとへとで、もう気持ちに余裕がなかったんだと思います。 -
最寄りの尾上の松駅から新開地駅に向かいます。
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新開地駅に到着。ここから後半は、新開地周辺からハーバーランドの方まで歩きます。前半もかなりがんばったし、ちょっと欲張りすぎの感じなんですけどね~
メトロこうべは、神戸高速線の高速神戸駅と新開地駅の間にある地下商店街。限られた範囲のちょろっとした通路にそって飲食店も並びます。 -
よつばやであかし焼を食べようかと思っていたのですが、あいにくこの日は定休日。代わりにひまわりでオムライスをいただきました。
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こちらも老舗の喫茶店。卵の香りがよくてちゃんとおいしいオムライスでした。
ただ、店内喫煙可なのは今どきあんまりいただけないですけどね~ -
少し元気が出たところで、新開地駅からすぐの新開地本通りの方へ。新開地劇場は、この通り沿いです。明るい通りに面していて、建物もちょっと近代的で立派ですねえ。役者さんの看板とかを拝見しても、コテコテの大衆演劇専門館なんですが、これこそ新開地の伝統を受け継ぐもの。根強い伝統にも支えられていることを感じます。
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少し引き返して、改めて新開地商店街の方へ。これこそがかつて「東の浅草、西の新開地」と謳われた神戸一の繁華街の伝統を受け継ぐ商店街ですからね。
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商店街の中ほどには、神戸松竹座跡の説明板があって、戦前・戦後、往時の賑わいを詳しく伝えているし、喜楽館は現役の寄席。やっぱりそれなりの雰囲気が残っているように感じます。
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その喜楽館は、新開地商店街の中ほど。商店街の中やあちこちに案内板が出ていたりして、街を挙げて応援しているような感じです。この日は桂一門の名前が貼りだされていました。
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イチオシ
新開地商店街を北へ抜けると湊川公園。この公園は、湊川の付替工事によって生まれた埋立地を整備した公園ですが、あの湊川の戦いの古戦場にも位置しているのがすごいところ。ということで、新開地商店街の方から向かうと、アーケードの出口すぐの正面に、躍動感あふれる楠木正成の銅像が見えてきて、なんだかドラマチックな演出。この大げさな迫力にはちょっと度肝を抜かれます。
湊川の戦いって、楠木正成は千早とか赤坂、南河内の人だし、神戸からしたら戦いの場を提供しただけのことなんですけどね。それを湊川神社で大事にお祀りまでしているんですが、結局は幕末から明治以降の勤王、尊王の流れから。まあ、なんでも景気のいいことは嫌いじゃないしのノリのような面はあったかもしれません。 -
さらに進んで公園を抜けると
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湊川商店街です。
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神戸新鮮市場や湊川プラザといった大型の施設が面していてそれなりの迫力なんですが、雰囲気としては昭和レトロな感覚。賑やかなようでイマイチそうでもないような。まあ、地元の商店街としては上出来かなとは思います。
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さらに北に向かって。
荒田八幡神社は、都市型公園の続き、一段高い場所に鎮座しています。 -
境内には「安徳天皇行在所跡」の碑。つまり、ここは平家ゆかりの地。平清盛の弟、平頼盛の山荘があって、治承4年(1180年)の福原遷都の際には安徳天皇の行在所となったということです。
考えてみると太平記の湊川から、平家物語の安徳天皇まで。こういうのは関西ならではです。 -
続いての大倉山公園は、明治の御用商人、大倉喜八郎が別荘としていた約8千坪の土地を神戸市に寄贈したことに由来する公園。
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神戸市の市街から一段高い場所にある小山で、
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見晴らし台を中心に各県に因んだ「ふるさとの森」が整備されたり、平地には野球場も。
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ただ、全体としては起伏がそれなりにあるので、落ち着かない公園。ここでゆっくりしたいなという場所があんまりないのが残念です。
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今度は南に下りていきながら。
八宮神社は、生田神社を囲むように点在している八社のひとつ。神功皇后三韓征伐の帰途からが起源。祭神は、熊野杼樟日命と素盞嗚尊。参道両側には大きめの石灯籠が並んで、 -
鳥居奥の本殿もそれなり。八社の中では、比較的立派な構えの神社だと思います。
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イチオシ
さらに下って、神戸地方裁判所は、坂道に沿って建つ建物。明治37年に建設された赤煉瓦の庁舎が正面下部に保存されていて、白と赤のツートンカラーが美しいです。ただ、一方で背後の全面ガラスの近代的なインテリジェントビルの迫力もなに気にすごいと思います。
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通りを挟んだ向かいは湊川神社。境内を抜けて
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元町の方に向かいます。
これは神社の正面です。 -
元町の商店街に入って、
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この元町滝公園は、元町商店街の西の方。イスとベンチを置いた休憩スペースです。奥のコンクリートの壁が滝になるのでしょうか。いずれにしても、本来であればお店の建物でも建てることができる場所。そこを使っての公園ですから、一種余裕も感じます。
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商店街からハーバーランドへはもうすぐです。
その途中、ポートセンター街園は、乙仲通の中ほど、ロータリーの中央にあるちょっとしたスペース。東西どっちからいっても横断歩道を渡って通りに挟まれた場所へ入ります。銅像が置かれたりしていますが、周囲は草が生えてちょっと荒れた感じ。あんまり落ち着ける場所ではありません。 -
海岸ビルヂングも、同じ海岸通り沿い。明治44年に建てられた煉瓦造3階建の事務所建築です。しかし。石造りの外壁は全く古びた感じはしないし、その意匠は精緻。伝統的なものではないですが、それなりの雰囲気があって、独特の存在感と格調を感じさせています。
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イチオシ
さて、神戸港の方にやってきました。
ずっと気になっていた「BE KOBE」は、阪神・淡路大震災から20年。「震災20年神戸からのメッセージ発信」プロジェクトから生まれたキャッチコピーなんだとか。海を臨む場所に建つアルファベットの文字は、想像以上にシンプルで美しい。記念写真には最適だし、キャッチコピーの響きも元気をもらえるような感じがします。
ところで、震災の関係だと一番は「神戸ルミナリエ」なんですけど、ものすごい人出だし、今はどうだかわかりませんが、あれを思うと今でも腰が引けてしまいます。 -
海を眺めつつ、ちょっとぶらぶら。
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かもめりあは、神戸港の中突堤に建つクルーズ船のターミナルビル。
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全面ガラス張りの明るい内部は正面ガラス越しに港を眺められる待合室になっていて、これは素晴らしいですね。街歩きをした後、少しここで身体を休ませました。
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最後は、ハーバーランド辺りです。
神戸ハーバーランド umieは、「NORTH MALL」「SOUTH MALL」「MOSAIC」の3館があって、全部をイオンが運営しています。ショッピングセンター一色でもなくて、適度にテーマパークのような雰囲気も交じっていて、その緩さが割といい感じ。海に面した開放感のある立地も活かしていると思います。 -
神戸ハーバーランドumieのノースモールとサウスモールに挟まれた吹き抜けの通路がキャナルガーデン。そこまで巨大というほどではありませんが、これがあることによって建物に入ってすぐに売り場があるようなショッピングセンターとは一線を画していると思います。
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「MOSAIC」の方に移動して。
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鉄塔の上に建つ赤い屋根の小さな望楼。大正3年のもので、ここから神戸港に出入りする船舶を監視していたということです。今では、ハーバーランドのショッピングセンター、モザイクの象徴のような感じ。下から見上げると先端の避雷針のような突起も併せて、青空によく映えています。
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遠くからでも目立っていてよく見えている観覧車。二階の通路を通って乗り場に向かうのですが、近くで見ると想像以上に大きいし、これはかなりの高さですね。高いところが苦手な私にはハードルが高すぎです。
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そのまま海の方に出て。。
ランニングコース「しおかぜのみち」は、神戸煉瓦倉庫やはね橋が架かる海に面したエリア。 -
タイル敷の道のほか木製のデッキのような場所も通るので、ランニングには気持ちよさげなんですが、散策のコースでもあるので、それを考えると歩く人にはあんまり歓迎はできないかな。ほどほどにお願いしたいと思います。
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イチオシ
その先に見えてきた神戸ハーバーランドの奥に架かるはね橋。上部にいかにもといった大型の構造物を乗せています。ただ、かつてここを通っていた水陸両用船が運休となって、今は跳ねる必要もなくなったよう。ただ、景観的には大きなアクセントとなっていて、往時を偲ばせています。
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海側から少し離れて、この神戸ガス燈通りは、神戸ハーバーランドのメインストリート。緩いカーブを描く並木道です。名前にあるガス燈は日が暮れてからでないとやっぱりよくわからない。海に面しているわけでもないし、日中だと通りはむしろ地味な感じしかしないように思います。
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その通りの途中にあるエルヴィス プレスリー像は、ギターをもって立つ姿。
なんでも、故郷メンフィスにある銅像、ハワイにある銅像と並んで世界に3体しかないオフィシャルな像のうちの1つだそう。ここはそんな特別な場所でもないし、貴重なものには見えないんですけどね~ -
ガス燈通りからJR神戸駅に向かいますが、神戸ハーバーランドセンタービルを抜けていきます。このビルは、吹き抜けの巨大空間が見どころ。壮大なスケール感があって、けっこう見ごたえありですね。
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では、神戸駅から三宮駅に向かいまして。
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今日の宿、神戸北の坂ホテルは、三宮駅の北エリア。三宮駅と北野異人館街の中間辺りです。
少し裏通りの閑静な場所。外観はこじんまりした建物ですが、ロビーに入ると、それこそシャンデリアで照らされたクラシックなデザイン。そこまで豪華ではないにしても、まあ、北野の洋館風ですよね。お部屋の方は飾りけがないビジネスホテルの典型ですが、木調の落ち着いた雰囲気は悪くないです。もう少し広ければいうことなしですが、そこは値段相応ということかなと思います。 -
ホテルで少し休んで、晩飯はせっかくなので、神戸の中華街へ、
南京町広場の中に建つ例の中国風の小さなあづまや。赤いランタンに囲まれて、賑やかな雰囲気を演出しています。ただ、神戸の南京町は規模が小さいし、この広場も限られた広さ。あづまやはまあまあがんばっていて、ないよりはましですが、やっぱり限界はあるかもしれません。 -
中華料理 昌園は、その南京町広場に面した老舗店。建物は少し奥まっているし、雰囲気的に古びた感じがしなくもないのですが、それなりにゆったりとした広さがあって悪くないですね。
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料理の方もそれぞれがきちんとしていて、無駄なことはしていない。シンプルに料理のおいしさが楽しめる。好感度は高いかな。ここにしてよかったなと思いました。
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ここからは、二日目。
神戸から東にJR沿線、六甲道駅、住吉駅、芦屋駅など、途中下車しながら歩いてみたいと思います。
六甲本通商店街は、JR六甲道駅から北に向かってすぐのアーケード商店街。そんなに大きくもないし、そんなに賑わってもいないように思いますが、入り口の「ROKKO」の看板の構えにはインパクトがありますね。緩やかな上りになっているのが六甲っぽいかなと思います。 -
そのまま北に向かって歩きます。
この春日神社は、かつて伊勢神宮参拝の帰路、重い病気にかかるも奈良の春日大社に祈願をして全快。そのお礼に春日神社の分霊をいただき祀ったのが始まり。社の前に巨大な木の株があって、かなりの迫力ですね。ただ、もう生きてはいないのかな。切り株の形でかつての隆盛を示しています。 -
今度は西へ。
都賀川公園は、灘区を南北に貫流する二級河川、都賀川沿いに整備された都市型公園。灘百選にもなった春の桜とかも自慢です。ただ、やっぱり目が行くのは河川の方。敷石で固められた両岸やアスファルトの遊歩道とかガチガチに整備されていますが、少しでも雨が降ったら濁流で覆われてしまいそうな感じ。見た目はよくてもあんまり気は許せないように思います。 -
またJR六甲道駅まで帰ってきて、そのすぐ南側に広がる都市公園は六甲道南公園。それなりの広さがあって、芝生も気持ち良さげです。で、少し下りの斜面になっているのは、やっパり六甲ならではですね。駅へ向かうのにこの公園を突っ切っていく人が何人もいて、駅への近道にもなっているようです。
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ここから、今度はJR住良駅に向かって歩きます。
石屋川公園は、その中間といった辺り。石屋川に沿って約1.5㎞の長さがある都市型公園。ただ、川に面しているかというとそうでもなくて、車道とともに整備された緑地帯をそのまま公園としても使っているといった感じかな。松並木とかが意外に歴史を感じさせているし、散策するにもとても安全だと思います。 -
その公園に面して建つのは神戸市立御影公会堂。国の登録有形文化財にも登録される歴史的建造物です。竣工は昭和8年。
昭和20年の神戸大空襲で被災したものの、修繕・改修。平成7年に耐震工事をした直後の神戸大震災にも耐え、現在に至っています。
入り口側からだと屋根の上に建つ円形の構造物が意匠のポイントになっているように思います。 -
ここから南の方へ向かって。
東明八幡宮は、阪神高速3号神戸線に面して入り口があります。ちょっと妙な感じなんですが、道路は後からできたものなので、仕方ないですよね。 -
神社は、神功皇后が朝鮮半島へ船出の際、武内宿禰大臣がその健勝を祈って、この地に若松を植えたのが始まり。また、後年、字佐八幡宮の神霊を京都石清水へ移す際にはここが休息所となったとも。鳥居が金色なのもなにか謂れがあるのかもしれません。
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阪神御影駅までしばらく歩いて。
沢の井は、御影駅からすぐの高架下にある石造りの井戸。 -
イチオシ
といっても、それなりに大きな池のようなもので、滔々と湧き水が噴き出していて、その清らかさも併せて、ちょっと尋常ではない雰囲気が漂います。
ここも神功皇后の謂れがありまして。。三韓征伐から帰ってきた神功皇后がこの辺りに滞在した折、この泉を見つけ、その水面に顔を映してお化粧を整えたというもの。なお、その際、神功皇后が泉に自分の姿、御影を映されたことから、それが御影の地名の起源ともなったのだとか。そういう意味では、なかなかの泉です。 -
なんとかかんとかJR住吉駅まで。
本住吉神社は、駅のほど近く。そこまで広い境内ではないですが、何か威厳が漂っていますね。 -
社伝によれば、日本書紀にある、神功皇后の三韓征伐からの帰途、船が進まなくなり、神託により住吉三神を祀ったと記される「大津渟中倉之長峡」の地が当地なのだとか。住吉大社も当社からの勧請としていて、「本住吉」の名前もそうしたことから。ここが住吉三神の起源とすればなかなかのものですね。
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JR住吉駅から芦屋駅まで移動して、ここからは芦屋の周辺を回ります。
芦屋神社は、JR芦屋駅から北に向かうのですが、住宅地とはいえものすごい急な坂道をかなりの距離を上っていた先。アクセスはかなり過酷です。
歴史はさほど古くはなくて、明治期に入ってから。芦屋の村々に点在していたいくつかの鎮守を合祀したもの。現在の社殿は昭和5年の造営。周囲は芦屋の高級住宅地といった雰囲気だけに、この神社もこぎれいです。 -
芦屋神社から芦屋川の方に下っていきます。ヨドコウ迎賓館が見えてきて、ちょっと懐かしいですね。
この芦屋川は、芦屋のほぼ中心部を南北に流れる川。普段の水量は少なくても大雨が降ったらすぐに濁流で覆われるような底は浅い川だと思います。途中には芦屋川駅があったりしますが、景観的にはこれもイマイチパッとしないかなあ。 -
ちょうど谷崎潤一郎「細雪」文学碑がありましたが、なんかパッとしませんね。自然石に「細雪」と彫っただけのあっけないものです。ただ、後日調べるとこの文字は松子夫人の書なのだそう。細雪は、芦屋を舞台に大阪の四人姉妹を描いた作品ですが、下敷きとなったのはその松子夫人の姉妹と共に過ごした日々ですから、もう少し何か説明があってもよかったと思いますけどね。
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芦屋川をもう少し下って、これは俵美術館。
江戸時代に使われた筆記道具、矢立を専門とする日本で唯一の美術館だそうで、玄関横に2体の大きな石像が並んで建っていて一風変わった構えです。 -
さて、展示の方ですが、どうかすると古道具屋っぽいことになりかねないところですが、
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それなりに由緒正しい美術品的な矢立を集めていて、
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展示の仕方も含めて、
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ぎりぎりそれは免れているかな。
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ほかに、根付や髪油壷のコレクションもあって、単純な美しさではそちらの方が見やすいかなとも思います。
いずれにしても旅の道具ですから、本来なら旧宿場町にあったりしたら、それらしく収まるんでしょうが、芦屋と矢立。ちょっと気持ち的にフィットするのは難しいかもしれません。 -
JR芦屋駅まで帰ってきて。
阿保天神社は、駅のほど近くにある阿保親王、在原業平を祀る神社。阿保親王というのは第51代平城天皇の第一皇子。天皇の第一皇子ですから天皇となる可能性はあったはずなのですが、平城天皇は早くから異母弟である嵯峨天皇に譲位し、第三皇子を皇太子としていました。もう少し付け加えると、平城上皇と嵯峨天皇は薬子の変で対立。敗れた平城上皇は出家し、皇太子も配され、その余波で阿保親王も太宰府に左遷されています。その後、平城上皇の崩御に伴い復権。阿保親王の第5番目の子供、在原業平が在原朝臣姓を賜与されるという流れです。在原業平は、「かきつばた」の伊勢物語の主人公。結果としては、阿保親王よりこちらの方がずっと有名ですね。
神社は駐車場の奥の一段高い場所。親王を祀っているにしてはちょっと簡素な建物です。 -
今度は国道二号線を東へしばらく進んで、大楠公戦跡碑。建武3年(1336年)2月、足利尊氏軍と楠正成が激突した打出の合戦を記念する碑。この戦いでは楠木軍が勝利し、足利軍が兵庫に敗走することになります。その際、楠正成はここに陣を敷いたということです。
ただ、この戦いの三か月後、再びまみえた湊川の合戦では足利軍が勝利。正成は討ち死にしています。そう考えると一時の勝利。碑は大きくて立派ですが、ちょっと一抹の寂しさはありますね。 -
そこから南に下って。
富田砕花旧居は、芦屋の市街にさりげなく佇む歴史的建造物。あの谷崎潤一郎が住んで松子と婚礼をあげた屋敷。また、谷崎の小説「猫と庄造と二人のをんな」の舞台となり、旧書斎は谷崎が「源氏物語の現代語訳」や「半そで物語」などを執筆したところなのだとか。 -
一方で、敷地は限られているので、そういう意味では違和感があったのですが、空襲で大部分は焼け落ちたということのようですね。
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一方で、富田砕花がここに越してきたのは昭和14年。谷崎と直接の関係はないようです。建物は無人なので、自由に思いにふけることができる。贅沢な場所となっています。
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富田砕花の関係の資料は、この別棟に展示されていました。啄木に影響を強く受けた詩人です。
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またしばらく歩いて。
芦屋公園は、阪神芦屋駅の南側。芦屋川に沿って南北に延びる公園です。ただ、雰囲気は公園というより、砂地にちょっと曲がった松が重なり合って生えていて宿場町によくある松並木のような感じですね。わざわざ行くような公園ではないでしょう。あとは、ちょっとした遊具もあって、隣はテニスコートです。 -
もうこの辺でかなりへとへとだったのですが、もうひと踏ん張りということで、最後に訪ねたのは虚子記念文学館。芦屋の海に近い住宅地です。
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高浜虚子は正岡子規と同じく、松山市の出身なんですが、その孫で虚子の後継者でもある稲畑汀子は芦屋に嫁いでいたんですね。ということで、この記念館はその汀子が嫁いだ稲畑家の住居の隣りです。
高浜虚子の名前は知っていても、内容的なことはちょっと不勉強でしたが、その主張するところは花鳥諷詠。花鳥風月および人間の営みのすべてを詠むのが俳句という考え方。なんか当たり前のことのように思いますが、展示作品の「白牡丹といふといへども紅ほのか」とか。対象をじっと観察することから生じた心の動きを素直に表現しているような感じ。写実の基本とかも含めて子規の教えを守っているのでしょうが、それは俳句界にとっては意外に大きな貢献だったのかもしれません。
それにしても、神戸市の灘区・東灘区から芦屋市は、北から阪急線、JR線、阪神線が狭いエリアを隣り合って走っているように見えますが、山側から海にかけての坂が急で、それを行き来するのは想像以上にしんどいですね。日常生活の中でその間を歩くのはほぼ無理。たぶん、阪急沿線は阪急沿線、JR沿線はJR沿線、阪神沿線は阪神沿線ととそれぞれが違う生活圏を持っているような気がします。そういう意味で、芦屋でもそういう地域差があるのではないかと思いましたが、そんな話をしても特に回答はなし。またの機会にもうちょっと探ってみたいなと思います。
昨日、今日とかなり飛ばし過ぎて、オーバーワーク気味。明日からは京都なので、うまく調整が付くといいなと思います。
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