2022/07/27 - 2022/07/27
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azusa55さん
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美濃路沿いの寺社巡り「子安地蔵尊堂と中島黒體龍王大神社」
八幡社から西へ5分程。
庄内川堤防の一部を切り取り小さな堂と堤防上に黒く塗られた中島黒體龍王大神社が鎮座します。
この地は古くから庄内川と鬩ぎ合って来た場所、1622年(元和8)、中島を中継とし大小二つの橋が架かるまでは容易に渡る事の出来ない美濃路の難所でもあった。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.5
- 交通
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
八幡社から西へ5分程。
庄内川堤防の一部を切り取り小さな堂が建てられています。
そこが今回の目的地「子安地蔵尊堂」です。
上は周辺の寺社、赤いマークが子安地蔵尊堂。
ここから北は庄内川が流れ、堤防沿いに県道106号線が伸びています。 -
子安地蔵尊堂全景。
庄内川の堤防法面の一部を堂の敷地として与えられています。
後方左の堤防上の建物は中島黒體龍王大神社。 -
左右、後方をコンクリート擁壁で囲まれ、敷地自体が堤防の一部となっています。
左に子安地蔵尊の石標があり、その奥に比較的新しい切妻瓦葺の堂が建っている。
境内は綺麗に清掃され、お地蔵様が安置される堂内も良く手入れされている。
-
堂内には一体のお地蔵様が安置され、背後に由緒が掲げられている。
-
堂内に子安地蔵尊移転新築の沿革が掲げられていた。
「平成27年度枇杷島橋上流左岸の堤防拡張工事により、昭和28年8月8日に改築された地蔵堂の移転が余儀なくされ、南へ約19㍍の当位置(西区枇杷島2丁目2411番の河川占用許可地)に地蔵堂を新たに建立する。
平成28年3月27日、「清音寺」住職により新地蔵堂の落成法要と町内会記念行事として新築を祝う。」
これによれば現在地の北側に鎮座していたと伝え、現在堤防上に鎮座する中島黒體龍王大神社の東付近に祀られていたようで、堤防上から住民により近い堤防下に移されたようだ。 -
写真は忘れもしない平成12年(2000)9月11~12日の東海豪雨の時の当地の写真、そこに子安地蔵尊と堤沿いの神社を表してみた、黄色は既に訪れたもので赤が子安地蔵尊。
堤防沿いに続く県道106号線は水没しその水面は越水寸前まで迫っている。
沿革にあった左岸の堤防拡張工事はこの事象が決定的となったと云ってもいい。 -
尾張枇杷島子安地蔵大菩薩由緒は以下のようだ。
「寛永年間(1624~1644)、尾張徳川藩の重臣の夢枕に地蔵菩薩が現れ、地蔵菩薩を建立するようお告げがあり、祀られたのが始まり。
この地に鎮座し参百有余年を経て、この間数々の不思議な瑞祥が起った事から人々から敬われた。
特に子供に関する願い事は何でも成就して頂け「安産・母乳・子供の夜泣き、よだれ・寝小便」等に関する願いに霊験あらたか。
昭和20年(1945)3月25日当地一帯は空襲に見舞われ、一帯は焦土と化したが地蔵尊とその堂だけは無傷で残り、周辺の町民から吉兆として喜ばれた。昭和28年8月8日改築」
終戦迫る絶望と不安の最中、この地蔵は住民の地元復興に向けた希望になっただろう。
お地蔵さんの表情は実に優しい表情でにこやかな笑みを浮かべたもの。
悩みがあれば一人で考え込まず、雑念を払って手を合わせると出口も見えてくるものだ。
出口を開けれるのは水晶玉ではない、自分の行動しだい。 -
子安地蔵尊。
由緒からすればこのお地蔵様は寛永年間(1624~1644)に奉納されたもの。
左手にそっと抱きかかえる子の姿がある、親として育児に悩んだ時期は経験している。
当時は苦痛だったが振り返って見れば僅かな期間だった、子育ても長く苦しいようだが巣立って見れば短くもあり、それを上回る喜びも与えてくれる。育児に悩んだらそっと抱いてやろう。
夜泣が止まず夜中に町内を車でひと回りした事もある、当時このお地蔵さんを知っていれば相談にきていたかもしれない。
子育て以外にも地元に住む人々の多様な悩みを4世紀に渡り聞き入れて来たお地蔵様です。 -
子安地蔵尊堂と庄内川法面。
庄内川堤防南側の法面の小さな堂の中から住民を見守り、庄内川の氾濫を鎮める様に佇むお地蔵様だ。
子安地蔵尊
建立 / 寛永年間(1624~1644)
安置仏 / 子安地蔵菩薩
所在地 / 名古屋市西区枇杷島2-24-15
八幡神社より徒歩 / ?美濃路沿いに西に向かい徒歩5分 -
これは枇杷島周辺に鎮座する寺社を地図に落としたもの。
左が昭和7年、右がほぼ現在のもので、中島黒體龍王大神社は赤のマーカー。
この神社は中島と呼ばれていた庄内川の中州に鎮座していたと云う。
現在の地図では既に中洲の面影はないが、左の昭和初期の地図では中洲が描かれている。
枇杷島橋は大正初期、既に現在の場所に架け替えられ、以前の橋は中島黒體龍王大神社の少し上流側に架けられていたが既に姿は見られない。
流程が長く幾つもの支流が流れ込む庄内川、川幅は広いが中洲がある事で川幅は狭まり、尚且つ上下流で大きく流れを変えるため水害が多く、古くから川と鬩ぎあって来たところ。
水害の一つの要因となる中洲は昭和25年から33年にかけて掘削・撤去され、地図上から姿を消す事になります。
下は尾張名所図会の挿絵に描かれた中島(手前)の様子。 -
庄内川を挟み現在の清州と対岸の西区を繋ぐ美濃路は橋がなく、渡しで行き来していた。
そこに橋を架ける上で中島は重要な役割を果たした。
当時、既に中島には集落が出来ていたが、美濃路を結ぶ要衝ながら渡しを使い行き来していた、中島があった事で二つの橋を架け対岸に渡る事が出来るようになった。
1622年(元和8)、中島を中継とし挿絵にある大小二つの橋が架けられ、容易に庄内川を越えられるようになり、それにより中島には茶屋などが建てられ賑わいを見せた。
尾張名所図会には「国中第一の大橋で、東西に二橋を架け、大橋は長さ七十二間(約130㍍)、小橋二十七間(約48㍍)、杭・桁・梁・高欄其他に至るまでみな桧材を用い、結構の善美で見るものを驚せ、両橋の間に中島があり南北六町(約600㍍)ばかり川中へ墾出す」とある。
多少盛り気味とも思える内容ですが、当時の技術では庄内川の川幅を一つの橋で架ける事は難しく、中島が無ければどうだったか。
中島黒体龍王神社は中島守護をもたらす龍神が鎮座する神社。
由緒によれば面白い話が伝わっている。
「当社は中島黒體龍王大神社と称し、祭神は黒體龍王大神を祀る。
位置は愛知県西春日井郡西枇杷島町大字下小田井字中島。
御光明帝(1633~54)の慶安年間(1648~1652)に当時枇杷の洲と呼ばれていた此の地で立穀豊穂の祈願が行われていた頃の事。
夢枕に御神体が現われ「龍神となってこの地を守る」とお告げがあり、村人はそれを喜びこの神社を建て370年以上の歴史があると云う。
一方で当地には御嶽黒沢口を開いた覚明行者と龍にまつわる話もあるようです。
寛政元年(1789)この地を訪れた覚明行者(1718~1786)は大雨で橋が流され、川の畔で思案に暮れていたところ、金色の大蛇が現れ覚明行者を対岸に運んだと云う。
巡行を終えた覚明は、帰途に里人と共に神社を改修した、今を去る事237年前である。
そんな龍に纏わる話があるようで、大きな川にはこうした龍や蛇はそこかしこに生息し、庄内川堤には他に何体も龍が鎮まっています。 -
子安地蔵尊堂から改修された堤の上に鎮座する中島黒體龍王大神社。
神社は1953年(昭和28)に中島から庄内川左岸堤防上に遷座しますが、2019年(令和元年)堤防補修・改修工事に伴い、少し下流の現在地に再移転しました。
黒で塗られた綺麗な外観や境内はそうした事もある。 -
西側から見る神社全景。
左は庄内川、右が枇杷島の街並み。 -
堤防から神社、庄内川上流の眺め。
草木が茂っていた堤防は改修・舗装され名鉄名古屋本線の橋梁まで伸び、車の乗り入れができない事もあり、ランニングコースとして利用する姿も見える。
ここから下流の枇杷島橋は橋梁嵩上げ、4車線化、橋桁削減に向け、新たな橋の建設工事が進められています。
今後も新幹線の橋梁架け替え、やがては名鉄の橋梁架け替えなどこの地域は変貌し続けるようです。 -
社頭の「黒體龍王大神」の石標(1944年)、石の神明鳥居(2019年)の前に由緒書き、燈籠(1957年)、参道左側に手水舎、境内社、拝殿に続く。
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由緒記。
昭和19年、大出水で中島に鎮座した神殿の一部を流出、社地を南100㍍の地に遷座。
昭和25年、神殿を造営。
昭和28年、名古屋市西区東枇杷島町の庄内川左岸堤防に遷座。
令和元年現在地に遷座。
国家の康安、家内息災、商業繁盛の加護が得られる。 -
由緒側面の水見杭の解説。
「寛永3年(1626)尾張藩が枇杷島橋下流袂に設置した水斗杭で、管理は枇杷島橋々守当町川口惣七家が務めた」
尾張藩により寛政10年(1797)に設置された水見杭は堤防法面に2本立てられ、川底から堤防天端までの水位を測り水位の上昇に応じ枇杷島村村民が尾張藩に報告していたという。
最悪の水位となった場合、橋の保護、城下への浸水被害を避けるため、下小田井側の堤防を切り被害の最小化を図ったようです。 -
鳥居から社殿全景。
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手水舎。
手水鉢に清水を注ぐのは立派な髭を持った青い龍。 -
手水舎右の境内社。
船玉稲荷大明神と白頭金體龍王。 -
年行事
元旦祭 1月1日 午前零時
節分祭 2月3日 午前10時
春季大祭 4月24日 午前10時
秋季大祭 10月24日 午前10時
拝殿額「黒龍神社」 -
拝所右の重軽石。
最初にこの?を持ち上げ重さを感じ取り、座布団の上に戻す。
願いをこめながら?を良く撫で持ち上げた時、軽く感じれば願いが叶うもの。
石とはいえこの手の重軽石は…触れない
この重軽石の右側に扉があり、拝殿内に入る事が出来ます。 -
拝殿中央の社の前に鏡があり、神前幕の上で口を開げてとぐろを巻く巨大な黒體龍の姿がある。
左右にも社があり、右の社の上には金色の龍、左の社には青い龍の姿、龍の巣窟だ。
其々の社に木札が掛けられているが榊の陰となり読み取れなかった。
幕に描かれた神紋も初めて見るもの、神職の方がお見えであれば伺いたかった。 -
拝殿天井絵。
格子天井の中央に縦6面、横4面を使って躍動感溢れた二頭の龍が描かれている。
顔料の種類は不明ですが、令和の龍に相応しい描き方で、特に鱗の描写が素晴らしい。
これから時を重ね趣が増していく事だろう。 -
拝所前。
ここにも飛び立たんとする龍の姿がある。 -
参拝を済ませ境内から架け替えが進む枇杷島橋の眺め。
中島黒體龍王大神社
創建 / 慶安年間(1648~1652)
祭神 / 黒體龍王大神
境内社 / 船玉稲荷大明神、白頭金體龍王
所在地 / 名古屋市西区枇杷島2-24
参拝日 / 2022/07/27
公共交通機関アクセス / 地下鉄鶴舞線「浄心」駅から西へ30分程。
名古屋駅から名鉄本線で東枇杷島駅降車、北へ徒歩10分程
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