2022/09/18 - 2022/09/18
86位(同エリア349件中)
Bachさん
今年はコロナのために各地で3年ぶりというイベントが多いですが、大阪を代表する祭り「岸和田だんじり祭り」も3年ぶりに開催されるというので、先月の京都祇園祭りに次いで行ってきました。
岸和田は以前より重森美鈴作庭の「岸和田城庭園」と、地元ユニチカ前身の寺田財閥邸宅の「五風荘庭園」を見たいと思っていたので、特に「岸和田城八陣の庭」は、重森三玲が「東福寺方丈庭園」に次いで国指定名勝を受けた代表作で、庭園愛好家としては外せない庭園で、ちょうどいい機会です。
又、当日は雨予報に反して好天気になったので、JRと南海の乗換駅にあたる新今宮駅のホームから見えていた話題の星野リゾートホテル「OMO7」と新世界にも立ち寄り、ついでに近くにいながら行ったことがなかった「通天閣」にも初めて登り、若者一杯の中で地上100mのシースルーフロアなど貴重な体験もありました。
折しも当日は「敬老の日」前日、女房共々ウォーキング(本日の万歩計26,000歩)で健康度をはかり、美味しいグルメで食欲度をはかって、まだまだ元気な老人ぶりを確認した1日でした。
「岸和田だんじり」は毎年、敬老の日前日の日曜日に「本宮」(本祭)、その前日に「宵宮」、前々日に「試験曳き」があり、本日の「本宮」は、9:00~12:30まで「宮入り」、13:00~17:00「午後曳行」(えいこう)、19:00~22:00「灯入れ曳行」のスケジュールで、午前中に「宮入り」を横目に2つの庭園を見て、午後から「だんじり」を見ることになりましたが、今年は装飾の華やかさを競う「静」の祇園祭と、高速で方向転換する「やりまわし」を競う「動」のだんじり祭りの両方を見て、地元の熱い想いと深い歴史をいつまでも繋いで欲しいと思いながら帰路につきました。
(行程)自宅~(JR)新今宮駅~(南海)蛸地蔵駅~(だんじり祭り)~(南海)岸和田駅~(南海)新今宮駅~OMO7~新世界・通天閣~(JR)新今宮駅~帰宅
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(行程)蛸地蔵駅(南海)~三の丸神社~だんじり会館~五風荘~岸和田城~岸城神社~本町・旧紀州街道町並み~商店街~アヤコ食堂~(ランチ)唯我独尊~(南海)岸和田駅
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大正14年のレトロな駅舎、天窓に蛸地蔵のステンドグラスがある
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「蛸地蔵」伝説
この地のお寺「天性寺」に賊軍が侵入し祀られていた木の地蔵を奪って行ったが、その後岸和田城が嵐に見舞われた時、巨大なタコに乗った地蔵が現れ沈めてしまい、さらに戦国時代襲撃され落城しそうになった時、今度は大小さまざまなタコの軍勢が現れ敵兵を蹴散らしてしまったという。 -
早速、だんじり娘たちに遭遇!
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まずはだんじり祭りの起源とわれる「三の丸神社」へ
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江戸時代1703年岸和田藩主岡部長泰(おかべながやす)が民の安泰を祈願するため京都伏見から稲荷社を勧請し、当時から9月に各町の地車(だんじり)が太鼓を打ち鳴らし稲荷祭りが行われており、この稲荷祭りが岸和田だんじり祭りの起源といわれ、明治までは宮入はこの「三の丸神社」で行われていた
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「だんじり会館」への途中、だんじりに遭遇!
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「だんじり会館」
だんじりに関する資料やはっぴなど展示し、祭りの映像も上映される
「だんじり」は、岸和田藩主が京都伏見稲荷を勧請し五穀豊穣のため稲荷祭りを行ったのが始まりで、明治に牛頭天皇社と八幡社を合祀して岸城神社の祭礼となった -
「だんじり」
総欅造り重さ4トンの地車(だんじり)と呼ばれる山車(だし)を、前方に100mの綱をつけ500人程度で走りながら引っ張り、街中を疾走する -
だんじりの大屋根に乗る体験も出来る
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だんじり会館横にキッチンカーなどのグルメ広場
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岸和田城の外堀沿いに「五風荘」(ごふうそう)へ
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当時は岸和田城二の曲輪に新御茶屋、家老屋敷、御薬園が置かれていて、その跡地に「五風荘」(ごふうそう)が建設された
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五風荘(ごふうそう)
本来の正門は北側にある南木門で奈良東大寺塔頭中性院表門を移築したもの -
五風荘(ごふうそう)
地元寺田財閥の二代当主で岸和田市長も務めた寺田利吉が、岸和田藩主の新御茶屋跡地を買い取り、別邸として昭和12年(1937)から3年をかけて造営された
*寺田財閥は、江戸時代酒造業に始まり明治になって金融業(和泉銀行~住友銀行)、紡績業(岸和田紡績~ユニチカ)などで財をなし地方財閥に成長した -
昭和初期に建てられた近代和風建築と回遊式日本庭園として、1998年国の登録有形文化財に登録され、2008年岸和田市指定有形文化財に指定された(これに伴い国の登録は抹消)
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岸和田ゆかりの武士楠木正成に因んで当初「楠」をもじった「南木荘」と呼ばれていたが、寺田利吉の諡号(死後名)が「五風院」であったことから現在の名称に改められた
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日本建築の職人技術の粋と全室空調管理という当時の先端技術を集めた近代風建築で、客人をお茶でもてなす機能と寺田家の居住機能とがあり、ハレとケの空間が建物内に表現されている
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建物玄関からは岸和田城
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所有者は平成4年(1992)に岸和田市へ移り観光協会が管理運営してきたが、平成21年(2009)から「がんこフードサービス」、2019年からは「岸和田グランドホール」が指定管理者となり、和食レストランとして活用されている
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以前は食事をしないと庭園は見れなかったが、今は無料開放しているから有難い!予約なしで入れなかったが、昼2,000~4,000円、夜6,000円~
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2階から庭を見ると全く趣が変わるから、次回はちゃんと予約して来たい
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天守閣あり、庭園あり、お茶室は3つあり、豪華な懐石料理あり、で京都の「三井財閥下鴨別邸」よりも「地方財閥」は凄い!
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「五風荘庭園」
昭和4年から10年の歳月をかけて造営した広壮な回遊式日本庭園、約2,400坪の敷地には主屋と3つの茶室があり、織田信長ゆかりの十三重の石塔や現在は入手困難な鞍馬石、貴船石などの景石が配され、地方財閥の栄華が偲ばれる -
「庭園」は、平安貴族から戦国大名、明治華族から現在でも「家格」を表す
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池泉は「ひょうたん池」と呼ばれ、中心に仙人が住んでいると言われる「蓬莱島」と宝船に見立てた「船石」を配置
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反り橋、雪見灯篭、船着き場もある
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池をわざわざ船で渡ったり、月見の宴なども催されていた
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「為善門」(ぎぜんもん)
重い瓦屋根と細い木の柱とのアンバランスを楽しむことからの命名 -
お茶室「待ち席」
お茶の準備が整うまで岸和田城を見ながら待つ -
茶室「山亭」
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茶室「山亭」
清水寺と同じ崖や池などの上に柱で床下を支える懸崖造り(けんがいづくり)で、二面がガラスになって明るく、近代的なデザインが面白い -
茶室「利庵・残月席」
頭を下げずに入ることができる貴賓口があり、表千家を象徴する茶室「不審菴(ふしんあん)」にある残月席を模している -
茶室「利庵・八窓席」
残月席よりも小さい席で、八つの異なる窓がある -
「船津橋門」
船津橋(淀川)の橋柱を使用した門で、重厚な柱に軽い木造の屋根になっており「為善門」とは対照的 -
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金持ちの庭園は灯籠の数で決まる、とも思うくらい数も種類も多い
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極めつけは「十三石の塔」(初七日から三十三年の供養の目印)
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「十三石の塔」
文永元年(1264)、安土城に織田信長が持ち込み、その後大阪城や様々な場所を転々とし、寺田利吉が手に入れた -
鎮守社「屋敷神」(やしきがみ)
岸城神社(きしきじんじゃ)と同じ八幡神を祀っており、戦の神を祀ることで屋敷を守る -
屋根に載る座布団のふさの稲と土台の海の魚の彫刻により五穀豊穣を願う
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帰りにあらためて岸和田城
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右手に「岸城神社」があり、宮入りを待つ「だんじり」が並ぶ
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「だんじり」は伝統的な「町会」組織で絢爛豪華なだんじりを所有し22町ある
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「岸和田城」櫓門
上に櫓が載せられた形式の門で、敵が来たら真上の櫓から矢玉を浴びせて撃退できる鉄壁の門、さらに右手には敵に横矢を射かける隅櫓がある -
「岸和田城」
1334年楠正成の一族和田氏が当時「岸」と呼ばれたこの地に城を築いたのが始まりで、「岸の和田氏」とよばれたことが「岸和田」の起源になった、その後大阪と和歌山の中間にあったことから秀吉の紀州征伐の拠点となり、1597年秀吉と同郷で妻は秀吉の生母の妹である小出秀政(こいでひでまさ)を城主に本格的な城郭になった -
5重天守の本格的な城郭であったが、明治維新で石垣を除いて壊され、昭和29年(1954)に3層3階に建てられた、本丸と二の丸を重ねた形が、機(はた)のたて糸を巻く「ちきり」と呼ばれる器具に似ていることから、別名「千亀利(ちきり)城」ともよばれる
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見所は、昭和28年(1953)に作庭家・重森三玲によって造園された枯山水庭園で、国の名勝にも指定されている岸和田城庭園「八陣の庭」
*重森三玲(1896-1975)は、岡山生、日本画を学んだ後、いけばな・茶道・建築など日本文化全般におよぶ研究を続ける一方、40代から日本庭園を独学で学び、1936年より全国300箇所の庭園を実測調査し「日本庭園史図鑑」全26巻にまとめ、作庭家のみならず日本庭園史の研究家としても活躍、三玲が作庭した庭は、東福寺本坊庭園、光明院庭園、大徳寺瑞峯院庭園、松尾大社庭園、北野美術館庭園(長野)など200庭弱で、従来のスタイルとは全く異なる革新的な日本庭園になっている -
重森三玲の作品の中で唯一城郭に造った庭園で、城と庭の調和が素晴らしく、東福寺本坊庭園「八相の庭」に次いで国の文化財に指定された
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「三国志」の英雄・諸葛孔明の「八陣」(大将を中心に8種類の部隊を配置する兵法)をモチーフとして作庭され、中央の立石が大将となり、周辺の各陣形を指導している様子に見立てている
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中央の大将の石組を中心に、天陣・地陣・竜神・虎陣・風陣・雲陣・鳥陣・蛇陣を周囲に配した枯山水庭園
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日本庭園では珍しく、天守閣からの眺望を意識してデザインされているので、天守閣に登って真上から見る庭園
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天守閣が出来たのは昭和29年(1954)、庭園は前年の昭和28年だから、ドローンでも飛ばして確認しないと難しい作業を、精巧な設計図で完璧に行っているのに驚愕!
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天守閣の高さは、石垣の高さ約5m、石垣上部から鯱(しゃち)を含めた高さが約22m
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青石で造られた幾何学的な線は上・中・下段の三段構成になって、その上段に大将を配置しており、天守閣から見ると「ナスカ」をも連想させる
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「砂紋」は見えにくいが、毎年4月のお城祭りには「青海波(せいがは)体験」という砂紋を描く体験があるらしい
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「大将」はこの中でも最大の巨石を立石として使い、周辺の各陣を指導している様子を表している
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「鳥陣」は8個の石で、鳳凰が天空に羽ばたく様子を表している、立石が鳳凰の首で横石が羽根
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「地陣」は3個の石で、動かない様子を表している
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「虎陣」は11個の石で、猛虎が吠える様子を表している
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「天陣」は3個の長石を立て、天に昇る勢いを表している
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「蛇陣」は3個の石で、大蛇が獲物に飛びかかる勢いを表している(左の石は2個で構成)
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「雲陣」は3個の石で、雲が常に変化する様子を表している
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「竜陣」は10個の石で、竜が海中から天に昇る様子を表している
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「風陣」は7個の石で、暴風が吹き荒れる様子を表している
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左手西側は関空方面、中央は明石大橋、右手北側は六甲山
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左手東側は奈良方面、中央は金剛山、右手南側は和歌山方面
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岸和田城を出た「二の丸広場」にも「だんじり」が待機
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「中之濱町だんじり」(紹介サイトによると)
戦後初の新調だんじりで、欄干は高級材料である黒檀を用いた「黒欄干」、土呂幕はすべて3層張りで精巧細密な彫物が自慢、纏(まとい)の軍配団扇は江戸時代に城内で行われた相撲大会で町内の力士が優勝し授与された軍配を模したもので、正面欄干の番号持ちも横綱の土俵入りとなっている -
「だんじりの彫物」
欅の木目を活かした仕上がりで、人物、馬、霊獣、花鳥、唐草など様々なものがあり、戦記物語や神話物語の名場面が彫刻されており、1億円以上かかる -
「大手町だんじり」(紹介サイトによると)
正面「秀吉本陣 佐久間の乱入」、左面「加藤清正の勇戦福島正則」、右面「拝郷五左衛門討取」を表す -
だんじりの彫り物は、明治以降だんじり大工たちにより豪華絢爛になった
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「南町だんじり」(紹介サイトによると)
正面は町内天性寺に安置される蛸地蔵尊の縁起にちなみ、蛸に乗った法師が錫杖を手に持ち、敵勢をなぎ倒す「岸和田大乱戦」、天井部分の格天井に十二支が彫られており、纏は蛸地蔵伝説の蛸の姿を頭に三方正面となっている -
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岸和田城の「石垣」は、水中から直接立ち上がるのでなく、水面の上に平らな部分「犬走り」がありその上に石垣がある二段構造になっている
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「宮入り」の岸城神社(きしきじんじゃ)へ
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「岸城神社」(きしきじんじゃ)
岸和田祭り発祥の宮で岸和田城の総鎮守、祭神は天照大神、疫病退散のため素戔嗚尊(すさのおのみこと・午頭天王)と品陀別命(ほんだわけのみこと・八幡神)も合祀されている -
代表者が宮入り祈願
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女性が多いのが目立った、基本的にだんじりには乗れないが綱をもって曳くことは出来るという
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本町・旧紀州街道町並み
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「おばんざいアヤコ食堂」
コシノ3姉妹の生家に2019年オープンした食堂 -
「アヤコ食堂」は、食事すれば2階の「コシノギャラリー」に入場できるらしいが、本日は祭り休業
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アーケード内も曳行
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南海岸和田駅前
「やりまわし」を見る人で既にいっぱい! -
「岸和田だんじり祭り」は、定められたルートを何周も駆け巡り、曲がり角ごとに「やりまわし」を行う
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だんじり曳行は総勢500人くらいで、先頭は「纏(まとい)持ち」
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「綱先・綱中」は、小中学校生が中心で、綱先は曳き綱がたるまないように綱を張り、綱中は進行方向に全力で綱を曳く
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「綱元」は、 青年団中心で、やりまわしの時に 綱の力をだんじりに伝える重要な役割
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「やりまわし」は、勢いよく走りながら直角に向きをかえるので、重さ4トンを超えるだんじりを走りながら操作するのは超高難度
*京都祇園祭は車輪の下に竹を敷いて滑らせる「辻まわし」、飛騨高山祭は五番目の車輪を使い変則の三輪となって角を曲がる「戻し車」という -
「大工方」(だいくがた)は、泉州一帯のだんじり祭だけで呼ばれる名称で、大屋根、小屋根に乗る人、地上約4mの大屋根で跳び上がったり、体の向きを変えたり、両手を広げ片足で立つ飛行機乗りなどリズミカルに踊る華形だが、前方が見えない後梃子(うしろてこ)に 進行方向などを指示し進行の指揮をとる
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「前梃子」(まえてこ)は、コマと地面の間に梃子(てこ)を差し込みコマの回転を抑えたり、方向転換をする役目、「後梃子」(うしろてこ)は、大工方の指示に従い左右にくくり付けた 綱を引いたり肩で押すなどしてだんじりの向きを変えたり舵取りをする役目で、ベテランしか出来ない重要な役割
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ブレーキのはたらきをする左右の「前梃子」と、かじをとる「後梃子」のタイミングが難しく腕の見せどころと言われる
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「唯我独尊」でランチ
北海道・富良野で人気のカレー店の姉妹店 -
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富良野では有名らしいが、、、唯我独尊し過ぎ?
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店内からもだんじりが見えるのが良い
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南海・岸和田駅から帰る
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新今宮駅のホームから見えた「OMO7」
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「OMO7」(オモセブン):2022.4月オープン
星野リゾートの観光を目的とした都市型ホテルで、14階建て舟形建物 -
リゾート地でなく都市に展開する都市型観光ホテルで、2018旭川7、大塚5に次いで3件目(番号は広さを表すという)
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通天閣を目指して歩く
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久しぶりに味わう新世界の町
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星野リゾートのホテルが出来て変貌したかと思ったが、殆ど変わってない
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ビリケン像は、足の裏をなでると幸運が訪れる
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名物串カツの鶴亀家
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「通天閣」(大阪のエッフェル塔)
1903年国内万博招致に成功してパリ万博を調査した際、エッフェル塔を真似た塔を構想し、万博跡地に明治45年(1912)凱旋門をモチーフとするビルの上に高さ64mの当時東洋1の鉄塔を造り、その後火災で焼失したが、昭和31年(1956)再建、高さ103mで5階が展望台、頂上のネオン広告は松下から断られ日立が獲得、後に天気予報、コロナの危険サインにも使う -
通天閣に登るのは初体験
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5階「黄金の展望台」87.5m
秀吉の黄金の茶室に負けじと装飾した黄金の展望台 -
「ビリケン八福神」
ビリケン像を囲み七福神の木像を並べビリケン八福神 -
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5階よりさらに上がり(94.5m)全面ガラス張りの「天望パラダイス」
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あべのハルカスは日本一高い300m
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天王寺動物園
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「跳ね出し展望台」(地上92.5m、長さ5.4m、幅1.5m)
先端部分がシースルーフロアで、空中浮遊しているようなスリル体験を味わえる -
3階(22m)フロアには、約100年前の「新世界」のジオラマや映像、当時の写真など展示
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アンテナショップと称して関西ゆかりの食品メーカー江崎グリコ、日清食品、森永製菓の製品がいっぱい
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1日中歩き回り本日の歩行数26,000歩
ビールと串カツで本日の締め! -
まだまだ元気な体力を確認して帰路につく!
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