
2022/08/18 - 2022/08/20
4位(同エリア552件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2022/08/19
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船での移動
ホテル浦島発:8時頃(船)→勝浦観光桟橋着:8時10分頃
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バスでの移動
勝浦観光桟橋発:8時15分頃→大門坂入口8時30分頃着(観光バス)
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徒歩での移動
大門坂入口発:8時50分頃~9時40分頃(徒歩)
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バスでの移動
観光バスで移動
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徒歩での移動
熊野那智大社→那智山青岸渡寺:9時50分頃~10時20分頃(徒歩)
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休憩(お茶)厄10分
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バスでの移動
観光バスで移動
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那智の滝:10時40分頃~11時20分頃
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バスでの移動
観光バスで移動
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那須速玉大社:11時40分頃→12時10分頃
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バスでの移動
観光バスで移動
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ランチ(瀞峡めぐりの里)12時30分頃~13時10分頃
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バスでの移動
観光バスで移動
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吊り橋(山彦橋):13時30分頃→14時頃
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バスでの移動
観光バスで移動
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熊野本宮大社~大斎原:14時45分頃~15時30分頃
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バスでの移動
観光バスで移動
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川湯みどりや:到着 16時頃
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この旅行記スケジュールを元に
熊野古道は世界遺産に登録されています。
三重県、奈良県、和歌山県、大阪府にまたがっています。
ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に指定されているのは、大阪府を除いた三重県、奈良県、和歌山県県の三県です。※
そして熊野三山とは、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社です。
今回はツアーで行きましたので、スポットライトは外さず、それ以外はササっとバスで巡りました。何とも効率的です。
その旅程は次のとおりです。
【旅程】
8月18日(木)1日目
品川駅:7時33分発(新幹線ひかり633号)→名古屋駅:9時14分着
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名古屋駅バス乗場発:9時30分頃(観光バス)→伊勢神宮駐車場着:11時40分頃
↓
おはらい町~おかげ横丁
すし久(ランチ)
赤福(喫茶)
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伊勢神宮(皇大神宮(内宮))13時15分頃~15時頃
↓
伊勢神宮発:15時10分頃~勝浦観光桟橋乗り場:17時40分頃
勝浦観光桟橋発:17時50分頃(船)→ホテル浦島着:18時頃
8月19日(金)2日目
ホテル浦島発:8時頃(船)→勝浦観光桟橋着:8時10分頃
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勝浦観光桟橋発:8時15分頃→大門坂入口8時30分頃着
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大門坂入口発:8時50分頃(徒歩)~9時40分頃
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(途中車で移動)
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熊野那智大社→那智山青岸渡寺:9時50分頃~10時20分頃
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休憩(喫茶サービス)10時20分から10時30分頃
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那智の滝:10時40分頃~11時20分頃
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那須速玉大社:11時40分頃→12時10分頃
↓
ランチ(瀞峡めぐりの里)12時30分頃~13時10分頃
↓
吊り橋(山彦橋):13時30分頃→14時頃
↓
熊野本宮大社~大斎原:14時45分頃~15時30分頃
↓
川湯みどりや:16時頃
8月20日(土)3日目
川湯みどりや:8時頃発→高野山:10時40分頃
↓
奥の院:10時40分頃~12時頃
↓
ランチ(高野物産 一の橋観光センター):12時10分頃~12時50分頃
↓
壇上伽藍:12時55分頃~13時40分頃
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高野山:13時45分頃(車)~名古屋駅:18時20分頃(交通事故渋滞のため)
↓
名古屋駅:19時31分発(新幹線ひかり662号)→品川駅:21時12分着
※ 大阪府は世界遺産に指定されていませんが、実際には大阪市中央区天満橋京町に、「紀伊地」として現在も「くまの街道」の起点の碑があります。
近世以降、この紀伊地と中辺地が区分され、中辺地は指定されていますが、紀伊地は指定されていません。
ただ実際には大阪府も参詣道になっていました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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18日から宿泊していたホテル浦島です。
今日はお天気も良さそうです。 -
19日(旅行2日目)の朝食です。
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今日は、熊野古道を歩きますので、バテないようにしっかりいただきます。
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ホテルから大門坂までは案外近くでした。
勉強不足だったので、熊野古道が、これほど海に近いとは思っていませんでした。
ただ、念入りに調べて行かない方が、現地で初めて知って驚くことが多々あります。これが旅の醍醐味です。
・・・・とはいえ、これはツアーだから呑気に言ってられることです。
特に海外では、ある程度調べて計画していかないと!(^_^;)
しかも、知らないで大事な物を見落とすこともあるので、一概には言えませんね。((´∀`))ケラケラ
まずは、ここでバスから降りました。 -
那智古道 大門坂
世界でも道の世界遺産は珍しいようです。
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼地もそうですが、他にもあるのかどうかはわかりません。
こちらは、1000年以上も前から、参詣者を受け入れてきました。
大門坂は267段の石段が、約650mにわたってあります。 -
なでしこジャパンの記念モニュメント
駐車場にありました。八咫烏とサッカーボールが描かれています。
日本サッカー協会のシンボルマークです。三本足の烏です。
八咫烏は、神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたと言われています。
導きの神として信仰されていて、太陽の化身とも言われているようです。
とてもありがたい鳥ですが、個人的は鳥が苦手ですので、旅の途中で烏には、出会いたくはないです。仮に伝説上の八咫烏だとしても・・・・・・・(-_-;)
※ 八咫烏については、日本だけではなく、三足烏として中国や東アジアにも登場します。 -
紀伊山地の霊場と参詣道が描かれています。
ちなみに吉野から熊野本宮まで大峯道が通じていいますが、この道は山伏の修行ルートで、1000mを超える山々が連なる大峰山脈を約1週間で踏破するのが本来の修行でした。このことを大峯奥駆と言って江戸時代以降、このコースが一般的です。
ただ、実際には12世紀末には山伏が大峯入りをしていたようです。
蛇足ですが歌人の西行も大峯修行をしたようです。
「ねがはくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの もち月の頃」
と山家集の歌ですが、個人的には私も同じ気持ちです。
ちょっと脱線しますが、桜のついでに吉野の桜のことですが、まだ見たことがありません。是非見に行きたいものです。
吉野山の桜は、古来ほとんどが白山桜です。
「み吉野の 山べにさける さくら花 雪かとのみぞ あやまたれける」とあります。
ところで私は現在までずっとあることを勘違いしていました。
桜の「染井吉野」ですが、名前の後ろに吉野がつくので、吉野の桜を植樹したのだと思っていました。実はこれが大きな間違いで、東京染井の植木職人の方が作り出したものだそうで、染井吉野は吉野桜とは全く関係ないのだそうです。(-_-;) -
杖がたくさんありました。
旅行前にぎっくり腰をした夫は、この杖を借りました。
勿論、無料です。 -
この付近は、のんびりしています。
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まずは、駐車場からてくてく歩きます。
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細い道があります。
昔は参詣道として、この道が使われていたそうです。 -
現在は、この広い道を通っています。
狭い道の方が味わいがありますが・・・・。
それにしても陽を遮るものがないため、かなり暑いです。 -
おや、見えてきました。
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大門坂の入口です。
ここからが本番です。熊野古道 大門坂 名所・史跡
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暑いため日傘をさしている人もいます。
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うろこ雲です。ひたすら歩きますから周囲の自然におのずから目がいきます。
途中、紀州ということもあり、南高梅の木もありました。 -
大阪屋旅館跡
南方熊楠が3年間滞在したと書いてあります。 -
新宮藩の関所跡(十一文関)
正に関所の跡地です。
南方熊楠の滞在していた旅館跡の向かい側にあります。
熊野詣に来る人たちから、数キロごとに通行料を徴収していました。 -
古い石の鳥居です。
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那智山周辺案内図です。
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振ヶ瀬川
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振ヶ瀬橋
振ヶ瀬川にかかる小さな橋です。
橋は結界のような役割を果たします。
俗界と神域とを振り分ける境になります。 -
鳥居を過ぎて、振り返って見た様子です。
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鏡石
祈り石と書いてます。
苔が生えています。 -
本来鏡石は、表面が滑らかになっていて、影が映る石のはずですが・・・。
もしくは、手水鉢の手前に置く石ですが。
かなり年季が入ってます。 -
大門坂茶屋
平安時代の衣装をレンタルし、写真撮影ができます。
93歳の女将さんが、丁寧に作ったポケットテッシュです。
93歳でお針仕事ができるなんて、凄い事です。大門坂茶屋 名所・史跡
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この平安衣装を着て、古道を歩くと思い出に残りそうです。
ただ、真夏は無理かも・・・・・・。汗汗汗 -
記念撮影の場所です。
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この付近からが撮影スポットです。
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立派な夫婦杉です。
樹齢800年だそうです。 -
真夏でかなりの暑さですが、この付近は大木に囲まれているため、暑さも少し緩和されます。
癒しのスポットです。 -
夫婦杉の間から太陽の光がこぼれてきます。
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周囲には杉の木だけでなく、桧などもあります。
またクロモジ(黒文字)なども・・・。
熊野古道はパワースポットと言われていますが、樹々から放出される心地よい香りなどもいい意味で影響しているような気がします。 -
若干苔むした石畳が古道に趣を添えています。
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竹林にも囲まれています。
この付近にじっと佇んでいたいです。 -
石畳の趣のある石段です。
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多富気王子
九十九王子の最後の一社の跡です。
この起源については、他説あるようです。
和歌山県指定史跡です。
現在は石碑と庚申塚だけが残されています。 -
「多富気王子」の由来が書かれています。
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楠ですが、樹齢800年だそうです。
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朽ち果てているように見える楠の木の根元に、鍵がかかっています。
不思議です。
木の中に財宝でもあるように思えてしまいます。
ガイドの方の話によると、この中にスズメバチが巣を作ってしまったために、封印したのだそうです。
・・・・実はやっぱり何かありそうな気がするのですが・・・・。疑い深いのは私だけでしょうか? -
人がいないと本当に深淵な雰囲気がします。
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扇のように見える大門坂の案内
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この古い道をいったいどれだけ多くの人たちが通ったのでしょう。
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そういえば、古代ローマの道は世界遺産に指定されていないような・・・。
アッピア街道、アウレリア街道、フラミニア街道、サラリア街道、ラティーナ街道、カッシア街道・・・・等々ありますが。
アッピア街道は、どうも世界の土木遺産のようです。 -
神の存在を感じるような・・・・そんな気さえします。
太古からの森だからでしょうか。
何かが存在するような・・・。 -
実は、ここではこの風景を見て、写真を撮って、再び観光バスに戻って、この先はバスで向かいました。
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ご覧のように、いいとこどりで、ここからショートカットしてバスで向かいます。
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和か屋本店(お茶処)
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赤いポストが目印です。
このポストの先は参道になっています。 -
先ほどの古道に比べると、この石段は日差しを遮るものがありません。
しかも暑い時間帯です。
しんどいです。
やはり旅行時期は重要です。
一番良いのは秋でしょう。
秋に休みがとりにくいため、この時季にしたのですが、都合がつく方は、秋をお勧めします。 -
那智山参拝道案内
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天然記念物、木斛(もっこく)の大樹です。
樹齢400年
10m余り
幹周りは1.8m
木斛の大樹は県下でも珍しいのだそうです。(和歌山県指定文化財) -
那智大社実方院前庭
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夏以外の季節なら、特別ではないのですが、真夏はきついです。
皆さん、休憩しながらも、ひたすら上を目指します。 -
こんなところに小さな可愛いお坊さんがいました。
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右は那智山 青岸渡寺です。
西国第一番札所です。 -
ついに鳥居までやってきました。
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世界遺産 熊野三山 那智大社です。
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御祭神は
熊野夫須美大神
御子速玉大神
家都御子大神 -
児宮(こぐう)(多富氣王子神社)
御祭神は彦火火出見尊です。 -
さあ、最後の鳥居を目指します。
狛犬が迎えてくれました。 -
御神馬
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熊野那智大社拝殿
「熊野」の「くま」という言葉には「奥まった処」「隠れたる処」という意味があり、「上座」であり「聖なる地」と位置付けられています。
「くま」「かみ」は同じ意味で「くまの」「神の野」で神々の住まえる地といえます。
神倭磐余彦命は、この地に上陸し、八咫烏の案内で、大和の地に落ち着き、神武天皇となられました。
その時に、那智の瀧を大己貴命の御霊代として祀られたのが、那智山信仰の起原です。
約1680年前の仁徳天皇5年、この地に社殿を建立したと伝えられています。熊野那智大社 寺・神社・教会
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境内の様子
御社殿は、熊野権現造りで、正面が5棟、側面が1棟です。 -
時間に余裕がなかったので、大急ぎで御朱印をいただきました。
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次は青岸渡寺に向かいます。
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那智山青岸渡寺
天台宗のお寺で、33体の観音菩薩像にお参りする西国三十三所観音巡礼の一番札所でもあります。
平安時代から上皇や貴族の間で巡礼が人気を博しました。
そして江戸時代の終わりまで、那智山と総じて人々から信仰されてきました。那智山青岸渡寺 寺・神社・教会
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実は、明治新政府が仏教と神道の厳格な分離を命じ、僧侶たちが那智山から追い出されました。このことで終わりを迎えてしまいました。
ただ、その後、1874年に僧侶たちは空になったお堂を青岸渡寺という新たな寺として許可を得ることができました。
その間、仏像や仏具は補陀洛山寺などに移されていました。
いったんは空堂になったものの、天台宗の寺院として復興できたわけです。 -
鰐口は、1.4m、450キロと世界最大です。本堂の入口に吊るされています。
これは仏具の1つです。 -
世界遺産であり、西国大番の札所でもあります。
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延命の水です。
お清めをした際に、喉の渇きを癒すため、ありがたく頂戴しました。
思ったより冷たくはありませんでした。(-_-;) -
西国第一番御詠歌
・・・補陀洛や 岸うつ浪は 三熊野の那智の御山に ひびく滝つせ・・・
那智山主 亮享 -
石碑のある場所から眺めると、三重塔と那智の滝が見えます。
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ズームしてみます。
この三重塔は、1581年(天正9年)戦乱によって焼失してしまいましたが、1972年(昭和47年)に再建されました。那智山青岸渡寺三重塔 名所・史跡
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狛犬があります。
1933年に山門を建てた時に、狛犬が・・・。
普通は神社にあるのは問題ありませんが、こちらはお寺です。 -
仁王像があります。
これは別に問題ありませんが・・・。 -
仁王像ですが、残念ながら反射して、よく見えません。
この山門の特徴は、狛犬と仁王像が一緒にあることです。 -
熊野那須大社の御朱印
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御縣彦社の御朱印
実は青岸渡寺の御朱印はもらい損ねてしまいました。 -
バスで移動してきました。
さて、次は那智の滝です。
那智御滝 飛瀧(ひろう)神社 -
落差は133m
銚子口の幅は13m
滝壺の深さは10m -
鳥居をくぐって参拝します。
鳥居は新しいように見受けられます。 -
右側通行で下って行きます。
その昔、御東征の際に、この地に上陸された神倭磐余彦命(神武天皇)が、この滝を仰がれ、大己貴神を祀られました。 -
高浜虚子は「神にまかせば まことうるはし那智の瀧」と詠んでいます。
那智の滝(那智大滝) 自然・景勝地
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鳥居からの眺めです。
この滝は、那智山から湧き出る水の流れが断崖にかかって落下する名瀑です。 -
手水舎
ちょっと怖そうな顔で水を吐き出しています。 -
こちらにもありました。
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この地には宇多上皇をはじめ、百十余度の御行幸があり、花山法皇は千日間の山籠もりをされました。
また他にも修験道の開祖とされる役行者の瀧行以来、瀧修行の場となりました。 -
御朱印をいただいたら、お守もくださいました。
那智御瀧飛瀧神社延命御守です。
こちらでは、延命長寿の信仰が篤く、現在でもこの滝の水は延命長寿の水として尊ばれているようです。 -
御瀧拝所舞台へは、別料金です。300円(大人)
滝を一番近い正面で拝観します。 -
滝の側にくるとマイナスイオンが発せられているように感じます。
身体も心も清められた気がします。 -
この写真の上手をご覧いただくとわかると思いますが、銚子口の岩盤に3つの切れ目があるのが見えます。
これが三つの筋になり落下することから「三筋の滝」とも呼ばれているようです。 -
この滝の源流となっているのは、大雲取山から流れ出る本流ですが、その他にいくつもの流れが重なり合って流れ着いています。
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水は生命の母と言われています。そして那智山信仰の元となっています。
延命長寿の信仰が篤く、数多の修行者や参拝の人々が詣で、今日もこの滝の水は延命長寿の水として尊ばれています。 -
滝壺の先はこのようになっています。
水の流れは細くなりますが、続いています。 -
滝をずっと見ていると、まるで修験僧がいるようにも見えます。単に目の錯覚ですが。
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滝を拝観した後は、往路とは違い別の道を通ります。
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樹々に囲まれて深淵な雰囲気です。
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御瀧本祈願所
安置
那智御瀧御祭神 大己貴神
修験道開祖 役小角
御瀧守護 不動明王
御瀧行者
花山法皇 弘法大師 伝教大師 安倍晴明 一遍上人 丈覚上人 -
御霊石
平成23年紀伊半島大水害の復旧作業中、瀧元に出現した丸石です。
御瀧の清浄な水で長年磨かれ球体となったもので、御瀧の御神威が籠る霊験あらかたな石と考えられています。 -
この熊野那智大社別宮飛瀧神社は、滝そのものが御神体です。
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和歌山県指定史跡
亀山上皇が1281年(弘安4年)に建てられた牌の写しを建てたものです。
皇室の那智山における信仰を知る資料として大切なものです。 -
苔むしていて年季を感じます。
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鳥居まで戻ってきました。
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那智御瀧神社の御朱印
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那智山と陰陽師が関連していたとは知りませんでした。
平安時代の中期986年(寛和2年)、第65代天皇として在位僅か2年で退位された花山天皇は、出家された後、988年(永延2年)、那智の滝の上流にある二の滝近くに庵を結び、千日修行をされました。
その修行中に、天狗をはじめ多くの悪霊の妨害に遭われたため、京より安倍晴明を召されました。
そして駆けつけた安倍晴明は、「多数の魔類を岩屋に諭し、その後魔類は怠惰な行者を叱咤する存在に変りました。」
・・・・・との逸話が14世紀に成立した「源平盛衰記」に収められています。
「那智山瀧本事」には花山院の命を受け北斗七星を勧請したとの記述があります。
熊野那智大社宝物殿には、晴明が居住した庵の跡地に建てれたとされる「晴明堂」と「晴明橋」が描かれた図が数点所蔵されているほか、大門坂を上がり切った付近に晴明橋の一部が残っています。
※ もともと天狗は中国がルーツです。
修験の秘術を使う山伏が、山伏姿のカラス天狗になっていったようです。
火伏と言って修験者たちは、火災を防ぐために神仏に祈ります。
火を鎮めるのは水であるため水の神となったようです。
おそらく天狗は一部の山伏ではないかと推論してるところです。 -
またバスで移動して来ました。
熊野速玉大社
熊野三山の一角をなす新宮市の大社です。
景行天皇の時代に、神倉神社のゴトビキ岩に降臨した熊野権現を勧進するため、社殿を造営したそうです。熊野速玉大社 寺・神社・教会
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こちらの主祭神は、熊野速玉大神と熊野夫須美大神です。
2002年(平成14年)12月19日に、熊野三山が史跡「熊野参詣道」から分離・名称変更されました。
その際に御船島を含む熊野速玉大社境内が追加で指定されました。 -
拝殿
立派なしめ縄です。 -
熊野神社は、日本全国(北海道から沖縄まで)に祀られていて、三千数百社以上と言われています。
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熊野御幸には、陰陽師に日時を占定させて、斉館で心身の御精進を数日間行われて、後に御出発になりました。
白河天皇の天永元年9月の御幸には、総人数814人、1日の食糧は16石2斗8升、傳馬185匹と「中右記」に記されています。
御幸の道順は、京都→住吉→和泉→紀伊半島海岸沿いに南下→田辺→中辺路→本宮→熊野川を下り→この熊野速玉大社参拝→那智山→雲取→本宮→往路コースを逆行して帰京というコースでした。
日数にしておよそ二十数日に及ぶ苦行の旅でした。 -
熊野御幸
年代と御幸の回数などが記されています。
一番多いのは、後白河上皇で33回です。
ガイドの方は34回と仰ってました。いずれにしてもかなりの回数です。
本当に熱心な熊野信者です。
2番目に多い後鳥羽上皇も29回と多いです。以下省略します。 -
堂々の世界遺産です。
熊野御幸によって、熊野信仰は公卿、武士、庶民の間に流布し、熊野水軍をもつ熊野三山の忠誠心を助長し、京と熊野との文化交流、有名な熊野懐紙、幾多の名歌が詠じられるなど各方面に大きな影響を残しました。 -
速玉大社のおがたまの木です。(天然記念物)
樹高21m、幹周1.65m
樹齢や大きさの点でこの地方でも数少ない大樹です。
また、この葉を食草として育つ南方系のミカドアゲハの飛来も見られるそうです。 -
梛の大樹 「熊野速玉神社のナギ」です。
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樹高20m、幹周6m、推定樹齢は約1,000年です。
ナギとしては国内最大であると言われています。
ナギは、よく神木として植樹されました。
ナギの葉は、笠などにかざすことで魔除けとなったそうです。
そして帰路の道中を守護してくれると思われていました。
これは、1159年(平治元年)社殿の落成時に、熊野三山造営奉行であった平重盛の手植されたと伝えられています。 -
神門の方向から見た鳥居です。
駐車場から入りましたので、実際の参拝経路ではありません。 -
鑰宮 手力男神社と八咫烏神社です。
手力男神社の祭神は、天之手力男命です。
岩戸隠れの際に、岩戸の脇にいて、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせた時、引き開け、それにより世界に明るさが戻ったと言われています。
八咫烏神社の祭神は、建角見命です。
神武東征の際、高木神・天照大神の命を受けて日向の曾の峰に天より降りました。
そして大和の葛木山に至り、八咫烏に化身して神武天皇を先導し、金鵄として勝利に貢献しました。 -
光のせいで鳥居が2色に撮れてました。
ちょっとだけ神秘的な感じがします。 -
熊野権現
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駐車場から入りましたが、本来はこの橋(下馬橋)を渡り、鳥居をくぐって参拝します。
ただ、橋はありますが、川はありませんでした。 -
熊野速玉大社参詣曼荼羅図
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順番は逆ですが、狛犬です。
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かなり年季が入っているようです。
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手水舎です。
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「もうで餅」だそうです。
詣でのお土産に良いですが、ちょっと日持ちがしないので諦めました。
中に、こしあんの入ったお餅です。 -
佐藤春夫記念館です。
これは、東京旧宅を、故郷の新宮市の熊野速玉大社境内の一角に移築し、復元したものだそうです。
雑誌「三田文学」「スバル」などに詩歌を発表しました。
芥川龍之介と並び時代を担う2大作家とまで言われました。
その著作は多岐にわたっていました。 -
熊野速玉大社の御朱印です。
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お昼ご飯です。
お楽しみの鮎の塩焼きです。
連絡をしてから、焼いてくれていました。Good!! -
熊野牛の陶板焼き
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食事したのは、熊野川沿いのお店でした。
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支流と合流しています。
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熊野川は、静かで綺麗な流れです。
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山彦橋に向かいます。
場所は奈良県吉野郡十津川村です。
吉野熊野国立公園 瀞峡
十津川村には、これよりも有名な谷瀬の吊り橋があります。 -
十津川村の教育委員会が令和3年3月31日建立とあります。
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瀞峡の眺めは、雄大です。
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吊り橋が見えてきました。
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ちょっと心もとない感じがします。(^_^;)
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山彦橋です。
長さ 83m
高さ 25m
板幅 1m
竣工 1935年8月
奈良県吉野郡十津川村神下~三重県熊野市紀和町木津呂 -
人が一人通れるだけの幅です。
すれ違うのがやっとです。
そして結構揺れます。
私は高所OKですが、苦手な方は渡りませんでした。 -
橋からの眺めです。
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静かで雄大な眺めです。
魚も見えました。 -
このような道を通って行きます。(帰路ですが)
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もう使用していないようですが、何かの運搬などに使用されたのでしょうか・・・。
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奈良県・三重県・和歌山県にまたがる国特別名勝の峡谷です。
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昔から変わらないであろう自然美に圧倒されます。
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三國にまたがるこえや ほととぎす
誰が詠んだんでしょうか・・・。 -
瀞ホテルです。
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ここから川に降りて行けるようです。
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十津川観光協会の地図ですが、元々現在地がわかりにくいのですが、残念ながら、私が見ても全然わかりません。
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三県境
吉野熊野国立公園 瀞峡瀞峡(奈良県十津川村) 自然・景勝地
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169号線から入った所のようです。
地図を見るとわかりますが、本当に、3県の境目にあります。
ちなみに十津川村は、奈良県の最南端にあります。
そして日本一大きな村です。
どうしても西村京太郎さんの十津川警部を思い出してしまうのですが・・。 -
こちらは熊野川です。
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約30分で到着しました。
熊野古道最後の観光場所です。 -
熊野本宮大社
鳥居には熊野大権現と記されています。
八咫烏ののぼり旗が、掲げられています。熊野本宮大社 寺・神社・教会
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白河上皇の歌が詠まれています。
咲き匂ふ 花のけしきを見るからに
神の心ぞ そらに知らるる -
鳥居は木のぬくもりが感じられる鳥居です。
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この頃になるとツアーの方々もかなり疲れがみられ、この石段を目にして、本殿は諦めた方もいらっしゃいました。
我が夫もその一人でした。
ここからは、各自で参拝しました。 -
功霊社
日露戦争、第二次世界大戦で戦没された方々の御霊を祀っています。
水害の多い地だけに、遷されてきたようです。 -
祓戸大神
参拝者は、こちらでお参りしてから本殿に進んでくださいと書いてました。 -
手水舎
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八咫烏の手水舎です。
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熊野坐神社 旧社(大斎原)水害前の絵図
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宝物殿
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カラフルな短冊の鈴でしょうか・・風鈴かもしれません。
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八咫烏の由来
熊野では八咫烏を神の使者と言われています。3本足とは熊野三党(宇井・鈴木・榎本)を表すとも言われ、ここでは主祭神家津美御子の御神徳である智・仁・勇、又天・地・人の意をあらわしています。
烏は一般に不吉の鳥とされていますが、方角を知るので未知の地へ行く道案内や、遠隔地へ送る使者の役目をする鳥とされており、熊野の地へ神武天皇御東征の折、天皇が奥深い熊野の山野に迷い給うた時、八咫烏が御導き申し上げたという意があります。又、歴史上の一端より触れて述べれば、源平合戦の折、那須与一出身地(栃木県)烏山城は烏が金の御幣(神のお告げ)をこの地にもたらしたので築城したと言われています。
次に世界各国の一部を記せば・・・
スカンジナビア:オーディンの神の方に止まった烏が2羽、1つは思考、1つは記憶となづけて毎朝2羽の烏を放って、世界中のことを報告させたと言われています。
古代ギリシャ:烏はアポロンの神の標識
ツリンキート族:火を最初にもってきて、光を人にあたえたのは烏であると伝えられています。
日本サッカー協会のマークは八咫烏です。
2011年7月女子サッカーワールドカップでは、なでしこジャパンが強豪を破り、見事優勝しました。選手たち全員がこの八咫烏の御守りを持参していました。幾多の強豪と対戦する困難を乗り越え、優勝という目的に向かって進むチームを導いてくれるのが、この八咫烏です。
この意より
人の道開きの開運、人生、目的達成、勝利への導き、現在地~目的地の間、無事に到達する意・海上安全・交通安全(車・二輪車)旅行安全・通学安全の守護として仰がれています。 -
満山社
結ひの神(八百萬の神) -
東御前
第四殿 若宮
天照大神
本地仏 十一面観音 -
第三殿・証誠殿(本宮)
家津美御子大神(素戔嗚尊)
本地仏 阿弥陀如来 -
第二殿・中御前(結宮)
速玉大神(伊弉諾尊)
本地仏(薬師如来)前世を司ります。 -
第一殿・西御前(結宮)
夫須美大神(伊邪那美大神)
本地仏 千手観音 -
南高梅
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和泉式部 祈祷塔
熊野へ詣でたりけるに女身のさわりありて
奉幣かなはざりければ
晴やらぬ 身に浮雲のたなびきて
月の障りとなるぞ かなしき
その夜熊野権現の霊夢ありて
もろともに 塵にまじわる神なれば
月の障りの何かくるしき -
参拝の順序は次のとおりです。
証誠殿→中御前→ 西御前→東御前→満山社 -
旧社殿の図です。
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熊野本宮大社の御朱印です。
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千日詣結願
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矢印の方向に大斎原があります。
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案内に従って行けばわかります。
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細い道を通ります。
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気持ちの良い田園風景です。
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どうやら←の方には、「産田社」があるようです。
でも、まずは右の方向に向かいます。 -
田んぼの中の一直線の道です。
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熊野本宮釜餅ことの次第
「釜餅」は熊野本宮近郊にひっそりと伝わる餅菓子で、その独特の製法なたではのおいしさが受け継がれています。
原料のもち米は、この大斎原の大鳥居前に人がるこの水田で栽培しています。
こうして身近な水田や畑が守られることにより。人と自然が共存する心安らぐ景観が次世代に受け継がれていくことを願っております。
・・・と書いていました。
素晴らしいですね。是非守っていってほしいです。 -
この大きさがわかるでしょうか?
まずは並みの大きさではありません。
八咫の火祭りの際には、平安衣装に身を包んだ人たちが、ここを通るようです。 -
人がとても小さく見えます。
旧社地 (大斎原) 名所・史跡
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それもそのはず、鳥居が大きすぎるのです。
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稲が実っています。
その奥には大きな鳥居があって、なんとも気持ちのいい光景です。 -
甦り 正遷座百三十年
神代の時代、素戔嗚尊(家津御子大神)が大地の荒れ果てているのを嘆かれ、自ら気を御手植えになられて、「木の国=紀の国」と名付けられました。
皇紀2661年を迎えた日本国にとって、大なる節目であることは無論のこと、この節目の始めに当たり、「日本人の精神(心)」を甦り、日本経済の再生、熊野の山みやまより環境の大切さの再認識、国内は基より世界人類平和」確固たることを祈念し、今こそこの壮大なる熊野の山・川は申すまでなく、大斉原を発信基地として熊野の大神の広大なる御伸徳を得て、新たなる世紀が神と自然の人がともにある様、皇紀2661年、熊野の大社・熊野信仰の原点となる大斉原に、日本最大の第一大鳥居を建立する運びとなった次第です。
八咫烏を掲げた天下大鳥居であります。
竣功は、平成12年5月11日です。 -
鳥居の真下から見上げて撮りました。
幅は42m
高さは34mもあります。 -
国の指定史跡
大斎原 -
この杉並木も歩きやすい一直線の道です。
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熊野坐神社 旧社(大斎原)水害前の絵図
熊野坐神社(現・熊野本宮大社)は、熊野川・岩田川・音無川の3つの川が合流するここ大斎原の中州に鎮座していいました。
熊野の神々は、中洲のイチイの巨木の梢に三体の月の姿で降臨したとも伝えられています。
1889年(明治22年)の熊野川の大洪水によって建造物が倒壊しましたが、辛うじて倒壊を免れた上四柱(三種)を北西の丘陵に遷し、倒壊した中社・下社と摂末社の神々を二基の石祠それぞれに祀りました。 -
熊野修験と書かれていました。
音無川を越えて境内へ入る箇所に太鼓橋(高橋)が架かっています。
江戸時代までは橋がなかったために、参詣者は川を渡り足を濡らさなければ境内に入れませんでした。これを濡藁沓の入堂と言い、全ての参詣者が自然に身を清める禊をしたわけです。
下流の三川合流には船着き場が見えますが、ここが新宮向け宇「川の参詣」の出発点でした。 -
今度は来た方向に戻ります。
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先ほど途中で見た「産田社」(本宮大社末社)ですが、せっかくなので寄ってみます。
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産守り
八百万の神々を始め、総てを産みだされた産土の神と仰がれる産田社に鎮まります伊弉再尊の荒御魂の御力を受けられる産守りは熊野本宮大社で授与できます。 -
この鳥居は普通のサイズです。
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御祭神は伊邪那美命(イザナミノミコト)(荒魂)
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和歌山県世界遺産センター
和歌山県の世界遺産に関する情報を一元的に発信しています。
『紀伊山地の霊場と参詣道』を知る・学ぶ・感じる展示空間です。
“Kii Spirit”として「高野・熊野」の自然観を表現しています。 -
和歌山県は、スペインの「サンティアゴ巡礼の道」とは、巡礼の世界遺産として姉妹提携をしています。
また、インドのマハラシュトラ州の世界遺産を紹介しています。
(和歌山県と観光や農産品加工においての経済関係を締結しています。) -
ホテルです。
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川湯みどりや
このホテルは川に露天風呂があります。
混浴です。
ただ、実際に行ってみると川のほとりに、小さな温泉を作っているだけのようです。
しかも夏場は子どもが川水遊びをしてるので、とても入る気にはなりませんでした。
暗くなってから、足湯のように浸かってみました。 -
入ってすぐのエントランスというかロビーです。
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土産物屋もありました。
ただ、このホテルはとても不思議なことに、途中から座敷に上がるように、靴をぬいで部屋まで行きます。
よく旅館に入る時に、靴をぬぐことはありますが、途中からは初めでです。
全体的にロッジ風になっていました。 -
このようにお部屋もロッジのような雰囲気。
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部屋からの眺めは今一つでした。
ただ、山が見えるだけです。 -
夕飯は3品にビュッフェ付きでした。
しかもビュッフェのメニューに鮎もありました。
目の前も川になっています。
この近くで鮎がたくさん釣れるのでしょう。 -
ビュッフェ分は、ちょっと味気ない感じがしますが・・・。
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お肉もありました。
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この旅行記へのコメント (4)
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- TKさん 2022/11/07 12:22:27
- リアルな熊野古道体験
- noelさん
こんにちは。
前から一度は行きたいと思っていた、熊野古道。noelさんのこの旅行記で、具体的に感じられました。もう、読んだだけで、行った気になってしまうような大作です。ありがとうございます。
昔の修行僧は、このような山道を歩いていたのですね。確かにご利益ありそう。ありがたみのある山道です。精神的に清められたことでしょう。
先月、スペインの,サンチャゴデコンテスポーラへ行ってきました。ここでは、長い巡礼の道を歩いて来た最終目的地です。皆さん、感慨深げにサンチャゴデコンテスポーラの教会の前で、達成感に満ちたお顔をしていました。私たちは、到着地へ行っただけですが、なかなか感動的でした。
巡礼の道歩きは、東西を問わず、精神修行という点で共通しているのですね。
素晴らしい旅行記ありがとうございます。
TK
- noelさん からの返信 2022/11/07 21:04:24
- Re: リアルな熊野古道体験
- TKさん、こんばんは。
熊野古道ご覧いただき、ありがとうございます。
そして「いいね」もありがとうございました。
ただ、旅行されるのは、夏は止めておいた方が良さそうです。
それにしても、サンチャゴデコンテスポーラに行かれたなんて羨ましいです。
私も行ってみたいと思っていました。
同じ道の世界遺産として、どちらも行ってみたいと思っていました。
サンチャゴデコンテスポーラの旅行記、楽しみにしています。
今後ともよろしくお願いします。
noel
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- エヌエヌさん 2022/10/17 00:16:18
- こんばんは!
- noelさん
ご主人腰は大丈夫ですか?
あんな海の近くに古道の入り口があるとは知りませんでした。
ツアーなら下調べは軽くで済みそうですね。
熊野古道って1日で回るものなのですか?
そこはバスならではの利便なのかなあ。
公共交通機関ならそうは行かないですもんね。
十津川は限界集落感が半端ないですね。
- noelさん からの返信 2022/10/17 20:16:05
- RE: こんばんは!
- エヌエヌさん
旅行記をご覧いただき、そして「いいね」をありがとうございました。
> ご主人腰は大丈夫ですか?
ご心配いただき、ありがとうございます。
旅行の時は、なんとか持ちこたえました。
> あんな海の近くに古道の入り口があるとは知りませんでした。
はい、私自身びっくりしました。
かなり山の中に入って行くものと思っていました。
> 熊野古道って1日で回るものなのですか?
いえいえ。
今回は観光バスを使って回りましたが、実際にはもっと時間を要するようです。
路線バスなどをつかっても、コースによっては5日間とか・・・・。
> 十津川は限界集落感が半端ないですね。
なんだかそのようですね。
その分魅力的でした。
今回は橋の周辺だけでしたが、もっと回ってみたいと思いました。
ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
noel
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