2022/06/03 - 2022/06/04
103位(同エリア2856件中)
ひらしまさん
17世紀から19世紀にかけての二百年間、日本が交渉を持っていた唯一の西洋の国がオランダだった。
大航海時代に遅れて参入したオランダは、スペインからの独立戦争と並行して世界の海でも先行のポルトガル、スペインと戦っていた。16世紀末にロッテルダムを出港しジパングをめざした5隻の艦隊も、両国との戦闘などで艦を失い、かろうじて1隻だけが豊後の国に漂着した。そして、その1隻が、ポルトガルなどのカトリック勢力を恐れる徳川政権と結びつき、その後長く続く西洋への唯一の窓口につながっていった。
一昨年訪れた長崎で日蘭交易の歴史にふれたわたしは、オランダ側でもその痕跡を見てみたいと思っていた。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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6月3日。アムステルダム中央駅に着いた。
大きな駅だ。とりあえず荷物を預けようと思うけれどコインロッカーは遠く、しかも、改札の中にあるので戸惑ったが、乗ってきた切符を使って出入りできた。 -
アムステルダム中央駅は東京駅のモデルとよく言われるのでそれを信じていた。でも、確かに専門家が指摘する建築様式の違いは素人目にも感じる。そして改修されてピカピカの東京駅を見慣れた目には、こちらは少々色あせて見えた。この駅は、もっと遠くから見るのがいいようだ。
バスなどの切符を入手すべく、駅前広場にある市営交通案内所に行くと、2階の窓口から建物の外まで長い列ができていた。ここは路線図は無料で、1日券と1時間券を購入。2種類の切符をまちがえないように片方に「1hour」と書き込んでくれ、降りる時もタッチするんだよと念押ししてくれた。 -
駅の北側に抜けると広い運河が目の前に広がり、水の都を感じさせる。ここからバスで海運博物館をめざした。
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降りたバス停から少し戻ると新ヘーレン運河がある。運河沿いには歴史ありそうな建物が並ぶ。
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奥に見える跳ね橋は近代的に見えるけど、実際に開くのだろうか。
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反対側は旧港。
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その旧港沿いに海運博物館はある。
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古くからの建物の地下にコインロッカーがあるが、そのシステムは逆に最先端過ぎて難解。みんな苦労していて、わかった人から教えてもらい、それを次に来た人に教えてあげるという、美しい恩送りの世界が展開していた。
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外観とは対照的にモダンな中庭。ここから見学はスタートする。
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道路から見えていた18世紀東インド会社の帆船アムステルダム号。ただしレプリカだ。
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船の内部も見ることができる。
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船橋から見る旧港の眺め。
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建物内の展示に戻る。
17世紀の地図を見ると、今よりもずっと海が入り込んでいるのがわかる。 -
社会科見学の子どもたちが何組もいた。
オーディオガイドの内容で印象的だったのは、単にオランダの黄金時代を誇るだけではなく、それがアジアやアフリカの人々の犠牲を伴っていたこともきちんと説明していたことだ。
自分の国の歴史の負の側面もごまかさずに子どもたちに伝えていくには、誠実さと知性、それに勇気が必要だ。近頃のわが日本の政治指導者に、それはあるだろうか。
もちろん、オランダなどの欧州諸国もまだまだこれから旧植民地からの批判に応えていかなくてはなるまい。 -
館内のカフェで昼食をとってから、駅の荷物を引き取り、トラムで宿に向かった。
宿はパーク・セントラル。窓の下は主要5運河の中で一番外側にあるシンゲル運河。 -
コンセルトヘボウから夜中に歩いて帰れる宿という条件で探し、ここだけは去年のうちに一応抑えていたので割安にはなったが、それでもずいぶん高額だった。アムステルダムのホテル代の高さは尋常ではない。
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宿泊料のわりに受付の対応は中級並みだが、ベッドがよかったからよしとしよう。
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夕方5時の運河クルーズをトリップアドバイザーを通して予約していた。国立美術館前発着ということだったので10分前くらいに行ってみた。
船着き場にいろんな業者の船が集まっているが、我々が予約したFlying Dutch Boatsらしき船はない。場所が違うのかと周囲を歩いてみても見当たらないし、ほかの船の船頭に聞いてみても誰も知らない。連絡先に電話してもオランダ語だろうか、自動音声で用をなさない。
結局、Flying Dutch Boatsは現れなかった。
あとで、どうなっていたのかとメールで問い合わせると、予約の詳細を送れというので送ったが、それっきり音沙汰がない。帰国後にトリップアドバイザーを通して返金請求し、ようやく代金だけは戻ってきたが、初めての経験にあきれるばかりであった。 -
別に船に乗らなくても運河は見られる。歩いて回ろうという妻の提案で、国立美術館の東の運河から歩き出した。
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ボートを見るとちょっとうらやましい気にもなるが、切り替えて、切り替えて。
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国立美術館を東の対岸から。
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北上してシンゲル運河を渡り、レインバーンス運河。奥に19世紀建築の劇場が見える橋の上は、いつ通っても記念写真を撮る人たちに人気だった。
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ヘーレン運河あたりで西に転じる。
アムステルダムでは狭い街中でも自転車道があり、歩道より優先されている場所さえあるのには驚いた。それから、日本ではこの頃見なくなった歩きタバコも多い。
それでも、がっしりとした赤煉瓦の建物群と陽光にきらめくプラタナスの葉につつまれて水面が空の青を映す運河の散歩はとても楽しかった。 -
ライツェ広場からレインバーンス運河を美術館前まで戻り、最後はシンゲル運河沿いにホテルに帰った。
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この旅では、コロナ対策として夕食は基本、テイクアウェイだ。
運河めぐりの途中に繁盛している料理店でつくってもらったクロケットとニシンの酢漬けを主菜に部屋で夕食。もしかしたら初めてのオランダ料理。 -
6月4日。きょうも引き続きアムステルダム。
国立美術館を朝9時~9時15分入場の枠で予約していた。列に少し並んで入場する。(写真は退場時のもの) -
0階の16世紀以前の展示から。
そんなに昔の絵なのに、どの絵もあまりに精巧で鮮やかなため、係員に「本物ですか」と聞いてしまった。にっこりして「当館の展示はすべて本物です」 。失礼しました。 -
「悪貨は良貨を駆逐する」で有名なイングランドの凄腕金融家グレシャムの肖像画。まだスペイン支配の時代に肖像画家アントニス・モールが描いたものだが、わたしにはとても五百年も前の絵と思えず、ひきつけられるものがあった。
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次は17世紀の作品を展示する2階に上がった。
一番人気のレンブラント「夜警」(1642年)は公開しながら修復中である。今日は土曜日のためか修復作業はおこなわれていないが、周囲には道具類もあり、まさに修復作業現場という感じがする。
美術にあまり関心のないわたしでも中学校の美術の教科書で見て以来、なんとなく好きな絵だったので、できれば落ち着いた状態で見たかったな。 -
同じくレンブラントで「使徒パウロとしての自画像」。1661年。使徒に扮しての自画像という意味は全然わからないけれど、飾り気のない風体と表情がいい。人生の浮き沈みを経ての顔か。
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フェルメール「牛乳を注ぐ女」(1660年)。
写真ではあまり感じないけれど、実物で見るとパンや瓶などの静物が本当に美しく描かれていて見入ってしまった。 -
アントウェルペンで1680年代につくられた豪華なキャビネット。アジアやアフリカを感じさせる
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こちらはアムステルダムで1700年頃につくられた。
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どのフロアだったか、1600年前後に日本でつくられた蒔絵と螺鈿のトランクもあった。
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高価な香料を入れて贈り物にされた磁器。17世紀末の日本製。
全部を見ることはできなかったが、予約した昼食の時間が近づき12時前に美術館を出た。 -
歩いて数百メートルのThe Seafood Barにはいる。
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わたしが頼んだフランス風魚のスープは期待通りのおいしさ。妻もクラブケーキに喜んでいた。
メインの海の幸盛り合わせは、初めて見るものも含めたくさんの種類の貝と海老、カニが出てきて目を楽しませてくれたが、味はちょっと物足りなかった。飲物含めて87ユーロ。 -
ファン・ローン博物館まで歩く途中の公園。土曜とあって多くの市民がくつろいでいた。
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宿泊したパーク・セントラルを運河越しに見る。
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屋根に彫像のある建物がホテルの部屋から見えていてなんだろうと思っていたが、その前を通ってギムナジウム(中等学校)だとわかった。いかにもエリート養成学校風だ。
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運河をさらに越えていく。
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ファン・ローン博物館はカイゼル運河の手前の目立たない建物。中は豪華だが、一つ一つの部屋はそう広くはない。
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この建物は17世紀に建てられ、19世紀にファン・ローン家のものとなった。先代当主の時に財団化し一般公開している。
ファン・ローン家の先祖は400年前の東インド会社設立者の一人として大成功をおさめ、その後一族は栄えてきたらしい。 -
オランダの東インド会社は世界初の株式会社だったと言われる。その辺の事情については「東証マネ部!」というサイトの「大航海時代が教えてくれる株式についての考え方」(エイチ・エス証券)がわかりやすく参考になったので、そこから引用させてもらう。
「この頃の航海は常に危険と隣り合わせでした。成功した場合はアジアの香辛料などを大量に持ち帰り、莫大な利益を得ることができましたが、船が災難に遭った場合の損失は非常に大きいものでした。
そこで、損失を細分化させる目的で大勢の人に出資を募ったことが『株式』という概念になったと考えられています。
先ほど述べたように、イギリスは東インド会社の設立においてオランダに先行していたのですが、その頃の航海に対する出資者は、無限責任(負債総額の全額を支払う責任を負う)であり、リスクが大きいのが難点でした。また航海の度に出資を募っていたので、1回の航海ごとに清算されるのが一般的でした。
一方、オランダ東インド会社の特徴としては、無限責任から有限責任(出資額を超える責任は負わない)に変更され、航海1回ごとの清算ではなく事業の継続を前提としていました。さらに所有株式の譲渡(途中で売買すること)が可能になり、少額の口数に分け、一般庶民でもこの株式が買えるようになったのです。
会社側は1回の航海で帰国する必要はなく、東南アジアなどの遠方に拠点を設け、長期的な計画をもって事業を継続できたので、莫大なリターンを持ち帰ることができたのです。
同社への出資権は一躍ブームとなり、世界初の株式会社として巨額の資金を投資家から集めることに成功し、先行したはずのイギリス東インド会社の10倍の資本額を誇ることになり、オランダ黄金時代の支えとなったのです。」
この箱の中には、はるか海のかなたから運ばれてきた財宝が詰まっていたのかもしれないと想像をふくらませた。 -
地下にある厨房など使用人のエリアに来ると庶民はホッとする。
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たくさんのバラが咲く庭を見ているときに雨が降り出したので、宿に戻ることにする。
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幸い夕食用のパンを買っている間に雨がやみ、アムステルダムの街を楽しみながら帰った。
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午睡のあと夕食をすませて、コンセルトヘボウに向かう。国立美術館の前からミュージアム広場を歩くと向こうに見える。
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午後8時。さすがに影が長い。
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コンセルトヘボウは外壁工事中らしい。車が行きかう道路からいきなりコンサートホールというのは少々味気なく、世界的に有名なホールとしては意外に感じた。
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内部はやはり格調高い。
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しかし、2千席余りにしては最後尾から見てもステージが近く、親しみやすい感じのホールだ。
そして、聴衆の服装は日本でも次第にカジュアルになったが、こちらは、家から普段着のまま来ましたって感じの人も多い。 -
今夜のプログラムは、シギスヴァルト・クイケン率いるラプティットバンドのブランデンブルク協奏曲。
二十数年ぶりに見たクイケンはさすがに年をとっているが元気いっぱいで、何か挨拶して始まった。 -
最初はブランデンブルクの第4番。わたしの耳はモダン・フルート演奏版のCDに馴染んでいたので、リコーダーの音のかそけきことに驚く。第1楽章が終わったときに拍手が起きて、演奏者がうれしいような困ったような顔をしたのがおかしかった。
2曲目の第6番のあと、前半最後は第3番。チェンバロがこんなにきらめくような美しい音を奏でるものとは知らなかった。素晴らしいカデンツァのあとみんなが拍手。曲後に、クイケンに促され若いチェンバロ奏者マリオ・サレキアだけがカーテンコールを受けた。 -
休憩時間になると客席のほとんど全員がホワイエに出て、ワインやジュースのグラスを手に談笑している。妻がコーヒーを頼んでいくらですかと聞くと「無料です」。それならといただいたジュースは大変おいしかった。そういえばどこかに飲物無料と書いてあったけれど、ありえないと思っていたのだ。
後半の最初に「音楽の捧げもの」トリオ・ソナタのラルゴがはいった。前半では自ら復元した楽器ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラをひいていたクイケンがヴァイオリンに回り、フラウト・トラヴェルソ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロと4人だけでしみじみとした演奏。
ここオランダも彼らの本拠地ベルギーも、この2年間パンデミックで大変多くの方々が亡くなっている。発売当初の予定にはなかったこの曲は、数多くの傷ついた人々にささげられたもののように感じられ、老境に入りつつあるわたしの胸にしみた。クイケンのヴァイオリンがひときわ美しい。
最後のブランデンブルク第5番は演奏者11人で華やかに。総立ちの拍手に、予定外の様子のアンコール曲は最終楽章をもう一度。
前半でリーダー役だった女性が4曲目では若いチェンバリストの譜めくりを務めるなど、同志的結合を感じさせるラプティットバンドだった。
一方の聴衆は、大きな咳をするわ、物音は立てるわと、日本の水準からすると緊張感なさすぎではあるけれど、自由に拍手するなど演奏者との距離が近く、音楽を楽しむ感じがとても心地よいコンサートだった。
2年がかりにはなってしまったが、ようやくコンセルトヘボウでの演奏会を楽しむことができ、満ち足りた気持ちでオランダを去る。
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この旅行記へのコメント (2)
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- sanaboさん 2022/07/03 01:40:52
- 充実のアムステルダム滞在でしたね。
- ひらしまさん、こんばんは
まず初めに、ひらしまさんのクラシック音楽や楽器への造詣の深さに
大変感銘を受けました。
コンサートでのご感想や解説を拝読する限り、もしかしてご趣味というより
音楽関係のお仕事に携わっていらしたのかと思うほどでした。
(↑これは質問ではなく独り言ですので聞き流して下さい。笑)
ウィーンでもオペラが身近なものとして人々に親しまれていますが
オランダはじめヨーロッパでは肩ひじ張らずにコンサートなどを
楽しめるのがいいですね。
予約してらした運河クルーズの件は釈然とせず、私まで憤ってしまいました。
代金が返還されたのはせめてもの救いでしたが、それにしてもありえない話ですね。
気持ちを切り替えて、歩いて周られたとのこと。船の中からでは写真撮影の
タイミングも難しかったかもしれませんし、自由に好きな場所で立ち止まったり
人気料理店の品定めをしてお夕飯をテイクアウェイ出来たりもして、
充実した街歩きを楽しまれたご様子で良かったです^^
株式会社の始まりがオランダの東インド会社だったと初めて知りました。
一連のお話が大変興味深かったです。リスク分散をすることにより
イギリスをも凌ぐ莫大な資金調達が可能となったわけですね、なるほど~。
そういえば国立美術館は訪れたことがなく、今後機会があれば
レンブラントの「夜警」やフェルメールの「牛乳を注ぐ女」を
見に行きたいなあと思いました。
「夜警」は公開しながら修復されているそうですね。
ひらしまさんが思わず「本物ですか?」と聞かれてしまった絵画も
きっと入念に修復が施されている故なのかもしれませんね。
オランダといえばクロケットですよね。駅や町なかにクロケットの
自動販売機があったのをご覧になりましたでしょうか?
次回はベルギー編ですね。また楽しみにお待ちしております♪
sanabo
- ひらしまさん からの返信 2022/07/03 17:00:56
- Re: 充実のアムステルダム滞在でしたね。
- sanaboさん、こんにちは。
お忙しいのにご訪問ありがとうございます。
猛暑第1回分がようやく通り過ぎようとしていますね。
> ひらしまさんのクラシック音楽や楽器への造詣の深さに大変感銘を受けました。
それはsanaboさんの美しき誤解というものです。
たとえば、ヴィオラ・ダ・ガンバはバッハの時代によく使われていた楽器なのですが、正直どんな楽器なのかよく知らなくて、実は演奏会の間はチェロだと思っていて、あとでプログラムを読んであれはヴィオラ・ダ・ガンバだったのかと知ったような次第です。
そういう経過は省略して、最初から分かって聴いてたみたいに書いているんです、ハイ。
> オランダはじめヨーロッパでは肩ひじ張らずにコンサートなどを楽しめるのがいいですね。
同感です。僕がヨーロッパに行ったらできれば音楽会に行きたいと思うのは、みんなで音楽を楽しむあの雰囲気が好きなんだと思います。
> 予約してらした運河クルーズの件は釈然とせず、私まで憤ってしまいました。
sanaboさんに憤っていただいて溜飲が下がりました。優しいお言葉をありがとうございます。
> 株式会社の始まりがオランダの東インド会社だったと初めて知りました。
> 一連のお話が大変興味深かったです。
100%受け売りの話でしかも長いので旅行記としてどうかとは思ったのですが、とても面白かったし、資本主義の終わりや新しい資本主義が語られる今、その草創期を振り返るのも悪くないかと無理やり突っ込んじゃいました。
今回かなり理屈っぽい旅行記になってしまったと自分でも思っているので、興味を持っていただける方が1人でもいてくださってうれしいです。
> オランダといえばクロケットですよね。駅や町なかにクロケットの自動販売機があったのをご覧になりましたでしょうか?
え、クロケットの自販機なんてあるんですか。全然気がつきませんでした。
オランダ人はよほどクロケット大好きなんですね。
そういえばsanaboさんもたしかベルギーで召し上がっていらっしゃいましたよね。
妻も気に入ってよく食べてました。
> 次回はベルギー編ですね。また楽しみにお待ちしております♪
次はとうとう雨が降ります。
ひらしま
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