2022/05/04 - 2022/05/04
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たびたびさん
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二日目の博多どんたくは、はかた駅前どんたくストリートを拝見することに。あちこちの演舞台を見て回るという手もなくはないのですが、一日目のどんたく広場パレードがとてもよかったですからね。はかた駅前どんたくストリートもパレード。時間は午前中の1時間半くらいなんですが、内容は若々しいパーフォーマンスが中心というのがウリみたいで興味を惹かれるし、短期集中で楽しめるのもありがたいですよね。
さて、プログラムは、以下の13組。昨日のパレードで目が慣れてきたこともあって、なんだか気持ちに余裕をもって見ることができたように思います。
オープニング
① BATON TEAM INFINITY
②福岡工業大学附属城東高校
BLUE ANGELS
③ビビムタ!チャンゴ教室
④日本カンボジアどんたく隊
⑤博多よさこい連
⑥ソング&リズム体操
⑦フリーダンス21
⑧ジャザサイズ
⑨琉球國祭り太鼓
⑩日向ひょっとこ踊り博多愛好会
⑪福岡ファイヤーバードバトンチーム
⑫福岡市消防音楽隊
エンディング
⑬ 精華女子高等学校吹奏楽部
そして、はかた駅前どんたくストリートを挟んでは、福岡市内の街歩き。2年半住んだことのある街ですが、改めて、細々スポットを巡ります。
ところで、ちょっと蛇足かもしれませんが福岡市や博多のことを少し。司馬遼太郎の受け売りも交えてお話しすると、福岡は藩政時代を通じて商人の街、博多と武家の街、福岡の二つの側面で成り立った街。福岡藩の黒田家は進駐軍ですから、その融和にとても気を使っていたのだとか。ちなみに、福岡という名前は黒田家のルーツである岡山県の福岡に由来していて、福岡なのか博多なのか。福岡市の名前が決まる際にもわずかな差だったということです。ただ、それはそれとして、その融和のスタンスが福岡藩のカラーとなったことで、同じ九州であっても、熊本藩、薩摩藩のように個性の強さが際立つ藩とは違う気風を生んだというのです。確かに、熊本の細川氏、鹿児島の島津氏や佐賀の鍋島氏と比較しても福岡の黒田氏はかなり影が薄くて、さもありなんという気がしてきます。(まあ、黒田長政の血統は6代の黒田継高で途絶えているし、その後は幕府からお仕着せの養子。この辺りの要因も小さくはないとは思いますけどね)
司馬遼太郎の指摘している融和のスタンスと直接関係しているかどうかは分かりませんが、私が福岡で暮らして特に印象的だったのは、福岡の人と話をすると博多や福岡市の話の次は九州の話。少なくとも福岡県の話になることはほとんどなかったこと。
博多や福岡市は九州では圧倒的な都会であり、憧れの存在。長崎から週末に福岡に遊びに来る若い人たちのことを”かもめ族”と呼んだりしていましたが、これも一つの象徴的なことだったと思います。なので、博多や福岡市のことを話してしまえば、それで福岡県のことも話したと同じ。後は九州の話になるのはおかしなことではないということかと思いますが、一面そういう姿勢は九州の中心都市としてとても都合がいい。わが福岡県は云々ということになると熊本県はこうとか鹿児島県はどうとか互いのお国自慢的な話にもなりかねないのですが、”博多や福岡市との関係性は九州どことでも同じ。熊本市や鹿児島市も北九州市だって同じです”というスタンスになると途端にそんな壁は取り払われて、九州全体と博多や福岡市が自然に一体感を持ってくるんですね。それが黒田家の融和のスタンスを引き継いだものなのかどうかは分かりませんが、私は少なくともこうした寛容性は博多や福岡市が九州の中心となるうえでの大きな遺産になっているのではないかと考えています。
つまり、例えば、炭坑や製鉄によって日本の近代化や高度成長を支えた筑豊の歴史は五木寛之の「青春の門」や火野葦平の「花と龍」でも知られる福岡県のもうひとつ大きな誇りですが、それに対して特にこれといって大きな産業もない博多や福岡市が堂々と九州の中心となっているのはこの伝統的な寛容性というソフトパワーも見逃せないのではないかということ。博多どんたくの多彩なパーフォーマンスを拝見して、私は、改めて、そんな思いが強くなったような。そんな気がしています。
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はかた駅前どんたくストリートは、10時からなので、それまでの間は天神から中洲の市街を散策します。
中洲のホテルを早朝に出発して。。
中州国廣稲荷神社は、中洲の一角。ビルとビルの間の細い路地の途中。
コンクリートで固めた一段高い場所に社から周囲の建物をすべて赤く塗ってコテコテにした神社が現れます。中洲祭では女性が神輿を担ぐ中州國廣女みこしというのがあるようです。 -
西中島橋で那珂川を渡って、天神の方へ。
正面は西中洲。高層ビルも見えています。 -
西中島橋を渡ってすぐの福岡市赤煉瓦文化館。東京駅を設計したことでも知られる建築家辰野金吾の作品で、日本生命の九州支店として、明治42年に竣工しました。ドームや小塔、屋根窓が美しく、大きさはさほどでもないのですが、とても目立ちます。内部は、福岡ゆかりの文学資料を展示しています。
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そのまま昭和通りを進んで、これは勝立寺。慶長8年(1602年)、京都妙覚寺の唯心院日忠がキリシタン宣教師との法論に勝利し福岡藩主黒田長政から下賜された土地に創建されたという日蓮宗の寺。通りから眺めると本堂の屋根には法輪。境内右端の鐘楼も二階建ての法輪をいただくデザイン。積極的に存在をアピールしていて、ちょっと異色の構えです。
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昭和大通りを南に入って。
水鏡天満宮は、もう天神エリア。というか、逆に福岡市中央区の「天神」の地名はこの天満宮がここに移転してきたことに由来すると言われるほどの神社なんですよね。 -
なお、水鏡については。菅原道真が大宰府に左遷される際、博多に上陸しますが、現在の薬院新川の水面に自分の姿を映し、水面に映る自身のやつれた姿をみて嘆き悲しんだという逸話があって。そこに由来する”水鏡天神”です。
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明治通りを挟んだ向かいに建つのはアクロス福岡。国際文化交流の拠点を目指して、福岡県と民間の施設が同居する複合施設です。
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隣接する天神中央公園の方から眺めるとビルの側面は深い緑に覆われていて、こんなに壮観。この景観のおかげもあって福岡市内のビルの中ではランドマーク的な存在になっていると思います。
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天神中央公園の南の端にある石碑は、福岡藩刑場跡碑。御影石の立派な碑なのですが、その横に説明版が出来ていて、今はそっちの方が目立っていますね。
説明板には後藤又兵衛の出奔事件に絡んで、後藤又兵衛と内通しているとの嫌疑がかけられ処刑された空誉上人について触れられていました。まあ、とばっちりもいいところかと思いますけどね。 -
明治通りを再び中洲の方に戻ります。
那珂川と薬院新川と明治通りに囲まれた西中洲の一番北の端にあるのが水上公園。明治通りを挟んで、天神中央公園と向かい合わせの場所になります。この公園自体は、小さいので、むしろ、明治通りの目印といった性格の方が強いかもしれません。 -
三人舞妓像は、福博であい橋の東詰。今回は少し遠回りしましたが、天神中央公園からまっすぐ歩いてくるとこの像が正面にあります。
高いぼっくりを履いた着物姿の若い女性が三人。なにやら楽し気におしゃべるしている姿かな。博多人形師、小島与一の作品だそうで、パリ万博で賞を取ったのを記念して建てられたものです。 -
中洲を南下して、これは春吉橋。
これも天神と中洲を結んで那珂川に架かって、国体道路を通します。現在は工事中でした。ちなみに、国体通りですが、その南側は中洲でもディープな風俗街となっているので、この辺りに来るとなんだか場末の気分ですね。 -
川沿いにさらに南下して、清流公園へ。ここが中洲の南端です。
ここまで来ると逆にキャナルシティ福岡もすぐ隣り。キャナルシティ福岡から博多駅へ向かう通りが駅前通りになります。夜になると屋台がずらりと出るのですが、日中は寂しい感じ。公園としては少し荒れているところがあって、ちょっとなあという感じです。風俗街も近いし、それも関係しているかもしれません。 -
清流公園の中に建つ博多町家寄進高灯篭です。
高さ10mの石灯籠は、明治32年、博多の金山堂という漬物商が建ってたもの。コンクリートブロックを積み上げたような形がユニークですが,よく見るとそのコンクリートブロックの一つ一つに協賛した商店の屋号が彫られていて。宣伝用の意味もあったのかもしれません。 -
もう一度国体通りに戻って、今度は中洲の東側、博多川沿い。
こちらは、飢人地蔵。 -
夏祭りは、毎年8月23~24日だそうですが、いずれにしてもこのお地蔵さんは享保の大飢饉の犠牲者を弔うために祀られたもの。吉塚うなぎの並びにあって、夜でも灯が煌々と灯されて今でもその存在がちゃんとしているように感じます。
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中洲を出て、博多駅前通り沿いへ。下照姫神社は住吉神社からちょっと離れた場所ですが、住吉神社の摂社です。
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下照姫は、大国主命の娘で地面に照り映えるほどの美女だったとか。その姫をお祀りして縁結びの神社。ただ、通りから少し斜めになっているのが気になります。
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博多駅前通りから祇園大通りに入って。覚永寺は、博多警察署の向かいに入り口がありまして。入口には「浄土真宗 覚永寺」と鋭い金字で掘られた石柱が建っています。
元々は秋月にあった寺。変遷があってこちらに移ったのでしょう。本堂は寺とは思えないようなビル。敷地の奥に建っています。 -
祇園大通りから国体通りに戻ってきました。国体通りには、万行寺、順正寺とこの善照寺という浄土真宗の寺が並んでいます。善照寺の創建は、寛永17年(1640)。万行寺の末寺という関係のよう。浄土真宗の寺なので境内も広くて本堂も堂々としているのですが、一方で、人の気配が全く感じられない寺。妙な感じです。
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再び祇園大通り経由で、一気にこくてつ通りまで。博多警察署入口交差点から美野島交差点まで続く通りですが、かつて国鉄の路線が通っていたのでこの名前のよう。今の博多駅ではなく旧博多駅のあった出来町公園の方に向かっているので、まあそうなのかなという感じ。
住吉神社の辺りは銀杏並木が見事です。 -
通り沿いに住吉公園というのがありましたが、住吉神社とは離れているし、特に関係はなし。よく整備されていて荒れた感じもないですが、まあ普通の都市公園かな。観光の要素は特にないと思います。
国体通り、祇園大通り、博多駅前通りにこくてつ通り。これに住吉通も加わるのかな。ちょっと交錯している感じで駅からは近いのですが、方向感がわからなくなるエリアです。 -
さて、博多駅前通りに戻ってきて、スタンバイ。ここからはかた駅前どんたくストリートを拝見します。沿道は、昨日のパレードと同じかそれを上回るくらいの人出。まだ12回目ということで歴史は浅いようですが、認知度はちゃんと高いようですね。
オープニング
① BATON TEAM INFINITY -
先陣を切ってのバトントワラーのチーム
青空の下で赤い衣装が映えますね~ -
ピンクの衣装はちょっと年少さん
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フォーメーションとか
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パレードの形式に合わせた工夫で臨みます。
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ただ、ちょっとあれこれ盛り込んだので
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イチオシ
動きを合わせるのが難しくなったようなところもなくはない。
努力賞っぽいチームです。 -
②福岡工業大学附属城東高校
BLUE ANGELS -
チアリーダーのチームは
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体全体を使ったパーフォーマンス。
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イチオシ
危険な技でも
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勢いに任せて
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次々に繰り出します。
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若い力がさく裂の演技で圧巻です。
ただ、この場所からだと後ろから。そこはちょっと残念でした。 -
④日本カンボジアどんたく隊
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ゆっくりした動きですけど、指先の動きが魅せますね~
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向こうのポップスだと思いますけど、ムーディーな調べです。
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⑤博多よさこい連
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よさこいは全国各地に拡散してどんどん増殖していますよね。
博多どんたくにも進出していましたか。 -
地面に臥せての静の構えから
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すっくと立って
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動き出したと思ったら
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一気に全開!
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そのまま畳みかけるように
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駆け抜けていくこの感じ。
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よさこいらしい展開は
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ほかの踊りではあんまり見られないかもしれません。
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この博多のチームもその辺りのツボをよく掴んでいていいですねえ。
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踊り手の動きにはキレがあって
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激しいところは激しいけど
止めるところはぴたりと止める。 -
練習の成果ではあるんですが
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そういうよさこいの魅力に魅かれて
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もう楽しくて楽しくて仕方がないといった気持ちが
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体全体の動きに現れていますよね~
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南国高知から生まれたエネルギッシュな踊り。
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輝くようなピンクの衣装もとってもよく似合ってますよ~
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高知に住んでいた頃を思い出しながらですけど
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こうしてあちこちの若者の心を捉えたことをとてもうれしく思います。
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女性陣のパーフォーマンスがたっぷり続いた後に
今度はブルーの男性陣。 -
傘や扇も持ち出して
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イチオシ
また違う変化を付けてくるのもよさこいの得意とするところ。
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よいよいよい
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ハイヤ―
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元気いっぱいのパーフォーマンスが
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次々繰り出されて
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イチオシ
うーん
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やりますね~
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天気も良くて
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キラキラ
キレキレ。 -
でも、まだまだこんなもんじゃないよ~
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みたいに
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またどんどんパワーが増してくる!
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いやはや
これは参りました。 -
博多どんたくによさこい
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とってもハマっていると思います。
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ありがとうございました。
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⑥ソング&リズム体操
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教室の先生と生徒さんたちのグループですね。
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普段通りの楽しいリズム体操の様子がしっかり伝わってきました。
やっぱり健康第一。体を楽しく動かして、いつまでも若々しくですね。 -
⑨琉球國祭り太鼓
沖縄の伝統芸能エイサーをベースに空手の型を取入れた独自の振り付けとダイナミックなバチさばきが特徴的な沖縄を代表する創作太鼓集団(http://ryukyukokumatsuridaiko.com/index.html)より -
エイサーってゆっくりとしたリズムなんですが
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腹の底から湧き上がるようなリズム。
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じわりじわりと迫ってきて、ぞくぞくする感じ。
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沖縄の伝統のリズムなのかもしれませんが、
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たぶん現代風にどんどんアレンジが加えられてここまで進化したんじゃないのかなあ。
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じゃないと
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この洗練されたリズムと動きは
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出来過ぎですよね。
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イチオシ
一つ一つの動きが丁寧で
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ゆっくりとはしているんですが、
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節目節目に入る太鼓の音が
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それを程よく包みます。
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じわじわ~っと
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ぞくぞくするこの感じ。
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沖縄のエイサー
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これも博多どんたくにちゃんとはまってます。
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⑩日向ひょっとこ踊り博多愛好会
日向ひょっとこ夏祭りは、宮崎県日向市のお祭りのようですね。 -
ひょっとこの姿で踊るだけでも変わっていますから
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それ以上の工夫てあるのかなあとかちょっと疑っていましたが、
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あれれ?
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曲のリズムや笛の音色、踊りの所作とかすべてがよく練れていて、
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これはちょっとした名人芸。
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なかなか見ごたえがあって
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めちゃめちゃ楽しいじゃないですか。
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イチオシ
適当に体を動かしているのではない。
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なんか動きにポイントがありますね。
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人を喰ったような踊りなんですが、それでもほらね?みたいな所作があって
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いやいやこれも大したもの。
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お座敷芸みたいに室内で踊るのもありかもしれませんが、こうして青空の下でもちゃんと迫力があるのは本物の証し。日向とひょっとこの関係はよく分かりませんが、宮崎は神楽の伝統もありますからね。深いところではつながっているような気もします。
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⑪福岡ファイヤーバードバトンチーム
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バトントワラーのチームは二組目。
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ちょっと目が慣れてきて
落ち着いてみれました。 -
⑫福岡市消防音楽隊
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マーチングバンドは昨日のパレードでも何組かありましたけど
一服の清涼剤的な存在。
気分がここでリセットされるような感じです。 -
と
列がぴたりと止まって -
女性の隊員による旗のパーフォーマンス
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昨日のパレードではこうしたのはなかったですね。
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なに気なく見ていましたが
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旗を単純に振るだけかと思ったら
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そうでもないですね。
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音楽に合わせて
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上げたり下げたり
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回したり
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それをみんなで動きを合わせて
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キビキビと。。
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マーチングバンドの付属くらいに思っていましたが
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これはこれで
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ひとつの完成したパーフォーマンス。
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よさこいでも大漁旗はとっても重要なパーツなんですが
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マーチングバンドの旗のパーフォーマンスも
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同じくらいに大事ですね。
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次々繰り出される動きは
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イチオシ
予測不能の展開で
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飽きることがありません。
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動きもピタッとあっているし
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見ている方がこんなですから
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やっている方も
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たぶん気持ちがいいんでしょうね~
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はい、無事に演技を終えて
お疲れ様~ -
ありがとうございました。
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エンディング
⑬ 精華女子高等学校吹奏楽部
このチームは昨日のパレードでも目立っていました。エンディングを務めるというのはやっぱり実力があるからですね。 -
先頭は旗を持ったダンシングチーム
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昨日のパーフォーマンスとはちょっと違って
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イチオシ
列を止めてしっかり演技を見せてくれます。
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どんたくストリートいいですね。
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マーチングバンドの本隊です。
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金管楽器の音色は
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よく通るし
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鼓笛隊の小気味いいリズムが
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またいいんですよね。
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これも列を止めて
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イチオシ
じっくりと見せるパーフォーマンス
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おもちゃの兵隊さんみたいな姿がとってもかわいらしいです。
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ダンシングチームの方もパーフォマンスが始まりました。
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この人はリーダーかな。
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イチオシ
躍動感のある動きが素晴らしいです。
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通りの真ん中でマーチングバンドが演奏しつつ
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その脇をダンシングチームが固めてのコラボ
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これもどんたくストリートならではの演出ですね。
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ダンシングチームが集まって
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再びのパーフォーマンス
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踊りのチームとバンドのチーム
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それぞれがそれぞれに楽しんでいる雰囲気もいいですね。
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私もあっちを見たり
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こっちを見たり
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ひとしきり楽しませてもらいました。
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以上、はかた駅前どんたくストリートを拝見して、もう十分でしょう。
これで博多どんたくは終了です。 -
ほっとしたところで、キャナルシティに向かいます。
少しここで休憩したいですね。 -
で、お目当ては、このセ・トレボン。
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さっそく、一番人気の「プチミルクバケット」をいただきます。
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白い紙に包まれていて、それをほどくと確かになるほど小さなバケット。で、このバケットですが、少ししっとり感もあって、小麦の味わいが深いですね~
バケットなのでパリパリ感を期待していましたが、そうではない。しかし、これはありだし、なんといってもこの甘いミルククリームが抜群。そんじょそこらのシュークリームのクリームなんかよりはるかにうまい。全体として、これは驚異のうまさだと思います。福岡のグルメはレベル高いです!!
そうなると行ってみたいお店があるんですよね~
行く予定にはしていませんでしたが、がんばってみますかあ。 -
ということでやってきたのは、らるきい。唐人町と大濠公園のちょうど中間辺りにあって、アクセスが必ずしもいいとは言えないと思うんですが、多くの芸能人も訪れるという超有名店。お昼時でしたが、この日もけっこうな行列ができていました。待つことしばし。。
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一番人気はぺぺたまだそうですが、二番人気の完熟トマト・ベーコン・にんにくをいただきました。素材にこだわった大人の味系とか、高級感のある繊細な味わいとかを予想していましたが、これはなんでしょうねえ。むしろほとんどインパクトがなくて、お子ちゃま系?どうかすると家庭でも出せそうなさりげない味わいですよね。ただ、食べ進めるにしたがって、その素直で自然体な味わいがだんだん沁みてくるような感じ。やっぱり何かが違ううまさがありますね。
店内は明るいし、休日にここでリラックスしたくなるような雰囲気もあるし、それも含めて長く愛される所以なのかなと思います。 -
落ち着いたところで大濠公園へ。
黒田長政が福岡城を建築する際、博多湾の入江であったこの地を外濠として利用したのが始まり。この長閑で優雅な眺めは、水戸城の天然の外堀だった千波湖にも負けていないと思います。 -
周囲には用水が走って、さらさらと清い流れ。散歩やジョギングをする道もしっかりと整備されています。
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湖ではボートを楽しむ人たちも大勢いて、まさに市民の憩いの場所ですよね。
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これはボートハウス大濠公園。広い公園にあって、ちょっと寄って一服するにはちょうどいい場所。大きさもそれなりにあって悠々だし、日陰になったテラスの方もいい感じです。
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では、元気になったところで、ここから唐人町までのエリアを散策といきましょう。
まずは大濠公園から西公園に向かいますが、その通り沿いにある洋菓子店はジャックさん。 -
悠々とした店内には高級感があって、銀座の洋菓子の名店みたいな雰囲気ですね。
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それに、少し遠くから来た風のお客さんがけっこう大量買いしたりして、ちょっとびっくりです。
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私は、食べ歩き用にと思って、シュークリーム。
見た感じは意外にシンプルだし、カスタードクリームとか、割と普通系。ただ、普通系であんまり個性的なところもないんですが、ちゃんとおいしいという感じはあって。何となく、お店のコンセプトが想像できるような気はしました。 -
少し進むとスイートポテト専門店 タムヤ。一般住宅みたいなところに看板が出ていて、入ってみると小さなお菓子屋さんでした。
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何種類かのスイートポテトを置いていて、どれもビジュアルがいいですね。
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スタンダードなタイプをいただきましたが、見た目と違って奇をてらわない落ち着いたおいしさ。手作り感が心地よいスイートポテトです。
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さらに進むと今度は梅が枝餅出張所さくらや。梅が枝餅出張所の看板は、ちょっとインパクトがありますよね。
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ばら売りもやっていて、では一つ。熱々の梅が枝餅は、お餅もしっかりしているし、餡子も艶のある甘さがいいですね。本場の梅が枝餅も真っ青くらいに抜群においしい梅が枝餅です。
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この通りって、スイーツ屋さんが多いですね。
勢いで、ごほうびショコラのショコラ大福もいただきます。 -
ショコラを包んだ大福に表面にはココアがまぶしてあって、見た感じはチョコレートの塊りですね。しかし、口にすると大福の柔らかさが伝わってくるし、そこからニュルっと現れるショコラがとっても高級感のある味わい。確かに、名前の通りごほうびをもらったような満足感がある逸品だと思います。
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ほどなく、西公園の入り口です。こちらは、福岡県営の風致公園。
ここから緩い上り坂になって、その辺りから一帯が公園。全体としては丘陵の地形ですね。
この道は神社の参道みたいな感じがあって、公園の中心に建つ光雲神社に続きます。 -
上り道の途中から左手に少し入ったところ。高い台座のかなり立派な像があって、これは平野國臣像。
ちなみに、平野國臣は、幕末の勤皇の志士。福岡藩を脱藩し、尊皇倒幕運動へ。島津久光に薩摩で認められ、久光との連携を福岡藩主、黒田長溥に説いたりもしていますが、最終的には生野の変で失敗。投獄された後、禁門の変の際に処刑されています。
福岡藩は勤王や討幕に揺れた幕末の激動に時代にあっても存在感がほとんどない。乗り遅れた感が強いのですが、平野國臣はせめてもの存在となったのではないかと思います。 -
もう少し進んで。立帰天満宮の入り口。
ここから左手に細い参道を下っていくようなかっこうで境内に入ります。 -
菅原道真を祭る神社で、港に近いことから藩船の船乗りに信仰されたのだそう。ただ、小さな構えだし、見ごたえはあまりないと思います。
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光雲神社に到着。なかなか立派ですね~
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祭神は、黒田如水とその息子で初代筑前福岡藩主の黒田長政。
境内入ってすぐに長政が愛用した水牛の兜の像。また、福岡藩士、母里太兵衛の銅像もあって、台座には黒田節の歌詞が刻まれています。 -
ただ、神社は明治になってからのもの。地元のアイデンティティを高めるために藩主を祀る神社があちこちでブームになった時期の神社かと思います。
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西公園を下りて、唐人町の市街に入ります。唐人町は福岡ドームや百道地区の玄関といったイメージかと思いますが、この周辺にはお寺がたくさんあるんですよね。
黒門川通りは、昭和通りの黒門橋交差点とよかトピア通りの福浜団地入口交差点をつなぐ通り。黒門川を暗渠としていて、ゆったりとカーブ。通りに沿ってせせらぎが流れたりして、それらしい整備がされています。この通り沿いにもお寺がいくつか。
これは妙法寺。
江戸時代初期、筑前福岡藩二代藩主、黒田忠之より、寺領三千坪を拝領したという由緒ある寺。楼門式で仁王像が睨みを効かせる山門が立派。 -
また中に入ると二階建ての本堂の一階正面には金銅の大仏が座していて珍しい構え。ただ、全体としてのバランスは崩れていないのがさすがだと思います。
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同じく、黒門川通りの浄慶寺。
創建は、天正19年(1591)。豊後国大友の家臣を父とする宗教なる人物が開基。清潔感があってきちんとした構え。 -
境内には勤皇志士の墓の墓もあるそうですが、それはよく分かりませんでした。なお、本堂前の小ぶりですが姿のよい松が印象的です。
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黒門川通りから唐人町の市街に入って、これは大佛大圓寺。
この寺は、何といってもシンボルの木造五重塔が圧巻。本堂の裏手にあって、総高26.5mの高さを誇ります。
創建は康平3年(1060年)。鎮守府将軍源頼信が天台宗の寺として建てたという古刹です。その後は、崇福寺の第3祖、大応国師が臨済禅宗として再興。黒田如水夫人により浄土宗として再建されたという変遷です。 -
正面の山門にも回ってみましたが、
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こちらからだと五重塔は本堂の後ろにちらりと見えるだけ。どこから見るのがベストとして設計したのか。少し疑問が残ります。
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正光寺もすぐ近く。
この寺も山門とかしっかりしていて、それなりの構えですね。創建は、慶長12年(1607)。浄土宗鎮西派の寺で、箱崎一光寺の末寺です。 -
黒田藩を脱藩し倒幕に走った中村圓太。佐幕派より非難を受け切腹したという人物ですが、寺の墓地にはその人物の墓碑があるようです。
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こちらも同じ市街の八橋神社。もともとは鳥飼八幡宮境内にあって、江戸時代の中期に伏見稲荷大社より勧請されてできた神社。ちょろっとですけど、赤い千本鳥居がその辺りの経緯を示しています。
ただ、それ以上に。。ここは、福岡藩の西学問所、甘棠館の跡地。 -
それを示す石杭がこちら。
ちなみに、東学問所修猷館に対して、西学問所は甘棠館。同じ天明4年(1784年)の開校です。
初代館長、亀井南冥が高名であったことや自主自発の学習方針もあって盛況だったようですが、大火で焼失するとこちらは朱子学ではない徂徠学が講じられていたことから、幕府の寛政異学の禁により再建されなかったのだとか。その辺りは福岡藩が閉塞していく歴史の一端のような気もします。 -
この辺りは、まだまだお寺が続きます。
成道寺は赤い銅板葺きの本堂はそれだけでもかなり目立ちますが、唐破風の向拝がバカでっかくてすごい迫力ですね。昭和30年代に成道寺ユースホステルをやって青少年の健全な旅行活動を支援したという歴史もあるようです。境内には八兵衛地蔵というお地蔵様もあります。 -
吉祥寺は曹洞宗の寺。山門がとても立派で目立っていますが、かつては桃山時代の築ではないかという古い山門だったということで、それがなくなったのはちょっと残念。
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本堂も特に普通です。
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妙安寺は、万治3年(1660年)創建の日蓮宗の寺。周囲より少し高い場所に建っていて、昭和18年に再建された本堂の建物がよく見えます。
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高くせりあがった屋根に大型で幅広の唐破風を組み合わせた豪快な意匠。山門とのバランスもぴったりだと思います。
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善龍寺は、唐人町商店街アーケード西側入り口の近くに建つ浄土真宗東本願寺派の寺。
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ここは、黒田如水の夫人、照福院が荼毘に付された地だということ。二代藩主の黒田忠之の命によりここに移ってきたそうです。二階建ての山門には「関係者以外立ち入り禁止」の看板があってドキッとしました。
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ここまで来たら、唐人町商店街にも寄ってみます。まあ、昔ながらのアーケード商店街かな。それでもシャッター通りとなった商店街が全国的には増えていますが、ここはそんなこともなくて庶民派のお店がちゃんと健在です。
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このポエムも地元密着のパン屋さん。ソフトバンクが勝つとセールするとかの手書きポップがあったり、面白そうなので入ってみます。
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テーブルロールとか買ってみましたが、これが上質な生地にしっかりしたおいしさ。意外にけっこう本格的なパン屋さんですよ~
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加美家は創業享保二年の看板や店構えも雰囲気がありますね。喫茶部もあるようでしたが、もう夕方でやっていなかったので、
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テイクアウトで黒田官兵衛のどら焼きをいただきました。口にするとあっさりとした皮。そっけないくらいの味わいなんですが、これに少しきつめの餡子を合わせているんだろうなと思ったら、その餡子もあっさりとしたもの。落ち着いた味わいというより、皮も餡子もどちらもあっさり。しかし、それで寂しいかというとそうではなくて、独特のあっさり感がちゃんとおいしい。こういうのも老舗ならではなのかなと思います。
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ここから、少し西に向かいながら。。
伝照寺は、福岡藩主、黒田長政を慕って来た初代が薬院町に創建。現在地に移転したのは、万治3年(1660)。幕末、この寺の住職と親しかった勤皇志士、平野国臣が逗留して、境内で剣道の稽古などをしていたという逸話もあるようです。周囲に塀がなくて境内は工事現場のよう。これから整備するのかもしれませんが、今は荒れていて、かなりざっくばらんなお寺ではないかと思います。 -
円徳寺は、正保年中(1645-1648)に創建された浄土真宗東本願寺派の寺。
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本堂に向かって右手前におにぎり地蔵というお地蔵様。にぎりめしを手にした地蔵像で享保の飢饉で亡くなった人々の供養のため安置されたものだそうです。
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蓮正寺は、地行鳥飼七隈という大通り沿い。本堂と山門が90°の向きで参道が本堂を横切るような構造。もしかしたら、この大通りが出来たて境内が狭くなったことでこうなったのかも。浄土真宗東本願寺派の寺らしい豪壮さはあると思います。
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ここからは、明治通りを西に向かいます。唐人町と西新の中間辺りまでやってきて。
鳥飼八幡宮は、明治通り沿いにある神功皇后ゆかりの神社。
神功皇后が三韓征伐からの帰り、姪浜に上陸し鳥飼村にて宴を開きます。そして、後に村長になった人物の子孫がゆかりの地に社殿を建てたのが始まりだそう。
当地に移ってからは福岡城西の総氏神となりました。 -
境内は少し小高い場所。松の林も涼しげで、確かに由緒正しい神社の雰囲気はありますね。ただ、本殿は建て替え工事中。仮のお祀り場所が設けられていました。
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鳥飼八幡宮の境内。明治通りからも仰ぎ見ることができる場所に中野正剛先生碑。ちなみに、中野正剛は、戦時中の衆議院議員。大政翼賛会から脱退し、独裁色を強める東条英機に反抗した人物。憲兵に捕らえられ、釈放後には割腹自殺。像の周辺から像に至る石段他かなり立派に整備されていて、この像を作った人たちの氏への思いがとても強いことを感じます。
福岡にはあまり反骨精神みたいなイメージはないのですが、平野國臣しかり、中野正剛しかり。何か地元には+アルファで響くものがあるんでしょう。 -
大通寺は、明治通りから少し入ったところにある日蓮宗の寺。分かりにくい路地みたいな道なのですが、それは旧唐津街道。変な場所ではないですね。
創建は、慶長6年(1601)。開山の大通院日圓なる人物は、黒田長政が豊前国より福岡に転封された際に長政を慕い追ってきたのだとか。山門に至る一直線のツツジの参道や本堂のしっかりした建物も立派です。
さて、さすがに私もこの辺りで力が尽きた感じ。そろそろ今夜のホテルに向かいましょう。 -
天神まで帰ってきて、もうくたくたですね。
天神駅からホテルに向かう途中のエルガーラ パサージュ広場。大丸福岡天神店の裏手の限られた一角なんですが、 -
この日はどんたくの会場の一つになっていて、ちょうどベリーダンスの公演をやっていました。
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女性らしさのアピールがすごくて独特ですよね。
たくさんの観客が集まって、大盛り上がりでした。 -
今日の宿は、東横イン天神。
明日は、最終日。武雄温泉から有田の陶器市に向かいます。
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