2022/04/15 - 2022/04/15
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熊本との縁は、転勤で福岡に住んでから。休みの日には福岡を拠点にして九州各地を回っていたので、当然、熊本へも。福岡から東京に帰ってからも一時期は仕事の関係があって、何度も熊本へ行く機会がありました。ただ、それはもうかなり昔のこと。調べてみると2009年を最後に熊本にはもう行ってないんですね。
ずいぶん長いブランクでしたが、いつでも行けると思っているうちに年数が過ぎたというのもあるんですが、誤解を恐れずに言うなら、あまり意欲が湧かなかったというのもなくはないんですよね。今回も思い立ったのは天草があるから。旅行記に入る前に、その辺りのことに少し触れてみたいと思います。
熊本のアイデンティティはなにはともあれまずは加藤清正。街の中心は加藤清正が築城した名城、熊本城であり、これがわが町一番の誇りであることは言を待つ必要はないですね。ただ、それだけではなくて、地元では清正公を「せいしょこ」さんと今でも親しみを込めて呼んでいて、このような例はほとんどないのではないでしょうか(「せごどん」の西郷隆盛くらい?)。ところで、戦国時代の肥後国は菊池氏や阿蘇氏の衰退もあって多くの国人が割拠する状態であり、そのため、大友氏、龍造寺氏、島津氏が勢力を争う草刈り場。そのような状態から見れば、最終的に加藤清正の肥後藩52万石で治まったことはそれだけでも単純に誇らしい時代の始まりを強く感じるものだったかもしれません。そして、加藤家の後を受け継いだのは細川家。足利将軍の重臣から身を起こし、戦国の乱世を見事に泳ぎ切っての大大名。熊本に優れた文化の香りを持ち込んだことも含めて、これも熊本のアイデンティティの一つとなったことに異論はないと思います。歴史好きからするとこれだけでかなりの魅力になるはずですが、しかし、実際はどうも気持ちがイマイチ動かないのが正直なところなんですね。そのもやもやはどこからくるのでしょうか?
少し偏った味方なのかもしれませんが、以下のようなことがあるのかな~
①加藤清正も細川家もその激動期や発展期は熊本時代ではない。熊本はいわば上がりの地であって、熊本に視点を置いてもドラマチックな物語は見えてこないように感じます。つまり、加藤家も細川家も地生えではないので、この地には佐賀の龍造寺家~鍋島家や鹿児島の島津家のような草創期のドラマはありようがないのです。
②また、九州の歴史では幕末から明治維新の歴史が重要。その中心は薩摩藩であり、佐賀藩。そして、隠れた主役は長崎。熊本のトピックスは、横井小楠と西南戦争を戦った熊本鎮台くらいでしょうか。ここにもあまり物語はないですね。
観光の定番、熊本城や水前寺公園は確かに素晴らしいのですが、本妙寺や四つ御廟などを含めてこれだけ立派な遺産が残っていても、歴史に思いを馳せようとすると何か物足りなさが残ってしまうんです。
翻って、熊本の県民性は肥後もっこす。頑固者ということですが、「肥後の議論倒れ」という厄介な面も持っていて、それが災いしたのかどうか豊かな地である肥後国に戦国大名は出現せず、先述した通り、結局、大友氏、龍造寺氏、島津氏が勢力を争う草刈り場となってしまいます。一方で、佐々成正に反抗した肥後国人一揆や天草島原の乱。追いつめられると大きなエネルギーが爆発することも示していますから、そういう意味で言うと、二重三重にまとまりにくい肥後国の土地柄です。しかし、そうした地だからこそ、人心を掌握し安定した統治を実現した加藤清正から細川家に至る内政の功績は小さくはないのかも。熊本城を中心として落ち着いた静かな風景にこそその意味があるのかもしれません。まだ完全には腹に落ちないところはあるのですが、今はそんな風に考えたりしています。
ただ、あまりネガティブなことばかり書いてしまったので、歴史好きな人へのお勧めも一つ。田原坂関係と三池炭鉱は熊本市の近郊。近代日本を考える上では外せない貴重なエリアかと思います。https://4travel.jp/travelogue/10972332
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広島駅から朝一の新幹線で熊本駅に到着。所要時間は二時間弱で、8時36分着。熊本空港からでもけっこう時間がかかるのに、それに比べるとなんかあっけないですね。
熊本駅の改札を出てすぐの真向いの肥後よかモン市場は、熊本駅のお土産物売り場です。奥の方までけっこう深くて、広いスペースにお菓子屋さんとかあれこれ入っていて、なかなか賑やかですね。以前はこんなのなかったし、駅前のアミュプラザくまもとも最近開業。熊本駅の周辺はずいぶん立派になりました。 -
肥後よかモン市場の脇には熊本駅総合観光案内所。熊本市電の一日乗車券の販売はここで扱っているので、ここでそれを入手します。スタッフは二人。スペースにも余裕があって、観光都市熊本にふさわしい構えですね。
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熊本市電 KCTで熊本市街に向かいます。市電は熊本駅から市街中心部を抜けて、一気に水前寺公園まで結ぶので、観光ルートにもぴったり合っています。車体がスリムで見た目はかっこいいのですが、広島の市電と比べるとやっぱり狭いのは狭いですね~
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呉服町電停で下車して。ここから市内の散策を始めます。熊本市街の中心部は限られているので、基本歩きでOKなんですよね。
さて、松陽軒は、電停すぐ。 -
明治43年創業の老舗のお菓子屋さんです。
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看板商品は「肥後しおがま」。
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落雁に紫蘇をまぶしてとありますけど、これは「仙台しおがま」と同じで原料は餅米かな。つぶつぶ感があって軽い塩味の皮に小豆のあんこを入れた味わいもそっくりですよね。今の感覚で言えば、ちょっと古風で地味な味わいですが、そこは伝統の味ということで受け止めるべきかなと思います。
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熊本市街を流れる坪井川にはいくつかの石橋が架かっていて、この明八橋は、新町2丁目と西唐人町を結びます。明治8年に架けられたので名前はそれに因んだもの。平たい造りは歩きやすいし相当の技術だったのかなとも思いますが、今はあちこち草が生えていてやや放置状態。人が渡るだけのことになっています。
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少し進んで、くま純はいきなり団子のお店。いかにも地元っ子ご用達の雰囲気がいいですね。
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ほかほかのいきなり団子はちょっと大きめサイズ。
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サツマイモの甘さがしっかりあって、これぞ熊本本場のいきなり団子といった感じかな。一個食べれば十分満足といった感じです。
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同じ並びの和田かまぼこ店。この辺り新町にある老舗の蒲鉾店です。
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食べ歩きしようと思っていただいたのは、ごぼうてん。ぶっとい天ぷらはすり身の旨味がしっかりあるし、ごぼうのゴリゴリ感も小気味いいですね。これも朝から元気をもらったような気がしました。
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坪井川に沿って歩いてきましたが、この明十橋は、鍛冶屋町、唐人町など城下町として賑わっていた辺り。明治10年に架けられたので明十橋。東京の日本橋や皇居二重橋も手掛けた熊本出身の名工、橋本勘五郎の手によるもののようですが、今はアスファルトが敷かれてしまって、風情もなにもないですけどね。
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そのたもとに建つ旧第一銀行熊本支店は、大正8年に建てられた鉄筋2階建て石と煉瓦のビル。全国の第一銀行の設計を手がけた西村好時の初期の作ということ。カーキ色の煉瓦に連続するアーチ窓が壮観で、角には塔屋を配してアクセントとしています。
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ここから船場橋の方に向かって歩きます。
パティスリー クオーレは、比較的朝早くから開いているんですね。朝早くから開いているお菓子屋さんは名店が多いという印象がありますけど、ここもそんな感じかな。 -
店内は余裕があってきちんとしていますよね。いただいたリーフパイもバターの香りがとってもいいですね。なにげに特徴のあるリーフパイでした。
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船場橋に出てきました。これも坪井川に架かっていて、新町と船場町を結びます。かつて、この辺りは船着場があって、そこから船場と呼ばれ、川の名前も船場川とも。橋は昭和4年、市電が敷設されるのに伴い木製から鉄筋コンクリート橋に変わりました。
ところで、この橋の近くにあった小高い丘が歌でも有名なせんばやま。それに因んでえびと狸を象った橋柱燈が設けられています。 -
橋の上からは、熊本城が見えました。
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今度は桜町の方に向かいまして。。
山崎菅原神社は、菊池一族の初代、菊池肥後守則隆が延久2年(1070年)に創建。菅原道真を祀ります。 -
何度か場所を変えて、今の場所に来たのは大正4年。
境内は限られていて窮屈な感じもなくはないですが、社務所もきちんとあって、「イチハラヒロコ恋みくじ」というのが人気だそうです。 -
熊本県物産館は、この時期、仮設店舗で営業をしていました。
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伝統工芸品や辛子蓮根、球磨焼酎とか地元の名産品が揃いますが、
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目立っていたのはやっぱりくまモングッズかな。文房具とか小物の商品があって、もうすっかり熊本のお土産の定番になっているようです。
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桜町の中心はこの熊本桜町バスターミナル。熊本市街の一番の繁華街は通町筋辺りですが、それに次ぐのがこの桜町や辛島町の辺りですからね。九州内の都市間交通ではバスの重要性は大きいのでここが賑わうのは当然なんですが、商業施設としても立派なサクラマチクマモトが整備されてことも大きな要因だと思います。
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サクラマチクマモトは、私も今回初めて。
熊本桜町バスターミナルに併設された大型の商業施設なんですが、 -
広義には、住宅・ホテル棟のサクラマチヒルズや熊本城ホールも含んで、
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一帯は再開発地区として近代的な雰囲気も。なかなかじゃないですか~
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それに敷地内の大型花壇とかも素晴らしい。
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イチオシ
熊本城に向かって真っすぐに伸びる通りはまるで公園のよう。
ちょっとしたイベントなんかにも十分な広さですね。 -
サクラマチクマモトの敷地に隣接する花畑公園。電車通りにも面していて、石段を上がって高くなったところに整備された一角です。
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加藤清正が熊本城を築いた際、城外に大きな御殿を設けた場所のようですが、楠の巨木が立っていてけっこうな迫力。
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イチオシ
緑が濃いので、さっきの花壇の通路ともいいコラボになっています。
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イチオシ
サクラマチクマモトを電車通りを挟んで辛島町の方から眺めた全景。
熊本の新しい顔として十分アピールできる施設だと思います。 -
サクラマチクマモトから熊本城に向かいます。と先ほどの花壇の通りの先にあるNHK熊本放送局ハートプラザ。
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入ってすぐの巨大スクリーンで、熊本城の修復現場のビデオ映像を拝見しました。高性能の細密な画面は、やっぱりかなりの迫力があるし、全体を捉えたアングルもさすがNHKといった感じ。熊本城に行く前に見たので、程よい予備知識にもなりました。
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さらに進んで、熊本市国際交流会館。
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それらしい名前なので寄ってみましたが、一階入ってすぐのフロアに無人の観光案内ブースがあるくらい。熊本県内のパンフレットがあれこれあったので少し拝見しましたが、まあそれくらいです。
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熊本城はここからですよね~
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イチオシ
行幸橋のたもとには加藤清正像。
いつ見てもかっこいいです! -
お堀を渡って
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イチオシ
すぐ先が桜の馬場 城彩苑。
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熊本城の二の丸にあたる場所です。
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入り口を入ると熊本城ミュージアム湧々座を中心におみやげや飲食のショップを集めた桜の小路などが整備されて、観光地らしい雰囲気がいっぱい。
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熊本城の修復工事が長丁場になっていてちょっと意気消沈しているところですから、せめてもの明るい場所といった感じでしょう。天守閣や加藤神社の方にもここから上がって行くことになるので、熊本城の観光だとまずはこの城彩苑を訪ねるでいいと思います。
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いきなりやわたなべは、その名の通り、熊本名物いきなり団子のお店です。
楕円形の形は、いきなり団子にしてはちょっと整いすぎている感じもありますけど、まあそれはそれ。お味の方は、なるほどね。塩味が適度にアクセントになっていて、きりりとした味わい。ちょっと工夫をした感のあるいきなり団子です。 -
では、さっそく熊本城ミュージアム わくわく座へ。
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熊本城や旧城下町の紹介をする観光施設なんですが、コロナ禍で、
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メインである熊本城のバーチャルリアリティは休止しているし、加藤清正の肥後入国から西南戦争までを紹介する熊本今昔絵巻もよく分からず。
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熊本城のプロジェクションマッピングや
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熊本藩の参勤交代の説明やはありましたが、イマイチの感はぬぐえない。
熊本城が被害を受けてただでさえ意気消沈している中、もう少し期待していたんですけどね。
ただ、改めて考えると、熊本城や加藤清正が地元の誇りとしても、冷静に考えると何をもって誇りと考えるのかはちょっと難しいところ。お国自慢のレベルから客観的な評価のレベルまでは少し距離があるような気もします。この辺りは冒頭で触れたとおり。それを考えさせてくれるきっかけにはなったようです。 -
ここから二の丸広場に向かいます。
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階段を上がると
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未申櫓。
一見なんの問題もないようですが、 -
裏を見ると石垣が大きく崩れて
いやいやこれは想像以上に厳しい被害状況ですね。 -
そこから大きく迂回して
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二の丸広場。
ここからは天守閣や宇土櫓がきれいに見える。私の一番お気に入りの眺めです。
こうやってみると昔のまんまなんですけどね~ -
ここから隣りの熊本県立美術館へ。
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この日は、別棟展示室で「細川コレクション黒の魅力」展をやっていました。
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永青文庫所蔵の菱田春草「黒き猫」も展示されていて、
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写真撮影可。
永青文庫には菱田春草のもう一つの代表作「落葉」もありまして、その瑞々しい感性にはちょっと息をのむような迫力がありました。そんなのもふと思い出したりして、これは予想外でしたね。 -
それにしても、大盤振る舞い。
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さすが地元だなあという感じです。
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その後、本館の常設展の方も拝見しましたが、江戸期の屏風絵とか落ち着いたもの。気のせいかもしれませんが、あちこちで細川家の文化の匂いと共通するものがあるような気がしました。
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続いては、熊本博物館。
この先なんですが、 -
熊本城の北西側なので、市街中心部からは、熊本城を越えて行くことになる。美術館からでもけっこう距離があって、アクセスはあんまりよくないです。
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入ってすぐの特別室みたいな場所は「黄金文化への憧れ」と題するコーナー
肥後国球磨郡免田才園古墳出土品という鍍金された鏡や -
金銅装馬具など。
人吉盆地にあった有力者と大和政権の関係が窺われるものだという説明でした。
古墳時代の後期ですが、九州には装飾古墳というきらびやかな古墳も集中していて、独特の文化もうかがわれます。稲作は九州から東に伝わっているし、大和政権の拡大は東からだし、この交錯をどう考えるかだけでも古代は面白いですね。 -
そして、旧石器時代から
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縄文時代
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弥生時代へ
縄文時代は1万年くらい前からで、弥生時代は紀元前10世紀くらいから。3世紀頃から古墳時代に移行し、大和政権の誕生は4世紀。邪馬台国の卑弥呼と大和政権の関係とかが古代史では論争を生んだミステリーなんですが、私はそれ以上に、縄文時代から弥生時代への移行期に起きたと思われる縄文人と弥生人の混血と日本人の誕生がどのように進行したのかがとても気になります。その過程で多様性とか柔軟性とかが日本人の基本的なDNAとして刻まれたということはないのか。いつもぼんやりそんなことを考えています。 -
イチオシ
時代ははるかに下って。
大きな見どころの一つ、加藤清正の長烏帽子形兜の甲冑に -
こちらは細川忠興の鳥毛頭立の甲冑。
熊本城の主としては、両巨頭というところですね。 -
明治以降の展示室もあって、ここで歴史は一区切り。
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自然関係だと
ナウマンゾウの化石に -
哺乳類や鳥類のはく製展示も見事です。
他、鉱物の関係もおびただしい展示。いろんな分野で手を抜いているところがないといった印象でした。 -
イチオシ
あと、この日は「肥後のやきもの展」もやっていて、
これは網田焼ですが、 -
基本の小代焼は、
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細川家が小倉から陶工を連れてきたというのがルーツ。
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八代焼なんかはその亜流かと思いますが、渋い焼き物の数々は
熊本藩細川家の文化の奥深さを示すものかと思います。 -
これも藩政時代のものですが、磁器ですから天草の方のものだと思います。
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熊本博物館から再び熊本城内に戻って、今度は加藤神社を訪ねます。
こちらの櫓もかなりやられていますね。石垣の石もばらばらと散乱していて、胸が痛くなるような眺めです。 -
加藤神社は、熊本城内にあって加藤清正を祀る神社。明治元年、神仏分離により清正の廟所のあった浄池廟・本妙寺から神社を分けてこちらに造営されました。
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白い鳥居を入ると境内の中央に立つ楠の大木の奥に穏やかな社殿。
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境内からは熊本城の天守閣がいいアングルで拝めます。
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熊本城の関係を終わって、ここから市街地に戻ります。
熊本県伝統工芸館は、カーキ色の煉瓦の立派な建物。 -
展示即売されているのは、木工品、染織物、竹製品、陶磁器、刃物等県の指定を受けた伝統的工芸品90品目。来民うちわがけっこう目を引きましたが、郷土玩具だけでも、きじ馬・花手箱・羽子板、木葉猿、おばけの金太、彦一こま、肥後まり、肥後てまり、い草てまり、宇土張り子ととにかく多彩。
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ただ、商品としては、これは天草の磁器ですが、
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その他小代焼とかの焼き物が一番充実しているかな。
熊本県は広いなという感じです。 -
イチオシ
そのまま進んで、同じ並びの熊本県立美術館分館。本館と違ってアートで華やかな外観ですね。それもそのはず、旧県立図書館を全面改修した「くまもとアートポリス」事業の参加作品なんだそうです。
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館内ではいくつかの展覧会が行われていましたが、どこかの学校の発表会だったり、一般市民の有志による展示会だったり。そういう意味では文化交流館的な存在の施設だと思います。
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熊本大神宮も同じ通り沿い。この辺りは熊本城の東側エリアで、この神社も熊本城本丸の石垣の足元に位置しています。
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伊勢神宮以下の神社本庁が包括する神社であり、明治時代に国が主導となって創建されたのが経緯。今は静かな境内で、荒れてはいませんが、あんまり人けも感じません。
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その隣りが熊本城稲荷神社。こちらは活気がありますね。
加藤清正が肥後国に入国するにあたり、居城となる熊本城の守護神として稲荷社を勧請して創建。開運厄除祈願とかの看板や赤い社殿が派手派手です。 -
通りを挟んだ向かい側は、高橋公園。坪井川沿いにもなります。
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イチオシ
戦前の第六師団長官舎跡地を整備したもので、横井小楠を中央にして、親交のあった坂本龍馬、勝海舟、松平春嶽、細川護久の5人が並ぶ横井小楠と維新群像と
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西南戦争の熊本鎮台司令長官だった谷干城像が見どころかな。
ちなみに、横井小楠は福井藩の松平春嶽に招かれ政治顧問となり、幕政改革や公武合体の推進などに力を尽くした人物。ただ、私の印象としては、幕末のインフルエンサー。特別な思想に拘らず、いろんな思想や情報をお互いに交換したり意見を言い合いながら世の中の流れを作って行くネットワークのキーマンの一人という印象。幕末に目立った動きのなかった熊本藩にあってもこのような力が発揮できたのは、混沌とした時代にあって新しいものや複雑なものへの理解力がずば抜けていて、話をしてみたくなる人物だったのではないかと思います。
ただ、幕末の思想家は多く出たのですが、それぞれの評価はあまり意味はない。そういうことではなくて、いろんな考え方を持っていた人物同士が交流しいたという社会環境があったということが重要。それはある意味で言えば幕藩体制の緩みなんですが、黒船の来航によって世の中が動揺し、その中で人の流れが抑えきれなくなる。社会の隅々にまでその変化が押し寄せて、心ある人物を求めてネットワークもできていく。明治維新は雄藩だけの働きではなくて、私はこうした底辺の社会変動がバックにあったことをもっともっと評価する必要があるのではないかと思います。敢えて言えば、この辺りは、司馬遼太郎の史観”龍馬は偉い”的な単純な視点があまりにもはびこり過ぎていて、残念に思っているところです。 -
高橋公園から、坪井川沿いに北に進んで行くと
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すぐに千葉城公園。この時期は、つつじが見事な花を咲かせていて、すぐにそれと分かりました。ちなみに、千葉城というのは室町時代に菊池一族が築いた城。熊本城の前の時代でこの辺りにあったようです。
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では、この辺りで昼飯にします。
桃花源は、すぐ近くのキャッスルホテルの地下。少し奥まった場所にありますが、さすが人気店。平日のお昼でしたが、ほぼ満席です。 -
いただいたのは、鳥の揚げたのに甘酢餡掛けを掛けたもの。安定のおいしさがあって、スープの玄妙な味わいやご飯の上質さとかも印象的。店内の青とオレンジのコーディネートも華やかでした。
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では、ここからは通り町筋辺りへ。少しスイーツチェックもしてみます。
松露庵は、上通りにあるベビーカステラのお店。紙袋に10個、20個と詰めてくれます。 -
まあ、B級グルメかなと予想していましたが、しっかりとした食感にカステラのシンプルな味わいは手が止まらなくなるようなところもあって、なかなかのもの。甘さも控えめだし、体に優しい感じです。
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上通りをさらに北に向かって
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アーケードが途切れた先。老舗園田屋は、天正年間の創業。400年以上もの歴史を持つ朝鮮飴のお店です。堂々たる外観と黒光りする店内の雰囲気もいいですよ~
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この朝鮮飴は、加藤清正公が朝鮮出兵の際に持参した保存食だったとか。
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もち米、水あめ、砂糖を練り合わせて適度な柔らかさと純で心地よい甘さがいいですね。
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伝統のお菓子であっても、まったく古臭くない。じんわり沁みてくる本物の味だと思います。
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アラモートは、さらに歩いた藤崎宮前電停からほど近く。「パウンドケーキの店」の看板が目についたので寄ってみました。大きなロールケーキのようなケーキも、小袋に入ったケーキも両方ともにパウンドケーキで、味も同じなんだとか。
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いただいた小袋のくるみとラムレーズンのパウンドケーキも、柔らかくてしっとりした食感にこの味わいは確かにパウンドケーキですね。しかも、甘さが程よくて、ちょっとすごいじゃないですか。クルミとラムレーズンの方ですが、それぞれがそれぞれのおいしさで互いに共存している感じ。この自然体の仕上がりも素晴らしいと思います。
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ここから水道町の電停まで向かいつつ。。
白川公園は、上通りから東に出た3号線の向かい側。戦前はここに熊本県庁があったのですが、戦災で焼けてしまい、跡地を公園として整備したのだそう。防災公園としても位置付けられていて、しっかりした広さがある公園です。 -
ほど近い裏通りに入って。これは手取天満宮。創建は、江戸時代前期の承応年間。菅原道真を尊崇する肥後藩士の夢枕に菅公が現れたことから造られたとか。
こじんまりとした境内ですが、緑の奥に収まった社殿がいい感じ。熊本大空襲の戦災に遭うことがなかったのもまたおめでたいことですね。 -
水道町交差点のところまで出てきました。米白餅本舗はフルーツ大福の有名店。
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いちご大福を始めとして、種類もけっこう豊富です。ただ、テイクアウトなので、塩豆大福の方にしてみました。お餅の皮がしっかりとした正統派。きちんとした味わいです。
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水道町から水前寺公園に向かいます。
何度も行っていますけど、久しぶりですからね~
なお、ここで妹と合流。ここからは、二人旅と相成ります。 -
公園への通りには、両側にお店屋さんが並びます。
水前寺公園は熊本城と並ぶ定番スポット。熊本に来た観光客で水前寺公園に来ない人はいないですからね。 -
菓子のおくやまで、名物の水前寺もちをいただきます。
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餡子を包んだお餅なんですが、この味わいは何かなあ。餡子とお餅のバランスとか滑らかな餡子の感じとかがちょっと梅ケ谷餅にも通じるようなおいしさ。なかなかいけてます。
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もう一軒の人気店は、はやしのいきなり団子。ほかほかと湯気が上がっていて活気がありますね。
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定番のいきなり団子をいただきましたが、サツマイモの甘さがなにげに際立っていて、インパクトがありますね。けっこう完成度の高いいきなり団子。今日食べたいきなり団子ではここがイチオシかなと思います。
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さて、水前寺公園。
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イチオシ
熊本藩細川家の初代藩主、細川忠利が築いた水前寺御茶屋から始まり、三代藩主、細川綱利の時に基本的な形が出来たというもの。東海道53次の景勝を模したといわれますが、予備知識なんて必要はない。とにかくこの整った見栄えのインパクトは絶大です。
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池は太平洋に相当するんでしょうが、この鏡のように静かに広がる水面と
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ちりばめられた小島と形のよい松。
それらを芝生が優しくまとめ上げて、芝生の庭が得意な小川治平でもこんな庭は作ってませんね。
では、ここから庭を一周します。 -
時計まわりに回りますが、すぐに出水神社。明治11年、西南戦争で荒廃した熊本城下の復興を願い創建された神社。水前寺公園の中。一段高い場所に建っていて、既に水前寺公園の絶景の一部になっているような気もします。
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祭神は、藩祖細川藤孝、二代忠興ほかの歴代藩主とガラシャ夫人。細川家のかつての家臣が建てたということですから、まあそうなるのかなとは思います。
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富士山に近づいての景色も決まってますよね。
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どのアングルから見てもいいんですが、
ただ、全景となるとやっぱり最初の地点になりますよね。
そういう意味だとこの庭は池泉回遊式の庭ではあるんですが、まだ座観式の要素も残っていて、完全な池泉回遊式の庭にはなりきっていないのも面白いところだと思います。 -
始めの場所に戻って、最後は古今伝授の間です。
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ここは、水前寺公園の絶景を正面から見る位置。もともとは京都御所にあった建物で、関ヶ原の戦いの直前、丹後国宮津城主だった細川幽斎こと細川藤孝が八条宮智仁親王に、古今和歌集の奥儀を伝授した場所。
関ヶ原の戦いの前哨戦。東軍についた藤孝は、丹後田辺城で西軍の大軍に包囲される籠城戦となるのですが、これを見かねて勅命による講和に結び付けたのが八条宮智仁親王という関係です。
襖を埋める桐の紋や総漆塗りの火燈窓など優雅な面持ちの建物ですが、細川家にとっては壮絶な歴史が関わる建物です。 -
明治になってからここに移築されたのですが、やっと落ち着くべきところに落ち着いたといった感じでしょう。
そして、やっぱり、水前寺公園はここからの眺めが一番ですね。 -
水前寺公園から、また水道町に戻って。
電停からすぐ。「くまモン」の活動拠点、くまモンスクエアへ。あんまり目立っていないビルの一階に割とひっそりとありました。 -
くまモン体操かな。ステージみたいな一角ではくまモンと子供たちが体操をしているビデオが流れていて、一方の棚にはくまモングッズがあれこれ。ただ、くまモングッズは市内でもあちこち置いているし、必ずしもここに来ないといけないというほどではないようです。
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蓮政寺公園は、鶴屋デパートの南側。電車通りから一本入った裏通り。蓮政寺というのは加藤家の時代から続くお寺なんだそうですが、その境内といった場所でしょう。隣りに小泉八雲熊本旧居があるので、それを訪ねます。
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これが小泉八雲熊本旧居。
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小泉八雲は、明治24年、松江中学校から熊本大学の前身、第五高等中学校の英語教師として着任。明治27年までの3年間を熊本で過ごしますが、その最初の1年をこの家で暮らします。もともとは手取本町34番地にあったのですが、昭和30年代にここに移築されています。
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熊本では妻のセツのほか、実母、養父母、養祖父も呼び寄せ、その後長男も誕生。大家族の中で執筆に励んだとあって、ちょっとほのぼのとした情景が目に浮かびました。
ちなみに、夏目漱石が第五高等中学校に赴任してくるのは明治29年。小泉八雲より少し後のことになります。 -
ここから駕町通り商店街を抜けて、鶴屋百貨店へ。
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鶴屋は、熊本の老舗百貨店。上通り下通りと合わせて、通町筋の賑わいの中心です。
売り場面積が広いということもあって、地階のフードコートとかもとっても広くて悠々。少し休んで街歩きの疲れを癒しましたが、周囲に気を遣う必要もなくてゆっくりできました。 -
ついでに、鶴屋饅頭もいただきます。
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鶴の文様がかわいらしいですけど、この白餡の味わいは、東京だといわゆる都饅頭ですね。落ち着いた甘さと穏やかな皮の組み合わせは飽きの来ないスタンダードな仕上がりです。
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最後にもうひと踏ん張りというところで。
カトリック手取教会は、通町筋からすぐの大通り沿い。そんなに目立った感じではないのですが、これは五島や平戸でも知られる鉄川与助の設計によるもの。昭和3年に建てられたもので、与助には珍しい鉄筋コンクリート造の教会なんだそうです。しかし、中に入ると特に鉄筋コンクリート造ということは感じませんね。船底天井のような平たい天井とアーチの組み合わせが美しいです。 -
そして、熊本市役所本庁舎は、14階の展望ロビーへも。
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ここは、正面に熊本城の天守閣が眺められるこれ以上ない展望所。天守閣も相当の被害を受けているはずなんですが、周囲も含めて、ここから見る限りはかつてと変わらぬ美しい姿。ちょっと安心しました。
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今日の晩飯はタイピーエン。
紅蘭亭に向かいます。 -
熊本のご当地グルメとしてすっかり定着した感のあるタイピーエン。紅蘭亭はタイピーエン発祥のお店ではないのですが、これもいつの間にかタイピーエンなら紅蘭亭みたいなことになっているような気がします。
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久しぶりにいただきましたが、薄い塩味のまさに春雨スープ。海鮮が使ってあるとはいえ、改めてですけどやっぱりかなり地味な味わいですよね。どうして、紅蘭亭のタイピーエンが受けるのかとちょっと不思議な気がしないでもないんですが、それはその他のメニューがちゃんとしているからかな。タイピーエンだけではちょっと物足りないので、他のものを頼むとそれがちゃんとおいしい。結局、ターピーエンだけではなくて中華料理屋さんとしての基本がしっかりしていることが愛される理由なのかなと思います。
なお、上通り店はランチのみ。夜の営業はやっていないので要注意です。 -
以上で、一日目の熊本市内は終了。
今夜の宿、熊本駅前の東横インに入ります。
明日からは、レンタカーの旅。天草までは遠いし、気合で頑張りましょう。
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