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江戸時代、九州の玄関口である小倉から唯一の外国との窓口であった長崎とを結んでいた長崎街道。<br />参勤交代の大名や長崎奉行をはじめ、坂本龍馬など幕末の志士に伊能忠敬やシーボルト、果てや象や孔雀も通ったとされるこの道を徒歩で巡る長編企画です。<br /><br />第4弾はいよいよ「西の箱根」と呼ばれ、最大の難所である冷水峠を攻略します。

長崎街道完全踏破の旅part4 内野~冷水峠

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2022/02/12 - 2022/02/12

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otayahiko

otayahikoさん

江戸時代、九州の玄関口である小倉から唯一の外国との窓口であった長崎とを結んでいた長崎街道。
参勤交代の大名や長崎奉行をはじめ、坂本龍馬など幕末の志士に伊能忠敬やシーボルト、果てや象や孔雀も通ったとされるこの道を徒歩で巡る長編企画です。

第4弾はいよいよ「西の箱根」と呼ばれ、最大の難所である冷水峠を攻略します。

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  • 今回は筑前内野駅から出発です!!

    今回は筑前内野駅から出発です!!

    筑前内野駅

  • 明治から大正にかけて、郡会議員や内野村長を務めた藤井政太郎氏の石碑があります。<br />村のインフラ整備においても多大な功績を残したそうです。

    明治から大正にかけて、郡会議員や内野村長を務めた藤井政太郎氏の石碑があります。
    村のインフラ整備においても多大な功績を残したそうです。

  • 内野宿の東構口跡

    内野宿の東構口跡

  • 旅籠であった若松屋の跡地。<br />現在は建物の基礎部分のみが残っています。

    旅籠であった若松屋の跡地。
    現在は建物の基礎部分のみが残っています。

  • 酒屋として営業していた「松屋」 江戸時代後期に建てられた主屋がそのまま残っています。

    酒屋として営業していた「松屋」 江戸時代後期に建てられた主屋がそのまま残っています。

  • その名の通り麹を製造していたとされる「麹屋」

    その名の通り麹を製造していたとされる「麹屋」

  • 「太宰府天満宮米山越道」と記載された道標。<br />かつての内野宿は太宰府天満宮への信仰が盛んで、この場所は太宰府への参詣道の分岐点でした。

    「太宰府天満宮米山越道」と記載された道標。
    かつての内野宿は太宰府天満宮への信仰が盛んで、この場所は太宰府への参詣道の分岐点でした。

  • 隣には宿場の繁栄と旅人の道中安全を祈願して建てられたえびす碑があります

    隣には宿場の繁栄と旅人の道中安全を祈願して建てられたえびす碑があります

  • 黒崎から原田までの「筑前六宿」の中では、ここ内野が最も昔からの宿場の雰囲気を留めているのではないかと思います。<br />どの位置から撮影してもなかなか画になりますね。

    黒崎から原田までの「筑前六宿」の中では、ここ内野が最も昔からの宿場の雰囲気を留めているのではないかと思います。
    どの位置から撮影してもなかなか画になりますね。

  • 原田線の踏切から筑前内野駅方面の眺め<br />線路内は草むしていて、ローカル線の保線状態が伺い知れます。

    原田線の踏切から筑前内野駅方面の眺め
    線路内は草むしていて、ローカル線の保線状態が伺い知れます。

  • 内野名物の大銀杏<br />かつてはもう1本雌の大銀杏があり、夫婦銀杏と呼ばれていました。<br />宿場が現役であった頃から内野の町を見守っています。

    内野名物の大銀杏
    かつてはもう1本雌の大銀杏があり、夫婦銀杏と呼ばれていました。
    宿場が現役であった頃から内野の町を見守っています。

  • もしかしてこれが大根地山か!?と思って撮影。<br />後で確認したところ、こちらは高石山だそうです。

    もしかしてこれが大根地山か!?と思って撮影。
    後で確認したところ、こちらは高石山だそうです。

  • 内野宿の風景が描かれたマンホール

    内野宿の風景が描かれたマンホール

  • 1784年(天明4)当時の内野宿の地図<br />地元の高校生が制作しています。

    1784年(天明4)当時の内野宿の地図
    地元の高校生が制作しています。

  • 質屋として営業していた小倉屋<br />1880年(明治13)の建築とされています。

    質屋として営業していた小倉屋
    1880年(明治13)の建築とされています。

  • この雰囲気、堪らんですねー

    この雰囲気、堪らんですねー

  • かつての脇本陣である「長崎屋」<br />シーボルトもこちらで休憩したと言い伝えられています。<br />予約すれば当時の旅人に提供していた郷土料理が味わえる他、無料の休憩スペースもあるのですが、残念ながらコロナ禍で中には入れませんでした。

    かつての脇本陣である「長崎屋」
    シーボルトもこちらで休憩したと言い伝えられています。
    予約すれば当時の旅人に提供していた郷土料理が味わえる他、無料の休憩スペースもあるのですが、残念ながらコロナ禍で中には入れませんでした。

  • 酒屋であった「伊藤家」

    酒屋であった「伊藤家」

  • 西構口の跡

    西構口の跡

  • 西構口を出て少し進むと内野の老松神社があります。<br />鎌倉時代中期、この地が太宰府の神領であった事から菅原道真の神霊を賜って建てられたと言われています。<br /><br />当初は古宮山という所にあったそうですが、1573年に現在地へ移されています。<br />

    西構口を出て少し進むと内野の老松神社があります。
    鎌倉時代中期、この地が太宰府の神領であった事から菅原道真の神霊を賜って建てられたと言われています。

    当初は古宮山という所にあったそうですが、1573年に現在地へ移されています。

    内野老松神社 寺・神社・教会

  • 内野宿も抜け、ここからはいよいよ冷水峠に向けて進んでいきます。

    内野宿も抜け、ここからはいよいよ冷水峠に向けて進んでいきます。

  • ちょうど原田線の列車が通り過ぎていきました

    ちょうど原田線の列車が通り過ぎていきました

  • 大根地神社の鳥居を潜ります

    大根地神社の鳥居を潜ります

  • 眼下に筑豊本線の冷水トンネルが見えます<br />全長は3,286mで完成当時は九州最長のトンネルでした。

    眼下に筑豊本線の冷水トンネルが見えます
    全長は3,286mで完成当時は九州最長のトンネルでした。

  • 暫く進むと道が未舗装となり、本格的な山道と化してきます。

    暫く進むと道が未舗装となり、本格的な山道と化してきます。

  • 江戸時代当時からの石畳が残っています。

    江戸時代当時からの石畳が残っています。

  • 確かに難所ではありますが、内野側はよく整備されているので、ある程度歩き慣れた方であれば問題なく突破できると思います。<br /><br />これで調子に乗った筆者は後日、山家側の道の酷さに泣かされる事になるのですが・・

    確かに難所ではありますが、内野側はよく整備されているので、ある程度歩き慣れた方であれば問題なく突破できると思います。

    これで調子に乗った筆者は後日、山家側の道の酷さに泣かされる事になるのですが・・

  • 峠越えのチェックポイントといえる首無し地蔵に辿り着きました。<br />かつて悪者が冷水峠で旅人を殺害し、側にあった地蔵に「この事を誰にも言うな」と釘を刺したところ、地蔵は「わしは言わぬがわれ言うな」と喋りました。<br />不気味に感じた悪者はその地蔵の首をはねたのですが、数年後に再び冷水峠を訪れた悪者は連れに地蔵の首がない事を自慢気に話してしまいました。<br /><br />連れはかつて殺された旅人の縁者であり、地蔵の忠告を無視した悪者は仇を討たれたという逸話が残っています。

    峠越えのチェックポイントといえる首無し地蔵に辿り着きました。
    かつて悪者が冷水峠で旅人を殺害し、側にあった地蔵に「この事を誰にも言うな」と釘を刺したところ、地蔵は「わしは言わぬがわれ言うな」と喋りました。
    不気味に感じた悪者はその地蔵の首をはねたのですが、数年後に再び冷水峠を訪れた悪者は連れに地蔵の首がない事を自慢気に話してしまいました。

    連れはかつて殺された旅人の縁者であり、地蔵の忠告を無視した悪者は仇を討たれたという逸話が残っています。

  • 首なし地蔵の横には沢があり、旅人は沢を流れる水を飲んで旅の疲れを癒していたと言われています。<br />この水がとても冷たかった事が「冷水峠」の由来になっています。

    首なし地蔵の横には沢があり、旅人は沢を流れる水を飲んで旅の疲れを癒していたと言われています。
    この水がとても冷たかった事が「冷水峠」の由来になっています。

  • 文政6年(1823)年に架けられた石橋がそのまま残っています。

    文政6年(1823)年に架けられた石橋がそのまま残っています。

  • 峠まではあと少し、頑張っていきましょう!

    峠まではあと少し、頑張っていきましょう!

  • 峠の頂上に到達しました。

    峠の頂上に到達しました。

    冷水峠 (長崎街道) 自然・景勝地

  • 従是西御笠郡の郡境石<br />木屋瀬から続いてきた筑豊路もここまでです。

    従是西御笠郡の郡境石
    木屋瀬から続いてきた筑豊路もここまでです。

  • 反対側には従是東穂波郡の郡境石もあります。

    反対側には従是東穂波郡の郡境石もあります。

  • 正面の鳥居を潜ると大根地山の登山道へと通じています。<br />大根地神社は大根地山の山頂付近にあります。<br />いずれは大根地山にも登ってみたいものですね。

    正面の鳥居を潜ると大根地山の登山道へと通じています。
    大根地神社は大根地山の山頂付近にあります。
    いずれは大根地山にも登ってみたいものですね。

  • 峠から15分くらい歩くと西鉄バスの上西山バス停があります。<br />今回はここから西鉄筑紫駅に抜けて帰宅しました。<br /><br />次回は上西山バス停を起点に佐賀県の田代宿を目指して進む事にします!!<br /><br />Part5へ続く

    峠から15分くらい歩くと西鉄バスの上西山バス停があります。
    今回はここから西鉄筑紫駅に抜けて帰宅しました。

    次回は上西山バス停を起点に佐賀県の田代宿を目指して進む事にします!!

    Part5へ続く

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