2021/12/14 - 2022/02/20
421位(同エリア16385件中)
ばねおさん
2021年12月、フランスから日本へ一時帰国した。
6月の帰国時に比べ、日本の鎖国政策は厳しさを増し、外国人の入国を制限して異国からのウイルス侵入許すまじの水際作戦が展開されていた。
江戸幕府の外国船打ち払い令を想起してしまうが、この鎖国政策を進めることで内閣の支持率が向上したとも言われているので、そうであれば多くの日本国民が賛成しているということなのだろう。
特定の国、特定の地域を指定して往来を禁じる、あるいは国境を閉ざすということは、いくつもの国が行ってきたけれど国籍で分けるというのはあっただろうか。国籍を持たない、いわばコスモポリタン的存在のウイルスに対して本当に有効な策なのだろうか。どこまでも疑問がついてまわる。
海外に居住する身の自分としては、日本国籍であることで入国(帰国)を許される訳だが、外国人の入国が制限されているので水際作戦の対象者はほとんど日本人ということになる。
ウイルスの侵入を国境で喰い止めるという考え方が間違っているとは思わないけれど、実際の水際作戦なるものは穴だらけだ。
海外から日本への渡航でウイルス感染のリスクが最も高いのは、出発空港でも機内でもなく、到着空港での入国前チェックの場である、と指摘もできる。羽田での経験しかないが、成田も同様なのではないだろうか。
いくつものハードルが設けられ、定められたルールに従い、多くの時間を経て、ようやく行動の自由を取り戻すことができる訳だが、さまざまなチェック機能の多くはまるで自己満足のためにやっているのでは、とさえ思えてくる内容だ。
2022年3月の今、鎖国政策は少しづつ緩められ、水際作戦も変容しようとしているようだが、今までの作戦の検証は正しくされているのだろうか。
そして何よりも、ああこんなことがあったねと昔話にできる日が早く来ることを願っている。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 飛行機
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
日本への渡航にあたってまず必要なのは、搭乗前72時間以内のPCR-RT検査による陰性証明書。
このことは6月に一時帰国の際にも経験済みだが、その証明書の不備が理由で搭乗できない、あるいは入国できないケースが依然として相次いでいるという。
日本政府(厚労省)の書式で作成されていても記載ミスで受け入れられない事例もあったと聞くと、まずはここをきちんと押さえておかないと飛行機にも乗れないことになってしまう。
ということで、前回は万全を期してアメリカンホスピタルで検査および証明書を取得して無事入国となった。
同病院には日本人のM医師がいて、問診・検査・証明書作成、とワンアクションで済ますことができるし、日本入国用の証明書を数多く作成している実績があるので何の不安もない。もしかしたらアメリカンホスピタルの署名を見ただけでさっと通してくれるのかもしれないと思えるほどだ。
今回も同様にと思い、アメリカンホスピタルに予約を試みたのだが、どうも話が噛み合わない。
8月にM医師が退職し、9月からシステムが変わったことを後になって知ったのだが、こちらは前回6月の経験をもとに問い合わせ、病院側は9月からの方法を説明していたのだから噛み合わない訳である。
しかもなぜか手順案内が2回来て、説明内容が微妙に違っている。
どちらが正しいのか再度問い合わせたのだが、結局、回答は得られなかった。面倒臭い奴だと思われたのだろうか。
はっきりしたのは、従来のように直接医師の問診と検査が一回で済ませることができなくなったということ。
初めに検査センターで受検して、その陰性結果を持って医師との面談予約に進むということになったということで、ワンアクションの魅力はなくなってしまった。
このため証明書を作成できる検査機関をあらためて探すことになった。 -
パリ市内にはPCR-PT検査に対応するラボが多数展開していて、遠くへ行かずとも近隣には必ずあるのだが、問題は証明書の作成だ。
記入漏れや、誤記などのない完璧な書類をもらわないと、形式至上主義の日本の役所は受け入れてくれない。
ということで、選んだのはオペラ通り近くの日本人飲食店街にある検査ラボ。
ここは、多くの日本人が利用していて、日本政府指定の証明書の作成実績があることが分かった。
12月14日、日本食材店「京子」の先にあるリシュリュー通りのラボへ向かった。
Webサイトの案内では7:15~14:00の受付で、事前予約不可不要となっている。
ずいぶんと朝早くから開いているものだと驚いたが、それなりの理由があるのだろう。
さて、ラボに着くと待合室には数人居るだけで、がらんとしている。
いやいや空いていてよかったと喜んだのも束の間、受付嬢は何やら大きなバインダーを示しながら本日はすでにいっぱいで受付できないというではないか。
えーどういうこと?
だって予約不能、予約不可となっているでしょう?
どうやら実際は事前に予約を入れているらしい。
近くのラボを紹介します、というのでやむを得ず紹介書をもらった。
近くといっても歩いて15分ほどはかかるポン・ヌフ通りだ。 -
行ってみたらポン・ヌフ通りのラボの前には30人以上が列を作っていた。
なんだこれだったら住まい近くのモンパルナスか、ヴォジラールあたりに行った方が正解だったか、と思ったが、考えてみるとどこのラボも多かれ少なかれ常に行列している光景を目にしている。
屋外の列だけでなく、ラボ内部にも順番待ちの人が結構いるようで、いったい何人待ちなのか見当がつかない。
振り返ると、後方に次々と人が続いて列は伸びる一方だ。
おそらくクリスマスバカンス前であることと、12月15日から従来のパスサニテール(健康パス)が無効になる年齢層があることが大きな原因だったのだろう。
どうやら一番悪い時期に、遭遇してしまったようだ。
順番待ちは2時間以上にもなって、ようやく検査となった。
結果はEメールで通知されるという。
肝心の証明書だが、日本政府所定の用紙に予め自分で氏名、生年月日、パスポート番号等を書き入れておいたものを受付に渡してOKとなった。
その日の夕刻にはメールで陰性の結果通知があり、詳細な検査資料とEU域内で通用するデジタル証明書が添付されていた。検査方式も証明もきっちりしているのだが、それでも日本政府指定の書式ではないので、やはり紙書類を取りに行かなければならない。
翌日、預けておいた証明書をもらうためにラボを再訪。
相変わらずの長い順番待ち行列ができていたが、証明書を取りに来たことを告げると、待つことなくすぐに入室できた。
できたのだが、肝心の書類の所在が不明となっていた。
やはりフランスだ。あるいはこういうこともあろうかと思い、念のため昨日預けたのと同じ書類をもう一組用意してきた。
証明書は間もなく医師の署名を得て戻ってきたが、丹念にみていくと記入漏れがあった。
「書き方見本」と比較して漏れを指摘すると、責任者らしき女性から反論があった。すなわち、メールで送った検査資料には明記されているのだから、それで十分ではないかというものだ。足りないところは資料を見ればよい、それにQRコードを読み取れば全て分かるはずだとの意見である。
はいはい、たしかにごもっともではございますが、ニッポンという国は独自の方式を持っていて、それに沿っていないと通してもらえないし、そもそも飛行機に乗れないのだ、とお願いする他なかった。
理解できないとでもいうように、マダムは首を振りふり再び書類を医師の元に運び、補筆した内容で返してくれた。
たしかにラボ側の言い分も分からぬではない。
こうしたアナログな形式書類にこだわっているのは、どうやら日本だけらしいのだ。もちろん書類を必要とする国は他にもあるだろうが、一字一句とも誤りは通さないという杓子定規な姿勢はやはり日本特有だ。
費用は44ユーロの検査料だけで、文書作成料などを別途要求されることもなかった。アメリカンホスピタルでは135ユーロだったので三分の一以下で済んだ。
日本の医療機関のように「文書料」名目で金を取ろうとすることはない。 -
リシュリュー通りからポンヌフのラボへ向かう途中で通過したレアールの飾りつけ。
大きなツリーが据えられていた。
この時は、鑑賞している時間も気持ちの余裕もなかったが、写真にだけは一枚収めておいた。 -
何はともあれ、手間のかかる通行手形を入手して、12月16日予定通り日本へ向けて出立。
飛行機の搭乗が許されるのかどうか、まずは第1関門の JALカウンターへ。
CDGのJALカウンターでは、6月の利用時にはなかったほど証明書を細かく点検していった。まるで厚労省の出先機関のようだが、航空会社としても、搭乗客が入国できなかった場合には、出発地に戻さなければならない事態もあるだろうから、慎重にならざるを得ないのだろう。
中に一箇所数字が読み取りにくい部分があった。どうやら検査日の数字が分かりにくかったようだ。フランス人によくあるクセ字である。
それでも検査資料を持ち出すまでもなく、説明だけでOKとなった。
これでようやくニッポンへの渡航はできることになりホッとした。
万一、搭乗できなかった場合のことも一応考えてはおいた。
CDG空港であらためてPCR検査を受け、72時間以内の便に変更するという、いわば究極の手段だ。
出国手続きを終え、搭乗開始までラウンジで休んでいると、JALのアプリから搭乗開始の通知があった。予定よりもまだ時間があると思ってのんびりしていたため、慌てて搭乗口へ急いだが実際にはまだ搭乗開始はしていなかった。 -
搭乗口はK43。
どのくらいの利用者がいるのか、辺りを見回すと40人くらいだろうか。
以前のように搭乗口付近に固まっているという風景はすっかりなくなり、距離を置いてパラパラと居るのでどこまでが搭乗予定者なのか分かりにくい。 -
結局、今回は優先搭乗 、降機となったため全体数は把握出来ないままであった。
乗客の少ない今は、空いている座席を使って横になれるエコノミークラスで十分なのだが、今回は3年半ぶりに帰国するパートナーが一緒で、耐性の乏しい身体のため座席位置もあれこれ考えながらビジネスクラスとした。
おそらくビジネスクラスで6名程度の乗客ではなかったか。
周囲を見回しても誰もいないし、無人の席のモニター画面だけがずらりと映っている光景はなんとも空虚感が漂う。 -
羽田までのフライトは、フラットな座席で身体を休めることはできたが、食事はまるでひどいものだった。
洋食和食どちらも有名シェフあるいは有名店の名がつけられているのだが、はっきり言って美味しくない。
デザートも何やら独創的なものらしいのだが、あらゆるスイーツ好きな自分も匙を投げるほどの代物で、これには呆れてしまった。
何でわざわざこんな珍奇なものを作るのだろうか?パリのスーパーに並んでいるカップ入りデザートの方がはるかに旨いと思ってしまう。
機内食に期待すること自体間違っているとは思っているが、名のある料理人がこんな機内食を手掛けるのは名折れではないのかとさえ思うのだが、やはり宣伝効果を見込んでのことか。
食いたければオレの店に来ればよい、くらいの気概の料理人はいないのだろうか?
余計なお世話だ!と言われそうなことをつい考えてしまう。 -
機内でみた日本のニュース。
オミクロン感染者が128人との報道だ。これから急拡大するだろうとの予測が報じられていたが、実際その通りになってしまった。
オミクロン9万人発生の英国との往来を制限したフランスでは、デルタ5万人に対しオミクロンは数百人だったがこのあと急増して驚くべき数字となった。 -
羽田に着くと、まだ検疫等の態勢準備が整っていないとのことで、しばらくは機内待機となった。
ようやく許されて飛行機を降りた後は定められた順路に従って進むほかないのだが、幾つものチェックポイントがあって同じことを何度も何度も確認される。
発熱や体調の異常はないか、必要な書類は保持しているか、指定したアプリは入れているか、それらが正常に動作するか、パスポート番号、搭乗機便名、日本での滞在先、連絡先電話番号、メールアドレス...
まるで無限ループような世界を進んでいるようだ。
これには本当に呆れて、腹立たしくもなったが、最後には疲れ果てて従順な入国希望者となった。
何よりもマニュアルに忠実であることの几帳面さと真面目さ、異国から侵入するウイルスを水際で防いで日本国民を守ろうとする使命感がここにはあるのだ。
ただ、面白いことに接するスタッフの多くが中国人らしいことだ。
ここは中国の空港か?と皮肉も言いたくなるほど中国人スタッフを揃えているが、これは語学力の必要性からなのだろうか。 -
しかし、問題は同じ便の乗客だけが固まって定められたコースを進んでいる訳ではないことだ。
ステップを踏んでいくうちに次第に他の便、すなわち他の国や地域からの入国者と混在となり、感染の低い国から来た者も、高い国から来た者も皆一緒くたになっている。
この時点ではフランスからの入国は指定場所待機3日間であったが、周囲には6日間や10日間待機を指定された国からの渡航者も混ざっている。
換気のほとんどされていない通路で数百人が距離も取らずに列を成して待っている状態をみていると、待機期間分けの意味がどこにあるのかと言いたくなる。
到着便が重なったのだろうか、対応が追い付いていないようで大渋滞が発生し、まさに密状態の典型なのだが、こうした事態は作戦想定外なのか放置されているままである。
対応スタッフの誰もがマニュアルに従って動いているだけで、臨機応変に交通整理にかかることもない。オミクロンがいたらここで感染間違いなしである。 -
さてさて、到着した羽田での検査も陰性結果となり、一連の水際チェックコースは最終段階に入った。
検査結果が伝えられるまで何時間待っただろうか。
今になって考えると、検査結果は早くに出ていても意図的に分別していたのではと考えられる。すなわち、待機場所別にグループ分けする必要があって、検査結果の出た一定数をプールしておいてから待機場所別に結果を伝えるやり方である。
結果を得た人は用意された席に順次座らされ、座ったひとたちは一括りのグループとなって次に進むことになる。
数字が大きく記されたゼッケンを着けた中国人らしきマドモアゼルが、にわか仕立てのグループを引率し移動を開始。
この先は、通常の入国手続きとなり、入国審査、預け荷物のピックアップをして再びグループ行動となった。
入国審査で自分のパスポートにアラームが出て、管理官が飛んできたが、日本出国歴のあるパスポートを更新していて、在外公館発行の新たなものであったためだろう。
荷物をピックアップして、自分のグループの目印となるゼッケンを着けたマドモアゼルを探すも見当たらない。ここまで共に移動してきたグループの一員を見つけ、他の面々とも再び合流できたが、どうやら件のマドモアゼルは交代した模様。
自分のゼッケンを指さして、この番号を忘れないで下さい、グループの目印ですから、と何度も言っていたのだが、肝心の目印が知らぬ間に替わってしまうとは面食らうばかりだ。
建物外に出たところでグループはバス会社のスタッフに引き継がれた。
グループは小分けにされ、一定数づつバスに案内されるのだが、理由もわからぬままここでも足止めとなった。着陸後すでに6時間半以上は経過していて、座るところもないので壁に寄り掛かって休むほかない有様。
そのあとようやくバスに誘導され乗り込んだ車内には何のことはない先ほどまで一緒だったグループの面々が疲れ果てた面持ちで座っていた。
そしてさらに次の人たちが乗り込むまで待つことになり、30分後にようやくバスは動き出した。
どこへ向かうのか、説明はないままで、心の中では前回利用した空港前の真新しいホテルをと念じていたが、あっけなく素通りしてバスは首都高に入ってしまった。
どこからか川崎のホテルという声が聞こえてきた。
川崎にそんな受け入れホテルがあっただろうか?訝しんでいたらどうやら都心に向かっている様子。
途中に見えた東京タワーの鮮やかさが印象的だった。
エッフェル塔とは、また別の趣があってなかなか良いではないかと見直してしまった。
汐留で首都高を降りると間もなくバスは停止した。
どうやら大きな建物なのだが、周囲が暗くてよく分からない。
前回もそうであったが、待機先ホテルに入る際には正面からではなく通用口からである。何か後ろめたいことがあるような感じで、こうした扱われ方は愉快ではない。 -
指定待機先ホテルでは、一人あるいは一組づつ係員との面談があり、滞在中の注意説明がなされ、部屋割りとなった。
単身の女性が担当者に、自分は閉所恐怖症であると言っているのが聞こえてきた。そういえばパリにいたときに閉所恐怖症といえば、大きな部屋を割り当ててくれると耳にした事があり、もしかしたらと可笑しくなった。
まあ自分達は二人なので当然ツイン部屋だろうと他人事のように聞き流したのだが、案内された部屋に入って愕然とした。
たしかにツイン部屋ではあったのだが、スーツケースも十分に広げられず、これではシングルルームにベッドを二つ入れただけという感じだ。おまけに備えてあるテーブルは脚元がグラグラして安定しない有様。
これはハズレを引いてしまったな
一泊だけなら我慢もできるが、ここで三日間の缶詰状態は辛い。
早速、ホテルに部屋の変更を申し入れたのだが、なかなか回答が来ない。
荷解きもできないままの状態でいつまでも待てないため督促したところ、間もなくして電話が入ったが、ホテル側ではなく厚労省からであった。
それによると、現状はホテルに空きがないので直ちに応じることはできないが、明日以降には可能性はあるとのこと。
可能性という曖昧な表現では困るので、具体的な予定を示すように重ねて求めたところ、明日には変更するとの約束が得られた。 -
12月18日、到着翌日の朝。
起きてカーテンを開けると窓の下に新幹線、JRの線路が見えた。
6:30アナウンス。 本日、検査を受ける人は検査キットを配るので朝食前に検体の採取をせよとのこと。
朝食はサンドイッチ、ヨーグルト、オレンジジュースだった。 -
8時にホテル側より部屋の変更可能との連絡があり、移動の支度をしてドアを開けると係員が2名待機していてくれた。
案内されて移った階上の部屋はこれまでの倍はあろうかと思われる広さで、眺望の良さにも驚いた。
目の前が浜離宮という素晴らしい景観ではないか。 -
夜景もこんな感じで、都内のホテルに宿泊する機会などめったにない身としては、久々に旅を味わうような心持にさえなった。
-
ところが、部屋を移動して間もなく頭を一撃されるような知らせが届いた。
同じ機内で陽性者が出たため、「濃厚接触者」とみなされる場合には追って連絡するとの厚労省からのメールだ。
「追っての連絡」はすぐに電話で来た。
同じ機内なので、「濃厚接触者」に該当する、3日間の指定待機後は滞在先を管轄する保健所がフォローすることになり、ウイルス検査も3回あるとのこと。 -
指定アプリのMySOSからも、「あなたは濃厚接触者です」との知らせが届いた。
毎日、複数回の電話連絡があるのでこれに応じること、アプリによる報告義務を怠ると入国時に提出した誓約書にしたがって罰則云々との警告もあった。 -
指定待機先ホテルでの食事。
朝以外は昼、松花堂弁当。夜、松花堂弁当とほとんど同じパターン。
こうしたお弁当もはじめのうちは良いが次第に飽きてきて開けるのも嫌になる。
それに冷え切っていて温める手段がない。
前回の経験を生かして、今回は食料をあれこれ用意してきたのだが、温かいものが欲しくとも汁物しか作りようがない。
その内、いつの間にかお土産にするはすの品にまで手を出していた。 -
待機3日目の夕刻、この日の検査結果も陰性であったため退所となった。
乗り慣れぬレンタカー車の運転となるので、もう一泊して翌朝の出発にしたいのだが今回は3日目できっかり退所だ。
前回は3日目の夕刻と4日目の朝の選択があったのだが、それだけ入所施設の確保が逼迫しているということなのだろう。
退所するバスの中からはじめてホテルの全景をみた。 -
横浜の住まいに帰宅した翌朝、管轄の保健所から経過チェックのための打ち合わせ連絡があった。厚労省の説明では3回のウイルス検査であったが2回でよいことになっていた。
さらに3日後には神奈川県コロナ対策室から電話があった。
こちらは日用品や配食のサービスを行うので、希望するかどうかの確認であった。
つまりは、「濃厚接触者」は買い物等に外出しないようにとの配慮からの行政サービスである。
当座の食料等は用意があるが、残りの待機期間を考えると少々心許なくなるので、ありがたくお願いをすることにした。
それから2日後に数個のダンボール箱が届いた。
中を開けるとレオルト食品や冷凍食品、パック入りお茶、トイレットペーパーまであった。さながら災害救援物資である。
実はこうした緊急物資とは別に「配食サービス」があるものと思い、その日の夕食をずっと待ったのだがいくら待っても届かない。
何かの手違いかと思い、コロナ対策室に電話をしたところ誰も出ない。
どうやら土日は通常業務と同じように休みらしい。
週明けに対策室に問い合わせをしたところ、担当者もそれはおかしい、調べてみますと言って電話を切った。
ところが間もなくして責任者らしき人物から電話があり、これまでの担当者の説明を修正してレトルトや冷凍食品がすなわち「配食サービス」にあたるのだという。
担当の人も、恐らくどこかの部署から急遽かき集められ対策室の一員に仕立て上げた感じだったので業務知識もまだ備わっていなかったのだろう。怒るよりも気の毒な気持になった。
自宅待機中は、毎日不定期に入ってくる「MySOS」に悩まされた。
庭に出て草木の手入れをしていたり、軽い大工作業をしていたりして呼び出し音に気づかずにいると、そのあとが大変である。
こちらから積極的にアプリの「今ここ」ボタンを押しても受け付けてもらえない。
あくまでも厚労省側からの照会に応えるという形を取らないといけないのだ。
これが一日に何度となくあって、1時間前に回答したはずが又かかってくる
グーグルの位置情報も機能しているはずなのに、そんなに心配なら足首にタグでもつければよいのに、と言いたくなるほどだ。
正直なところ、毎日ウンザリしたが、これもやはり「濃厚接触者」である所以だろう。
しかも、この「濃厚接触者」の定義は後変更され、「同じ機内にいた全員」から、前後左右2座席の位置に居た者というように変わってきた。
渡航時期が少し後であったら、「濃厚接触者」にはならなかった訳であるが、定義づけだけで変化する幅は少なくない。 -
14日間の待機明けはちょうど元旦で、この呪われたアプリから解放されることが何よりも嬉しくて、心からの明けましておめでとうとなった。
松の内が過ぎると、山積していた外部との接触を開始し、フル回転の日々となった。フランスへの戻りは1月23日に決めていた。
残り日数で、やるべきことを片付けていかなければならない。一か月余という滞在期間も往復の渡航に3日間、待機期間14日間なので実質はずっと少ない。
電車を利用して移動することも度々あったが、誰もがマスクをしているのに席は空けることなくびっしりと座る光景には少し驚いた。
もちろんパリでも車内で隣同士に座ることはあるが、意識して空席を作っていることが多く、こんなには詰め合わない。
1月23日の渡航日が近づくにつれ、フランスから伝わってくるニュースはオミクロン感染者の急増で、感染者は50万人に達するような事態になっていた。
これでは周囲の誰もが感染者という言い方でもおかしくない。
それでも、やがてピークを迎えれば下降線となるだろう。
それがいつになるかは定かではないけれど、大事をとって1ヶ月間滞在を延長することにした。 -
フランスへの渡航は2月20に決め準備に入った。
日本入国にあたって陰性証明が求められると同様にフランスへの渡航も陰性証明が必要だ。但し日本と異なり、フランスは政府指定の定まったフォームがある訳ではなく、英文か仏文の証明であれば足りる。
今回もJAL推奨の銀座の医療機関で検査を受け、翌日に渋谷で証明書を受け取った。JALの割引があって多少安くなるが、それでも16400円という料金である。
調べるともっと高い料金のところばかりで、日本の医療機関の悪弊である「文書料」を高く設定していることが分かる。
証明書もデータを添付してデジタル証明でできるようにすればよいものをなぜやらないのだろうか。「文書料」のうまみがなくなるからからだろうか。
耳にしたところによれば、日本国内では西日本の方が便宜が良いのかも知れない。
地元の医療機関に行って検査を受け、証明書は成田や羽田の出発空港で受け取る仕組みもあるようだ。
PCR検査は72時間前、抗原検査は48時間前であることを大使館で改めて確認したのだが、PCRも48時間以内という情報もあり、念のため48時間以内のPCRを受けることにした。 -
2月20日、2ヶ月余の日本滞在を終えてフランスへの旅立ちとなった。
折りしもロシアがウクライナに侵攻しようとする気配が報じられ、向かうヨーロッパの情勢がどうなるのかコロナに次いで今度は戦争かも、と暗い気持ちになる。
JALカウンターで陰性証明書を取り出して見せようとしたら、後で良いということで引っ込めたが、結局、その後もチェックされることなく搭乗となった。
到着したシャルルドゴール空港でもノーチェック。体温も体調チェックもなし。相変わらずといえばそれまでだが、時間と金をかけて取得してきた証明書に誰も目もくれないのも寂しいものだ。
ねえねえちょっと証明書を見てよ、と係官の袖を引きたくなるような気持ちにすらなってくる。 -
フランスからの機内食をけなしてしまったが、羽田からはのものはまずまずと言ったところだろうか。往路ではとても付き合いきれず放り出したデザートだったが、今回のものはよかった。
ただ、和食の温物、冷もののなかで解凍しきれていない状態の品があった事が残念。それと、夕食に注文しようとしたメニューはどれもこれも品切れで、こうした事態も意外だった。乗客が少ないので搭載する数も絞っているのだろうか。
残された数少ないメニューの中で選んだ鮭といくら丼のようなセットがあり、これが一番旨かった。
それにしても飛行機内という限定された状況の中で、なぜわざわざテーブルセットのようなことをしてコースメニューの真似事をしたがるのだろうか。
そんなに有名シェフの食事にありつきたければ、直接店へ行けば良い。
機内で提供するものは駅弁のようなもので良いのではないか、ビジネスだと鰻丼ですよ位で十分ではないか、とかねがね思っているのだが、どうもこうした意見は受けないようだ。 -
ロシア上空を飛ぶ機内から雲海を眺めながら思うのは切迫したウクライナの情勢だ。
ロシアがウクライナに侵攻すれば、まるでナチスの再来のようなやり方だ。
欧州はどう出るだろうか。
仏のマクロン大統領はプーチンと会談を重ねているが、これといった成果は出ていない。
ロシアと欧州の対立如何ではロシア上空を利用することも危うくなるのかも知れない。
プラスチック製品の使用を非難されるのと同様に飛行機の利用自体が地球環境から好ましくないとされる時代になろうとしている今、もしかしたら大きな転換点となるのだろうか
あれやこれやと、とりとめのない思いに捉われるばかりで、答えはなにひとつ出てこない。
(この数日後にロシアはウクライナへの全面侵攻を開始し、ロシア上空を通過する航空機の運航は中止や迂回となった。) -
シャルルドゴール空港からモンパルナスの住まいに向かう途中の車中から見ると道行く人のマスク姿はほとんどなかった。
やはり屋外のマスク義務がなくなったと同時に外したとみられる。
2か月の空白は意外と長く、いろいろな変化が待っていた。
エッフェル塔も色直しが終わり、だいぶ軽やかな色合いになっていた。
街中では、すでに咲き始めた桜もあり、もう春なのだと実感する。
帰宅早々に給湯機が壊れていて数日間お湯が出なかったり、ドアノブが外れてロックがかかり狭い空間に閉じ込められる災難にも遭ってしまった。それでも、未明から聞こえてくるクロウタドリの美しいさえずりが聞こえると、何よりも幸福な気持になってくる。
この美声を聞くために日本からやって来ても良いくらいだとまで思ってしまう。
ウクライナでは砲声や爆撃で、もう鳥のさえずりなどどこにもないだろう。
フランスはウクライナ滞在のフランス人の速やかな出国を開始している。
近隣の国々の動きも慌ただしい。
フィンランドは再びロシアの脅威に向き合わされ、スウェーデンはウクライナに武器の提供を始めた。
この先どうなるのか、コロナが収束しないうちに未来は大きくて深刻な問題に立ち塞がれた格好になってしまった。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- TKさん 2024/01/09 11:39:31
- 今から思うと、国家的な壮大なジョークのコロナ対策
- ばねおさん
こんにちは!
つい2年前は、こんなに厳しい、コロナ入国規制だったのか、改めて思い出されました。日本に着いて、6時間も待たされて、ものすごく非効率的なコロナ対策に引き回されての入国。本当にお疲れさまでした。さらに、14日間も隔離されていたのですね。しかも、日本の機能的ではあるがかなりコンパクトなホテルに缶詰め。これらのホテルは、ほとんどが1泊の宿泊客を対象に設計されています。辛かったでしょうね。
私は、コロナ対策がほんのすこ~し緩和された、2022年の5月にマルタ島・タオルミーナ・スイスと周って帰国しました。帰りにスイスで、PCR検査証明書をGETました。ばねおさんのご指摘の通り、デジタルの陰性証明をもらっているのに、日本の厚生省の紙のフォーマットに、現地ドクターにサイン入りで手書きで記入してもらうという二重手間。その上、成田に着いてさらにまたPCR検査をして2時間待ち。これも立派な2時手間。スイスでのPCR検査は何のため?
今から見ると、懐かしい思い出というより、国を挙げての国家的な壮大なジョークを体験したように気持ちです。
また、ばねおさんの、パリへ渡航した明治時代の若き留学生のお墓や物語の旅行記も大変印象的でした。興味深かったです。ありがとうございます。
今年もどうぞ、よろしくお願いします。
TK
- ばねおさん からの返信 2024/01/10 05:06:30
- RE: 今から思うと、国家的な壮大なジョークのコロナ対策
- TKさん こんにちは
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
つい2年前のことなのに、もっと昔の出来事のように感じられるのは、世の中に重大事があまりにも多く起きるためでしょうか。
「昔ばなし」となったのは良いのですが、やはりあの時の日本政府の水際対策というものには随分と問題点がありましたね。
特に陰性証明書は厚労省の所定の用紙に日本語または英語で記入してもらわなければならず、せめて国連公用語であれば可とすべきではないか、と指摘したことがあります。だからという訳でありませんが、その後、言語については適用が拡大されたものの、最後まで紙ベースの証明書に固執し続けたのには呆れました。
TKさんもスイスで欧州共通のデジタル証明書を得た上に、さらに紙の証明書に記入してもらわなければならないという馬鹿馬鹿しさをご経験なさっているので、やはり思いは同じですね。
私はコロナ管制下で2回の日本入国を経験しましたが、共通して感じたのは硬直化した対策と役所の一律主義でした。入国後の対応もかなりチグハグな内容が多く、初めてのことだからといえばそうなのですが、それだけに問題点を抽出して適宜改善していけばよいものを、フィードバックする仕組みもありません。
改めて考えると、あの時の経験というものは将来において役立つことがあるかも知れないのに、入国対策をされた側の意見を収集したという話も聞きません。「国家的な壮大なジョーク」のままで終結とは悲しいですね。
> また、ばねおさんの、パリへ渡航した明治時代の若き留学生のお墓や物語の旅行記も大変印象的でした。興味深かったです。ありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。
少々、言葉不足の内容であると感じていますが、お読み取りいただき幸いです。
本年も実り多い旅になりますように
ばねお
-
- 栗マリさん 2022/09/16 00:50:22
- 本当にお疲れ様でした!
- はなおさん、濃厚接触者ので自己隔離期間含め、日本への往復お疲れ様でした。全く同感です!旅行記の最初に書かれていた、まさに「いつか笑い話に」なると良いですが、やっとワクチン接種証明が考慮され、また事前のPCR検査証明が不要になり、ほっとしている次第です。コロナ禍、事情があって年に3回ドイツから里帰りをしています。春にはウクライナ戦争が始まったばかりで出発一日前にルートが変わり、それ以来毎回航空会社からは必ずイレギュラー表示があり、フライト変更を余儀なくされて、全く先の読めない状態で往復しております。一時は20人以下で飛んでいた飛行機も夏には「満席の15時間飛行」でとても疲れました(私、エコノミーなので)。私もご指摘の政府のやり方には腹を立てていて皆さんに海外帰国組の実情を知ってほしいと思って旅行記にしました。コロナもロシア関係も早く終熄するといいですね
- ばねおさん からの返信 2022/09/16 06:47:08
- RE: 本当にお疲れ様でした!
- 栗マリさん こんにちは
ドイツから今年2月に一時帰国しているのですね、その後、3月3日からはドイツからもフランスからも帰国時の3日間隔離がなくなったので、1ヶ月の差で随分と状況が変化しました。
私はコロナの規制が始まってから3回の一時帰国があり、うち2回が指定宿泊先での隔離収容となりました。いずれも3日間でしたが、いろいろな方の経験談を聞いて比較すると宿泊先による違いがかなりあります。部屋のスペース、食事、眺望など監禁生活ではどれも重要ですがAPAだけは行きたくないと思っています。
指定アプリの中でも煩わしくて馬鹿馬鹿しくもある MY SOSは、顔認証がかなりいい加減でTV画面でも飼い犬でもOKになります。
今は航空機内が満席に近い状態になることもあるとのことで、運行時間も長くなり人数も急増した中で従来のような隔離政策は実際上も不可能でしょう。コロナの水際対策は、世界に通じぬニッポンの独自性を認識する良い反省材料だと思いますが、政府も役所も有効性の検証すらしないでしょうね。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ばねおさんの関連旅行記
パリ(フランス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
27