2021/10/24 - 2021/10/24
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bunbunさん
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天気がよかったので、地下鉄南北線で中島公園に紅葉を見に行ってきました。この公園は、日本の都市公園100選、日本の歴史公園100選に選定されており、面積は236 m^2です。総合公園として、内部に菖蒲池、花壇、香りの広場、芝生の広場、雑木林、日本庭園に加え、外部から移設した豊平館、八窓庵等の国指定重要文化財、多数の彫刻、天文台、コンサートホール等の科学・文化施設を有します。本旅行記では紅葉を中心にこれら内部のいくつかについてご報告します。
付録に、中島公園の歴史について記載しましたので、お時間とご興味のある方はご覧ください。
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地下鉄南北線札幌駅から約5分で中島公園駅に着きました。
1番出口(下の地図参照)から地上に出た所にあった中島公園の案内板(左が北)です。
現在地は左端に赤字で「現在位置」と書かれた場所です。
この後菖蒲池(左側のライトブルー)の畔を池に沿って時計回りに八窓庵まで行き、池から少し離れた場所を反時計回りに豊平館、天文台、中央広場と回って現在地まで戻って来ます。 -
周辺との位置関係、スケールが分かるよう、帰りに中島公園駅で撮った地図もここで示します。
この地図は右がほぼ北で、札幌駅は左側になります。
左上の緑の部分が中島公園、中央の赤く塗られた部分が中島公園駅で、黄色の枠に黒字で書かれた数字は出口の番号です。 -
黄葉のイチョウ並木を通って、菖蒲池北東側の畔に来ました。
西方。紅葉の見ごろだね。
右の背の高い建物はプレミアホテル 中島公園 札幌です。 -
紅葉、ズームイン。
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菖蒲池の周りを巡る遊歩道。
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湖畔を少し南西に進んで見た北北西方向。
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北北東方向
右側の大きな建物は札幌パークホテルです。 -
湖畔を少し南西に進んで見た北方。
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菖蒲池南側の「香りの広場西花壇」
香りの広場はかつて、後述する百花園のあった場所で、春から秋にかけて様々な花が咲き乱れます。
左の赤はダリア、中央手前から右にかけてのピンクはシュウメイギク、中央奥の白はクジャクアスタアー、右上の薄紫はシオンです。
以下に接写版を示します。 -
クジャクアスタアー
キク科
シオン属 -
ダリア
キク科
ダリア属 -
シュウメイギク
キンポウゲ科
イチリンソウ族 -
シオン
キク科
シオン属 -
ダリア
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香りの広場西花壇
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菖蒲池南側から見た北方の黄葉
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菖蒲池南西の畔から見た北東方向
右端のベージュの建物はホテルライフォート札幌です。 -
少し北に進んだところにあった「菖蒲池」の看板
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少し北に移動して見た、菖蒲池に浮かぶ島の紅葉
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見上げると真っ赤に紅葉したモミジです。
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モミジ、ズームイン。
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日本庭園入口手前まできました。
兼六園式雪吊です。
左下に少し見えるのが入口の南門です。 -
南門脇にあった日本庭園案内図。
現在地は中央やや右の赤い長方形に矢印の位置です。
この後中に入って、八窓庵、池、石庭と回ります。 -
南門をくぐりました。
北に進みます。 -
紅葉したモミジの向こうに八窓庵(左)と池(右)が見えてきました。
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紅葉したモミジと池
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八窓庵の方向に進んで、紅葉したモミジと池。
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八窓庵
周りの地面に縄で十字に結わえた石がありますが、関守石(せきもりいし)です。
以下で説明します。 -
八窓庵の説明板
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関守石とその説明板
説明板の1行目の右側が見えなくなっていますが、この部分には
「・・・据えられる石で、シュロ縄や・・・」
と書かれています。 -
方向を変えて見た八窓庵
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裏側から見た八窓庵
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八窓庵脇の紅葉したモミジ
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八窓庵脇のイチイ(イチイ科、イチイ属、https://4travel.jp/travelogue/11728726 の最後から3番目の写真参照)とモミジ
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イチイの赤い実、ズームイン。
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八窓庵脇の紅葉
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八窓庵から少し東に進んだ場所の紅葉
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池の南東側へと回ってきました。
西北西方向 -
少し西に進んで池の南側から見た北北西方向。
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少し西に進んで池の南西側から見た北北西方向。
池の向こうに八窓庵が見えます。 -
北西方向
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東北東方向
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北東方向、ズームイン。
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西に少し移動しました。
北東方向 -
東北東方向
右下に池に飛び出した白い洲浜が見えます。 -
池から離れて南に少し移動しました。
左は紅葉したサクラです。 -
石庭
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石庭
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日本庭園を出て豊平館に向かいまず。
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斜めから撮影した豊平館全景
この建物は白い壁をライトブルーで縁取った独特配色で、異国情緒あふれる爽やかな美しさを醸し出しています。
ライトブルーは、宝石のラピスラズリの主成分であるウルトラマリンの色:ウルトラマリン・ブルーで、フェルメールが鮮やかな青を出すために使ってフェルメール・ブルーとしても知られていますが、この建物ではこの色を模したペンキが使われています。
豊平館は我が国初の様造ホテルとして、1880年元大通条西1丁目に完成し、明治、大正、昭和と3代にわたり天皇家が訪れた由緒ある建物です。この間も含めて様々な経緯がありましたが、その後、同所にテレビ塔が建設されることになり、1958年に中島公園に移築されました。明治政府が建てた唯一のホテルであると共に、開拓使建築の貴重な遺構であり、1964年には国の重要文化財に指定されています。現在は、昼は一般公開を行い、夜間は貸室として結婚式や演奏会・会議など様々用途に利用されています。
内部は以前に見学しましたので、時間があったら後日ご報告することとし、今回は入りません。 -
正面から撮影した豊平館
横に広く、後ろは池ですので、全体は入りません。 -
ということで、池をまたいで豊平館。
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少し正面方向に近づいて豊平館。
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南に移動して札幌市天文台です。
望遠鏡の先が少し見えますね。
札幌コンサートホールKiraraから豊平館、日本庭園の一帯は、明治時代に岡田花壇があり、園亭を構えて園遊会場の機能を持っていました。庭園の築山の名残が、現在天文台のある小山で、岡田山の名で親しまれています。 -
天文台の説明板
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天文台の公開時間
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10月の星空の説明板
明朝5時頃水星が見えるらしい。
こんな時間に起きられないな。
右の円はここから見える10月の星空です。
子供の頃、星座早見表を作って、月日時を合わせ、空に向けて星座を見つけてました。今はスマホの有・無料アプリがたくさんあります。 -
相響
安田侃作
1997年
作家は美唄出身で、国際的に活躍しています。
この彫刻はイタリアのピエトロラサンタから産出される白大理石から掘り出されたもので、1997年に、Kitaraの開設に合わせて設置されています。館内にあるものとセットになっていて、3つで1つの作品になっています。 -
南東に少し移動して見た北方。
鴨々川(創成側の上流、中島公園からすすきの付近までの約2.5 km)から菖蒲池に注ぐ小川です。 -
小川にそって北東に少し移動しました。
芝生が広がっています。 -
散策路を東に少し移動しました。
北側の紅葉した林。 -
散策路をさらに東に少し移動しました。
この付近から香りの広場西花壇あたりまでが、香りの広場になります。
北側にあった、
母と子の像
山内壮夫作
1961年
白コンクリート
1958年7月5日~8月31日に「北海道大博覧会」が開催されました(付録中島公園の歴史参照)。その後博覧会の収益でバラなどを集めた百花園、噴水のある中央広場が開設され、北海道出身の山内壮夫作の彫刻5体が順次設置されていきました。この像もそのうちの1つです。百花園や噴水は1995年に撤去されて現在はありませんが、この場所を現在「香りの広場」と呼んでいます。 -
少し北に移動しました。バラとその右後ろは、
笛を吹く少女
山内壮夫作
1959年
白コンクリート -
また少し北に移動しました。
林の中に東屋があります。 -
また少し北に移動しました。
紅葉の林。 -
また少し北に移動しました。
紅葉の林が続きます。 -
また少し北に移動して菖蒲池の近くまで来ました。
木下成太郎(きのしたしげたろう)像
朝倉文夫作
1941年
ブロンズ -
近寄って、木下成太郎像。
台座には漢文で木下成太郎の経歴が書かれています。
木下成太郎は、但馬国豊岡藩家老の子として生まれ、維新後の家族で来道して開拓にあたり、のちに衆議院議員として国政でも活躍しています。大東文化学院(現大東文化大学)や帝国美術学校(現武蔵野美術大学)を創設した教育者としても知られています。 -
菖蒲池北側の中島公園駅近くまで来ました。
森の歌
山内壮夫作
1959年
ブロンズ
女性、子どもなどの沢山の人々、それに羊、鳥、草、花などが円柱状に掘り込まれた北海道らしい群像彫像です。高さ6 m、直径2 mで中島公園では一番大きな像となっています。建立当初は白コンクリート製でしたが、公園再整備に合わせてブロンズ像に改鋳され、1997年に現在地に移設されました。
中島公園の紅葉見学はこれで終わりです。
付録
「中島公園の歴史
中島公園は、その名前の通り、豊平川の流れによって生まれた地形が、その由来になっています。鴨々川と本流に挟まれた地域を、明治の初めには鴨々中島と呼び、本流の対岸の中島(のちの中の島*))と区別されていました。当時は、上流から流送される木材を溜めておく貯木地があり、施工に当たった人物の名を取って、元右衛門堀**) と呼ぼれていました。
島判官***) の後を受けて、札幌の街づくりを推し進めた岩村判官は、北に偕楽園、南に中島、西に円山、東に苗穂の公園4*) 配置計画を持っていたといわれ、当初から公園予定地に模されていたようです。
1887(明治20)年に中島遊園地として整備され、古くから札幌の娯楽の中心となりました。この年、偕楽園の北にあった競馬場が移設されて、すぐに札幌競馬が開催されると共に、北海道博物陳列場も建設されています。それまで大通で行っていた物産共進会がだんだん手狭になり、常設展示を行う施設の要望が高まったことを受けて建設されたものですが、これが後の博覧会へと繋がっていくことになりました。
l889(明治22)年には、岡田花園という花を楽しめる料亭ができました。またこの頃、公園内には、大中亭や日吉亭、臨池亭など5つの料亭ができ、ちょっと高級な娯楽を楽しむ場になっていたようです。池には魚が放流され、貸しボートが始まったほか、花火大会が始まるなど、庶民の娯楽の場としても賑わいの空間になっていきます。
1905 (明治38)年日露戦争の勝利ののち、札幌区勢もますます伸長したことを受け、東京府技師の長岡安平に対して中島公園と円山公園の整備計画を依頼しました。当時の対象面積は61 haもありましたが、戦後縮小され、今では24 haとなっています。この設計を元に整備が行われ、l910(明治43)年にそれまでの中島遊園地から、中島公園へと改称されました。
1918(大正7年には、開道50年記念北海道博覧会が開かれ、農業館や野外音楽堂などのパビリオンが整備されています。観覧者総数はl42万人にも及び、道外からもたくさんの人々が集まっています。この開催に合わせて、それまでの馬鉄が電車化され、中島公園まで路線が延びたことから、ますます市民の利用の便がよくなりました。
1937(昭和12)年には、第5回冬季オリンピック(1940年)の開催が決足し、中島公園での競技場の建設が始まりましたが、日中戦争の影響により開催権を返上しています。
終戦を迎え、落着きを取り戻すとともに、1958(昭和33)年には北海道大博覧会が開催されました。この博覧会に合わせ、「子供の国」が整備され、その後の公園の顔になります,また、豊平館が移設され博覧会でお披露目されました。
中島公園では、大相撲札幌場所やプロレス、サーカス、コンサートなどの興行が中島スポーツセンターで行われ、中島球場における様々な野球大会、中島プール、百花園など、多くの市民でにぎわいましたが、札幌の街の拡大とともに、新しい施設が各地に整備されるにつれ、その役割を終えていきました。
公園内には、多くの彫像や碑がありますが、中でも佐藤忠良、本郷新と並が北海道の代表的形刻家である山内壮夫の作品が5つ設置されています。この彫像は、1959 (昭和34)年に、北海道大博覧会の成功を記念して製作されたもので、公園が再整備された今も大切に守られています。
公園の再整備では、北海道文学館やコンワートホールKitaraが整備されるなど、今では札幌の文化シーンに欠かせない場として定看しています。」
―現地で頂いたパンフレット「中島公園 三十三選」より―
この説明文の著作権は(公財)札幌市公園緑化教会 中島公園管理事務所にあります。本旅行記の著者は2022年1月11日、著作権者より使用許諾を得ております。
著者注
*) 現在の豊平区中の島
**) 現在の菖蒲池
***) 島義勇。1869年、明治政府より蝦夷開拓御用掛に任命された佐賀藩士。
4*) これらの公園は当時の札幌郊外に位置し、現在偕楽園は偕楽園緑地に、苗穂公園は苗穂グリーン公園となっています。
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