
2021/05/08 - 2021/05/22
9位(同エリア3531件中)
ねんきん老人さん
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長崎。 過去数回の訪問は、いずれも団体旅行か仲間の旅行で、定番の観光コースばかり。
今回は一人ですので、眷恋の聖福寺と永井隆記念館だけを目指しました、
でも・・・。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
【 道の駅「太良」 】
5月19日(水)。
この旅行12日目ですが、ずっと雨か曇り。
この朝もどんよりとした空を見上げながらトイレに向かいましたが、その途中、なんにもない所でつまづきました。 数年前に同じようなつまづき方をした仲間を大笑いした私ですが・・・。 -
【 ときめきフルーツバス停通り 】
佐賀県から長崎県に入ると、国道207号線沿いに次々と果物の形をしたバス停が現れてきました。
ナニコレ珍百景!と思って車を停め、ネットで調べてみると、1990年の長崎旅博覧会の際に作られたものだそうです。
県外からの観光客を喜ばせるために、地元民しか利用しないバス停に工夫を? いいですねー。
ちなみにこの道を「ときめきフルーツバス停通り」と名付けたそうですが、それはちょっと盛り過ぎかなとも思います。 -
【 諫早湾干拓資料館 】
諫早湾の干拓堤防を渡ってみようと思っていたのですが、なかなか見つからず、仕方なくナビを使いました。 旅行ではナビを使わないというのがポリシーなのですが、それらしい標識がどうにも見つからず、節を屈したのです。
ところがこれが間違いでした。 処番地にある建物のアプローチには鎖が張られ、閉まった門扉には「立入禁止」と大書された札が。
諦めきれず、開いていた別の門から徒歩で侵入してみると、建物には人の気配がなく、ガラスにも張り紙やポスターの類が一切なく、廃屋のようです。
でも、玄関には確かに「諫早湾干拓資料館」という看板が掛かっています。 その横にやや小さな字で「干拓堤防管理事務所」という古びた木札が掛かっているのが気になりますが、いずれにせよ無人です。
帰ってから調べてみると、同番地の別の場所に干拓資料館というのがあるようで、建物の形もまったく違います。
??? -
【 排水門 】
で、少し先へ進んでみると、水門があります。
多くのブログで、あのニュースで見た水門だと紹介されていますが、違うと思います。
これは北部排水門といい、堤防の反対側に南部排水門があります。 -
【 ギロチン? ではありません 】
1997年に鋼板が次々と水しぶきをあげながら落とされていった映像は、おそらく日本国民全員が見たのではないかと思われる衝撃的なものでした。
その様子からギロチンと呼ばれましたが、それは水門ではなく、あくまでも堤防工事の構造物です。 ですから今は堤防の下部に埋まっていて、見ることはできません。 -
【 説明板 】
排水門の近くに、こんな説明板が設置されています。
表面はすっかり劣化しており、かろうじて「どうして諫早干拓事業は必要なのでしょうか?」という文字だけが読み取れますが、あとはまったく読めません。
20数年を経て、既成事実の前に推進派も反対派も熱を失ってしまったのでしょうか? -
【 干拓堤防道路 】
ギロチンの上に築かれた堤防道路。 海上部だけで7kmあるそうです。
途中にある歩道橋から見ると、有明海側と諫早湾側で海水の色がはっきり違うのが見て取れます。
この大事業については私も個人的な意見は持っていますが、地元ではもう70年近くも紆余曲折を経ている大問題だそうですから、よそ者の私などが云々するような単純なことではないのでしょうね。
私があえてケチをつけるとすれば、この堤防道路が「雲仙太良シーライン」と名付けられていることです。
日本の道路だろう? なんでカタカナの名前をつけるんだよっ。 耳で聞いたら「ウンテンたらたらシーチキン」って聞こえるぜ。 -
【 聖福寺を探す 】
さて、今回長崎市内で目指したのは聖福寺と永井隆記念館だということは書きました。
赤い花なら 曼殊沙華
阿蘭陀屋敷に 雨が降る
濡れて泣いてる じゃがたらお春
未練な出船の ああ 鐘が鳴る
ララ 鐘が鳴る
私が生まれる前からある歌で、曼殊沙華がどんな花か、じゃがたらお春がどんな人か、まったく知らないままに、歌詞が今でもスラスラ出てくるほど繰り返し歌っていました。
そのじゃがたらお春にゆかりのある聖福寺を、今度こそ訪ねることができるということで、おおよその見当で歩いて探します。 -
【 工事中の山門 】
同じ道を何度も行き来した末に、この工事用足場の中に小さな張り紙を見つけました。
ここだったのか! -
【 山門 】
無人の足場に入り込んでみると、なるほど山門に間違いなく、太い角柱や欄間彫刻の一部が見えていました。
でも、写真で見ていた八脚門の全容はまったくうかがえません。 -
【 天王殿 】
山門をくぐって右に行くと、石段の上に天王殿という中門(?)があります。
額には聖福寺の山号である「萬寿山」の文字が。 ただ、白状すると私はこの「萬」という字の書体を知らず、読めませんでした。
その額の奥にもう1枚。 これにはたぶん「天王殿」と書かれているだろうと思ったのですが、これはまったく読めません。 左側の字が「天」であることは確かですが、あとの2字が王と殿とはとても思えませんし、もしそうだとしたら、天王殿という3文字を左から右に、つまり今風に書いていることになり、それもまた考えにくいことです。
国の重要文化財だそうです。 -
【 大雄宝殿 】
天王殿の正面には大雄宝殿が。
これまた国の重要文化財。 -
【 石門 】
聖福寺背後の金比羅山にあった神宮寺が明治の神仏分離令によって金比羅神社となったことで、不要になった仏教寺風の門を聖福寺が譲り受けたものだそうです。
私はそういうことを全然知らずに見たのですが、アーチ式の門であることや、アーチに輪石や要石が教科書通りに積まれている様子が面白く、テレビの「ザ鉄腕DASH」でアーチの積み上げに苦労していた様子などを思い出して、ワクワクしました。 -
【 瓦塀 】
大雄宝殿の左に、墓地へ続く石段がありますが、その取り付きに写真のような塀があります。
よく見ると、いろいろな瓦が積み重ねられたり貼り付けられたりしているのが分かります。
なんでも、明治の初期に聖福寺の末寺であった3つのお寺が廃され、そのときにその3寺の瓦を集めて作られたのだとか。 つまり廃物利用ですね。 -
【 墓地から見下ろすと 】
石段の最上部から見下ろすと、左に大雄宝殿の屋根、石段の下に瓦塀が見えますが、前方には長崎県内最古という鐘楼が見えます。
これもまた国の重要文化財。 -
【 じゃがたらお春の碑 】
石段を下りて鐘楼に向かって歩くと、右手に「じゃがたらお春の碑」があります。
私たちは「赤い花なら・・・」と歌いながら、なんとなくじゃがたらお春というのは可哀想な人だと思っていました。
混血ゆえに鎖国令下で国外追放になり、じゃがたら(ジャカルタ)に渡り、故郷を偲ぶ手紙を残した、というイメージです。
歌人の吉井勇さんもお春を憐れむ歌を詠んだということで、その歌が碑の背面に刻まれています。
でも、実際のお春さんは才気あふれる人で、ジャカルタでは夫の出世もあって奴隷を使うほどの財を成し、7人の子と3人の孫にも恵まれ、72歳まで生きたということです。 それは後年の研究によって分かったことで、歌が発表されたころは悲運の少女という捉え方がされていたのでしょう。
そのイメージに囚われていた私は、長崎に行くたびに聖福寺、聖福寺と思っていたのですが、今回ようやくその碑の前に立つことができました。
ただここに来て初めて分かったのですが、聖福寺とお春さんとは何の関係もなく、ただ碑を建てる場所として聖福寺の境内が使われただけとのことでした。 -
【 坂本龍馬像 】
堂宇の趣に心惹かれたのとは裏腹に、じゃがたらお春の空気という点ではやや拍子抜けという思いも抱きながら退出しようとしたとき、小さな坂本龍馬像が目に入りました。
えっ? 龍馬? なんで? と思ったのは私の無知によることで、ここ聖福寺はあの「いろは丸事件」の賠償を巡って裁判が行われた場所だったのだそうです。 知らなかった~。 -
【 長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂 】
長崎訪問のもう一つの目的は永井隆記念館でした。
それが、改まった気持ちで行ってみると、コロナ禍で閉館。 今回の旅行ではあちこちで同じ目に遭っていますが、普段から入館者が少ないと聞いているここが閉館とはまったく予想しておらず、呆然として立ち尽くしてしまいました。
もう一度出直すといっても、私にとって長崎はかなり遠い場所で、だからこそ、これが最後の機会と思って、これまで来られなかった記念館を予定に入れたのです。
妥協と諦めが特技の私ではありますが、これはさすがにショック。 とはいえどうすることもできませんから、予定にはなかった平和公園に行ってみました。 -
【 平和の泉 】
水、水と言いながら死んでいった犠牲者の冥福を祈るための泉で、石盤に彫られた少女の言葉が胸に刺さります。
のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました -
【 平和祈念像 】
左右で対になった噴水は、平和の象徴である鳩と鶴の羽をイメージしているそうで、その噴水の間から、あの平和祈念像が遠望できます。 -
【 人生への賛歌 】
公園内には、海外から贈られたものを含む沢山の碑や像が建っています。
これはイタリアのビストイア市から寄贈された「人生への賛歌」という母子像で、平和を表現したものだそうです。 -
【 平和 】
旧ソ連からの寄贈作品。
母親が子供を抱いた姿が、愛と平和を表現しているそうです。 -
【 諸国民友好の像 】
ドイツから贈られたもので、沢山の人物が彫り込まれた角柱が、あらゆる国の人々が仲良く暮らす未来を表しているとの説明があります。 -
【 原爆殉難者之碑 】
原爆が投下されたとき、長崎には多くの軍需工場があり、そこで働いていた動員学徒や女性挺身隊の多くが亡くなったそうです。
この碑は、その人たちの慰霊のために建てられたものです。 -
【 救援列車に乗ろうとする人々 】
被爆した人たちを救護するために運行された列車に乗ろうとする人々の様子です。
碑の前に掲げられたこの絵は、どなたが描かれたものか知りませんが、そのときの状況は当時14歳だった早崎猪之助さんが克明に語っておられ、この絵のとおりであったことが分かります。 -
【 長崎の鐘 】
殉難者の碑の前には、4本の鉄柱に支えられた人物像と鐘があります。
空に浮いているように見える人物像は、軍需工場で働いていた少年少女でしょうか?
鐘は、あの永井隆博士の著した「長崎物語」にあるアンジェラスの鐘を模して造られているそうです。 -
【 長崎刑務所浦上刑務支所跡 】
ここには長崎刑務所浦上刑務支所があり、原爆投下によって収容者81名を含む所内生活者134名全員が亡くなったそうです。
跡形もなくなったその場所には今、コンクリートの礎石だけが残っています。 -
【 平和祈念像 】
言わずと知れた平和祈念像です。
初めてこの像を見たときの衝撃は40年以上経った今でも覚えているほどですが、それは平和とか祈りという概念につながるものではなく、ただただ像の男性の筋肉美とポーズの不思議さに対する畏敬のようなものであったと思います。
なんでも、天を指した右手は原爆を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした右足は原爆投下直後の長崎の静けさを、立てた左足は救った命を表しているとガイドさんから説明されたということが、当時のメモに残っています。
でもその時どう思ったのか忘れましたが、その後もときどき同じ説明を案内書などで読んでも、そうかなぁと思うだけで、私の鈍い感性では理解できませんでした。 -
【 作者の言葉 】
そして今回初めて気づいたのですが、男性が腰かけた岩に、作者自身がそれを書いているのですね。
つまり作者がそう思って作ったということで、何にも知らない人間が像を見てそう理解しなかったとしても、別に理解力が不足しているということではない・・・。
まあ、そう思うことにします。 -
【 晴れ上がった空 】
この旅行、先述のとおりずっと雨か曇りだったのですが、この平和公園の駐車場あたりで急に青空が見え始め、祈念像まで来たときにはこの空になっていました。
そのあと県境を越えるころからまた曇り出し、寝る前から土砂降り。
かねがね晴れ女だと自慢していた妻の、ちょっとしたイタズラでしょうか? -
【 折鶴の塔 】
祈念像の左右には、同じ形の「折鶴の塔」があります。
きれいに繋がった鶴は、たぶんどこかの中学生か高校生の作品でしょう。
永井隆記念館が閉まっていたので、今回は予定に入れていなかった平和公園にきたのですが、来てみるとやはり前回までに見落としていたものもあり、なによりもこの空間の持つ独特の雰囲気に浸ることができて、やっぱり来て良かったと思いました。 -
【 黒崎永田湿地公園 】
平和公園を出て国道202号線を北上していると、左に「永田湿地公園」というバス停の標識が見えました。
湿地という言葉にはなんとなく惹かれますね。 海外の湿地にはワニやアナコンダが生息する物騒な所があるようですが、日本ではその心配もなく、ちょっと寄ってみようと思ったのは自然のなりゆきといえます。
園内には木道も整備され、水生植物が繁茂していて、これはいい所に来たなと、そぞろ歩きに心が躍ります。 -
【 野鳥観察用ハイド 】
木道の途中にハイドがありました。
ということは、バードウォッチングの適地でもあるのでしょう。 むろん覗いてみます。
私のレンズは目いっぱい伸ばしても200ミリなのですが、ねばってみました。
鳴き声はしたのですが、とうとう姿は見えませんでした。 -
【 水路 】
絵に描いたような水路が走っています。
ビオトープには欠かせない水が確保されている・・・これは楽しみです。 -
【 メダカ 】
と思ったら、早速メダカのお出ましです。
子供のころは田んぼの水路などで小ブナを獲ったりしているときに、網にメダカが入ると泥と一緒にあぜ道に捨てたりしていましたが、今では宝石でも見つけたような気分になります。
己の勝手さを恥じるばかりですが。 -
【 イナゴ 】
次に現れたのはイナゴです。
昔はこれを捕まえて持って帰り、母親が佃煮にしていました。
網など使わず、素手で次々にゲットし、ガラス瓶に詰め込んでいましたが、今でも田んぼに行けば沢山いるのでしょうか? -
【 キショウブ 】
湿地の花として忘れてはいけない黄菖蒲もちゃんと咲いていました。
子供のころ、庭に池ともいえない小さな水溜まりがあり、その水辺にこれが咲いていて、親に言われてよく学校に持って行きました。
本当はいやだったのです。 だって、教室用に花を持って行くのはだいたい女の子と決まっていたのですから。
でも私はこの花が好きで、今でも庭にあったらいいなと思っています。 残念ながら今の庭には池がなく、小さな庭石の周りにはドクダミが我が物顔ではびこっています。 -
【 休憩用ベンチ 】
これはありがたい。 休憩用・・・いや湿地を眺めるためのものかも知れませんが、休憩に使って悪いということもないでしょう。
柔らかい陽光もありがたいことで、腰掛けてぼんやり鼻毛を抜いていると、目の前に1匹のシオカラトンボが現れました。 あとで分かったのですが、ここはトンボのコロニーとしては日本でも有数の場所だそうです。
時間はまだ4時前。 このあとは伊万里の町を少し散策して、北に向かって東松浦半島あたりで寝ようかと思いますが、たぶん明るいうちに着くでしょう。
ちょっとだけウトウトしていると、ふと耳元で「お父さん」という妻の声が聞こえたような気がしました。
むろん聞こえる訳がなく、私も辺りを見回すようなリアルな反応をした訳ではありません。
そのまますっかり忘れていて、今これを書きながらぼんやりと思い出しただけのことですが、それすらも、あのときのことだったのかどうか・・・。
いよいよ私の頭も虚実混濁、幻覚錯綜の度が進んできました。
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この旅行記へのコメント (24)
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- issiさん 2022/09/19 10:07:31
- いつもありがとうございます
- 私の旅行記をたまにご覧いただき有難う御座います。コロナ禍になり、オクサマとの旅行のみとなり、旅行記作成が全く滞っている私ではありますが、ねんきん老人さん様の旅行記は大変学びがあります。長崎出身の私でも知らないことばかりの内容でした。私の母が被爆者ですので、思いもひとしおで御座います。私はタイヘ70過ぎた元上司と旅行に出掛けてましたが、ねんきん老人さん様のような方と旅行にいったら楽しそうですね。今後とも楽しくためになる旅行記をよろしくお願いします。issiより
- ねんきん老人さん からの返信 2022/09/19 13:35:09
- 長崎ご出身ですか。
- issi さん、拙稿への書き込み、ありがとうございました。
長崎ご出身とは! よそ者の私がデタラメを並べて、さぞお気に障ったことと思いますが、どうかお許しください。
母上様が被爆されたということにも驚きです。 ポテのお散歩さんからも書き込みをいただき、やはりお身内が被爆されたということを伺いました。 今さらですが、私のような者がノーテンキに原爆を語ることの無責任さを後悔しております。
タイに行かれたのですか? コロナの心配はなかったですか?
私は今、海外旅行をする度胸はありません。 もっとも、その気になったとしても年金がた減りの昨今では旅費の都合がつきませんので、もう私の海外旅行はないものと思っています。
issi さんはタイまでお出かけになる余裕がおありですから、奥様とのご旅行も存分に楽しまれてください。
ねんきん老人
-
- ポテのお散歩さん 2022/09/17 12:18:39
- 長崎
- ねんきん老人さん こんにちは。
旅行記を見て下さり、ありがとうございます。
長崎の旅行記を拝見させて頂きました。
主人が長崎出身で、時々長崎へ行くのですが
『じゃがたらお春』さんの事は言葉で聞いた事があるだけで
初めて どんな方なのかを知りました。
義母の父は戦艦武蔵の造船に関わっていて、
ある日、仕事の用事で長崎市内へ行き その日が原爆投下された日でした。
造船所や義母の家は 市内から山を隔てた向こうにあったので
原爆の影響は無かったのですが、義母の父が帰ってこないので
義母は父を探しに 翌日 長崎市内へ行きました。
原爆とは何か、その時は何も知らず、義母は【救援列車に乗ろうとする人々】の絵の様な中を、父を探して歩いたそうで、その時に義母も被曝しました。
不幸中の幸いで、その後 結婚もし、主人を含めた三人の子供にも
恵まれました。
言葉では聞いていましたが、【救援列車に乗ろうとする人々】の絵を拝見して、私が思っている以上に悲惨な状況の中を まだ若かった女性が一人で 自分の父を探し歩いたんだなと、義母の言葉の重みを改めて感じました。
この秋、義母の法事の為 長崎へ帰ります。
主人の実家は平和公園の近くなので、あの絵の事を思い出しながら
歩いてみたいと思います。
とても素敵な旅行記を拝見させて頂き、ありがとうございました(*^-^*)
ポテのお散歩
- ねんきん老人さん からの返信 2022/09/17 16:21:41
- 原爆被害は身近なことだったんですね。
- ポテのお散歩さん、こんにちは。 拙稿への書き込み、ありがとうございました。
私たちは、長崎の原爆というと、その悲惨さは十分に理解しているつもりではいても、地理的な遠さもあって、どこか遠い世界の話のように思ってしまう傾向がああります。
ポテのお散歩さんは、身近に被爆された方がいらっしゃって、しかも義母様は実際にお身内を探し回るという体験もなさっているのですね。 そのときの義母様の絶望的なお気持ちを思うと、「遠い世界」などと他人事のように捉えていた自分の浅はかさに申し訳ない気持ちがいっぱいです。
ポテのお散歩さんは近々長崎にお出でになるのですね。 平和公園をお歩きになるときも、私のような半分観光気分で行く者とは違って、見るもの一つ一つが深い意味を持っていることを実感されることでしょう。
ご縁があって何度も長崎に行かれていらっしゃるポテのお散歩さんと私とでは、長崎や原爆を語る資格に大きな差がありますが、私も被爆された方々への思いを忘れることなく、これからも核のない世界を念じ続けてゆこうと思います。
胸に迫るお話を、ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- 琉球熱さん 2022/07/21 23:30:39
- 出遅れましたが
- ねんきん老人さん、こんにちは
長崎・原爆とくると、色々思うところがあります。
それよりもまず、ねんきん老人さんが現役の頃のエピソード、胸がスカッとします。
私も同じ立場だったら似たような対処をするでしょう。
それにクレームを入れて来る親、修学旅行を慰安旅行の類と勘違いし、「そんな所」と暴言を吐く輩は思い切り張り倒してよいと思います。
まぁしかし、今どきこんなことすれば「なんとかハラスメント」と大騒ぎされるでしょうね。
教師という職業もやりづらくなったもんです。ただ、教師側の質も間違いなく低下していることも事実でしょうが・・・
yamayuriさんもご指摘でしたが、「汚いものには蓋をしろ」的な風潮は危険ですね(被爆者の方々が「汚い」という意味ではありません)
むしろ、蓋をすべきなのはくだらないゲーム類じゃないでしょうか?
敗戦国・被爆国として戦争反対を訴える時、戦争によって何が起こるかを具体的に知らなければ、その言葉は空虚です。
その意味でも、被爆の事実は目を背けずに正しく知るべきだと思いますし、それと同等の悲惨な経験としてRAAの存在も広く知らしめるべきだと思っています。
戦争というものは、目に見えるものを破壊するだけにとどまらないということを、多くの人が肝に銘じるべきだと思います。
今年ももうじき8.15が来ますね。
---------琉球熱--------
- ねんきん老人さん からの返信 2022/07/22 09:06:29
- 嫌なものに目をつぶる世相
- 琉球熱さん、おはようございます。 書き込みをありがとうございました。
拝読して、ちょっとドキッとしました。 というのは、最近、「俺が騒いだってどうにもならない」「俺にはもう、何かを変える時間がない」という考えが強くなってきたと感じているからです。
たとえばウクライナで起こっている悲惨な出来事も、自分にはどうすることもできないと思ってしまいますし、世界中にいる学校に行けない子供たちのことも、人生の残り時間がほとんどない自分が何をどうすればいいのかと思ってしまいます。
あげくに、「俺にはどうすることもできないから、これは見なかったことにしよう」などと逃げにかかる自分がいたりします。
それでも、今の日本人のほとんどが戦争を実体験として知らない今、せめて「知識」としてだけでも戦争の悲惨さは学んでいかなければいけないと思います。
そういう意味で、戦争を知らない教員が引率する原爆資料館の見学が単なる「観光コース」になりがちなことは心配です。
話は違いますが、初めて韓国に行ったとき、現地ガイドが行く先々で「ここにあった建物は豊臣秀吉に壊されました」、「豊臣秀吉が」、「豊臣秀吉が」と繰り返すのに辟易した私が「ガイドさん、そう責められても、私は豊臣秀吉に会ったこともないんだよ」と言ったことがあります。
日本の統治時代についても散々言われましたが、それにも「私はそのとき生まれてもいなかったんで謝りようがないんだけど、祖父や父の代わりに謝った方がいいのかなあ?」と言い返しました。
そのガイドは私と同世代でしたので、戦争も被統治も体験していないのですが、受けた教育で自分の感情として身についていたのだと思います。
げに、教育とは恐ろしいものだと思いますが、私は原爆資料館で生徒たちに「アメリカを憎め」というのではなく、原爆というのはかくも恐ろしいもので、絶対にこの悲劇を繰り返してはならないということを、しっかり教えるべきだと思います。
楽しくないこと、不快なことは避けて通るという現在の親たち、教員たちには歯がゆさとともに憤りさえ感じています。
琉球熱さんの書き込みを拝読して、ややもすれば安易な方向に流れがちな自分を改めて反省することになりました。
ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- ねんきん老人さん 2022/06/25 16:55:55
- この暑さは「マジ、やばい」というところでしょうか。
- kiyo さん、こんにちは。 書き込みをありがとうございました。
福岡から長崎まで電車で行かれたのですか!? 気の遠くなるような距離ですね。 その途中で車窓からフルーツのバス停を見つけられたとのこと、思いがけないものを見つけられたときの楽しさは十分想像がつきます。 旅の醍醐味ですね。
ご近所の美術館が休館になったのですか? こういうご時世、体力のある大企業はうまくやりくりして逆に儲けたりもしているようですが、小さな所は大変ですね。
教室に花を持っていったこと、親の心、子知らずで、ハナタレの腕白だった私はいやでしたが、今思うと良い時代だったなとも思います。
山陰・北陸の旅についてはいずれ旅行記にと思っていますが、今はまだそのとき撮った写真すら見ていません。 なにしろ2週間の間町内会や老人会の仕事をさぼったものですから、今はそのツケに追われて毎日くたくたです。 加えてこの暑さですから、オロナミンCを飲んだくらいでは元気も回復せず、冷たい床でのびていますが、それは却って体のだるさを増幅させるようで、毎日疲労困憊です。
老人会仲間とは、この夏を乗り切れないのは誰かなどという話が出ていますが、半分現実の話ですから、「俺でなきゃ誰でもいいよ」と言い返したりしています。
kiyo さんは夏の暑さ、冬の寒さを楽しむ余裕がおありと思いますが、くれぐれも油断をなさらぬよう、お祈りしております。
ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- kiyoさん 2022/06/25 08:52:22
- 素敵なエピソード満載ですね
- ねんきん老人さん、こんにちは。
ときめきフルーツバス停通り。
昔、飛行機で羽田から福岡へ飛び、
福岡から電車で長崎へ向かう途中、
車窓から、大きなメロンのバス停を見つけ、
すごくびっくりしたことを
ねんきん老人さんの旅行記を見て思い出しました。
永井隆記念館は、コロナ禍で閉館ですか(~~;。
テレビなどのメディアでは、
飲食店の苦境ばかり取り上げられがちですが、
各方面に影響は出ていますね。
うちの近くでも、小さな美術館が休館に追い込まれたり、
何かと重宝していた近所のホームセンターが閉店したりして、
すごく悲しいです。
子供のころ、学校にお花を持っていかれていたエピソード。
お花があるだけで、教室の雰囲気も変わり、
先生も生徒さんたちも、明るい気持ちで
授業を受けることができたのではないでしょうか。
そうした心遣いのできる、ねんきん老人さんのお母さま。
素晴らしい方ですね。
5月15日から山陰・北陸を回られていたとのこと。
お疲れは、もう取れましたか。
猛暑の季節に突入いたしましたが、暑さ対策は万全に。
どうぞお体に気を付けてお過ごしくださいませ。
kiyo
-
- yamayuri2001さん 2022/06/23 14:42:52
- 原爆・・・
- ねんきん老人さん、こんにちは。
ときめきフルーツバス停通りに目を奪われました。
行きたいですね!
バスが遅れてもこれなら文句言わない!
じゃがたらお春・・・
この歌詞が入った歌を合唱して高校の合唱団が日本一になりました。
思い出の歌です。
当時はとても不可思議な歌詞でした。
ねんきん老人さんは、すらすらと歌っていた・・・
私とはレベルの違う頭脳です。
長崎の原爆、これを知ったのは2年生の時、
まだ8歳でした。
小学校の図書館に分厚い写真集がありました。
これを偶然手に取りました。
あまりに悲惨な写真の数々・・・
全部見なくてはいけないという概念にかられ、
なぜ8歳だった私が途中でやめなかったのか覚えていないのですが
毎日 図書室に通いました。
おそらく、10日くらいかかったのではないでしょうか・・・
全部の写真を見ました。
私は8歳にして不眠症になっていました・・・
その反動か、今は老人とは思えないくらい良く眠ります。
でもこの衝撃的な写真集は、私の人生を変えました。
今は、こういう衝撃的なものは
見せない方向ですが、本当にそれでいいのだろうか・・・
やっぱり見て、一生心に焼き付けて
平和を維持していかなければならないのではないか・・・
私はそう思っています。
ねんきん老人さんは、どうお考えになりますか?
yamayuri2001
- ねんきん老人さん からの返信 2022/06/23 20:29:25
- 見せない・・・親が避けているのですね。
- yamayuri 2001さん、こんばんは。 丁寧な書き込み、ありがとうございました。
また、yamayuri 2001さんのユーモア感覚を楽しませていただきました。 たとえば、バス停の意匠を見て、バスが遅れてもこれなら文句言わない、という発想。 座布団3枚ですね。 子供のころの不眠症の反動で今は老人とは思えないくらい良く眠る、という流れにも参りました。 私もよく眠りますが、単に自分の活力がなくなったくらいにしか思わず、ジョークに昇華させる頭の回転がありませんでした。
合唱で日本一! すごいことですね。 私は勉強でもスポーツでも一番になったということがなく、体操でインターハイ優勝をしたチームにいましたが、私は補欠でした。
英語と数学は能力別クラス編成で、その時間だけ教室が変わるのですが、数学の時間は上から数えて4番目、下から数えて1番目のクラスでした。
歌は・・・今、老人クラブの人気アクティビティであるカラオケから逃げ回っていることを申し上げればお察しいただけると思います。
原爆資料館の展示がだんだん無難なものに変わってきたのは私も感じています。
修学旅行の引率で行ったとき、生徒の一人が展示された被爆者の写真を見て「気持ちワリー! 飯食えねえや」と言ったのを聞いた私が「食うなっ!」と
言って実際にその夜の食事をさせなかったことがあります。
親が学校に押しかけてきて大騒ぎになりましたが、そのときその親が、そもそもせっかくの楽しい修学旅行で、なんでそんな所に連れて行くのかと言い出して話がかみ合わなかったことを思い出します。
昨今は、子供が衝撃を受けないよう、学校も予めそういう場所を避ける傾向があると聞きました。 親たちは子供と難しいやりとりをする困難を避け、テレビでも人が目をそむけるような映像は流さないようになってきました。
私は感受性の高い子どもたちにこそ、真実を見せるべきだと今でも思っていますが、学校がクレイマー対策で疲弊している現在、その学校につながる教育委員会、さらに博物館、資料館などもことごとく事なかれ主義に陥っているのを感じます。
yamayuri 2001 さんがお子さんのころ、真正面から原爆の悲惨さを直視されたことはとても貴重だと思います。 そして毎日図書館に通って辛い現実を学ばれたお子さん時代のyamayuri 2001さんに心底から敬意を覚えます。
ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- nimameさん 2022/06/16 15:09:40
- 永井隆記念館。
- ねんきん老人さん・こんにちは・
何時もの様に詳しく書かれていて読んでいて此方が勉強になります。
平和公園・昔ツアーで長崎と広島へも行きました。
ツアーでは説明付きですが・メモもせず只聞いているだけで・忘れてしまいますよね!
只永井隆記念館・そちらに興味があったので・
どんな感じでコメントあるかな~と思っていたら!
閉館しているなんて、なんて残念な事でしょう!
コロナそして時代もあるでしょうか?
じゃがたらお春もnimameも歌だけは知っていると言う感じでした!
可愛そうな方と思っていただけにねんきん老人さんの説明でそうなんだ~とほんと勉強になります。
最後の奥様の声が聞こえたような~
それは確実に聞こえていますね(^^)
だって奥様は何時もねんきん老人さんと一緒に歩いているんですもの。
良い旅でしたね~
こちらまでホッコリしました。
有難う御座います。
nimame
- ねんきん老人さん からの返信 2022/06/16 17:11:51
- 永井隆記念館は本当に残念でした。
- nimame さん、こんにちは。 我ながら盛り上がりのない旅行記で投稿を恥じていましたのに、わざわざご丁寧な書き込みをしてくださり、ありがとうございました。
永井隆記念館は、私の最後の長崎旅行で絶対に外せないと思っていただけに、残念の極みでした。 でも、「仕方がない」で諦められる心境ではありませんので、心の隅ではなんとかしてもう一度長崎に行こうという気にもなっています。 まあ無理だろうとは思いますが、その気持ちだけは持ち続けたいと思います。
じゃがたらお春の歌をご存知でしたか? あのころはおそらく誰もがお春さんを可哀想な人だと思っていたらしく、メロディーも哀調を帯びたものでしたね。 それが、彼女の人生はそれなりに幸せなものだったらしいということが分かってきて、それにつれて人々の関心が薄れてきたような・・・。 他人の不幸は密の味ということなのでしょうか?
妻の声は確実に聞こえていたのだというコメント、ありがとうございます。
仰るとおり私はいつも妻と一緒に旅をしているつもりですが、妻の方は私と一緒に旅をしているのかどうか、分かりません。 今頃せいせいして一人旅を楽しんでいるのかも知れません。
ですから、nimame さんに、妻が私と一緒に歩いているんだと仰っていただいて、救われた思いです。
いつも死にぞこないのヨボヨボジジイを励ましてくださって、ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
ねんきん老人
-
- nana-papaさん 2022/06/08 18:59:00
- 今年旅は山陰から北陸だったようで・・・
- 年金老人さんこんにちは!
長崎の旅またまた楽しく拝見させていただきました。
諫早湾のギロチン堤防1997年でしたか?
いや、確かに記憶に残っていましたがあまり詳しくは知ることもなくやり過ごしていましたのでついついググってしまいました。
ジャカルタに渡った・・知らなんだ。。じゃがたらお春も同様に(笑)
・・・そうだったのか!と勉強させられてしまいます。
さすがテーマを定めた旅、そして旅をしながらきちんとメモを取られるお姿、恐れ入ります。
また山陰・北陸編が楽しみです。ご自愛されて次作品楽しみにしています。
nana-papa
- ねんきん老人さん からの返信 2022/06/08 21:24:40
- 頭でダメならメモで・・・
- nana-papa さん、こんばんは。
長崎旅行記への書き込み、ありがとうございました。
じゃがたらお春については、サーカスのジンタで「美しき天然」と併せて繰り返し演奏されていたので、当時の子供たちは皆知っていたと思います。
ただ、そのお春がどんな人かを知っていた訳ではなく、何も考えずにただ覚えて歌っていただけのことで・・・。
思えば昔は、意味が分からなくても覚えることは簡単で、後年、ああそうだったのかと思うことが多かったようです。
それが今では、意味が分かっていても覚えられないようになり、やっと覚えてもすぐに忘れる有様で、「認知症」という言葉が現実のものとして意識されるようになりました。
旅先でしつこいくらいにメモをとるのはそのためで、メモをとらなければ見たものの細部を忘れるどころか、見たことさえ忘れてしまう恐れが十分にあります。
まあ、どんどん忘れて、かろうじて残った思い出こそ旅のエッセンスなのだと、無理に自分を慰めていますが、やっぱり忘れることは情けないことです。
今年の旅行先が山陰・北陸であったことを、おそらく4トラ会員様からの書き込みで推察してくださったのだと思いますが、恐縮の限りです。
できればその旅行についても旅行記にして投稿したいとは思っていますが、なにしろ私は何をやっても遅いので、投稿もいつになるやら分かりません。
それまでに旅先で見聞したことの大半は忘れてしまうだろうと思いますが、そのときになってまだ覚えていることがあれば、それこそ旅のエッセンスだと下手な言い訳を今から用意しています。
もしお目に止まりましたら、そのときはまたよろしくお願いいたします。
重ねて、ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- ふわっくまさん 2022/05/31 12:30:36
- カーナビ・・
- ねんきんさん、こんにちは。
旅行ではナビを使わないのが、ポリシーなのですね。
なるほど標識に沿って動いた方が、正解だったこともあったなぁと思いました。
ときめきフルーツバス停通りも、カーナビで行けるかどうかわかりませんが・・
盛り過ぎという、ねんきんさんの正直な感想が聞けて良かった気がしています(笑)
形がギロチンに似ているという排水門は、20年以上前推進派と反対派が真っ二つに分かれていたのですね。
また聖福寺の墓地から見下ろした長崎県最古の鐘楼、とても見応えを感じました。
じゃがたらお春の碑は悲運の少女ではなく、実は財や子孫に恵まれた女性のことだったと・・
そこから坂本龍馬像を見かけるなんて、やっぱり現地に行かないとわからないことも多々あるのですね。
さて湿地で咲いていた美しい黄ショウブのお花、私も奥様も好まれているのではーと思いながら拝見していたら・・
「お父さん」という声がしたそうで、やっぱり・・と思いました。
ふわっくま
- ねんきん老人さん からの返信 2022/06/01 10:30:37
- 知らないことばかり・・・
- ふわっくまさん、おはようございます。
いつも細かなところまで丁寧に読んでくださって、ありがとうございます。
5月15日から山陰・北陸を回っていまして、28日に帰ってきました。 29日は一日中寝ていて、30・31日と旅行の後片付け(車中泊用にセットした車を元に戻したり、汚れた布団や寝袋を干したり・・・)をしたのですが、疲れがなかなかとれず、だらだらとやっていたもので、思いのほか時間がかかりました。
旅行でナビを使わないのは、ナビを使うと道が覚えられないし、自分の感覚と地図を頼りに目的地を目指すのも旅の醍醐味だと思っているからです。
でも、そのために遠回りをしてしまったり、目指した所と全然違う所に着いてしまったり、いろいろ失敗もあります。
ニュースで見ていた諫早湾を直接見られたのは収穫でした。特に、あの干拓堤防によって海側と陸側で海の色がまったく変わってしまった様子を実感できたのは驚きで、漁業に重大な影響を与えた事業なのだということが理解できました。
車での旅行でしたので、寄り道自由で気ままに行動できたのは良かったと思います。 電車やバス、あるいはツアーでは湿地で居眠りなんてことはできなかったでしょうし・・。
同級生や近所の年寄りが次々と免許を返納していますので、私もそろそろとは思うのですが、こういう車での旅行ができなくなると思うと、なかなか決心がつきません。
免許を返納した人たちに聞くと、そもそもふだんから旅行に行かないという人が多いのですね。 私は旅行をしない人生というのは考えられませんので、気持ちの切り替えは難しいと思います。
年をとるというのは残念なことですね。 いつかふわっくまさんも年をとる日がくるわけですので、今のうちにどんどん出かけてください。 コロナなんかで人生の楽しみを失うのは勿体ないですものね。
ねんきん老人
-
- Decoさん 2022/05/29 20:37:33
- 諫早湾
- ねんきん老人さん、こんばんは。
私は福岡県南部、筑後地区に住んでますが、諫早湾干拓事業、漁業の方々は一時は大変だったようです。海苔も一時期取れなくなったこともあったようですし、大御所政治家のセンセイと漁協でもめたり…私は自然科学は全然ダメなのですが、やっぱり諫早湾の干拓はまずかったのでは、と思います。
有明海は漁業も盛んですが、干拓を通じて農地を広げていった歴史もあります。筑後でも昔は美しい松原の海岸線があって、景勝地のような岬もあったそうですが、干拓で無味乾燥な海岸線に変わってしまいました。それは長崎も佐賀も福岡も同じかも知れません。
以前、長崎と広島の原爆資料館を見学して、わかってはいましたが、あまりの酷さにショックを受けました。世界情勢の中、難しい問題はありますが、核兵器は絶対に使用してはならないと思います。それ以前に戦争をしかけてはいけないし、武力で利益や勢力を確保しようと考える人たちが21世紀になっても未だにいることが悲しいです。武力を使って幸せになる国などどこにもないのに。
Deco
- ねんきん老人さん からの返信 2022/05/31 13:41:30
- 実利を追う結果は?
- Deco さん、こんにちは。 書き込み、ありがとうございました。
遠い千葉県に住む私でも諫早湾干拓問題は他人事ではないのですから、福岡県にお住まいの Deco さんは、諫早湾周辺の紆余曲折について常に身近な問題として捉えていらっしゃったことと思います。
農業振興という観点からみれば、干拓は間違いなく利益に結び付くことなのでしょうが、一方漁業の立場からすれば、生活の場を失うほどの悪政だと思います。
私の住む千葉県木更津市は、漁業、とりわけアサリやハマグリの一大産地だったのですが、私の子供のころ、工場誘致の施策から海岸線が埋め立てられ、美しかった景色はコンクリート護岸の味気ないものに変わりました。 当時、漁業者たちは「保障金」という一時金に目がくらんで漁業権を放棄して豪邸を建てたりし、自身は慣れない工場勤務などに転身したものですが、たちまち行き詰まり、一家離散などという問題が続発しました。
日本全国に同様の事例は見られるのですが、一時金の魔力は人の理性を失わせるものとみえ、各地で問題は多発しています。 今はやりのソーラーパネルを山肌に並べる事業なども次々と破綻しているようですね。
Deco さんの仰る武力による国家利益の確保なども中国・ロシアの極端な例に世界が苦しんでいます。
自分がそうしたことに何の行動も起こせない無力さは慙愧の極みですが、既成事実の前に諦めが先に立ってしまう世相も心配です。
ねんきん老人
-
- olive kenjiさん 2022/05/29 11:56:05
- お父さんは憤る
- 師匠の今回の九州旅行は観光地と共に、社会的問題の箇所も行かれているようで少しコミットします。難しそうな文化歴史的場所はいつもながら素通りさせて頂きます。
諫早湾干拓堤防を見に行かれたそうですが、とても難しい問題を抱えています。
ただ私が思うのに、こんなの出来る前から、川の水と海の水が混じれば、環境にどう影響するかは小学校3年生でも分かっていたはずです。
今になってどうだなんだと変な話です。
雲仙太良シーラインなんて安易な名称を付けずに、カタカナでもいいからガード ザ ランドかガード ザ シーかはっきりとした名称を付ければ良かったのだと思います。
長崎祈念像の平和にも行かれたのですね。
沢山の修学旅行生が来ていたと思いますが、今来なくちゃならないのは、プーチンをはじめ核保有国の上層部です。彼らには、ただ見学だけでは駄目、徹底的に改心するまで理解してもらわなくてはなりません!!!
奥様の声が聞こえたのは厳格では無いと思います。
めだかや、いなごや、きしょうぶさんが、ご主人が来たよと呼びに行ってあげたのだと思います。
過激なolive kenji
- olive kenjiさん からの返信 2022/05/29 14:45:19
- Re: お父さんは憤る
- 文字間違えました。すみません。
厳格ではなく幻覚です。
奥様が師匠に厳しかったと想像したのかな。
- ねんきん老人さん からの返信 2022/05/30 12:08:06
- 憤りの種は尽きません。
- olive kenji さん、お目通しとコメント、ありがとうございました。
諫早湾干拓堤防については、建造当時は私も切歯扼腕して居酒屋で飲みながら自説を語りまくったりしたものですが、その後既成事実の積み重ねで人々から議論の熱を奪って、いつの間にかうやむやにしてしまうという、いつもの流れですね。
olive kenji さんがいまだに憤りのマグマを抱き続けていらっしゃることを伺い、心強く感じました。 確かに仰るとおり、陸を守るのか海を守るのかというスタンスをはっきりさせてほしいものだと思います。
長崎も広島も、仮にプーチンが来たとしても、受け入れ側が気を使って、とにかく無難に帰ってもらうという姿勢をとってしまうので、学習効果はないだろうと思います。
なんだか、あれもこれも、「どうせ・・・」という思いが先にたってしまいます。
ところで、15日から28日まで、山陰・北陸を回っていました。
下関までは高速道路で行ったのですが、その途中、山陽道の吉備SAで、香川県の観光促進策の一端を見ました。
「香川県まで37km」と大書された案内板があり、讃岐うどん・丸亀うちわ・香川漆器・盆栽・それに手袋のレリーフがついていました。 私自身は今回の旅行で四国へのイメージはまったく持っていなかったので、少々驚きました。 37kmという近さに驚きました。
旅行に出ると、次々と、己の無知を痛感させられる事物に巡り合います。
ねんきん老人
- olive kenjiさん からの返信 2022/05/30 12:58:37
- Re: お父さんは憤る
- そうですよね。歳とって経験を積んで修羅場を潜れば「どうせ・・・」という思いが先にたってしまうんですよね。
37㎞という標識を見て、九州行きを断念して香川県に予定変更とはならなかったですか。それでは、まだまだ香川県は魅力度低いようです。
ま~近距離だと頭の中に入ったでしょうから、次の機会にお越し下さいませね。
高松郊外の高速道路の標識に、ここから太平洋まで100㎞、日本海まで100㎞という標識があります。一体どちらへ行けばいいんだと、優柔不断の私には悩ましい標識です。
-
- チーママ散歩さん 2022/05/29 11:52:49
- おかえりなさいませ。
- 先生 新しい旅行記がアップされたということは、
無事ご帰宅なさったようですね。
お声を聞いて安心しました。おかえりなさいませ。
今回は長崎ですね。
九州は何度か行っておりますが、人気の旅行地ですが
ハウステンボスや中華街の煌びやかな長崎の旅行記とは
ひと味違う、先生らしい旅ですね。
永井隆さんという方。
私の常識不足で今初めてネットで調べ知りました。
博士ご自身も被爆者でありながら人々を助け、
「原爆の恐ろしさ」や「平和を」「如己愛人」を訴え
続けられた偉大な方なのですね。
先生の記念館訪問の感想を聞きたいと強く思いましたが残念でした。
遅ればせながら先生の旅行記で知ることができて、
またひとつ知識が広がりました。
広島の広島平和記念資料もそうでしたが、。
同じように「水を、水を」とうめき叫びながら亡くなっていった
痛ましい霊に水を捧げて、冥福を祈る公園の設計を聞いたときは
胸があつくなりました。
先生が行かれた時はちょうどあの筋肉美のポーズを取った像も
化粧直しをして綺麗になった頃だったのでしょうか。
黒崎永田湿地公園で、木道を歩きおくつろぎの時間も印象に残りました
鳥の撮影は私も試みていますが難しいですね。
メダカやイナゴそしてお花などから幼少期を回想され
ほっこりした時間の流れを感じました。
新聞紙にくるんで教室へお花を持って行ったのは私も懐かしい思い出です。
今の季節ならばキショウブやアマリリスやグラジオラスなど本当に
きれいなお花を持ってくる人がいて羨ましかったです。
お花は詳しくないのですが、羨ましくて覚えたのがそのお花の名前。笑
母が持たせてくれるお花はなんとなく地味なお仏壇に添えるような
お花だったのが子供ながらに恥ずかしく。
それでも、
「○○ちゃんが持ってきてくれました」と先生に言ってもらえるのが嬉しくて。
何かないかとよく聞いていたものです。
今 通学の子供を見てもあまりお花を持っている子を見ませんね。
今の時代はそのような習慣はないのでしょうか。
ふと聞いた奥様の声。
よく父が歌う 石原裕次郎さんの歌を思い出しました。
たどりついたら 岬(南)のはずれ
赤い灯が点く ぽつりとひとつ
いまでもあなたを 待ってると
いとしいおまえの 叫ぶ声が
俺の背中で 潮風(かぜ)になる
夜の釧路(九州)は 雨になるだろう
奥様が見守り、導いてくださっているのでしょうね。
先生のお留守の老人会もまたお戻りになって活気が戻ったことでしょう。
ゆっくりと続きの旅行記を楽しみにしております。
長々失礼しました。
- ねんきん老人さん からの返信 2022/05/29 19:50:36
- 新聞紙に包んで・・・そうでしたねぇ。
- チーママ散歩さん、こんばんは。
我ながら盛り上がりのない旅行記で、投稿をためらったまま寝かせていた原稿なのですが、旅行から帰ってくたくたの体と制御の利かない頭でついつい投稿ボタンを押してしまいました。
それを早速お目に留めてコメントまでしてくださったことに、感激しながらも恥じる気持ちの方が強いのが正直なところです。
ですが、チーママ散歩さんがご自分の体験と重ねながら柔らかく包んでくださって、どれほど救われたか分かりません。
そうです。平和の像は化粧直しが済んできれいになっていました。 私自身の記憶と比べても格段にきれいになっています。
また、旅行記としては無駄な、湿地でのとりとめもない話にいちいちお付き合いくださって、ありがとうございます。
その中で、「新聞紙にくるんで」と書かれているのを読んだ瞬間、昔々の記憶が鮮やかに蘇りました。 そうだった! 確かに新聞紙に包んで持って行ったんだ! あの時代のあの雰囲気をチーママ散歩さんに理解していただけたという実感で、「ああ、書いて良かった」というのが今の気持ちです。
また、ご自分の花だけがなんとなく地味で仏壇に供える花のようだったという思いも、まさにその通りで、私も他の生徒が持ってくる高価そうな花に比べて、いかにも庭から切ってきたような自分の花に引け目を感じたりしていました。
小さな思い出ですが、投稿前にその部分をカットしなくて良かったと、今つくづく感じています。
本当にありがとうございました。
今日は一日かけて車の中を片付け、採取してきた砂を標本にする作業もしようかと思っていましたが、旅行中には感じなかった疲れがどっと出て、「明日にしよう」と思ってしまいました。
旅から帰って疲れを感じるなんて、やっぱり年を取ったのですね。 明日になったらまた「明日でいいや」と思うかも知れません。 そんな呑気なことを言っていられるほど残りは長くないのに・・・。
でも、どっちみち人生は「途中で終わる」ものですし、中途半端に終わった後始末は子供たちに任せて、ちんちんたらたらいきましょうか。
ねんきん老人
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