
2021/10/24 - 2021/10/24
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たびたびさん
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三日目は、岡山市の西側、総社市のエリア。鬼ノ城、吉備路風土記の丘やその近辺の巨大古墳群は、ここが古代の地方国家、吉備国の中心地だったことを強く思わせるもの。岡山県では絶対にはずせないエリアです。
吉備国は、大和、筑紫、出雲と並ぶ古代日本の四大王国とも呼ばれますが、その力の源泉のひとつは製鉄技術。日本の鉄器文化は、当初は朝鮮から鉄素材を輸入しそれを加工するところから始まったのですが、古墳時代になると国内でも砂鉄を掘り出して製鉄を行うようになります。吉備国では新羅ほか朝鮮半島との交流の歴史もあり、こうした技術の習得が早かったようですね。また、後世のことですが、吉備国には砂鉄も多かったことで、長船の名刀の歴史も産んでいます。
一方で、記紀の世界でいうと、吉備国の祖は第7代孝霊天皇皇子。第10代崇神天皇の命を受けた四道将軍の1人で、西道に派遣された彦五十狭芹彦命とその弟、稚武彦命。いわるゆ吉備津彦命(きびつひこのみこと)。しかし、吉備国の統一以降は、その力が強大となるにしたがって、ヤマト政権から警戒され、第21代雄略天皇、第22代清寧天皇によって掣肘の憂き目にもあうことに。桃太郎伝説や温羅伝説は、吉備国を平らげた吉備津彦命とその敵、百済の王子で吉備へとやってきて一帯を支配した首領の争いからというのですが、他には、吉備津彦命の後の時代、ヤマト政権と吉備一族の争いからではないかという説もあって、これもなかなか捨てがたいような気もします。
ただ、いずれにしても、吉備国がヤマト政権に警戒されるだけの力を持っていたことは、造山古墳(第4位、5C前半)、作山古墳(第9位、5C中頃)を見ても明らか。そして、それらの伝説や遺跡が古代日本史において謎の4世紀と言われるヤマト政権が成立した頃の時代に直結するかもしれないというのがまた何よりのロマンであり、吉備国を考える上での大きな魅力なんだと思います。
つまり、中国の三国時代、邪馬台国の卑弥呼が朝貢したと「魏志倭人伝」に記されたのが、238~247年。再び、南北朝時代の「東晋書」に倭の五王讃の朝貢が記されたのが413年。この間の約150年が空白、謎の4世紀。一方、広開土王碑に高句麗と倭が戦ったと記されたのが391年であり、これを事実とすれば、この時期までにヤマト政権が成立し勢力を拡大したのはほぼ間違いないんですね。ちなみに、四道将軍の派遣を命じた崇神天皇は、実在していれば3~4C頃の天皇といわれていて、吉備国が吉備津彦命の下に歩み始めるのはヤマト政権が成立してからそこまで遠くはない時代。吉備津彦命ほかその後のヤマトタケルも含めて天皇一族の活躍によってヤマト政権の力が次第に地方に及んでいく過程なのですが、それだけにとどまらずほどなくして朝鮮半島へも進出。その勢力拡大のスピードはかなり急速なものだと感じます。というのも、縄文時代の始まりは1万年前、弥生時代の始まりは紀元前10C頃から。弥生時代だけで考えても稲作が日本列島に徐々に広がってそれが紀元2~3Cまで続いたというスピードですから、これと比較するとヤマト政権が出現し、古墳時代が幕を開け、朝鮮への進出までの動きは、たった4C中のほんの一瞬の出来事。大爆発と言ってもいいくらいの衝撃だったかもしれません。
ところで、雄略天皇は倭の五王の時代の最後。吉備氏の乱は463年で、これを鎮圧。武王の名前で南北朝時代の宋へ遣使し、478年、安東大将軍となり、既に朝鮮半島に足場を築いて積極的な外交戦略も展開していました。堂々たる倭の代表者としての動きですね。
そして、改めてですが、吉備国と関わりのある天皇、崇神天皇から雄略天皇の時代は大和朝廷が成立し急速に勢力を拡大し充実させる時代。吉備国の隆盛期もこれとほぼ重なっていることから、吉備国は基本的にはヤマト政権と連合または従属し、その勃興期を支えた地方国家という評価をされているようですが、国譲りの神話が残る出雲国や大きな反乱が起きた筑紫国と比較するとその評価も頷けるような気がします。
では、この辺りを頭に置いての総社エリア。まずは、鬼ノ城からスタートです。
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今日と明日の二日間は、レンタカーの旅。
タイムズカー岡山駅西口店を利用しました。岡山駅から歩いて10分足らず。地図で見るより近い感じですね。いろんなキャンペーンもやっていて、意外に安く利用することもできました。 -
岡山市を出発して、鬼ノ城に向かうのですが、砂川公園はその途中。鬼ノ城への道はこの砂川公園辺りから坂道になるので、その前の一息といった感じですね。
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広い駐車場から公園へ。鬼城山から流れる砂川の周辺を整備した河川公園ですが、川は水がほとんどなくて枯れ川みたいな感じ。しかし、大水が出ると怖そうに見えました。
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砂川公園から鬼ノ城への道は、細い道なので注意という情報もありましたが、細くても舗装されている道なので、そこまで心配することはないですね。まあ、ほどほどかなと思います。駐車場も広くて、よく整備されています。
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駐車場から徒歩で向かいます。坂道は急ですが、ここもまったく安全です。
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ところで、鬼ノ城は日本100名城のひとつ。朝鮮半島の動乱、百済の滅亡後、百済から逃亡してきた貴族に築城を指導させ築城したとか。ただ、7世紀になってからヤマト政権によって国の防衛のために築かれたとすれば、冒頭で触れた桃太郎伝説や温羅伝説とは直接関係はないように思いますが、そうは言ってもその伝承地とされてきたのもまた事実。その辺りも謎の城と言われる所以のひとつかもしれません。
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ビジターセンターからの散策路を上り始めて、
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まずは学習広場という展望所へ。
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さっき上ってきた山々を見下ろしつつ、
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ここからだと山頂にへばりつくように復元された角楼跡や西門が真正面に見えました。
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イチオシ
復元された姿にしても、なんか素晴らしいですね。
謎の城と言われても、この眺めからすればそれはどうでもいいかも。 -
吉備津彦命でも、桃太郎や温羅。百済の滅亡も含めて、細かいことにとらわれることなく、古代のロマンをまとめて思いが馳せられるような。そんな場所なんだと思います。
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地図によれば散策路は2.8キロもあるようですが、まあ、見えていた西門辺りまで歩けば十分だと思いますけどね。
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さっきの場所からは少し距離があるように見えましたけど
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歩いてみるとあっという間。なんということはないですね。
角楼跡に上がって -
周囲を見渡すとさっきの展望所も見えていますね。
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イチオシ
西門から平野一帯の視界も広いです。
実はさっきから街の選挙カーの声が割とはっきり聞こえていて、下界とはそこまで隔絶されてはいない。ちょっと不思議な感じもしました。 -
西門の方に降りて
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内側から外に出ます。
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まあ、こんなもんかな。
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振り返って見上げると、やっぱりなかなかの威容です。
ではこれで引き返しましょうか。 -
鬼ノ城の駐車場からすぐの鬼城山ビジターセンターにも寄ってみます。
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展示の方ですが、7世紀中ごろから作られ始めた古代の山城全般を解説。
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大和朝廷が国を守るために武装していった歴史が語られていました。確かに九州の大野城とか防人とかだけではなく、岡山にもそうした跡が残っていてもおかしくはない。また改めて古代へのロマンが広がりました。
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鬼ノ城から今度は一気に足守地区へ回ります。
小さな町なんですが、ここは豊臣秀吉の正室、ねねの実兄木下家定を藩祖とする木下家2万5千石の陣屋町。岡山というと大藩である池田家の岡山藩をイメージするのですがそれは備前の話。こちらも含めて備中の方は小藩が割拠していて様相は異なりますので、念のため。
この足守プラザはその町人町の一角にあって、観光の拠点といった施設。 -
プラザ前に小さな駐車場があって、そこに車を停めて散策開始。
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足守の概要を説明する展示パネルほか、敷地内には焼き物のお店もありました。
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限られた範囲だし、さくっと回りましょう。
この街道のようなメインストリートは町人町。藤田千年治邸ほか旧商家から緒方洪庵の生誕地、旧足守藩侍屋敷に木下利玄生家、近水園。そんなところを目指します。 -
足守プラザから北上するとすぐに備中足守まちなみ館。
江戸後期の商家を再現した建物で、 -
瀟洒な印象。
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箱階段や格子窓、虫籠窓など商家独特の意匠を忠実に再現しています。展示室には、足守地区の街並みを撮った写真など。係の人もいて、ちゃんと説明もしてくれます。
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さらに進んで。
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これは、旧足守商家藤田千年治邸。町人町の中心部になりますね。
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ちなみに、藤田千年治というのはこの地で醤油製造業を始めた創始者。代々の当主もその名を引き継ぎました。建物は、明治以降のもので、本瓦葺き入母屋二階造り漆喰塗りとしたもの。二階部分が黒い漆喰といかにも重厚感のある意匠です。
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邸内は、大きな建物特有のちょっとした薄暗さがあって、それも風格の内でしょう。
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上り口を過ぎて、まずは奥に向かいますが
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当時のちょっとした道具類や
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醤油の製造に使われた
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圧搾機とかが置いてあったり、
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蔵の方も当時の雰囲気。
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こんな看板からも往時の隆盛が偲ばれます。
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一方の日本間の落ち着きとかも旧家の品格があって見ごたえあり。
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路地庭園もちょっと凝った感じ。
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堂々としていて、やっぱり足守を代表する観光スポットかと思います。
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最後にパラパラと
これは大福帳ですね。これがなくなると一大事。大きな財産が失われてしまいます。 -
さらに進んで、お茶処 ねねという、これは甘味処ですね。
通りに面してはいますが、 -
敷地の奥まった場所に白壁の落ち着いた感じのお店が見えたので寄ってみました。
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店内もきちんとしていてそれはよかったのですが、なぜか演歌のバックグラウンドミュージックが流れていたのはご愛嬌かな。
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イチオシ
まあ、それはそれとして、いただいたのはあんみつ。しかし、このあんみつはぶどうにキウイとかがふんだんに入っていて、なかなか豪華。そういえば、岡山ってフルーツ大国でしたよね。そういう意味では、ご当地ならではのあんみつ。朝からけっこう元気をいただきました。
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で、妹はぜんざい。あんまりサプライズはなさそう。
あんみつの方がよかったんじゃないかなあ(笑) -
少し元気を回復して、さらに北へ。
もう足守市街の北の端辺りかな。これは足守歴史庭園。 -
足守藩医を務めた山田元みんの屋敷跡を整備した休憩所というのですが、まあ、小さな公園ですね。
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塀の内側には、ねね、北政所や幕末の蘭学者、緒方洪庵、白樺派の木下利玄ら足守ゆかりの人物を紹介した銅版のレリーフがありました。
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小さな藩ですが、ゆかりの人たちはそれなりに豪華です。
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そして、緒方洪庵生誕地は、足守地区の市街北のはずれ。
ところで、緒方洪庵は、文化7年(1810年)、備中足守藩の藩士の三男として生まれます。 -
蘭学医への道を進み、大阪で私塾、適塾を開いて、福沢諭吉・大村益次郎・橋本左内・大鳥圭介といった英才を育てたのは、まさに幕末の金字塔。
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天然痘の予防接種を全国に広めたことは大きな功績ですが、人を育てたのはさらに大きな功績。学問とともにその信条や人間性が高潔であったことは想像に難くありません。
この空き地のような場所は、その生家があった場所ですが、こうして記念碑を建てる意味は十分あるでしょう。 -
市街に戻って、今度は旧足守藩侍屋敷遺構。こちらは、足守藩2万5千石の国家老を務めた杉原家の居宅跡です。
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やはり、家老屋敷なので、長屋門から
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式台玄関、
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座敷から眺める庭園まで、それなりの格式を感じるもの。
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建物内には上がれませんが、あけっぴろげになっているので
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外側から拝見するでも十分ですね。
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イチオシ
係の人がいて、足守藩のことを少し説明してくれました。
大分県にも日出藩木下家というのがあって、これは木下家定の三男である木下延俊が藩祖。親子で別々の所領をもらって、幕末まで続いています。 -
旧足守藩侍屋敷から、今度は近水園を目指します。
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これは陣屋跡。
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その奥が木下利玄生家。
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木下利玄生は、明治19年生まれ。父は足守藩時代最後の藩主。白樺派の中心作家として活躍し、歌壇に新風を巻き起しました。
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土蔵の門から入ると
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広々した敷地に
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ささやかですが、
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違い棚とか勿体を感じる日本間を備えた建物と少し荒れた庭。
豪華さはありませんが、それなりに気品を感じる生家です。 -
さて、一番奥が近水園。旧足守藩主、木下家の庭園です。
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イチオシ
小さな藩だし、程々の規模ですが、小堀遠州流と伝えられる池泉回遊式庭園であり、一応ちゃんとした大名庭園ですね。
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入口を入ると左手奥が数寄屋造りの吟風閣だったんですが、池沿いに右手に向かうと池越しにその吟風閣を仰ぐ形。ここからの眺めが一番かな。ただ、そのままでは吟風閣の方に渡れないのでまた逆回りをしないといけないのがちょっと厄介です。
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イチオシ
近水園は、足守藩6代藩主の木下きん定、18世紀初めのころに造られたよう。
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中央の池には蓬莱島に相当する鶴島と亀島。
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その背後にこの数寄屋造りの吟風閣。
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やはり、これは庶民のものではないでしょう。
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最後に、これは足守文庫。近水園の入口を入って右手に順路を進んですぐのなにげない建物。蘭学医、緒方洪庵に関する資料や足守藩に関する古文書が保存してあるようですが、普段は非公開。建物を外から窺うしかありません。
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足守地区から、総社の市街へ。
備中国総社宮は、東総社駅からすぐ。国道沿いに駐車場があって、そこから歩いて境内に入ります。 -
こちらは備中国の総社であり、総社市の総社はこの神社が由来。
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ここでも回廊が特徴的ですね。
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ただ、備中国分寺跡や一宮である吉備津神社の壮大な姿と比べると街の中にあるし、威容はそこまでは感じないかな。
境内の参道を結ぶ長い回廊と前庭の三島式庭園くらいがまあまあの印象です。 -
そして、この辺りで気になっていたのがこのインダストリー。大人気のパン屋という情報はありましたが、本当にけっこうな行列ですね。
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しばらく並んで、バケットをいただき、カットしてもらって即パクつきました。
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確かに小麦の香りもあっておいしいことはおいしいのですが、しかし、これは想像していた範囲内かな。むしろそれを越えるものを期待していたんですが、そこまでではないように思いました。
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で、もう一つがよこた手打うどん。地元では圧倒的な人気を誇るうどん屋さんです。
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イチオシ
いただいたのは、ぶっかけうどん。シンプルなうどんかと思ったのですが、天かすやわかめだけじゃなくて、野菜片の天ぷらがあれこれ入っていたり、どちらかというと豪華な感じですよね。そして、なによりうどんが素晴らしい。少し太めでぷっくりもっちりのうどんは、コシのある讃岐うどんのようでいて、少し伊勢うどんにも似たところがあるような。その絶妙の加減がこの店ならではのおいしさなんだと思います。
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元気の出たところで、これは作山古墳。
細い道を抜けた先にそこそこの駐車場があって、カーナビだとそこに辿りつきます。 -
古墳時代中期、5世紀中頃に築造された前方後円墳で、国の史跡。墳丘長282mは、全国10位。岡山県では墳丘長350mの造山古墳に次ぐ2位大きさです。
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古墳の上まで上ってみましたが、
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なだらかな道なので、
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実感としてはさほどの大きさは感じないかな。
ちょっとした小山という印象です。 -
続いては、角力取山古墳。5世紀後半頃に築造された方墳。墳丘は一辺約36m×約38m、高さ約5mで岡山県下では最大です。
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イチオシ
墳丘の下から見上げると、小さな石垣と石燈籠。その背後に古い黒松の木があって、ちょっと迫力のある面白い眺めになっていますね。面白いです。
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ここからちょっと寄り道で
清音ふるさとふれあい広場は、通りから少し入った山の上。 -
テニスコートや野球場もあって、けっこうしっかりした運動公園ですね。ちょうど紅葉の季節で辺りはきれいに色づいていましたが、ピクニックとかにはどうなんでしょうね。適当な場所はよく分かりませんでしたが。
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続いては、大人気という農マル園芸 吉備路農園。
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新鮮な果物や
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野菜、花卉などを扱う巨大な産直市場。
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地元特産のぶどうとか豊富な商品と大勢の買い物客で、ここに入るとなんか一気にテンションが上がりますね。たくさんの商品から選ぶというのはそれだけ安心感や納得感にもつながるんでしょう。その実感を強く持ちました。
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こちらは農マル園芸の一角にあるパン屋さん、いっちーのパン屋さん。
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農マル園芸全体に活気があるので、このお店もやっぱり活気がありますね。その雰囲気に流されてけっこう買い込んでしまったのですが、予想以上にメリハリもあっておいしいパン。パンのビジュアルにも気を配っているし、なかなかレベルが高いパン屋さんです。
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こんなビニールハウスの前で少し休憩しながら、いただきました。
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農マル園芸 吉備路農園があんまりよかったので、近くにあるふれあいの里にも寄ってみました。
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こちらはJAがやっているのでそれなりに期待もしていたのですが、結果としてはイマイチかな。品数も少ないし、鮮度の方もイマイチのような。時間にもよったのかもしれませんが、ちょっと期待外れでした。
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さて、ここから吉備路風土記の丘へ。
吉備の発祥の地の匂いが濃い場所ですが、その中心はやっぱりこの国分寺でしょう。 -
境内はがらんとした感じですが、
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そのがらんとした感じも古代の匂いかな。
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そして、この田園風景の中に建つ備中国分寺の五重塔こそ、まさに吉備路のシンボルですよね。
国分寺から歩いて行ける範囲なので、ここから順次、総社吉備路文化館、備中国分尼寺跡やこうもり塚古墳を回ります。 -
まずは、総社吉備路文化館。
内容は吉備国の関連ばかりかと思っていましたが、企画展は現代アートのような内容。奈良なんかでもそうですが、古代ばかりだとそれも疲れる。こうして、吉備路風土記の丘で現代アートを楽しむとまたそれも一興的な面白さが加わります。なんか、分かってるなあという感じがしました。 -
そこから下って、
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今度は、備中国分尼寺跡へ向かいます。
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吉備路風土記の丘の東端なんですが、総社吉備路文化館からちょっとありますね。
遺跡は林の中に点在していて、ここというようなピンポイントではありません。 -
金堂跡がこことか、中門跡はここだとか。少しづつ確認して全体像を想像する作業がちょっと必要です。
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続いて、こうもり塚古墳。吉備路風土記の丘でも開けた場所で、遠くからでも古墳の丘状の地形がよく見えます。
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6世紀後半に造られたもので、全長は100m。
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イチオシ
ただ、見どころは全長19.4mの横穴式石室。
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入口からそのまま中に入ると
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柵の先には大きな石棺も見えました。
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再び、車で吉備路風土記の丘エリア最後のハイライト、造山古墳へ。
古墳時代中期、5世紀前期に造られた前方後円墳。国の史跡で、墳丘長350mは、全国4位。岡山県では最大です。
さきほど拝見した県下で2位の作山古墳は、5世紀中頃。造山古墳が造られた後の古墳なので関連性も想像されますね。
ただ、古墳の裏手の方の小川が流れている方から近づいてしまったので、ここからは上には登れず。しかし、逆に急峻な斜面を見たことでその大きさが実感されたように思います。 -
総社市から岡山市に向かって、気になっていたスポットをもう少し。。
こちらは、旧犬養家住宅は、第29代内閣総理大臣犬養毅の生家。 -
犬養毅は、地元の大庄屋、郡奉行を務めた犬飼源左衛門の次男として誕生。この建物は、江戸時代中期のもので、大庄屋の屋敷構えをそのまま残し、国の重要文化財となっています。
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土間から上がると
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広い板敷きのスペースから奥に畳の日本間が続く。
玄関辺りからすると農家の家なんでしょうが、部屋の感じはやっぱり豪壮で勿体がある。堂々とした家屋だと思います。 -
その奥隣りに建つのは、犬養木堂記念館。門構えからして立派な記念館ですねえ。
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犬養毅の生涯を紹介する内容ですが、ちょっとした熱量も感じるもの。
氏は、従軍記者として西南戦争に赴いたりしたジャーナリストの時代から政界に身を転じると、二大政党である政友会を率いて民政党に対して保守的な立場で臨みます。民政党の浜口内閣が倒れると若槻内閣を経てほどなく昭和6年首相へ。展示された資料の数々からは、政党政治の激しい争いの中心にいた犬養の姿が生々しく伝わってきました。 -
そして、翌年、5.15事件の凶弾に倒れることとなりますが、 「話せばわかる」の言葉はあまりにも有名。ただ、それ以前の政治姿勢について言えば、ロンドン海軍軍縮条約を締結した浜口内閣に対し、統帥権干犯問題を持ち出して攻撃したことは軍部の暴走に口実を与えるものでしたから、政党政治家としては大きな汚点。館内には犬養の弁舌さわやかな演説の声がずっと流れていましたが、戦争への歩みを止めることはそんな生易しいものではない。もしかしたら、浜口と同じく、今度は保守派である自分こそが軍部をコントロールしたいと思っていたのかもしれませんが、そんな思いもあっての「話せばわかる」なのかなあ。真意は分かりませんが、結果的には政争の方に軸足を置き過ぎた政治家のような気もしないではない。悲劇というだけでは語れないいろんな側面がある政治家ではないかと思います。
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ここから、庭瀬の市街地へ。
庭瀬城址は、ごちゃごちゃした市街地の中に突然現れる小さなお堀と石垣の遺構。一応形にはなっているのですが、城としての機能はあまり期待できそうにないですね。 -
始まりは、備中国の三村元親が宇喜多氏の侵攻に備える為に築かせたもの。秀吉の備中高松城水攻めの際にも戦場となりました。江戸時代に入ると宇喜多氏の重臣であった戸川達安が入城し、庭瀬藩2万9千石を立藩。庭瀬陣屋を整備しています。そういう意味では、平和な時代が続いた中での城跡。いい子供の遊び場になっているのもまた面白いかなと思います。
ちなみに、犬養の生家もこの庭瀬藩の領内です。 -
もう一つの撫川城址は、庭瀬城跡から200mしか離れていない場所。ここもごちゃごちゃした市街地に隣接する小さな一角。
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庭瀬城には江戸期に入って庭瀬藩戸川家が入りますが、その戸川家が改易されると、一族の一人が撫川郷5千石を与えられて家名存続を許される。そして、この撫川城跡に居所を置いたのだとか。
こちらも元々は織田の侵攻に備えた毛利方の城だったのですが、長く平和な時代を過ぎて穏やかな雰囲気がある場所となっています。 -
岡山市街に戻ってきて。
最後の宗忠神社は、黒住教の教祖である黒住宗忠を祀る神社。ここが黒住宗忠の生地であり、黒住教の本部があるのだそうです。 -
市街地なんですが境内は広くて、高い塀で囲まれている立派な構え。構えからすると伊勢神宮の関係かと思いましたが、全然違いました。
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さて、晩飯は岡山駅近くの大日亭。西川沿いの人気焼き肉店。ネットの評判がよかったので利用してみました。
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イチオシ
セットのコースはロースとか見事なさしが入ってけっこうな高級感がありますね。で、予想通り少し焼くだけで脂がジュワっと溢れてくるような感じ。
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席はそれぞれ個室になっているので、それもこのコロナの時期だとありがたいと思いました。
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で、今夜の宿は岡山国際ホテル。
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岡山市街の郊外ですが、レンタカーなので問題なし。むしろ気楽に泊まれます。
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少し高台にあって、窓からは岡山市街の夜景がきれいに見渡せました。
明日は最終日。岡山市の西側から、閑谷学校や日生のカキオコを訪ねます。
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