2021/05/08 - 2021/05/22
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ねんきん老人さん
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散るために 咲いてくれたか 桜花
散るこそものの 見事なりけり
昭和20年4月11日、沖縄宜野湾で特攻死した方の辞世の歌だそうです。
自分を桜の花に重ねて還らぬ出撃をしてゆく若者の覚悟が今に伝わる、美しい言葉です。
確かに桜の花は、まだまだ観賞に耐える美しい盛りに、花吹雪となって人々の目を愉しませながら散り、散ったあとも美しいまま地面や水面を飾り続けます。
でも、桜自身は本当に散るために咲いたのでしょうか? もっと咲き続けることは桜の意に反することだったのでしょうか?
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
【 雄川の滝上流展望所 】
5月14日、この旅行7日目です。
車中泊した鹿児島県大崎町の道の駅を出て、2時間ほど走って大隅半島南部の雄川の滝に行きます。
ところが道標に従って着いた所はここ。 何も見えません。
かろうじて草木の間から水がちょっと見えますが、ただの水溜まりのようでしかありません。
どうやらここは「雄川の滝上流展望所」というらしく、よく知られた滝の全貌を見るためには10kmほど走って別の場所に行かなければいけないようです。 -
【 雄川の滝駐車場 】
なんなんだ、あの展望所は!
ちょっと腹を立てながらその10km ほどを走ると、立派な駐車場がありました。
休憩所やベンチ、案内看板もあり、子供連れだったらここでしばらく遊ぶこともできそうです。 -
【 遊歩道 】
こんな渓谷沿いに 1kmちょっと の歩き易い遊歩道が続いています。 -
【 雄川の滝 】
突然、目の前に滝が現れました。 期待に違わぬ美しい滝です。
幅60m といいますから、軽井沢の白糸の滝より小さい筈ですが、周りの景色のせいか、ずっと大きく見えます。 -
【 滝の上方 】
崖の上から落ちる水はここだけ。 落差46m というのはここまでの高さだと思います。
あとは岩の隙間から湧き出ているようです。 -
【 雄川の滝 】
二段の滝見台があり、そこでオバチャン4人組が弁当(?)を食べていました。
「ねえ、頼んでみたら?」 「そうね」
そんな会話が聞こえました。 ほかに人はいないので、私にカメラのシャッターを切ってくれと言いたいのでしょう。
お安いご用ですが、なかなか言い出しません。 「ねえ」「うん」というような言葉も聞こえます。
私としても、会話を聞いていたと思われるのは心外ですのでこちらからは言いにくく、結局最後まで頼まれませんでした。
そんなに私の人相が悪かったのでしょうか? -
【 雄川の滝 】
轟音を上げて滝壺をえぐるように落ちる滝もいいものですが、水が霧状になってシャワーのように落ちる滝もまた風情がありますね。
雨や上流の堰の放流などによってこの滝の迫力が増すこともあるそうですが、そのときは水が濁って、エメラルドグリーンの美しさは見られないということです。 -
【 雄川の滝 】
穏やかな水面が、滝壺の深さによって色を変えています。
ここ数日の雨で濁っているかと心配したのは杞憂でした。 -
【 錦鯉 !? 】
滝壺の手前、浅瀬に鯉が3匹!
野鯉ではなく、愛玩用の錦鯉です。 誰かが放したものでしょう。 生態系云々は別としても、この景色に似合うものではありませんね。
真ん中の鯉は、いつか流行った人面魚のようにも見えますが。 -
【 雄川 】
同じ遊歩道を戻ります。
水の透明度は息を呑むほどで、魚の影はありません。
水清くして魚棲まず、なるほどな。 と思ったのですが、帰ってから調べてみると雄川はニジマスの宝庫なんだそうですね。 天然記念物のサンショウウオもいるということですが、まあそれは、サンショウウオは水の清さのバロメーターみたいなものですから、想像はつきます。 -
【 かかし 】
たっぷりと滝と渓流を楽しんだあと、国道448号線に戻るとすぐ、道端に案山子が並んでいました。
「花咲かじぃじと孫」と書かれていますが、「じじい」ではなくて「じぃじ」というのが笑ってしまいますね。
何かが目に入るとすぐに止まれるというのが車旅の良さでしょうか。 -
【 影絵 】
すぐに止まれるといえば、国道269号線でも視界の隅にシルエットのようなものが見えて急ブレーキを踏みました。
神川ビーチという所らしく、駐車スペースがあり、砂浜に板で作った影絵が何枚か立てられています。
「神川ビーチ影絵の祭典」と書かれていましたが、とくに期間が定められたイベントではなく、作品も不定期に取り換えられたり増減があったりするそうです。 -
【 影絵 】
思い思いに持ち寄った作品だと思いますが、そのアイディアと精度には舌を巻きます。
※ この旅行から帰ったあと、4トラ会員のさつまおごじょさんがこの神川の影絵の祭典について旅行記に書かれていることに気づきました。
そちらの方が作品数も多く、記述も詳しいので是非ご訪問ください。 -
【 鹿屋航空基地史料館 】
昼過ぎ、鹿屋航空基地史料館に着きました。
私は鹿屋という地名から何となく零戦や紫電改の発進基地というイメージを抱いていましたが、戦後もずっと活動している海上自衛隊鹿屋航空基地の中にあるのですね。
ですから、史料も現在の自衛隊に関するものを含めた展示になっていて、屋外には各種の飛行機も並んでいます。 -
【 展示機案内板 】
その飛行機の配置を示した案内板が資料館前に立てられていました。 -
【 三笠艦上の東郷平八郎元帥 】
史料館に入るとまず、コロナに感染した場合に備えて住所・氏名等を書かされます。
別段指名手配中でもないので抵抗はありませんが、他県から来ているという後ろめたさは感じます。
最初に目につくのは、よく知られた東郷平八郎元帥の絵です。 この史料館が日本の海上防衛に関する史料を集めた所であることが伝わってきます。 -
【 零式艦上戦闘機五二型甲 】
見学順路は2階からになっており、まず零式艦上戦闘機五二型機、いわゆるゼロ戦が圧巻です。
これは錦江湾と吹上浜から引き揚げられた2機の残存部分を修復合体させたものだそうです。 エンジンの実物大模型もあり、詳しい説明が書かれていますが、私には理解できません。 -
【 操縦席 】
操縦席もきれいに復元されています。
出撃にあたって最後にこの風防を閉めるとき、隊員は何を思ったのでしょうか。 -
【 その他の展示室 】
2階には神風特攻隊として出撃していった隊員の遺書や家族に宛てた手紙などの展示もあり、一品々々、居住まいを正して拝観しましたが、ここから先はすべて撮影禁止でしたので、ここで紹介はできません。 たとえ許可されていてもスマホなど向ける気にはならなかっただろうとも思います。
この鹿屋基地からの出撃で戦死した特攻隊員は908名に上るそうですが、特攻史料の展示はここだけで、後述の知覧に比べると淡泊な感じがします。 -
【 救護ヘリ 】
1階に降りると、そこでは海上自衛隊航空部隊の歴史と現状が紹介されています。
カズレーザーさんと一緒にくれば色々と説明してもらえたのになぁ、と思いましたが、あいにく連絡がとれず、この日館内で見かけた人間は受付にいた自衛官だけでした。
※ むろんカズレーザーさんと連絡する方法はありません。 -
【 屋外展示 】
案内看板にあった屋外展示です。
海上自衛隊で実際に使われていた歴代の飛行機(固定翼・回転翼)が15機展示されていて、間近で見るとワクワクします。
人間が作った物で最も美しいのは銃と飛行機だと言った人がいましたが、確かに飛行機は誰が見てもかっこ良く、皆見たがる乗りたがるなんてバカな歌もありましたっけ。 -
【 P-2J 対潜哨戒機 】
昭和44年に導入されてから28年間、事故による損失が1機もなかったという国産名機で、私もそれまでの哨戒機に比べてレーダードームが小さいことに驚いた記憶があります。
初めて見る飛行機には驚きを、知っている機には懐かしさを覚えながら1機1機見て歩いていると時間を忘れてしまい、気づけばもう午後4時を過ぎていました。
寝る場所も探さなければなりませんので、心残りではありますが、史料館をあとにします。 -
【 道の駅たるみずはまびら 】
幸い、史料館から1時間足らずの国道220号線沿いに「たるみずはまびら」という、とてつもなく大きな道の駅がありました。
駐車場は大型車11台、普通車205台とパンフレットにありますが、併設する物産館やレストラン棟、魚や肉の直売所などの分を合わせるといったい何台停められるのか、数える気にもなりません。
屋上は展望デッキになっていて、前は錦江湾、前方には桜島が大きく見えています。
近くに入浴施設もあるということで、もう考えるまでもありません。 今夜の宿が決まりました。
メモ帳には「星野リゾートたるみず泊」とでも書いておきましょうか。 -
【 財宝温泉・薩摩明治村 】
道の駅から1kmほどの所にある入浴施設です。
宿泊もできるようですが、私は既に星野リゾートに予約をしてありますから、入浴だけにします。
財宝温泉という温泉があることは知りませんでしたが、雨が地下1000mまで浸透して溜まったもので、それを沸かしたのが財宝温泉だということです。
「3万年前の温泉」と書かれていますが、どうやって計算したのか・・・、ま、いっか。 -
【 浴室 】
こじんまりした、実用一点張りの浴室です。
1時間近くいたと思いますが、その間私以外には誰も入ってきませんでしたので、仰向けに浮いたりして、極楽もかくやという至福のひとときを過ごしました。
途中で脱衣所のガラスにどうやら女性らしい人影が映りました。 私が桶の湯をザーッと流す音をさせると出て行きましたが、あれはたぶん、一人で入った年寄りがいつまでも出てこないので、心配して様子を見にきてくれたのだと思います。 -
【 情報提供室 】
道の駅に戻り、夕食です。
インフォメーションセンターとトイレの入った情報提供室というのがありますが、人がいるわけではなく、観光パンフレットが置いてあるだけで、テーブルやソファが自由に使えます。
いつもは車中で夕食ですが、この日は隣りのコンビニで買ったビールと牛丼をここで食べました。
ときどきトイレに行く人が通るだけで、テーブルは無人でしたから、ぼんやりと脈絡のないことを考えながら、遅くまで・・・。 途中でコンビニまで歩いてビールを買い足したのは覚えています。 -
【 桜島・黒神埋没鳥居 】
翌朝はまた同じコンビニでパンを買い、齧りながら桜島の黒神埋没鳥居に向かいました。
夜半からの雨が激しさを増し、雷がゴロゴロと不気味な音を立てていましたが、初めての場所でもありましたので、見なければ勿体ないと、おっかなびっくり見学しました。
1914年の大噴火で火山灰に埋もれてしまった鳥居だそうです。 周辺687戸も埋もれたというその脅威を後世に伝えるためにあえて掘り出さずに保存しているということで、荒々しい自然の力を目の当たりにして言葉もありません。
神社の鳥居を上から見下ろすなどという体験は、むろん初めてのことです。 -
【 退避壕 】
すぐそばには退避壕があります。 次の退避壕まで500m という表示もあり、桜島の人たちが常日頃から降灰に備えていることが伝わってきます。
これほどの危険にさらされながらなおその土地を棄てずに住み続けるには、よそ者には分からない事情があるのだと思います。 -
【 有村溶岩展望所 】
桜島南辺の有村溶岩展望所です。
桜島は3回目ですが、1回目はどこかでラーメンを食べ、あまりの不味さに二口目がどうしても喉を通らなかったこと、2回目はここ有村の展望所で火山灰を袋に入れて持ち帰ったことぐらいしか覚えていません。
その展望所も今回はきれいな遊歩道や展望広場ができていて、記憶にある場所とはまったく重なりませんでした。
今回は傘をさしての散策でしたが、桜島は深い霧に覆われ、見えませんでした。 -
【 変容した1円玉 】
何のためか岩の上に1円玉が沢山置かれていましたが、噴煙を包み込んで降る雨のせいでしょうか、無残に変色しています。 -
【 退避壕 】
駐車場に戻ると、ここにも退避壕がありました。
記憶にありませんが、比較的新しく見えますので、前回来たときにはなかった、ということにしましょう。 -
【 桜島フェリー 】
桜島港に行くと、国道からの進入路に高速道路の料金所のようなゲートがあり、そこから先は数本のレーンになっていて、否応なしにフェリーに乗り込んでしまいます。 -
【 桜島フェリー 】
前回は鹿児島・桜島間を往復したのですが、こんなに立派な船だったような気がしません。 -
【 清泉寺観音堂 】
鹿児島港を出て国道226号線を南進していると、右手に金色の観音像が見えました。
ともあれ右折してみると、そこには清泉寺観音堂という表示が。 といってもここは妙円寺の出張所で、観音像も納骨堂も妙円寺が建てたものだそうです。
近くに清泉寺というのがあったにはあったそうですが、それは明治2年の廃仏毀釈で廃寺となっており、観音像も1990年代に台湾で作られてここに運ばれたということですから、清泉寺とは何の関係もなさそうです。
なんだか分かりませんが、観音様は観音様ですから、手を合わせます。 -
【 納骨堂 】
観音像の足元は納骨堂になっていて、正面に8体の仏像が置かれています。
妙円寺の管理下にあるということまでは分かりましたが、人の気配はありません。
まあ、私にとっては特に問題があるわけではありませんので、ここで昼食を摂ることにします。
いったん近くのコンビニに行き、スパゲティ・ナポリタンと「お~いお茶」を買ってきました。 -
【 菩薩像 】
辺りに人がいないのを幸い、33mの観音様を仰ぎ、また並んだ如来様、明王様、菩薩様を拝観しながら腹を満たします。
なんだか罰当たりな気がしないでもありませんが、その辺は路銀に事欠く年金生活者の不行儀とお許しいただくとして。 -
【 濃霧の県道23号線 】
さて、腹も膨れたところでこの日の主たる目的地、知覧に向かいます。
朝から小止みなく降り続いていた雨ですが、この辺りから小雨になり、代わって霧が立ち込めてきました。 県道23号線では前を行く車が見えなくなり、対向車も直前まで認識できない状態が続きます。
初めて行く特攻隊出撃の地に対する漠たる思いを知ってか知らずか、自然の為せるわざには畏怖の念を禁じえません。 -
【 知覧特攻平和会館 】
知覧特攻平和会館に着きました。
今さら私などが説明を加える必要のない、誰もが知る施設ですが、私がここに来るのは初めてで、緊張を思えます。
会館正面に続くアプローチは、左右にいくつもの石碑や説明板が置かれ、ここが日本近代史の重要な場所であったことを物語っています。 -
【 知覧教育隊門柱 】
昭和16年12月に開校された大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所(のちの知覧教育隊)の正門だそうです。
ここでは約600名のパイロットが養成されたそうで、戦争末期の沖縄戦特攻隊員1036名のうち439名がここから出撃したとのこと。 -
【 映画記念碑 】
これは2007年に公開された映画『俺は君のためにこそ死ににいく』の記念碑だそうで、石盤に脚本を担当した石原慎太郎さんの言葉が書かれています。
私もその映画は観ましたが、史実を基にしての映画という視点よりも戦闘スペクタクルのような見方をしていたらしく、ストーリーはよく覚えていません。 -
【 映画記念碑 】
これも映画記念碑です。
高倉健さんと田中裕子さんが主演した『ホタル』という映画だそうで、私はそれを観ていないので、この碑を見ても、申し訳ありませんが、とくに感じるものはありませんでした。 -
【 ロビー 】
会館に入ると、ロビーで『知覧飛行場の歴史』というVTRが流れていました。 1回15分ほどのものですが、2回観てしまいました。
理由は単にメモが間に合わなかったからというだけです。 -
【 知覧鎮魂の賦 】
ロビーの壁には『知覧鎮魂の賦』と題された絵が掲げられています。
信楽焼の陶板画で縦3m、横4.4m。 描かれているのは、燃え上がる戦闘機「隼」の機体から特攻隊員の魂を6人の天女が救い出して天に導こうとしている様子だそうです。
作者の意図は判りませんが、私には天女たちが特攻隊員を救い切れない自分たちの無力を悲しんでいるようにも見えました。
肉体を救えないとしても、せめて魂を天に導こうとしている天女たちの心情を語るようなその動きと表情に、大袈裟ですが、ハラハラするような臨場感を覚えます。 -
【 零式艦上戦闘機五二型丙 】
ロビーからガラスを隔てた空間に零式艦上戦闘機が展示してあります。
鹿児島県甑島の沖合に沈んでいたものを昭和55年に引き揚げたのだそうで、損傷が激しいものの、逆に内部の構造がむき出しになっている部分もあり、闘いのための飛行機であることが実感できます。
余談ですが、私の持論を述べさせてください。
ゼロ戦、ゼロ戦と言うが、当時は英語がご法度の時代。 野球でストライクを「いい球」と言っていた世の中だ。 そんなときに日本が自軍の飛行機を敵性言語である「ゼロ」を使って呼ぶ筈がなく、正しくは「零戦(れいせん)」と呼んでいたに違いない。
とまあ、これが持論ですが、よくよく調べてみると当時は「れいせん」というのが正式ではあったものの、ゼロ戦という呼び方をする者もけっこういて、それが問題になることはなかったとのこと。
いつもながら私の知識というのはこんなもんですね。 -
【 弱い?機体 】
零戦は小回りが利き、ドッグファイトなどには向いていたようですが、それには機体を軽く、それでいて翼を大きくする必要があり、その分、装甲は薄くせざるを得なかったそうです。
これについて第三四三海軍航空隊戦闘員の本田稔少尉が晩年にテレビで語っていた話は、私の零戦観を一変させるものでした。
曰く、零戦に乗るのは鎧なしで戦さに出るようなもので、存分の働きはできない。 その点、紫電改は装甲が厚く、思い切って敵陣に切り込むことができた、というのです。
ここに展示してある零戦の損傷した姿を見て、なるほどこれでは生きて還ることはむずかしいだろうと思いました。 -
【 零戦翼部 】
多くの史料・証言が語っていますが、零戦は攻撃には向いていたものの、反面で機体が軽量軟弱で敵弾を1発くらえば致命的な打撃をこうむってしまったということです。
それに対して米軍のF6Fヘルキャット(通称グラマン)は直線的な攻撃を加えたあとは空中戦に応じず、高速で逃げ去るという戦法に徹していたようで、その頑丈な機体は何発命中させても容易に堕ちなかったといいます。
パイロットの命に対する日米の考え方の差があったのかと思ってしまいます。
ここに展示された零戦を見て、改めてその翼の大きさと装甲の薄さを実感しました。 -
【 零戦翼内 】
自分の記憶に自信がないので、帰ってから愛媛県愛南町で保存・展示されていた紫電改の写真を引っ張り出して比べてみました。
引き揚げ時期や水深は両機とも大きくは違っていません。 とはいえ墜落の原因、沈んでいた間の潮流その他の条件も違うでしょうから単純な比較はできませんが、紫電改が見るからにがっしりした機体であるのに対して、この零戦の、とくに翼部の装甲は薄く見えます。
これで米軍の対空連射によって張られた弾幕の中を飛び続けることは、どう考えても無理です。 -
【 機銃 】
零戦の諸元を見ると、主翼に20ミリ機銃2挺が搭載されているということですが、たぶんこの左側がそれだと思います。 右側は分かりません。 -
【 三角兵舎 (複製)】
出撃の決まった特攻隊員が最後の数日を過ごした宿舎だそうです。
林の中に半地下の壕を掘り、屋根には杉の幼木をかぶせて敵に見つからないようにしていたとのこと。
-
【 三角兵舎内部 】
出撃前夜はここで、遺書や手紙を書いたそうです。
それらの多くが会館内に保存展示されていますが、若者たちの最後の言葉が端正な字で綴られており、会ったこともない私でありながら涙をこらえ切れませんでした。
親・兄弟・妻・婚約者たちのためとはいえ、上官に名前を読み上げられたらその数日後には還ることのない飛行機に乗って死んでゆく、という理不尽の中で、どうして彼らはこうも整った文章が書けたのでしょうか。 -
【 特攻平和観音堂 】
沖縄戦ではここ知覧からの出撃者439名を含む1036名の方が特攻作戦で亡くなったそうですが、その方々の慰霊と世界の恒久平和を願って建立された観音堂です。
富屋食堂のことは映画や本などで広く知られていますが、そこで特攻隊員たちから「お母さん」と慕われた鳥濱トメさんが、戦後ねばり強く行政に働きかけて建立に至った観音堂だそうです。 -
【 特攻英霊芳名碑 】
観音堂の前には、特攻作戦で死んでいった方全員のお名前を刻んだ碑が建っています。
せめてもの供養をと考えて、お一人ずつ声に出して読み始めましたが、片面の半分ぐらい、あとで写真で数えたらたぶん300名弱で疲れてやめてしまいました。
爆弾を積んで敵艦に突っ込んでいった方と、ただお名前を読むだけのことすら途中で投げ出してしまった私と・・・。 -
【 参道に並ぶ灯籠 】
観音堂の参道には、全国から寄進された灯籠がずらりと並んでいます。
1基1基、特攻兵を偲び、その慰霊のために建てられたものだそうです。 -
【 鳥濱トメさん顕彰灯籠 】
鳥濱トメさんが出撃を間近にした特攻兵たちを親身になって世話したことを顕彰して建立された石灯籠だそうです。
碑盤に刻まれた歌はちょっとだけ文言が一致しない部分もありますが、たぶん陸軍飛行第105戦隊増田利雄軍曹(21歳)が詠んだものだと思います。
散るために 咲いてくれたか 桜花
散るこそものの 見事なりけり
これについて多くのブログで「神風特攻隊員の辞世の歌」と紹介されていますが、私は敢えて異を唱えたいと思います。
「神風特別攻撃隊」は海軍の特攻隊に付けられた名称で、増田軍曹は陸軍ですから、カミカゼと言われたら本人には不満ではないでしょうか?
現代の小型プロペラ機を何でもかんでも「セスナ」という人がいるように、特攻隊はすべて「カミカゼ」だと思っている人が多いのは、陸軍兵として死んでいった人に失礼ではないでしょうか?
ちなみに陸軍の特攻隊をひとくくりにして呼ぶ名称はなく、部隊ごとに固有の呼び方をしていたようですが、私は不明にして増田軍曹の所属部隊の名称を知りませんので、陸軍特攻隊員ということでお許しいただけたらと思います。 -
【 とこしえに 】
平和会館の横にある護国神社、その前に「特攻勇士の像・とこしえに」と題される像が建っています。
「み霊のとこしえに安らかならんことを祈りつゝ りりしい姿を永遠に伝えたい心をこめて」云々の文字が刻まれ、おそらく会館周辺の彫像・碑の中で最も知られた像だと思います。
後方にある飛行機は、最近まで使われていた航空自衛隊のT3練習機ですが、置いてある場所が場所なので、特攻機だと思う参観者が多いとのこと。 何の関係もありません。 -
【 隼 】
映画『俺は君のためにこそ死にに行く」撮影のために作られたレプリカです。
モデルは陸軍の一式戦闘機「隼」で、ここ知覧からは120機が特攻機として飛び立ったということです。 さまざまな考証を経て忠実に作られたというだけあって、本物と言われても疑わないほどの迫力があります。 -
【 平和の鐘 】
鐘そのものについての説明はありませんが、「平和の鐘です 優しく 突いてください」と書かれたプラスチック板のようなものが柱に取り付けてありましたので、平和を祈念して突く鐘なのでしょう。
そう解釈して、私も突かせていただきました。 -
【 知覧特攻平和会館をあとに 】
たぶん時間も空間も喜びも悲しみもないであろう「死」というもの。 それは人にとって避けることのできない究極の世界だと思います。 いや、「世界」という概念にも当てはまらないかも知れません。
とすれば、それを強要できるのは生物界の摂理だけであり、受け入れるには「寿命」と言う言葉で自分を納得させるしかないと思います。
それなのに、お国のためといって他者に死を強要したり、愛する人のためといって自分を特攻機に乗せたりしていい筈がありません。
花は散るために咲いているのではない。 咲いている花を敢えて散らすことは、どう理屈をつけても許されることではありません。
知覧特攻平和会館を離れる道は、会館を目指して走った道と同様、深い霧の中でした。
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この旅行記へのコメント (25)
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- ちいちゃんさん 2022/11/09 11:33:03
- 「滝の上が気になるのが私の悪い癖」と右京さん風に
- ねんきん老人さん、いつもながら五つ星どころが満天の星の下ホテルでの宿泊、一度挑戦してみたいと思っています。
雄川の滝、落差や水の流れに風情があり遊歩道も歩きやすそうだし、滝や波って一日中でも見ていられるから不思議です。私は滝を見るとその上が気になって気になって、湖や川から落ちてくる様子に惹かれます。居合わせたお姉さまたち、ねんきん老人さんがイケメンだから頼みにくかったのではないかしら(もちろん冗談で言っています)。我が岩手4トラ会には、なんとあの自撮り棒なるものを持ち歩く猛女がいますよ。備えあれば憂いなしなんでしょうが、憂いるほうを選びます。
息子だったり兄弟だったり、恋人だったりする人を戦地に見送る辛さは想像もつきません。特攻隊員への餞別としてチョコレートが手渡されたらしいですが、その中には覚せい剤のような薬が混ぜてあったとか。士気をたかめ死への恐怖をなくすためでしょうが、本当だとしたらなぜ人はこれほど残酷になれるのかしら。ハワイが好きで何回も訪れていますが、いまだにパールハーバーへは足を向けられません。
会員番号4番のちいちゃん
- ねんきん老人さん からの返信 2022/11/09 17:25:26
- 滝の上はやっぱり気になりますね。
- 親愛なる会員・ちいちゃんさん、書き込みをありがとうございました。
相変わらず「星の下リゾート」を巡って旅行をしていますが、医者に行く回数も増え、いよいよ「地の下リゾート」も近くなってきたかなと思っています。
雄川の滝でオバサンたちにシャッター切りを頼まれなかったのは、私の人相が悪かったからだと思っていましたが、ちいちゃんさんの「イケメンだから頼みにくかったのでは」というお言葉にニンマリしました。 俺もまんざら捨てたもんじゃあねえな、という気分です。
それはともかくとして岩手にはいまだに自撮り棒を振り回す人がいるのですか!? 中国人と間違えられませんか? 4トラの旅行記にも、明らかに自撮り棒を使ったと思われる写真がときどき見られますが、皆さん、もっと気軽に居合わせたイケメンに頼んだらいいと思いますね。
滝の上は確かに気になります。 私も上から覗く快感をいつも楽しんでいましたが、最近は老人性平衡感覚不全症を自覚していますので、水の流れに体が誘われたりする恐れがあります。
特攻隊員たちとその家族の悲しみ、苦しみ、絶望感については、当時生まれたばかりで歩けもしなかった私でも、なにか申し訳ないような気持ちを抱いてしまいます。
私たちは、自分が気をつけていれば明日・明後日に死ぬというようなことがなく生きてきましたが、特攻隊員たち(その他の兵隊さんたちもですが)は、
自分の意思とは関係なく、名前を呼ばれた瞬間に死を強要されるわけですから、その思いは私たちの想像を絶するものだったと思います。
今でもウクライナの人たちが家族と引き離されて戦場で駆け回っているのだと思うと、胸が詰まりますし、自分の無力感にもさいなまれます。
ロシアが保有している核爆弾が数千発あるというような話を聞くにつれ、人間の愚かさというものは果てしないものだと思ってしまいますね。
このことについて書き出すと終わりませんので、ここで切ります。
本当に、いつもありがとうございます。
ねんきん老人
-
- ちいちゃんさん 2022/11/09 11:32:58
- 「滝の上が気になるのが私の悪い癖」と右京さん風に
- ねんきん老人さん、いつもながら五つ星どころが満天の星の下ホテルでの宿泊、一度挑戦してみたいと思っています。
雄川の滝、落差や水の流れに風情があり遊歩道も歩きやすそうだし、滝や波って一日中でも見ていられるから不思議です。私は滝を見るとその上が気になって気になって、湖や川から落ちてくる様子に惹かれます。居合わせたお姉さまたち、ねんきん老人さんがイケメンだから頼みにくかったのではないかしら(もちろん冗談で言っています)。我が岩手4トラ会には、なんとあの自撮り棒なるものを持ち歩く猛女がいますよ。備えあれば憂いなしなんでしょうが、憂いるほうを選びます。
息子だったり兄弟だったり、恋人だったりする人を戦地に見送る辛さは想像もつきません。特攻隊員への餞別としてチョコレートが手渡されたらしいですが、その中には覚せい剤のような薬が混ぜてあったとか。士気をたかめ死への恐怖をなくすためでしょうが、本当だとしたらなぜ人はこれほど残酷になれるのかしら。ハワイが好きで何回も訪れていますが、いまだにパールハーバーへは足を向けられません。
会員番号4番のちいちゃん
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- mom Kさん 2022/02/26 16:04:58
- 表紙お写真と題名秀逸
- 知覧へ行ったのは、数十年前で、これほどまで整備されているのに、かえって不気味ささえ感じます。隠された意図を思う、最近敏感になっているばばならぬばぁばです。
エールうれしく思います。
- ねんきん老人さん からの返信 2022/02/26 18:02:42
- 知覧へのご旅行を共有できて嬉しいことです。
- mon Kazuko さん、こんにちは。 書き込みをありがとうございました。
知覧に行かれたことがあるのですね。 体験を共有できて、嬉しく思います。
日本の歴史にとって、忘れてはならない場所ですね。 私も実際には戦争を知らないのですが、戦史の勉強を少しするだけで、自分のことのように辛い思いになります。
戦争で亡くなられた方々のおかげで今日があることを忘れずにいたいと思います。
重ねて、ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- sanaboさん 2022/01/24 00:20:14
- 今年もよろしくお願いいたします。
- ねんきん老人さん、こんばんは
知覧特攻平和会館は訪問したこともありませんし詳しく知りませんでしたので
ねんきん老人さんの旅行記を拝読し深く考えさせられました。
出撃前夜にしたためた遺書や手紙が展示されているそうですが
どのような思いで書いたのだろうかと想像しただけで胸がつまされてしまいました。
お国のために自らの命を捧げた若き特攻隊員たちのことを日本人として
決して忘れてはなりませんね。
ロビーの壁に飾られていた『知覧鎮魂の賦』と題された陶板画が印象的でした。
ヨーロッパでは『聖母の被昇天』の絵画を目にすることが多く
天使たちとともにマリア様が昇天される姿が描かれていますが
陶板画に描かれた特攻隊員と天女の姿が重なって見えました。
ところで、『知覧飛行場の歴史』というVTRを2回ご覧になったそうですが
メモをしたためるためだったことが解り、いつもながらねんきん老人さんの
篤き勉学心に敬服いたしました。
今年もお健やかでご活躍されますことをお祈りしております。
sanabo
- ねんきん老人さん からの返信 2022/01/24 10:45:16
- 当たり前ではない「平和」を大切にしたいと思います。
- sanabo さん、こんにちは。
知覧特攻平和会館についてのご感想、ありがとうございました。 いつもながら浅薄な知識しかもたずに見学をして、帰ってからあれもこれも見落としたと後悔している私ですので、sanabo さんのように具体的なご感想を寄せていただくと、恥じながらも大きな励みになります。
陶板画『知覧鎮魂の賦』から『聖母被昇天』を連想されたとのお話に、新しい視点を得た思いです。 洋の東西、信仰対象の違いはあっても、天に召される者とそれを守ろうとする天使・天女の姿には重なる部分が多いのですね。 sanabo さんのお話で初めて気づきました。 ありがとうございます。
私達は今、戦争のないことを当たり前だと思い、戦争なんて起きる筈がないとさえ思っていますが、ほんの少し前、私がこの世に生まれて2年が経ったころに多くの若者が自らの命を棄てて敵艦に体当たりしていったことを思うと、平和ぼけした自分の学びの浅さ、感性の鈍さをただただ申し訳なく思います。
私はもう先も短く、何をすることもできませんが、せめて、あの戦争で亡くなられた方々への感謝の気持ちだけは失いたくないものだと思っています。
旅は多くのことを学ばせてくれますね。 sanabo さんの旅行記にいつも刺激を受けている巡り合いを大切に、これからも行く先々での見聞を大切にしてゆきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ねんきん老人
-
- 風 魔さん 2022/01/18 00:12:39
- 特攻隊の歴史を想う!
- 特攻隊の基地を想う!
私は「真面目なミリタリーマニア」ですが、戦史を研究して特攻隊の基地は海軍
=鹿屋、陸軍=知覧と別れて特攻に出撃して行ったと聞きました。
我が家の近くには特攻隊に指名された方が住んでおり、当時のお話しを聞き海軍
の戦闘機「紫電改」の写真を頂き、額に入れて居間に飾ってあります。
さらに自宅には太平洋戦争開戦の「天皇の開戦詔書」の「御名御璽」のお言葉が
記された掛け軸があり、どこかの歴史記念館に寄贈しようと思っています!
太平洋戦争の末期・1944年には、地元三保海岸に海軍甲種予科練の飛行場があり、
多くの若者がきびしい訓練飛行に明け暮れていました。
現在は富士山を望む飛行場の跡地に、記念碑が立っています。
今の日本の若者は、毎日が楽しければイイと云う考えで、「暮らし、社会、政治」
の事を真面目に考える者が少ない事が残念です!
20代の若者が特攻を前にして家族に「辞世の句」を残すなど、戦後の民主教育の影
に消え去った心情は「反戦」だけでは、語れません!
またの訪問と情報交換を!
風 魔
- ねんきん老人さん からの返信 2022/01/18 10:21:20
- 戦死ご研究に敬意を表します。
- 風魔さん、小生の駄文に書き込みをいただき、ありがとうございます。
戦史をご研究とのこと、意を強くしました。
時代背景が違うとはいえ、現代の若者のていたらくに切歯扼腕している身として、特攻に散っていった若者たちに申し訳ないという気持ちが整理できないでおりますので、風魔さんのような方がいらっしゃるということには勇気づけられる思いです。
実は私も以前、紫電改についてあちこちの資料を拾い読みし、それらをつなげて一文を綴ったことがあります。
それは私のブログに載せてありますので、もしお時間がありましたらご一読いただければ光栄です。
http://zatsunen4989.web.fc2.com/hitorigoto/063_shidenkai.html
URLで検索していただくか、
「雑念怨念羞恥の念」と文字入力していただき、あとは 「ねんきん老人の独り言」⇒「紫電改、その哀れ」を選択していただくと、その稿が出てきます。
甲飛予科練之像は私も三保海岸に行った折に拝見し、胸を打たれました。
戦争のない社会を見ることは私の余生では望めませんが、せめて戦争で散った方々のことは記憶し続けていこうと思っています。
ねんきん老人
-
- kiyoさん 2021/12/29 15:03:27
- 深く考えさせられました
- ねんきん老人さん、こんにちは。
いろいろと考えさせられる旅行記でした。
特攻隊員として戦死された多くの若者たち。
映画やTVドラマで見るたびに、どうしてこんな理不尽な事を
強いられなければいけなかったのか。
胸が苦しくなります。
知覧に特攻平和会館があることは知りませんでした。
せめてもの供養にと、お名前をお一人ずつ読み上げる、
ねんきん老人さんの優しさに心打たれました。
300名弱だなんて、相当な数です。
特攻隊員の方々も、きっと喜んでいらっしゃったことと思います。
桜島の黒神埋没鳥居。
懐かしいです。
私も以前、旅行で訪れました。
当然と言えば、当然ですが、足元には火山灰が降り積もり、
すぐ隣の小学校のグラウンドの地面も火山灰。
前を見れば、当たり前のごとく退避壕が設置され、
桜島の噴火と共に、日常の暮らしがあるのだと改めて気づかされました。
いろいろと不便なこともあるでしょうが、それでも、そこに住み続ける。
それだけの魅力が桜島にはあるのですね。
kiyo
- ねんきん老人さん からの返信 2021/12/29 16:10:54
- 故郷は簡単に捨てられるものではないのですね。
- kiyo さん、桜島の黒神埋没鳥居をご覧になったとのこと、共通の体験を持つことができて、とても嬉しく思います。
仰るとおり、避難壕に守られながらの生活、さぞや不便なことだろうと思いますが、それでもそこに住み続けるというのは、やはりよそ者には分からない桜島の魅力があるのですね。
東日本大震災で壊滅状態になった故郷を棄てられず、不自由を承知で戻ってくる人たちがいるという事実を見ても、やはり故郷というものは簡単には捨てられないのだと思います。
特攻という、何をどう考えても理不尽な作戦を否定できなかった社会、その中で「お前の番だ」と言われて飛行機に乗らなければならなかった若者たち、それを「万歳!」と叫んで送らなければならなかった家族・・・。
たまたまの巡り合わせで戦争を体験せずに済んだ私たちは、あの特攻隊員たちに向ける言葉というものがありません。
せめて、本当にせめてもの気持ちから芳名碑を(途中まで)読んだ私の心情をお察しくださって、ありがとうございます。 白状しますが、あの時は途中で声がつまってしまい、続けられなかったのです。 縁もゆかりもない白髪じじいの涙など、あの若者たちにとっては噴飯ものだっただろうと、今も申し訳ない気持ちです。
今も世界には武器を持って走ったり倒れたりしている若者たちが沢山いるのですね。 何もできない自分がもどかしい限りですが、どうか人と人とが殺し合わなくていい世の中が一日でも早くきてほしいと、ただただ祈るばかりです。
重ねて、ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- yamayuri2001さん 2021/12/29 11:23:03
- 知覧・・・
- ねんきん老人さん、こんにちは。
雄川の滝、知らなかったけれど、素晴らしい滝ですね。
そこでの 待っていたのに、掛からなかった声
複雑な心境、お察しいたします。
鹿屋航空基地史料館は、思ったよりも充実している展示ですね。
鹿行は通過したことはあるのですが、
このような史料館の存在は知りませんでした・・・
知覧特攻平和会館は、息子が行って
今までで一番人生を真剣に考えさせられた場所だと申しておりました。
私はまだ行ったことが無いのですが、
息子を二人育てた親の視点から見ると、
当時の母親は、お国のために死にゆくのは名誉とされていた。
そんな馬鹿げた思想を信じ込ませた教育が恐ろしいと感じました。
私なら、何があっても、息子たちを死なせたりはしない!
与謝野晶子と同じ心境です。
教育の力は大きい・・・
この時点で、人と人とが殺戮しあうのは愚かだと
教育されていたならば・・・
それが無くて、当時の日本人は戦争に反対する人は
皆 投獄されていた・・・
考えただけでも恐ろしい社会です。
それと 今は大丈夫なのだろうか・・・
意見を言える時代になっているのだろうか?
報道は偏らずに正当に手に入れられているのだろうか・・・
今の時代でも、不穏な空気はあります。
それを感じ取っていない人も大勢います。
正しい方向に向かっているのかを判断するのは一人一人です。
8月に戦争関係の番組がほとんど無くなって久しいですね。
このような戦争の記憶を抹殺してしまうのも恐ろしいし、
被爆国なのに、アメリカに忖度して核兵器禁止条約の採択に
参加しないなんて、考えられないです。
それまでの長崎や広島の人々の苦しい思いを無視しているとしか・・・
話が飛躍して、知覧だけではなくなりました。
我が家では知覧茶をよく飲みます。
宇治よりも静岡よりも、嬉野よりも
美味しい・・・
それは特攻隊の悲しみの産物なのかと感じることがあります。
スミマセン、脈絡のないコメントになりました。
しかし、年末にしっかりとまた思いを確認させて頂きました。
ねんきん老人さんの旅行記には重みがあります。
また、来年も重みのある旅行記を読ませてください。
どうぞ、良いお年をお迎えください。
yamayuri2001
- ねんきん老人さん からの返信 2021/12/29 15:47:54
- 教育する側の責任を考えなければいけませんね。
- yamayuri2001 さん、拙稿にご丁寧な書き込みをありがとうございました。
ご子息が「今までで一番人生を真剣に考えさせられた」と仰ったとのことを知り、頼もしい思いを抱きました。 日頃、チャラチャラした若者の言動に辟易していますので、真面目な場所に行き、真面目な感想を持たれる若者の存在には勇気づけられます。
戦争当時の教育が多くの若者を死に追いやった事実、それを止められなかった大人たち・・・その多くが教育によって、いわば洗脳されていた事実を思うと、教育というものの恐ろしいほどの力を痛感します。
このことは、中国や韓国で諸悪の根源が日本人であるように教えられ、それが心底に沁みついている民衆の姿が語っています。 日本もかつてはアメリカ人、イギリス人を「鬼畜米英」などと教えていましたから、今、中韓を責めることはできませんが、教育による洗脳の恐ろしさは感じます。
yamayuri2001 さんが仰るように、被爆経験があり、世界に核兵器の廃絶を訴えることになんらためらう必要のない国でありながら、日本が核兵器禁止条約に賛意すら示せないという体たらくを思うと、あの大戦の反省がどこにあるのだろうと思ってしまいます。
私は、妻が死んで以来、急須でお茶を入れたことがありません。 無論、家には急須がありますし、湯飲み茶椀もありますが、独身時代を含め自分で急須を使ったことがないので、どうも大変な作業に思えてしまい、お客さんが来てもペットボトルのお茶を出している有様です。
yamayuri2001 さんが知覧茶は特攻隊の悲しみの産物なのかと書かれているのを拝読し、いつか知覧茶を買って、急須で入れてみようかという気になってきました。
実現するかどうか分かりませんが、宿題にしようと思います。
ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- bingoさん 2021/12/24 22:13:05
- とこしえの知覧
- ねんきん老人さん
いつもありがとうございます。
知覧特攻平和会館、私も1992年に行ってます。
思春期の頃から太平洋戦争には興味があったので。。。
当時の印象は、とにかく「遺書」です。
まだ二十歳に満たない多くの若者が家族に宛てた最後の言葉に涙ボロボロでした。
こんな神聖な場所に、粋がった小若い衆(bingo)がオープンカー転がして行ってしまいました。今思えば、なんと罰当たりな事でしょう。
恥ずかしながら、当時の旅行記もアップしております。笑
縁あって広島県民となって10数年経ちましたが、昭和20年は大日本帝国が奈落の底に落ちる寸前であったと思います。
ゼロ戦は、確か零式艦上戦闘機が正式名称で、海軍が三菱の堀越技師さんたちに、無理なパフォーマンスを要求したから防御力が置き去りになりましたが、いかにも日本軍的思考ですし、不謹慎ではありますが、そこに哀愁や儚さを感じてしまいます。
今は展示物も充実しているようで、昭和55年に引き揚げられた機体を見に、もう一度訪れたい施設です。勿論、遺書も。。。
とても詳細に記していただきまして、ありがとうございました。
bingo
- ねんきん老人さん からの返信 2021/12/25 10:12:15
- フェアレディ・・・とこしえの憧れです。
- bingo さん、拙稿にわざわざの書き込み、ありがとうございます。
bingo さんも知覧特攻平和会館に行かれて、そのときの旅行記もアップされているということで、早速拝読しました。
フェアレディを駆って自在に旅行をしている姿、ただただ羨望の思いでした。1992年に知覧に行かれたということですが、その頃だったら私はトヨタのランドクルーザーに妻と3人の子供を載せて「ザッツ・ファミリー」という感じで出かけていました。
トヨタのスプリンターから始まった私のカーライフは、常に大衆車で、フェアレディは遠い遠い世界の話でした。
若い特攻隊員たちの書いた遺書に、辺りをはばかりながら涙を拭いたのは私も同じです。
歴史の過ちというにはあまりにも酷い日本の愚策でしたが、それを「失敗・無駄死に」という言葉だけで語るのは、死んでいった方々に申し訳ないという気持ちがあります。
せめて、当時のことをしっかりと学び、特攻隊員が気に掛けながら出撃していったご家族たちのその後についても検証してゆくことが、私たちの務めだと思いますので、これからも日本近代史についての資料は読み続けていこうと思っています。
同じ場所を訪問されたという bingo さんの存在に勇気づけられました。ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- Decoさん 2021/12/18 11:54:40
- 尊いのは生きること
- ねんきん老人さん、こんにちは。
こちらの旅行記を拝見していろいろと考えさせられました。そして皆さんのコメント・ねんきん老人さんの返信を読んで、胸のつかえがおりたような気がします。
美しいもの、尊いものは命そのものであり、授かった命を精一杯生きること。人にとって死は避けられないからこそ、命を大切にしなければならない。国家が国民の命を絶つようなことは、絶対にやってはいけないと思います。死は悲しいもの。辛い者。残されたものの悲しみは深い。だから、テレビや小説などで死を美化したりヒロイックなものとして描くことに対して、若い頃からうさん臭さを感じ、年齢を重ねるごとに抵抗が大きくなってきています。
今回のような旅行記を作成し、公開されたねんきん老人さん敬服するとともに、本当にありがとうございますと申し上げたいです。
Deco
- ねんきん老人さん からの返信 2021/12/18 16:01:59
- 生きていられることへの感謝
- Deco さん、書き込みをありがとうございました。
望外の、過分なお言葉をいただき、恐縮しながら自分の書いたものを読み返してみました。 いつもながら不必要な管見を書き連ね、まとまりのないままに終えている駄文に羞恥と後悔の混じった思いをしております。
Deco さんの仰る、死は避けられないからこそ、授かった命を精一杯生きることが大切であり、命そのものが尊いのだということ・・・胸に刺さりました。
実は、妻が死んで4年半、自分が生き残っていることに意味が見出せずにいたのです。 朝、パンにバターを塗って、昼、カップラーメンに湯を注いで、夜、レトルトカレーをレンジにかけて・・・何の意味があるのだろう?
スーパーに行って、調理不要の総菜を買って、老人会で仲間の自慢話を聞いて・・・何の意味があるのだろう?
しかし、意味のある人生が残っているのに、お国のためとかいって死ななければならなかった人たちが、今の私の投げやりな言葉を聞いたらどう思うでしょうか。 つべこべ言わずに精一杯生きろ! 俺たちはお前たちのその生を守るために死んだんだ、と言われるかも知れません。
Deco さんの仰るとおり、死は悲しいもの、辛いもので、残された者の悲しみは深いものです。 私は妻が死んで、人間の体の中にはこれほどの涙が入っているのかと自分でも呆れるくらい泣きました。 すぐにでも妻のそばに行ってやらなければという思いと、妻が生前私の体を気遣い続けてくれたことを無にしてはいけないという思いとの間で揺れながら今日まできました。
特攻という理不尽以外の何物でもない作戦に従事させられた方々にとって、「生きる意味」がどうのこうのと言っている今の私は腹立たしいくらい愚かに見えるかも知れません。
事情はまったく違いますが、大阪の雑居ビルで、いきなり火に包まれて亡くなった方々が、大切な命をゆえなく奪われたことに納得している筈がありませんね。 意味があるとかないとか、そんな寝ぼけたことを言っている私をどう思うでしょう?
正直言って、毎日同じことを繰り返している今の「生」に張り合いがある訳ではありませんが、それを故意に終わらせる権利はたとえ本人にでもあるものではない・・・と、そう思っています。
改めて、生きることについて考えました。 ご指摘、ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- ふわっくまさん 2021/12/17 12:18:39
- 散るために咲く花・・
- ねんきんさん、こんにちは。
まず雄川の滝は、駐車場から1kmも離れていたようですが・・
歩きやすい遊歩道の先にはエメラルドグリーンで透き通った水盤の、美しい滝が眺められるのですね。
・・人面魚のような鯉、誰が放ったのでしょうか・・って、ちょっと愚問でした(笑)
それから神川ビーチの影絵をご覧になって、鹿屋基地へ・・
ここからの出撃で、908名の尊い命が奪われたのですね。
3万年前からの歴史(!)ある財宝温泉で、貸し切りで疲れを癒されて・・
・・桜島で観音様を拝観しながら、ランチをいただき・・
知覧特攻平和会館でのご様子、胸がつまる思いで拝見させていただきました。
散るために咲く花なんて育てた覚えがない!と、皆様方のお母さんは思っておられるでしょう・・
道中の濃霧が、その気持ちを表しているような気がしました。
ふわっくま
- ねんきん老人さん からの返信 2021/12/17 14:07:15
- 散るために咲く花なんて「育てた覚えがない」と・・・
- ふわっくまさん、こんにちは。 知覧への旅行記を丁寧に読んでくださって、ありがとうございました。
雄川の滝は想像以上の美しさで、遠回りしても行った甲斐がありました。あの鯉にはがっかりしましたが、まあ、ブラックバスを放されるよりはいいということにしましょうか。
観音様を見上げながらコンビニのスパゲティで昼食というのは、なんとも侘しい感じを持たれたと思いますが、一人旅でレストランに入っても楽しくはありませんので、まあ、コンビニ弁当ぐらいがちょうどいいと思っています。
知覧特攻平和会館は初めて行きましたが、時間を忘れて見学しました。
散るために咲く花なんてあるものか! 私はそう思ったのですが、今回ふわっくまさんが、それに加えて「そんな花を育てた覚えがない」ということを書いてくださったのを拝読して、当時の母親たちの気持ちに気づき、ハッとしました。 ふわっくまさんの視点の広さに、大切なことを教えられました。 ありがとうございました。
仰るとおり、私もあの深い霧が偶然の自然現象だとは思えませんでした。
叶うことならもう一度、平和会館に行ってみたいと思っています。
ねんきん老人
-
- 琉球熱さん 2021/12/16 23:27:28
- ゼロ戦、カミカゼ、トッコー
- ねんきん老人さん こんにちは
不謹慎ながら、カタカナで書いてみたのは、言葉の意味も分からず「音」だけが独り歩きしているような気がするからです。
知覧と言えば神風特攻隊
こんな馬鹿げた戦法しか思いつかなかった当時の軍部上層部には、言葉もありません。
私は沖縄で相当数の戦跡を周りましたが、飛行場はことごとく破壊・占領されたため、神風のような特攻は沖縄にはありません。
しかし、全く同じ発想の特攻「艇」の痕跡はいくつか残っています。
さて、あれからこの国は変わったでしょうか?
国民を大事にしないという点では、なんの進歩もしていないように思えます。
愚鈍なリーダーの下で無駄な死を遂げた青年たちを弔い敬うことに異論はありませんが、思考がそこで止まり、妙なお涙頂戴の物語や美化・英雄視する風潮には危ういものを感じます。
特攻はなぜ生まれた? そもそもなぜ開戦した? 明快な答えがすぐ出るほど単純な問題ではありませんが、考えることは止めたくないですね。
---------琉球熱--------
- ねんきん老人さん からの返信 2021/12/17 13:50:15
- 無駄な死・・・
- 琉球熱さん、こんにちは。
今朝早くから琉球熱さんの書き込みに気がついていたのですが、拝読して考え込むことが多く、お返事を書くだけの整理ができませんでした。
最も考えたことは、琉球熱さんの仰った「無駄な死」という部分です。
実は私もずっと前から特攻隊員の死は無駄死にだったとしか思えずにいました。 それでも、多くの若者の死を「無駄」と断ずることに心のどこかでためらいがあり、なんとなく避けてきたのです。 子供のころ観た映画に「雲ながるる果てに」というのがあり、その中で特攻隊員たちが「無駄死に」だとか「死にたくない」とか言って泣いたり乱れたりする様子が描かれていたと思います。 それがずっと頭に残っていて、いわゆる英霊の美学というようなものに抵抗感があり続けたということもあるかも知れません。
今回琉球熱さんの「無駄な死」という言葉に少々ドキッとしましたが、そこは非常に大切なことで、これを美談で片付けたら、今後同じような局面に立ち至った場合に、また同じ過ちを繰り返すかも知れません。
ちょっと辛いし、申し訳ない気持ちもありますが、やはりここは「無駄」とはっきり認識した方がいいでしょうね。
書き込み文の中に「知覧と言えば神風特攻隊」という言葉がありましたが、知覧は陸軍の航空基地ですから、カミカゼ特攻隊は存在しませんね。 旅行記の中にも書きましたが、カミカゼはあくまでも海軍の特攻隊を指す言葉ですね。
私は今回の会館見学の際に、もしかして海軍の特攻隊員も知覧の施設を借りて知覧から出撃した事例があるかもしれないと思って訊いてみました。そういう例はないと、はっきりした返事を貰いましたので、やはり知覧にカミカゼはいなかったと思います。
いずれにせよ、初めて行った知覧特攻平和会館は、平和ぼけした私に今更ながらの反省の機会を与えてくれました。
琉球熱さんの仰るように、考えることを止めないように自戒してゆこうと思います。 ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- チーママ散歩さん 2021/12/16 19:55:07
- こんばんは
- 数年前に私が参加しているボランティアグループのセミナーで特攻隊に出られた方の講演会がありました。 そこで聞いたお話がとても衝撃的で。
いろんな所へ出歩きました。
茨城県阿見にも予科練平和記念館があるんですよ。
だいぶ少なくなってきた特攻隊の方のお話を伺う場所があれば、遠くても聞きに出かけたのを思い出します。
花は散るために咲いているのではない。
咲いている花を敢えて散らすことは、
どう理屈をつけても許されることではありません。
タイトルにもありますがとても灌漑深い言葉に胸がつまります。
私も知覧を見学したことがあります。
映画のホタルなどを見てから行きました。
三角兵舎で過ごす残り少ない時間。
特攻隊に志願した人はもちろん勇気のある方に間違いないのですが。
三角兵舎で過ごす残り少ない時間はたぶん、みなそこですすり泣いていたことでしょうね。家族を思い手紙に思いをしたためて。
お国のために・・・というよりも家族のために命を散らす自分の運命。
今ある平和は過去の悲惨な出来事の上に成り立っているのでを忘れてはいけないですね。もう特攻隊に出た方も高齢で講演会の予定は聞かなくなりました。
でも誰かが語り継いで行かなくてはいけないのでしょうね。
鳥濱トメさん顕彰灯籠は見落としたのかしら?
富谷食堂へは行きました。
私財を投げ打ってまでも親身になってお世話したトメさん。
呑気におせっかい焼き屋の女将を名乗っている私は恥ずかしくなります。
- ねんきん老人さん からの返信 2021/12/16 21:16:16
- 感謝することしかできませんが。
- チーママ散歩さん、こんばんは。
自分としては特攻死された方々への感謝の気持ちをもって旅行記を書いたつもりでしたが、読み返してみて、なんとも中途半端なものになってしまったことを悔いるばかりです。
それなのに、チーママ散歩さんが早速ご訪問くださり、コメントまで書き込んでくださって、恥じながらもありがたい気持ちでいっぱいです。
特攻隊の方々が高齢になり、講演会も開かれなくなったとのお話、仕方がないでは済みませんね。 聞き伝えでもいいから、自分の命のある限りは語り継いでいこうと思います。
チーママ散歩さんも知覧に行かれたそうで、共通項がまた増えた思いです。
茨城県阿見の予科練平和記念館には、昨年3月に初めて行きました。 バスツアーだったし、コロナでいろいろ制約があったし・・・自分としては不十分な見学でしたので、コロナが落ち着いたら改めて一人で行ってみようと思っています。
世の若者たちが暴走族などという低劣な集団をつくり、その名に「カミカゼ」などとつけて浮かれている現状を思うと、腹が立ってなりませんし、今こうしてお返事を書きながらも、あの会館で拝見した特攻兵のお写真が目に浮かんできます。
なんの力もなく、平和な世界を作る活動をお手伝いすることもできませんが、死んでいかれた方々への感謝だけは忘れずにいたいと思いますし、また機会があったら4トラの紙面を借りて戦争の悲劇を少しでも伝えていきたいと思ったりもしています。
お付き合いくださって、ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- olive kenjiさん 2021/12/16 06:31:12
- 桜は散っては駄目です
- 師匠 今回は崇高なる旅行記を有難うございました。
桜は散っている時が綺麗なのでしょうか。私はやはり満開が美しく、散っているのが美しいと言うのは、満開時期に見遅れた方の言い訳に過ぎないと思っています。
英霊たちよ、もっと永く咲いたままでいて欲しかった。
鹿屋航空基地史料館の屋外展示場は日本では立派でしょうが、野ざらしで放置しているように見えます。私が訪れた英国の展示場は、屋内施設に収められており、保管状態はとってもいいです。日本もかのようになって欲しいです。この願いを誰に伝えればいいのでしょうか。防衛庁?地元有力議員?産経新聞? いつも私のは遠吠えだけです。
知覧特攻平和会館のお話は涙してしまいます。
特攻英霊芳名碑に申し訳ないですけど感傷の気持ちは湧いて来ませんでした。
むしろ、師匠が走る霧の山中に、多くの英霊たちの歩く姿が見えるのでした。
有難う・・有難う・・先輩さま・・もうすぐ故郷に着きますよ・・・
olive kenji
- ねんきん老人さん からの返信 2021/12/16 09:42:49
- やはり満開の桜ですね。
- olive kenji さん、いつもながらダラダラと長い旅行記になってしまい、己に舌打ちをしていましたのに、早速の書き込みをいただき、ありがとうございました。
散った桜、散らした桜にもっともらしい美辞麗句を冠して若者たちを死なせた国の ”言いぐさ” に対する olive kenji さんらしいお叱りを拝読し、我が意を得た思いです。
仰るとおり、英霊芳名碑は生きている者たちのポーズであり、そこに名前を刻まれたことで、死んでいった者にとって何の意味があるものでもありません。
そして私も、 olive kenji さん同様、霧を見て、それが単なる物理的な現象以上の意図をもった自然現象のように感じました。 会館見学部分の前後に同じような写真をしつこく載せたのはそのためです。
イギリスの航空機展示場は、その存在すら知りませんでしたが、屋内展示なのですか! 相当なお金がかかるでしょうね。
もし鹿屋に同様なものを作るとしたら、その費用は文教費になるのか、防衛費になるのか? 防衛省の数字が膨らむことへの批判を恐れて及び腰になっているのかも知れないなどと、勝手な憶測をしてしまいました。
鹿児島は黒牛だけの県ではなく、見所がたくさんある、何度でも行きたい場所だと、改めて思いました。 次の投稿も鹿児島を予定していますが、一つ書き終えるとホッとしてしまい、しばらくは手がつきません。 実際に投稿するのはまだまだ先になると思います。 もしまたお目に止まりましたら、よろしくお願いいたします。
ねんきん老人
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