2021/05/23 - 2021/05/23
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名古屋のmisakoさん
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聖徳太子1400年御遠忌記念、御自作と伝わる聖徳太子十六歳像の三体の内一体を所有する名古屋市北区福徳町の聖徳寺を参拝しました
亡くなって1400年の御遠忌記念に特別開帳5/21-5/23されました
秘仏なので、33年に一度の御開帳ですが28年目の今年特別開帳されました
三体の他は、摂津の四天王寺、奈良明日香の橘寺にあるそうです
名古屋市内に聖徳太子ゆかりの神社仏閣は有りますが、御自作まで有ったとは驚きです
名古屋で三体同時展示の予定は新型コロナ感染予防で中止になったそうです
尾張七宝焼の販売店安藤七宝店大津通松坂屋名古屋店西向かい に有ります
小規模な展示館もあります
入館料300円でした、商品購入すると入館料無料だそうです
安藤七宝店「七寳藏部」(あんどうしっぽうてん「しっぽうくらぶ」)
#安藤七宝店
#尾張七宝焼
#梶常吉
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聖徳寺は、比叡山延暦寺を本山とし、春日井野田密蔵院を本寺とする天台の流れを汲む古刹である。
藤原時代の草創で開基は清和天皇の後裔、六孫主源経基の次男源満政七世の孫、浦埜四郎重遠の次男、従六位下右衛門少尉、葦敷次郎源重頼(安食次郎)であり、安食の荘の荘司である。
長承墨股合戦(1133)の戦死の霊を弔うために建立する。
この合戦では聖徳太子御名守札をかぶとに収めて大勝するが、戦死した子重義始め、従臣も永代の大檀那とし、聖徳太子の徳をたたえて、晩年自らも出家し、常観房隆憲と称した。安元二年(1176)2月11日 65歳没。
山を普門と名づけ院は吉祥を寺を圓光と号す。貞享二年(1675)正月二十二日寺号を聖徳寺と改む。
(聖徳寺HPより) -
本殿
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聖徳太子十六歳像
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大聖不動明王
明治3年(1870年)廃寺となった東照宮神宮寺別当天長山尊寿院(尾張権現坊)より移置。右手に利剣、左手に羂索、忿怒の相、盤石に安住し、大日如来の教令輪身である。
(聖徳寺HPより) -
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太子殿
太子殿向かい辺りだと思いますが、椋木があります
写真撮ってなかったですが言われの有る木です
無苦の木大権現
無苦の木
当時境内の椋の木様は寺伝によれば、聖徳太子が守屋と戦われた時に一時身をかくされた木とあり、矢田川、庄内川が決壊して寺に入水の時のご避難なされるところとある。
江戸、安政の頃、大野木村の万屋弥吉と申すもの、椋樹の枝を払ったところ、その夜枕元に聖徳太子様が現れた。おそろしくなったその者、さっそくに6月22日、餅百五十個、酒一斗、かりもり七つ、かぼちゃ五ヶ、ごぼう二足、噠嚫二朱を供えて、聖徳太子を勧請供養した。その後、財をなしたとある。
いつしか、"むく"を無苦として大権現と祭るようになった。
(聖徳寺HPより) -
太子殿内に展示がありました
戦前は国宝だったそうです
写真は不可でした
紙本白描絵因果経
国指定 重要文化財紙本白描絵因果経
国指定 重文 紙本白描絵因果経(巻第二上断簡)1巻
仏教の因果観に基づいて釋尊の一代記に前世の仏伝を合わせて説いたのが因果経で、全四巻からなる。上半分に絵を加え下半分に経分を書いたのが絵因果経で、一巻を上下に分け八巻に書写している。当寺に残っているのは「二巻上」の断簡(縦25.2cm 横425.4cm)。
成立年代は西暦1175年から1178年の間で、筆者は美濃国祐向寺の写経僧「六郎房円順」で、七ッ寺の一切経の写経のひとつである。絵因果経は絵に彩色をほどこした奈良期のもの(古因果経)と鎌倉時代(新因果経)があるが、当寺のものは絵が墨で描かれており、この新、古絵因果経の空白を埋める平安期のものとして、また、絵ときの経が都を離れた尾張の地で行われたことを物語る貴重な資料である。
【昭和55年4月国指定重要文化財】
(聖徳寺HPより) -
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松坂屋様の西側の道路(大津通り)をはさんだ対面の、「名古屋クロイゾンスクエア」内にございます。
スクエアのコンセプトにより、店内は中庭に向かって全面ガラス張りの開放的なスペースとなっている。
また、隣接する「七寳藏部」には、安藤七宝店代々の貴重な七宝を展示しており、スクエア内でお買い物をされた方は無料でご覧いただける。
ぜひ、「名古屋クロイゾンスクエア」にて、都会の喧騒を忘れ、ゆったりと落ち着いた時間をお楽しみください。(安藤七宝店HPより) -
有線七宝は、金属に銀線を植線し、ガラス釉薬を焼付けた物で、天保年間に尾張海部郡(現在の愛知県海部郡)の梶常吉により、技法は確立された。
その後、19世紀後半の科学技術の発達や、美術工芸を取り巻く意識の高まりにつれ、七宝の技術・意匠も急速な発展を遂げた。
美術界において、欧米を中心にジャポニズムの動きが興ると、世界各地で開催された万国博覧会では日本の七宝の品々は、その巧妙さ・精美さで、他の追随を許さない、日本特有の工芸品として、世界的に高い評価を受けることとなる。
日本文化の華として世界を魅了した、最高級の美術品としての七宝の魅力は、国内外の美術愛好家だけでなく、生活のあらゆる品々の装飾としても浸透している。
七宝独特の、ガラスのきらめく様子や、折り重なる色彩の深みは、観る人の心をとらえて離さない。
安藤七宝店は明治13年(1880年)創業以来、万博など海外・国内で多くの賞を受賞し、明治33年には宮内省御用達を拝命した。
(安藤七宝店HPより) -
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安藤七宝店「七寳藏部」(あんどうしっぽうてん「しっぽうくらぶ」)
商品購入すると入館料300円が無料にるそうです -
19世紀後半から、日本の美術工芸の花形として欧米で紹介され、その美しさで世界を魅了した七宝。安藤七宝店の作品も「J・ANDO」の名で多くのコレクターの寵愛を受けている。 その七宝の名品の数々は、科学・経済の発展した現代でさえ再び製造することは困難であるとされている。
当社代々の七宝作品、収集してきた国内外の七宝作品の数々は、大正期に当地に建てられた蔵の中で大切に保管され、その貴重な七宝の名品を広く皆様に公開しご覧いただくため、 「七寳藏部」は造られた。
(安藤七宝店HPより) -
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