2020/09/26 - 2020/09/27
23位(同エリア330件中)
かっちんさん
田老の町は東日本大震災による津波が高さ10mの防潮堤を乗り越え、壊滅的な被害を出しました。
過去3回発生した津波の教訓から、3つの防潮堤をつくり二重の防護壁により町を守ってきた防災の考え方が残念ながら崩れてしまいました。
「学ぶ防災」ツアーは、実際に防潮堤を歩き、津波に襲われたホテル(津波遺構)を見学します。
そして、津波のビデオと当時避難した体験談を聴講し、「自然災害の恐ろしさ」と「いち早い避難の大切さ」を身をもって感じることができました。
今晩の宿「グリーンピア三陸みやこ」では、真心のこもったおもてなしと三陸の海の幸を味わうことができました。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・宮古市観光文化交流協会「学ぶ防災ガイド」HP、資料
・震災伝承施設「たろう潮里ステーション」
・岩手県「田老地区海岸災害復旧工事 事業概要」pdf
・弁護士永野海 法律と防災のページ「宮古市田老 津波と防潮堤」
・さんりく旅しるべ~いわて三陸観光ガイド~「<新メニュー:瓶どん御膳登場> 善助屋食堂」
・善助屋食堂内の貼り紙
・宮古市「道の駅たろう」「サーモンくん・みやこちゃんのページ」「宮古トラウトサーモン~水産業の未来を切り開く取り組み~」
・グリーンピア三陸みやこHP
・食べログ:グリーンピア三陸みやこの夕食
・三陸鉄道HP
・ウィキペディア「田老駅」「陸閘」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
三陸鉄道「新田老駅」
2020年5月18日に開業した「新田老駅」。
田老駅の500mほど北側に位置し、震災後の復興拠点として期待されています。
周辺には、「三王岩」や、津波遺構「たろう観光ホテル」、道の駅、災害公営住宅などがあります。 -
三陸鉄道のお見送り(新田老駅)
ここで列車を降り、東日本大震災の震災遺構を巡る「学ぶ防災」ツアーに参加します。 -
「学ぶ防災ガイド」
東日本大震災により甚大な被害が出た田老地区の当時の状況を伝えることで、震災の恐ろしさ、命の大切さを伝える震災ガイドです。 -
「学ぶ防災ガイド」コース案内
コースは、高さ10mの防潮堤上に立ち、津波が乗り越えた当時の説明、津波が4階まで押し寄せた津波遺構「たろう観光ホテル」の見学、津波発生時の映像観賞など。
現場を実際に歩いて話を聞くので、自然災害の恐ろしさ、いち早い避難の大切さを身をもって感じることができます。
通常コースは30~60分、ガイド料は4,000円。(事前予約が必要) -
「学ぶ防災ガイド」の集合場所
道の駅たろう内にある「たろう潮里(しおさと)ステーション」が集合場所。
新田老駅から550m離れたところです。 -
「たろう潮里ステーション」
三陸鉄道田老駅に観光案内所として併設されていた施設が、東日本大震災による津波で全壊したことから、道の駅たろうの移設整備に併せて観光案内所として移設復旧した施設です。
ここは、田老地区の防災ガイド「学ぶ防災」の受付、津波・防災に係る映像の上映、被災前の田老地区の街並み模型の展示、田老地区の震災・防災学習の拠点になっています。 -
震災前の田老町観光案内マップ
過去発生した地震津波の教訓から、田老湾から押し寄せる津波を食い止める防潮堤3ヶ所がX字状につくられ、町を二重に取り囲んでいます。
各々の防潮堤がつくられた経緯は以下の通り。
・明治29年に明治地震津波、昭和8年に三陸地震津波が発生し、第1防潮堤(高さ10m、長さ1,350m)が昭和33年に完成
・昭和35年チリ地震津波が発生し、第2防潮堤(高さ10m、長さ582m)が昭和41年に完成
・昭和43年に十勝沖地震津波が発生し、第3防潮堤(高さ10m、長さ501m)が昭和54年に完成
しかし、平成23年3月11日の東日本大震災では、津波が高さ10mの防潮堤を乗り越え、町全体が大惨事となりました。 -
最初に震災前の田老を少しだけ紹介(震災前 2010年9月12日)
東日本大震災の半年前、田老の町並みを歩き、三王岩を訪れた時の田老駅の写真です。
田老駅は昭和47年(1972)国鉄宮古線の終着駅として開業。その後、普代駅まで延伸し三陸鉄道に移管されました。
国鉄時代から「田老観光センター」が設置されていましたが、東日本大震災で築堤下にあった同観光センターは流失。現在は無人駅です。 -
田老湾に面してつくられた「第3防潮堤」(震災前 2010年9月12日)
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イチオシ
防潮堤の「陸閘」(震災前 2010年9月12日)
普段は人や車が通行できる門が開いています。
津波や高潮のときはゲート(防潮扉)を閉め防潮堤の役割を果たし、この施設を陸閘(りっこう)といいます。
この防潮堤の高さに圧倒されます。 -
三陸の絵が描かれた「第3防潮堤」(震災前 2010年9月12日)
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震災前の田老の町並み(潮里ステーションのジオラマ展示)
住宅の並ぶ綺麗な町並みが、あの大津波で壊滅的な姿になってしまったのです。 -
現在の「田老駅」(学ぶ防災ガイド)
では、「学ぶ防災ガイド」が始まり、最初に訪れたのは「田老駅」。
築堤下にあった「田老観光センター」は震災で流失し、その面影は何もありません。
今日は大雨のため、ガイドさんの車に乗りコースをまわります。 -
田老駅前(学ぶ防災ガイド)
駅前にあった住宅はなくなり、空き地です。 -
津波防潮林(田老駅前からの眺め)
防潮林がかろうじて残っています。 -
田代川水門(田老駅前からの眺め)
復興した水門の手前に、津波で破壊された水門が残されています。 -
復興工事中の防潮堤(車窓)
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第1防潮堤に上がる階段(学ぶ防災ガイド)
3つの防潮堤がちょうど交わる地点です。
この階段から防潮堤に上がります。
地上からの高さは5mほど。10mの高さというのは海抜10mのことです。 -
第1防潮堤の上(西側)
第1防潮堤の建設は昭和三陸地震津波の翌年(昭和9年)から徐々に始まり、最終的に昭和54年完了しました。
左側に分かれる第3防潮堤の跡が見えますが、現在は新防潮堤を海側に建設中です。 -
第1防潮堤の上(東側)
万里の長城のように続く防潮堤。
東日本大震災による津波は、高さ10mのこの防潮堤を越え、田老の町を飲み込み、甚大な被害を及ぼしました。 -
第1防潮堤から分かれる第2防潮堤(東側)
第2防潮堤は、破堤など壊滅的な被災は免れましたが、施設全体が広域地盤沈下によって約80~100cm沈下するなどの被害を受けました。 -
イチオシ
地上から眺める第2防潮堤
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海側の眺め(第1防潮堤上から)
津波の高さは痕跡で最大16.3m(岩手県調査)であったことが確認されています。
現在工事中の海際を囲む新防潮堤の高さは14.7mです。
漁業関係者の小屋を新防潮堤の内側に移す土地が必要だったので、堤の壁をほぼ垂直にした「直立堤」を採用しています。 -
田老防潮堤完成予想図
田老湾沿いに工事している新防潮堤です。
従来の「傾斜堤」と、土地が狭い場所に適した「直立堤」を組み合わせて設置します。 -
内陸側の眺め(第1防潮堤上から)
震災後、野球場がつくられました。 -
震災前の町並みで津波防災の確認(潮里ステーションのジオラマ展示)
3つの防潮堤が交わる地点を矢印で示しました。
第1防潮堤の内側には住宅が建てられ、生活の場になっていました。
町なかの道路は山に向かって一直線に逃げられるようにつくられており、過去の津波の教訓が活かされています。 -
みなと橋(車窓)
再び車に乗り、長内川に架かる「みなと橋」を渡り、田老漁港へ向かいます。 -
復興した「田老漁港」(車窓)
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「津波水位標記」の製氷貯水施設(学ぶ防災ガイド)
過去に押し寄せた津波の高さを表しています。
海面からの高さ10mに昭和8年の三陸地震津波、15mに明治29年の明治三陸地震津波、17.3mに平成23年の東日本大震災津波が示されています。
東日本大震災津波は過去に発生した津波より高くなるとは誰も予想していなかったと思います。 -
イチオシ
高台への避難路(学ぶ防災ガイド)
山にあちらこちらにつくられた避難路です。 -
津波遺構「たろう観光ホテル」に到着(学ぶ防災ガイド)
写真は昭和61年(1986)に建設された震災前のホテル。
東日本大震災では高さ17mを超えると言われる津波の被害を受け、4階まで浸水、2階までは柱を残して流失しました。
建物は倒壊することなく、現在の姿に留まりました。
宮古市は甚大な震災の記憶を風化させることなく、後世に伝えるため「津波遺構」として整備し保存しました。 -
イチオシ
津波遺構「たろう観光ホテル」
6階建ての建物は、1・2階が柱だけ残り、3階が窓と壁が損壊しています。 -
ホテルの側面(津波遺構)
通常は施錠されていて、防災ガイドツアーでは鍵を開け内部に入れます。
足の悪い人のために、新たにエレベータが設置されています。
私たちは、非常階段を上がり各階を見学します。 -
柱だけ残る1階(津波遺構)
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津波で押しつぶされたエレベータ(津波遺構)
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2階も柱だけ(津波遺構)
瓦礫と化した建物の残骸は片付けられています。 -
6階の客室で津波のビデオと体験談を聴講(津波遺構)
ガイドさんの住んでいた家はこのホテルの前。地震発生時いつもとは違う揺れ方を感じ、自分の判断で山へ避難し助かりました。
当時、地震による停電で津波避難の防災無線は機能していませんでした。
ガイドさんの生々しい体験談を聞き、防災について考えさせられます。
写真は6階から見た復興中の景色。 -
津波が押し寄せてきた田老湾(津波遺構)
震災当時、ホテルの社長は従業員を高台に避難させ、社長自身は6階の部屋に残り津波の様子を撮影しました。(マスコミには未公開映像)
津波の押し寄せる映像は凄まじく、ガイドさんの体験談とあわせ、自然災害の恐ろしさ、いち早い避難の大切さを感じ取ります。 -
東日本大震災による地殻変動(津波遺構前)
地震により大きな地殻変動が発生し、この地点では東南の方向へ2.18m移動し、0.31m地盤沈下しました。 -
地殻変動した痕跡(津波遺構前)
この後、「たろう潮里ステーション」に戻り、ツアーが終了します。 -
高台に移転した住宅
この写真は今晩泊まる「グリーンピア三陸みやこ」に展示されていたものです。
震災前の写真上に、現在の住宅地が高台に移転した位置を示しています。 -
昼食は「善助家(ぜんすけや)食堂」
道の駅の敷地内にある食堂です。看板メニューは「どんこの唐揚げ丼」。
ご主人が漁師、店主の秋子さんは漁業組合婦人部会員で、いつも田老の海から新鮮な魚を入荷しています。 -
イチオシ
善助家の一押しメニュー「漬け丼(づけどん)」(善助家食堂)
季節によって美味しい魚は変わってくるので、その日の水揚げで、店主の目にかなった素材を使用します。(1600円)
本日の魚は「ショッコ」。ぶりの幼魚で、カンパチのような味で美味しい。 -
イチオシ
看板メニューの「どんこ唐揚げ」(善助家食堂)
かりっと香ばしく、ふわふわの食感と温玉に特製のたれが調和し絶品。(900円) -
私がどんこ(善助家食堂)
「どんこ」の本名は深海魚の「えぞいそあいなめ」です。 -
宮古市の「サーモンくん」と「みやこちゃん」(道の駅)
昼食後、道の駅施設内の道路情報等提供施設で宿からのお迎えの車を待ちます。
サケのまち宮古をPRするため、日々奮闘中の双子の鮭の兄弟です。 -
今晩の宿「ホテル グリーンピア三陸みやこ」
お迎えの車に乗り、10分ほどで到着。 -
プロが選ぶ「日本のホテル・旅館100選」に選ばれたグリーンピア
これは旅行新聞社が主催し、全国の旅行会社による投票で選ばれるもので、2020年に企画部門において見事に認定されました。
さらに2014年には、JTB・るるぶトラベルお客様からの高評価を得た宿として、「ブロンズアワード」も受賞しています。
私が宿泊してみると、おもてなし、宿泊施設、食事などで、質の高いホテルと感じました。
全室東向きの客室からは、太平洋が一望でき、日の出も見られます。 -
グリーンピアの周辺案内図
宿泊だけでなく、テニスやプール、森林浴、スポーツ合宿、震災学習、さまざまな体験などが楽しめます。 -
森林浴コースの森(グリーンピア)
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中庭の枯山水(グリーンピア)
風流な趣があります。 -
三陸の夕食(グリーンピア)
三陸採れたての海の幸を使った料理が並びます。
先付(滝川豆腐)、前菜(ホヤ水貝、枝豆寄せ、烏賊雲丹和え)、お造り(季節の五種盛り)、酢の物(真崎ワカメ、蟹足、イクラ)、煮物 -
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岩手県産和牛のステーキ(夕食) -
三陸産帆立貝焼き(夕食)
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カレイの唐揚げ(夕食)
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ホクホクの帆立貝焼き(夕食)
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岩カキ(夕食)
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季節の炊き込みご飯とシュウリ貝の碗(夕食)
三陸の味とボリュームに満足しました。 -
宮古トラウトサーモン(グリーンピア)
トラウトサーモンは、ニジマスを大型になるように品種改良したもので、身色がよく刺身としても加工品としても重宝される魚です。
宮古では東日本大震災以降、サケ、イカ、タラ、サンマなどの主要魚種の水揚げ量が低迷し、厳しい状況が続いていました。
この状況を打開するため、水産物の安定的な供給を目指し、令和元年11月から宮古湾内において、トラウトサーモンの海面養殖にチャレンジし、令和2年4月24日宮古市魚市場で初出荷されました。 -
翌日の朝食(グリーンピア)
マスク、手袋にて感染対策し、バイキングです。
今日は田老の町を再度、自分の足で歩き散策します。
田老の学ぶ防災ツアーで得た知識を活かしていきたいと思います。
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