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2021年 明けましておめでとうございます。<br /><br />今年の第一号として、2019年8月にバルト3国を駆け足で回ったことを思い出し、写真をもとに記事にしました。相変わらずの雑文をお許しください。<br /><br />リガ編 その1<br />

「バルトの道」を知っていますか。ーラトビアの首都リガの町歩き

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2019/08/27 - 2019/08/27

51位(同エリア753件中)

旅行記グループ バルト三国周遊

10

37

シジュウカラ

シジュウカラさん

この旅行記スケジュールを元に

2021年 明けましておめでとうございます。

今年の第一号として、2019年8月にバルト3国を駆け足で回ったことを思い出し、写真をもとに記事にしました。相変わらずの雑文をお許しください。

リガ編 その1

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
5.0
グルメ
4.0

PR

  • ラトビア、リガ歴史地区のほぼ中心にあるリーヴ広場

    ラトビア、リガ歴史地区のほぼ中心にあるリーヴ広場

    リーヴ広場 広場・公園

  • バルトの国々では8月盛夏でも例年20℃前後の気温だそうですが、2019年はちょっと違って、連日30℃以上の真夏日。<br />汗をかきながらの町歩きでした。

    バルトの国々では8月盛夏でも例年20℃前後の気温だそうですが、2019年はちょっと違って、連日30℃以上の真夏日。
    汗をかきながらの町歩きでした。

  • その広場沿いにある邸宅のてっぺんには<br />ラトビアで一番有名な猫ちゃんがいます。<br />(実は2匹)

    その広場沿いにある邸宅のてっぺんには
    ラトビアで一番有名な猫ちゃんがいます。
    (実は2匹)

    猫の家 建造物

  • 1909年当時リガにあるギルド会(商人組合)へ入会できたのはドイツ人のみ。それに腹を立てたラトビア人商人がギルド会館の方角へお尻を向けた猫を屋根の先端に取り付けたことが由来だそうです。屋根をしっかり見ていないと見逃してしまいますよ。リーブ広場付近に来たらこの辺りの建物の屋根をしっかり見上げてお見逃しなく。

    1909年当時リガにあるギルド会(商人組合)へ入会できたのはドイツ人のみ。それに腹を立てたラトビア人商人がギルド会館の方角へお尻を向けた猫を屋根の先端に取り付けたことが由来だそうです。屋根をしっかり見ていないと見逃してしまいますよ。リーブ広場付近に来たらこの辺りの建物の屋根をしっかり見上げてお見逃しなく。

  • そして旧市街内にはアール・ヌヴォー様式の建物が多い。<br />(詳しくは次回の記事で)

    そして旧市街内にはアール・ヌヴォー様式の建物が多い。
    (詳しくは次回の記事で)

  • ここにもこわばった表情のアール・ヌヴォーさんがいますよ。

    ここにもこわばった表情のアール・ヌヴォーさんがいますよ。

  • 門のデザインもユニーク

    門のデザインもユニーク

  • さらに進んでいくと、三人兄弟呼ばれる切り妻屋根が特徴の建物が3軒並んでいる通りがあります。一番右15世紀のリガ最古の石造り住宅。中央、淡い黄色の外壁の建物は17世紀建設されたもの。一番左、17世紀末に建設されたグリーンの外壁のものはバロック様式の破風、特に急傾斜の三角屋根が特徴だそうです。<br /><br />15世紀、窓の大きさによって税金が決まる「窓税」があったため、右端のお家は窓がかなり小さい。その後、窓税が廃止され、窓が大きくなります。(真ん中のお家)<br />次に「間口税」が導入されたため一番左端のお家はウナギの寝床状態になってしまいました。<br />

    さらに進んでいくと、三人兄弟呼ばれる切り妻屋根が特徴の建物が3軒並んでいる通りがあります。一番右15世紀のリガ最古の石造り住宅。中央、淡い黄色の外壁の建物は17世紀建設されたもの。一番左、17世紀末に建設されたグリーンの外壁のものはバロック様式の破風、特に急傾斜の三角屋根が特徴だそうです。

    15世紀、窓の大きさによって税金が決まる「窓税」があったため、右端のお家は窓がかなり小さい。その後、窓税が廃止され、窓が大きくなります。(真ん中のお家)
    次に「間口税」が導入されたため一番左端のお家はウナギの寝床状態になってしまいました。

    ラトビア建築博物館 (三人兄弟) 建造物

  • 歴史地区には大聖堂も立っています。<br />1211年建立のリーガ大聖堂は中世ラトビアを含む全バルト地域で最古で最大の聖礼教会でした。<br /><br />その後、ロマネスク建築やバロック建築様式で増改築が行われ、現在の建築物は18世紀後半のもの。<br /><br />とても大きい教会です。<br />

    歴史地区には大聖堂も立っています。
    1211年建立のリーガ大聖堂は中世ラトビアを含む全バルト地域で最古で最大の聖礼教会でした。

    その後、ロマネスク建築やバロック建築様式で増改築が行われ、現在の建築物は18世紀後半のもの。

    とても大きい教会です。

    リーガ大聖堂 (ドゥァムス) 寺院・教会

  • 中に入ってみましょう。<br />入場料 <br />大人5ユーロ(約600円)<br />オルガンコンサートを含んだチケットは大人10ユーロ(約1、200円)<br />(全席自由席)<br /><br /><br /><br />

    中に入ってみましょう。
    入場料 
    大人5ユーロ(約600円)
    オルガンコンサートを含んだチケットは大人10ユーロ(約1、200円)
    (全席自由席)



  • 内部はルター派のプロテスタントの教会らしく白が基調でシンプルにまとまっており、質素。

    内部はルター派のプロテスタントの教会らしく白が基調でシンプルにまとまっており、質素。

  • この大聖堂は19世紀に作られた巨大なパイプオルガンが特に有名。<br />(1884年設置)

    この大聖堂は19世紀に作られた巨大なパイプオルガンが特に有名。
    (1884年設置)

  • 夏季は毎日12時から約20分間のパイプオルガンのミニコンサートが行われています。<br />

    夏季は毎日12時から約20分間のパイプオルガンのミニコンサートが行われています。

  • 演奏の様子はプロジェクターを通して見ることができました。<br />荘厳なパイプオルガンの音色が大聖堂いっぱいに響き渡ります。気持ちや感情を重ね合わせながら旋律の波に揺られていました。

    演奏の様子はプロジェクターを通して見ることができました。
    荘厳なパイプオルガンの音色が大聖堂いっぱいに響き渡ります。気持ちや感情を重ね合わせながら旋律の波に揺られていました。

  • 聖堂内のステンドグラスも美しい。<br /><br />これらのステンドグラスは19世紀ドイツのミュンヘンで制作されたもの<br />リガ大聖堂やリガの歴史における重要な出来事が描かれており、鮮やかな色彩と繊細な描写はこの大聖堂の見所の1つです。<br /><br />「ステンドグラスを寄付したティゼンハウゼン一家と聖母マリア」<br /><br />

    聖堂内のステンドグラスも美しい。

    これらのステンドグラスは19世紀ドイツのミュンヘンで制作されたもの
    リガ大聖堂やリガの歴史における重要な出来事が描かれており、鮮やかな色彩と繊細な描写はこの大聖堂の見所の1つです。

    「ステンドグラスを寄付したティゼンハウゼン一家と聖母マリア」

  • 「アルベルト司教による大聖堂の礎石の敷設」

    「アルベルト司教による大聖堂の礎石の敷設」

  • 「1525年にリガ市長に信仰の自由の宣言書を渡すリヴォニア騎士団長」

    「1525年にリガ市長に信仰の自由の宣言書を渡すリヴォニア騎士団長」

  • 「1621年の大聖堂前でのスウェーデン王グスタフ2世の歓迎セレモニー」<br /><br />

    「1621年の大聖堂前でのスウェーデン王グスタフ2世の歓迎セレモニー」

  • 内部の回廊から鐘楼を眺めます。

    内部の回廊から鐘楼を眺めます。

  • 回廊には大聖堂内にかつて飾られていた古い石碑などが飾られて(置かれて?)います。

    回廊には大聖堂内にかつて飾られていた古い石碑などが飾られて(置かれて?)います。

  • 教会入り口<br />神々しい光が差し込んでいました。<br /><br />見応えのある大聖堂でした。<br />大聖堂を後にしてさらに町歩きを続けます。

    教会入り口
    神々しい光が差し込んでいました。

    見応えのある大聖堂でした。
    大聖堂を後にしてさらに町歩きを続けます。

  • リガにはロシア帝国支配下の時代もあったので立派なロシア正教会も立っています。

    リガにはロシア帝国支配下の時代もあったので立派なロシア正教会も立っています。

    救世主生誕大聖堂 寺院・教会

  • 自由記念碑を目指しましょう。<br />自由記念碑の広場両脇に大きな市民公園が広がっています。<br />緑豊かで市民の憩いの場。

    自由記念碑を目指しましょう。
    自由記念碑の広場両脇に大きな市民公園が広がっています。
    緑豊かで市民の憩いの場。

    パスティカルナ公園 広場・公園

  • 自由記念碑です。<br /><br />ところで、みなさんは「バルトの道」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

    自由記念碑です。

    ところで、みなさんは「バルトの道」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

    自由記念碑 モニュメント・記念碑

  • 「バルトの道」は、1989年8月23日当時ソビエト連邦の統治下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)で、独立運動の一環として行われた「人間の鎖」の抗議行動のことです。<br />

    「バルトの道」は、1989年8月23日当時ソビエト連邦の統治下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)で、独立運動の一環として行われた「人間の鎖」の抗議行動のことです。

  • バルト3国の人々、およそ200万人が参加して手をつなぎ、3共和国の首都を結び、約600km以上の人間の鎖を形成。2019年はその「人間の鎖」からちょうど30年目の節目の年にあたり、ここ自由記念碑前ではパネル展示やセレモニーなどの関連行事が行われました。<br />(写真は自由記念碑前で行われたパネル展示)<br /><br /><br />

    バルト3国の人々、およそ200万人が参加して手をつなぎ、3共和国の首都を結び、約600km以上の人間の鎖を形成。2019年はその「人間の鎖」からちょうど30年目の節目の年にあたり、ここ自由記念碑前ではパネル展示やセレモニーなどの関連行事が行われました。
    (写真は自由記念碑前で行われたパネル展示)


  • 「バルトの道」を振り返って<br />現在バルト3国の合計人口が600万人超、当時の人口は今よりも少なかったでしょうから3人に1人ぐらいの割合でこの「人間の鎖」に参加したことになります。<br />その距離は東京を起点にすると西は明石市、北は青森市ぐらい。<br /><br />(参考 https://ai-am.net/balt)<br />

    「バルトの道」を振り返って
    現在バルト3国の合計人口が600万人超、当時の人口は今よりも少なかったでしょうから3人に1人ぐらいの割合でこの「人間の鎖」に参加したことになります。
    その距離は東京を起点にすると西は明石市、北は青森市ぐらい。

    (参考 https://ai-am.net/balt

  • この「人間の鎖」抗議行動は1989年8月23日19時から15分ぐらい行われました。<br /><br />この抗議行動は全く平和裏に行われましたが、参加者は報復や制裁がなされることを恐れていたそうです。実際、ドイツ民主共和国(東ドイツ)のホーネッカー国家評議会議長や、ルーマニア社会主義共和国のチャウシェスク大統領は、デモ鎮圧のためにソ連邦軍の出動を要請していたとのこと。<br />(参考 ウィッキペディア)<br /><br />(写真は在日リトアニア共和国大使館のHPより)<br />

    この「人間の鎖」抗議行動は1989年8月23日19時から15分ぐらい行われました。

    この抗議行動は全く平和裏に行われましたが、参加者は報復や制裁がなされることを恐れていたそうです。実際、ドイツ民主共和国(東ドイツ)のホーネッカー国家評議会議長や、ルーマニア社会主義共和国のチャウシェスク大統領は、デモ鎮圧のためにソ連邦軍の出動を要請していたとのこと。
    (参考 ウィッキペディア)

    (写真は在日リトアニア共和国大使館のHPより)

  • それでは、なぜこのようなデモが行われたのでしょうか。<br /><br />1989年から遡って50年前の1939年、ドイツのヒトラーとソ連のスターリンは独ソ不可侵条約に調印。それに付帯する秘密議定書にはバルト三国のソ連併合を認める条項あり。スターリンのソビエト連邦とヒトラーのドイツの間で(自分達の都合のいいように、)欧州の一部分の勢力圏分割を示す秘密議定書が締結されたのです。その結果、バルト三国は1940年、強制的にソ連占領下に。その後数十年間、ソ連占領下において3つの小国の何万人もの市民が処刑やシベリアに追放となるなど圧政に苦しむことになります。<br />

    それでは、なぜこのようなデモが行われたのでしょうか。

    1989年から遡って50年前の1939年、ドイツのヒトラーとソ連のスターリンは独ソ不可侵条約に調印。それに付帯する秘密議定書にはバルト三国のソ連併合を認める条項あり。スターリンのソビエト連邦とヒトラーのドイツの間で(自分達の都合のいいように、)欧州の一部分の勢力圏分割を示す秘密議定書が締結されたのです。その結果、バルト三国は1940年、強制的にソ連占領下に。その後数十年間、ソ連占領下において3つの小国の何万人もの市民が処刑やシベリアに追放となるなど圧政に苦しむことになります。

  • ラトビアの歴史は欧州の隣国や大国に虐げられてきた歴史でもありました。<br />17世紀にスウェーデンに占領され、<br />18世紀にはロシア帝国に占領されロシア領となる。<br />1919年、第一次世界大戦後ラトビア第一共和国として独立宣言をしたが、その直後、新興のソ連が介入してくる。<br /><br />(写真 白線は30年前実際に「人間の鎖」ができた道筋)

    ラトビアの歴史は欧州の隣国や大国に虐げられてきた歴史でもありました。
    17世紀にスウェーデンに占領され、
    18世紀にはロシア帝国に占領されロシア領となる。
    1919年、第一次世界大戦後ラトビア第一共和国として独立宣言をしたが、その直後、新興のソ連が介入してくる。

    (写真 白線は30年前実際に「人間の鎖」ができた道筋)

  • 1941年  第二次世界大戦(独ソ戦)によりラトビア全域がナチス・ドイツの軍政下に入る。<br />1944年 大戦末期ソ連が再占領、ラトビア・ソビエト社会主義共和国が復活<br />以後ソ連傘下の社会主義国となる。<br /><br />その後、冷戦の時代を経て、1985年ミハイル・ゴルバチョフがソ連の共産党書記長に就任すると時代が動きはじめます。<br />政治体制の改革運動や情報公開が進み、ラトビアが中心であった地下民主化活動がエストニアへやリトアニアへと波及。<br />これが1989年の「人間の鎖」へとつながっていったのです。<br />

    1941年  第二次世界大戦(独ソ戦)によりラトビア全域がナチス・ドイツの軍政下に入る。
    1944年 大戦末期ソ連が再占領、ラトビア・ソビエト社会主義共和国が復活
    以後ソ連傘下の社会主義国となる。

    その後、冷戦の時代を経て、1985年ミハイル・ゴルバチョフがソ連の共産党書記長に就任すると時代が動きはじめます。
    政治体制の改革運動や情報公開が進み、ラトビアが中心であった地下民主化活動がエストニアへやリトアニアへと波及。
    これが1989年の「人間の鎖」へとつながっていったのです。

  • バルトの道(「人間の鎖」抗議行動)後<br />1991年の夏、バルト諸国はソビエト連邦からの独立を宣言<br />同年、数か月後にソビエト連邦自体崩壊。<br />

    バルトの道(「人間の鎖」抗議行動)後
    1991年の夏、バルト諸国はソビエト連邦からの独立を宣言
    同年、数か月後にソビエト連邦自体崩壊。

  • 「バルトの道」ーヴィリニュスから延々とタリンまで人々が 手をつないで完成させた「人間の鎖」ーは宇宙空間からも観測され、最も長い「人間の鎖」としてギネスブックにも 認定されています。<br />

    「バルトの道」ーヴィリニュスから延々とタリンまで人々が 手をつないで完成させた「人間の鎖」ーは宇宙空間からも観測され、最も長い「人間の鎖」としてギネスブックにも 認定されています。

    ドーマ広場 広場・公園

  • この話を現地で聞いて<br /><br />欧州の北の端っこで起こったこの民主化運動について、当時日本でもニュースになったと思いますが、実は私自身の記憶には全くありません。<br />30年後に偶然現地を訪ね、初めて知った次第。<br /><br />現地ガイドの女性も30年前大学生の時にこの「人間の鎖」に参加。デモの前日にラジオで告知があり、家族全員で道に立ったそうです。彼女の話を聞きながら鳥肌が立ってきました。小国3国の200万人が協力して、600km以上を築いた「人間の鎖」ー血を流すことなく民主的に行った独立運動から発せられるメッセージは今なお私たちの心に強く響いてきます。小国が共に立ち上がり、大国支配の圧政に屈しない決意を世界に向けて示した行動(力)に心震えました。現地で、しかもそれを体験した方から生の話を聞けるのも旅の醍醐味ですね。<br /><br />実際の映像 (4:40から5:00辺りに出てきます)<br />https://www.youtube.com/watch?v=hOXyikrT1MM<br /><br />参考映像<br />Baltic Way 1989 Achieving the Unthinkable - Documentary by Kristine S.<br /><br />「人間の鎖」は2009年ユネスコ世界記憶遺産登録<br />(参考 https://jp.mfa.lt/jp/jp/8008/8009/8894)<br /><br />ユネスコ記憶遺産ー後世に伝えるべき歴史的文書(この場合は「行動」でしょうね)をデジタル化などして世界の人々に知ってもらい、文書(行動)の重要性の認識を普及させるために設けられたもの(ユネスコ世界遺産には色々なカテゴリーがあるんですね。)<br /><br />(写真は在日リトアニア共和国大使館のHPより)<br />

    この話を現地で聞いて

    欧州の北の端っこで起こったこの民主化運動について、当時日本でもニュースになったと思いますが、実は私自身の記憶には全くありません。
    30年後に偶然現地を訪ね、初めて知った次第。

    現地ガイドの女性も30年前大学生の時にこの「人間の鎖」に参加。デモの前日にラジオで告知があり、家族全員で道に立ったそうです。彼女の話を聞きながら鳥肌が立ってきました。小国3国の200万人が協力して、600km以上を築いた「人間の鎖」ー血を流すことなく民主的に行った独立運動から発せられるメッセージは今なお私たちの心に強く響いてきます。小国が共に立ち上がり、大国支配の圧政に屈しない決意を世界に向けて示した行動(力)に心震えました。現地で、しかもそれを体験した方から生の話を聞けるのも旅の醍醐味ですね。

    実際の映像 (4:40から5:00辺りに出てきます)
    https://www.youtube.com/watch?v=hOXyikrT1MM

    参考映像
    Baltic Way 1989 Achieving the Unthinkable - Documentary by Kristine S.

    「人間の鎖」は2009年ユネスコ世界記憶遺産登録
    (参考 https://jp.mfa.lt/jp/jp/8008/8009/8894

    ユネスコ記憶遺産ー後世に伝えるべき歴史的文書(この場合は「行動」でしょうね)をデジタル化などして世界の人々に知ってもらい、文書(行動)の重要性の認識を普及させるために設けられたもの(ユネスコ世界遺産には色々なカテゴリーがあるんですね。)

    (写真は在日リトアニア共和国大使館のHPより)

  • 一連の民主化運動に関連した記念碑はラトビア国会議事堂近くでも見られます。<br />「バリケード記念碑(追悼碑)」(2007年制作)<br /><br />1991年の夏、バルト諸国はソビエト連邦からの独立を宣言しますが、その年の1月(およそ半年前)、一般市民も加わったラトビア軍と、なんとしても民主化運動を鎮圧したいソ連軍がバリケード越しに衝突、交戦。<br />犠牲となった5人を追悼する追悼碑が立っています。<br /><br />リガ市内にはこの「バリケード衝突」に関する資料や情報を収集、展示公開している専門博物館もあり。<br /><br />https://4travel.jp/os_shisetsu/10438372<br /><br /><br /><br /><br /><br />

    一連の民主化運動に関連した記念碑はラトビア国会議事堂近くでも見られます。
    「バリケード記念碑(追悼碑)」(2007年制作)

    1991年の夏、バルト諸国はソビエト連邦からの独立を宣言しますが、その年の1月(およそ半年前)、一般市民も加わったラトビア軍と、なんとしても民主化運動を鎮圧したいソ連軍がバリケード越しに衝突、交戦。
    犠牲となった5人を追悼する追悼碑が立っています。

    リガ市内にはこの「バリケード衝突」に関する資料や情報を収集、展示公開している専門博物館もあり。

    https://4travel.jp/os_shisetsu/10438372





  • さらに旧市街地では<br /><br />リガといえばこの景色。リガ旧市街のナンバーワン写真スポット<br /><br />右の建物がブラックヘッドの会館

    さらに旧市街地では

    リガといえばこの景色。リガ旧市街のナンバーワン写真スポット

    右の建物がブラックヘッドの会館

    ブラックヘッドの会館 建造物

  • ブラックヘッドの会館を外から見たことはあっても内部見学をした方は少ないのでは。<br /><br />このブラックヘッド会館の内部の様子やリガ市内のアール・ヌーヴォー建築の建物については次回の記事にアップします。<br /><br />最後までお付き合いいただきありがとうございました。<br />今年もよろしくお願いいたします。

    ブラックヘッドの会館を外から見たことはあっても内部見学をした方は少ないのでは。

    このブラックヘッド会館の内部の様子やリガ市内のアール・ヌーヴォー建築の建物については次回の記事にアップします。

    最後までお付き合いいただきありがとうございました。
    今年もよろしくお願いいたします。

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この旅行記へのコメント (10)

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  • 唐辛子婆さん 2021/01/19 18:29:25
    バルト三国
    シジュウカラさん

    人間の鎖のこと、こんなに詳しく書いてくださってありがとうございます。
    コロナ鎖国が開国したら真っ先に向かう先は孫たちのいるモスクワですけど
    「ついでに」バルト3国に行きたいと考えていました。
    ドイツ領だったこともな~~んにも知りませんでした。
    エストニアとリトアニアのこともぜひぜひ載せてくださいまし♪

    唐辛子婆

    シジュウカラ

    シジュウカラさん からの返信 2021/01/19 20:52:05
    RE: バルト三国
    唐辛子さん、

    コメントどうもありがとうございました。
    もっと唐辛子さんの写真を見てみたいです。フォローさせてくださいね。もちろん記事の内容にも興味があります!
    特に高井鴻山記念館の記事がよかったです。表紙の孔雀がお見事!ーこういう華やかな画が大好きです。

    お子さんご家族が駐在員でいらっしゃるのかな。
    モスクワも個性的な町ですよね。ビザ制度がなくなればもっと行きやすくなるのになあ、、、。
    バルト三国は思っていた以上に観光資源が充実していてよかったです。まだまだ素朴な感じがしました。バルト三国はどこへ行ってもドイツ的な雰囲気が残っていますので、ドイツ的なものがお好きであればきっと気にいられると思います。

    まだちょっと時間があるとは思いますが、
    よいご旅行になりますように。

  • sanaboさん 2021/01/10 00:03:03
    はじめまして
    シジュウカラさん、はじめまして

    この度はご訪問といいねをありがとうございました。
    シジュウカラさんは一昨年バルト三国を周ってらしたのですね。
    実は私も次の一人旅でバルト三国に行きたいと楽しみにしていたのですが
    このような状況下ではいつになることやら…
    早くまた世界中の国々へ安心して行けるようになるといいですね。
    これからもどうぞよろしくお願いいたします。
    お健やかな一年でありますよう、お祈りいたします☆

    sanabo

    シジュウカラ

    シジュウカラさん からの返信 2021/01/10 06:09:36
    RE: はじめまして
    Sanaboさん、
    はじめまして。
    コメントおよびいいねの投票どうもありがとうございました。
    旅行雑誌に載っているような大変美しいお写真にみいってしまいました。素晴らしいお写真です。もちろん、記事の内容もお見事!

    ラヴェンナには20年近く前に1ヶ月滞在しましたが、モザイクの教会や町の様子はすっかり頭から消えてしまっています。懐かしかったです。私もイタリアやモザイク芸術は大好きです。

    後編も楽しみにしています。
    まだしばらくは気を抜かずに健康管理ですね。
    ーシジュウカラ

    > シジュウカラさん、はじめまして
    >
    > この度はご訪問といいねをありがとうございました。
    > シジュウカラさんは一昨年バルト三国を周ってらしたのですね。
    > 実は私も次の一人旅でバルト三国に行きたいと楽しみにしていたのですが
    > このような状況下ではいつになることやら…
    > 早くまた世界中の国々へ安心して行けるようになるといいですね。
    > これからもどうぞよろしくお願いいたします。
    > お健やかな一年でありますよう、お祈りいたします☆
    >
    > sanabo
    >
  • jijidarumaさん 2021/01/06 19:15:16
    ≪人間の鎖≫、別名「バルトの道」と称し、独立運動の一環として行われたデモンストレーション。
    シジュウカラさん、
    今晩は。今年も宜しくお願いします。

    4Traでは書いていませんが、趣味人で「バルト三国紀行8日間」のツアーに
    参加したので、書いています。(2009年10月19日(月)~26日(月))
    Lithuaniaリトアニア・首都Vilniusヴィリニュスから旅はスタートし、
    ラトヴィア・エストニアの3国を巡りました。
    バルト三国はドイツの歴史とも多く繋がりますし、ドイツよりもドイツ的
    都市が残っているように思いました。
    とりわけ、以前のドイツ国歌の1番の歌詞で歌われる地名のメーメル川が
    印象的です。 
    『Von der Maas bis an die Memel, von der Etsch bis an den Belt.
    マース川からメーメル川まで、エッチュ川からベルト海峡まで』

    そのドイツ関連の歴史を辿ると、1252年、ドイツ騎士団はクルシュ海の
    出口近く、Klaipe’daクライペダに城砦を建設し、その拠点の都市を
    Memelburgメーメルブルク、ネムナス川をメーメル川と称した。
    リトアニアとの国境は1422年のメルノ条約で画定され、メーメルラント一帯
    はドイツ騎士団領に属した。(中略)

    しかし、領土はややこしく、ドイツにいまだ、こうした歌が残る。
    『Memellandメーメルラントの歌詞の一部:
    Deutsch ist das Memelland, Ist ewig, ewig, ewig deutsches Land!!
    メーメルの地はドイツ、未来永劫、永久に、永遠に ドイツの領邦! 』
    尚、ドイツ国歌;現在、ドイツ連邦共和国の正式な国歌は3番のみである。
    (中略)

    さて、ヴィリニュス旧市街観光ではゲディミナス城跡の丘とゲティミナス塔
    (13世紀・内部は小さな歴史博物館)に登りました。
    そしてここには最も特筆すべき標が有りました。≪人間の鎖≫です。
    そのスタート時点はこのゲティミナス塔の下から始まったのです。
    別名「バルトの道」と称し、1989年8月23日、当時ソビエト連邦支配下に
    あったバルト三国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)の独立運動の
    一環として行われたデモンストレーションを指します。
    (後略)

    バルト三国という小さな国々で生じた歴史は殆ど日本では知られていません。
    この事はゴルバチョフソ連共産党書記長(後に大統領・・まだ存命!)が
    行ったペレストロイカに感謝すべきなのでしょう。

    ではまた。
    jijidaruma

    シジュウカラ

    シジュウカラさん からの返信 2021/01/06 22:40:20
    RE: ≪人間の鎖≫、別名「バルトの道」と称し、独立運動の一環として行われたデモンストレーション。
    jijidarumaさん、

    新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

    jijidarumaさんもバルト三国に行かれているのですね。
    コメントをいただいている通り、ドイツと大変関係の深い国々です。
    実は私もこの3カ国をドイツの旅行会社のツアーで見てきました。
    ご一緒したドイツ人はほとんどが私の両親世代。自分の両親が生まれ育った国を見てみたいから参加したという方が数名いらっしゃいました。確か、ご自身もそこで生まれたと言っていた方もいましたね。

    トーマスマンの別荘がある砂丘で有名なニダも行ったのですが、その前日に泊まったクライペダの旧市街地の一部の街並みは古いものが残されておりドイツ的でした。(プロイセン的と言った方がいいんでしょうね。)
    それから、バルト三国ツアーに参加するにあたって、ネットに出ているツアーの旅程をほとんど全てチェックしましたが
    ドイツの旅行会社主催のバルト三国周遊ツアーにはリトアニア・旧カウナス日本領事館の見学が含まれていません。加害者国だから感情的に複雑なんでしょうね。(せっかくだから見学したかったです。)
    それからドイツ騎士団に関係する史跡も多くてびっくりしました。

    > バルト三国という小さな国々で生じた歴史は殆ど日本では知られていません。
    この事はゴルバチョフソ連共産党書記長(後に大統領・・まだ存命!)が
    行ったペレストロイカに感謝すべきなのでしょう。

    ーー当時、ニュースで「ペレストロイカ」という言葉を聞いても、日本しか知らなかったのであまり実感がわきませんでした。しかし実際に、旧ソ連の衛星国を観光してみると、この言葉によって時代が動き、国が変わっていったことがよく分かります。本当にゴルビーの偉業ですね。
    jijidarumaさんのコメントを伺うとドイツの全体像が広がります。コメント本当にありがたいです。
    これからもよろしくお願いいたします。
  • takakoさん 2021/01/05 22:22:45
    歴史的背景がある美しい街
    シジュウカラさんこんばんは(^^)/
    あけましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願いします。
    お正月三が日終わりすぐ仕事で先輩と一週間前によいお年を!と言ったばかりなのにさくっと年が明けてしまったねと話していました。
    リガの街も素敵ですね。
    窓税って?間口税?そんなのがあったのですね
    その度に造りが変わりわかりやすいといえばわかりやすい(^^;

    リガ歴史地区のアールヌーヴォ建築は世界遺産なのですよね。
    リガだったか記憶が曖昧で確かめてみました。

    あと、リーガ大聖堂素敵!パイプオルガンすご~い
    きっと素敵な音色ですよね。
    ステンドグラスもまたまた赤が綺麗。でもプロテスタント教会でもマリア像があるのですね。ちょっとびっくりしました。
    人間の鎖は聞いたことがあるような気がしているだけで、ほとんど記憶にないです。
    胸が痛くなり、考えさせられます。
    日本ってやっぱり平和。元々中国とくっついていたのが離れて島になっただけですよね。
    シジュウカラさんの旅は色んな事を考える機会になります。

    今年はどんな年になるでしょうか
    takako








    シジュウカラ

    シジュウカラさん からの返信 2021/01/06 19:03:39
    RE: 歴史的背景がある美しい街
    takakoさん、
    新年おめでとうございます。
    今年はtakakoさんの愛知県護国神社初詣の口コミで初詣気分を味わうことができました。ありがとうございました♪
    お写真を拝見していて背筋がピンと伸び、気持ちが引き締まる感じがしました。
    抜けるような青空、見事!こんな青空を見ていたら「飛翔」とか「大空に飛躍」などの(縁起のよい!)今年に託す言葉が自然と出てきそうです。

    > リガ歴史地区のアールヌーヴォ建築は世界遺産なのですよね。

    ーーはい。住宅地の一角がそうで、美しい街並みでした。次回、それについての記事を出したいと思います。
    (^_^)

    > ステンドグラスもまたまた赤が綺麗。でもプロテスタント教会でもマリア像があるのですね。ちょっとびっくりしました。
    ーープロテスタントの根底にある「聖書、祈りこそが尊い」と言って教会の内装を否定しているグループだけではないので、色々なグループがあると考えていいと思います。

    > 人間の鎖は聞いたことがあるような気がしているだけで、ほとんど記憶にないです。
    > 胸が痛くなり、考えさせられます。
    > 日本ってやっぱり平和。元々中国とくっついていたのが離れて島になっただけですよね。
    > シジュウカラさんの旅は色んな事を考える機会になります。

    ーー文字が多すぎで頭でっかちの記事を読んでいただけて嬉しいです。旅には色々なスタイルがあると思います。私の場合は癒しが目的よりも歴史の舞台で史実を体感することかな、、、。

    今年はお篭り生活の継続とコロナのワクチン注射を受けること。(←いつになるかはまだ不明ですが。)
    (><)
    takakoさん、日本もコロナ禍下でさらに規制が厳しくなるとのこと。社会状況に適応しながらおいしい物を食べ、将来の旅を夢みながらストレスをためずに乗り切りましょうね。
  • ちゃたろうさん 2021/01/04 12:29:57
    美しいリガの街並み、そして歴史
     シジュウカラさん

    あけましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願いいたします。
    リガの旅行記ありがとうございます。
    落ち着いたリガの街並み、歴史ある建物
    アール・ヌーヴォー様式の装飾など魅力的な
    ところです。かわいい猫ちゃんに私も会いたいなと思います^^ 大聖堂の回廊の古い石碑も良いなぁと思いました。私は残念ながら
    ヨーロッパの教会や修道院の回廊に行ったことがないのです(-。-; よくある表面が摩滅してるような石碑も見たいのです。

    そして「人間の鎖」です!こうした歴史も記事にして下さるのはシジュウカラさんならではです。バルト三国の人々が非暴力の抗議行動をしたこと、大変な勇気と行動力です。
    私も当時ニュースで見たのですが、当時は今のようにいろいろは調べられませんでした。
    今回写真と動画で、詳しい解説付きで記事にして下さり理解が深まりました。私もタリンで現地ガイドさんから、高校生の時に家族と参加した話を元KGB本部の建物前で聞いて衝撃的でした。以前シジュウカラさんが私の旅行記読んで下さり、ご存知かと思いますが。
    私は日本人に同じ行動が出来るのか?と思いました。

    またまた長くなり失礼しました。
    どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
    今回もワクワクして読みました。
    ありがとうございました。

        ちゃたろう

    シジュウカラ

    シジュウカラさん からの返信 2021/01/04 23:16:54
    RE: 美しいリガの街並み、そして歴史
    ちゃたろうさん、早速コメントを寄せていただきありがとうございました。

    実はこの記事はちゃたろうさんとのコメントのやり取りを思い出し、記事にしたものです。

    「人間の鎖」の話は他のリガ旅行記ではほとんど取り上げられていないので今回調べてみました。実際、調べ甲斐がありましたよ。(^_^)圧巻はYou Tubeにある実際の様子です。この場面を見た時、(うっと、)こみ上げてくるものがありました。きっと、ちゃたろうさんにはこの感情が分かってもらえるのでは。

    旧ソ連衛星国への旅行は ”生の現代史” を見聞きできるのでとても興味深いです。コロナ禍で半端になっているバルカン諸国への旅もポストコロナの時代が来たら再開させたいです。

    ちゃたろうさん、今は自宅で、コロナ収束後の ”旅” を夢見ましょう。
    今回もコメントどうもありがとうございました。

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