2020/11/19 - 2020/12/06
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Licodさん
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シンガポールは多民族国家で、現在の民族構成は7割強の華人系を筆頭に、マレー系(13%)、インド系(9%)の人々が暮らしています。今では少数派になってしまいましたが、このシンガポール島の先住民とされるマレー系の民族の縁のエリアを散策しました。
マレー系民族といっても、彼らの出自であるマレー諸島は広大で、マレー半島から来た人、シンガポール島周辺のリアウ諸島から来た人、スマトラやジャワ島から来た人、そして遠くはスラウェシ島から渡って来たブギス族の人達がいます。
マレー諸島の中では、勇猛で少し好戦的な海洋民族であるブギス族は一目置かれていた存在だったらしく、この国の原型が築かれる英国植民地時代初期の頃に、他のマレー人とは別出しの扱いを宗主国から受けていたようです。今ではその名残りとしての部族名の地名が昔の住居区付近に残っています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 2.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
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今から200年前 、スマトラ島にあったイギリス植民地のベンクーレンに副総監として東インド会社から赴任して居たラッフルズは、マレー半島の先端にあるこの島の地政的な優位性に目を付けていました。そして1819年に今のシンガポール川の河口付近に上陸しました。その当時は名も無い漁村で島民の人口は僅か千人程でしたが、それ以降、この島の命運は劇的に変化を遂げて今に至っています。
ラッフルズ上陸記念の地 史跡・遺跡
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1824年正式にイギリスの植民地となり、ラッフルズが上陸したシンガポール川の河口付近を中心に移民が集まり人口は1万人規模に。まだこの頃は、マレー系が6割で華人系が3割強でした。
植民地政府が最初に行なった国勢調査で、マレー系の住民の内、約2千名がブギス族と記録されています。
マレー諸島の地政の専門家であったラッフルズは、この海域で航海術に長けて各島々との貿易ネットワークを築いていたブギス族の優位性を知っていて、植民地政策に彼らの特性を上手く取り入れていたようです。旧ヒル ストリート警察署 (シンガポール情報通信芸術省) 建造物
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ちょうどラッフルズの上陸地点の反対側の川縁からの風景です。
ラッフルズのシンガポールでの滞在期間は意外にも短く、1824年にはイギリスに帰任し、その2年後の1826年には、僅か45歳で生涯を閉じています。シンガポール川 滝・河川・湖
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1820年頃の古地図
ラッフルズ上陸後ですが、この地図はオランダの東インド会社によって作図されたものです。
シンガポール島の東南部にある4つの川がはっきりと描かれています。(左からシンガポール川、ローチョー川、カラン川、ゲイラン川)
まだ英国とオランダが東インドの利権を求めてつばぜり合いを行っていた時期で、結局マレー半島とインドネシアとのバーターにより植民地の線引きが確定しました。
もし、シンガポールがオランダ領だったら、今日の様な発展を遂げることが出来たか、或いは、違う形の都市国家になっていたか興味深い点です。 -
1832年、シンガポールはイギリスの海峡植民地の首都となり、人口は8年で3倍になりました。
ただこの期間で顕著に人口が増えた民族は華人系で、既にこの時点で先住民であるマレー系民族を抜いて、華人系が過半数近くを占めるようになってきました。
シンガポール川付近に密集しつつある人口の分散化を図るため、海峡植民地政府は、マレー系の住民に対してゲイラン川の上流地区に移す政策を行いました。
その政策で今でも多くのマレー系の人々がゲイランセライ地区に住んで、コミュニティを形成しています。そして昨年、マレー文化をコンセプトとした新しいコミュニティセンターが出来ました。 -
Wisma Geylang Serai
MRTパヤーレバー駅から徒歩で5分ぐらい。 -
公民館とカルチャーセンターの複合施設です。
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コミュニティセンターの中にマレー文化を紹介するヘリテージギャラリーもあります。入館無料
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ギャラリー内の展示
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1844年頃のこの付近の古地図
この一帯は、ココナッツのプランテーションが広がっていました。 -
ここの地名にもなっているセライとは、マレー語でレモングラス(左)のこと。右の標本はシトロネラで、ここら辺一帯に栽培されていたそうです。
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レモングラス
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当時は他にもココナッツ、サトウキビ、ナツメグ等が栽培されていたそうですが、今のシンガポールでは、政策でほとんど農地は残されていません。
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マレー系の住人が使っていた農器具。
右の器具はドライココナッツの実の内側に出来たコプラを削る道具。 -
島内に椰子の木ぐらいは飲料用に植えてもいいんじゃないかと思いますが、徹底した現政府の方針によりココナッツも輸入に頼っています。
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マレー系の民族衣装
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以前のこの地は、パネルの様にマレー式の水上集落に後方には椰子の木が生い茂っていました。
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昔、ココナッツのプランテーションだった土地は市街地になっています。
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コミュニティセンター内のレストラン
ほとんどが地元のマレー系の客なので、レストランは全てハラールです。 -
コミュニティセンターの隣にはマレーマーケット&フードセンター
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客層は土地柄、ほとんどがマレー系の人達です。
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衣料品の店もあります。
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コミュニティセンターの対面にある地元の人気店 Al Azhar
マレー系レストランは何故か遅くまで営業している店が多いです。 -
オックステールスープ
インドネシアのSoto Buntut とは少し味付けが違います。 -
1836年頃の古地図
地図中央にカラン川とロチャー川の中洲にブギスビレッジの記載が見れます。 -
現在のカラン川に架かるMRT東西線の橋、筒状になっているのはカラン駅です。東西線は、ブギス駅とカラン駅の途中から地上に出ます。
カラン川 滝・河川・湖
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現在の中洲には、古い建物は残っていません。空き地にポツンとヒンドゥー寺院がありますが、建立は20世紀初頭なので、古地図には記載されていません。
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ローチョー川
川幅は広くありませんが、蛇行しながら上流のインド人街(リトル・インディア)の方まで延びています。 -
カンポングラムにあるマレーヘリテージセンター
嘗のイスタナの建物を博物館として利用しています。
入館料$8マレー ヘリテージ センター (イスタナカンポングラム) 博物館・美術館・ギャラリー
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順路に従って2階に上がると、まずマレー諸島群の範囲を示した大きな地図が掲示してあります。マレーシア、インドネシア、シンガポール、東ティモール、ブルネイとフィリピンの南部が入る実に広大な海域と無数の島々から成り、マレー系民族の海洋民族としての誇りの様なものを感じます。
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航海術と造船技術に長けたブギス族の帆船は、モンスーンの風に抱かれて、数千km離れたスラウェシ島とシンガポールの間を季節毎に往来していました。
そしてその風の逆転する方向性を利用してマレー諸島内の島々を自由に行き来し貿易を行なっていました。 -
オランダ東インド会社の探検家によって描写されたブギス族の戦士
今でも時折りシンガポール海峡に出没する海賊は彼らの末裔なのだろうか? -
帆船の時代を謳歌していたブギス族にとって、ジャワ海は内海のようなものだったのかもしれません。蒸気船の時代までは。
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やがてオランダ軍にマラッカスを追われたブギス族は、シンガポールを含むリアウ諸島、マレー半島、スマトラ、ジャワへとノマドの民となっていきました。
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1820年代のカラン川とローチョー川の中洲付近の水上集落に住むブギス族の人々の貴重な写真が展示されていました。
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当時のブギス族の生活用品
網は魚や蝦を取るための道具です。 -
古地図を分かりやすく着色したパネル。
ブギス族は中洲から青色の部分に移り住まされていました。水辺の民から陸の民へ。 -
手前の旧イスタナを利用したヘリテージセンターとモスクの位置関係
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見学後、ヘリテージセンター前のインドネシア料理屋Rumah Makan Minangで食事。アヤムゴレンにサユール2品とナシ,ドリンクは生姜入りアイスミルクティーでS$9.8は、観光地価格でした。
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1824年に原型が建設されたサルタンモスク
イギリス東インド会社も建設費用の一部を協力しています。サルタン モスク 寺院・教会
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コロナ禍で観光客はいませんが、この通りに並ぶ中近東レストランには、ちらほらと華人系シンガポール人が食事に来ていました。
アラブ ストリート 散歩・街歩き
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ハッジ用トラベルエージェントの老舗でしょうか。
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お祈りを終え帰宅するマレー系シンガポーリアン
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マスカット ストリート
インド洋を挟んで対岸にあたるオマーンとは、ハッジ巡礼船のルートになっていました。 -
カンポングラムの街並み
先ほどのパネルの青く着色されたエリア。カンポン グラム 散歩・街歩き
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中東のスーク様な雰囲気のショップハウスのアーケード
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サルタンモスクの裏手には、ザムザムの有名店があります。
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ブギスの中心部
サルタンモスクからブギスへは、徒歩10分程。 -
ブギスストリートの入口
ブギス ストリート 散歩・街歩き
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ブギスストリート内部
数百件の小売店が主に若者向けに衣類やファッショングッズを売っています。コロナ禍の前は、地元の若者と観光客でかなり混み合っていました。 -
ブギス ストリート内部
扱っている商品は、昔とはだいぶ様変わりしたようで、もはや嘗のブギス族たちを連想させるものは、残念ながらありません。
コロナの入国規制により観光客はいないのに、そこそこの人出はあります。 -
海洋民族として名を馳せたブギス族のもう一つの別の側面としてスラウェシでは主食である稲の農耕も得意としていたようで、その名残りがブギスに隣接する地名に残っていました。マレー語の駅名は、Bras Basah、直訳すると「濡れた稲」ですが、水耕稲作を意味しているのではと思います。
海洋民族が陸に上がり、この土地に根差すために、スラウェシで主食となっている米を、シンガポールでも作ろうとしてしたんですね。ブラス バサー駅 駅
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シンガポールでは、地名(駅名)を公用語である3つの文字(アルファベット、漢字、タミール)で表記されます。基本はアルファベットを使った英語名或いはマレー語ですが、これを漢字名にして表記するとき、音に近いもの(福建語の発音が多い)にする例と意訳するケースがありますが、Bras Basah の漢字表記が百姓になっています。
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ラッフルズの名前を冠した老舗ホテルは、ブギスからもほど近い距離にあります。
ラッフルズ ホテル シンガポール ホテル
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ラッフルズ ホテル シンガポール
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