2019/12/27 - 2019/12/27
458位(同エリア1928件中)
ミランダさん
数年前に訳ありで完結できなかった九州旅行を、年末に敢行しました。福岡市で少しばかり郷愁に浸り、熊本県にある世界遺産、三角西港で知らなかったことを学んだ後、三日目は熊本市で修復中のお城を眺めて、小泉八雲について知りました。午後には「ゆふいんの森」という面白い列車で大分県の由布院に移動し、一日が終わりました。そんな一日を写真を交えてお話します。
(取捨選択の「エリア」という項目、二つの県は選べないのですよね?県をまたいだ旅行記の場合は、どうしたらいいのでしょう?)
私達は日本に一時帰国するたびに、国内を小旅行しています。日本内外のその他の旅先については、どうぞ、こちらから:https://mirandalovestravelling.com/ja/
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ショッピング
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 新幹線 JR特急 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
九州旅行の三日目は晴れましたが、きーんと寒い日でした。
ホテルをチェックアウトしてお城方向を目指します。
途中にあったのが、この「おてもやん」像。郵便ポストの上に立っていました。日本民謡として有名な「おてもやん」ですが、実在の人物を描いた歌なのだそうです。
その出だしが面白い:おてもやん、最近結婚したんだって? 結婚はしたんだけどね、相手の男がそりゃあ醜くて、式は挙げてないのよ。世話を焼いてくれた村の衆が何とかしてくれるでしょ。
・・・というような意味の歌詞。この投げやりな態度、笑えますよね。 -
何しろ寒いので、長いこと外に出ていられません。
熊本市役所の上からの熊本城の眺めが良いと書いてあった(後で地元の人も、ここが最高、と言っていました)ので、市役所に入りました。
14階にはこんな展望室があります。 -
泊まった日航ホテルも見えます。
-
今年(2020年)ちょうど10歳になるという「くまモン」が、近所にある熊本信用金庫の建物に大きく描かれているのも見えました。
-
そしてこれがお城の眺めです。
2016年の大地震で石垣の三割が崩落する大災難にあったため修復中で、年末のこの時期、土日には修復状況を一般公開しているようでしたが、この日は金曜日で中には入れませんでした。
展望室にお城の歴史が書かれていたのですが、それによると、天守閣が復元されたのが、割と最近の1960年だったとのこと。
今回の地震だけでなく、いろいろな災害にあったお城のようで、特に1877年の西南戦争の直前にあった火事では大損害を受けたのだそうです。 -
市役所を出た後、お城を正面に見て右方面に歩きます。
こんな神社を横目で見ながら。 -
途中、地震で崩れ落ちた石垣の岩を集めてある場所がありました。
このお城はもともと、1606年に時の藩主、加藤清正によって建てられましたが、この加藤清正はエンジニアリングに長けた人で、「武者返し」と呼ばれる石垣の積み上げ方がとてもよく考えられているそうです。
今回だけでなく、何度もあった地震の際、初期に作られた石垣の壊れ方が軽く済んでいるという話でした。
で、実際この「武者返し」が奏功して、西南戦争の時には西郷軍14000人の総攻撃に耐えて撃退したのだそうです。(ーーという話をしてくれたのは、この後行ったラフカディオ・ハーンの家の館長さん) -
歩きながら見上げた時の写真です。お城のどの部分に当たるのかな。
-
私達が目指していたのは、熊本県伝統工芸館です。工芸館は熊本県の工芸家の作品を展示する場所として提供されているところですが、私達の目的は工芸ショップ「匠」。熊本県にどんな工芸品があるのか一目で見られます。
スペインでよく見かけるのに似た肥後象嵌が豪華で素敵でしたが、高価でした。江戸前期に作られ始めたという手毬もかわいかったです。
私達が買ったのは、いぐさでできたランチョンマットです。熊本県の八代地方は日本一のいぐさの産地だとかで、明治時代から織られているのだとか。
友達は和ろうそくを買っていました。こちらも18世紀半ばからの歴史がある工芸だそうです。 -
工芸館では無料でお茶が飲めるコーナーがあったので、一休みしながら、次の目的地を「ラフカディオ・ハーンの家」に決めました。
そちらに向かう途中、像がたくさん立っている公園があったので、覗いてみました。 -
並んでいるのは歴史上の人物。ここで絵葉書を売っていたおじさんが寄ってきて、ひとしきり、日本史の講義をしてくれました。
正直、私は学生時代から日本史は苦手だったので、ぴんと来ないことも多かったのですが、へえ、と思ったのは、西郷隆盛の先祖は熊本の人だったという話。
それから西南戦争の際、熊本には東京から派遣された人々が来て薩摩と戦ったそうで、一般市民は薩摩派だったのだと言っていました。
なかなか面白い講義だったので、お礼に絵葉書を一枚買いました(200円)。 -
そして、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの家へ。無料で入れました。
今度はここで、館長さんが出てきて、いろいろ話をしてくれました。
前日の三角西港でもおじさんが面白い話を聞かせてくれたのでしたが、熊本県のおじさん達、本当に親切。旅行者に土地のことを知らせたいという思いがあふれているのが感じられました。 -
小泉八雲は1850年にギリシャで生まれ、アイルランドで育った作家です。
4歳の時に、母は夫の浮気で精神を病み、子供を置いて一人でギリシャに帰ったそうです。以後、ラフカディオは伯母に育てられたといいます。
彼は背丈が157センチほどと小柄で、左目がつぶれていたために、写真ではいつも右側の横顔を見せていたのだとか。
ジャーナリストだった彼は、本の題材になると思って来日したという話でした。
熊本には1891年に高校の英語教師として来て、3年ほど過ごしたとのこと。その時の月給が200円、今のお金にして200万円近くだったといいます。
三角西港のオランダ人ムルドルさんも異常な高給取りでしたが、当時の明治政府の姿勢がうかがえます。
ちなみに、小泉八雲の後釜として就任したのが夏目漱石なんだそうです。 -
さて、次の写真はいきなり「ゆふいんの森3号」です。
小泉八雲の家を最後に熊本市の観光を終え、福岡に帰る友達と分かれ、我々は久留米まで新幹線で。そこから由布院を目指して、この列車に乗ったのです。
緑色の車両が、ジョージアのゴリで見たスターリン専用列車を思い出させたのですが(https://mirandalovestravelling.com/ja/%e8%b1%aa%e8%8f%af%e3%81%aa%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%b3%e5%8d%9a%e7%89%a9%e9%a4%a8/)、こちらはそれとは全く異なる観光列車です。 -
まず、乗り込むと数段の階段があって、その上に座席があります。景色が見やすいようにとの計らいです。
まるで観光船にでも乗ったかのように、車窓の景色、滝や記念物など、伝説も含めて様々な車内案内がありました。
そして、この車掌さん(?)が何をしているかというと・・・ -
こんなパネルを乗客に持たせて、写真を撮るサービスをしているのです。
子供には、乗務員の制服を着せて写真を撮るサービスも。
そして一番、おかしかったのが、途中、「地元の方が手を振っていらっしゃいます。皆さまもどうぞ手をお振りください」という車内放送があったことでした。 -
たまたま私達の車両は一番前で、フロントガラス越しに進行方向の景色も見られ、旅行客が入れ代わり立ち代わり写真を撮りに来ていました。
-
由布院で泊まったのは、「小鳥のたより」という山小屋風の風変りな宿です。部屋には温泉風呂が付いていて、別棟の母屋に行く時には、この写真に写っているダウンの上着を着ていきます。
列車の中から気づいていたことですが、このあたりは韓国人や中国人とみられるアジアの旅行者の数が非常に多いということ。この宿で最初に案内してくれた係の人も、韓国人。泊り客の少なくとも3分の1は外国人でした。 -
調度品など、可愛らしくて、ちょっとお子ちゃま向けなイメージ。
-
ダウンの上着を着ても、まだ寒い夜道を歩いて行った母屋での夕食。案内の人は、「今年は温かい」と言っていましたけど。
夕食は、温泉宿にしては量が少なめ。夫は炊き込みご飯をお代わりしました。
食堂の外に足湯があり、ちょっと浸かってから部屋に戻りました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
熊本市(熊本) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
20