2018/05/16 - 2018/05/21
12位(同エリア62件中)
tigerさん
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新型コロナウイルスのお陰で、Stay Home が続いています。そこで、整理していない
昔の旅行を纏める気になりました。(この旅行記はその第10弾)
当時を思い出しながら楽しんで作成しています。 2020.10記
【旅程】 2018年5月16日(土)~21日(月)
★★ここから後編★★
【5日目】ヤズド⇒⇒「パサルガダエ」⇒⇒シラーズ シラーズ泊
【6日目】シラーズ観光:「ハーフェズ」「ローズモスク」「エラムガーデン」
「ペルセポリス遺跡」「ナクシュ・ラジャブ」 シラーズ泊
【7日目】シラーズ⇒⇒「ビシャプール遺跡」⇒⇒アフワズ アフワズ泊
【8日目】「スーサ」「チョガ・ザンビル」「シュシュタル水利施設」
アフワズ 18:00発 EP0831 ⇒⇒テヘラン19:10着 テヘラン泊
【9日目】テヘラン観光:「イラン考古学博物館」「ゴレスターン宮殿」「宝石博物館」
イマーム・ホメイニー空港23:40発 QR0499にてドーハ経由成田へ
【10日目】18:40 成田着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 飛行機
- 航空会社
- アーセマーン航空 カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- ユーラシア旅行社
PR
-
後編は、イランの真ん中に位置する砂漠の町「ヤズド」出発からです。
-
【5日目】2018年5月16日(土)09:04
「ヤズド」を8時半頃出発して、遺跡を見学しながら「シラーズ」へ
移動します。 -
【5日目】09:12
ヤズドの町を離れて、道路脇のカナートの見学の為、バスを下車 -
【5日目】09:15 「カナート」
このような穴(井戸)が直線状に約20mおきに並んでいます。
それぞれの穴(井戸)はトンネルで繋がっており、山側の地下水脈から
水を引いてくるシステム。イランが発祥の地でイスラム教の伝搬と共に
世界に伝わった。(私が見たのは、モロッコと中国トルファン) -
【5日目】「カナート」
手前の穴が次の井戸で、その先の小山が次の次の井戸で、
トンネルで繋がっている。(現在は使われていないようです) -
【5日目】09:39 ⇒⇒「シラーズ」
今日は一路シラーズへ向かい、途中でシラーズ近郊の遺跡
「パサルガダエ」と「ナクシェ・ロスタム」を見学します。
しばらくバス移動です。 -
【5日目】09:42
これから、標高2,700mの峠を越えます。
イランの国土は、全体が高原状だったと思いますので峠の標高差は
大した事ありませんでした。 -
【5日目】10:17 アバルーク砂漠(土漠)
峠を越えた後、アバルーク砂漠(土漠)を横断してパサルガダエ遺跡へ
向かいます。 -
【5日目】10:36 ⇒⇒「パサルガダエ遺跡」他⇒⇒ シラーズ
-
【5日目】11:44 山が見えて来ました。
少し前に、軍の検問所が有りましたが、無事通過しました。。 -
【5日目】12:40 畑が見えるようになりました。
-
【5日目】13:36 昼食レストラン ⇒⇒「パサルガダエ遺跡」
「パサルガダエ遺跡」手前の幹線道路脇のレストランで昼食を頂き、
出発です。 -
【5日目】14時~ 世界遺産「パサルガダエ」
紀元前6世紀、アケメネス朝の初代王、キュロス2世が築いた
アケメネス朝、最初の首都。 周りを山に囲われた大平原にあります。
標高1900mにあり、日射はあるものの風があり、観光は快適。 -
【5日目】午後 ストーンタワー 「パサルガダエ」
ゾロアスター教の拝火神殿と言われている。ゾロアスター教は
世界最古の一神教で、後のユダヤ教、キリスト教へ影響を与えた。 -
【5日目】午後 キュロス2世の宮殿 「パサルガダエ」
大平原の中にあり、壮観な都だったでしょう。
水路で田の字型に区切った、ペルシャ式庭園【パサルガダエ庭園】が
あったのですが、現在は水もなく、単なる溝があるだけで庭園の面影も
ありませんでした。(写真も撮りませんでした。) -
【5日目】午後 「パサルガダエ」 広々とした場所です。
-
【5日目】午後 キュロス2世の王墓 「パサルガダエ」
キュロス 2世(在位 BC 559~530)がこの都市を築いた。
15時過ぎ、「ナクシェ・ロスタム」へ向け出発です。 -
【5日目】15:37 「パサルガダエ」⇒⇒ 「ナクシェ・ロスタム」
山並みの手前の木々に沿って川があり、この辺りには畑があります。 -
【5日目】午後 「ナクシェ・ロスタム」全景
崖に左から、アケメネス朝(紀元前 6世紀)の4人の王、
①ダレイオス 2世、
②アルタクセルクセス 1世、
③ダレイオス 1世、
④クセルクセス 1世、 の墓が
並んでおり、その下には、大きなレリーフが描かれています。
右側の地下に埋まった石造建物は、ゾロアスター教神殿といわれる。
(観光客がいるところは、道路や畑よりも一段と高くなっている) -
【5日目】午後 「ナクシェ・ロスタム」
左から、
①ダレイオス 2世の墓
②アルタクセルクセス 1世の墓
③ダレイオス 1世の墓 -
【5日目】午後 【アルタクセルクセス1世の墓】「ナクシェ・ロスタム」
夫々の墓は十字架のように彫られており、十字が ゾロアスター教の
火・水・風・土の4つを表している。
墓の下部にはサーサーン朝時代のレリーフが描かれている。 -
【5日目】午後 【アルタクセルクセス1世の墓】「ナクシェ・ロスタム」
墓の下部のレリーフは伝説の英雄 ロスタムが馬に乗って、槍で相手の
馬に刺して持ち上げている様子。 -
【5日目】午後 【騎馬戦勝図】「ナクシェ・ロスタム」
馬上のシャープール1世と捕らえられるローマ皇帝ヴァレリアヌスを
描いた「騎馬戦勝図」(ダレイオス 1世の墓の左下のレリーフ)。
「ナクシェ・ロスタム」とは、伝説の英雄「ロスタムの絵」という
意味で、その名前はこの絵に由来している。 -
【5日目】午後【ダレイオス 1世の墓】「ナクシェ・ロスタム」
-
【5日目】午後【ダレイオス 1世の墓レリーフ】「ナクシェ・ロスタム」
どれも、きれいなレリーフが残っていますが、太陽の加減で
写真が上手く撮れていません。(腕が悪いのかも知れません)
-
【5日目】午後 「ナクシェ・ロスタム」
ダレイオス 2世の墓の向かいにある石造りの建物は、ゾロアスター教の
神殿と考えられている。
神殿が埋まったようにも見える為、遺跡の敷地を掘り下げると、
まだ何か出て来るかも知れません。 -
【5日目】16:49 「ナクシェ・ロスタム」
遺跡の反対側はこのような場所でした。畑です。
この近くに、「ペルセポリス遺跡」と「ナクシュ・ラジャブ遺跡」が
ありますが、明日見学することにして、シラーズへ向かいます。 -
【5日目】午後 18:07
「ナクシェ・ロスタム」遺跡から1時間位で、シラーズの街に到着。
川は干上がっています。
左隅に映っている女性は純粋にイスラム教を信じているタイプ「A」。
イランでは「A」のほか、一応教えに従う場合とそうじゃない場合も
あるタイプ「B」、イスラム教の家庭に生まれたが信じていないと
思われるタイプ「C」の 3タイプがあるように感じました。
個人的には「B」のタイプが多かったと思います。
女性ではカラフルな服装で前髪もスカーフから結構出している人も
多く見かけました(前編のイマーム広場 写真参照)。
-
【5日目】 PARS INTERNATIONAL ホテル
シラーズに2連泊します。 -
【6日目】5月17日(木)朝 ホテル客室より(シラーズ)
シラーズは、標高1,500mの高地に位置する、イラン5番目の都市。
①歴史の町
②詩人の町(イランの4大 詩人のうち、2人がシラーズの出身)
③美人の町
④ワインの町 として有名。
ワインで有名であったが、1979年のイスラム革命後、お酒が禁止と
なった為、ワインを作っていた人達はオーストラリアへ移住して
ワインを作るようになったそうです。ワインの「シラーズ」の由来で
あると昔聞いた覚えがあるのですが、、、違うかも。 -
【6日目】5月17日(木)08:49 「ローズ モスク」(シラーズ)
ホテルを出て10分程で、着きました。
町中にある小さなプライベート・モスクで、他のモスクとは異なり、
シラーズの花である「薔薇」や「教会」のタイル絵が張られている。
正式な名前は「ナシル・アル・モルク・モスク」。
19世紀、フランス文化の影響を受けていた「ガジャール朝」時代に
建立された為、壁にはバラやヨーロッパの教会の絵が採り入れられた。 -
【6日目】午前 「ローズ モスク」(シラーズ)
「教会」が描かれたタイル、そしてピンクの「バラ」模様。
モスクは通常、ブルーの色彩と幾何学模様が基調であり、
このような色彩と紋様は、通常見かけません。
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【6日目】午前 「ローズ モスク」礼拝堂(シラーズ)
ミフラーブ(メッカの方向を示すくぼみ)も、薔薇、バラ、ばら・・・ -
【6日目】午前 「ローズ モスク」礼拝堂(シラーズ)
モスク内部がピンクに染まっています。アーチの模様も綺麗です。
礼拝堂は冬のモスクと言われ、差し込む光が室内を明るく、
そして幻想的にしています。(冬には太陽光がもっと奥まで入り込む) -
【6日目】午前 「ローズ モスク」礼拝堂(シラーズ)
最近、有名になったので、地球の歩き方(2017~18版)にも記載なし。 -
イチオシ
【6日目】午前 「ローズ モスク」礼拝堂(シラーズ)
薔薇色のステンドグラスで、最近有名になったプライベート・モスク。 -
イチオシ
【6日目】午前 「ローズ モスク」礼拝堂(シラーズ)
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【6日目】午前 「ローズ モスク」礼拝堂(シラーズ)
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【6日目】午前 「ローズ モスク」中庭(シラーズ)
右手、礼拝堂木製の建具が、薔薇のステンドグラスになっている。
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【6日目】午前 09:19 町の野菜屋さん(シラーズ)
デザートによくスイカが出ましたが、甘くておいしい!!!
10月位まで、採れるそうです。 -
【6日目】午前 シラーズ ⇒⇒ 「ペルセポリス遺跡」ほか
シラーズから、昨日の道を60㎞程もどり、「ペルセポリス遺跡」と
「ナクシュ・ラジャブ遺跡」の見学に向かいます。
昨日見学した「ナクシェ・ロスタム遺跡」も同じ地域にあります。 -
【6日目】午前 「ペルセポリス遺跡」(1979年世界遺産登録)
入口に遺跡の全体模型が有りました。
ペルセポリスは「ペルシャ人の都」というギリシャ語が起源。
紀元前520年、アケメネス朝ペルシャのダレイオス1 世が建築に
着手し、その子クセルクセス 1世によって完成された宗教的な都。
即位式やノウルーズ(新年)の祭儀などの重要な儀式が行われた。
紀元前330年にアレクサンダー大王のマケドニア軍によって
略奪の後、炎上させられ廃墟となった。 -
【6日目】10:36 「ペルセポリス遺跡」
遺跡の入口、「大階段」まで、少し歩きます。快晴です。
遺跡は一段高い基壇の上に広がっており、111段の「大階段」を
登ります。 12万5,000㎡もある広大な遺跡です。 -
【6日目】午前 「大階段」の精緻な石壁(ペルセポリス遺跡)
「大階段」は左右に在り、階段部分の基壇を支える壁はこのように精緻な
石組みとなっており、南米クスコの12角の石積みを思い出します。
「大階段」の左側階段は110段、反対側は111段だそうな???。 -
【6日目】午前 「クセルクセス門」(ペルセポリス遺跡)
「大階段」を上がり、遺跡への入出場は、この門から。 -
【6日目】午前 「クセルクセス門」(ペルセポリス遺跡)
手前は、馬に似た「牡牛像」 -
【6日目】午前 「有翼人面獣身像」(ペルセポリス遺跡)
クセルクセス門を通り抜けて、「儀仗兵の通路」側から振り返ると
有翼人面獣身像が見えます。
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【6日目】午前 「クセルクセス門」全景 (ペルセポリス遺跡)
別の角度から、クセルクセス門(万国の門)の全景が見れます。
「ペルシャ人の都」ペルセポリスには、各国からの使節団が
貢ぎ物を持って訪れた。
(その様子が「アパダーナ東階段のレリーフ」に残っている)
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【6日目】午前 「空飛ぶ双頭鷲像」(ペルセポリス遺跡)
クセルクセス門の先は儀仗兵の通路が真っすぐ伸びており、その奥に
鷲の頭とライオンの体を持つグリフィン「ホマ」が有ります。
この双頭の間の平らな部分に梁をかけて、屋根などを造りこんだと
思われます。 -
【6日目】午前 「アパダーナ(謁見の間)」(ペルセポリス遺跡)
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【6日目】午前 「ペルセポリス遺跡」
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【6日目】午前 「ペルセポリス遺跡」
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【6日目】午前 「ペルセポリス遺跡」
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【6日目】午前 「ダレイオス 1 世の冬の宮殿」(ペルセポリス遺跡)
ダレイオス 1 世の冬の宮殿「タチャラ」。 -
【6日目】午前 「アルタクセルクセス 2 世王墓」(ペルセポリス遺跡)
東の小高い岩山を利用して造られています。 -
【6日目】午前 「アルタクセルクセス 2 世王墓」(ペルセポリス遺跡)
精緻なレリーフも有ります。 -
【6日目】午前 「ペルセポリス遺跡」全景
小高い丘にある「アルタクセルクセス 2 世王墓」から、
遺跡の全景が見渡せます。
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【6日目】午前 「ペルセポリス遺跡」
正面中ほどの柱が林立する手前に屋根がかけてあり、その下に
「アパダーナ東階段のレリーフ」があります。
(奥の柱が林立している部分が「アパダーナ:謁見の間」) -
【6日目】午前「アパダーナ東階段のレリーフ」(ペルセポリス遺跡)
ここに、綺麗なレリーフが残っており、当時の様子を残している。
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【6日目】午前「アパダーナ東階段のレリーフ」(ペルセポリス遺跡)
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【6日目】午前「アパダーナ東階段のレリーフ」(ペルセポリス遺跡)
牡牛を襲うライオン -
【6日目】午前「アパダーナ東階段のレリーフ」(ペルセポリス遺跡)
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【6日目】午前「アパダーナ東階段のレリーフ」(ペルセポリス遺跡)
各国おのの使節団が貢ぎ物を持って訪れる姿が描かれている。
それぞれの国の衣装や献上物が特徴的に表されている。
23の国が描かれており、糸杉のレリーフで区切られている。 -
【6日目】午前「アパダーナ東階段のレリーフ」(ペルセポリス遺跡)
描かれている貢ぎ物や、使節の帽子の形、衣装などから
どこの国からの使節団かがわかる。 これは多分「アルメニア」。 -
【6日目】午前「アパダーナ東階段のレリーフ」(ペルセポリス遺跡)
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【6日目】午後 シャープール 1 世と臣下「ナクシュ・ラジャブ」
サーサーン朝時代のレリーフが4枚残っています。
この場所は30年位前までトラックの駐車場として使われていて、
誰もレリーフに気づかなかったか、価値が分からなかったのかも、、、
ラジャブは、その駐車場にあった喫茶店の「親父の名前」。 -
【6日目】午後 サーサーン朝時代のレリーフ「ナクシュ・ラジャブ」
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【6日目】午後 サーサーン朝時代のレリーフ「ナクシュ・ラジャブ」
馬に乗って、ゾロアスター教の「約束のリング」を受け取る、
シャープール 1 世(在位AC241~272)載冠の様子。 -
【6日目】15:25 「コーラン門」
シラーズの北の入り口として、10世紀ころに建てられた。
町を出入りする人々の安全を祈り、門の上部の小部屋にコーランが
置かれていた。門の向こうが、シラーズのの町。 -
【6日目】15:45~「ハーフェズ廟」(シラーズ観光)
イランで最も偉大で敬愛される14世紀の抒情詩人「ハーフェズ」。
生涯(1324-89)のほとんどを生まれ故郷のシラーズで過ごした。
八角形のドーム屋根の下に墓が安置されています。 -
【6日目】「ハーフェズ廟」(シラーズ観光)
公園として綺麗に整備され、市民の憩いの場となっている。
イランの4大詩人のうち、2人がシラーズ出身で、そのもう一人が
「ハーフェズ」より早く生まれている「サーデー」(1291年没)。
「サーデー」は、若い時30年間も中東や北アフリカ、インドなどを
放浪して、45歳過ぎに戻って来てから作った長大詩で名声を得た。 -
【6日目】16:40~ 「エラムガーデン」(シラーズ観光)
「エラム」はペルシャ語で「楽園」を意味する。2011年世界遺産。
ガージャール朝時代に造られた広大なペルシャ式庭園。
1963年以降、シラーズ大学が所有しているそうです。 -
【6日目】「エラムガーデン」エラム宮殿(シラーズ観光)
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【6日目】「エラムガーデン」(シラーズ観光)
水・緑・花、あと美女が居れば、ここはイランでいう天国です。 -
【6日目】「エラムガーデン」入り口付近のバラ園(シラーズ観光)
この公園で、3人の日本人女子学生に会いました。彼女らは別々の
大学で短期留学中(3~6ヶ月)で誘い合わせて公園い来たとか。
また、テヘラン在住の日本人の若い家族連れにも偶然遭いました。
公務員と言っていたので多分大使館の人のようです。 -
【6日目】「エラムガーデン」前の通り(シラーズ観光)
今日の観光は終了です。
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【7日目】5月18日(金)07:42 シラーズ ⇒⇒ アフワズ
今日はシラーズを7時に出発して「アフワズ」へ 650㎞の移動です。
途中で、「ビシャプール遺跡」を見学します。 -
【7日目】08:31 峠越え シラーズ ⇒⇒ アフワズ
-
【7日目】09:48 「ビシャプール遺跡」 (Historic City of Bishapur)
1時間30分ほどで、今日ただ一つの観光地「ビシャプール遺跡」到着
1935年にフランス人考古学者により発見され、発掘された保存状態の
良いものは、フランスのルーブル美術館に収蔵されている。
(モザイクはテヘランの考古学博物館にある) -
【7日目】 「ビシャプール遺跡」
サーサーン朝シャープール 1世がローマ帝国皇帝ヴァレリアヌスを倒し
勝利したことを記念して、捕虜のローマ人を使って造らせた都市。
ペルシャとローマの建築様式が用いられた。
-
【7日目】 「ビシャプール遺跡」
主に見学したのは、
Anahita Temple(上部のハッチの掛かった小さな四角い部分) -
【7日目】 アナヒタ神殿(Anahita Temple)「ビシャプール遺跡」
「アナヒタ」はゾロアスター教の「水の神」で、この神殿は地下に位置
しており、床に川の水を引込み水面に空が映った状態で儀式を行った。
開口部手前の段差部の小さな穴から、川から引き込んだ水が周囲の
2重壁内にある通路(次の写真)の溝を通って出て来る仕組み。
ゾロアスター教は「火・水・風・土」の4つを神聖なものとしている。 -
【7日目】 アナヒタ神殿「ビシャプール遺跡」
アナヒタ神殿の2重構造壁の中(通路両脇の側溝部分かな?)は
水路にもなっている。 -
【7日目】10:21 「ビシャプール遺跡」
これから、再び「アフワズ」へ 500㎞の長距離の移動です。 -
【7日目】10:51 「ビシャプール遺跡」 ⇒⇒ アフワズ
オリーブの木ですネ。 -
【7日目】11:10 小さな村に入りました。
Persian Gulfというお店で、早めの昼食を頂きました。
メインは大きなサーモントラウト唐揚げ風(養殖だそうです)。 -
【7日目】12:20 「ビシャプール遺跡」 ⇒⇒ アフワズ
レストランを 12:10 に出発しました、あと400㎞ 移動です。
「ヒツジ」の遊牧のようです。今回は、あまり遊牧を見かけません。 -
【7日目】12:42 「ビシャプール遺跡」 ⇒⇒ アフワズ
-
【7日目】 13:35 変わった景色 ⇒⇒ アフワズ
-
【7日目】16:02 ⇒⇒ アフワズ
こんなところで、石油が採れるようです。 -
【7日目】17:22 ⇒⇒ アフワズ
平坦な地域に来ました、油田のガスを燃やすのが見えてきました。 -
【7日目】17:50 ⇒⇒ アフワズ(18:15 アフワズのホテル着)
アフワズ近郊は、イラン有数の石油産出地でした。
石油&ガスはイランの輸出額の80%を占め、550億ドル。
日本はイランから原油を輸入しています。
石油以外では、20年前は「ペルシャ絨毯が」No.1だったが、
今はほぼ輸出ゼロだとか!
(トルコの絨毯と同じく、ペルシャも中国の模造品にやられた?)。
-
【8日目】5月19日(土)宿泊したホテル PARS (アフワズ)
今日は、「シュシュタル遺跡」、「チョガ・ザンビル遺跡」、
「スーサ遺跡」を見学後、空路テヘランへ移動します。 -
【8日目】08:03
紀元前にさかのぼる古都シュシュタルの町に向かいます。
道路の脇にカールーン川が流れています。 -
【8日目】09:22「シュシュタル水利施設」(世界遺産)に到着。
下流方向を見る。
3世紀サーサーン朝時代からの水利施設で、右の貯水池からの
水路を徐々に狭くすることで、流れる水の圧力を高めて水車を
回し、小麦を石臼で粉にしていました。
-
【8日目】「シュシュタル水利施設」
上流方向を見る。
水はカールーン川から分岐して人工的な水路で引き込んでいる。
-
【8日目】「シュシュタル水利施設」
-
【8日目】「シュシュタル水利施設」
お爺さんが、粉ひきを実演してくれました。 -
【8日目】10:24 ⇒⇒「チョガ・ザンビル遺跡」
真平な畑の中を向かっています。 -
【8日目】10:57「チョガ・ザンビル遺跡」(世界遺産)に到着。
紀元前1250年頃に平原の中に造られたジッグラト(階段ピラミッド)。
1935年、油田調査中に偶然発見された。 -
【8日目】「チョガ・ザンビル遺跡」
一辺、105m四方のジッグラト(階段ピラミッド)は、現在3段目まで
残っており、元々の高さは 50mで 5段あったとされている。
-
【8日目】「チョガ・ザンビル遺跡」
紀元前13世紀の中頃、エラム国のウンタッシュガル王は、ここを
宗教的中心地と定め建設した。山に神が宿ると考え、平坦な地に
ジッグラト(階段ピラミッド)を作り、最上部に寺院を置いた。
-
【8日目】「チョガ・ザンビル遺跡」
正面の丸いのは「日時計」 -
【8日目】「チョガ・ザンビル遺跡」
ガイドの「アリさん」が「ここに当時の文字が残っている」とか、
熱心に説明しています。 -
【8日目】「チョガ・ザンビル遺跡」
建設当時の少年の足跡という事でしたが、本当???。
その他に、水路に使っていたパイプが残っています。 -
【8日目】13:33 昼食後「スーサ遺跡」着
アケメネス朝の冬の首都「スーサ」は当時の行政の中心地で、
「ハムラビ法典」が発見(1901年)された場所。今はルーブル美術館に。
遺跡は丘の上にあります。1852年にイギリス考古学者によって
発掘が始められ、後にフランス考古学調査隊に引き継がれた。 -
【8日目】「スーサ遺跡」
-
【8日目】「スーサ遺跡」
建築様式はペルセポリス遺跡と同じ。(保存状態や規模は及びません) -
【8日目】「スーサ遺跡」
これが、柱の上に載っていた。 -
【8日目】「スーサ遺跡」
14時過ぎ、空港へ。 -
【8日目】 アフワズ国際空港 ⇒⇒ テヘラン
18:00発 国内線 EP-831便で、テヘランへ向かいます。
イランは経済制裁を受けているので、旅客機の補修部品などは、
ちゃんと手に入っているのか?心配しながら搭乗。 -
【8日目】アフワズ上空
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【8日目】 イランの国土の52%が山脈、25%が砂漠(土漠)
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【8日目】テヘラン上空
順調に、着陸できそうです。 -
【8日目】20時頃 パルシアン・アザディ・ホテル(テヘラン)着
イラン最後の宿泊は、★★★★★ホテルでした。 -
【9日目】5月20日(日)テヘラン観光 ⇒⇒ 帰国へ
これから、首都テヘランを観光した後、帰国の途に就きます。
雪が残る山脈の向こう側(北側)は、カスピ海に面していて、
気候も違い緑豊かな穀倉地帯でコメを作っている。
カスピ海沿岸以外は、小麦の畑が多い。
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【9日目】「ゴレスターン宮殿」群(テヘラン観光)
観光バスを降りて、徒歩で宮殿に到着するまで、撮影禁止でした。
多分、首都中心部の官庁街なのでしょう。
「ゴレスターン宮殿」は、ガジャール朝時代に建てられた、
ペルシャ式庭園を囲む7つの宮殿群からなる。 -
【9日目】「ゴレスターン宮殿」群(テヘラン観光)
庭園内に7つの博物館がある。 -
【9日目】「ゴレスターン宮殿」群(テヘラン観光)
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【9日目】「ゴレスターン宮殿」群(テヘラン観光)
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【9日目】「ゴレスターン宮殿」群(テヘラン観光)
【タラーレ・アスリ宮殿】は、ヨーロッパからの使節団などを
迎え入れた宮殿。 -
【9日目】「ゴレスターン宮殿」(テヘラン観光)
【タラーレ・アスリ宮殿】は、ヨーロッパからの使節団などを
迎え入れた宮殿。 -
【9日目】「ゴレスターン宮殿」群(テヘラン観光)
【タラーレ・アスリ宮殿】 玉座 -
【9日目】「考古学博物館」(テヘラン観光)
最盛期のペルシャの勢力が及んだ範囲でしょう。 -
【9日目】「イラン考古学博物館」(テヘラン観光)
ペルセポリス遺跡のレリーフ。 -
【9日目】「イラン考古学博物館」(テヘラン観光)
博物館には、日本語の上手な学芸員(女性)がいらっしゃいました。 -
【9日目】「イラン考古学博物館」(テヘラン観光)
紀元前6000年から7世紀頃までのが展示されていましたが、
頭が消化不良で写真もあまり撮りませんでした。 -
【9日目】15:09「宝石博物館」⇒⇒ 空港
昼食後、イラン・メッリー銀行の地下金庫にある宝石博物館を見学。
25万6千個の宝石を使った「孔雀の王座」、5万個の宝石で造られた
地球儀、182カラットの巨大なピンクダイヤ「光の海」など、全て
本物の宝石が山のように有りました。(宝石所有数、世界一)
したがって、警備が非常に厳重でカメラはおろか持ち物は全て
ロッカーへ預けることになっています。
-
【9日目】(テヘラン観光)⇒⇒ 空港
【アザディ・タワー】:ペルシャ建国 2500年を記念して
1971年に建てられた、高さ45mのイラン・ペルシャ建築を融合
させたランドマークタワー。 -
【9日目】(テヘラン観光)⇒⇒ 空港
さすが、首都の景観です。 -
【9日目】(テヘラン観光)⇒⇒ 空港
最新の電車も走っているようです。 -
【9日目】(テヘラン観光)⇒⇒ 空港
背後に見えるのはアルボルズ山脈、その向こうはカスピ海沿岸。 -
【9日目】(テヘラン観光)⇒⇒ 空港
最後に、イスラム革命の指導者であり、イラン・イスラム共和国の
初代最高指導者のイマーム・ホメイニ師の眠る霊廟に立ち寄りました。
5月20日(日)
イマーム・ホメイニ国際空港 23:40発 QR 499便 ⇒⇒(ドーハ)
⇒⇒ 21日(月) 02:20発 QR 806便 ⇒⇒ 成田 18:40着
これで、イラン・イスラム共和国の旅行記は、終了です。
イランを旅して、今更ながらですが世界史を真面目に学んでおけば
もっと意義あるものになったと思いました、反省!。
(片足を棺桶に突っ込んでいるような歳では、遅いですが、、、)。
私にとって、移動中の風景は欠かせないものです、居眠りせずに必ず
見ています、砂漠(土漠)の続くなかで、緑を見るとホットします。
最後まで、ご覧いただきありがとうございました。
前編は、https://4travel.jp/travelogue/11645988 をご覧ください。
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