2020/04/04 - 2020/04/04
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ごんちゃんさん
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柳生の里
江戸時代に将軍家指南役として天下に権勢を振るった柳生一万石の地。
吉川英治の「宮本武蔵」や山岡荘八の「春の坂道」の舞台として登場し、
その陣屋跡や旧家老屋敷、一族にまつわる史跡等が残る静かな盆地です。
NHK大河ドラマ「春の坂道」が放映された当時は沢山の人が押し寄せましたが、今は元の静かな山里です。
旧柳生藩家老屋敷は1964年から作家の山岡荘八さんの所有となり「春の坂道」の構想もここで練られたと言われています。
1980年にご遺族から奈良市に寄贈され市の文化財となり一般公開されています。
コスプレの写真撮影会やってられました。
小鳥の声と満開の桜。石積みに白い土塀。
田舎ではあるのだけれど、どこか侍の臭いがする田舎です。
一刀石は今話題の鬼滅の刃の舞台の一つだそうです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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柳生の里の端っこ。
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夜支布山口神社
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柳生街道の忍辱山(円成寺)から柳生の里までの道中(剣豪の道)にある夜支布山口神社
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大柳生の氏神様で平安時代からある古い神社です。
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手水舎
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拝殿
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社務所でしょうか?
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右は八幡神社
左は靖国神社
境内にはほかに靖国神社、春日神社、白山神社,宗像神社、御年神社、津島神社等
沢山の神様がお祭りされている鎮守の森です。 -
拝殿
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忍辱山(円成寺)方面への道。
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今日は柳生の里中心部に向かいます。
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柳生の里はそろそろ田植えの準備が始まり土が耕されていました。
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ここから少し山に入り一刀石に向かいます。
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放生の池
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新しい墓地がありました。
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一刀石 天石立神社方面へ山道登ります。
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一輪車しか通行できません
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一刀石 天石立神社方面へ
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後200メートル。
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天石立神社の鳥居見えました。
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杉林を進む。
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岩が。
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ゴロゴロ。
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ここは柳生家の修練の場と云われています。
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杉林を進むと見えてきました。
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一刀石。
可愛い刀が置いてありました。 -
柳生宗巌が修行中にこの戸岩谷に分け入り天狗と試合した際、一刀のもとに天狗を切り捨てたはずが、刀はその場にあった巨石を二つに割っていた。
このいわれから「一刀石」と云われるようになったそうです。 -
7メートル四方の巨石で中央から二つに割れています。
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柳生が舞台の漫画が幾つか有るようでこの一刀石の前で衣装を着けて撮影する為訪れる人も少なくないそうです。
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写真が上手く撮れてなくて残念ですが、左側の岩に神社の建物が食い込んでいます。
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なんだか考えて設置したみたいです。
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次は疱瘡地蔵さんへ
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畑の横の道ををちょっと山側に入って疱瘡地蔵さんへ
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民家の裏山を道なりに進む。
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少し登り里の景色を望む。
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疱瘡地蔵さんへ。
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ちょろちょろと山水が。
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「正長の土一揆」のの際、農民側が勝ち取った徳政令の説明。
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川沿いにある巨石にお地蔵さまと碑文の両方が彫られたものとなっています。
知名度としては、疱瘡よけのために造立された素朴なお地蔵さまもさることながら、お地蔵さまの正面右下に記された碑文のほうが歴史遺産として良く知られた存在だそうです。
碑文は室町時代の中頃に京都で発生し、奈良方面にも波及した「正長の土一揆」の際に農民の側が勝ち取った「徳政令」について記されたものです。 -
柳生街道沿いにある「疱瘡地蔵」。覆屋で丁寧に保護されているお地蔵さまの周辺には、一見すると「正長元年柳生徳政碑」らしきものは見当たりません。
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碑文は現在は風化でほとんど読み取ることが出来ませんが、「正長元年ヨリ サキ者カンへ四カン カウニヲ井メアル ヘカラス」と記されており、周辺エリアの農民が背負う負債が帳消しになった旨が記されていて、農民の立場からの歴史を示す貴重な碑文として知られてるそうです。
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来た道を戻ります。
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道もないのにどうしてここまで持ってきた?
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柳生の里の景色
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立派な家が多いです。
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手水舎
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本殿。
春日若宮の社殿を映したもので国の重要う文化財 -
武道の神様「摩利支天碑」
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小高い丘の上にあります。
真下には閉校になった「柳生中学校」。校舎の向こうに柳生エリアを望む風景が広がっていました。 -
案山子
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小山田家分家。非公開
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旧柳生藩家老屋敷
入場料300円。 -
石垣には天保12年(1841年)尾張石工が築いたと記されている。
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柳生藩の家老小山田氏の屋敷。
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昭和39年作家山岡荘八の所有となり昭和46年放映の大河ドラマ「春の坂道」もここで構想が練られました。
昭和55年に同氏の遺志により奈良市に寄贈され、一般公開されています。 -
屋根の下に燕が巣を。
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最近ではあまり見かけないけれど、門の上に燕が巣を。
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柳生藩の苦しい財政再建を成し遂げた家老小山田主鈴が藩主柳生俊章から賜った土地に営んだ旧隠居宅。
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奈良県指定文化財。
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玄関
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玄関横には籠
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柳生宗矩直門の弟子たち
門下生を見ると会津、仙台には門下生の名前があるけれど、名古屋、関東圏の名前が無いのは何か訳があるのかな? -
柳生家家系図
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お若い頃の美智子様が清子様とご一緒に見学に見えておられた。
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確かここは主の間だった。
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床の間には萬屋錦之介さんの写真が。
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庭
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今日はコスプレの撮影会してました。
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芳徳寺さんに行きます。
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もみじ橋
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川の水は少ないです。
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芳徳寺さんへの旧道
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400メートル程ですが結構急坂です。
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芳徳寺さん
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山門
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どなたもおられません。
勝手に200円箱に入れて入らせて頂きました。 -
柳生家の菩提寺です。
柳生宗矩が父,宗巌(石舟斎 柳生新陰流の始祖)の菩提を弔うため1638年に創建、沢庵和尚が開山しました。 -
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正木坂剣禅道場
柳生新陰流の精神「剣禅一如」に通じる剣道と座禅の道場で当時の住職橋本定芳氏の尽力で建立されました。
元は興福寺別当一条院にあった奈良地方裁判所の建物を移築し正面入り口は京都所司代玄関口移築した道場です。 -
タイミングが良ければ道場の内部見学やご住職による柳生新陰流の説明を聞くことが出来ます。
今日は道場には入れませんから窓から写真だけ。 -
家老屋敷が残っているのに、柳生家の家が残っていないのか不思議でしたが、
1747年火災により全焼し今は桜の名所として公園になってました。 -
奈良交通バス
JR奈良西口から柳生行
7:24, 9:11, 11:40, 12:45, 16:24, 17:17
柳生からJR奈良駅行き(柳生郵便局前)
6:09, 7:09, 8:36, 11:50,13:20, 15:43, 17:30
料金は片道970円です。
所要時間は1時間弱です。
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