2020/01/29 - 2020/02/09
1位(同エリア3件中)
地中海人さん
昨年パキスタンにあるインダス文明遺跡、ハラッパーとモヘンジョダロを訪問し、インドにもたくさん遺跡があることを知った。インダス文明の謎は深い。ドーラビーラー遺跡と、シュメール文明との関連が指摘されているロータス遺跡を訪れて私のホモサピエンスの文明遺跡訪問の最後とした。
SY社より参加者が少ないだろうと3年ぶりで選択したY社のツアー「謎のインダス文明遺跡ドーラビーラーと砂漠の国ラジャスタン12日間」は、予想に反し参加者19名、男女ほぼ同数であった。
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2020年1月28日 日航成田ホテルに前泊
1階にローソンがあり便利、部屋にはポットがある。
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1月29日(水)
成田空港11.30発 (エアーインディアAI307便は787-8.機体は若干?色。)→ デリー空港着18.00 ANApp 4,570マイル
プラス18万円で旅行社による成田デリー往復ビジネス手配としたが、ツアー同行者のうち1名が片道5万円アップ(かなり前ジャンボが飛んでいた頃同額で利用したことがある。)を利用したとのこと。C席は往路成田デリー間は3分の1くらい空席あり、復路は満席。
デリー空港発22.00 (AI013便)→ アハマダバード空港着22.00 ANApp 330マイル
デリー空港ではトランスファー表示の廊下で係員に行き先を問われ、国際線扱いの国内線に乗る人たちが区分けされ立ち止まる。
デリー空港からイスラム教徒で大谷大学で3年仏教を専攻した日本語ガイドがついた。(他に行先々の町でさらに英語地元ガイドがついた。)
(デリー空港ではなく)アハマダード空港のイミグレでは、5年有効のe-VISA(Y社手配),外国人専用の入国カード、コロナウイルス用の申告書(英文、立ち寄り都市など)を提出、提示した。
アハマダバード空港からバスで30分 ハイアットリージェンシーホテル着23.16 1泊
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※ 1月30日(木)
午前8.00ホテル出発 午前9.45頃TULSIで休憩
午前10.20 ロータル遺跡を訪問
13.50 ランチ
午後3.30 アダーラジの階段井戸
17.10 ホテルで休憩後夕食
グジャラート州は禁酒、ビールなど酒は出ない。ベジタリアンが多いのでベジタリアン料理。
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1月31日(金)(約220km/4時間 )
午前 アハマダバード市内観光。ハティーシン・ジャイナ教寺院、ジャマー・マスジッド、マハトマ・ガンディーの道場「サーバルマティー・アシュラム」、ダーダー・ハリの階段井戸
ラージコートへ
ラージコート インペリアル パレス ホテル泊
(今旅行唯一浴槽があり、ヒャッキンで購入したシリコンふたが活躍した。)
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2月1日(土) (約230km/4時間 )
朝食後、カッチ地方の中心都市ブジへ
午後 ブジ着後、市内観光。アーイナー・マハル、カッチ博物館
ブジ レジェンタ リゾート ホテル2泊
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2月2日(日)
終日、カッチ地方のバンニ地域の少数民族の村々、ビリンディアラ村、カウダ村、ホドカ村、ルディア村、ニローナ村、ドルド村などを訪問
ホワイト・ラン 展望台まで往路20分徒歩、復路ラクダ台車
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2月3日(月)(合計475km/6時間)
朝食後、インダス文明遺跡ドーラビーラー遺跡
見学後、小カッチ地方のダサダへ
ダサダ ラン・ライダース・サファリ・リゾート ホテル泊
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2月4日(火) (約220km/4.5時間)
朝食後、高原の避暑地マウント・アーブーへ
途中、モデラーのスーリヤ寺院、パタンの王妃の階段井戸に立ち寄る。
マウント・アーブー パランプールパレス ホテル泊
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2月5日(水)(約260km/4.5時間)
午前 ナッキー湖、デルワーラ寺院群
ジャイナ教の聖堂・デルワーラ寺院群
ジョドプールへ
ジョドプール パークホテル泊
ラジャスタン州で初めて赤ワイン「スーラ」グラスで頂く750ルピー。若干甘い。
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2月6日(水) (約280km/4.5時間)
午前 メヘランガル城砦 ブルー・シティーが見渡せる
その後、オアシスの町、ジャイサルメールへ
ジャイサルメール フォートラジュワダ ホテル2泊
赤ワインボトル1本。ドライでまーまー。
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2月7日(金) ジャイサルメール滞在(郊外クーリー村)
早朝、バスにて1時間クーリー村周辺の砂丘へ。ラクダに乗り20分の地点はブッシュがある沙漠で感じが出ない。私だけラクダに乗らなかった。
朝食後、ジャイサルメール市内観光、トゥリクートの丘のジャイサルメール城砦、ジャイナ教寺院
酒屋に寄ってもらい、「スーラ」(ラジャスタン州内販売許可。ラベルに定価が書いてある。)1本購入。ドライだった。
邸宅(ハヴェリ)一人旅のスペイン人女性に出会う。ソニーカメラα7R3持参、日本語「大好き」を話す。若いインド人ガイドの被写体になっていて、「あなたはムービースターであるか」と問うたら「ノットイエット」と。
夕刻、夕日に照らされる街を望むポイントへ
日本人兄弟(20歳、24歳)に出会う。兄は仏教を勉強しているという。
帰り、ジャイサルメールの城塞が「大きなアクロポリス」に見えた。
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2月8日(土) (約280km/4.5時間)朝
早朝、ジョドプールへ戻る。
スーパーで、ジンジャーパウダー、カレー粉など購入。
観光専用バス(運転手の他に助手つき)の全走行距離は2,230キロに及ぶ。
ジョドプール発14.55(AI476便) →デリー空港着16.20 ANApp 207マイル
国内線到着階にあるイミグレで追い返され(日本語ガイドも添乗員もわからなかった。)、国際線出発階に上がってから(トランスファーではなく)イミグレへ。ちょっとわかりにくいところにある。
エアーインディアのビジネスラウンジでは午後6時以降に酒のサービスがあった。
デリー空港発21.15(AI306便)→
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2月9日(日)
成田空港着08.00 ANApp 4,570マイル
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両替
ドル 成田空港内GPA外貨両替専門店にて
1月29日 9,918円=89ドル
1ドル=111.40円
インドルピー
1月30日 ガイドから 5,000円=2,800ルピー
1ルピー≒1.78
参考為替相場1ルピー≒1.54円
4回両替し2万円全部費消。
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カメラ
機内、空港内 スマホ エクスペリア
カメラ ソニー α7R4
レンズ キャノン16-35F2.8 ソニー純正70-200F2.8
APS-Cサイズの16ミリ、コンバージョンレンズセットで12ミリ
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旅行保険 OFF 1/29---2/10 6,440円
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表紙はロータル遺跡の復元図
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ガイドブック
「インダス文明の謎 古代文明神話を見直す」長田俊樹著 発行所 京都大学学術出版会
学術選書064 2013年発行 1,800円(税別)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エアインディア
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- ユーラシア旅行社
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2020年1月29日(水)
ホテルから8.25発のシャトルバスで成田空港T2へ。
9.30 成田国際空港T2 3階出発ロビー Aゾーン横の北団体カウンター 29番に集合
添乗員からEチケットを受け取る。(事前にEメールで受け取るサービスはない。) ビジネスクラスチェックインカウンターの左にE席→C席5万円アップの表示が出ていた。
エアーインディアCクラス搭乗者には、ビジネスラウンジ利用券が配布される。初めてなのでエヴァー航空ビジネスラウンジの向かい側にあるエアーインディア指定のチャイナエアラインビジネスラウンジに寄ってみたら時節柄ガラガラ。イナリ2個とコーヒーを頂く。ANAのラウンジへも入れるのであるが、この時は気が付かなかった。
成田空港11.30発 (エアーインディアAI307便は787-8.機体は黄ばんでいた。)→ デリー空港着18.00 ANApp 4,570マイル
AI307便 ボーディングタイム10.30 ゲートクローズ11.10 離陸11.42
ゲートは82.
(旅行社によるプラス18万円で成田デリー往復ビジネス手配としたが、成田空港エアーインディアチェックインカウンターでは、成田デリー片道5万円アップの表示が出ており、参加者のうち1名が利用した。ビジネスは3分の1くらい空席あり。食事2回、)
写真はCクラス(2-2-2)の第一食ジャパニーズ。
スリッパがあったが、アメニティはなく、食事酒のメニューもないが座ったら直ちにシャンペンがサービスされた。
赤ワインはコートデュローヌがあったが、今回の目的地である西インド産スーラを選択した。スーラはエアインディア向けだけハーフボトルを生産しているという。若干甘くマイルドな味だ。後日ラージャスターン州でのみ許可販売されている大瓶のスーラは若干ドライだった。 -
ジャパニーズを選択すると、第一食のメインは白身魚とご飯。
赤ワイン「スーラ」3杯、ピーナッツ2袋、デザートはチーズを選択。
映画は日本語字幕なし。ハリウッド映画を見る。 -
第二食。サンドイッチなど。それほど辛くなくおいしく食べられる。
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2020年1月30日(日)
アハマダードからロータル遺跡への移動の際、TULSIのドライブインで。随分と写真慣れしているなー。 -
2020年1月30日()
ロータル遺跡入り口 -
グジャラート州サウラーシュトラ半島の付け根にあるロータル遺跡は1955年から62年にかけてインド考古学局により発掘された。
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船着場 縦214メートル横36メートル深さ4.5メートルもある。焼成煉瓦を積み上げてある。
一見して、宮城県出身の私は、明治初期に造られ台風で破壊された「野蒜築港」を想起した。
地中海沿岸ではここより大きいがマルセイユ港も。
反対説もあるが、メソポタミアや湾岸都市との交易をうかがわせる出土品が見つかったことから船着き場説が有力か。
次に訪れるドーラヴィーラーには大きな貯水池(なんと3連の浄水場!)、昨年訪問したモヘンジョダロには大浴場があった。 -
当時は海水準が2メートル低く、今は海岸線からかなり奥に位置する遺跡の多くが海岸線に近く、インダス文明人は西から沿岸伝いにやってきて、シュメール文明の影響を受け、海からの恵みを受ける独自の文化を築いたものか。
インダス文明は、大河文明ではなく、海洋文明とされる。 -
アッパータウン、ミドルタウン、ダウンタウンと別れいたという。
古くから階級社会が成立したものか。 -
インダス文明発見は1942年、まだまだ発掘研究はこれからなのである。
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この2体のDNA鑑定は?
インダス文明人は、南インドに住むドラヴィダ族と同系で、言語は原エラム語と同系というから膠着語か?
今北インドに住む人たちは紀元前1600年ごろインダス川北部に侵入してきたアーリア系の人たちの末裔であるが、現地ガイドは、ヒンズー語は日本語と同じ文法だという。 -
インダス文字はいまだに解明されていない。
原エラム語(シュメール文明時代イラン高原に王国を築きアレクサンダーに征服されかつ登用されたエラム人の古語)とドラヴィダ語は同系であり、原エラム文字が解明されればインダス文字も解読される時が来るかもしれない、とする説あり。
私の妄想
インダス文明人は在南インドのドラヴィダ系の言語の内どれかに近いのではないかと思うのだが。
インダス文明は紀元前1800年ごろ衰退し、アーリア系の人たちの侵入は紀元前1600年前後とする説あり。アーリア系の人たちに北インドから南へ追い遣られたか? そうだとしても、北インドにおいてはアーリア系とインダス文明人とまじりあったに違いなく、母系のドラヴィダ系の言語と同種の膠着語となったか?
シュメール人、エラム人、ドラヴィダ人は共通の祖先を持った人たちか。
ドラヴィダ語のうちの一部言語と古代日本語の共通単語500語の研究から、どのような交流があったか?
などなど妄想はつきない。 -
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印章
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封泥?
荷物を梱包してから泥で封印し、インダス印章を押印したもの。
円形をしたペルシャ湾岸印章などロータル遺跡から出土し、交易センターの役割を担っていたという説あり。 -
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インダス文明遺跡は、約2,600遺跡にのぼるといわれている。(発掘された遺跡はそのうち147.)
モヘンジョダロ遺跡とハラッパー遺跡はパキスタンにあり、昨年訪問したが、遺跡の数だけ見ればインドの方がはるかに多い。東西1500キロ、南北1,800キロに及び、点在しているが、発掘された遺跡は少ない。
日本隊は、2007年から5年間発掘調査し、「インダス 南アジア基層世界を探る」を出版している。 -
石のアンカー
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インダス文は紀元前2,500年から同1800年ごろとされている。メソポタミアからインダス川河口まで沿岸航行だったんでしょうね。
私の妄想
ここで、シュメール語で書かれた船の建造必要部材をもとに西インドで復元建造した船で、自ら船長として沖縄まで航行した日本人の快男児を想起した。 -
イタリア人に2010年に発掘許可が下りたがそれ後は発掘許可が下りなくなったという。
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アダーラジの階段井戸
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アダーラジの階段井戸
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アダーラジの階段井戸で出会った人たち
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アダーラジの階段井戸で出会った人たち
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アダーラジの階段井戸で出会った人たち
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次のドーラヴィーラー遺跡で、「インダス文明の謎」にはまってしまい、この旅行記録もなかなか進まず、なんとも中途半端なままアップすることとなった。
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この旅行記へのコメント (3)
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- 彩林荘人さん 2020/04/24 18:54:38
- 大変なことになってしまいました
- 暖かくなれば収まるという見込みがはずれ、先が見えず閉塞感漂う昨今です。
インドにいるときに依頼があった静岡での個展は、デパートの封鎖が長引くと中止になるかもしれません。
地中海人さんの美しい写真と詳しい内容に驚きました。盛りだくさんの12日間だったので、続きも楽しみにしています。
私は、最後に訪ねたジャイサイメールの博物館に並んでいた三輪車を入れて130号の大きな油絵を描きました。ところが、出品するはずだった団体展が中止となってしまいました。三つの教室も中止。「フリーランス」なので困りました。
コメントを入力するのは初めてなので、こんな些細なことでいいのでしょうか。又は自分の情報を入れたらいけないのでしょうか。
出掛けることさえためらわれる風潮なので、インドの続きを楽しみにしています。
- 地中海人さん からの返信 2020/04/24 23:01:00
- Re: 大変なことになってしまいました
- 彩林荘人さん。雑駁大雑把な旅行メモにコメントありがとうございます。なんでも歓迎いたします。
もっともっと書きたいことがあったのですが、とりあえず、日本人の祖先のたどった道の一つであるインダス文明のインド側を紹介したいとの思いでした。
次の「ドーラヴィーラーの謎」は何時解けることやら。筆が進むどころか認知症との戦いです。
アーリア人の侵入とインダス文明人との関係がまだまだ謎なのです。現在の南インドに住むドラヴィダ人は紀元前1600年ごろインダス川上流に侵入してきたアーリア人よってに南インドに追いやられたとされております。2015年発行の「DNAで語る日本人起源論」では、アーリア系の北インド祖先集団と南インド在住ドラヴィダ人の関係について「ゲノムDNAの分析からは両者の混合の時期はおよそ4000-2000年ほど前と計算されています」とあります。
北インド人が話すヒンズー語は日本語と文法が同じだとのガイドの話でまたまた分からなくなってしまいました。北インド人はインドヨーロッパ語族のはずでは? 南インドのドラヴィダ語は日本語と同じ膠着語で、なかでもドラヴィダ系のタミール語の単語500ほど共通していると説く「日本語の世界」大野晋著があります。
なんとも旅慣れた方々が多いツアーで話が弾み、思ったより楽しい旅でしたが、現地の人となかなか交流できず、写真(スマホで撮ったものが多いです。一眼レフだと重いので4Tにはアップできません。)もたいしたことはなく恥ずかしい限りです。ほんの僅か会話を交わした数名の写真だけですね。
今年は5月と9月ヨーロッパ方面特典航空券を予約していましたが、来年何月ごろから気楽な旅ができるようになるか?この西インドの旅が最後となるか?
130号の大作是非見たいものです。発表なさるときはメールお願いします。
お互い、しばらくは3密に気を付けましょう。
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- 空を飛ぶなら青の翼に星屑の仲間たちさん 2020/04/10 20:47:33
- インドは行く計画はありましたが・・・
- 地中海人さんへ
空を飛ぶなら青の翼に星屑の仲間たちです。昨年はカオリンゴさんの「ANAマイルのコミュニティー」で散々自慢話を書いていました。
2012年にANAがデリー就航記念で行く計画がありました。が、周囲が「絶対に行くな」との事で結果バンコク、シドニー、で12月のSQで行くメルボルン旅行になりました。
尚この前は「ANAマイル期間切れの延長話」を投稿していただき有難うございます!
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