2016/07/06 - 2016/07/07
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真昼あんどん行さん
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3年前にタイ・チェンマイに3ヵ月強、年甲斐も無く、いわゆる沈没をしていました。
ずっとチェンマイに滞在したままだと引きこもり丸出しになってしまうので、重い腰を上げて、タイ・東北部のルーイ県ダンサーイ村である、ピーターコーン祭りに出掛けてきました。
今年(2019年)も7月5日から7日に掛けて開催されるという記事がネットに載っていました。
いらっしゃる方の参考になれば、という事で旅行記を書きました。
といって、プランニングはしっちゃかめっちゃかで全く参考にはならない代物ですが、
お祭り中日(パレードの日)の概略をつかみたいという方がいらしたらお読み下さい。
写真が多いので3分割しました。
ただ、お祭りの中をさまよっていただけの記録です。
写真だけは多いので、3篇に分割しました。
まずはパレード前日にダンサーイに辿り着くまでと当日のパレードの模様について書きます。
参考になるのは、パレード当日の写真のみだと思います。
表紙写真は2016年にステージを撮ったものです。
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某有名ガイドブックやら、タイ政府観光庁のネット資料やらによると、この時期に開催されるイベントの中では最も大きなお祭りと書かれているのでピーターコーン祭りへの「参戦」を決めたわけですが…。
タイ版ハロウィーンやら阿波踊りという表現もネットで見たことがあります。
繰り返しになりますが、2019年も7月5-7日の日程で開催される、という情報がインターネットのページに掲載されています。
4トラベルでも、少なくとも1人の方の、このお祭りに関する旅行記があります。
確か、私が今回書く前年の2015年のものでした。
出掛ける前に斜めに読みました。
偉そうな書き方ですが、他意はありません。
他人の旅行記をきっちり読むと、旅行技術がなく、甘えが強い私は、その方の行動の‘なぞり’になってしまいがちなので、予習は控えめにする方です。
正しい判断かどうか、は全く別な話ですが。
というより間違っていたと思います。
最初の言い訳をしますが、帰って来た後には、その旅行記を自分なりに真面目に読ませていただきました。
きちんと計画を立てた、賢くて、礼儀正しい、若い女性の読みやすく、為になり、感動も伝わってくる内容でした。
そのトラベラーの方と私が共通することはタイとタイの人達が好き、という一点だけかも知れません。
他は極端ともいえるくらい対照的だと感じました。
そんな人間がこのお祭りに行って来たらどうなるか。
それはそれで何か意味があるかも…そんな事も考えました。
洒落でも何でもないことが情けないのですが。
結果としては私もこのお祭りを楽しんだので、何となく自慢話をしたいだけです。
間抜けで無計画で恥知らずなオッサンの行動を読んで、怒りたい方も宜しければどうぞお読み下さい。
別な見方をすると、使えない奴が運と親切な人達に頼って、どうにか辻褄を合わせたピーターコーンの記録ともいえるかも知れません。
言い訳もいつも以上に多いかと思います。
2019年も日本発でこのお祭りに行くツアーもあるようです。
この日程を見ると可なり忙しそうですから、時間に関しては相当恵まれていたとも思います。
その辺も考慮して下さい。
この旅行記は枯れ木も山の賑わい、といったところです。
予め、ピーターコーンが、どんなお祭りか情報を集めたいとお考えの方もいるか、とも思います。
そういう旅行者の方にはひょっとすればお役に立つかも、という気持ちも少しはあります。
いつも書く事ですが、被写体は悪くありません。可なり良いです。
撮った奴の機材、腕、人格に少なからず問題があるだけです。
「反面教師」として役に立つ部分もあるか、とも思います。
居直り、です。
腹を立てたくない方は、パレードの朝を迎えるまでは読まずに、その後の写真とキャプション、時刻だけを斜めに見て下さい。
という事で、要らぬ前置きを終えます。
強調したいのですが、ダンサーイは一般的な観光地ではないので、バンコクやらチェンマイなどタイの大きな町とは違います。改めて、書くことでもありませんが。
「行けばどうにかなる」
とは思わない方が良いでしょう。
何の説得力もありませんが。
どうしようもない人間ですが、事実だけを書く、というスタンスは守りたいとは考えています。
思い違いやら数字、スペルのミスなどはあるとは思いますが…。
これも言い訳です。
タイ全土に広く知られるお祭りなら、海外からの「沈没地」として広く知られるチェンマイからだとバスツアーくらい、あるかと当初はタカを括っていました。
10日位前に、旧市街の中にある、旅行代理店に訊いたのですが「そういうツアーはない」という話だったので諦めました。
私の英語力のせいかも知れませんし、向こうが客を見て婉曲に断った可能性もあります。
日本の旅行社も、旧市街のすぐ外側にあるショッピングセンターの近くにありましたが。
(日本人向けのツアーがあってもちょっと。宿が相部屋になると気も使うし)
協調性が全く無い自分は「団体行動」「他人と一緒」が著しく苦手です。
独り暮らしに慣れると、横に誰が寝ているのは気になる、というのは有りがちな話だとも思います。
という事で無謀にも自力で行くことを決意しました。
宿泊はともかく、移動方法については少し考えてはいました。
で、選んだ方法がチェンマイ→ピサヌロークを列車、ピサヌローク→ダンサーイはバスという方法でした。
「正解」はチェンマイ→ウドンタニを飛行機(ノックエア)、そこから、バスでルーイに宿泊というものでしょうが、スマホも当時は持っていませんでしたから、LCCの予約は何かと面倒でした。
ウドンタニやらノンカーイに行く長距離バスで途中下車という事も考えられますが、ダンサーイ着が夜中という便が多いようで断念しました。
真夜中に田舎町に放り出されたら成す術もありません。
宿探しも出来ないでしょう。
土地勘もない町で途中下車できるか、その緊張だけでも私の脆い神経なら潰れるとも思います。
長距離バスは体力も消耗します。
チェンマイ発の特急列車はこれ以前に1回使っていました。
詳細は別な旅行記に書いていますが、ピーターコーンの2週間前にランパーンまでサッカー観戦に行った時でも乗った「8列車」です。
趣味の競馬になぞらえれば、本番前の一叩きをした、という感じです。
チェンマイからピサヌロークまでは6時間弱の旅になりました。
緊張はしていましたが、少し暇を持て余しました。
鉄的には写真右の「タキ」などが重要だと思います。
「タキ」で良かったでしょうか、石油を運ぶ貨車は?
またまた、あやふや、いい加減で生半可な知識です。
この時は慌てていたので、何枚も写真を撮る暇がありませんでした。
といって、貨物列車が居た事に気付いたのは原稿を作っている時ですけど。
焦った理由について少し書きます。
チェンマイからピサヌロークまで、タイ国鉄としては優秀な事に数分遅れでした。
北線の線路が改装された後だったので私の認識が古かっただけ、というのが正確な所でしょう。
それはともかく、定刻では14時34分着でしたが、14時40分頃に到着しました。 -
ピサヌロークの鉄道駅とバスターミナルは少し離れています。
バスが15時00分発だったら、と急ぎました。
当たり前ですが、始発時刻は切りの良い時刻である事が多いので。
やはり、慣れない土地には日が暮れないうちに着きたい、という事もあります。
ダンサーイでは宿探しもしなければいけません。
60バーツで、オート三輪のソンテウに乗り込みました。
結果としては、乗るバスが16時00分発だったので焦る必要は全くなかったのですが。
ありがちな話です。
ダンサーイまでのバス代は行きは66バーツでした。
2016年当時の価格です。
ターミナルでオバちゃんに金を出して、フードコートの食券、クーポンのようなチケットを買いました。
先走って帰りの話をすれば、そちらのバス代は64バーツでした。
なぜ2バーツ安いのか?
謎ではありますが、タイ語でそんな‘細かい’質問が出来る筈もありません。 -
ピサヌローク発ダンサーイ行きのバスです。
メーカーは、かのベンツでしたが「田舎のバスはオンボロ車」を地でいっています。
やっぱり古いですね、出て来る歌詞が。
舗装された国道を走りますが、途中からは山道でした。
ループ、ヘアピンのような大きなカーブも通った記憶もあります。
日も暮れてきました。
街灯も余りない薄暗い道でした。
エンジン音も喘ぐとまでは言いませんが、ちょっとまぁ、心地良いとは…。
不注意な小心者なので、ダイジョブかい、と不安がなかったとも言えません。
タイ旅行の経験が豊富な方でも、バンコクなど大都市の滞在しか経験がなければ、人によっては私同様に少し不安になるかも知れません。 -
安全性が世界一高い日本でも、貸し切りツアーバスが何年かに1度は死亡事故を起こすのですから。
それよりリスクは高いんじゃないか、と自分には別に失うモノはほとんど何もないのに怯えたりもします。
滑稽な奴ですね。
しかも、タイの方に失礼です。
お詫びします。
何か書いている事が矛盾していますが、私らしいといえば私らしいので。
写真にはブラウン管のTVもありますが、映りませんでした。
扇風機も使われてはいませんでした。
雨期ですから、暑さは感じませんでしたが。
最近は8月など東京よりタイ北部の方が涼しい、とも思ったりもします。
シートのリクライニング、車内トイレもありませんでした。
そのバスに約3時間ですから、軟弱な身にはちょっと厳しい道中でした。
その辺は折込済みでしたが。
計画通りに旅行は進んでいました。
(意外とバスは空いているな)
そんな感想を持ちました。
車内では、東京のタイ国政府観光庁で、無料で貰った地図を見ていました。
日本語表記で、小さな町の名前も結構載っています。
ダンサーイもありました。
それを見て、どこを走っているか見当を付けました。
都市間の移動の時は、自分には重宝しました。
タイ国政府観光庁の皆様、有難うございました。
スマホの位置情報を検索すれば、という意見もあるでしょうが、少なくてもこの当時には1時間位、電波が入らない場所はあったそうです。
今年いらっしゃる方は、その辺の事も確認して下さい。
無責任なコメントでした。
もっとも、前述のように私は2016年にはスマホを持っていませんでしたが。
列車にしろバスにしろ、時間が掛かる旅は、考え事をする場にもなります。
(宿も当日探すとなると少し面倒かも知れないな。ここでドミトリーデビューかな)
そんなことも、おぼろげに考えていました。
また話を先に進めますが、帰りのバスも同じ運転手の方でした。
行きには記憶になかったのですが、運転手さんの休憩時間がありました。
バスで運ぶ荷物が届くのを待っていたかも知れません。
この手の、都市間をつなぐバスは、東南アジアでは人だけではなくて物も運びます。
帰りは外が明るい時刻で、片道を経験している事もあって、私の方も気持ちに余裕がありました。
私にとっては、事故がなくて、著しく遅れもしなければマイペンライです。
話を往きの事に戻します。
行きのバスの中では緊張もしていました。
当日の宿探しもしなければいけません。 -
ダンサーイには、午後7時位に到着しました。
終点まで乗っていた乗客は10人ほどで、全てタイ人だったみたいです。
(大きなお祭りがあるのに大丈夫か)
不安になりもしましたが…。
大丈夫じゃないのは私の方でした。
バスターミナルもありません。
屋根が着いた、何台かバスの駐車スペースがある、東南アジアで良く見るものを念頭に置いていますが。
バスターミナルがない町に着くというのは私には初めての経験でした。
観光案内所も見当たりません。
バスターミナルで一息ついて、そこにある観光案内所で少し情報を得て町の地図を貰う、という古典的な方法を取る事が多いのですが、そのパターンが使えません。
陽も完全に暮れていました。
宿探ししなきゃ、なのに…。
翌日はピーターコーン・パレードです。
着いて、写真も何枚かは撮りはしました。
淡々と書いていますけれど、相当動揺していました。
(ドミトリーどころか野宿か)
私のような危なくて、神経も細い人間が野宿、しかもタイの田舎町で到底出来ないでしょう。
その前に、こんな小さな町にドミトリーがあるなんて常識では考えられないとも、
冷静な頭の持ち主なら最初から気付くでしょうに。
とはいえ、客観的に見ると、状況判断ゼロの、とんでもないオッサンです。
繰り返しますが、本人はパニクっています。
探せば、当時でも民泊、ホームステイがあったそうです。
現地在住の日本人の方のwebでダンサーイに「民泊がある」情報が出ていたのはこの年のピーターコーンの後でした。
途方に暮れました。 -
果たして無事に帰れたのでしょうか。
…勿体つけた書き方ですね。
それなりの方が書けば格好がつくコメントですが、私のような三流以下だと軽薄になるだけです。
3年も経った現在ダラダラと旅行記を書いているのですから、当然どうにかなったのですけれど。
解決方法はある意味単純明快です。
見も知らない他人に頼りました。
どうにか「なった」というのは大嘘で、どうにか「して頂いた」というのが正確な表現です。
自分に甘い人間ですが、その程度の常識は持ち合わせているつもりはあります。
といって、行動は滅茶苦茶ですが。
「今晩泊まる場所決まってませんけど、どこか知りませんか」
たまたま、呼んでいた乗り合いのバイク・ソンテウを待っていた方に話し掛けました。
口にした言葉は英語だったとは思いますが、的確なフレーズにはなっていなかった、と。
その点については確信が持てます。
わざとらしく、あっさりと書きますが、失礼極まりないと後になってから恥じ入りました。
顔から火が出る、という心境にもなりました。
3年経ったし、まぁ良いかな、と。
勝手に時効にします。
といって、犯罪を犯したわけではありません、為念。
本当に困ってパニクっていたのは事実ですが。
ほとんど無計画でダンサーイに来て、最初からこんな事をしているのですから先が
思いやられます。
バスが着くと「ピー」のお出迎えがありました。 -
相手が何せこういった方たちですから。
宿に着いた時に撮らして頂いた写真の1枚目です。
ピサヌロークの大学生だと伺いました。
卑怯なので自分の顔出しはしませんが、私は地味で根暗なオッサンです。
頭のネジは数本外れてはいますが。
写真からのも想像できるでしょうが、優しい方達でした。
屋根つきのリアカーが客席になっている、乗り合いのバイク・ソンテウでダンサーイの町を「ドライブ」です。
4軒くらい、ホテルを当たってくれたでしょうか。
しかし、まぁ。
ピーターコーン・パレードの前夜に、赤の他人にこんな事をさせている奴が居るとは。
申し訳ありませんでした。
という事で、原稿をアップするのも少し躊躇したのですが。
…これは少し事実に反していますね。
2017年にはトリ○プアドバイザーの区別も付かない状態で4トラの会員ではありませんでした。
2018年のこの季節はタイ徘徊していました。
だから、アップも出来ませんでした。
正直に書きました。 -
運転手のオバさんがバイクのペダルを起動させる音が夜の町に何度か響きました。
焦りはしましたが。
何か言わなきゃ。
「アイム ソーリー」
平謝り見え見えですね。
(どうなるんだろ、これから)
冷や汗タラタラでしたが、客観的に見たら何か他人事です。
済みません、反省してます。
初めにも書きましたが、
「行けばどうにかなる」とは思わない方が良いでしょう。
タイの国内外に知られる大きなイベントですから。
お前(=書いている私)には言われたくない、まぁ、その通りですが。
時間にして20分位でした。
今だから書ける事ですが、ちょっと幸せな気分になった事もない事もない、ような。
繰り返しますが、地味で根暗で寂しいオッサンですから。
申し訳ありません、
やっぱり、ちょっと、というか相当問題ありですね。
運が良い事に、町の外れのラ○ホらしきホテルの部屋が空いてました。
余談になりますが、翌日の午後に、本来の利用目的で来られた方がいました。
何故、分かったのか。
端の部屋に泊まったので、管理人室と間違って、現地人のカップルにドアをノックをされたからです。
タイ語はからっきし出来ませんが、隣を指差したら事は足りました。
自分の見てくれは日本人観光客ですから、レベルが高いホテルから当たってくれたとも思いますが、そういうホテルがこの日空いていたら「潰れてしまえ」です。
それか、本物の「ピー」がいらっしゃる部屋かも知れません。
生命の危機になる事は避けたいですが、この状況ですから、軽い金縛り、不気味な声が時折聴こえる程度なら我慢しなければいけなかったでしょう。
ホテルの名誉のために断っておきますが、実際に泊まった部屋ではそんなことは起きませんでした。
近くの看板に「city limit」と書いてあった記憶があります。
それでも小さな町なので、問題はありません。
さて、次は面倒くさい値段の交渉です。
宿のオバちゃんはタイ語オンリー、でした。
この状況で、
「じゃあ、泊まらなくて良い」
とでも言われたら、目も当てられません。
私のような技量無しには骨が折れる仕事です。
慌てて、長距離バスの停留所を離れたので、帰りのバスの時刻もこれから調べなければいけません。
田舎ですから、本数も少ないでしょう。
白々しく平然と書いてはいますが…。
お叱りは甘んじて受けます。
といっても謝るくらいしか出来ることはありませんけれど。
それ以前に呆れ果てて相手にもされないとは思いますが。
その作業も、こちらの大学生の方にやって頂きました。
1泊800バーツで、2泊しました。
妥当な値段、リーズナブルです。
繰り返しますが、何せ、翌日はピーターコーン・パレードですから。
時刻は午後7時半くらいでした。
当然でしょうが、最後の1室だったみたいです。
高級ホテルとやらは、非常時に偉いお客さんが来た時に備えて部屋を確保しておくという噂を聞いたことがあった気もします。
VIP並みの待遇でした。
幸運と優しい方に頼りきっています。
有難いやら申し訳ない、やら。
ひょっとしたら、彼女達は自分達用に押さえていた部屋を提供してくれたのかも知れません。
余りにもこのオッサン危ないから、という理由で。
本当に申し訳ありません。
感謝の気持ちは表現しないと、という事で写真をアップしました。
しかし、こじ付けもここまで来ると笑って下さいますよね。
破綻した人生を歩んでいるのですから、少しぐらい格好付けた事も書かせて下さい。
宿泊者のパスポート確認をしない事に少し戸惑いました。
海外で初めての経験だったので。
勿論、そんな事は大事の前の些細な小事です。
日本人だとばれていない可能性もあります。
どうでも良い話でした。
デビットカードは持っていましたがクレジットカードなしで、所持金は5000バーツぐらいだった、と思います。
中級以上のホテルだったら、金が払えないという失態を見せる所だったかも知れません。
繰り返しますが、ここでも運と親切な方に助けられました。
私のメモ帳にピサヌローク行きのバス時刻を書き込んで貰いました。
2日後の午前10時発のものに乗りましたが正確な時刻でした。
頼りっきりです。 -
ホテルの名前も今もって知りません。
看板がありますから、タイ語が読める方なら分かるとは思います。
しかし、この状況で記念撮影しますか?
だって、可愛かったから。その撮りたくもなります…よね。
写真に写っていらっしゃる皆様、そして、ここまで読んで下さっている読者がいらしたら、申し訳ありませんでした。
ピーターコーンに行った時、この後これ以上の‘失態’は見せなかったとも思いますが。
宿を確保できて一安心しました。
確保したのは、つらつら書いて来たように自分ではありませんが。
部屋の中で、
(ケーブルテレビのチャンネル結構映るな)
私はタイでは観ませんが「皆様のN○K」はなかった気もします。
それでも、70チャンネル位はあったかと思います。
言葉も分からないのに偉そうにイサーン演歌のMTVを観ました。
(タイ東北部に来たらやっぱりこれだよな)
中途半端なタイかぶれ丸出しです。
(ベットはやっぱりダブルだよな。バスタオルも2枚あるし…)
「ピー」も含めた人の声は聴こえませんでしたが、隣の管理人室からのTVの音も漏れてきてはいました。
このレベルのホテルならその位は当然です。
マイペンライです。
何様なんでしょうね、しかし。
3年経った現在、この文章を書きながら、少しは反省しています。 -
この後は夕食となりますが…。
町外れですし、外は暗いですし、周囲の地理は把握できていません。
どうしようか、やはり少し思案に暮れました。
(面倒くさいな、自力で町まで食事に出るのは)
落ち着きなく、部屋の前に出たりもしました。 -
隣の部屋の男性2人組と目が合いました。
ノンカーイから来たという男性2人組でした。
「食事に行かない?」
お誘いを頂きました。
「うん、行く」
簡単な英語のやり取りだった、と思いますが。
ぶどうも頂きました。
少し待っていて、と言われましたが、頂いたぶどうを食べたり、テレビを見ていたりして、今度がこちらが待たせました。
とことん駄目な奴ですね。
断るまでもなく私が、ですが。
乗せてもらったのはトヨタの車で、車内にモニター、カメラがありました。
また情け無い話ですが初めて車内のカメラがある車に乗りました。
タイ人より日本人の方が金持ちだ、というのは過去の幻想です。
何人かタイ人の自家用車に乗せて頂いた経験がありますが、私は自家用車を所有したことがありません。
その車で市場にあるクッティオの店まで連れて来て貰いました。 -
この麺を食べました。
40バーツでした。
言葉が出来ないので他の2人と同じものを注文したと思います。
こんなことばっかりですね、やはり書いていて自己嫌悪になりますが。
繰り返しになりますが。
町中でシンハーの缶を買って飲み干して、テレビを観ながらこの日が終わりました。
結局、ここまで列車、バス、ホテル、夕食、全て「当日調達」になってしまいました。
チェンマイのネットカフェで若干はピーターコーンについて調べてはいたり、
日本からも有名ガイドブックのダンサーイのページをコピーして持って行ったり、
タイ国政府観光庁のピーターコーンの日程表を見たりはしましたが…。
そんな事は言い訳です。
結局何も準備しないのと一緒で、場当たりの行動をしただけかも知れません。
この値段でこの日にダンサーイにプライバシーも確保できる部屋を押さえ、
何食わぬ顔でタイの方とローカル食堂で美味しい麺を食っています。
思い出して、可なりいい気にもなっています。
技術も器量もないのに、人に頼って、辻褄を合わせて、というより綿密な計画を立てた方達のような理想的な段取りになっているのですから…少し気が引けなくもないのですが。
無茶苦茶な行動と文章を読んで呆れたい方も中にはいらっしゃるか、と思います。
ここまでの過程の文章が必要以上に長くなってしまいました。
申し訳ありません。
因みに私が生涯で最も言われた台詞は、
「あいつ、何よ」ですが。
改めて書くまでもないでしょうが。
余談になりますが、先日「フォロー」を外したのは、
今回のように自分の行状を暴露していったら、
こんな奴にフォローされたくない、と考えられるかと少し怯えたせいです。
他意は全くありません。
ここでも言い訳をします。
長い前置きが終わりました。
ここから先は、ピーターコーンに出掛ける皆さんにほんの少し参考になる部分かも知れません。 -
2016.7.7
パレード当日です。
前の日の夕食時にお祭りの始まり時刻を聞いた気がしますが、勘違いしていました。
少し早く行き過ぎました。
この日は前日とは違って、他人に頼る事は余りなかった、とも…。
当たり前の話ですが。
寂しい、おひとりさまですから写真を撮るか、何か食べるか飲むか、しかすることがありません。
500枚以上撮っていました。
電池の充電もしなければいけませんでした。
その間に部屋でシャワーを浴びたりもして、呼吸を整えたりする事は出来たのですが。
「本能」で動いたのでお祭りの大きな流れを捉えてはいませんが、だいたい時系列で撮った写真を並べます。
パレード中の「ピー」の写真をほとんど撮り損ねています。
駄目な奴というより何しに行ったか、という話かも知れません。
町の中にいくつか見られたピーの飾りです。
お祭り以外の時にもあるのでしょうか。 -
スケジュール表、パンフレットは、町中にある、リゾートホテルのフロントに置いてありました。
日本人の基準では、時刻については正確とはいえないかもしれませんが、お祭りの大まかな流れは分かるので貰っておいた方が良いでしょう。
タイ語とともに英語の表記があります。
「ピー」の写真があるので行った記念にもなりますし、スマホでネットにつないでイチイチ、何がいつあるかを確認しなくて済みます。 -
ピーターコーン祭りメイン会場のひとつ、
ポーンチャイ寺院の門です。 -
同境内です。
-
上に同じです。
こちらが某有名ガイドブックに書かれているピーターコーン博物館でしょうか。 -
出番前のピーの仮面です。
-
小さな子供も参加します。
-
前日、食事を一緒に取った2人に撮って頂いた写真です。
こちらも撮りましたが、スマホの使い方が分からず、
恥をかいたのは内緒にしたい話です。 -
許すならパレードの少し前の時間に行くと良いかも、とも思います。
企業(私が見たのはエアアジア、ノックエア、携帯通信のAIS、スーパーのビッグCですが)はある意味、写真に撮られるのが仕事でしょう。
私のようなゴミは別として、SNSやらインスタやらツイッターに取り上げられて企業名、イメージを宣伝して貰う事が目的ですから。
私は出来ませんでしたが、ブースの前に行って、おひとりさまでも「ツーショット」を撮ってもらえる可能性はアップするとも思います。
また「普通のピー」を撮る前の練習にもなるでしょう。
携帯のAISのピーと小売りのビッグCのキャラです。 -
こちらも出番前の仮面です。
-
出番前のピーです。
-
上に同じです。
-
どこかのブースの方です。
-
主会場の区役所前のステージ桟敷の様子です。
小さなピーに自分で色を付ける、そんなイベントが行われていました。 -
ノックエアのブースの方です。
-
出番前の山車です。
-
上に同じです。
-
出番前の子供たちです。
-
ポーズを撮って撮影です。
決まっていますね。 -
エアアジアのピーです。
-
観光客の方、でしょうか。
-
民族衣装の参加者です。
この季節は雨期です。 -
上に同じです。
-
上に同じです。
-
上に同じ、つづくです。
-
同上です。
-
出番前のピーです。
-
上に同じです。
こちらは子供ですね。 -
出番前の方です。
-
ルーイ産の珈琲も売っていました。
残念な事にカップ売りはなく、珈琲豆のみの販売でしたが。
挽いてあるかどうかは確認していません。
自分は当時チェンマイで沈没中で淹れる道具がなかったので珈琲は買いませんでしたが、日本にすぐ帰るなら話の種として買っても面白いかも知れません。
ブースで売っていたエプロンは私なりにセンスが良い、とも思いました。
店員さんがつけているモノで、手前に並んでいます。
落としているのは、ハリオかコーノのドリップですね。 -
いよいよ本番が近づいて来ました。
-
放送局のレポーターの方です。
お祭りらしい、ですね。 -
ピーとポーズを撮ってます。
横撮りしました。 -
ナマハゲ系でしょうか。
-
上に同じです。
-
盛り上がって来ました。
-
アノニマスとピーと民族衣装の女性、です。
-
早く着いた場合、ブースを冷やかしたりピーと一緒の撮影をする手もあります。
ただ、どなたでも撮る枚数が増えるでしょうから、どなたもカメラ、スマホの電池に減りには注意が必要でしょう。
余計なお節介かも知れませんが。 -
子供たちのイベントです。
ここから本格的なお祭りの開始といった所でしょうか。
区役所前の特設ステージ前です。 -
上に同じです。
-
出番を終えた子供たちをパチリ。
-
上に同じです。
-
開会宣言、のようなものでしょうか。
カメラの記録では午前10時43分とありますが。 -
パレード開始の合図でしょうか。
-
表紙の写真と同じですが、
ピーが踊り始めました。 -
パレード開始です。
-
タイ舞踊もありました。
-
山車も出ます。
-
パレードが続きます。
-
上に同じです。
-
上に同じつづく、です。
-
山車も続きます。
-
お祭りの儀式に関わる方、と別の方のページに出ていましたが。
-
このような山車も続いて登場します。
-
当然、ピーも歩きます。
子孫繁栄もお祭りのテーマなのでしょうか。 -
着飾った方たちが先導します。
-
再び、舞です。
-
上のグループでしょうか。
-
王族を模した方たちの山車でしょうか。
-
また、花を持った方です。
-
ピーターコーンらしい1枚ですね。
-
上と同じような山車の写真です。
-
色々なピーがいます。
-
五穀豊穣を願い、このようなボディペインティングをしたのでしょうか。
-
サッカーはタイでも人気のスポーツです。
それにあやかった仮面がありました。
ファイティングエレファンツという愛称でしたか、タイ代表サッカーチームはW杯アジア最終予選に進出を決めた年でした。
象のロゴがチームのシンボルです。 -
山車、再びです。
-
着飾った家族が山車の上に乗っています。
-
山車の外観です。
-
こちらも五穀豊穣を願って作られたオブジェでしょうか。
-
子供たちです。
-
パレードは続きます。
-
ピーです。
-
民族衣装が似合ってますね。
-
傘を差しながらのパレードです。
-
上に同じです。
-
上に同じ、続くです。
皆、綺麗な方なので…。 -
上に同じです。
御存知の方も多いでしょうが、この季節は雨期です。
良くは分かりませんが、このお祭りには五穀豊穣のための雨乞い的な意味があるのかも知れません。
私は折り畳み傘でした。100均の使い捨ての雨合羽が役に立つとは思いました。
デイバックに入れて背負っておけば晴れていても邪魔にはなりませんし…。 -
山車、再びです。
-
パレードは続きます。
-
ピーです。
-
このような仮装の方もいらっしゃいます。
-
お客さんをパチリ。
-
タイらしい冠をかぶっていますね。
-
楽器をならしながらのパレードです。
-
この方たちも五穀豊穣を願うパフィーマンスでしょうね。
-
パレード中のピーです。
-
こちらは行進前、でしょうか。
-
こちらの航空会社には良くお世話になります。
-
ピーが続きます。
-
同上です。
-
つづく、です。
-
前の日は大変お世話になりました。
ラーメンを配ってらっしゃいました。 -
この航空会社には昨年もお世話になっています。
-
ポーズを取ってくれました。
-
ブースの方をパチリ。
-
こちらも出番前でしょうか。
-
雨の中もダンスを続けていました。
-
ブースの方、再びです。
-
仮装、張りぼてのピー? でしょうか。
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お客さん? もパチリ。
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パレードは続きます。
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山車の上の子供です。
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カメラ目線、有難うございました。
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上に同じです。
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山車、再びです。
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山車の外観、再びです。
ここでパレード写真は終わりです。
時刻は午後12時半でした。
ということで、次の原稿にはパレード後の様子をアップします。
前置きは無駄に長かったと思いますが、何かの参考になれば幸いです。
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