2019/03/10 - 2019/03/10
728位(同エリア3031件中)
オカンさん
今年は暖冬だったヨーロッパ。主人と二人でJALパックを利用し、早春の中欧3カ国を周遊しました。
成田からヘルシンキで乗り継ぎ、プラハへ。その後チェスキークルムロフ、ウィーン、ブダペストを周遊しました。
5日目、最終日はブダペストへ。
全く関心も予備知識もなく訪れましたが、異国情緒があり、興味津々になりました。
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3月10日。
朝9時にウィーンのホテルを出発し、バスで走り続けます。
添乗員さんがバスの中でウィーンフィルなどをかけてくれるので、余韻に浸ったりウトウトしたりであっという間にハンガリーの国境越え。
今回どうしても興味が湧かなかったハンガリー。
ブダペストのイメージなんて、映画「グランドブダペストホテル」(そもそも架空の国の設定)くらい。酷いもんです。
あの映画はブダペストっぽいのは温泉くらいで、チェコのカルロヴィ・ヴァリがモデルだったりドイツのデパートでロケしたりと、あんまり関係なさそう。
他に何かないかと調べたら、「ルービックキューブ」が考案された国とかで、ますます困惑! -
お昼になりました。
エリザベート橋をわたり、ペスト地区に入ります。
ランチのお店は街の中心部にあります。地下へ降りて… -
ワインセラーの中にいるよう。
実際には埃だらけの空き瓶です。 -
トカイワインを飲まなければ!
初めて飲んでみます。
アイスワインを更にトロッとさせたような感じ。
デザートワインという事で、これ以上は飲もうと思わないのでランチにいいかも。 -
たっぷりのサラダ。
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パプリカチキンです。
付け合わせはガルシュカ。ニョッキのようなパスタ的なもの。
何の抵抗もなく完食! -
カスタードタルトかな。
アングレーズソース付き。
こちらではヴァイオリン流しの演奏が聴けました。
もちろんハンガリー協奏曲。
エキセントリックで独創的な奏法でしたが。 -
お店の一階はこのようなワインショップになっています。
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いろんなワインを売ってます。
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これはけっこう高い。
アスー5プットニョシュ。 -
ランチで飲んだもの。
お値段も手頃なので、後でこれを買いました。
サモロドニといって、アスーよりはランクも下がりますが美味しかったので。
ちなみにエーディシュ、甘い方みたいです。 -
ハンガリー観光、先ずはペスト地区の聖イシュトバーン大聖堂から。
めっちゃ高い建物です。 -
人がこのくらいの比率なのでご想像ください。
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この教会が完成したのは1905年。
ハンガリー建国1000年を記念して建てられました。
ハンガリー初代国王で、後に聖人となるイシュトバーン1世にちなんだ教会です。
イシュトバーン1世は10世紀ごろに生存しキリスト教に改宗、そして建国。
それ以前は自然崇拝!騎馬民族ということもあり、かなりワイルドな素行だったようです。 -
バシリカ(長堂式)様式というらしい。
多分、こちらが主祭壇。 -
聖遺物、イシュトバーン一世の右手。
長らく行方不明でしたがトランシルバニアで発見され、マリア・テレジアによってハンガリーに帰されたとの事。テレジア母さん、頼りになるねぇ。 -
正面より向かって左側にあるキリスト磔刑図。
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引くとこんな感じ。
なにせ広~いです。 -
こちらは向かって右側。
聖母マリアと聖イシュトバーン。 -
人も多く、ガイドさんについて行くのがやっとでした~。
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こちらでは歩道の中に自転車専用道路があり、ビュンビュン走ります。
ウィーンやチェコでは歩道をキックボードやセグウェイがビュンビュン走っていた。 -
アンドラーシ通りの突き当たりにドーンとあるのが英雄広場。
両脇に国立西洋美術館、現代美術館があります。
中央にはマジャル族の部族長アルパード。まわりは6部族長。ウラル山脈の麓から一行を引き連れてこの地に来ましたが、西ヨーロッパを荒らし回る騎馬民族だったことに変わりはありませんでした。
アルパードの曽孫イシュトバーンが略奪を繰り返すようではこの部族に未来はない、とキリスト教に改宗しハンガリーの建国となる、ザックリ歴史。
円柱の先に大天使ガブリエルがいます。 -
1896年に完成。両脇の像、元はハプスブルク家の皆さんがズラーリだったそうです。
オーストリア・ハンガリー帝国崩壊後、ハンガリーの英雄に首がすげ替えられた模様。
政治家ナジ・イムレのお墓もこちらに。 -
ブダ地区へ移動。
王宮の丘に来ると、小雨と強風にみまわれる。 -
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こうゆうケーブルカーで登り降りできます。
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ちょうど衛兵交代を観られました。
他の国よりも制服のオシャレ度低い分、戦闘能力高そう。 -
旧王宮の入り口。
入らなかったけど、地下の洞窟や美術館なども見ごたえがあるそうです。 -
マーチャーシュ教会。
小雨と暴風がスゴイ。 -
教会の向かいにある免税店で休憩&買い物。
カロチャ刺繍などの民芸品などありました。
日本円がそのまま使えた。
ハンガリーの通貨フォリントは一度も両替しませんでした。 -
これはテーブルセンター。
このお店でもトカイワインの試飲がありましたが、とても濃厚なかんじでした。 -
ではマーチャーシュ教会の中に入ります。
伝承では1015年に建設が始まったとありますが、
13世紀半ばにベーラⅣ世が「聖母マリア聖堂」として建造、14世紀後半ごろにマーチャーシュ1世が増築。
1541年から145年間の長きにわたってオスマントルコによりモスクとして占拠されていた。
1686年、バロックへと復旧しようと試みたようであるが、本格的に修復されたのは19世紀末と、紆余曲折あったようです。 -
わかりにくいですが、壁も柱も模様がびっしりです。
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こちらが主祭壇。
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ベーラⅣ世の棺。
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三翼の聖イムレの祭壇。左よりイシュトバーン、その息子イムレ、宣教師ゲッレールト。
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祭壇は王様の顔です。
国王が聖人として祀られてるのが多いですね。
一瞬日本の神道みたいなもの?と思いましたが、聖人としてなのでキリスト教徒ということになります。
日本の神道はその人自体が神様になるので、諸外国では理解できないのでしょうね。 -
二階は展示品が色々と。
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中東風にも感じます。
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こちらにもシシィ像。
皇妃エリザベートは姑にあたるゾフィ大公妃との折り合いが悪く、旅から旅へ。ウィーンにいるだけで鬱症状が出たという。とりわけハンガリーがお気に入りで、長く滞在したらしい。これには姑ゾフィがマジャール人嫌いだったので、当て付けだった説もある。 -
オーストリア・ハンガリー二重帝国時代の戴冠式もこちらで行われて、あのフランツ・リストが指揮棒を振ったという。
ハンガリーとシシィは相思相愛。この教会にも足を運んだといいます。
この絵なんて、明らかにアール・ヌーヴォー時代のものですね。 -
フレスコ画らしいですが、幾何学模様や唐草模様でビザンチン風というかイスラム風というか。
モスクになってた頃は、壁は塗り潰されてたらしいので、修復後にこうなったのでしょうね。
エキゾチックで幻想的です。 -
二階の展示室からは主祭壇もこんな目線で見られます。
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これも二階から。
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マーチャーシュ教会の屋根はジョルナイの陶器。
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三位一体の像。
ペストの終息を記念して建てられた。 -
漁夫の砦です。
石灰石で作られているらしいです。 -
見晴らしも良く、さぞかし写真映えスポットだと思うけど、お天気最悪です。
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国会議事堂。
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くさり橋が見えます。
くさり橋によってブダとペストが結ばれたのは1849年のこと。 -
再びペスト地区に戻り
フリータイムはヴァーツィ通りで解散。どうせなら、と思い「パーリジ・ウドヴァル」を探してみました。ガイドさんは工事中かも、と言ってましたが、これかな? -
これです!
廃墟となっても美しい、パーリジ・ウドヴァル。
1913年、旧ベルバローシュ貯蓄銀行として完成。一階に「パリの中庭」といわれるアーケード(パッサージュ)ができました。 -
やっぱり工事中。
10数年前は通り抜けできたそう。
こちらもアール・ヌーヴォーの時代に贅の限りを尽くした素晴らしい建築、内装だったらしいです。
パッサージュ内の店舗が閉鎖されてからも一階部分だけは公開していたらしいです。
廃墟となってからは更に耽美的なデカダンスの雰囲気を醸し出していたといいます。 -
裏側に回って
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おおっ、中が少し見えます。
ちょっとだけでも見られて良かった!
照明がついて内部で作業中なのかな。
取り壊しではない事を祈ります。 -
ブダペストの建物をネットで調べていたら、ある建築家の「ブダペストの建築は結界を通り抜ける」という考察文がありました。間仕切りをしているようで向こうが見渡せる、とか。
そういえば!
汎ヨーロッパピクニック(1989年)を覚えているでしょうか?
東欧革命後、ベルリンの壁崩壊のきっかけにもなった出来事です。冷戦時代、オーストリアとハンガリーの国境付近でピクニックと称したイベントを行い、東ドイツから流れてきた人々を西へ送り込んだ出来事です。諸国の協力もありましたがハンガリーの改革派たちが見事な風穴を開けたのでした。(そもそも国境の鉄条網は既に破られてたという)
当時日本はバブルの真っ只中でしたが、何年か後にNHKの特番を見て感動したのを覚えています。
西と東の中間点にあり、「ヨーロッパに投げられたアジアの石」といわれるマジャール人のフロンティア精神が結界を通り抜けたのか。
ダラダラと生きていても、時々こうやって古い記憶と新しい発見が繋がる時があるので面白いです。 -
この辺りは1番の繁華街らしいです。
古そうな建物が並びますが、それぞれに趣きのある装飾が施されています。
ウィーンもそうでしたが、「ZARA」が目立つ所にあるので目印にして散策します。
思わず「ZARAはどこ?」って言ってしまいました。 -
建築物の装飾が凝ってます。
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こんなのとかね。
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でもなんだか一階だけしか使ってない雰囲気。今日は日曜日だからかでしょうか。
そもそも日曜日なのに結構お店やってるんですね! -
街の雰囲気も味わったし、最後に買い物を。
ランチの時に撮った写真の位置情報を元に、お店を探すことに。
私には絶対無理。とにかく主人の方向感覚にお任せ。 -
ブダペストアイなどを目印に、ランチのお店を探し当て、お土産用のトカイワインを購入。
他のお店でも試飲しましたが、こちらの方が娘たちが好みそう。 -
ブダペストのマンホール。
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フリータイムが終わり、皆んな集合したところで、添乗員さんが地下鉄の駅を見せてくれました。
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こんなカンジで
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かわいいです。
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最後のディナーはビールを。
ここでもヴァイオリンの演奏があり、ロシア民謡「黒い瞳」や「荒城の月」を弾いてくれました。
お客さんの故郷に合わせてるっぽい。
もちろんここでも「ハンガリー協奏曲」が。 -
グヤーシュ。
いつも旅行から帰ったらお土産ディナーを作るのですが、今回はこのグヤーシュを作ってみました。
クックパッドで簡単なレシピを参考に、本場のパプリカパウダーを使って。
お土産のナプキンリングでテーブルも華やかになりました。 -
すっごい異国情緒あるひと皿でした。
ポークソテーマッシュルームソース。
お米とピクルス、キャベツ(クリスピーな酢漬け)添え。
香辛料の馴染みのなさも、お皿の柄も異国情緒。
この時感じた異国情緒とはやっぱり東欧の雰囲気なのであって、昨今の「中央ヨーロッパ」というくくり方はちょっと味気ない。(ロシア、ウクライナ、ベラルーシのみを東欧と括るらしい)
現・中欧の方々はどう思っているのかな。 -
アイスクリームケーキ。
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その後、夜景を見に行きました。
ゲッレールトの丘です。
近くにツィダデッラもありましたが暗くて何のことやら。 -
キレイでしたよー。
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めっちゃ寒い!バスに戻ったら思わずドライバーさんに寒いよーと報告。
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ホテルはダヌビウスホテルフラメンコ。
ちょっと郊外なので広~いロビー。 -
しかしバスルーム狭~い。
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部屋も狭い、古い。けど寝るだけ!
Wi-Fiは◎
今回のツアーのホテルには全く期待してなかったけど、こちら以外の3か所はほぼ満足でした。 -
朝食は甘いパンがありました!
チーズが全て5枚くらい重なってて、私の前の人も剥がしたそうだけど重なったまま持って行ったので、私も5枚重ね。
ちょっともたれました。
ハンガリーは朝食の種類が豊富らしいので色々トライしたかったけど、いきなりチーズ5枚により戦意喪失。
ということで全ての行程が無事終了、あとは帰るだけです。
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