2018/11/24 - 2018/11/24
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mondoさん
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11月の3連休+1日で東アフリカのエリトリアに行ってきました。
エリトリアは1993年にエチオピアから独立した新しい国。アスマラを1日散策した程度では実感できませんでしたが、独立以来続く独裁政権による国民の統制が厳しく、「アフリカの北朝鮮」とも言われているそうです。
地球の歩き方も刊行されておらず旅行情報の乏しい国ですが、エリトリア大使館のサイトに掲載されている観光情報を参考にアスマラ市内の見所を巡ってみました。
http://www.eritreaembassy-japan.org/tourism/siryo_asmara.pdf
<旅程>
【1日目(11/23金)】
中部8:45→北京11:05(CA160)
北京17:40→ドバイ23:15(CA941)
【2日目(11/24土)】
ドバイ3:40→アスマラ6:50(FZ657)
アスマラ泊
【3日目(11/25日)】
アスマラ3:25→カイロ5:15(MS834)
カイロ9:45→ドバイ15:00(MS912)
【4日目(11/26月)】
ドバイ1:15→北京12:55(CA942)
北京16:45→中部20:45(CA159)
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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朝6:42頃にアスマラ空港に到着
アスマラ国際空港 (ASM) 空港
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エリトリアのビザは在日エリトリア大使館に郵送で申請。水曜日に発送し、不備があって申請書を返送されたため土曜日に再発送しましたが、翌週土曜日に届きました。5000円。
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入国審査にはそれほど並ばずに済み、宿泊先を聞かれた程度で、7:04頃には外に出られました。
標高2350mに位置するので朝は肌寒い。
ATMは見当たらず、荷物受取付近の両替所では1USD→15ナクファのレート。 -
路線バスかと思って聞いてみたら違いましたが、乗せてくれるとのことで、お言葉に甘えることに。無料。
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「フィアット・ティグリロ」(Fiat Tagliero)を通り過ぎた辺りで乗客を降ろすのに停車したので、一緒に降ろしてもらいました。
フィアット・ティグリロは1938年にイタリア人建築家の設計で建てられた飛行機型ガソリンスタンド。約30mの翼に支柱が全くないのが特徴(建築家が無理矢理外させたらしい)。ガソリンスタンドとしては長らく休業中のようです。 -
10分ほど歩いて本日の宿「Sunshine Hotel」に到着。
まだ朝早いですがチェックインさせてもらえました。 -
アスマラでは予約サイトに掲載されているホテルが少なく、中心部では他に空室がありませんでした。1泊9455円。
直前に改めて調べたらアスマラの空室ゼロだったので、早めに手配した方がよいかも。
wifiは一応使えましたが速度がかなり遅く、使い物にならない場合もありました。 -
バスルーム。シャワーはかなり流し続けてからようやく湯になりました。
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朝食は今日と明日のどちらでも良いとのことで、明日は深夜チェックアウトで食べられないので、早速頂きました。
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9時頃からアスマラの街歩き。アフリカにしては綺麗な街並み。
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壁画
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自転車を多く見かけました。アフリカでは珍しい気がします。
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丘の上に聖マイケル教会
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馬車も走っていました。
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子供たち
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イタリア人墓地
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こんな道を歩いて行くと
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右手に「戦車の墓地」(Tank Graveyard)がありました。宿から徒歩30分弱。
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エチオピアからの独立戦争の際にエチオピア軍が残していった戦車や軍用車両などが山積みにされています。
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普通のバスも廃棄されていました。
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かなり長い区間に渡って戦車の墓地が続いていました。
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戦車の墓地の全景
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一旦ホテルに戻ってからアスマラの中心部を散策。
1890年にイタリアの植民地となり、「第二のローマ」として開発が行われたため、現在も1920-30年代のイタリア建築が多く残されています。 -
屋根が特徴的な「ハマセンホテル」(Hamasien Hotel)。1919年築。
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イタリア大使公邸(Residence of Italian Ambassador)
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1920年築の「アフリカ・ペンション」(Africa Pension)
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旧スーダン大使館(Former Sudanese Embassy)
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メインストリートのハルネット通り
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カトリック大聖堂(Cathedral)
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大聖堂内(実際には後で入りました)
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ハルネット通りを進むと人だかりができていて、その先は規制されて進めず。自転車のレースが開催されていました。
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中央郵便局(Central Post Office)
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郵便局内
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中央郵便局の東側には、1910年築のエリトリア商業銀行(Commercial Bank of Eritrea)
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中央郵便局の北側には、1900年前後に建てられたエリトリア銀行(Bank of Eritrea)
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1899年築のアスマラで最も古い石造建築物の一つ「Albergo Italia」。
高級ホテルだそうです。 -
再び自転車レースに遭遇
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山羊を連れて歩く人
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カラフルな服
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市場がありました。
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路上の果物売り
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市場のスパイスなどのお店
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野菜や果物
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満員のバス
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イスラム帽
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聖マリア・コプト教会が見えてきました。
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1913年築の「聖マリア・コプト教会」(Nda Mariam)
エリトリア正教の教会だそうです。 -
1950年代にイタリア人画家が描いたモザイク画が特徴
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キリストの人生と新旧聖書の場面からとられた十二使徒の壁画がある教会内
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教会前に太鼓
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教会正面には大きな石でできた伝統的な鐘。鳴らし方が分からず適当に触っていたら、現地の方がバーの上に置かれた小さな石で叩いて音色を聞かせてくれました。
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ティグリニャ語の文字。エチオピアの文字と同種のようです。
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聖マリア・コプト教会から北側へ
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リサイクル工房(Medereber)に行ってみました。
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廃材を利用してあらゆる金属製品が作られているそうです。
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金属を叩く音が絶え間なく続いていました。
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金属製の十字架も廃材として利用されているようです。
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山羊
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アスマラ駅に行ってみましたが、鉄道は営業していなさそうでした。
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貨車
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1938年築のモスク(Al Khulafa Al Rashiudin)
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ハルネット通り沿いには、1950年代に建てられたアスマラ市庁舎(Municipality)
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その東隣には1938年築の高等裁判所(High Court)
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1930年代に建てられた映画館「シネマ・インペロ」(Cinema Impero)
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1938年頃に建てられた観光省(Tourism Ministry)の建物
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1905年築のシナゴーグ(Synagogue)
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ハルネット通りを東に進むと、スタジアムの観客席のようなものがありました。
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住宅街を適当に歩いていると、日の丸を掲げた建物を発見。
日本の名誉総領事館でした。 -
凝ったデザインの建物
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カタール国旗が掲げられていたので大使館でしょうか。
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シネマ・ローマ(Cinema Roma)
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普通の建物もお洒落なデザイン
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1920年築の劇場「シネマ・アスマラ」
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両替屋はいくつか見かけましたが、日曜日のため営業しているのはハルネット通り沿いのこのお店だけでした。
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こちらのお店で昼食
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スパゲティを頂きました。35ナクファ(≒260円)。
旧イタリア植民地のため、イタリア料理をよく見かけました。 -
ハルネット通りから北の方に歩いて行くと、バスターミナルがありました。
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money、moneyと言って子供がしばらく付いてきてしまいました。
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街角には物乞いもしばしば。
現地人からは「チャイナ」と声を掛けられることが多かったです。 -
更に歩いて行くともう一つのバスターミナル
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中心部に戻る途中、ドーム屋根の教会
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人だかりの方に歩いて行くと、賑わっている市場がありました。
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野菜のお店
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ハルネット通り沿いなどとは違ってローカルな雰囲気
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市場
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子供たち
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壺のお店
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笊などのお店
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衣料品の市場
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ミシンで服を仕立てています。
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家具の市場
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バス停でバスを待つ人々
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柱廊
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旧アドゥア広場(Former Adua Square)に面した1922年築のイタリア建築の建物。
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バルコニー下にはライオンの彫像
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天使ケルビムの顔の彫像だそうですが、目つきが怖い(笑)
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結婚式の車
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こちらのお店で夕食
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ピザを食べようと思いましたが、丸ごと1枚しかないとのことで、ハンバーガーを頂きました。45ナクファ(≒340円)。
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早めに就寝し、深夜1時頃にホテルで手配してもらったタクシーで空港へ。料金は300ナクファ(≒2250円)。
想定より安かったのでナクファが結構余りましたが、両替所は開いていたものの再両替はできないとのことで、やむなく制限エリアでボッタクリ価格のスナックを購入しました。アスマラ国際空港 (ASM) 空港
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保安検査では手荷物の開封検査がありましたが、乾電池を没収されてしまいました。モバイルチャージャーが没収されなかったのは幸いでしたが、モバイルチャージャーや製品内の乾電池がOKで、単体の乾電池がダメなのは謎です。。。
(ドバイ編に続く)
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この旅行記へのコメント (2)
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- ねもさん 2018/12/03 08:42:56
- お待ちしていました
- mondoさん 旅行記ありがとうございます。
戦車の墓場以外は、人々の表情も明るいようにみえて、案外普通じゃんというのが正直な感想です。首都以外に行くとまた別の印象なのでしょうか?
普通の日本人(mondoさんは普通じゃないですよ、笑)がどれだけエリトリアを知っているか疑問ですが、私のようなアラ還世代にはエチオピアの一部で、私はエリトリアが独立できるとは思っていませんでした。
そのころは世界でも有数の貧困国だったように記憶していますが、旅行記からはそこまでではないように感じます。独裁国家であることを除くと落ち着いた状態なのでしょうか。
- mondoさん からの返信 2018/12/03 22:52:14
- Re: お待ちしていました
- 独立戦争当時からエリトリアをご存じだったのですね。私はリアルタイムでは全く知らず、90年代末に初めて存在を知りました。
アスマラは平穏に感じましたが、物乞いが結構いましたし、依然として貧しいとは思います。抑圧を逃れて国外脱出して難民になる人も多いようです。
地方に行くには事前の許可が必要なので、訪れる旅行者は少ないようで、なかなか様子が分かりません。
ねもさんもご興味があれば是非♪
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