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フィリッピン慰霊の旅・回想記 

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1979/08/20 - 1979/08/23

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maki

makiさん

フィリッピン慰霊の旅・回想記 

約40年前、ある宗教団体でフィリッピン太平洋戦争邦人戦没者の慰霊に参加しました。
親族を無くした中高年全参加者の中で戦争を知らない
私が唯一の若者で少し場違いな3泊4日の旅です
私にとっては2回目の海外旅行・・・1回目は沖縄がアメリカ統治でパスポ-トとドルに換金が必要で、一応外国・・・・・
フィリッピン旅行が本当の初海外旅行です。
福岡から羽田からJAL国際線DC8でマニラまで約5時間のフライトです!
当時は海外旅行は未だ珍しく旧羽田空港の2階からの憧れ海外旅行です!

マニラ空港は小さく倉庫の様な建物で到着ロビ-には外国人観光客は見えず
現地の人出迎え大混乱、目を疑いました。
日の当たる場所はさすが南国ムッとした熱気ですが日陰に入れば湿気が無く涼しいです。
我々は団体なので専用バス2台に用意されパトカ-と白バイに前後を守られて
ヒルトンホテルに着きました。
ホテル前が現地の物売りの人だかりをかき分けて進ます。
暗い廊下も各引き等が多く部屋を出るのが怖くて食事以外は出られません。
食事のご飯が、パサパサ・バラバラで此れが俗に言うが外米か・・・・
昔は中級かも、でも現在の3星ホテル以下でした。
後の数日間もホテルからバスの往復が驚く程、多くの物売りに囲まれて大変です。
此の人達は生活がかかり服装も品祖で目付が鋭く必死で付きまといます。
警官に注意されても反論して動じません。
貝の風鈴・帽子・団扇などの民芸品を窓から投げ込みお金を要求するです。
最初、皆は可哀想と買ってあげますが大多数で来られてひつこいので困り果てました。 

2日目
市内からバタ-ン半島に慰霊ですが、又も前後にパトカ-・白バイの先導で
これでは護衛なのか監視なのか分かりませんが・・・・でも特別待遇に悪い気はしません。
市内は何所もトタン屋根のバラックの家ばかりで皆が汚い汚いを連発しますが
日本でも裏路地に入れば未だトタン屋根が有りましたが・・・・
でも此方の家々は台風で飛んでしまいそう造りです。
市内を抜けると南国特有なバナナやマンゴが目立ちます。
水田や砂糖きび畑の中に農家の家か?倉庫が?
時々現れバナナ・マンゴが植えてあります。
途中、土産店で買い物とトイレ休憩とです。
皮のカバンを買ってお釣りを貰い現地ガイドさんに見せると 
何所で貰ったかひつこく聞くので偽金かと聞くと
 此れはマニラ市内では銀に溶かした方が価値が有るので、
まず見かけない貴重な銀貨ですから使わないでと言われ
結局持って帰る羽目に・・・・何だか得したのか?損したなか?・・・・
もっと、奥地では反政府ゲリラの大きな勢力があり軍隊にも対抗できる
武装集団が居るとガイドさんが言ってました。チョット怖い国かな・・・

バタ-ン半島に海を見下ろす丘に戦没者慰霊の大きな塔が有りました。
フィリッピン人・米人・(日本人?)合同慰霊塔で皆で花・酒・線香で御供養をしました。
私も顔も知らない叔父が戦死して紙切れ1枚が遺品でしたから石を拾って
祖母の土産にし、此処で死んだと感無量でした。

帰り道は現地の人が言う 死の行進街道を通りました・
戦時中、日本軍が投降した米軍・フィリッピン軍捕虜をマリベレスから
サンフェルナンド間88キロを歩かせ捕虜の半数以上10数万を死なせたので
この名が付いていると現地ガイドさん言います・・・・
邦人の慰霊に来てこんな話を聞くと、そう戦死したのは日本人だけじゃないんだ
複雑な気持ちです・・・
此方の人にすれば当時日本軍は侵略者ですから・・・

帰りにケソン市庁舎に表敬訪問すると、民族衣装の女性の市長さんらが出迎え歓迎されました。
この時代女性の市長さん・・・驚きました。数十年後女性の大統領が出ので日本より進んで居たのでしょうか・・・・
昔ケソン市が首都と習った気がしますがマニラの北東に隣接した静かな街でした。

市内の入り世界3大夕日の一つマニラ湾の夕日は涼しく潮風が吹き、
空と海が朱色に染まり黄色い太陽っが陽炎の如く沈んで行きます。
評判どうり見事です

3日目は市内の
ルネタ公園は国民的英雄ホセリサールを讃えた公園で、現在は改名リサ-ル公園です。
ゴタゴタした店並み民家とは違い整備された公園は物売り・物貰だけです。
商店街は庶民の足でジ-プを改造したケバケバしく飾ったジプニ-やバイク・人で
大混雑・大渋滞です。
パトカ-と白バイの出番でサイレンを鳴らして脱出です。

郊外の丘にマニラ最大のニュービリビット刑務所が在りバスで入りました。
高く長い塀を通って奥に進むと木々の中に古びた木製墓碑と
小さなお墓らしき土盛が数個在りまし。
昔、「ああモンテンルパの夜は更けて」渡辺はま子さんの歌は
余りにも有名なのに戦犯収容所と処刑所の跡地で山下泰文陸軍大将の他
17名が埋葬されている場所と聞いて皆驚きです。
最近TVで山下財宝が一部発見されたとか?本当かな?

ここでも、日本から持って来た日本酒・線香で読経し御供養をさせて頂きました。
現在はりっぱな慰霊碑が建てられているようです。
フィリッピンでは侵略者で戦犯ですからこんな人目に付かない所に埋葬され、
又お墓すら無く葬られた日本人戦死者が多数居ると思うと戦争って何だったかと
悲しくなります。

街の中心部はスペイン統治を思わせる石作りの立派な建物や銀行・保険会社のビルが立ち並びます。
少し離れて高級住宅街が赤瓦で大きな白壁塀の花が咲き誇る大きな屋敷と
広い庭園が続きますの家並みが続きます・
汚くゴミゴミ混雑した下町は余りにも違いすぎます。
これがフィリッピンだと実感しました。

夜は日本交友会主催の現地大学生との交流晩餐会が有りました。
いかにも裕福な家庭の大学生が選ばれて来ている感じ・・・
こちらの皆英語はダメ、大学生も日本語はダメで代表者数名の話を
ガイドさんが通訳します。
「日本に行ってみたい」とか「良い国」だとかの決まり文句で終わりました。

4日目
帰りの空港がこれまた大変でした。出発が迫るのに出国手続きが大渋滞で進みません。
やっと順番が来ると、何と係員がお金を要求して下から手を出してるんです。
此れが渋滞の原因でグル-プの中であげた人はすぐ通してくれました。
大幅に遅れて搭乗すると当時のスチワ-デスさんがっ笑って {やっと帰って来れましたね・・}
 {何時も大幅に遅れるんですよ。}苦笑いです・・・
日本は高度成長の始まりだたでしょうがフイリッピンを見て、知らない日本の終戦時もこんな風景だったのかな?・・・想像・・・ 

40年経って今はセブ島等のビ-チが若者に人気なフィイリッピンで
福岡からも直行便が就航して便利に成りネットや雑誌で見ると大きなビルが
立ち並び大きく変貌してました。
でも、昔、暗い歴史がありスラム街は昔のままを知ってもらいたいです!

40年前のフィリッピン最後までお付き合い頂き有難う御座います。

旅行の満足度
3.5
観光
3.0
ホテル
3.0
ショッピング
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
20万円 - 25万円
航空会社
JAL
旅行の手配内容
団体旅行
利用旅行会社
JTB

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