2018/04/29 - 2018/05/05
2位(同エリア122件中)
ウェンディさん
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2018年のゴールデンウィークは、恒例となりつつある74歳になる母との二人旅で、その旅先として私たちが選んだのはトルクメニスタン。
ちょうど1年前のウズベキスタンに引き続き2回目の中央アジアの旅となりました。
トルクメニスタンと言う国は日本では殆ど馴染みがなく、何処にあるかも知らない方もいるかもしれません。
私とトルクメニスタンの接点は、学生の頃に見た1枚の風景写真との出会い。
私が出会ったその写真は非常に印象的な光景を映し出していて、印画紙の中にあったのは、暗闇と火。
闇夜の中、地面にあいた大きな穴の中からメラメラと湧き上がる炎。
それは、この世の果てにあるという煉獄をイメージさせる風景でした。
その写真には【地獄の門 Door to Hell】とのタイトルがついているだけで、その風景が地球上のものであるのか、はたまた合成写真であるのかすら私には分かりませんでした。
勿論、当時は【地獄の門 Door to Hell】があるその場所がソ連(現在のトルクメニスタン)だという事も知りませんでした。
何の雑誌の掲載だったかも覚えていない1枚の写真でしたが、底知れぬ背徳さを醸し出すその写真は強いインプレッションを伴って、心の印画紙に焼きつきました。
そして、昨年に訪れたウズベキスタン。
その旅行計画時に、昔に出会った写真の地【地獄の門(英語名Darvaza Gas Crater)】がウズベキスタンからもアクセスが可能であることを知りました。
さすがに中央アジアへ行くのが初めてだった昨年の私達には中央アジアの北朝鮮とも称される国;トルクメニスタンは敷居が高すぎ、昨年は行き方を調べたところで断念しましたが、あの風景を自分の目で見てみたい…という熱い想いは捨てきれずに、ウズベキスタンから帰国後に半ば衝動的にトルクメン行きの航空券をポチリ。
2018年の母と私の女子旅計画は、そんな風に始まりました。
2018トルクメニスタン・ウズベキスタン旅行記の1冊目は、旅の1日目&2日目。
トルクメニスタンへの陸路での入国のアレコレ、そして、ホレズム文化の中心地であったクフナ・ウルゲンチの遺跡について綴りたいと思います。
☆★ この世の果て〈地獄の門;Darvaza Gas Crater〉へ♪ 旅程 ☆★
■4/29 成田09:25-11:50仁川15:45-19:20タシケント(大韓航空)
■4/30 タシケント06:10-07:50ウルゲンチ(ウズベキスタン航空)
ウズベキスタン→徒歩で国境越え→トルクメニスタン
クフナ・ウルゲンチ遺跡→地獄の門へ(テント宿泊)
□5/1 地獄の門→国境越え→ヒヴァ
□5/2 ヒヴァ観光
□5/3 カラ巡り/カラカルパクスタン共和国
ウルゲンチ21:00-23:45タシケント(ウズベキスタン航空)
□5/4 タシケント観光
タシケント21:20-
□5/5 07:35仁川
10:00-15:00 ソウル・トランジットツアー
仁川17:40-20:00成田(大韓航空)
☆★ 2018 トルクメニスタン&ウズベキスタン旅行記☆★
【1】74歳の挑戦は中央アジアの北朝鮮!? http://4travel.jp/travelogue/11357817
【2】人生初のテント泊は地獄の淵で https://4travel.jp/travelogue/11361217
【3】独裁者政権の国って…? https://4travel.jp/travelogue/11368500
【4】ヒヴァで両替難民となる https://4travel.jp/travelogue/11384186
【5】ホレズム国で異文化交流 https://4travel.jp/travelogue/11578357
【6】潜入!カラカルパクスタン共和国 https://4travel.jp/travelogue/11579369
【7】地図にない“失われた砂の国” https://4travel.jp/travelogue/11668444
【8】タシケント別腹 バザール紀行 https://4travel.jp/travelogue/11669984
姉妹旅行記☆2017ゴールデンウィーク ゆるゆるウズベキスタン旅☆
・闇両替も悪徳警備員も、どんと来い♪ http://4travel.jp/travelogue/11240625
・夜行寝台列車はクリスティの世界 http://4travel.jp/travelogue/11243491
・古のオアシスが微睡む夢 http://4travel.jp/travelogue/11247059
・アレクサンドロスの追憶 https://4travel.jp/travelogue/11340022
・砂漠のユルタでキャンプ https://4travel.jp/travelogue/11346596
・生ける王が眠る青い古都 https://4travel.jp/travelogue/11349106
・Win-Win詐欺事件 https://4travel.jp/travelogue/11351077
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
イチオシ
旅行記を書き始める前に、地獄の門で撮影した15秒ほどの短い映像を紹介したいと思います。
地獄の門の様子は写真と文章でも紹介しますが、やはり、映像の方が音、そして揺らぐ陽炎など、炎の熱気が伝わる気がします。
映像のタイトルは、Sunset @ Darvaza gas crater
youtube動画: https://youtu.be/swszNrBmPVg
よろしければ、ご覧ください。地獄の門 洞穴・鍾乳洞
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あれは、ちょうど1年前の5月7日。
初めての中央アジア旅から帰国途中であった母と私は、帰路の仁川(インチョン)空港で次の旅の計画をプランニングし始めていた。
昨年は初めての中央アジア旅。
ウズベキスタンは旧ソ連領であり社会主義だった国で、更に国名が…スタンと言う事で、危険はないのだろうか…とかなりドキドキしながら旅だったのだが、現地入りしてみればそんなコトは杞憂に過ぎなく、ウズベキスタンの人の優しさや地域が醸し出す空気そのものに魅了された。仁川国際空港 (ICN) 空港
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そして1年後の2018年4月29日に母と私が降り立ったのは、昨年と同じ仁川空港。
昨年同様に、大韓航空を利用してウズベキスタンへと向かった。
(写真:半円形のモニュメントが床に反転してリフレインし、ハート形に/仁川空港) -
旅の目的地がトルクメニスタンなのに、何故ウズベキスタンに向かうのか。
その理由は目的地の立地で、目指す【地獄の門】があるのはトルクメニスタンの砂漠のど真ん中。
日本から【地獄の門】へのアクセスはトルクメニスタンの国際空港がある首都;アシガバードを経由しても可能なのだが、アシガバード経由はどの航空会社を使っても飛行機の接続が悪く、すんなりとはいかない。
しかし、ウズベキスタンの首都タシケントを経由するルートを利用すれば身体への負荷も少なく、更に懐にも優しく移動できる。
そんな訳で、母と私が選んだ移動ルートは↓な感じ。
成田→インチョン→タシケント(一泊)→ウルゲンチ→陸路で国境越え→地獄の門
(写真:タシケントから地獄の門までの移動ルート) -
イチオシ
2018年4月29日。
白く輝く天山山脈を飛び越えて辿り着いたタシケント国際空港は、1年前にも降り立った場所。
だから、記憶もしっかりと残っていて、昨年同様に入国審査+税関のチェックで空港を出るまでに2時間以上を要するのは覚悟していた。
昨年にタシケント空港で私たちが目にした光景…それはカオスだった。
旧ソ連時代の影響が未だに残っているのか、ウズベキスタン人は並ぶのが苦手なのか、それとも列の概念が無いのか、入国審査ブースの前は我先にと前へと進む人達の列でぐちゃぐちゃに人が入り乱れた状態。
同じエリアに空港係員は居るのだが、彼らは入国審査場の酷いカオスっぷりを目の前に見ていても我関せずで、おしゃべりに夢中。
なかなか凄い光景だった。
(写真:天山山脈を越え、もうすぐ平原部分にさしかかるころの光景/飛行機の窓から) -
しかし、2018年に私と母が目にした光景は、昨年とは正反対の状態。
飛行機から降りた後は係員が入国審査場へと乗客を誘導し、審査場にはラインが引かれ、皆が整然と並び入国審査を待っていた。
そして、入国審査の係官たちも昨年のやる気のない態度から一変し、きびきびとした動きでてきぱきと作業し、パスポートを返すときにはWelcome!なんていう気の利いた一言まで発するサービス精神で、あまりの変化に心底驚いた。
ウズベキスタンは2018年から日本人は観光ビザが不要になるなど、政府が観光業に力を注ぎ始めたのは伝え聞いてはいたが、まさかこれほどの変化が起きているとは予想していなかった。
飛行機到着から空港出口に辿り着くのに要した時間は、なんと25分!
昨年(2時間)の1/4以下に短縮されていた。
どうやらウズベキスタンの観光産業は大きな変換期を迎えている様だ。タシュケント国際空港 (TAS) 空港
-
この日の空港からホテルへの移動は、ホテルに依頼した送迎車を利用した。
宿泊は、空港から車で5分のGrand Art Hotel。
Grand Art Hotelでは、空港への送迎を片道10US$で請け負ってくれる。
空港からタシケント市内までのタクシー相場は、おおよそ5(日中)~10US$(夜間)という情報はあらかじめ手配会社から聞いていたので、ホテルの車が10US$ならば…ということで送迎を依頼した。
このホテルへの送迎依頼は結果としては大成功で、タシケント空港出口にたむろしていたタクシードライバー(白タク)の言い値は安くても10 US$から。
同じ金額を支払うならば、ホテルで身元を保証している運転手さんの車が安心できる。 -
Grand Art Hotelは、ホテルのクラスだと☆☆ホテル。
でも、部屋には電気湯沸かしポットとミネラルウォーターも有り、Wi-Fiも部屋で使用でき電波状態も良好で、私的には十分すぎるホテルだった。
レセプションは24時間対応で、翌朝の早朝4時半の空港までの車の手配も朝食BOXの準備もバッチリ。
それでいて宿泊が1泊ツインルームで40US$/1泊(エクスペディアで予約、日本でクレジットカード決済)と安価なのは嬉しい。
場所がタシケントの中心部ではないので市内観光には不向きの宿だが、寝るだけのトランジットホテルとしての利用にはお勧めのホテルだった。 -
翌朝の起床は朝4時。
ウルゲンチへと向かう飛行機が朝6:10発なので空港には5時までに行かなければならない。
4時半のチェックアウト時に往復の送迎代を支払い、レギストラーツァ(写真)を受け取る。
レウズベキスタンではウズベキスタン人以外の外国人は到着後72時間以内に宿泊施設での滞在登録を行わなう義務があり、その滞在登録時に発行されるのが宿泊証明書であるレギストラーツァ。
レギストラーツァは旅人にとっては非常に重要な書類で、道端で警察官に職質を受けた時にパスポートを持っていなかったり、レギストラーツァを所持していなかったりするとかなり厄介なことになるらしい。 -
この日の出発空港は、昨晩の国際空港とは異なった場所にある国内線専用空港で、国際空港から車で10分程離れた場所にある。
荷物をチェックインした後は、ベンチで朝食タイム。
ホテルで準備してくれた朝食ボックスの入ったビニール袋から、朝食セットを取り出した私たちは思わず噴き出した。
だって、普通、朝食ボックスって言ったら、紙箱に入っているサンドイッチや果物をイメージするでしょ。
ところが、取り出したブツはなんとプラスチックのタライ。
風呂桶のような赤いタライの中にパン、ハム、チーズ、ドライフルーツ、ジュースなどが山ほど入っていた。
タライに食品を置くなんて非衛生的だと思うかもしれないが、ウズベキスタンではタライは野菜や果物を量り売りする時の入れ物として使われていて、一種の食器みたいなもの。
だから、食べ物を入れても何の抵抗もないらしい。
タライに入っていたチーズは三種類で1つは癖のある山羊チーズなのだが、その濃厚な味が美味しく、私好み。
ウズベキスタンの小麦は質が良いのでパンは、まずハズレは無い。 -
ウルゲンチ行の飛行機はほぼ満席で定刻に離陸。
国内線なので飲み物位しか出ないと思っていたら、サンドイッチのような食事が提供された。
先程ホテル支給の朝食を食べたばかりの私達だったが、サンドイッチもペロリと完食。
胃は絶好調の様だった。 -
ウルゲンチ空港からは、手配車で一路トルクメニスタンとの国境がある村Shawatへと向かう。
今回の母娘旅は基本は個人旅行なのだが、トルクメニスタンに関する部分だけはどうしても現地旅行会社に手配を入れなければならなかった。
と言うのは、社会主義国であるトルクメニスタンは旅人が自由に出入りすることの出来ない国。
トルクメニスタンを旅するには、入国予定日の1か月以上前に現地旅行代理店にコンタクトを取り、スルーガイドを手配してもらわなければならない。
またビザも必須で、ビザの取得には日本で取る方法と国境で取る方法の2択があり、私たちが使ったのは国境でビザを取得する方法。
そのビザ取得に必要なのが、トルクメニスタン国内の手配を受け持ってくれる旅行会社が発行するビザ申請書と呼ばれるもので、この申請書が無いとトルクメニスタンには足を踏み入れることができない。
今回の旅で現地手配会社に依頼を入れたのは、ウルゲンチorヒヴァ(ウズベキスタン)→国境→地獄の門(トルクメニスタン)の往復のルートで、手配代金は1泊2日の日程で1000US$/2人とけっして安くはなく、更にトルクメキスタンへの入国にはビザ申請代金が69US$/1人が必要となる。
(写真:ビザ申請書を入手するために、現地手配会社に提出する必要事項) -
空港からウズベキスタン国境まで母と私を送って来た車はあくまでも送迎車で、国境越えのサポートは一切してくれない。
だから、ウズベキスタン出国時からトルクメニスタン入国までは、全てを、母と私の2人の力だけで乗り切らなければならない。
二人で顔を見合わせ、意を決して国境に向かって歩き出す。
ウズベキスタンとトルクメニスタンの国境エリアでは破ってはならない決まりごとがいくつかあり、その1つが写真撮影の禁止。
もしその禁を破ったならば、国外追放では済まないかなり重い罰が待っている。
カメラを手で持っていたりすると疑われるのでカメラは鞄の奥底へとしまい、手には何も持たずにまずはウズベキスタン側の国境を通過。
ウズベキスタンからの出国は書くべき書類も何もなく出国印を貰うだけなので10分程度で通過できたのだが、問題はトルクメニスタン側の自由地帯に入ってから。
トルクメニスタンの自由地帯へと入ると、まずは兵士によるボディチェックとパスポートのチェック。(人によっては此処で兵士に賄賂をねだられたという話も現地で聞いた)
それから、黄色い送迎バス(乗車賃2US$/1人)に乗りトルクメニスタンの入国審査場へと移動する。
トルクメニスタンの入国審査場に到着したのが朝の9時過ぎだったのだが、もうそこには税関のチェックに並ぶ行商のおばちゃんたちの長い列ができていた。
国境エリアは現地手配会社のエージェントの手助けを求めることもできない場所であるため、自分達で何とかするしかなく、とにかく入国審査のブースの近くへとおばちゃんたちの間を縫って進んで行く。
(写真:現地手配会社が作成したトルクメニスタン・ビザの申請書) -
幸い、トルクメニスタンの女性係官が旅人を優先的に通過させてくれたので行商のおばちゃんが作る長い列に並ばなくて済んだが、時間がかかったのはトルクメニスタン・ビザの発行。
審査場の係官(男)の作業はダラダラしていて非常にゆっくりで、見ている此方がイライラするほど。
更にトルクメニスタンは電力事情があまり良くないのか、入国審査場の使用電気量が許容量をオーバーしているのか、私たちがビザの発行を待つ間に起きた停電が3回。
そして1回停電すると10分は復旧せずにPC作業が停止し、全ての業務が進まなくなる…という最悪の状態だった。
何時になったらビザを入手できるのか…と不安になりながらひたすら立ち尽くす私達。
でも、英語すら殆ど通じないこの国境エリアにおいては、私たちが起こせるアクションは何もなかった。
そんな時に現れたのが救世主。
1人の男性がトルクメニスタン側にある出口から入ってきて、私を見るなり名前を確認してきた。
彼は、トルクメニスタンで2日間私たちのガイド兼運転手さんをしてくれるダブロンさん。
ウズベキスタン側で私たちを国境迄送り届けたドライバーから「ウズベク国境まで無事送迎完了」の電話を受けたダブロンさんは、私たちがトルクメニスタンの入国審査場から出てくるのをゲートの外で待っていてくれたのだが、いつまで待っても出てこない私達を心配して(多分、賄賂を渡して)入国審査場の中まで迎えに来てくれたのだ。
ダブロンさんの姿を見て、トルクメニスタンの審査官や係員の態度が急変。
彼が来てから10分ほどでビザが出来上がった。
トルクメニスタンの入国審査窓口でパスポートを提出してから、ビザ発行代金を支払うまでに要した時間は1時間半。
トルクメニスタン国境での入国は噂通りひどかった。
ビザが発行された後は税関での荷物検査で、全ての持物を開封され、中身をチェックされる。
特に薬は念入りに調べが入り、私が持って行った白い錠剤(頭痛薬、整腸薬、抗生剤)などは、これは何に使うのかとしつこく聞かれた。
面白かったのが、お札。
係官が持ち金を全て見せろと言うので出したのだが、彼らが見たかったのは日本円のお札で、US$には見向きもしない。
諭吉さんをひっくり返したり透かしたり、これは誰だ…?とか、どうしてお札に…とか完全に珍しいお札で遊んでいる状態だった。
(写真:国境で取得したトルクメニスタン・ビザ) -
トルクメニスタンの入国審査を終えたのが10時半。
入国審査や税関でダメ出しされたら、トルクメニスタンに入れなくなるのでドキドキだったが、時間はかかったものの【この世の果て】への招待状であるビザも取得でき税関も通してもらって一安心。
トルクメニスタン側ガイドのダブロンさんの車に乗りこむ。
【トルクメニスタンへの入国及び入国審査に関しては、口コミでもう少し詳細な情報をアップしてある】
口コミ1 入国方法 http://4travel.jp/overseas/area/europe/turkmenistan/the_other_cities_of_turkmenistan/kankospot/10457222/tips/13123866/
口コミ2 国境でのビザ取得 http://4travel.jp/overseas/area/europe/turkmenistan/tips/13123871/
(写真:トルクメニスタン入国直後の街のゲート。トルクメニスタンでは大きな町の入口には写真のようなゲートが作られている) -
車は一路、【地獄の門】のある砂漠方向のDarvazaへ…ではなく、進路を西へと取る。
時刻は11時。
このまま【地獄の門】がある砂漠の方向へと向かってしまうと、途中の経路にランチを食べる場所が無い事、そして、あまりに早くに砂漠に着いてしまっても暑いだけなので、砂漠方面に向かう前にランチ休憩を兼ねて古い遺跡のあるクフナ・ウルゲンチの村へと立ち寄ることにした。
助手席に座り窓から見える景色を眺めていた私は、初めて見るトルクメニスタンの光景が面白くてたまらない。
ウズベキスタンとトルクメニスタンは地続きで繋がっているにも関わらず、家の雰囲気も人の服装、女性の髪形もかなり異なっていた。
そして、もう1つ特徴的だったのが道路脇の空き地を覆う白い何かで、まるでそこだけ雪が積もったかのように空地の一部分が白く覆われていた。
外気温が25℃以上になるこの時期に、まさか雪が積もっているの?
不思議に思った私は運転するダブロンさんにアレは一体何?と質問。
ダブロンさんもこの質問は予想していたらしく「なんだと思う? ヒントはアラル海」と逆に切り返された。
アラル海…の単語で、答えは「塩」と分かったのだが、トルクメキスタンがこんなに地面に塩が浮き出る程塩分の強い土地だったとは驚きだった。
アラル海とは死海の様に大陸の中に閉じ込められた海水性の湖で、かつてはカザフスタンとウズベキスタンに跨って存在し、世界第4位の湖水面積と豊かな海産資源を誇っていた湖だったのだが、旧ソ連統治時代に行われた灌漑政策の失敗により海水が流出し湖の面積が1/10にまで小さくなってしまい、今は哀れな姿に。
【消失した湖】ということで有名な場所だ。
トルクメニスタンも、もともとが土地の塩分が強く(多分、大昔はアラル海のような海底だったのだろう)雨の少ない土地なので、川水から取水する水道水は浄水場で濾過をしても塩分が抜けなく、生水は飲めないとのこと。
基本はボトル入りのミネラルウォーター生活だそうだ。 -
ガイド氏への次の質問は母からで、トピックは、道路脇に延々と設置されているパイプについて。
トルクメニスタンの幹線道路脇には、太ももサイズの灰色のパイプが畑に沿って地平線まで走っていたので、畑の作物のために少しでも浄化した真水を運ぶためのパイプなのだろうと考えての質問だったのだがその答えは間違っていて、灰色のパイプは「ガスの供給配管」だのことだった。
トルクメニスタンは国中の何処を掘っても、天然ガスが噴き出してくる資源国。
だから、ガスは全て掘りたての天然ガスをパイプを使って各町へと供給していて、電力も全てガス発電でまかなっているそうだ。
因みにガス代や電気代はほぼ無料に等しく、米ドルで数ドルを払う程度でよいとのこと。
また、天然ガスを輸出産業としているため国はかなり儲かっていて、学校も高校までは無料で大学のみ学費がかかるシステムで、勿論、医療費もただ…。
中央アジアの北朝鮮というニックネームが付けられるほど閉ざされた社会主義国家ということで、私の頭の中では貧しい国のイメージだったトルクメニスタンだが、現実はそんなことはなく、人々はそれなりの暮らしをしているらしい。
電化製品や車も日本製が多く入っていて、丈夫で長持ちする日本製はトルクメニスタンでは人気で、隣国のウズベキスタンから日本製品を買い付けに来る専門の業者さんがいるという話だった。
(その言葉通り、ガイドのダブロンさんの車はトヨタのランドクルーザーだった) -
そんな話をしていたら、国境から1時間ほどで目的地のクフナ・ウルゲンチ(Kunya-Urgench)村へと辿り着いた。
クフナ・ウルゲンチ遺跡は2005年に世界遺産となった遺跡で、12世紀頃にホレズム王国の首都として栄えたウルゲンチ(町の名前)の廃墟だ。
現在の呼び名のクフナ・ウルゲンチの接頭語であるクフナ(キョフナとも呼ばれる)とは現地の言葉で「古い」を表し、日本語で言いかえれば古都・ウルゲンチとなるだろうか。 -
クフナ・ウルゲンチの遺跡は大きく分けて2か所に分かれていて、まずはその1つ目であるナジムアッデン・アル・クブラ廟(写真左)とスルタン・アリ廟(写真右)のある地域へと向かう。
このクフナ・ウルゲンチは遺跡なのだが、女性の祈りの場でもあり、トルクメニスタンでは願いが叶うパワースポットとして人気の場所として知られている。クフナ ウルゲンチ 旧市街・古い町並み
-
クフナ・ウルゲンチ遺跡が町として栄えていたのは10世紀から14世紀頃で、シルクロードの交易都市として、当時は中央アジアで一番大きな町だったという事だ。
遺跡の建物の特徴はクブラ(キューポラ)と呼ばれる丸い屋根。
この屋根の形を中央アジアで最初に取り入れたのが12世紀のクフナ・ウルゲンチで、当時の王がペルシアから多くの職人を招き入れ、その技術を教わったと伝えられている。
そして、ナジムアッデン・アル・クブラ廟とスルタン・アリ廟は、お互いのファザード部分が「こんにちは」をするかのように少しだけ傾いている。
このファザードの傾き加減が何だかユニークで、そんなところがトルクメニスタン女性の心を掴んでいるらしい。 -
スルタン・アリ廟は青いタイルが有名な廟(お墓)で、12世紀頃の建築だ。
-
スルタン アリ廟の青のタイル細工が美しい門。
今から800年も前の建物だというのに建物のファザードにはまだタイルが残っていた。 -
ウズベキスタンにある有名なモスクや廟は政府の手により建築当時の姿に修復されているが、トルクメニスタンでは、修復の手は基本的には危険な個所だけ。
タイルが剥げ落ちたところは、そのままの状態に。
崩れている装飾タイルを修復するかしないかは意見が分かれる部分ではあるのだろうが、個人的な意見としては修復をせずに年月と共に劣化していくそのままの姿を見せるトルクメニスタン方式が好きかもしれない。 -
崩れかけたタイル壁画は、寄木細工のような模様。
なんだか日本の古いデザインにも、こんな感じの紋様があったような気がする。 -
スルタン・アリ廟の向かいにあるのがナジムアッデン・アル・クブラ廟で、スーフィー教の指導者のお墓だというコト。
スーフィー教とは…、私も詳しくはないのだが、イスラム教の中の宗派の一種だそうだ。
スーフィー教で有名なのはメヴレヴィー教団のセマー(旋回舞踏)で、白いワンピースのような服を着たお坊さんたちがクルクルと回転しながら神の領域に近づくというダンスは、TV等で見たことのある方もいるのではないかと思う。 -
イチオシ
廟の扉は硬いクルミの木。
800年を経た彫刻がしっかりと残っていた。 -
廟の裏では、樹に身に着けてきた布を巻き付け祈る女性の姿があった。
-
二つの廟の見学のあとはランチタイムなのだが、その前に村のミニ・スーパーマーケットに立ち寄って今晩のキャンプの食材を仕入れる。
この日の夜は【地獄の門】があるカラクム砂漠でテント泊。
この村より先にあるのは砂漠だけなので、必要なものは全て此処で調達する。 -
ミニ・スーパーのサイズは日本でいえばデイリー ヤマザキ位の大きさで、置いてあるモノも食料と最低限の生活必需品のみ。
全般的に値段は安くはなかった。
例えば、トマトの水煮缶。
日本だったら100円~150円で大きめの缶が購入できると思うのだが、ミニ・スーパーでの価格は220円位。
トルクメニスタンは結構、物価が高いのかもしれない。 -
イチオシ
そして、村のレストランでお待ちかねのランチタイム。
今朝は4時から起きているので、もうお腹がペコペコ。
さぁ、何を食べようか…?
メニューは、何処に…?
レストランにはメニューは無く、到着早々案内されたのは厨房で、そこではおばさま2名がお料理中。 -
お二人は料理中だったのだが、写真撮って良い?と聞いたら、手を休んで照れながらもポーズをとってくれた。
-
ランチのメニューは、厨房に料理してあるものならば何でもOKのシステムで、韓国風の味付けのお料理から、トルクメニスタンの郷土料理まで様々なモノが鍋に入っていた。
-
サラダにも何種類かあり、こちらは韓国風サラダだというコト。
トルクメニスタンは意外にも朝鮮(ガイドさんはKOREAと表現していて、その意味するところは韓国人だけではなく、朝鮮半島全体)からの移民も多いらしい。 -
オーダーした料理が出来上がるのを待つ間にトイレタイム。
トイレは昨年のウズベキスタン旅でタップリ洗礼を浴びたので、もうどんなものが出てきたって怖くはない。
レストランのトイレはシンプルで綺麗だった…のだが、ムスリムの国に特徴的なお尻洗いの水は置いてなかった。 -
席へと戻ったら、最初のオーダーである山盛りトマトサラダがセットされていた。
塩気が多い土地で出来るトマトは、塩害に負けまいと糖度を上げた実をつける。
だから、トルクメン・トマトはナチュラルな甘さがタップリだった。 -
そして、メインは鶏を一羽丸ごと使ったトルクメニスタンの郷土料理。
多分、つい先ほどまで生きていた鳥なのだろう。
身がプリプリで柔らかで美味しい。
日頃、スーパーの安売り鶏肉しか食べていない私には、その違いが良くわかった。
ディルで香りづけがしてありパクパク…と食べられたが、さすがに女性二人で鳥一羽分のお肉は多すぎて途中でギブアップ。
レバーも全然臭みが無かったし、今回の旅で一番おいしかった肉がこの鶏肉だ。
因みにランチのお代は、サラダ一皿、鶏肉の郷土料理一皿、ミネラルウォータで20US$。
そんなに安くはないと思う。 -
ランチのあとは、少しだけ道路沿いの青空マーケットを散策する。
青空マーケットは私の好物のひとつなのだが、トルクメニスタンでは写真を撮るのが非常に難しかった。
実は、トルクメニスタンの人達は写真に写るのをあまり好まない。
風景写真の一部として人が写りこむのは構わないが、写真を撮ることの了承を得ていない人をターゲットとして写真を撮ることは出来ない(下手したら、警察に掴まってしまう)
だから、写真を撮る側もピントが人物に合わない様に風景写真を撮らなければならず、それが結構難しい。 -
販売している物にピントを合わせて、写真を撮る。
現地でこの風景を見た時には、ペットボトルに移し替えた自家製のジュースを売っているのかと思っていたが、改めて写真として見返してみるとジュースにしては色が濃すぎる気がする。
もしかして、ガソリンのような燃料液体をペットボトル販売しているのかもしれない。 -
露店の店頭に並ぶお野菜は、日本でも見たことのあるモノばかり。
これからもっと夏が近づくと、メロンやスイカなどが増えるそうだ。 -
青空マーケットの散策時間はサクッと終わらせて(多分、あまり写真を撮らせたくなかったのだと思う)、クフナ・ウルゲンチ遺跡の第二ラウンドへと連れていかれた。
第二ラウンドの遺跡群はいくつかの遺跡がコンプレックスになっている場所で、此処に入るにはカメラの撮影料が必要で、カメラ1台当たり2US$を窓口で支払う。
遺跡に入って最初に見えてくるのが、トレベクハニム廟だ。 -
トレベクハニム廟は王妃の墓なので、その装飾は午前中に訪れた2つの廟に比べて華やか。
天井のクブラ(ドーム天井)は二重天井となっていて二重天井にすることにより、屋根の強度を高めていたそうだ。
また、二重ドーム外側のタイルは14世紀に建てられた当時の物がそのまま残されているということ。
輝く青いタイルがクブラ全体を覆っていた600年前、それは見事な建物だったのだろう。 -
クブラを支える壁には亀甲模様。
その一部に青いタイル片が残っているのが見えた。 -
トレベクハニム廟は、廟の内部へと入ることができる。
-
入口の門は重厚なクルミの木製で、美しいアラビア模様が彫り込まれていた。
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その彫りはかなり深く鋭角に切り込んであり、柔らかなデザインの中にも鋭さが垣間見えた。
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天井のアーチ部分にもタイル細工が残り、女性の廟らしくお花をあしらった模様。
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この廟の持ち主であるトレベクハニムは王妃で、生きている間はこの場所を居室としていたそうだ。
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イチオシ
内扉をくぐり、王妃の間へと足を踏み入れると、まさかこんなところに…と言う景色。
首を上へと持ち上げ、天井を見上げるとそこに広がっていたのは、宇宙を表すモザイク模様。トラベグ ハヌム廟 史跡・遺跡
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12mの幅の天井ドームの周りには24個の窓があり、この窓が時計の代わりをしていたそうだ。
例えば、お昼の12時ならば、空いている窓の数は12となっていた。
昨年のウズベキスタン旅でもサマルカンド・ブルーやブハラ・ブルーなど様々な青を見てきたが、クフナ・ウルゲンチのホレズム文化での青は紺色を基調とした青。
その不思議な色合いにちょっと惚れたかな。 -
王妃の間の奥にあるのは、使われていた当時は隠されていた地下への道で、これは外へ通じる秘密の地下脱出通路だった。
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窓があるのは天井部分だけではなく、一階部分の壁にも。
此処にも寄木細工風の紋様が使われていた。
昨年訪れたティムール文化の地(サマルカンドやブハラ)では窓の透かし模様と言えばイスラム独特の星形デザインが多かったのだが、時代を更に500年遡ったホレズム文化では、また異なる紋様が好まれたようだ。 -
天井装飾が美しいトレベクハニム廟は王妃の墓であると先ほど書いたが、実はこれに付随する話をガイドさんから聞いたので残しておく。
トレベクハニム廟が王妃の居室として作られたのは歴史上間違いのない事実だが、実はこの廟を建てたのは王妃の夫ではない。
若きトレベクハニム嬢は当時の中央アジアの地域では一・二を争う美女で、各地域の支配者(スルタン・王)から求婚の申し出が絶えなかったそうだ。
そこで、トレベクハニム嬢はかぐや姫の様に各求婚者に無理難題を吹っかけ、その難題をクリアした方と結婚しましょう♪と言った。
この廟を建築した王もその求婚者の一人で、彼への課題は「世の中の誰も見たことの無い美しい宮殿」で、彼はペルシアから腕利きの職人を寄せ集め、この美しい廟を作り上げた。
出来上がった廟を見たトレベクハニム嬢は、廟の美しさに驚きはしたもののそれを顔には出さずに「大したことは無いわね。これでは結婚できないわ」と言い放った。
それを聞いた王は嘆き悲しみ、発作的に廟の最上部へと駆け上がるとそこから身を投げて地面に激突したそうだ。
それで、トレベクハニム嬢はどうしたかって?
実は彼女には想いの人がいて、それは王位継承権が第二位の王子。
王位継承権が一位の兄が亡くなったので、王位の座は必然的に彼女の愛しい王子の手に渡ることになった。
トレベクハニム嬢はめでたく愛する方と祝言を上げ、王妃となりこの廟を手に入れたと云う話。
女っていつの時代もしたたかで、怖い…よね。 -
そんな14世紀の怖い女性の棲家からは離れて、遺跡の奥に向かう。
遺跡の中には奇跡の木と呼ばれる樹木があり、写真右の木が、奇跡の木。 -
何が奇跡かと言えば、この幹の股になっている部分、此処からは奇跡の水と呼ばれる聖水があふれ出てくるそうだ。
奇跡の水は、病気治癒、願い事、金儲け、安産…などなど何にでも効果があるという事なのだが、そうそういつも湧き出る訳ではなく、この前に水が湧いたのが3年前だという話。
それでも、女性達はこの幹の股に掌を当て願い事をしていく。
私たちも女性たちの真似をして、掌を当てて願い事。 -
遺跡の敷地内は広大で全部の遺跡を短時間で廻ることはできなく、徒歩15分で行ける範囲だけの限定散策。
次に出てきたのが、セイト・アフメット廟。
この廟の周りを7回廻ると、メッカに巡礼に行くのと同じだけの意味を持つ。セイト アフメット廟 寺院・教会
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さらに歩いて行くと現れたミナレット(塔)は、11世紀に建設されたクトゥクルグ・ティムール・ミナレットで現在の高さは60m。
中央アジアで最も高いミナレットだ。
ミナレットの先端部分が欠けているように見えるのは、モンゴル襲来時に兵士がナレットの先端を盗んでいってしまったから。
もともとミナレットの先端には銀で出来た三角コーンが嵌められていて、ミナレットは日中は日の光で、夜は月光でキラキラと輝き、砂漠を歩くキャラバンたちにオアシスの在り処を示すシンボルの役割を果たしていたそうだ。
しかし、そのシンボルも強欲な蛮族によりもぎ取られてしまい、今はもう無い。クトゥルグ ティムールのミナレット モニュメント・記念碑
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銀を奪ったモンゴルの蛮族だが、皆が野蛮だったわけではない。
モンゴルの蛮族兵士たちはこの塔から銀コーンを盗む時、塔そのものを倒そうとしたのだが、それを止めさせたのが、モンゴル族のリーダーであったハン(王)。 -
ハン(王)は、美しい装飾のクトゥクルグ・ティムール・ミナレットを芸術品と考え、兵士たちには先端の銀だけで満足するように諭したと言われている。
(写真:銀のコーンをもぎ取られた塔の先端部分にも美しい彫刻) -
そして、このクトゥクルグ・ティムール・ミナレット。
根元は天を向いているのに、先端が少し傾いているのが分かるだろうか。
塔の真下から見上げると、先っぽの曲がり方が筍の様に見える。 -
このミナレットには面白い部分がもう一つあり、塔の中へと入るための入口が地上5m位の高さにある。
強盗対策かと思ったら、この位置に入口を作るミナレットが11世紀の流行だったとのこと。
入口が5mという高い位置にあるのは、この入口から隣の建物(昔はすぐ傍にメドレセがあった)の2階に橋が渡してあり、隣の建物から出入りしていたから…という話。
それを知らなかったら、毎回梯子で入口まで登っていたのかと思ってしまう。 -
先端が無い螺旋形のミナレットは、遠目で見るとちょっとバベルの塔っぽくも見える。
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クフナ・ウルゲンチ遺跡で最後に見たのは、青いアポロ屋根を持つスルタン・テケシュ廟。
このスルタン・テケシュ廟だが、名前に廟(墓)とついているが、近年の発掘調査で墓ではなかったことが明らかになっている。
この建物がテケシュ王に縁の建物であるのは間違いないのだが、最初の建築目的は王の執務室として。
その後の時代では図書館や神学校として使われて、墓として扱われた証拠は見つかっていないとの事だった。テキシュ廟 史跡・遺跡
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女性に大人気のパワースポットであるクフナ・ウルゲンチ遺跡にはちょっと変わった場所;クルック・モーラーの丘と呼ばれる砂の丘があるのだが、丘への道は立ち入り禁止となっていた。
立ち入り禁止となった理由は、この丘から大勢の女性がゴロゴロと転がり降り、重篤な怪我を負う人が出てしまったから。
このクルック・モーラーの丘は遺跡の中でも一番のパワースポットで、中でも子宝に恵まれると言われていて、丘から横になって転がり落ちることで全身にパワーを浴びるということが流行っていたそうだ。
怪我をするリスクを冒してまでも転がり落ちたい妊娠の丘。
トルクメニスタンの女性にとっては、後継ぎを生まなければならないという責務は、非常に重いに違いない。クルクモッラーの丘 砂漠・荒野
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イチオシ
車への戻り道で、デザート・タートル(砂漠陸ガメ)を発見!
塩が浮き出た植物も少ないこの地で、亀は何を食べているのだろう。 -
ガイドさんが亀を持ち上げて母の手に。
手(前足)が恐竜の皮膚みたいだ。
亀は吃驚した顔だったので、早々に元いた砂漠に降ろした。 -
クフナ・ウルゲンチを出てからは、ひたすら砂漠道。
道路は舗装されている部分もあるが穴ぼこだらけで、そこにタイヤが嵌ろうものなら大変なことに。 -
四駆で砂漠を走るデザートサファリのような道だった。
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道の脇にあるのは、草がちょぼちょぼ生えた砂地だけ。
他に生き物の姿はない。
時折現れるのは、駱駝。
彼等は悠然と道路を横断していく。 -
春なので、今年生まれたばかりの子供を連れた親子駱駝の姿もあった。
でも、昔の時代ならともかく、砂漠を歩くキャラバンもいない今の時代に駱駝なんて必要なのだろうか。
私のそんな疑問にガイドのドブランさんが教えてくれた答えは…。
駱駝からはミルクもとれるし、暖かい駱駝・ウールの毛も得られる。
それに、駱駝肉はまずくはなく緊急用の食糧にもなり、何よりラクダは面倒を見なくていい。
頭の良い彼らは、朝になると飼育舎から自発的に砂漠へと出て行き草を探し、夜、砂漠狼などの肉食哺乳類が現れる前に自分たちで飼育舎に帰ってくる。
駱駝は基本的に世話をしなくても良い動物なので、遊牧民の人達にとっては非常に有り難い家畜なのだ。
成程ね~。
で、駱駝一頭のお値段はいかほど?
ピンキリだけど、1000ドル(10万円超え)位だということ。
思ったより、駱駝って高価な家畜かもしれない。 -
そして14:30にクフナ・ウルゲンチを出発した車は3時間後の17:30に目的地のDarvazaに到着した。
カラクム砂漠のど真ん中。
有るのは砂と空だけの世界だ。
ぽつんと立つユルタは手配会社が持つ宿泊施設で、私たちの今晩のキャンプの荷物置き場。 -
イチオシ
車を停めた丘の上から見えるのは、幅60m、深さ20mの砂漠にあいた深淵【地獄の門】.
(写真:サンセットタイム) -
メラメラと燃える炎が、地底の底から這いあがり火焔を上げる竜の様だ。
クレーターそのものが真赤に熱せられた銅の釜の様にも見えた地獄の門。
Darvazaでのキャンプの様子、そして地獄の門〈Darvaza Gas Crater〉の絶景は、また次の旅行記で詳しく紹介♪
続きの旅行記
【2】人生初のテント泊は地獄の淵で
https://4travel.jp/travelogue/11361217
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レー
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この旅行記へのコメント (10)
-
- くわさん 2018/06/21 19:06:04
- 今度テレビで放送されるようです
- しかし、地球上には不思議なところがあるものですね。
ところで今度NHKで放送されるみたいです。
http://www4.nhk.or.jp/greatnature/x/2018-06-23/10/2199/2551096/
- ウェンディさん からの返信 2018/06/21 21:27:08
- RE: 今度テレビで放送されるようです
- くわさん こんばんは。
情報をありがとうございます♪
早速、一緒に旅をした母にも伝えました。
私たちが訪れた時にも旅行会社の方が「この前、日本のNHKが撮影に来ていたよ〜」と話していたので、その時の撮影フィルムかもしれません。
ホームページの予告編を見ると、ドローンで撮影したかのようなクレータを真上から撮影した映像も有りましたね。
確かトルクメニスタンはドローンの持ち込みを禁止していた筈。
どうやって、持って行ったのでしょう?
ソレが気になります。
ウェンディ
- くわさん からの返信 2018/07/07 19:57:16
- 放送を見ました
- いゃー、すごいところに行かれたのですね。
番組では、空港着陸前の映像が流れていましたが「白」一色。この電力はどこから?? ナルホドね。
炎のクレーターも全くの天然のものなのかと思っていましたが、そういうことだったのですね。ウェンディさんも旅行記に書かれていますが。
なぜかこの番組を見て、20億年前の地球上にあったらしいオクロの天然原子炉を思い出してしまいました。
- ウェンディさん からの返信 2018/07/08 22:29:04
- RE: 放送を見ました
- くわさん こんばんは。
トルクメキスタンの地獄の門からガボンのある天然原子炉の連続再臨界を連想する辺りが、常人離れしていますね(一応、褒め言葉のつもりです)。
オクロの事は私自身もあまり詳しくないのですが、太古の地球においてデプリの塊が地中に偶然出来、そこに浸透水が流れ着き、Uの核分裂反応を連続して起こしていた…というやつですよね。
確かにダルバサのガスクレーター<地獄の門>の燃え盛る焔の様子は危険さを秘めていながらも美しく、地球の神秘…と言う単語で纏めるならば、オクロとその神秘さ加減は似ている部分もあるかもしれません。
トルクメニスタンと言う国に日本のTV取材が入るのは珍しい事ですし、内容も魅力的だったので、番組を見られた方も多かったのではないかと思います。
実際に自分たちで旅をしても、番組で紹介するような空撮の様子は見ることができないので、あのような番組はとても価値あるモノですね。
-
- エンドレスジャーニーさん 2018/05/13 14:11:13
- いやあー楽しい旅行記ですね
- へたなTV番組観るよりこちらの方がずっと楽しいです。
続きも楽しみにしてます。
- ウェンディさん からの返信 2018/05/14 00:10:04
- RE: いやあー楽しい旅行記ですね
- エンドレスジャーニーさん こんばんは。
> へたなTV番組観るよりこちらの方がずっと楽しいです。
> 続きも楽しみにしてます。
そのように言っていただけると、嬉しいです。
トルクメニスタンは日本では情報があまり手に入らない国ですので、ビザを無事に手にできるまでは非常にドキドキでした。
ビザが手に入ってからも、検問で止められたり、町中に警察官(兵士)が溢れていたり…と社会主義国ならではの光景があちこちに…。
次回の旅行記では、メインの地獄の門以外にも、知られざるトルクメニスタンについて書いてみようかと思っています。
-
- tamuさん 2018/05/13 07:30:56
- 地獄の門楽しみにしてま~ーす
- ウェンディさん
凄い写真ですね。
この後の旅行記でウェンディさんが撮った写真を見るのが楽しみですね。
編集も上手ですね。期待度アップ!
◯◯スタンと聞くとナウシカの異国の服を想い出してしまったり、本当に不思議な国ですね。
次作、お楽しみー、にしてお待ちして居ります。
tamu.
- ウェンディさん からの返信 2018/05/13 17:25:14
- RE: 地獄の門楽しみにしてま?ーす
- tamuさん こんにちは。
地獄の門への序章編の旅行記を読んで、更にコメントまでいただけてうれしいです。
昨年に訪れたウズベキスタンで中央アジアの不思議な魅力を知ってしまった母と私は,トルクメニスタンへの渡航に挑戦してきました。
現地では母の年齢である74歳と言えばかなり高齢者扱いで、トルクメニスタンの入国審査官は母のパスポートを見ながら、マジマジと母の顔を眺めていました。
きっと、スゲエばあちゃんが旅をしている!と思ったのかもしれません。
私自身、母には体力的に厳しめの旅になるかと思っていましたが、現地旅行会社がしっかりとサポートしてくれたので、トルクメニスタン側での滞在はトイレをのぞいて、全てが快適で地獄の門の絶景を一晩かけてゆっくりと堪能してきました。
出来るだけ頑張って、炎と闇の織りなす旅行記第二段作成に取り組みますね。
ウェンディ
-
- tadashiさん 2018/05/11 07:39:20
- 相変わらずの体当たりアドベンチャー旅行ですね。さーと旅先のホテルで読ませせてもらいました。ソ聯のスターリン時代にソ連領極東の朝鮮族強制移住させたと聞いていましたがトルクメニスタンだったのですね。
- タイトル欄にメッセージしてしまいました。
- ウェンディさん からの返信 2018/05/11 20:13:15
- 体当たり旅が面白いんです
- tadashiさん こんばんは。
La Vidaで宣言したように、無事に帰国しました。
旧ソ連、それも現在もガチガチの社会主義国ということで、旅の前は殆ど情報がなかったトルクメニスタンですが、教育費、医療費、光熱費…などなどいろんなものが無料というのにはびっくり。天然資源がたくさんある国だからなのでしょうね。
そして、トルクメニスタンでの朝鮮民族のこと。
スターリン時代にそんなことがあったのですね。
ウズベキスタンの歴史本は読みましたが、トルクメニスタンの本というのが大学図書館でも見つからず、歴史をあまり勉強せずに訪れてしまいましたが、ソ連の歴史の近代を調べるとトルクメニスタンについての記述があったのかもしれません。
また、図書館で探してみます。
ウェンディ
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