
2018/03/09 - 2018/03/10
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たぼつさん
私にとって三度目のお水取りとなる今回の旅行。
お松明の時間まで奈良公園を散策して江戸三に泊まり、
翌日は鹿寄せを見てから室生寺へと足を延ばす計画です。
近鉄奈良駅で電車を降りて、まずは興福寺へ向かいました。
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五重塔は藤原不比等の娘である光明皇后により建てられました。
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後の藤原北家繁栄の祖である藤原冬嗣が建立した南円堂
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興福寺創建者である藤原不比等の一周忌にあたる年に、元明上皇と元正天皇により建てられた北円堂。
こちらも鎌倉時代の再建ですが、創建当初の奈良時代の姿をよく残しているそうです。 -
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1717年に焼失して以来、301年ぶりとなる今年(2018年)10月に創建当初の規模で再建される予定の中金堂の前に立てば、華やかな落慶法要の様子が目に浮かんで、今からその日が待ち遠しいようです。
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聖武天皇が叔母に当たる元正上皇の病気平癒を願って建立した東金堂
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国宝館を見た後、鹿せんべいを配りながら東大寺へ向かいました。
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木の洞から生えた竹
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東大寺総合文化センター内の喫茶店でひと休み。
テーブルからは南大門が贅沢に望めます。
どうにも疲れてしまったので、東大寺ミュージアムで千手観音菩薩立像を見るのはまたの機会にして、人の少ない二月堂の方へ移動することにしました。 -
東大寺にはかつて、高さ100メートルともいわれる東塔、西塔の二本の七重塔がありました。しかし平安中期に西塔を焼失し、1180年には平重衡の焼き打ちにより東塔も焼失してしまいました。その後13世紀(鎌倉時代)に東塔は再建されましたが14世紀に再び落雷により焼失。
そんな幻の七重塔ですが、ここ最近になってまた再建の機運が高まっているそうです。西塔の近くには民家が立ち並んでいるので、再建可能なのは東の塔だけになりそうですが、2021年から基壇の整備に入るという情報もあり、何とかして実現に漕ぎ着けてほしいものです。
七重塔の相輪の近くで出会った鹿
一枚おせんべいをあげてみると、可愛らしい顔に似合わずひどく乱暴でした。 -
もっとよこせと、何度も服を噛んでは引っ張ります。たまにお腹や脇腹のお肉も噛まれるので痛いし恐い。
でも可愛いので噛みつかれながらも撮影。 -
(*^-^*)
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ここで転ぶと猫になるといわれる「猫段」の辺りまで来ると、観光客の姿も急に少なくなり、大仏殿の交差点から続いていた喧騒からやっと解放された気がします。
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猫段を上った正面の鐘楼
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大仏開眼供養が行われた752年に鋳造された大鐘は「奈良太郎」と呼ばれ、奈良の人びとに親しまれているそうです。
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鐘楼を過ぎてしばらくすると二月堂の前に出ました。
今から四時間後には、この広場全体がお水取りを見に来た大勢の観客で身動きもできないほどに埋め尽くされます。
今は修二会の前の静けさ。 -
お松明の準備をしているようです。
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二月堂の石段を上ると読経の声が聞こえてきました。
堂内では今この時も修二会の行法が行われているようです。
白布で仕切られているので中の様子を窺い知ることはできませんが、澄んだ鈴の音と読経の声に有り難く耳を傾けました。 -
練行衆は一旦下堂した後、19時に再び上堂します。
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夜が待ちきれないような気持で二月堂を後にして、一度旅館へ戻ります。
仕事を終えた友人もそろそろ近くに着く頃です。 -
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「かすが茶屋」へ入店しかけた鹿を発見。
これ以上は中に入る気もないようで、そのままなにかをじっと待っている様子。 -
店の人が細かく切った食パンを外に放り投げると鹿は出ていきました。日常的な光景なのか、店の人も慣れているようです。
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片岡梅林の辺り
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旅館の部屋で待っていると間もなく友人も到着しました。
18時前には二月堂へ出掛けるため、少し早目ですが16時からこの宿の名物料理、若草鍋の夕食です。 -
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夕食を終えて二月堂へ出かけてみると、早くも大勢の人が集まっていました。
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ショーの開始を告げるかのような、お水取りの風情がまるで伝わってこない外国語のアナウンスが流れるなか、冷たい石畳に立ち続けること一時間。
照明が消えました。
観衆の中からどよめきが起こります。
お水取りが始まります。 -
暗闇の中で、廊下の天井を赤々と照らしながら登っていく松明。
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私の三度目のお水取りが終わりました。
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人混みに押されながら二月堂を後にします。
交差点で駅へ向かう人々と別れ、人影も疎らになった夜の公園内を二人で旅館へ戻るこの時間が、この旅の中でなによりも幸せな時のように思われます。 -
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翌朝は鹿寄せを見るために、奈良公園内の飛火野へ行きました。
ホルンの音で森の中から鹿が集まってくるというのですが、ホルンの音が消えても周囲の様子に変化は見られません。
今日はこのまま終ってしまうのではないかと不安を感じ始めた頃、ようやく森の中から先陣が姿を現しました。 -
随分と奥深い場所にいたのでしょうか、その後もホルンの男性を目指して森の中から続々と姿を現し、しまいには集まってきた鹿で男性の周囲は埋め尽くされてしまいました。
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男性が撒いたドングリを食べつくした鹿は、次の狙いを鹿せんべいを持った観客に定めたようです。
待ってましたとばかりに惜しみなく煎餅をばらまいた私は、多くの鹿に取り巻かれながらちやほやされるという我が世の春を謳歌したのでした。
やがて鹿せんべいはなくなり、買ったばかりのダウンに涎と噛み跡ばかりを残して鹿たちも去っていきました。
私は充足感に浸りながら飛火野を後にしました。
室生寺へ出発します。 -
室生口大野駅では一時間に一便しかない室生寺行のバスを乗り過ごしてしまいましたが、当てにしていたタクシーはおらず…
仕方がないので次のバスを待つことにしました。
抜けるような青空の下、初夏を思わせる陽光を浴びながらすることもなく、ベンチに座ってのんびりと待ちます。 -
そうして一時間ほどしてようやく来たバスに乗り込み、渓流沿いの山道を揺られて室生寺に着きました。
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金堂は一般的な檜ではなく杉が用いられ、平安時代前期の山寺仏堂としては唯一の貴重な遺構です。
この時は国宝の釈迦如来像、十一面観音像の特別拝観が行われていました。 -
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いつの日か石楠花の咲く頃また訪れるのを楽しみに、名残惜しさを感じながらも室生寺を後にしました。
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橋本屋の山菜料理もその時に。
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