2017/11/03 - 2017/11/15
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oterasanさん
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2018年1月15日(月)更新
地中海に浮かぶ島、マルタ共和国で6泊してトルコのイスタンブールへ帰ります。
トルコはおそらく一番の親日国。
私も大好きな国です。
<行程>
11月 3日(金) 自宅→関空~ソウル(韓国)着(空港泊)
4日(土) ソウル~イスタンブール<トルコ>着(泊)
5日(日) イスタンブール~マルタ島<マルタ共和国>→バレッタ→セント・ジュリアン着(泊)
6日(月) セント・ジュリアン二日目(泊)
7日(火) セント・ジュリアン三日目(泊)
8日(水) セント・ジュリアン四日目(泊)
9日(木) スリーマ一日目(泊)
10日(金) スリーマ二日目(泊)
11日(土) マルタ島~イスタンブール泊)
「宿泊先」
Hush Hostel Loung
「今日の支払額」
〇 宿泊代 120TL =4,080円
〇 食事代 10TL = 340円
〇 交通費 0円
〇 その他 0円
合 計 4,420円
「通 貨」
1€(ユーロ) = 140円
1TL(トルコ・リラ) = 34円
「今日の歩行」
15,057歩
2週間ほど避寒地へ逃亡。
台湾・カンボジア・ベトナムを訪れたいと思います。
1/17 岡山~~~台北(台湾)
1/18 台北~~~クアラルンプール~~~プノンペン(カンボジア)
1/28 ホーチミン(ベトナム)~~~台北
1/39 台北~~~岡山
上記航空券を購入済
そしてプノンペン→シアヌークビル→カンボット→ハーディエン(ベトナム)→チャウドック→ロンスエン→カントー→ヴィンロン→ホーチミンと陸路国境越えの予定です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
今日9:30発の飛行機に乗るため5:00モーニングコールをお願いしました。
が、5:00前に起きて出発の準備中。
5:10にチェックアウト。
歩いて5分でバス停へ。
5:35バレッタ行きのバスに乗り込みます。 -
約30分でバレッタBTに到着。
空港行きのバスに乗り込みます。 -
6:15すんなりと空港へ到着。
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空港バス停にあった見たことのある写真がありました。
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こちらの写真も行った事のある風景の写真。
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930発、トルコ航空、KM2700、イスタンブール行きに乗ります。
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出国手続きににはかなり時間がかかっていましたが私はすんなり終了。
「ありがとう」と云われました。 -
フライトまで1時間半あります。
いつもの様にラウンジで時間つぶし。
ありました「La Valetta」。 -
豊富に揃っている飲み物、食べ物。
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こちらの席に座って
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朝食を。
ビールを飲み。
楽しいマルタ島の旅でした。 -
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飛行機に乗り込みます。
さらばマルタ島。 -
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食事が出ました。
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なんとその食事に出すオレンジジュースは日本製。
日本語が見えました。 -
もう少しでトルコのイスタンブールに到着します。
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7日目のイスタンブールです。
さすがトルコ航空の飛行機が勢ぞろい。 -
幾度もイスタンブール空港は利用していますので慣れたもの。
イスタンブールカードを購入済みなのでこのカードを利用し地下鉄に乗って市内へ。 -
市内の「センティンブルヌ駅」で乗り換え。
アジア側に向かうためガラタ橋を渡りカラキョイまで向かいます。
この時持参していたトルコのガイドブックを置き忘れてしまいました。
困ったな。 -
乗り込むと荷物を担いでいた為か若者が席を譲ってくえました。
隣に座っていたおばちゃんが「日本人ですか」と聞いてきた。
「はい」と云うと「私の娘です」と前にいた女性を紹介してくれました。 -
娘さんは日本に興味を持って訪れたい国だとの事。
話をしていると奥にいた若者まで話に参加してきました。
周辺の人は私達に興味をしめしている様です。
なんとおばちゃんは「これをお土産にあげます」と云って段ボウルに入っている物を出して見せてくれました。
ガラスの置物です。
たまたま隣に座っていた人からいただいてよいものか。
しかし気持ち良く渡された物、お礼を云って気持ち良くいただきました。 -
「良い旅を」と云って2人は降りていきました。
私は世界30カ国以上訪れていますがトルコが一番の親日国である事は肌で感じています。
なぜ親日国なのか。
それはトルコと日本は過去の歴史があるのです。
① 1890年、トルコの軍艦が和歌山県沖で遭難した時、住民総出で救出に努めたそうです。
② 日露戦争の勝利
ロシアに近いトルコは常にロシアからの脅威に曝されていましたが東南アジアの小さな国が勝った事に大喝采したそうです。
勝利の立役者「東郷平八郎」今でも人気があるとか。
③ 1985年のイラン・イラク戦争。
世界各国は自国民を救出させたが日本は素早い対応が出来ず216名の日本人が空港に取り残されました。
トルコは危険を顧みず即座に航空機をイランに派遣し、タイムリミットの1時間15分前に日本人を乗せトルコ領に退避させました。
この時のトルコ大使は「あの時の恩を返す時がきた」と云ったそうです。
涙がじゅわぁ・・・・・と溢れそう。 -
3大大陸を制したスルタンの栄華を今に伝える「トプカプ宮殿」やブルーモスクの「スルタンアフメット・ジャーミィ」は前回訪れたので今回はパス。
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金角湾に架かるがらた橋を渡り新市街のカラキョイ駅で降ります。
アジア側のカドゥキョイへ向かう為モルトと呼ばれる乗り合い水上バスに乗りへ向かいます。 -
この船もイスタンブールカードを利用して乗り込みます。
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ヨーロッパとアジアにまたがるボスポラス海峡をアジア側へ向かう船の中。
ヨーロッパ側。 -
曇りで夕焼けは見えませんでした。
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こちらはアジア側。
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カドゥキョイに到着。
30分位の船旅。
ゆれはありませんでした。 -
ターミナル出入り口。
船の便数はかなり多い。 -
Agodaで申し込んだ今夜の宿を探します。
地図を頼りの「Hush Hostel Loung」。
今回は簡単に見つける事ができました。 -
私の部屋は受付のある建物から道路を隔てた斜め向かいの建物の三階でした。
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部屋は可もなく不可もなく。
室内にバス・トイレは無く別室に。 -
部屋からの眺め。
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部屋からの眺め。
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夕食は近くの売店でチキン・カバブ・パン・ヨーグルトで購入して部屋で夕食(10RL=340円)。
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