2015/11/22 - 2015/11/22
82位(同エリア105件中)
TOMISLAVさん
- TOMISLAVさんTOP
- 旅行記29冊
- クチコミ21件
- Q&A回答0件
- 98,277アクセス
- フォロワー6人
2015年11月22日 中国 湖南省 長沙に来ていた。
長沙では、訪れたい場所があった。それは長沙から80Kmほど離れた
韶山 毛沢東同志の生家
である。中国現代史に欠かせないこの人物がどのような場所で生まれ、そしてなぜ革命家になったのか?
のきっかけがつかめればと思い、社会科見学として訪れることにした。
しかし、私の浅学のせいもあり、なぜ毛沢東が革命家になったのかもわからないし、この人物像がますますとらえられなくなてしまった。
ただ、この人物が中国ではもはや革命家・指導者という枠を超え、中国の「象徴」、否、「神様」にすらなっているのではと空恐ろしい思いに取りつかれた。
マオ(毛)!なんて恐ろしい子!
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
-
2015年11月22日
長沙南バスターミナルより、韶山へ向かう。 -
80kmほどの旅程で、2時間くらいで韶山バスターミナルに到着。
そこから、人民の皆さんは送迎ツアーのようなものに加わっていたので、それがしも加わろうと思いい声をかけたら、外人はダメと断られた。
しかたなく、タクシーで毛沢東故居へ。白タクだったので(それしかいなかった)、ぼられるかなと思ったら、思ったほど取られなかった。帰りのタクシーも同様。
韶山はタクシーの運ちゃんも毛主席の「人徳」の浴しているから、、、
ではなく、白タクがボッタクルと、タクシーの組合にチクられるからではないかと思った。 -
まずは、主席の故居に向かうが、この通り、人民同志たちが主席を慕って長蛇の列。
写真、左手は、紅葉かな。
11月下旬の韶山はそれほど寒くなく、温暖な地で生まれ育ったようだ。 -
故居の前の池。11月下旬だが、池の周りは緑があふれている。
-
いよいよ、マオ(毛)ちゃんの生まれ育った家に入る。
-
故居を見ていて感じたのは、毛沢東は、「恵まれた」家の子だなと思った。
写真は、毛の弟の部屋のベッド。兄弟3人にそれぞれが部屋を持ちベッドを持っている。もちろん、沢東クンも。
清末の時代にこれだけの家に住んでいるのは、かなり裕福な部類ではないか? -
これは、唐箕かな。
農業用具もそろえていて、この農家は受け身で働いていたわけではないことがうかがえた。 -
家畜小屋。それなりの広さがあり、毛家は、生産手段を持たない
「無産階級」ではないことがはっきりと分かる。どうも小地主のようだ。
失礼ながら、中国人の中には、
「田舎のじいちゃんの家よりぜんぜん立派じゃん」
と思ってしまう人はないのかな?
これじゃあ、革命なんて要らないじゃないですか~。
紅〇兵は、この腐ったプチブルの家をまず襲撃すべきではなかったか。 -
写真は、毛沢東クンが少年時代に父親に任された畑とのこと。
母は、教育熱心。
かくして、晴耕雨読で、少なくとも経済的には「恵まれた」環境でそだってゆく。
これで、なぜ毛少年が革命家になっていたのか、ますますわからなくなる。
ただ、ひとつ言えるのは、毛クンが革命家の育てた土壌は、貧しさや矛盾ではなく、温暖な気候の下の豊かな家であったろう。ここで、毛少年も青雲の志を抱いたのだろう。
革命とは、「絶望」からではなく、「希望」から生まれるのだから。
やはり、マオちゃんおそるべし。 -
続いて、毛沢東同志記念館で毛の歩みを振り返る。
-
母と毛三兄弟。右が毛沢東。
毛沢東は、三男だったが、二人の兄は夭折のため事実上の「長男」。
父とは馬が合わなかったそうだが、母のことは敬愛していたようだ。
裕福な家庭に生まれ、母親孝行な青年。
平和な時代が続けば、無名だがまずまずの人生になっていただろう。 -
毛青年の写真。こうみると、温和な好青年に見える。
彼のこの後の展開を予期できるものはいなかっただろう。 -
彼の書籍とのこと。平和時であれば、一介の田園の教養子(し)になっていただろう。
-
しかし、彼が上級学校に進んでいく時期は、清末そして中華民国が成立するころにあたった。彼も新しい思想に触れていくことになる。
しかも、「人脈」にも恵まれて、楊昌済の紹介で北京大学の図書館にの司書補になるという「幸運」を得る。そこで、李たいせきの知己を得て、「新思想」を吸収していく…。 -
そして、中国共産党立ち上げにも与す。
写真は、上海で行われた第1回共産党大会参加メンバー。 -
その後、国民党と対立し、抗争していく。写真は瑞金中華ソヴィエト共和国臨時政府のメンバー。右から2人目が毛沢東。もちろん、主席。
-
国民党が攻めてきたので、「長征」開始。赤い線が、長征のルート。
「って、中国内陸部を逃げ回っているだけやん。」
なんて言うと、「水道局」の係員が臨時訪問にくるので、
ここは「戦略的撤退」といっておこう(キリッ)。 -
でも、長征中も権力を固め、コアメンバーを固めてゆく。
写真右から、毛沢東、劉少奇、周恩来。
私は中国革命三羽烏だと思っています。
劉少奇は、このころは、まさかこの背後に立つ男に〇〇されるとは思ってもいなかっただろう。 -
毛沢東(使用前)1938年5月
-
毛沢東(使用後)1943年11月。5年でふくよかになりましたね。権力闘争に勝つ過程で余裕がでてきたか?
-
長征の途上で、辺境の少数民族などを取り込んでいく。基本的に人懐っこい人なのだろう。
-
そして、日本は敗戦。
日本軍の脅威がなくなったあと、だれが中国を掌握するのか?
毛ちゃん最大のライバル蒋介石と会談。 -
勝利者は、毛沢東。
1949年10月1日、中華人民共和国成立の宣言を天安門上にて。 -
工場の現地視察だろうか。
某チョソン国の場合は、「現地指導」と首領様が「ありがたい」指導をしてくださるが、この写真のマオちゃんは、興味深く工場見学をしているだけのように見受けられる。読書家でもあったマオは、知的好奇心がつよいひとだったのかも。もし、彼が理系に進み技術者になっていたら、、と思った。 -
もちろん、このような写真は「人民の中にはいっていく指導者」というプロパガンダの側面はあるだろうが、知的好奇心のある目・表情だと思う。ただ、それが社会システムに向いた場合、どうなるだろう…。
-
中国国産の銃の試作品を党の幹部たちが点検している光景だろうか。
銃を持つのはマオちゃん。自分でやってみないとすまない性質なのかも。
左から2人目は、劉少奇だが、神妙な表情で見つめている。銃の生産体制などについて真面目に考えこんでいるのだろうか。
右の林彪は、単純に銃や兵器が好きなだけっぽい…。
三者の性格が表れていると思う。 -
老いた毛沢東と周恩来が握手。
それを莞爾として見守る小平。
三者それぞれ思うところがあっても、革命を思う気持ちだけは同じということか。
やはり、この記念館の写真は、毛沢東の「表」の顔ばかりだが、その中にも露出する表情が垣間見られて興味深い。 -
毛沢東の筆。右上がりな字である。
「人民日報」も毛沢東の揮毫だが、「報」の字も右上がりだ。 -
最後に毛沢東広場に向かう。
-
やっぱりありました。ご本尊が…。
-
このように列をつくって、「お参り」をする。
-
右手の人々は集団で、「参拝」をしている。
この行為は、某チョソン国の、銅像に対するご挨拶とはまた違った感じを受けた。
銅像のお参りしている人々が抱いているのは、
「人民の父 毛沢東様」への畏敬の念というよりも、
なんかありがたみがありそうだから拝めばイイことあるかも!という素朴な「信仰」心のようなものであろう。関帝廟みたいなノリである。 -
彼らが、毛沢東を崇め奉る理由は、人徳があるだとか、良い政治をしたからという理由ではなく、
「毛(マオ)ちゃんだから」
ということだろう。
マオちゃんが、結果として人民をうん千万人を〇そうがそんなことは無問題。マオちゃんだから、すっと拝んでしまう。マオちゃんは、人々にとって単なる「象徴」否、そこらの神社におわす「神様」になってしまう。この「軽さ」が人々に毛沢東が信仰される一因なのかも。
マオ、やっぱり恐ろしい子!
また、このように毛沢東を祭り上げることを考えた人は誰なんだろう。中国共産党の幹部たちなんでしょうが、やはり中国は恐ろしい。 -
帰り道の近くのお土産屋さんには、やはり毛沢東の銅像が売っていた…。
一家にひとつってか。 -
さすがに銅像は買う気になれなかったが、10元で毛主席語録を購入。
文化大革命が終わり、倉の中にでも投げ捨てられていたのが、
マオちゃん復活で、この本も再登板したのでしょう。
この本購入で、私も立派な「マオちゃん教」の信者になるのかな。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- kids560さん 2025/03/02 09:36:04
- ラッキーな男、毛沢東というイメージ
- 逃げに逃げ回り日本が敗戦し空白となった中国をそれまで頑張ってきた蒋介石を追い出しいつの間にか上に据えられ自分たちが日本に勝ったとかいっているいいかげんな奴というイメージです。この方。
銅像を拝むのを嫌悪感をもってみていましたが、旅行記を拝見する限り拝んでいるというより記念に見ておこうという軽い気持ちのようなところに少しこの国の方々への見方が変わりました。
日本のツアーでは組み込まれる可能性の少ないスポットに行かれるのは単身旅行の良いところですね。
- TOMISLAVさん からの返信 2025/03/27 20:31:39
- Re: ラッキーな男、毛沢東というイメージ
- コメントありがとうございます。
やっぱり、どこの国にしても、現代史は、一番書きにくいですね。
国共内戦や権力闘争で、マオが最後に勝つのは、本当にナゾですね。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
長沙(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
35