
2022/01/01 - 2022/01/01
95位(同エリア416件中)
fernandoさん
- fernandoさんTOP
- 旅行記1097冊
- クチコミ267件
- Q&A回答0件
- 1,184,210アクセス
- フォロワー102人
ライフワークにしている世界遺産訪問が、2021年7月に621件になりました(日本の世界遺産25件を含む)。
世界遺産が1154件(2021年7月)ですので、その約半分を訪ねたことになります。
その621件の軌跡をここで辿りたいと思います。
★今回の「その2」は2012年に旅した、スペイン、イギリス、アイルランドです。
スペイン88日間33件+モロッコ1件+イギリス25日間15件+アイルランド19日間2件の世界遺産51件を訪問しました。
◎スペインの旅総集編 https://4travel.jp/travelogue/10957645
◎英・愛欄の旅総集編 https://4travel.jp/travelogue/10957646
★その1 は初めての世界遺産訪問(1972年)から早期退職をし世界一周の船旅をする2010年までの56件を紹介しました。
★2011年は海外に出かけていません。海外の世界遺産を訪問する前にきちんと日本のを押さえておきたかったのが理由です。
※訪問した世界遺産をただ羅列しただけです。
※旅行期間は、資料的な意味もあるので毎年1月1日に更新することにします。
参考
UNESCOホームページ(世界遺産の解説を引用しています)
世界遺産アカデミー
地球の歩き方
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
2012年4月23日、日本を出発しマドリッドに入りました。
スペインを88日間かけてじっくりと巡る旅です。
世界遺産57件目「プラド通りとブエン・レティーロ:芸術と科学の景観」
2021年に新規登録されました。4月26日。
「マドリッドの都心に位置するこの文化的景観は、16世紀にヒスパニックの並木の原型であるプラド通りの並木道が造られて以来、発展してきたものである。大通りには、アポロの泉、ネプチューンの泉などの大噴水や、街のシンボルであるシベレスの泉があり、周囲には格調高い建物が建ち並んでいます。18世紀の啓蒙絶対主義時代から続く、新しい都市空間と開発のアイデアを体現している。敷地内には、芸術や科学に特化した建物と、産業、医療、研究などに特化した建物が並んでいます。これらは、スペイン帝国の最盛期におけるユートピア社会への願望を示し、知識の民主化という啓蒙思想と結びついて、ラテンアメリカに大きな影響を及ぼしたのである。120ヘクタールの「ブエン・レティロ庭園」は、17世紀に建てられたブエン・レティロ宮殿の名残で、この敷地の大部分を占めています。敷地内には、段々畑のような王立植物園や、19世紀から20世紀にかけて建てられた様々な文化施設や科学施設を含むバリオ・ヘロニモス(Barrio Jerónimos)の住宅地があります。」ユネスコのホームページより(www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました)。 -
マドリッド~セビージャに入りました。
世界遺産58件目「セビーリャの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館」
4月27日。
「この3つの建物は、セビーリャの中心部にある注目すべき複合モニュメントを形成しています。1248年のレコンキスタから16世紀にかけて建てられたカテドラルとアルカサルは、アルモハド人の文明とキリスト教アンダルシアの文明の融合を示す特別な証しとなっています。ヒラルダのミナレット(塔)は、アルモハド建築の最高傑作です。ヒラルダの塔は大聖堂の隣に立っている。大聖堂は五つの身廊を持つヨーロッパで最大のゴシック様式の建物で、クリストファー・コロンブスの墓がある。古代の商品取引所は、インディアス文書館となり、アメリカ大陸の植民地の文書館から貴重な文書が保管されています。」ユネスコのホームページより(www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました)。 -
セビージャ~カルモナ~サンルーカルデバラメダと旅します。
世界遺産59件目「ドニャーナ国立公園」(自然遺産)
5月3日。
「アンダルシア地方にある同国最大の国立公園。面積は507k㎡強。海沿いのサンゴ礁から湿原、内陸のやぶ地、砂丘林まで、多様な植物相が見られる。絶滅のおそれのある5種類の鳥が生息し、地中海地方ではアオサギの最大の営巣地の一つ。冬季には毎年50万羽もの水鳥が訪れる。スペインオオヤマネコの生息地でもある。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
カディス~タリファ~アルヘシラスと歩を進め、ジブラルタル海峡を渡って日帰りでモロッコに行きます。
世界遺産60件目「テトゥアンの旧市街」(モロッコ)
5月8日。
「テトゥアンは8世紀以後のイスラム時代に、モロッコとイベリアとの間の中継地として重要な役割を果たした。イベリアにおける国土回復運動の後、避難民がこの町を再建した。この事情はアンダルシアの影響の強い建造物や絵画によく描かれている。以後の時代の外部からの影響をほとんど受けていない点で独自の存在である。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
ジブラルタル~トレモリーノス~ミハス~アンテケラ~コルドバと移動します。
世界遺産61件目「コルドバの歴史地区」
5月21日。
「スペイン南部、アンダルシア地方中央部、グァダルキビール河岸に位置する都市。756年イスラム教徒の後ウマイヤ朝の首都となり、13世紀中頃までイスラム世界の学問と芸術の一大中心地であった。785年頃創建された「コルドバの大モスク」は、スペインの代表的なイスラム建築である。そのほか旧市街には、アルカーサル、ローマ時代の橋と保塁、考古美術館、パティオ(中庭)を備えた白壁の民家などがある。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
コルドバとグラナダの間にウベダとバエーサはあります。
世界遺産62件目「ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群」
5月24日。
「スペイン南部アンダルシア地方にある2つの小都市ウベダとバエーサは、9世紀のムーア時代と13世紀のレコンキスタ(国土回復運動)後に都市として形成された。アラブ・アンダルシア的な都市構造と、より北方的な影響の強い宗教的・公共建造物や宮殿などが世界遺産の対象。16世紀のルネサンスとともに町は修復されて発展を遂げた。修復計画に際してイタリアから人文主義の思想がもたらされ、この思想はラテン・アメリカの建築デザインにまで影響をおよぼした。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
グラナダは街そのものがテーマパークのようで、大好きな町の一つです。
世界遺産63件目「グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区」
5月28日。
「アルハンブラ宮殿とヘネラリーフェ離宮は、スペイン南部のグラナダに位置し、中世イスラム建築の頂点に位置する建築であるといわれている。王宮はパティオと呼ばれる池や噴水を使った中庭を中心にできており、美しい空間を造っている。イスラム王朝時代の面影を残すアルバイシン地区は、レコンキスタ(国土回復運動)が終わった500年後の現在も、ムーア人の町の特色を色濃く残している。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
グラナダから一気にアリカンテ手前のエルチェに来ました。
世界遺産64件目「エルチェの椰子園」
5月30日。
「スペイン南東部、コスタ・ブランカ州の都市。この椰子園(エル・パルメラル)は、8世紀にアラビア人が都市の緑化と装飾のために、高度に発達した灌漑施設によって造園した。椰子の渡来はそれよりもはるか古く、フェニキア人やローマ人居留地区時代まで遡る証跡が残っている。この椰子園は、スペインにおけるイスラム支配の名残であり、ヨーロッパ大陸におけるアラブ式農法が残る唯一の例証である。今なお20万本以上の椰子の木が群生している。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
エルチェからアルコイを観光しJavea(ハベア)のパラドールで2泊してバレンシアに入ります。
世界遺産65件目「バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダ」
6月2日。
「1482~1533年にかけて建造され、当初は絹取引所として利用された。後期ゴシック様式の傑作で、大広間の柱と放射線蒼穹(そうきゅう)は絹糸が先端で広がる様を表すという。15~16世紀の地中海域の大商業都市の勢力と富をよく物語っている。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
バレンシアからテルエルに入ります。
世界遺産66件目「アラゴンのムデハル様式建築」
6月4日。
「スペイン北東部、アラゴン地方南部を占めるテルエル州の州都。12世紀にイスラム勢力を駆逐したアラゴン王国の下に特別に許されて残ったイスラム教徒が、12~17世紀にムデハル様式(キリスト教とイスラム教の2文化の融合形式)の建造物を多数建築した。聖ペドロ、聖サルバドール大聖堂などのほか、特に聖サルバドールの塔では、そのムデハル様式を顕著に見ることができる。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
テルエルからアルバラシンを観光してクエンカに入ります。
※アルバラシンは私のトラベラーページの表紙の写真です。
世界遺産67件目「要塞都市クエンカ」
6月6日。
「コルドバの中心部にムーア人が防御地点として建設し、よく保存されている中世の要塞都市。12世紀にカスティリアが征服して王都・司教区所在地となり、スペイン初のゴシック伽藍(がらん)や有名な「宙づりの家」などが建設された。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
クエンカからマドリッド方面に向かうとアランフェスです。
世界遺産68件目「アランフエスの文化的景観」
6月8日。
「マドリードの南約30km、タホ川南岸にあるフェリペ2世時代からの王領地で、王家の夏の離宮。入り組んだ水路が幾何学的にデザインされた文化的景観は、自然と暮らし、村落と都市、整然とした樹林帯と豪華な建築物群など、多様な要素が織り交ぜられている。王家は啓蒙主義時代のフランス式バロック庭園や王宮を建設し、新たな都市生活様式を生みだした。ロドリーゴ作曲の『アランフェス協奏曲』によって世界中に知られた。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
アランフェスからトレドに移動します。
世界遺産69件目「歴史都市トレド」
6月10日。
「スペイン中央部・カスティーリャ地方の古都。1560年までに西ゴート・イスラム・キリスト教徒勢力の中心地で、各時代のモニュメントが多く残されている。中央部にそびえる大聖堂はスペインの三大純ゴシック様式大聖堂の一つで、スペイン・カトリック教会の大本山。その他多くの聖堂や修道院、イスラーム様式の要塞建築などが見られる。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
トレドからラマンチャの風車の村とドンキホーテの道を寄り道してアルカラ・デ・エナレスの町に入ります。
世界遺産70件目「アルカラ・デ・エナレスの大学と歴史地区」
6月15日。
「マドリード地方のこの町に16世紀初期、シスネロス枢機卿が世界で初の大学都市を計画した。語学教育に優れたこの大学はラテン語、ギリシャ語、カルデア語、ヘブライ語など数カ国語の対訳聖書を1517年に初めて刊行。セルバンテス広場に近いサン・ディアゴ広場に面して立つ大学は、見事なプラテレスコ風ファサード、4階建てのパティオ・マヨル、哲学者のパティオ、3カ国のパティオ、講堂など、多くの建造物に歴史の面影を残している。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
グアダラハラを抜けシグエンサのお城ホテル(パラドール)に泊まってセゴビアに入ります。
世界遺産71件目「セゴビアの旧市街とローマ水道橋」
6月19日。
「セゴビアのローマ水道橋は、おそらく紀元50年頃に建設され、驚くほどよく保存されています。この印象的な建築物は、2層のアーチを持ち、壮大な歴史都市セゴビアの舞台の一部を形成しています。また、11世紀頃に建てられたアルカサルや16世紀に建てられたゴシック様式のカテドラルも重要な建造物である。」ユネスコのホームページより(www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました)。 -
セゴビアからアビラに向かう途中でエル・エスコリアールに立ち寄ります。
世界遺産72件目「マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設」
6月20日。
「16世紀末、聖ローレンスの殉教の証であるグリルの形をした平面で建てられたエスクリアル修道院は、カスティーリャの非常に美しい場所に建っています。それまでの様式とは一線を画す厳かな建築は、半世紀以上にわたってスペイン建築に大きな影響を与えた。神秘的な王の隠れ家であり、フィリップ2世の治世の末期には、当時最大の政治権力の中心地となった。」ユネスコのホームページより(www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました)。 -
アビラは城壁がきれいに残っている美しい街です。
世界遺産73件目「アビラの旧市街と城壁外の教会群」
6月20日。
「11世紀、スペイン領をムーア人から守るために築かれたこの「聖人と石の町」は、聖テレジアの生誕地であり、大審問官トルケマダの埋葬地でもあり、中世の厳粛な雰囲気を残している。ゴシック様式の大聖堂や、82の半円形の塔と9つの門を持つスペインで最も完全な要塞など、その純粋な姿は今もなお見ることができる。」ユネスコのホームページより(www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました)。 -
アビラを出てレルマのパラドールに泊まりブルゴスです。
世界遺産74件目「ブルゴスの大聖堂」
6月23日。
「ブルゴスの聖母は、13世紀にイル・ド・フランスの大カテドラルと同じ時期に着工され、15世紀から16世紀にかけて完成した。ゴシック美術の全歴史が、その見事な建築と、絵画、聖歌隊席、衝立、墓、ステンドグラスなどのユニークな美術品コレクションに集約されているのである。」ユネスコのホームページより(www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました)。 -
ここはブルゴスからほどなくの場所です。
世界遺産75件目「アタプエルカの考古遺跡群」
6月23日。
「スペイン北部、ビスケー湾を望み、ブルゴスに近いアタプルカ山脈の洞窟には、更新世(180万~1万年前)中期の、ヨーロッパ最古の人類の化石が豊富に発見されている。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダのパラドールを出てサン・ミジャンに来ました。
世界遺産76件目「サン・ミリャン・ユソとスソの修道院群」
6月24日。
「6世紀中頃に聖ミジャンが建立した修道団体の地は巡礼地となり、見事なロマネスク様式教会がこの聖人を記念して建設され、今なおスソに佇んでいる。今日の世界で最も流布している言語の一つは、この地で生まれたカスティーリヤ語から派生した。16世紀初期には修道団体は旧修道院のすぐ下のジュソに新修道院を建て、現在まで活動している。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路をフランス方面に車で辿ります。
世界遺産77件目「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道」
6月24日。
「1993年に登録された「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」は、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラにある聖ヤコブの棺を目指す、スペイン国内の複数の巡礼路からなる。エルサレム、ローマと並ぶキリスト教徒の最も重要な巡礼地である。今回、それまでの内陸ルートに新たに海岸沿いのルートが追加され、同時に名称も変更された。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
フランス国境の町オンダリビアからビルバオです。
世界遺産78件目「ビスカヤ橋」
6月25日。
「ビスカヤ橋は、スペイン北部バスク地方のビルバオに近いイバイサバル河口に架かる。1893年に完成した橋は、全長160m、高さ45mで、高所から巨大なゴンドラを吊るし、そこに人や車などの交通機関を乗せて移動させるというもの。この橋の特徴は、当時の技術としては革新的な、軽量のねじり鉄鋼ロープを使用し、重いゴンドラを吊るすことに成功した点である。同種の橋は、産業革命の波にのり、以後ヨーロッパ・アフリカ・アメリカ大陸で多様されたが、現存するものは少ない。設計者は、パリのエッフェル塔を手がけた鉄の魔術師ギュスタヴ・エッフェルと親交のあった、ビルバオ出身のアルベルト・デ・パラシオ。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
アルタミラはレプリカの洞窟が用意されています。そこでも写真は撮れません。
アルタミラの近くの町サンティジャーナの町は良かったな。
世界遺産79件目「アルタミラ洞窟とスペイン北部の旧石器時代洞窟壁画」
6月26日。
「1985年に登録された「アルタミラ洞窟」と後に追加された17カ所の装飾洞窟。これらは、ウラル山脈からイベリア半島までのヨーロッパ地域で描かれた洞窟壁画が、3万5000年前から1万1000年前の旧石器時代後期に、絶頂期を迎えたことを示している。洞窟の深部に描かれ、気候の影響を受けなかったため、保存状態は良好。人類史上における優れた伝統と、芸術的才能を伝えるものである。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
ヒホンから銀の道を通ってオビエドです。
世界遺産80件目「アストゥリアス王国とオビエドの宗教建築物群」
6月30日。
「スペイン北西部、アストゥリアス地方の中心都市オビエドには、10世紀にレオン王国に併合されるまでアストゥリアス美術を発展させてきた。カマラ・サンタ、サン・フリアン・デロス・プラード及びラ・フォンカラーダ(小さな教会の下にある中世の水力工学の驚くべき例証)は、すでに1985年に世界遺産リストに登録されている市北部、郊外のアストゥリアス王国の三つの教会を補完するロマネスク様式の宗教建造物である。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
レオン~アストルガ~ポンフェラダを観光してラス・メドゥラスです。
世界遺産81件目「ラス・メドゥラス」
7月3日。
「紀元1世紀ローマ帝国はスペイン北西部のこの地域で、水圧を利用した金鉱の掘削を始めた。2世紀後ローマ人は荒廃した光景を残して去っていった。それ以来いかなる産業活動も展開することはなく、今は農地となっているこの地には、山腹の切り立った採掘現場や選鉱屑の散らばる広大な面積に、在りし日の古代技術の跡を偲ぶのみである。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
ビジャフランカ・デル・ビエルソを出てルーゴに立ち寄ります。
世界遺産82件目「ルーゴのローマの城壁群」
7月4日。
「スペイン北西部、ビスケー湾に面するルーゴ州の州都。この城壁は2世紀後半、ケルト人の集落をローマが占領し、重要な軍事拠点として建設されたもので、地名はルークス・アウグスティと改称された。この堅塁はその後の相次ぐ攻撃や8世紀のムーア人の侵入にも耐えている。そのため保存上や夷が良く、一周2131mにおよぶ城壁全体が損傷なく残っており、西ヨーロッパで見られるローマ帝国時代の城砦建築技術を今に伝える貴重な例証になっている。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
ルーゴからそのままヘラクレスの塔に向かいます。
世界遺産83件目「ヘラクレスの塔」
7月4日。
「ヘラクレスの塔は、ローマの人びとが1世紀後半にブリガンティウムの塔という名で建てて以来、スペイン北西部のコルーニャ港入り口で灯台や陸標(ランドマーク)としての役目を担ってきた。高さ57mの岩盤上に建ち、塔自体も55mある。構造は修復の過程で3段階に分けられ、塔の初段がローマ時代の灯台にあたる。その基部に隣接して建つ長方形の部分はローマ時代のものである。ローマ時代の基礎部分は1990年代の発掘調査で確認された。現在も原形を残し、いまだに機能する古代グレコ-ローマ時代の灯台は唯一無二で、中世から19世紀まで無数の伝説に彩られている。ほかに、彫刻公園、鉄器時代に遡るモンテ・ドス・ビコスの岩絵などを含む。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
スペインで一番大好きな場所がここサンティアゴ・デ・コンポステーラです。
表紙の写真はここです。
世界遺産84件目「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」
7月5日。
「スペイン北部、ガリシア地方の都市。10世紀にサンティアゴ(使徒大ヤコブのスペイン名)の遺骸が発見されたという噂から、中世ヨーロッパ三大聖地の一つとなり、フランスからピレネー山脈を越えてこの地に向かういくつもの巡礼路が発達した。12世紀建立の大聖堂はロマネスク巡礼路大聖堂の基本形として、また、ナルテスク内部の「栄光の門」の彫刻群は、ロマネスクからゴシックへの移行期を示す重要な作例である。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
バイオナのパラドールに泊まってサラマンカに向かいます。
世界遺産85件目「サラマンカの旧市街」
7月8日。
「スペイン中西部、イベリア半島で最も多くの文化財を誇る旧都。1218年に「美徳と学問と芸術の母」を掲げて誕生したスペイン最古のサラマンカ大学は、中世後期のヒューマニズム思想の牙城であり、16世紀にはオクスフォード、パリ、ボローニャと並ぶ四大大学都市の一つとなり、その伝統は今なお脈々と受け継がれている。微少の酸化鉄を含んだ建造物が多いため、マヨール広場を中心とする旧都の全体が、陽光を受けて金色に輝いて見える。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
サラマンカからポルトガルのコア渓谷へ。翌日シエガ・ヴェルデを観光します。
世界遺産86件目「コア渓谷(ポルトガル)とシエガ・ヴェルデの先史時代の岩絵群」
7月10日。
「紀元前2万2000~1万年頃の旧石器時代前期以降のこの岩壁画の一大集成は、この形態による人類の芸術的創造性を明証する全世界を通じて最も初期のものであり、かつ最も優れた例証である。それは1879年に発見されたアルタミラ洞窟壁画とほぼ同時期のものと考えられている。コア渓谷では、現在22ヵ所から214の岩壁画が見出されており、そのうち17ヵ所が世界遺産に登録されるコア渓谷先史公園に含まれている。後に、旧石器の彫刻が見られるスペインのシエガ・ヴェルデ遺跡が加わった。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
カセレスは「エストレマドゥーラの宝石」とも言われる美しい街です。
世界遺産87件目「カセレスの旧市街」
7月11日。
「紀元前後に帝政ローマが旧市街地を築き上げた後、8世紀初頭、イスラム勢力の支配下に入った。15世紀、大航海時代に入ると、アメリカ大陸との貿易中継地点として繁栄する。このころ貴族たちはこぞって豪華な邸館を造営した。」世界遺産アカデミーから一部抜粋しました。 -
グアダルーペは山の中にあり、アクセスが大変です。
世界遺産88件目「サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院 」
7月13日。
「この修道院には、黒い木彫りの聖母像がまつられており、スペインにおけるマリア信仰の中心地である。増改築が行われ、8つの主要建造物からなる王立修道院となった。」世界遺産アカデミーから一部抜粋しました。 -
グアダルーペからトルヒージョのパラドールに泊まってメリダに入ります。
世界遺産89件目「メリダの考古遺跡群」
7月15日。
「スペイン南部、ポルトガルに隣接するグェディアーナ河畔に位置する都市。BC25年、ローマ退役軍人の植民市として建設された。AD1世紀頃のトラヤヌス帝凱旋門、スペインに残る18の遺構中最も豪華なローマ劇場、円形闘技場、スペイン最良のクルクス(全長約400m)、ディアナ神殿のほか、修復されたスペイン最長の橋(792m)、花崗岩とレンガによる「奇蹟の水道橋」など、ローマ時代の数多い遺跡で知られている。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
本来はメリダからサフラに向かう予定が、新規にアルマデンが世界遺産に登録されたので予定を変更します。
この後、セビージャからマドリッドに戻り7月20日イギリスに向かいます。
世界遺産90件目「アルマデン-水銀鉱山の遺産」
7月17日。
「スペインのアルマデンとスロベニアのイドリアは、近年まで世界最大だった水銀鉱山。それぞれ古代と中世を起源とし、以来、水銀精錬に特化した技術的・社会的なシステムを構築して発展した。銀の精錬に必要不可欠な水銀生産を掌握したことで、市場での主導権を獲得したこれらの鉱山は、短期間で新旧大陸間交易の中心となり、近代の水銀精錬における社会構築やライフスタイルを象徴するものとなった。構成遺産には多数の竪坑の遺構も含まれ、地上の施設や資料館には水銀精錬に関連した遺物が展示されている。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
スペイン88日間、世界遺産33件(+モロッコ1件)の旅でした。
緑の印が世界遺産です。 -
7月20日、スペインからイギリスに移動し旅は続きます。
世界遺産91件目「ストーンヘンジ・エイヴベリーの巨石遺跡と関連遺跡群 」
7月21日。
「イングランド南部のソールズベリー平原にあるストーンサークル(環状列石)で有名な巨石遺跡。直径約100mの土盛りの遺構の内側に、立石の輪と穴が同心円状に広がっている。BC2000年~同1600年ごろのものと考えられているが、その目的は墓域、太陽崇拝、天文台など諸説があり、謎に包まれている。ストーンヘンジの北約30kmほどにあるエーヴベリーにも同様の遺跡がある。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
ストーンヘンジ観光のその足でバースに向かいます。
世界遺産92件目「バースの市街」
7月21日。
「イングランド南西部の、ローマ時代に浴場や神殿が建設された温泉保養地。18世紀には上流階級の社交場として利用され、今はジョージ王朝風の町並みとともに保存されている。19世紀以降に大浴場跡の本格的な発掘が行われた。英語で風呂のことを「バス」というが、この地名がその語源である。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
バースからウエールズに入ります。
世界遺産93件目「ブレナヴォン産業景観」
7月22日。
「南ウェールズ、ブレナボン周辺には、鉄鉱石と石炭の主要産地として世界に名を馳せた18世紀末~19世紀の南ウェールズの繁栄を雄弁に物語る遺跡があり、非常に良好な状態で保存されている。当時の最大の炭坑と1789年時の最新技術を駆使した高炉を併せ持ち、石炭や鉄鉱石の鉱床、採掘現場、労働者の住宅街、公共設備など、炭坑や鉱山の生活に関わるあらゆるものが、産業革命初期と同じ場所にそのままの姿で残っている。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
ウエールズからイングランドに抜けます。
世界遺産94件目「アイアンブリッジ峡谷」
7月23日。
「イングランド中部、セヴァーン川に沿うイギリス産業革命発祥の地コールブルックディル。ここに世界初の鉄橋アイアンブリッジが、1781年に開通した完成当時の姿で残っている。木炭の不足で操業停止に追い込まれていたこの街の製鉄所に、コークスの使用によって燃料不足を解消し、蒸気機関による鉄の大量生産に成功し、総重量400t、全長60mのこの鉄橋を完成させたのは、3代にわたるダービー一族の功績である。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
またウエールズです。
世界遺産95件目「ポントカサステ水路橋と運河」
7月24日。
「ウェールズ北東部に位置する全長18㎞のポントカサステ水路は、19世紀初頭に完成した産業革命における土木建築の偉業である。地理的条件を克服するため、水路の建設には閘門(こうもん)を使用しないなど、かなり大胆な解決策が必要だった。土木技術の先駆的傑作であり、歴史的金属建築であるこの水路橋は、著名な土木技師トーマス・テルフォードが考案し、鋳鉄と鍛鉄の両方を用いることで、軽くて強いアーチ構造が可能となった。結果的に堂々とした優美さを兼ね備えている。世界の多くの事業に影響を与えているこの遺産は、創造的才能の傑作として、またヨーロッパの専門知識の総合体として登録された。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
リバプールからアイルランドのダブリンに飛びました。
7月26日から19日間のアイルランド島の旅です。
世界遺産96件目「ブルー・ナ・ボーニャ:ボイン渓谷の考古遺跡群」
7月28日。
「紀元前3000年ごろに建造されたアイルランド最大の先史遺跡です。」世界遺産アカデミーから一部抜粋しました。 -
アイルランド島の南西の地からさらに船で向かう大西洋上の絶海の孤島です。
世界遺産97件目「スケリッグ・マイケル」
8月6日。
「アイルランド南西海上の岩島にそびえるこの7世紀の修道院は、アイルランドの初期キリスト教徒の存在を雄弁に物語っている。隔絶された場所にあることから訪れる者も少なく、きわめて良好な保存状態にある。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
北アイルランド(イギリス)に来ています。アイルランドとは、文化(歴史、通貨、単位等)が違います。
世界遺産98件目「 ジャイアンツ・コーズウェイとその海岸」(自然遺産)
8月10日。
「 北アイルランド、ベルファストの北西約80kmに位置する。この大西洋岸の高さ110mの断崖からは、無数の石柱が海の中から突き出しているのが見え、その大部分が6角形をしている約四万本もの石柱が陸から海へとなだらかな石の道のように伸びている。巨人の仕事と伝えられてきたこの奇景は、6千年前の火山の大爆発の際の溶岩が、冷却し凝固する過程で形成されたものである。海岸は貴重な動植物の宝庫で、約80種類の鳥も確認されている。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
※2021年世界遺産から抹消されました。
アイルランドからリバプールに戻ってきました。8月14日。
抹消:世界遺産「リヴァプール海商都市」
再開発により現代建築が混在するようになり、都市環境破壊であると指摘された。
「イングランド北部の海商都市・リヴァプールの歴史的中心であり、ドック地区でもある6つの登録地は、18~19世紀にかけて世界で最も重要な交易地のひとつとして発展した。リヴァプールは、大英帝国の発展に大きく寄与し、奴隷貿易や北欧からアメリカへの移民など、多くの人々が移動する際の重要な港となった。また、リヴァプールは、現代のドック技術や輸送体系、港湾管理の発展の先駆けともなった。登録された遺産リストには、セント・ジョーンズ・ホールをはじめ、重要な商業施設、民間および公共の建築物などが数多く含まれている。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
ウエールズのカーナーヴォン城に来ています。
世界遺産99件目「グウィネズのエドワード1世王の城郭群」
8月17日。
「イギリス西部のウェールズ地方にあるグウィネズの城郭群は、13世紀後半にイングランドのエドワード1世によって建設された複数の城郭である。保存状態もよく、中世の城郭建築を今に伝える。」世界遺産アカデミーから一部抜粋しました。 -
ウエールズから東に向かいダーウェント峡谷を南下します。
世界遺産100件目「ダーウェント峡谷の工場群」
8月18日。
「イギリス中部、ダーウェント渓谷に残る工場群。18~19世紀の間、繁栄した綿工場と産業景観で著名であり、工場システム誕生の地として歴史的にも、技術的にも、重要な意義を有する地である。現存する工場は、リチャード・アークライトが発明した工場規模での綿紡績の生産工法を初めて導入した、クロムフォードの工場群が起源となっている。当時労働者が居住していた住宅や他の工場は、この地域の社会経済的発展を如実に示している。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
ダービーの町から北に向かいます。
世界遺産101件目「ソルテア」
8月19日。
「西ヨークシャーにあるソルテアは、19世紀後半の産業集落が保存状態も良くそのままの姿で残っており、その市街設計は“庭園都市”運動の発展に大きな影響を与えた。織物工場や公共施設、労働者の住宅などに、高度な建築技術や都市計画が反映されており、経済的・社会的発展に寄与した繊維工場の重要な役割を物語っている。また、ビクトリア時代における博愛主義に対する保護の痕跡を今に伝えている。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
ソルテアから更に北上します。
世界遺産102件目「ファウンテンズ修道院の廃墟のあるスタッドリー・ロイヤル公園」
8月19日。
「この修道院は12世紀前半にシトー会の修道士によって築かれた。ヘンリー8世による修道院解散令によって廃墟になる。」世界遺産アカデミーから一部抜粋しました。 -
どんどん北上します。
世界遺産103件目「ダラム城と大聖堂」
8月20日。
「ダラム城は1072年、ウィリアム1世がスコットランドの侵攻に備えて着工されました。」世界遺産アカデミーから一部抜粋しました。 -
ダラムから西に向かいまた東に戻りニューキャッスルアポンタインで泊まります。
世界遺産104件目「ローマ帝国の境界線」
8月20日。
「ハドリアヌスの城壁は、西海岸のボウネスと東海岸のウォールゼンドを結ぶ117kmの城壁で、2世紀前半に北方民族の襲撃に備えてローマ帝国により築かれた。つまりイングランド北部を横断するように壁が造られた。」世界遺産アカデミーから一部抜粋しました。 -
スコットランドに入ってきました。
イングランドと比較すると独特の景観と独自の文化があります。
世界遺産105件目「エディンバラの旧市街と新市街」
8月21日。
「スコットランド王国のかつての首都。中世の要塞がそびえる旧市街と、18世紀以降ヨーロッパの都市計画に大きな影響を与えた新古典主義様式の新市街とがある。対照的な地区ながら、どちらにも歴史的価値のある建築物を多く残し、調和を保っている。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
オークニー諸島はスコットランドの北の先のそのまた沖です。
世界遺産106件目「オークニー諸島の新石器時代遺跡」
8月24日。
「イギリス、スコットランド北部のベントランド海峡を挟むこの島嶼群には、エジプトの古代墳墓やシュメールのレンガ社殿、インダス文明のハラッパー初期文化にも匹敵する新石器時代の遺跡の宝庫がある。この文化は記念建造物と整った儀式に大きな特徴がある。共同墓地や神域などの発掘により、より複雑な社会への胎動を読み取ることができる。」ユネスコのホームページから引用しました。 -
スコットランドのネス湖、スカイ島、ジャコバイト号を楽しみました。
世界遺産107件目「ニュー・ラナーク」
8月28日。
「スコットランド様式の建造物が今なお景観として残る小都市。19世紀初頭、イギリスの社会主義者ロバート・オーエンは産業革命後の悲惨な労働環境を批判。ニュー・ラナーク紡績工場を買収して、人道主義的な工場経営という年来の理想を実施して大成功を収めた。ニュー・ラナークは一時、“革命主義のメッカ”と称されていた。今なお工場群や労働者住宅、教育施設がそのままの姿をとどめており、オーエンのヒューマニズムが息づいている。」
スコットランドに世界遺産はあと「セント・キルダ諸島」がありますが、今回の旅では行けませんでした。
旅はリバプール~ロンドン、そして9月1日に羽田に帰ってきました。 -
イギリス25日間(世界遺産15件)、アイルランド19日間(世界遺産2件)の旅でした。
4月23日から始まったスペイン、イギリス、アイルランドの旅は132日間と長期に及ぶものでした。振り返ると今回が一番長い旅でした。そして余裕はありましたが、ドキドキ感がたまらない旅でもありました。
【世界遺産563件の軌跡 3 2013年(21件:108件目~128件目*イタリア、マルタ)】に続く。https://4travel.jp/travelogue/11275647
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
世界遺産 訪問の軌跡
-
前の旅行記
世界遺産621件の軌跡 1 1972年~2010年(56件:1件目~56件目) ...
2022/01/01~
ロンドン
-
次の旅行記
世界遺産621件の軌跡 3 2013年(21件:108件目~128件目*イタリア、マルタ)
2022/01/01~
ローマ
-
世界遺産621件の軌跡 1 1972年~2010年(56件:1件目~56件目) ...
2022/01/01~
ロンドン
-
世界遺産621件の軌跡 2 2012年(51件:57件目~107件目*スペイン、イギリス、アイルランド)
2022/01/01~
サンティアゴ・デ・コンポステーラ
-
世界遺産621件の軌跡 3 2013年(21件:108件目~128件目*イタリア、マルタ)
2022/01/01~
ローマ
-
世界遺産621件の軌跡 4 2014年(78件:129件目~206件目*北アフリカ、バルカン半島)
2022/01/01~
アブ・シンベル
-
世界遺産621件の軌跡 5 2015年(95件:207件目~301件目*欧州10ヵ国)
2022/01/01~
プラハ
-
世界遺産621件の軌跡 6 2016年(154件:302件目~455件目*中米、欧州15ヵ国)
2022/01/01~
ティカル遺跡周辺
-
世界遺産621件の軌跡 7 2017年(47件:456件目~502件目*南米、北米、欧州)
2022/01/01~
マチュピチュ周辺
-
世界遺産621件の軌跡 8 2018年(61件:503件目~563件目*中東~東アフリカ)+新規2件 ...
2022/01/01~
セレンゲティ国立公園周辺
-
世界遺産621件の軌跡 9 2019年(31件:564件目~新規2件~596件目*アジア)+日本の世界遺産2...
2022/01/01~
スマトラ島
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 世界遺産 訪問の軌跡
0
54