2017/11/13 - 2017/12/06
96位(同エリア296件中)
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- 旅行記4冊
- クチコミ4件
- Q&A回答0件
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- フォロワー9人
2017年、今年の抱負のひとつに掲げた6000メートル登山。メラピークセントラル登頂に挑みました。行きは、ニュールートを歩き、帰りはザトラパス越えをしました。
*個人的な日記です。
11月13日 シカゴ~ 機内泊
11月14日 カトマンズ着 カトマンズ泊
11月15日 カトマンズ カトマンズ泊
11月16日 カトマンズ~ルクラ~カリコラ カリコラ泊
11月17日 カリコラ~シブジェ~パンゴン パンゴン泊
11月18日 パンゴン~ニンソー ニンソー伯
11月19日 ニンソー~チョトラコラー チョトラコラー泊
11月20日 チョトラコラー~タシオンマ~コーテ コーテ泊
11月21日 順応日 コーテ泊
11月22日 コーテ~タグナ タグナ泊
11月23日 タグナ~カーレ カーレ泊
11月24日 高度順応日 カーレ泊
11月25日 カーレ~メララ~ハイキャンプ ハイキャンプ泊
11月26日 ハイキャンプ~メラピーク~メララ~カーレー カーレー泊
11月27日 カーレー~タグナ~コーテ コーテ泊
11月28日 コーテ~ツリカカ ツリカカ泊
11月29日 ツリカカ~ザトラパス~ルクラ ルクラ泊
11月30日 ルクラ ルクラ泊
12月01日 ルクラ ルクラ泊
12月02日 ルクラ~カトマンズ カトマンズ泊
12月03日 カトマンズ カトマンズ泊
12月04日 カトマンズ カトマンズ泊
12月05日 カトマンズ~シカゴ 機内泊
12月06日 シカゴ着
- 旅行の満足度
- 5.0
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1日目 11月13日
女に二言はない
さっさと済ませてしまいたいと思った。ラダックのストックカンリかボリビアのワイナポトシに4、5日で登って、「完了」のハンコをポーンと押してしまってもいいのではないか。
でも、50歳を目前にしてあと何回、面白いことができるのか。そう思うと一回でも無駄にできないとも思う。Making the best of it。
今年の抱負のひとつに掲げた6000メートル登山。去年、ネパールのトレッキングから帰ってきた直後に行こうと決めた。不安で一杯になるのはあたりまえだ。6000メートルになんか一度も登ったこともないんだから。
2月からクライミングジムに通いはじめた。ロッククライミングの仲間とケンタッキー州の通称「レッド」にも登りに行った。ロープやギアも使えるようになったし、岩場でのバランス感覚も良くなった。背中にかっこいい筋肉がついてきた。
私が住んでいるシカゴには山と呼べるようなもの何もない。頑張っても標高370メートルがのマウンドがせいぜいだ。近所のミシガン湖の降り口に設置されている階段を登り下りして足腰を鍛えた。夕方散歩にくるお年寄りたちが、バックパックの重さを興味津々聞いてくる。80パウンドだよと嘘をついて驚かせる。トレーニング後の一杯の差し入れを持ってきてくれる友達がいる。彼女とミシガン湖に沈む赤い夕日を眺めながら、人生とはどうとかなどと、おっさんくさいことを語りあったりする 笑。
11月になり、メラピークにいくことに決めた。エクアドルの最高峰、チンボラソも候補に入れたが、サミットデイでは、35ポンドのクライミングバックを担いで5000メートルから6300メートルまでを一気に登りきらなければならない。
登山は不公平(後出の心さんは公平と言った)である。老若男女、同じルートを同じ重さを担いで登らなくてはならない。シェルパのサポートがあるヒマラヤは、登頂の可能性がぐっと上がる。
費用もエクアドルの方がアグレッシブだった。US$300ドル/日で、アンティサナとイリニサでの高度順応を含む15日間。ネパールは、ルクラまでのチケットと登山許可を差し引くとUS$100プラス/日。これにはポータの費用も含まれる。 -
2日目 11月14日
Initiation
カトマンズは、相変わらずホコリとカオスで充満していた。竹内洋岳さんが、ヒマヤラの登山はカトマンズからの順応から始まると、彼の本に書いていたのを思い出す。
これからメラに登ろうとする私よりもずっと早く歩くネパール人たち。ハンカチで口を塞ぎ、車とバイクと、人にひかれそうなりながら歩く。 -
3日目 11月15日
三人のシェルパ
現地のエージェントに頼んでいたメラピークの登山許可証が出来てきたが、知らないアジア人の写真が添付されている。理由は、私の写真がなかったため、だそうだ。パスポートサイズの写真を撮りに行き、知らないアジア人の写真を剥がして私の写真にはりかえた。これは文書捏造ではないか。知らないアジア人の写真は、20歳くらいの若いかわいい女の子だったので、許してあげよう。
これから15日間、寝食を共にするラクパ(向かって右)と嫁の弟、ニマと、ラクパジュニアのダワ。ダワは家で、お母さんがネズミに引かれていかないように家を守る。 -
4日目 11月16日
ヒマラヤで一番悲しい生き物
朝一番のツインオッターに搭乗する。ボロいSITA AIRだったが、三度目となるともう怖くはない。ベテランぶって右側後方席に座り、初めての人たちに景色のいい左側の座席を譲る。テンジンンヒラリー空港で、ラクパとニマに会う。ラクパは英語が上手い。
ルクラからは、EBCとは反対方向、ジリやパブロ方面に、ホコリとロバのキャラバンと、あやまって踏んでしまうと、靴底から嫌な感触が伝わってくるその落し物をよけながら街道を下がっていく。
ヒマヤラでロバほど悲しいものはない。ジリからも、だらだらと上がってくるトレッカー達。この人たちも疲れたロバのようだ。
初日に27キロも歩かされ、足の裏の皮がむけそうだ。 -
5日目 11月17日
地獄の沙汰も金次第
ジリ方面の汚れた街道を左にはずれ、空気の澄んだシェルパ道に入る。20キロ歩いて今夜の宿泊場所であるパンゴンに到着した。裏山のてっぺんにある寺では、来年の5月に12年に一度の大法要があり、僧侶数百人が集結するそうだ。ロッジのおかみさんが、ニコニコして勧進を求めてくる。ニマの分とあわせて1000ルピー寄付すると、カターの反物を2人分きりわけ首にかけてくれた。ラクパは地元なので、すでに寄進は済ませているらしい。寄進証明書を自慢げに見せてくる。25,555ルピーも寄付していた。ぞろ目はラッキーナンバーだ。次世で、ロバになって生まれてこないようにと、寺にお金をつぎこむラクパだった 笑。
寺までの長い坂を誰が一番先に登れるか競争した。ニマが圧倒的に早かった。寺には、なぜか2人の幼いお坊様しかいない。寺の本堂に、ちょうどよい具合で西日が差し込み、幼いお坊様たちをふんわりとつつみこみ、なんともかわいらしい様子だった。
その夜、ウイスキーをニマに飲ませたら鼻血を出した。ニマは自分は25歳と言っていたが、後になって実は18歳であることを自白する(がその後フェスブックのプロファイルでは16歳となっていた 笑)。ガタイはいいが、たしかに25歳にしては幼い。寺までの坂で、16歳に勝てる訳はなかった。ちなみにネパールでは未成年というカテゴリがないため、ウイスキーを飲ませた私に罪は問われない。この2人は酒が好きで、標高5000メートルを超えるまで、私の支払いでよく酒を飲んだ。 -
6日目 11月18日
バケツシャワーで洗う三つの「あ」
18キロ歩いて、ニンソーに到着した。ここで「バケツシャワー」という昭和のなつかいし方法で髪を洗った。バケツに張ったお湯を頭にかけてもらって、石鹸で髪をあらう。昔シャワーがない時代にお母さんにエメロンシャンプーでやってもらったのと一緒だ。洗ったあと、髪がごわごわになるので、石鹸で髪を洗ってはだめだ。ひとつ学んだ。
ロッジのクルングライ族のお姉さんがお酒のおつまみにと、プジャ(シェルパの法事)のおすそ分け(ツゥア)を振舞ってくれた。ラクパは、ロキシーにハチミツを入れて飲むのが好きな甘党だ。アジアで飲まれる酒は、大体味も香りもなく不味い。アルコール度数が高いだけの究極のパーティドリンクだ。
ツッアのかけらを「マニペメフム」といって中に投げ、幸運を祈ってから口に入れる。昨日パンゴンの寺に、幼いお坊様しかいなかったのは、このプジャに僧侶全員出払ってしまったからだった。
茶色いのは、ツァンパとナックバターでねったお団子。ナックはヤクのメスのこと。ヤクバターというと、ヤク(オス)は乳を出さない、と鋭く指摘してくるラクパ。 -
1時間ほど上がったところから見たニンソーのロッジ。周りに何もありません。
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この日、初めてメラピークが目前に現れました。左側の3つの凸凹がある白い山です。この頃、まだ白い私の顔も、そのあと、だんだん黒くなっていくのでした。
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プジャに呼ばれたパンゴンの僧侶たちとメラピーク。お昼に立ち寄った、シブジェからの見えたメラ。まだ遥か彼方にありますが、確実に近くなっています。
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新月の満天の星が美しかったです。
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7日目 11月19日
Wild Wild West
この辺りには、レッサーパンダ、ベンガル虎やブラックベアーが生息するそうだ。ベンガル虎の糞は、消化できない動物の毛の塊だった。まるで猫が時々吐く毛玉だが、私の足(24センチ 笑)ほど長い。
この二日間、人と一度もすれ違っていない。すれ違ったのは、黒い顔をし、シルバーの毛をまとった霊長類のハヌマンラングールと、マウンテンゴートだけだった。今日は25キロ歩いた。
夜、部屋に戻る時、寒いからという口実をつかって、ラクパに布団をもたせて一緒に部屋まできてもらった。一人で歩いて離れの部屋に戻るのが怖かった。ヘッドランプをつけていれば熊も、トラも人には近寄らないと言われたが、夜中、トイレに行きたいのを我慢した。
ベットに入ると、頭のあたりで「がざがさ」と音がする。心のなかで「ギャーーー」と叫んで飛び起きたが、Life of Piじゃないんだから、ベンガル虎が私の耳元でガサガサ音を立てるはずはない。朝起きると、かじられたチューインガムが落ちていた。 -
この辺りの道は、5年ほど前に作られたメラ登山専用道。シェルパ道ではないので、卒都婆もオーマニペメフヌ石のモニュメントもありません。谷の中腹には、写真のような急な石階段が作られています。ラクパは、グループを引率する場合、ここにもロープをかけるそうです。そこを、ここのロッジの若い奥さんは竹で編んだ背負いかごに子供を収め、頭で担いで渡ってくるそうです。子供が動いたらどうするの?と聞くと、子供は動かない、と答えが返ってきました。
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私の部屋です。笑ってしまうほど粗末でした。
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夜行けなかったトイレ。足を踏み外しても、怖いです。
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キッチン、食堂兼家族の生活場所。水道、ガス、電気はありません。
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家族と一緒に夕食をいただきます。ここで初めてシェルパが好んで使う「エルマン」という香辛料(山椒)の味見をしました。麻婆豆腐が大好物の私は、この香辛料を気に入りこの先あらゆるものにエルマンをかけて食べました。私がエルマンをかける度に、周囲は私の手元をジーと見つめ、そんなにかけて大丈夫だろうか、のような様子をします 笑。高山病にも効くといわれるエルマンのおかげで、元気でいられたのかもしれません。
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8日目 11月20日
I drink and I know things
コーテまでの道のりは、風景に変化がある。ここまで、苦しくなることもなく、景色を楽しむ余裕もあり、お腹の調子もよく、よく眠れている。高度順応もうまくいっている。
今日は22キロ歩いた。Fitbitから「おめでとうございます。階段370階達成です!」とメッセージが送られてくる。バァージュカリファを2度駆け上がったのと一緒だ 笑。
お昼で立ち寄った、タシオンマで景気付けにチャンを飲む。ニマは、4杯も飲んでいる。シェルパは、疲労回復のため酒を飲むらしい。ルクラあたりで下から水牛の肉の塊を運んでくるポータ達からは、すれ違い際にアルコールの匂いがした。
夜は、トンブルを飲む。お湯を注ぎ、アルコールを煮出すお茶のような酒だ。腐ったフルーツ(もしくはヤクルト系)にマッサラを混ぜたような味で、泥水のような色をしている。見た目は悪いが、体にはきっと良い。ラクパは、これを飲むと太ると言った。
ここの夜は寒かった。川からの冷気が上がってきて、寝袋の中の体が冷えた。 -
娘さんよくきーけよ、山男にはホレルーナーヨ。
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長い坂を下って、コーテの村が見えてきました。雲がかかっているところメラが大きく見えるはず。
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9日目 11月21日
晴れ男
この日は、洗濯をしたり、ラマロッジのおかみさんのカンディとお茶をしてゆっくり過ごす。
ルクラからずっと、ロッジには私たちしか泊まっていなかった。メラ方面はシーズンも終りに近づき閑散としている。しかし夕方ロッジにお客さんたちがやって来た。メラから下ってきた心さんたちの御一行だ。真っ黒に日焼けして、髪もピンピン跳ねていて、見たことはないが、戦後ルバング島で発見された日本人のようだった。私もこんなに日焼けしてしまうのかと心配になる。
心さんは、登山シーズン中は山小屋で働き、冬場はスキー場でインストラクターをしている。現代版、植村直巳か 笑。彼のグループは、夜中アッセンドに挑んだが、強風のためやもなく引き返し、朝になって再トライ、ハイキャンプから2.5時間でメラ登頂を果たしたそうである。来年、一緒にアイランドピークに登りましょうなどと軽く約束をしたが、(後で知ることになるのだが)私と彼のレベルの違いは天と地、月とすっぽんくらいあった。お父様の形見の登山靴を履いていた。
哲学的yet軽口で、深妙かつ不謹慎な話をする、面白い人だった。さてお開きにしましょうということろで、心さんが、私にカラビナを手渡してくれた。晴れ男の心さんから、登頂日が晴れるようにいうお守だ。山を愛する男は、さりげなくかっこいい。 -
オバハンは川の水で洗濯。
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塩昆布的シャツを洗います 笑。
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ニマちゃんは、芝刈りに。夕方から火がはいるストーブの薪を割ってくれています。16歳えらいぞ!
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健康アルコール飲料のトンブル。
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10日目 11月22日
パサンとおばあちゃん
タグナまでの道のりでは、氷河のメララが見えてくる。もうそろそろだな、としみじみと思う。今日の走行距離、17キロ。
英語が上手なラクピとパサンがやっているメラゲストハウスにお世話になる。三浦 雄一郎さんや野口健さんは高度順応でメラに来たらしい。その時こちらのゲストハウスに泊まった。三浦さんは豪快な大食漢で、食堂の薪ストーブの上で、肉を焼いて食べたそうだ。
ここのおかみさんのパサンはとても優しい人だった。夕食の前にお芋を出してくれて、皮を剥いて、私にお芋を手渡してくれる。私が小さい頃、おばあちゃんも同じことをした。熱々のお芋の皮をむいてくれて、私の口にポーンと放り込む。
夕食のあと、カトマンズで大学生をしている3人のお嬢さんとFacebookでおしゃべりするパサン。今日は、日本からお客さんが来たとか、今晩の夕食はなんだったとか話してるようだ。アメリカでは、Facebookは、Fake Bookへと変貌したが、ここでは大切な家族をつなげるツールとして使われている。 -
タグナでは、十二月になると、朝日が出ても山の影に一旦隠れるので、二度朝日を拝むことができます。まるでTatooineではないか 笑。
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高度4000メートルで育つお芋は、小ぶりですが、栗のように甘かったです。ディンボチェで食べたお芋も甘かったけど、ここのは格別美味しかったので、ぜひ試してみてください。
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タグナの集落は、三角形をしています。1998年氷河の滑落によって、上の堰止湖が決壊、石岩が集落におし流され現在のような形になったそうです。ラクピによると、上からの石岩が激しく衝突し、水中でも火花がひらめき、あたり一面煙と水蒸気で包まれたそうです。幸い誰も亡くなっていません。
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その崩れた堰止湖です。
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11日目 11月23日
Living my bucket list やるべきこと
カーレーへ向かう。15キロ。ハイキャンプ前の最終地点だ。メラセントラルの三角形のポッチも見えてきた。あそこへアッセンダーを使って登るのか。想像していただけのが現実味を帯びて来る。よし、やってやろうじゃない。
メラのノースフェイスは、荒削りされた厳格な面構えをしていた。 -
12日目 11月24日
食べたいもの
カーレーの裏山に高度順応で登る。11キロ。山のテッペンについたところで、左側に折れて、グレーシャーの方にすこし歩くと、そこからハイキャンプ(HC)とメラセントラル(MC)がくっきり見えた。
ニマにメラに一緒に登ってみる?と聞くとうんと言う。ニマは、まだ一度もベースキャンプから上へには行ったことがない。ニマは今年ダウラギリエクスペディションで韓国隊のクックとして50日近くも4800メートルのべースキャンプで働いた。彼のクライミングギアーをロッジで借りた。プラスチックブーツ、ハーネス、アイスアックス、グローブ、クランポンと全ぶボロい。私のウールの靴下をあげたが、たぶん彼の足のサイズは30センチ位ある。
夕方、ハイキャンプに必要なものだけをダッフルバックに詰め直す。ここまで食べずに取っておいた、大好物のピーカンの砂糖ずけ(プラリン)をダッフルバックにしまった。ラクパにハイキャンプで何を食べたいかと聞かれ、Sushiが食べたい、と冗談でいったら、Sushiとはなにかと聞かれた。なんでもいいよ、と答える。 -
13日目 11月25日
やったもん勝ち
カーレーからメララまでは、岩場のゴロゴロした所を歩く。落石もあるので、さっさと歩けとラクパにせかされる。
メララの氷河の取っ付きは、溶けて滑りやすくなっているが、ラクパがスパイクで大丈夫だと言う。滑りやすいところは、ウォーキングポールを差し出したその先をラクパがぐんと引っぱってくれる。
ハイキャンプへのゆるやかな登りも、快調で苦しくはなかった。むしろ楽しかった。途中、ゆでたまごと、ラクパが入れてくれた「強い子のミロ」みたいな麦芽飲料をのむ。
カーレーから3時間でハイキャンプに到着した。キャンプには、後からイタリア人とアメリカ人のグループが到着した。テンジンノーゲイと同じ型のグレーシャーグラスをかけたイタリア人は、持参したジェットボイルでラビオリ茹でる。真空パックからだされたパーメジャンをからめて出来上がり。見た目は、シェルパシチューだが 笑、本番のイタリアンでおいしい。アラスカ州でガイドをしているアメリカ人はアコンカグアやデナリでのスキー滑走の話をしてくれた。まだ行ったことのない山に想いを馳せる。日が暮れる前まで、ずっと山をみつめた。
人生どう転ぶか最後の最後までわからない。富士山しか登ったことがない私が、去年のちょうど今頃、思い立ったが吉日でエベレスト街道を歩き、今日、また緊迫感を覚えるほど、途轍もなく美しい場所に立っている。人生絶対やったもん勝ちである。
今日の移動距離17キロ。高度5700メートルに到着した。この頃、明朝のアッセンドに99%自信があった。4時間で登頂できるだろうとうことで、朝の4時出に決める。 -
メララ。
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ハイキャンプまでの緩やかな登り。この頃は余裕のよっちゃんでした。ただいま、日焼け中。
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ハイキャンプで遊ぶ。
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氷河を溶かしてお湯を沸かします。でっかいヤカンです 笑。
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すぐ下は氷河地帯。落ちたら一生 笑、発見されないと思います。遠くに見えるのは、マカルーとカンチェンジュンガです。
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14日目 11月26日
Waxing Gibbous
日が完全に落ちる5時半には、寒くなるので寝袋にもぐりこむ。テントの中は、ほのかに明るかった。天井に小さな穴が一つ空いていて、そこから外がもっと明るいのがわかった。月がでているのだ。明るいのに、月のせいで闇がよけいに深く感じる。
遠くでパンと弾ける音がして、雪崩の音が響く。近くでは、カランという氷が割れる乾いた音と、サーと雪が滑り落ちる音。風が時折強くなってきて、テントがパタパタと大きく揺れる。斜めに立てられたテントに横たわる私の体は、エアーマットレスと一緒に次第に崖側に滑っていく。時々芋虫のように体をよじって体を定位置に収める。
登山用品リストに、「ピーファネル/pee funnel」というものがあった。冗談でしょと、笑って買わなかったことを後悔した。寝袋から出て、靴を履き、テントから這い出し、崖をつたってトイレにたどり着くには、獅子奮迅して挑まなくてはならなかった。トイレだと、とラクパが指をさした場所は、何かにつかまらないとないと不安になるような崖の下だった。
昼間の山への尊崇が、夜になると恐怖に変化した。雪崩と、風の音におびえながら、トイレ事情も、動くマットレスも、息がかかるところがべったりする寝袋も、がさがさの唇も、凍える足の指も、なにもかもが嫌になる。テントの天井を見つめながら、自分のベットルームに鎮座する完璧なプラッシュベットを思った。今晩生き伸びることができたら、もうこんなところへは絶対こない。
朝の3時にラクパが、おかゆを持ってきた。寝てはいなかった。着替えるためにガソリン臭いキッチンテントへ向かうが、それだけで息が絶え絶えになった。今日はダメだと思う。
ラクパにハーネスと靴を履かせてもらう。ハーネスのベルトの部分がよじれて直したいのだが、それも自分でできない。情けない。アックスの柄の尖が氷に刺さるのを数えながら歩く。自分に無性に腹がたってくる。
1時に出発したアメリカ人とイタリア人のグループがすでに登頂して降りてくるのが見えた。彼らが撒き散らす、雪と氷の粒が上から落ちてきて顔に当たり痛い。イタリア人は、2人のシェルパに両脇をかつがれておりてきた。クランポンの先を氷に打ち続けて、指を痛めたそうだ。
3時45分に出発、8時20分にはテントに戻ってきてしまった。自分を奮い立たせるために、騒いたり、怒鳴ったりしても、足だけがそこからどうしても動かなかった。一向に前に進めない私を、ロープの前後で、寒さと強風の中、修行僧のように辛抱強く待つ二人のシェルパが気の毒に思えた。でも、それとは反対にひっくり返った亀のごとくジタバタしている私の姿に同情していたかもしれない。あるいは、なんでこんな簡単なことができないのか、と疑問に思ったかもしれない。6200メートルのサウスメラ地点、ライオンのように吠え続けた4 letter wordsが、負け犬のような小さな泣き声に変わったころで、引き返すことにした。
10日もかけてここまできたのに、終りはあっけない。9時半にラクパが、暖かいヌードルと暖めたオレンジジュースを私のテントまで持ってきてくれた。ありがたいと思った。
昨日までこれも鍛錬だと思い、すこしでも早くと頑張って歩いてきたが、すべて終わってしまった今、カーレーまでだらしなく、酔っ払いのように歩いた。平坦な道で何度もこけそうになる。
走行距離20キロ。寒さで電池がなくなったので、正確ではない。
https://www.youtube.com/watch?v=OyAggRnSau8&sns=em -
西側にあった大きなクレバス。
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15日目 11月27日
片思い
昨晩考え抜いた。なぜ登れなかったのだろう。テントの中で恐ろしくなったこと、里心がついてしまったことが理由でないか。精神力、胆力のなさは、思考の切り替えで克服できるのではないか、それともフィジカルと一緒で鍛錬が必要なのか。長いこと生きていて、そんなことも分らない自分が情けない。
明朝ラクパにもう一度ハイキャンプに戻りたいと申し出た。ラクパは、高山病でもなく、寒さに凍えることもないのに登れなかった。10回も You can do it(実際は、5回くらいしか言われてないけど 笑)、と言ったのに止めてしまったじゃないか。また行っても同じだ、と言う答えが返ってきた。
涙があふれてくる私の顔を見て、ロッジのおかみさんは「まぁ、そんなことで泣くのかい、この娘さんは」とでも言っているかのように、甲高に笑いながら私のコーヒーをつぎ足してくれた。
部屋に戻って荷物をまとめていると、ラクパがいそいそと入ってきた。250ドル払えば、もう一度ハイキャンプに戻ってもいいと言う。さっき、もっともらしいこと言って、私を説得したばかりじゃないか。舌の根も乾かぬうちに、なんだこいつ。
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途中タグナでラクピとパサンのロッジに寄ったが、パサンは下の集落まで薪を買いに出かけて不在だった。パサンに慰めてほしかった。
コーテに到着。行きは開いていたロッジももう閉めてしまったところが多かった。登山シーズンも終わりを迎える。私の挑戦も終わった。
走行距離19キロ。 -
上はダウンを着ていても、なぜかいつも裸足の私たち。裸足族。
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16日目 11月28日
樹霜
ツリカカまでの道のりは体の芯から冷えた。湿度が高いせいだ。雪もちらほら降ってきた。途中タシオンマで昼食をとる予定が、ロッジはすべて閉まっていた。閉まっているロッジの裏の石段で私はビスケットを食べ、ラクパはララヌードルの乾燥麺をトレイルミックスのように食べた。先に行ったニマはお昼も食べずどうしてるだろうか。道によく、ララヌードルの袋のゴミが落ちているのはこのせいか、と納得する。
電池切れで距離測定不可能。 -
ロッジの様子です。他にお客がいないので、キッチンに居座ります。
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17日目 11月29日
難関
ツリカカからザトワパスを越えてルクラに下る。400メートル上がって、1800メートルを一気に下る。ザトワパスにはこの時期、雪と氷がついて危ない。
一つ目の峠には、雪はついてなかった。先に行ったニマが2つ目の峠の手前で、昼寝をしながら私たちを待っている。ということは、2つ目の峠は雪とアイスか。アイスは登山の難度を全く違うレベルに押し上げる。
ラクパは、スパイクで行けるという。私はお尻で滑って行ったほうが安全だ、と言い張る 笑。私のバックパックにロープを結んで、私が先頭で下ることになったが、腰が引けてしょうがない。スキーのダウンヒルならこのくらいの角度は大丈夫だろう。でもここは突き出る岩とアイスバーン。ラクパに岩の上を歩けと言われ、一歩一歩を確認しながら、恐る恐る下る。
電池切れで距離測定不可能。 -
マウンテンゴートと見間違えるニマ。
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ここを降りるの。
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上から眺める。雲もかかってる。
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下から峠を眺める。右側端のタルチョが小さく見えるところから下ってきました。
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18日目 11月30日
波乗りトミー
ルクラで、トミーのオッさんと再開。この時期にトミーもヒマラヤに来るのを知っていたが、まさか会えるとは思っていなかった。去年もこの人とヒマヤラで会っている、私の運命の人だ 笑。
バリから来るクライミングパートナーの到着がアグン山噴火ので遅れ、暇な上、時差ボケのトミーの朝は早い。朝の4時にメールを送ってくる。私の(シカゴからの)時差は12時間で、大変だったと言うと、日本からの時差(4時間)の方が中途半端でもっと大変だと、言い張る。
サーフィンもやるトミーは、海に行くと、周囲にチャラいと言われるが、山に行くと、尊敬の念で見られるらしい。サーフィンも山登りと同様、タフなスポーツだそうだ。トミーのサーフィンの技量は山に換算すると7000-8000級だと、私にも分りやすく説明してくれる 笑。
メラ方面に散歩に行く。去年、お前には山の歩き方を教えてやったな、一回り成長したな、などと偉そうに言うが、こいつは私より5つも年下だ。オバハンと私のことを呼べる唯一の男。メラに登頂できなかったことについても、けちょんけちょんにバカにされる。
でも、こいつとはいつか一緒に山に登れたらいい。 -
川で水を飲むハヌマンラングール。
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ランチのモモ。ブラックティーを頼むと、持参のサーモスを何気なくとりだし、何度も継ぎ足し、すでに現地化してるトミー。
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19日目 12月01日
再会
今日はおっさんとルクラを下りジリ方面に歩くことにした。サマルガータ方面の許可は取ってないからナムチェ方向には上がれない。下るばかりで高度順応できないやんと文句を言われる。
飛行場を通過したところで、知ってる顔が。タグナのパサンだ!彼女の家はルクラにあると言っていたのを思い出した。コーヒをご馳走になり、夜ご飯の約束をする。
おっさんと2時間ほど下った後、おやつを食べてまたルクラに2時間かけて上がる。おっさんは、英語を話さない。すれ違うネパール人に、ヤァとか、オッスとか、コンチハーとか、坊主元気かーなどと適当なことを言っている。登りになと、この坂は、パンボチェの坂くらいきついーだの、ザットワパスにかけて、チョットャパスやーなどとふざけたことを言ってゲラゲラ笑っている。
この人のガーという痰の出し方は、原住民のそれより上手かった 笑。
夜は、パサンとタグナから戻ってきたラクピと夕食をともにした。パサンのチキンカレーは薄味で私好みだ。ロッジでは、お客さん用にスパイスを効かせているが、これが本来のシェルパの味つけなのだと言う。カレーというよりは塩味の煮物だった。ラクピは、今朝9時半にタグナを出て、5時半にはルクラに到着している。二日半かかる行定を1日で? よく聞くけば、ザトワパスを迂回する近道があるそうだ。 -
20日目 12月02日
エベレストビールは、バンケットビールの味
カトマンズに朝一番で戻る。別のパサンとその友人達のディナーに招待してもらう。チュリンは女優のたまご。サラスワティはロック歌手。彼女達のボーイフレンドは、それぞれDJと歌手。シェルパの「業界」の人たちが勢ぞろいした。
エベレストビールを死ぬほど飲む。 -
21日目 12月03日
葬式と婚約式
午前中は、友人のテンジラクパのお父様のプジャに参列させてもらう。お父様の遺影が祭ってある祭壇にカターをお供えする。8人のラマ僧がお経をあげ、外では蝋燭に火をいれ、屋上では遺骨を混ぜた粘土で小さなストゥーパを型に抜く。ストゥーパの底に、お米をつけるのは生と死のリマークである。
午後からは、ブーアンさんの親戚の婚約式に参加させてもらった。ブーアンさんは、トミーの友達で去年のネパール旅行で知り合った。結婚式のように盛大で、女性たちは思いっきりお洒落をしている。私は山の格好で気後れする 笑。
アピタイザーが次から次へと出され、飲み物が次々と運ばれる。赤ワインと白ワインをいただいたが、赤はシェリーのように甘く、白はアイスワインのように濃かった。
ティカを額につけてもらうと、赤い封筒が渡された。これにご祝儀を入れるのかなと思ったら、反対にお金が入っていた。ゲストにお小遣いが渡されるのだ。 -
フィアンセのデイジー。才色兼備。
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一緒のテーブルだった19歳の女の子。韓流が好きだそう。
みんな英語を話します。 -
22日目 12月04日
チャイの親子
今日は、カトマンズの街を闊歩する。
ブリクティマンダップ。歩いた感じから、1、2キロありそうな、ダンジェンのような不法マーケットだ。買いたいものはないけど、怪しい雰囲気がいい。外国人はだれもいなかった。
ネパール人のショッピングエリア、ニューロードへ。タメルよりずっとエクゾチック。Get Lossするには、格好の場所だ。ここに潜伏したらぜったいみつからないだろう。
ニューロードからダルバール広場の方に抜ける道の途中で、去年も立ち寄ったチャイのスタンドとそこの親子を探して見る。いるいる!英語はわかるお客さんの姉妹がいたので「去年もきたんだけど、覚えてる?」と聞くとお母さんは頷く。「娘さんはどこ?」と聞いている間に、曲がり角からひょっこり彼女が出てきた。
その姉妹からチキンモモをもらった。食堂で間違って余分にオーダーしてしまったらしい。夜ご飯にしたらいいのに?と言っても、美味しいから食べてみて!と言って私に進める。
その夜、もらったモモをホテルの部屋で食べた。後々不思議に思うのだが、行き通りの人からもらった食べ物を口にするなんて、普通絶対しない。この時はそんなことも考えなかった。姉妹が言った通りとても美味しいモモだった。 -
カトマンズでは、選挙の真っ最中。
マオイスト(毛派共産党)支持する人たち。ヒマヤラでも少し前に、マオイストが周辺を占領、外国人から入山料を徴収していた時期もあったようです。なぜ、マオイストを支持するの?と聞くと、「中国はすごい、貧しさから脱却するため」のようなことを言っていたと思います(英語よく理解できず)。 -
お芋できたシューに、と辛いお酢を入れて食べるおやつ。名付けてシューポムドテーァ。なんちゃって。
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マーケット裏の集合住宅。
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お隣のカーリー神をお祭りしている寺では、大勢のカップルが結婚式を挙げていました。お祝いをあげると喜んで、額が重く感じる程、大量のお米のティカをつけてくれました。後でティカが額で崩落、顔全体、手、カメラ、バック全て真っ赤になって困りました。
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ニューロードで、貴婦人たちのネックレスを作るイスラムの青年。このネックレスは、既婚の女性だけが身につけるそうです。
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危ないなぁ。
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ネパールの楽器サーランギ。
弾かせてもらいましたが、弦を右と左に引くだけで吃音を奏でただけ。 -
23日目 12月05日
山のあなたの空遠く
早起きして、ブーアンさんが通うヨガのクラスについていった。朝の市内の空気は、比較的澄んでいる。プラクティスの前のウオーミングアップ、心拍数がなぜか一気に137まで上昇し焦る。サンサルテーションを12回行い、呼吸法と笑いヨガに移る。笑いヨガは初めてだったが、周りはうそ笑いなので、私だけ本気で笑った。ブーアンさん宅で、おいしいコーヒーとパンの朝食をいただき、息子たちと屋上でチェスをしたりして遊ぶ。お昼のダルバートをいただいてからホテルに戻った。
ホテルに戻ると、エージェントが、NMAからメラピークの登頂証明書が出たと言う。はぁ?
飛行場行きのタクシーの中で、どうしたものだと悩む。返上しようか、焼いてしまおうか、食べてしまおうか。それとも再度トライして、登頂証明を本物にしてしおうか。でも私は悪いことをしていない。
夜9時発のアブダビ行きの飛行機は、アメリカ人の学生たちでごった返していた。誰それさんと座りたいから、あなたはあっちで、私はこっち、などと友達同士で席替えをしている。修学旅行みたいで楽しいだろうな。皆それぞれ、ネパール風、チベット風の衣装をまとい、ちょっとした異邦人を気取っている。30年前にネパールを訪れた時には、彼らと同様、私もうす汚れたインド風のスカーフを首に巻いたり、頭に巻いたりしてきめていた。今日の私は、トレッキングパンツにメリノのベースレイヤー、それにダウンジャケットという出で立ちだ。よその国の民族衣装をむやみに着て喜ぶ歳でももうない。
23時間後には、シカゴに到着する。旦那さんが車で迎えにきてくれる。今はただ、熱いお風呂に浸かって、ふかふかのベットでストレッチして、猫パンチが返ってくるまで猫のお腹をくすぐりたい。
カールブッセの詩が遠くで聞こえてくる。 -
“It is not the mountain we conquer, but ourselves.”
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この旅行記へのコメント (2)
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- ほいみさん 2017/12/12 13:20:14
- 男には、二言も三言もあるで~
- メラピーク、惜しかったですね。トレッキングから一歩進もうとすると大変なことが、写真や文章から伝わってきます。もう一回チャレンジすれば良かったのに~・・って無責任に思っちゃいました。私はそんなに大変な登山はしたことがありませんが、それでも途中で諦めちゃうと、空気が濃く?なってから凄く後悔しちゃいます。空気が薄いと精神力も蝕まれるようです。
寒いテントの中にいると、あ~ちょっと家に帰って温かい風呂に入りたいなぁって思いますね。写真見てたら、ヒマラヤトレッキング(簡単なやつね)に行きたくなったなぁ。
次回は、アイランドピークですか?
- plastic_treesさん からの返信 2017/12/13 01:15:08
- Re: 男には、二言も三言もあるで~
- haha たぶん本心は、戻りたくはなかったのかもしれないですね。ガイドにもっともらしいことを言わさせ、自分を納得させたかったというか。女は計算高いんです笑。あと、たぶん、クライミングガイドも、若すぎて、優しすぎたのかもしれません。お尻くらいたたかれて、登るまで帰さん!と怒鳴られてもよかったかも 笑。
そうですね、アルティチュードは最初が一番大変で、2度目は体がちゃんと覚えている、と今年マナスルを登頂した知り合いが言ってました。
今は、山に登る気はさらさらないのですが、1,2回ビーチバケーション後、きっとまた登りたいと思ってくるはず。女に二言はないので、やり残した"登頂”を果たさないとね!
今晩うちの辺りは、ー10度まで冷え込むですが、テントで一晩すごして精神を鍛えたいとと思っています(冗談です)。
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