東山温泉旅行記(ブログ) 一覧に戻る
孫旅はそれはそれでとってもいいんだけど、<br />それだけでは私の知的好奇心なるものは満足してくれません。<br />だからもう一個、自分らのための温泉旅行を、<br />8月8日から企画しておきました。<br /><br />当初、日光あたりを考えていたのですが、東照宮の陽明門はまだ修築中。<br />なので、ついでに行こうと思っていた「会津」を今回はメインにしてみました。<br />とはいえ会津って「鶴ヶ城」だけじゃん・・・<br />ウム待てよぉ、「白虎隊」がいるじゃん!!<br />これだけで歴史話のご飯は何杯でもおかわりできるっ!!(笑)<br /><br />昨年は山口県「萩」に行き、長州・新政府軍の立場で幕末を見てきたので、<br />今年は「会津」が賊徒とされた歴史に、注目してみようと思います。<br />何にも考えてないようで、実に計画されていますでしょ。<br />単なる偶然ではありません。(←実はタマタマ・・・)<br /><br />さぁ、初福島・・・会津旅へいざ出発です。

ならぬことはならぬものです vol.1 ~ 2016 会津 ~

34いいね!

2016/08/08 - 2016/08/10

16位(同エリア126件中)

8

82

ねいちゃ

ねいちゃさん

孫旅はそれはそれでとってもいいんだけど、
それだけでは私の知的好奇心なるものは満足してくれません。
だからもう一個、自分らのための温泉旅行を、
8月8日から企画しておきました。

当初、日光あたりを考えていたのですが、東照宮の陽明門はまだ修築中。
なので、ついでに行こうと思っていた「会津」を今回はメインにしてみました。
とはいえ会津って「鶴ヶ城」だけじゃん・・・
ウム待てよぉ、「白虎隊」がいるじゃん!!
これだけで歴史話のご飯は何杯でもおかわりできるっ!!(笑)

昨年は山口県「萩」に行き、長州・新政府軍の立場で幕末を見てきたので、
今年は「会津」が賊徒とされた歴史に、注目してみようと思います。
何にも考えてないようで、実に計画されていますでしょ。
単なる偶然ではありません。(←実はタマタマ・・・)

さぁ、初福島・・・会津旅へいざ出発です。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
レンタカー ANAグループ
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 新幹線も考えたんだけど、飛行機の方が断然早いし、<br />早割だったらそんなに変わらへんし・・・。<br /><br />しかし・・・いつものことながらMKスカイゲイトシャトルの朝は早い。<br />4時起床→5時5分出発→6時15分空港着・・・3時間しか寝てないぞ〜。<br /><br />おぉ、さすが夏休みだ、手荷物検査場で長蛇の列・・・・・。

    新幹線も考えたんだけど、飛行機の方が断然早いし、
    早割だったらそんなに変わらへんし・・・。

    しかし・・・いつものことながらMKスカイゲイトシャトルの朝は早い。
    4時起床→5時5分出発→6時15分空港着・・・3時間しか寝てないぞ〜。

    おぉ、さすが夏休みだ、手荷物検査場で長蛇の列・・・・・。

  • ものの50分で福島到着。うむ??<br /><br />手荷物を取り出すコンベアカーの上に・・・<br /><br />「ありがとうを ほんとの空が ある福島から」<br /><br />う〜む、なんか奥が深いぞ・・・やるな福島。

    ものの50分で福島到着。うむ??

    手荷物を取り出すコンベアカーの上に・・・

    「ありがとうを ほんとの空が ある福島から」

    う〜む、なんか奥が深いぞ・・・やるな福島。

    福島空港 空港

  • どっかの国の首相は、東京五輪誘致の際、<br />原発事故は完全にコントロールしていると豪語しておられたが、<br />ホントに日々頑張ってるこういう福島の人々の姿あってこそ。<br /><br />こうゆう姿こそが一番大事やね〜。

    どっかの国の首相は、東京五輪誘致の際、
    原発事故は完全にコントロールしていると豪語しておられたが、
    ホントに日々頑張ってるこういう福島の人々の姿あってこそ。

    こうゆう姿こそが一番大事やね〜。

  • 空港でレンタカー借りて、さぁとりあえず裏磐梯へ。<br /><br />裏磐梯とか五色沼とかよく聞くけど、<br />表磐梯すら知らない福島初心者なんで、どれが磐梯山なん??<br />あの火山みたいに見えてるやつ??

    空港でレンタカー借りて、さぁとりあえず裏磐梯へ。

    裏磐梯とか五色沼とかよく聞くけど、
    表磐梯すら知らない福島初心者なんで、どれが磐梯山なん??
    あの火山みたいに見えてるやつ??

    裏磐梯ビジターセンター 名所・史跡

  • 五色沼湖沼群<br /><br />五色沼は、毘沙門沼、赤沼、みどろ沼、弁天沼、瑠璃沼、青沼などのいくつかの沼で構成されていて、エメラルドグリーンやコバルトブルーに輝く水面は神秘的だそう。<br /><br />もっともよく晴れた日ならば・・・なんでしょうが、この日は台風が太平洋を北上中。<br />九州の時のように直撃は受けてませんが、どんよりと雲が・・・。<br />

    五色沼湖沼群

    五色沼は、毘沙門沼、赤沼、みどろ沼、弁天沼、瑠璃沼、青沼などのいくつかの沼で構成されていて、エメラルドグリーンやコバルトブルーに輝く水面は神秘的だそう。

    もっともよく晴れた日ならば・・・なんでしょうが、この日は台風が太平洋を北上中。
    九州の時のように直撃は受けてませんが、どんよりと雲が・・・。

    毘沙門沼 自然・景勝地

  • 毘沙門沼<br /><br />やっぱりあの火山壁が裏磐梯だそうな。<br />それにしても、平日の月曜なのに、観光客が一杯いるぞ。<br />ほぉ、人気のスポットだったんだ!<br /><br />どうも歴史が絡まないとホント疎い。<br />ここも折角通りがかったんだから、ちょっと見てみる?程度で申し訳ない。

    毘沙門沼

    やっぱりあの火山壁が裏磐梯だそうな。
    それにしても、平日の月曜なのに、観光客が一杯いるぞ。
    ほぉ、人気のスポットだったんだ!

    どうも歴史が絡まないとホント疎い。
    ここも折角通りがかったんだから、ちょっと見てみる?程度で申し訳ない。

  • ほほぉ〜、綺麗じゃん!<br />

    ほほぉ〜、綺麗じゃん!

  • エメラルドグリーンか・・・よくわかんないなぁ。

    イチオシ

    エメラルドグリーンか・・・よくわかんないなぁ。

  • 青緑色に光る五色沼最大の毘沙門沼からは、磐梯山の荒々しい火口壁が目に飛んできます。<br />毘沙門沼から望む磐梯山は裏磐梯を代表する景観の一つ。<br />ボートに乗ることもでき、多くの観光客で賑わいます。<br /><br />−福島県裏磐梯観光協会HPより−

    青緑色に光る五色沼最大の毘沙門沼からは、磐梯山の荒々しい火口壁が目に飛んできます。
    毘沙門沼から望む磐梯山は裏磐梯を代表する景観の一つ。
    ボートに乗ることもでき、多くの観光客で賑わいます。

    −福島県裏磐梯観光協会HPより−

  • おや?みつけたっ!<br /><br />エメラルドグリーン、ゲットだぜ!(←ポケモンGo風)

    おや?みつけたっ!

    エメラルドグリーン、ゲットだぜ!(←ポケモンGo風)

  • いい感じじゃないですか!<br /><br />しかし、若い子はこんなトコにきててもスマホ画面直視。<br />ちゃんと景色みなさい・・・。<br /><br /><br />おっ?ミニリュウがあらわれた。(笑)

    いい感じじゃないですか!

    しかし、若い子はこんなトコにきててもスマホ画面直視。
    ちゃんと景色みなさい・・・。


    おっ?ミニリュウがあらわれた。(笑)

    五色沼自然探勝路 公園・植物園

  • ゲーム、流行るのはいいんだけども、なんか違うような気もするよねぇ。<br /><br />こんな景観の中でバーチャルで遊ばないでもいいのに。

    ゲーム、流行るのはいいんだけども、なんか違うような気もするよねぇ。

    こんな景観の中でバーチャルで遊ばないでもいいのに。

  • すごい、倒木・・・。<br />乗れそうだけど、落ちたらシャレにならないのでやめとこう。(笑)

    すごい、倒木・・・。
    乗れそうだけど、落ちたらシャレにならないのでやめとこう。(笑)

  • でたな、これがほんとのコイキング!<br /><br />この毘沙門沼には赤いハートマークが入った白鯉がいるらしい。<br />それを見つけると、幸せになれるって。<br />若い二人なら結ばれるそうな・・・。<br /><br />おっさんには関係のない話だが、どうやらコイツではなさそうだ。

    でたな、これがほんとのコイキング!

    この毘沙門沼には赤いハートマークが入った白鯉がいるらしい。
    それを見つけると、幸せになれるって。
    若い二人なら結ばれるそうな・・・。

    おっさんには関係のない話だが、どうやらコイツではなさそうだ。

  • いいじゃないか!<br /><br />なるほど、多くの観光客がおいでになるわけだ。<br /><br />でも自然美というものに、それほどのめり込めない難儀な性分なんで。

    イチオシ

    いいじゃないか!

    なるほど、多くの観光客がおいでになるわけだ。

    でも自然美というものに、それほどのめり込めない難儀な性分なんで。

  • もう12時を過ぎているので、そろそろお腹が減ってきた。<br />メシ喰いに移動せねば・・・。<br /><br />五色沼自然探索路はこのまま桧原湖に続いているらしいが<br />車をビジターセンターに置いてきてるので戻りますね。

    イチオシ

    もう12時を過ぎているので、そろそろお腹が減ってきた。
    メシ喰いに移動せねば・・・。

    五色沼自然探索路はこのまま桧原湖に続いているらしいが
    車をビジターセンターに置いてきてるので戻りますね。

  • 晴れたいい天気の一日に<br /><br />のんびりとこういうところを散策するのもいいよね。<br /><br />定年になったら、歴史もいいけど、綺麗な景色もみつけていこう。<br /><br />京都もいっぱいあるからね。

    晴れたいい天気の一日に

    のんびりとこういうところを散策するのもいいよね。

    定年になったら、歴史もいいけど、綺麗な景色もみつけていこう。

    京都もいっぱいあるからね。

  • 今回の昼飯は、、、、いつものことながらラーメン。<br /><br />日本のラーメンは中国発祥の食べ物までも国風化しています。<br />それも、原産地の域をはるかに越えて・・・。

    今回の昼飯は、、、、いつものことながらラーメン。

    日本のラーメンは中国発祥の食べ物までも国風化しています。
    それも、原産地の域をはるかに越えて・・・。

  • 東北会津旅でのラーメンといえば、「喜多方ラーメン」を外すわけにはまいりません。<br /><br />京都人は何気にラーメンにうるさく、しかも私の住んでる場所は<br />京都でも有数のラーメン激戦区、一乗寺でございます。<br /><br />極鶏・高安など有名店がゴロゴロしている地域でして<br />まぁ舌が肥えているわけです。

    東北会津旅でのラーメンといえば、「喜多方ラーメン」を外すわけにはまいりません。

    京都人は何気にラーメンにうるさく、しかも私の住んでる場所は
    京都でも有数のラーメン激戦区、一乗寺でございます。

    極鶏・高安など有名店がゴロゴロしている地域でして
    まぁ舌が肥えているわけです。

  • で、チョイスさせていただいたのが、「はせ川」さん。<br /><br />情報各誌でもトップクラスに並んでいるお店ですね〜。<br />でも、テントの中は黒山の人だかり・・・待ち時間は1時間はかかりそうね。<br /><br />京都では並んでまで食べたりしません。<br />いつでもいけるから空いてる時にいけばいい。<br /><br />でも旅先となると・・・ここは並んでおきましょう。

    で、チョイスさせていただいたのが、「はせ川」さん。

    情報各誌でもトップクラスに並んでいるお店ですね〜。
    でも、テントの中は黒山の人だかり・・・待ち時間は1時間はかかりそうね。

    京都では並んでまで食べたりしません。
    いつでもいけるから空いてる時にいけばいい。

    でも旅先となると・・・ここは並んでおきましょう。

    食堂 はせ川 グルメ・レストラン

  • で、1時間程度の待ち時間を経て・・・私の手元に届いたのがコイツです。<br /><br />醤油ラーメン二本乗せ・・・850円。<br /><br />魚介類の出汁が醤油と相まってなかなかの美味。<br />縮れ麺がほどよくスープを絡みとってくれてます。<br /><br />二本乗せのチャーシューも柔らくてちょうどいい。

    で、1時間程度の待ち時間を経て・・・私の手元に届いたのがコイツです。

    醤油ラーメン二本乗せ・・・850円。

    魚介類の出汁が醤油と相まってなかなかの美味。
    縮れ麺がほどよくスープを絡みとってくれてます。

    二本乗せのチャーシューも柔らくてちょうどいい。

  • 嫁が頼んだのは、塩ラーメンの一本乗せ・・・700円。<br /><br />透き通ったスープがいかにも美味しそう。<br /><br />味は京都人からすれば、やや淡泊系なんだけど<br />朝からラーメンを食べる「朝ラー」が居られる喜多方なら、納得の味。<br /><br />やっぱり地元の味は現地で食さないとダメですねぇ。<br />大変おいしゅうございました。

    嫁が頼んだのは、塩ラーメンの一本乗せ・・・700円。

    透き通ったスープがいかにも美味しそう。

    味は京都人からすれば、やや淡泊系なんだけど
    朝からラーメンを食べる「朝ラー」が居られる喜多方なら、納得の味。

    やっぱり地元の味は現地で食さないとダメですねぇ。
    大変おいしゅうございました。

  • 喜多方はラーメンだけが今回の旅の目的だったので、<br />今回の宿泊地である会津若松市に向かいます。<br /><br />時間も時間なので、お城や城下町見学は次の日にして<br />旅館までの観光スポットでも見ておきましょう。<br /><br />天寧寺というところに、近藤勇のお墓があるらしい。<br />会津若松観光で、最初に選ぶのがこんな場所、というのが私流。

    喜多方はラーメンだけが今回の旅の目的だったので、
    今回の宿泊地である会津若松市に向かいます。

    時間も時間なので、お城や城下町見学は次の日にして
    旅館までの観光スポットでも見ておきましょう。

    天寧寺というところに、近藤勇のお墓があるらしい。
    会津若松観光で、最初に選ぶのがこんな場所、というのが私流。

    近藤勇の墓(天寧寺) 名所・史跡

  • いや〜軽く見てたのですが、このお墓エライところにあります。<br />墓地域の山の中腹、蛇がでそうな山道を延々と進むことになりました。<br />雨は降ってくるし、蒸し暑いし、虫に刺されるし・・・。<br /><br />近藤勇は新選組局長、鳥羽伏見の敗戦後は、甲陽鎮撫隊の隊長として大久保大和と改名しています。<br /><br />その後再起をはかるも、結局千葉の流山で新政府軍に捕縛され、板橋の刑場で処刑されます。1868年4月25日、享年33歳でした。

    いや〜軽く見てたのですが、このお墓エライところにあります。
    墓地域の山の中腹、蛇がでそうな山道を延々と進むことになりました。
    雨は降ってくるし、蒸し暑いし、虫に刺されるし・・・。

    近藤勇は新選組局長、鳥羽伏見の敗戦後は、甲陽鎮撫隊の隊長として大久保大和と改名しています。

    その後再起をはかるも、結局千葉の流山で新政府軍に捕縛され、板橋の刑場で処刑されます。1868年4月25日、享年33歳でした。

  • 近藤勇の墓所は実はあちこちにあるのですが、<br />ここにあるのは、会津に流れた元副長の土方歳三が、<br />京都守護職松平容保の直属の部下であった新選組の局長である<br />近藤勇の建墓を奏請したものと言われております。<br /><br />傍らには辞世の二首の石碑もありました。<br /><br />孤軍 援け絶えて俘囚となる 顧みて君恩を思へば涙 更に流る<br />一片の丹衷 能く節に殉ず 雎陽は千古是れ吾が儔<br />他に靡き今日復た何をか言はん 義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所<br />快く受けん電光三尺の剣 只に一死をもって君恩に報いん

    近藤勇の墓所は実はあちこちにあるのですが、
    ここにあるのは、会津に流れた元副長の土方歳三が、
    京都守護職松平容保の直属の部下であった新選組の局長である
    近藤勇の建墓を奏請したものと言われております。

    傍らには辞世の二首の石碑もありました。

    孤軍 援け絶えて俘囚となる 顧みて君恩を思へば涙 更に流る
    一片の丹衷 能く節に殉ず 雎陽は千古是れ吾が儔
    他に靡き今日復た何をか言はん 義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所
    快く受けん電光三尺の剣 只に一死をもって君恩に報いん

  • 新選組は京都というイメージがどうしても強いので、会津では多少の違和感はあるのですが、<br />新選組は敗北後、名前を変え編成を変え、ここ会津に流れ戦いを続けています。<br /><br />正確にはすでに新選組ではなくなっているんですが、<br />彼らの生きざまがあちらこちらに痕跡を残していて、<br />それを見いだせるのも、とても面白い発見。<br /><br />雨の山道は大変でしたが、ここにこれてよかったです。

    新選組は京都というイメージがどうしても強いので、会津では多少の違和感はあるのですが、
    新選組は敗北後、名前を変え編成を変え、ここ会津に流れ戦いを続けています。

    正確にはすでに新選組ではなくなっているんですが、
    彼らの生きざまがあちらこちらに痕跡を残していて、
    それを見いだせるのも、とても面白い発見。

    雨の山道は大変でしたが、ここにこれてよかったです。

  • 雨にも降られてエラく汗まみれになってしまったので、<br />松平家の墓所はパスして、そのまま今回の宿泊地、<br />東山温泉に直行しました。<br /><br />今回お邪魔させてもらったのは、<br />東山温泉でも白眉の旅館「向瀧[むかいたき]」さんです。

    雨にも降られてエラく汗まみれになってしまったので、
    松平家の墓所はパスして、そのまま今回の宿泊地、
    東山温泉に直行しました。

    今回お邪魔させてもらったのは、
    東山温泉でも白眉の旅館「向瀧[むかいたき]」さんです。

    会津東山温泉 向瀧 宿・ホテル

    歴史的建造物に泊まれる幸せ・・・格別のおもてなし。 by ねいちゃさん
  • 何がスゴイかって、ここは温泉や料理もさることながら、建物そのものが国の登録有形文化財。<br />登録プレートにも「この建造物は貴重な国民的財産です」と書かれています。<br /><br />こんな歴史的建造物に普通に泊まれるって、なかなかないでしょ。

    何がスゴイかって、ここは温泉や料理もさることながら、建物そのものが国の登録有形文化財。
    登録プレートにも「この建造物は貴重な国民的財産です」と書かれています。

    こんな歴史的建造物に普通に泊まれるって、なかなかないでしょ。

  • 会津行きを決めた時に、真っ先に考えたのが、「向瀧」さんに泊まること!<br /><br />今旅のメインは、数ある観光スポットもいいんだけど、ここに泊まるというのが一番大きなポイントでした。

    会津行きを決めた時に、真っ先に考えたのが、「向瀧」さんに泊まること!

    今旅のメインは、数ある観光スポットもいいんだけど、ここに泊まるというのが一番大きなポイントでした。

  • だから、インターネットで予約が取れた日を、旅の日程としたくらい。<br />普通は日程が先だろうけどね、ここは万難を排したわけです。<br /><br /><br />東山温泉「向瀧」公式HP<br />http://www.mukaitaki.com/

    だから、インターネットで予約が取れた日を、旅の日程としたくらい。
    普通は日程が先だろうけどね、ここは万難を排したわけです。


    東山温泉「向瀧」公式HP
    http://www.mukaitaki.com/

  • 旅館とる時って、るるぶとか楽天トラベルのHPを使うことが多いのだけど<br />ここは公式HPから直で申し込みました。<br /><br />そしたら旅のひと月前くらいに、予約確認の電話がかかってきて<br />なんて丁寧なんだと感心しきりでした。<br />あちこち出向いてますが、こういう電話もらったの初めてでしたよ。

    旅館とる時って、るるぶとか楽天トラベルのHPを使うことが多いのだけど
    ここは公式HPから直で申し込みました。

    そしたら旅のひと月前くらいに、予約確認の電話がかかってきて
    なんて丁寧なんだと感心しきりでした。
    あちこち出向いてますが、こういう電話もらったの初めてでしたよ。

  • こちらの旅館は斜面を利用して作られていて、<br />ほとんどの部屋から回遊式の中庭を見下ろせる構造になっています。<br /><br />また階段が多くて、迷路みたいに複雑なのもとても面白いですが、<br />足のお悪い方には、バリアフリーには程遠いのでネックかもしれません。

    こちらの旅館は斜面を利用して作られていて、
    ほとんどの部屋から回遊式の中庭を見下ろせる構造になっています。

    また階段が多くて、迷路みたいに複雑なのもとても面白いですが、
    足のお悪い方には、バリアフリーには程遠いのでネックかもしれません。

  • 東山温泉は740年代に僧行基によって発見された、<br />奥州三楽境の一つに数えられた名湯だそうです。<br /><br />行基とか聖徳太子とか弘法大師は、由縁には必須の方々ですね。

    東山温泉は740年代に僧行基によって発見された、
    奥州三楽境の一つに数えられた名湯だそうです。

    行基とか聖徳太子とか弘法大師は、由縁には必須の方々ですね。

  • 8月13日から「盆踊り」が催されるようで、櫓が川の真ん中に建てられております。<br />面白いですね〜、まぁ広場がないので仕方ないのでしょうが<br />踊り手はこの川の周りをグルグル回るのでしょうか?

    8月13日から「盆踊り」が催されるようで、櫓が川の真ん中に建てられております。
    面白いですね〜、まぁ広場がないので仕方ないのでしょうが
    踊り手はこの川の周りをグルグル回るのでしょうか?

  • 江戸時代、東山温泉は天寧寺の湯と呼ばれ、<br />向瀧の前身は「狐湯」と称して、<br />会津藩の上級武士の指定保養所だったそうで、<br />昔からの官選指定だったわけです。

    イチオシ

    江戸時代、東山温泉は天寧寺の湯と呼ばれ、
    向瀧の前身は「狐湯」と称して、
    会津藩の上級武士の指定保養所だったそうで、
    昔からの官選指定だったわけです。

  • 明治維新以降は、平田家に委ねられ、<br />代々湯守を家業として今日まで営業をつづけておられます。<br /><br />女将さんも平田真智子さんとおっしゃる方です。<br />公式HPには女将さんのプログもありますね。

    イチオシ

    明治維新以降は、平田家に委ねられ、
    代々湯守を家業として今日まで営業をつづけておられます。

    女将さんも平田真智子さんとおっしゃる方です。
    公式HPには女将さんのプログもありますね。

  • ここ「向瀧」には3つの温泉があります。<br /><br />源泉にもっとも近い「きつね湯」、かなり熱めのお湯で44度か45度くらい。<br /><br />一度入りましたが、熱くて動けないくらいでした。

    イチオシ

    ここ「向瀧」には3つの温泉があります。

    源泉にもっとも近い「きつね湯」、かなり熱めのお湯で44度か45度くらい。

    一度入りましたが、熱くて動けないくらいでした。

  • 真ん中には貸切家族風呂が3つあって「鈴の湯・瓢の湯・蔦の湯」。<br /><br />こちらは空いてれば予約なしで自由に入れるお湯で、温度は少し下がって42度くらい。<br /><br />着いて速攻入りましたが、夏場はやや熱めに感じます。<br />

    真ん中には貸切家族風呂が3つあって「鈴の湯・瓢の湯・蔦の湯」。

    こちらは空いてれば予約なしで自由に入れるお湯で、温度は少し下がって42度くらい。

    着いて速攻入りましたが、夏場はやや熱めに感じます。

  • 最後は源泉からもっとも遠くにあるせいか、温度は40度くらいの「さるの湯」。<br /><br />いわゆるメインの大浴場となります。何度も入りましたが、ちょうどいい感じです。

    最後は源泉からもっとも遠くにあるせいか、温度は40度くらいの「さるの湯」。

    いわゆるメインの大浴場となります。何度も入りましたが、ちょうどいい感じです。

  • 玄関は千鳥破風をもつ立派な造りですね〜。<br /><br />右横にこちらの旅館の扁額がかけられています。

    イチオシ

    玄関は千鳥破風をもつ立派な造りですね〜。

    右横にこちらの旅館の扁額がかけられています。

  • こちら外観って宮崎駿の「千と千尋の神隠し」に出てくるような旅館に似ていますよね〜。<br /><br />夜のオレンジ色の明かりがともると、一層雰囲気がでそうなので<br />明日でも撮ることにしましょう。

    こちら外観って宮崎駿の「千と千尋の神隠し」に出てくるような旅館に似ていますよね〜。

    夜のオレンジ色の明かりがともると、一層雰囲気がでそうなので
    明日でも撮ることにしましょう。

  • なんて言ってる間に、お腹が減ってきたぞぉ。<br /><br />こちらでは会津の郷土料理も出してくれるのがポイント。<br />化学調味料や合成着色保存料など一切使用していないとのこと。楽しみ〜。<br /><br />ちなみに、インターネットで予約すると、<br />予約特典として熟成純米原酒「美酒佳肴」がいただけます。<br />

    なんて言ってる間に、お腹が減ってきたぞぉ。

    こちらでは会津の郷土料理も出してくれるのがポイント。
    化学調味料や合成着色保存料など一切使用していないとのこと。楽しみ〜。

    ちなみに、インターネットで予約すると、
    予約特典として熟成純米原酒「美酒佳肴」がいただけます。

  • 夏の献立<br /><br />食前酒 赤しそのしずく<br />先付 会津美里新玉葱のジュレ掛け<br />前菜 枝豆夏団子 みょうがの甘酢漬け 鮎の山椒煮 焼きもろこし バリバリもろきゅう モロヘイヤの醤油漬け<br />向付 秘伝醤油で鯉のたたき<br />伝承の一品 会津藩直伝 鯉の甘煮<br />強肴 にしんの山椒漬け<br />焼物 会津地鶏と夏野菜の蒸し焼き<br />お凌ぎ 紅鱒の寿司<br />進肴 福島酵母牛の姫ステーキ<br />煮物 会津伝統の汁 こづゆ<br />揚物 会津里山 畑の揚げ物<br />汁 揚げ茄子の赤だし味噌汁<br />ご飯 米どころ会津のこしひかり<br />香の物 手作り佃煮と大根の三五八漬け<br />デザート 甘さビックなプチトマト

    夏の献立

    食前酒 赤しそのしずく
    先付 会津美里新玉葱のジュレ掛け
    前菜 枝豆夏団子 みょうがの甘酢漬け 鮎の山椒煮 焼きもろこし バリバリもろきゅう モロヘイヤの醤油漬け
    向付 秘伝醤油で鯉のたたき
    伝承の一品 会津藩直伝 鯉の甘煮
    強肴 にしんの山椒漬け
    焼物 会津地鶏と夏野菜の蒸し焼き
    お凌ぎ 紅鱒の寿司
    進肴 福島酵母牛の姫ステーキ
    煮物 会津伝統の汁 こづゆ
    揚物 会津里山 畑の揚げ物
    汁 揚げ茄子の赤だし味噌汁
    ご飯 米どころ会津のこしひかり
    香の物 手作り佃煮と大根の三五八漬け
    デザート 甘さビックなプチトマト

  • 朝の献立<br /><br />会津門田産平いんげんの鰹掛け<br />オクラのたたき<br />茄子の揚げ浸し<br />紅鱒のせいろ蒸し<br />椎茸のつくだ煮<br />向瀧の温泉玉子玉三郎<br />お海苔 お漬物<br />なめこの味噌汁田舎味噌仕立て<br />契約農家直送会津のまんまコシヒカリ<br />とうもろこしプリン

    朝の献立

    会津門田産平いんげんの鰹掛け
    オクラのたたき
    茄子の揚げ浸し
    紅鱒のせいろ蒸し
    椎茸のつくだ煮
    向瀧の温泉玉子玉三郎
    お海苔 お漬物
    なめこの味噌汁田舎味噌仕立て
    契約農家直送会津のまんまコシヒカリ
    とうもろこしプリン

  • 8月9日(火)<br /><br />食事のコメントはあえて控えさせていただきます。<br />だってこれ以上羨ましがらせるのは、あまりにも申し訳なくて・・・(笑)。<br /><br />お腹が満腹になったところで、二日目の観光に参りましょう。

    8月9日(火)

    食事のコメントはあえて控えさせていただきます。
    だってこれ以上羨ましがらせるのは、あまりにも申し訳なくて・・・(笑)。

    お腹が満腹になったところで、二日目の観光に参りましょう。

    会津武家屋敷 美術館・博物館

  • まずは東山温泉から車で3分もかからない「会津武家屋敷」<br /><br />「今日はどちらへ」と旅館のスタッフさんが訪ねて下さったので<br />「とりあえず武家屋敷から鶴ヶ城・飯盛山といくつもりです」と答えると<br />「それではコレをお持ちください」と割引券を下さいました。<br /><br />「大した割引ではありませんけれども・・・」<br />いえいえ、お気遣い痛み入ります。どこまでもご親切な対応。<br />朝から気持ちいいですよね。

    まずは東山温泉から車で3分もかからない「会津武家屋敷」

    「今日はどちらへ」と旅館のスタッフさんが訪ねて下さったので
    「とりあえず武家屋敷から鶴ヶ城・飯盛山といくつもりです」と答えると
    「それではコレをお持ちください」と割引券を下さいました。

    「大した割引ではありませんけれども・・・」
    いえいえ、お気遣い痛み入ります。どこまでもご親切な対応。
    朝から気持ちいいですよね。

  • で、今回のタイトルとなった「あいづっこ宣言」<br />大河ドラマ「八重の桜」で一躍有名となったフレーズですよね。<br /><br />「ならぬことはならぬものです」・・・いい言葉だ。<br /><br />関西弁に言い直すと<br />「あかんもんはあかんにゃ、ボケっ!」となります。

    で、今回のタイトルとなった「あいづっこ宣言」
    大河ドラマ「八重の桜」で一躍有名となったフレーズですよね。

    「ならぬことはならぬものです」・・・いい言葉だ。

    関西弁に言い直すと
    「あかんもんはあかんにゃ、ボケっ!」となります。

  • 会津では、1803年会津藩校日新館が創設されました。<br /><br />武士道の美徳が失われ、社会混乱がまさに起ころうとする頃、将来の有為な人材を作り上げるための教育機関で、10歳になった藩士子弟が千人以上も学んだといいます。<br /><br />それより低学年の子供たちには、日新館へ入学する心得「什の掟」が示されていました。

    会津では、1803年会津藩校日新館が創設されました。

    武士道の美徳が失われ、社会混乱がまさに起ころうとする頃、将来の有為な人材を作り上げるための教育機関で、10歳になった藩士子弟が千人以上も学んだといいます。

    それより低学年の子供たちには、日新館へ入学する心得「什の掟」が示されていました。

  • 同じ町に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていました。<br />この集まりのことを会津藩では「什 (じゅう)」と呼んでいて、毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まることとなっていました。<br />年長者で座長である什長が「お話」を一つ一つ申し聞かせ、すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行ったそうです。<br />

    同じ町に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていました。
    この集まりのことを会津藩では「什 (じゅう)」と呼んでいて、毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まることとなっていました。
    年長者で座長である什長が「お話」を一つ一つ申し聞かせ、すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行ったそうです。

  • 「什の掟」<br /><br />一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ<br />一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ<br />一、嘘言を言ふことはなりませぬ<br />一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ<br />一、弱い者をいぢめてはなりませぬ<br />一、戸外で物を食べてはなりませぬ<br />一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ<br /><br />ならぬことはならぬものです<br />

    「什の掟」

    一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
    一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
    一、嘘言を言ふことはなりませぬ
    一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
    一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
    一、戸外で物を食べてはなりませぬ
    一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ

    ならぬことはならぬものです

  • これに背くと、什長はその者を部屋の真ん中に呼び出し、事実の有無を「審問」しました。<br />事実に間違いがなければ、年長者の間でどのような制裁を加えるかを相談します。<br /><br />制裁には「謝罪」「シッペ」「仲間はずれ」「軽度の体罰」などがあったそうです。<br />これらは大人に命じられたものではなく、子供たちが相談して決めていったもので、<br />「会津武士の子はこうあるべきだ。」ということを互いに約束し、励み合ったのです。

    これに背くと、什長はその者を部屋の真ん中に呼び出し、事実の有無を「審問」しました。
    事実に間違いがなければ、年長者の間でどのような制裁を加えるかを相談します。

    制裁には「謝罪」「シッペ」「仲間はずれ」「軽度の体罰」などがあったそうです。
    これらは大人に命じられたものではなく、子供たちが相談して決めていったもので、
    「会津武士の子はこうあるべきだ。」ということを互いに約束し、励み合ったのです。

  • どうでしょう?<br />この「什の掟」は一種の思想強制でもあって、<br />今日の感覚からすると、異端排除の教育であることは否めません。<br /><br />これでは自分の頭で物を考えることができなくなる。<br />安定した世ならこれで現状は守れるかもしれませんが<br />時は幕末、混沌とした乱世を生き抜く知恵はここからはやっぱり生まれませんよね。<br />

    どうでしょう?
    この「什の掟」は一種の思想強制でもあって、
    今日の感覚からすると、異端排除の教育であることは否めません。

    これでは自分の頭で物を考えることができなくなる。
    安定した世ならこれで現状は守れるかもしれませんが
    時は幕末、混沌とした乱世を生き抜く知恵はここからはやっぱり生まれませんよね。

  • 去年訪れた「萩」の松下村塾で行われていた教育とずいぶんと違うものです。<br /><br />これが最終的に勝者と敗者を分けたと考えるのは早計かもしれませんが<br />全く無関係だとは言えないとも思います。<br /><br />白虎隊の悲劇の原因の一つがこんな所にあるのかもしれませんね。

    イチオシ

    去年訪れた「萩」の松下村塾で行われていた教育とずいぶんと違うものです。

    これが最終的に勝者と敗者を分けたと考えるのは早計かもしれませんが
    全く無関係だとは言えないとも思います。

    白虎隊の悲劇の原因の一つがこんな所にあるのかもしれませんね。

  • 掟そのものが言ってることはこの当時としては正しいことばかりですが、<br />それをどう運用していくかは本当に難しいものです。<br /><br />「ならぬことはならぬもの」<br /><br />なぜ「ならぬ」のかを自分の頭で考えさせないといけませんよね。<br />「刷り込み」だけではダメなんです。

    掟そのものが言ってることはこの当時としては正しいことばかりですが、
    それをどう運用していくかは本当に難しいものです。

    「ならぬことはならぬもの」

    なぜ「ならぬ」のかを自分の頭で考えさせないといけませんよね。
    「刷り込み」だけではダメなんです。

  • 戦前の日本の教育も似たようなものでした。<br />お国のために命を散らすことに「義」があった。<br /><br />で、結局はどうなったのかを考えてみれば、<br />それが正しい教育だったかどうかがわかります。<br />多くの悲劇を生み、多くの血が流され、多くの命が消えていった。<br /><br />歴史から何を学ぶかというのは、こういうことに気づくかどうかだと私は思っています。

    戦前の日本の教育も似たようなものでした。
    お国のために命を散らすことに「義」があった。

    で、結局はどうなったのかを考えてみれば、
    それが正しい教育だったかどうかがわかります。
    多くの悲劇を生み、多くの血が流され、多くの命が消えていった。

    歴史から何を学ぶかというのは、こういうことに気づくかどうかだと私は思っています。

  • 今日では余りにも権利を大事にしすぎて、人としての限度すら守れない輩を生み出しているのも事実です。<br />すぐ「キレる」若者たち、社会的弱者に冷たい傍若無人の若者もいます。<br />一方で社会と一切接触を持たない「引きこも」る子供たちもいます。<br /><br />こういう若者を見ると「什の掟」の頃が良いようにも思えてきますが、<br />そう単純に飛びつくのではなく、あくまでも運用の線引きがとっても大事だと思います。<br />難しい問題ですよね、人を育てるということは・・・。

    今日では余りにも権利を大事にしすぎて、人としての限度すら守れない輩を生み出しているのも事実です。
    すぐ「キレる」若者たち、社会的弱者に冷たい傍若無人の若者もいます。
    一方で社会と一切接触を持たない「引きこも」る子供たちもいます。

    こういう若者を見ると「什の掟」の頃が良いようにも思えてきますが、
    そう単純に飛びつくのではなく、あくまでも運用の線引きがとっても大事だと思います。
    難しい問題ですよね、人を育てるということは・・・。

  • おっと、またウダウダとつまらないことを語ってしまいました。<br /><br />武家屋敷、だいぶ進んでしまっておりますな。<br /><br />ここでは家老西郷頼母を語らないといけないのに・・・。(←まだ語るつもり??)

    おっと、またウダウダとつまらないことを語ってしまいました。

    武家屋敷、だいぶ進んでしまっておりますな。

    ここでは家老西郷頼母を語らないといけないのに・・・。(←まだ語るつもり??)

  • こちらの「武家屋敷」は奇跡的に残った屋敷図面をもとに、<br />会津の家老西郷頼母の邸宅を再現したものと言われています。<br />実際の頼母の邸宅は鶴ヶ城北方、城門傍にありました。<br /><br />西郷家は会津藩松平家譜代の家臣で代々家老職を務め、1700石取りの家柄でした。<br /> けやき、ひのき、杉材を用いた和洋建築の壮大な屋敷は、<br />敷地面積2400坪、建築面積280坪に及び、38の部屋、畳の数は328枚となっているそうです。<br />各室内には生活調度品がおかれ、厳粛な当時の生活様子を伺うことができます。

    こちらの「武家屋敷」は奇跡的に残った屋敷図面をもとに、
    会津の家老西郷頼母の邸宅を再現したものと言われています。
    実際の頼母の邸宅は鶴ヶ城北方、城門傍にありました。

    西郷家は会津藩松平家譜代の家臣で代々家老職を務め、1700石取りの家柄でした。
    けやき、ひのき、杉材を用いた和洋建築の壮大な屋敷は、
    敷地面積2400坪、建築面積280坪に及び、38の部屋、畳の数は328枚となっているそうです。
    各室内には生活調度品がおかれ、厳粛な当時の生活様子を伺うことができます。

  • 西郷頼母近悳[さいごうたのもちかのり]<br /><br />1862年33歳の時、会津藩の家老に任じられました。<br />同じ年、幕府は藩主松平容保に京都守護職就任を要請してきます。<br />頼母は時局の大勢を予見し、「薪を負うて火を救うにひとし」と再三にわたり反対したことで、容保の怒りを買うことになるのです。<br /><br />この判断、今にして思えば、極めて妥当な選択で、京都守護職になればまともに長州や公家たちを敵に回すのは目に見えているわけで、頼母の先を見落とす能力は高かったんでしょう。

    西郷頼母近悳[さいごうたのもちかのり]

    1862年33歳の時、会津藩の家老に任じられました。
    同じ年、幕府は藩主松平容保に京都守護職就任を要請してきます。
    頼母は時局の大勢を予見し、「薪を負うて火を救うにひとし」と再三にわたり反対したことで、容保の怒りを買うことになるのです。

    この判断、今にして思えば、極めて妥当な選択で、京都守護職になればまともに長州や公家たちを敵に回すのは目に見えているわけで、頼母の先を見落とす能力は高かったんでしょう。

  • その後も、頼母は京都守護の職務に対しては否定的な姿勢を覆さず、禁門の変が起きる直前に上京して藩士たちにも帰国するよう説いています。<br /><br />ぶれない真の心をもった武士だったようですね。

    その後も、頼母は京都守護の職務に対しては否定的な姿勢を覆さず、禁門の変が起きる直前に上京して藩士たちにも帰国するよう説いています。

    ぶれない真の心をもった武士だったようですね。

  • しかし、そういった行為は、この時代においては卑怯とか弱腰と見られることも多く<br />結局賛同は得られずに帰国を余儀なくされた上、家老職まで解任された上に蟄居という処分を受けます。<br /><br />一方で、時局はさらに困難を増してゆき、1868年戊辰戦争の勃発によって容保から再び家老職復帰を要請されます。<br />江戸藩邸の後始末を終えた頼母は会津に戻ってきました。

    しかし、そういった行為は、この時代においては卑怯とか弱腰と見られることも多く
    結局賛同は得られずに帰国を余儀なくされた上、家老職まで解任された上に蟄居という処分を受けます。

    一方で、時局はさらに困難を増してゆき、1868年戊辰戦争の勃発によって容保から再び家老職復帰を要請されます。
    江戸藩邸の後始末を終えた頼母は会津に戻ってきました。

  • 頼母を含む主な家老たちは、容保の意に従い表向き新政府への恭順の姿勢をとっていましたが、<br />江戸で戦闘できなかった新政府軍の矛先は、会津に標準を定めていました。<br />事もあろうに、容保親子の斬首の要求をしてくるのです。<br /><br />王政復古の大号令の時も、将軍慶喜が絶対に飲めない苛烈な要求を突き付け、<br />鳥羽伏見の戦いを引き起こしたように、新政府軍はここ会津でも<br />同じような恫喝を繰り広げてきます。<br />戦いを避ける術はもうありません。

    頼母を含む主な家老たちは、容保の意に従い表向き新政府への恭順の姿勢をとっていましたが、
    江戸で戦闘できなかった新政府軍の矛先は、会津に標準を定めていました。
    事もあろうに、容保親子の斬首の要求をしてくるのです。

    王政復古の大号令の時も、将軍慶喜が絶対に飲めない苛烈な要求を突き付け、
    鳥羽伏見の戦いを引き起こしたように、新政府軍はここ会津でも
    同じような恫喝を繰り広げてきます。
    戦いを避ける術はもうありません。

  • 頼母は白河口総督として白河城を攻略し拠点として新政府軍を迎撃しましたが、<br />伊地知正治率いる薩摩兵主幹の新政府軍による攻撃を受けて白河城を失います。<br /><br />その後二ヶ月以上も白河口を死守しますが、棚倉城陥落の責任を取らされて<br />総督を解任されてしまいます。<br /><br />会津防衛に方針転換してからは、進入路に当たる峠を守っていましたが、<br />他方面の母成峠を突破されたために、新政府の城下へ侵入を許してしまいます。

    頼母は白河口総督として白河城を攻略し拠点として新政府軍を迎撃しましたが、
    伊地知正治率いる薩摩兵主幹の新政府軍による攻撃を受けて白河城を失います。

    その後二ヶ月以上も白河口を死守しますが、棚倉城陥落の責任を取らされて
    総督を解任されてしまいます。

    会津防衛に方針転換してからは、進入路に当たる峠を守っていましたが、
    他方面の母成峠を突破されたために、新政府の城下へ侵入を許してしまいます。

  • もはやこれまで。<br />若松城に帰参した頼母は、再び恭順を勧めます。<br />しかしいきり立つ会津藩士の多くは、新政府軍への徹底抗戦をあくまで主張。<br /><br />意見が通らない頼母は、長男吉十郎のみを伴い城から脱出することとなります。<br />卑怯者のようですが、実際は頼母自身が「軽き使者の任を仰せつかり」と<br />語っているように、連絡係にされた程のいい追放処分だとわかります。

    もはやこれまで。
    若松城に帰参した頼母は、再び恭順を勧めます。
    しかしいきり立つ会津藩士の多くは、新政府軍への徹底抗戦をあくまで主張。

    意見が通らない頼母は、長男吉十郎のみを伴い城から脱出することとなります。
    卑怯者のようですが、実際は頼母自身が「軽き使者の任を仰せつかり」と
    語っているように、連絡係にされた程のいい追放処分だとわかります。

  • 形の上では追放なのですが、道中には家老梶原平馬の命を受けた刺客が向かう予定でした。<br /><br />ですが、刺客の任に当たった者たちは、誰も頼母親子の後を追わなかったそうです。<br />意見の相違はあっても、仁徳のある頼母を殺そうとは思わなかったんでしょうね。<br />頼母の人柄が感じられます。<br /><br />追放された頼母ですが、その後は米沢・仙台を経て、榎本武揚の艦隊に合流して函館で終戦を迎えています。<br />短絡的に自死を選ばず、最後まで徹底抗戦を貫いた武士だったのです。<br />

    形の上では追放なのですが、道中には家老梶原平馬の命を受けた刺客が向かう予定でした。

    ですが、刺客の任に当たった者たちは、誰も頼母親子の後を追わなかったそうです。
    意見の相違はあっても、仁徳のある頼母を殺そうとは思わなかったんでしょうね。
    頼母の人柄が感じられます。

    追放された頼母ですが、その後は米沢・仙台を経て、榎本武揚の艦隊に合流して函館で終戦を迎えています。
    短絡的に自死を選ばず、最後まで徹底抗戦を貫いた武士だったのです。

  • その後の頼母は、新政府軍に捕らえられ、舘林藩に据え置かれます。<br />1872年に赦免されその後宮司となります。<br />1879年には長男吉十郎が病没したため、甥の志田四郎を養子に迎えます。<br />この志田四郎が、後の柔道家の西郷四郎で、「姿三四郎」のモデルになる人物です。<br /><br />1880年、旧藩主松平容保が日光東照宮の宮司になると、頼母は禰宜になって運命的な出会いを果たすことになりました。<br />この邂逅でお互いの胸中を話せたんでしょうか?<br />興味が尽きないのですが、この出会いを語っている文献を見つけられないので、想像するしかありません。

    その後の頼母は、新政府軍に捕らえられ、舘林藩に据え置かれます。
    1872年に赦免されその後宮司となります。
    1879年には長男吉十郎が病没したため、甥の志田四郎を養子に迎えます。
    この志田四郎が、後の柔道家の西郷四郎で、「姿三四郎」のモデルになる人物です。

    1880年、旧藩主松平容保が日光東照宮の宮司になると、頼母は禰宜になって運命的な出会いを果たすことになりました。
    この邂逅でお互いの胸中を話せたんでしょうか?
    興味が尽きないのですが、この出会いを語っている文献を見つけられないので、想像するしかありません。

  • 頼母はその後、大同団結運動に参加したりもしていますが、この運動は瓦解し、晩年は会津若松に戻っています。<br /><br />1903年会津若松の十軒長屋で74歳で死去。<br />墓所は妻千重子の墓とともに、会津の善龍寺にあります。<br /><br />彼もまた激動の時代を生き抜いた人生でした。

    頼母はその後、大同団結運動に参加したりもしていますが、この運動は瓦解し、晩年は会津若松に戻っています。

    1903年会津若松の十軒長屋で74歳で死去。
    墓所は妻千重子の墓とともに、会津の善龍寺にあります。

    彼もまた激動の時代を生き抜いた人生でした。

  • ここまで語ったなら、頼母の一族についても語らねばなりませんね。<br /><br />会津の悲劇・・・は、ここにもあります。<br /><br />1868年8月23日早朝、城下に早鐘が鳴り響いた時、西郷頼母の一族21名は屋敷に身を寄せ合っていました。<br /><br />頼母の母律子は、「女が城にいては足手まといになる、されど敵の手に落ち辱めを受けるわけにもいかぬ」と早々に自刃して果てます。<br />

    ここまで語ったなら、頼母の一族についても語らねばなりませんね。

    会津の悲劇・・・は、ここにもあります。

    1868年8月23日早朝、城下に早鐘が鳴り響いた時、西郷頼母の一族21名は屋敷に身を寄せ合っていました。

    頼母の母律子は、「女が城にいては足手まといになる、されど敵の手に落ち辱めを受けるわけにもいかぬ」と早々に自刃して果てます。

  • 頼母の妻千恵子は、まだ自害できない幼い我が子を次々と刺し、返す刀で自らの喉を貫く、こうして頼母一族9名はここに果てるのです。<br />また別室に集まっていた頼母の縁者も自害し、総勢21名がこの屋敷で亡くなっています。<br /><br />一方、新政府軍は会津若松城下の屋敷を検分しておりました。<br />土佐藩士中島信行もその一人で、頼母屋敷の長い廊下を進んで、一室の障子を開けると、女子供が血にまみれて倒れていました。<br />

    頼母の妻千恵子は、まだ自害できない幼い我が子を次々と刺し、返す刀で自らの喉を貫く、こうして頼母一族9名はここに果てるのです。
    また別室に集まっていた頼母の縁者も自害し、総勢21名がこの屋敷で亡くなっています。

    一方、新政府軍は会津若松城下の屋敷を検分しておりました。
    土佐藩士中島信行もその一人で、頼母屋敷の長い廊下を進んで、一室の障子を開けると、女子供が血にまみれて倒れていました。

  • しかし、ただ一人17歳くらいの女子だけがまだ息をしていました。<br />頼母の長女の細布子(16歳)は、母の手を借りず、自ら刀を刺したのですが、急所を外してしまい、息が残っていたのです。<br /><br />朦朧とした意識の中で、細布子は「敵か味方か」と尋ねると、<br />不憫に思った中島は「安心せぃ、味方じゃ」と答えると、細布子は刀を差しだし介錯を頼みました。<br />中島は「御免」といい、細布子の首を落としたと伝わっています。

    しかし、ただ一人17歳くらいの女子だけがまだ息をしていました。
    頼母の長女の細布子(16歳)は、母の手を借りず、自ら刀を刺したのですが、急所を外してしまい、息が残っていたのです。

    朦朧とした意識の中で、細布子は「敵か味方か」と尋ねると、
    不憫に思った中島は「安心せぃ、味方じゃ」と答えると、細布子は刀を差しだし介錯を頼みました。
    中島は「御免」といい、細布子の首を落としたと伝わっています。

  • 何とも言葉では何と表現したらいいのか、わからないお話しですよね。<br />そんなシーンが歴史資料館では再現されていました。<br /><br />会津では敵の辱めを受けることを潔しとせず、自ら命を絶った女性たちが230余名にも及んだそうです。<br /><br />救いがたい話です。これが戦争なのですね。

    何とも言葉では何と表現したらいいのか、わからないお話しですよね。
    そんなシーンが歴史資料館では再現されていました。

    会津では敵の辱めを受けることを潔しとせず、自ら命を絶った女性たちが230余名にも及んだそうです。

    救いがたい話です。これが戦争なのですね。

  • 一方で、新島八重のように、スペンサー銃で敵を狙撃する女性もいますし、<br />中野竹子のように、薙刀一つで立ち向かう娘子隊を組織し、壮絶な死を迎えた人もいます。<br /><br />会津で起こった悲劇は、性別を超え、人を変え、あらゆる形で命を吸い取ってしまう、そんな「業」のようなものを感じてしまいます。

    一方で、新島八重のように、スペンサー銃で敵を狙撃する女性もいますし、
    中野竹子のように、薙刀一つで立ち向かう娘子隊を組織し、壮絶な死を迎えた人もいます。

    会津で起こった悲劇は、性別を超え、人を変え、あらゆる形で命を吸い取ってしまう、そんな「業」のようなものを感じてしまいます。

  • 会津藩は一月後の1868年9月22日に多大な犠牲を出した上に新政府軍に降伏します。<br />松平容保は死一等を減ぜられ謹慎処分となり、家老たちは行方不明や戦死していたため、次席の萱野長修が一人戦争責任を問われて切腹します。<br /><br />会津は明治政府の直轄に置かれますが、会津戦争での死者は埋葬することを許されませんでした。<br />暑い最中で腐敗が進み、鳥獣に食い散らかせられたまま、朽ち果てていく。<br />余りにもむごい仕打ちです。

    イチオシ

    会津藩は一月後の1868年9月22日に多大な犠牲を出した上に新政府軍に降伏します。
    松平容保は死一等を減ぜられ謹慎処分となり、家老たちは行方不明や戦死していたため、次席の萱野長修が一人戦争責任を問われて切腹します。

    会津は明治政府の直轄に置かれますが、会津戦争での死者は埋葬することを許されませんでした。
    暑い最中で腐敗が進み、鳥獣に食い散らかせられたまま、朽ち果てていく。
    余りにもむごい仕打ちです。

  • 会津戦争後、親から「長州人との結婚だけは絶対に許さん」と言われ続けて育った子供がいますし、<br />1986年には長州藩の首府であった萩市が、会津藩の首府であった会津若松市に対して、<br />「もう120年も経ったので」と、会津戦争の和解と友好都市締結を申し入れましたが、<br />会津若松市側は『まだ120年しか経っていない』と回答し、これを拒絶したという話もあります。<br />

    会津戦争後、親から「長州人との結婚だけは絶対に許さん」と言われ続けて育った子供がいますし、
    1986年には長州藩の首府であった萩市が、会津藩の首府であった会津若松市に対して、
    「もう120年も経ったので」と、会津戦争の和解と友好都市締結を申し入れましたが、
    会津若松市側は『まだ120年しか経っていない』と回答し、これを拒絶したという話もあります。

  • 何だか笑えない話ですよね。<br /><br />長州出身の現総理の安倍さんが、会津若松市を訪問したときに<br />「先輩がご迷惑をかけたことをお詫びしなければならない」と<br />語ったそうです。

    何だか笑えない話ですよね。

    長州出身の現総理の安倍さんが、会津若松市を訪問したときに
    「先輩がご迷惑をかけたことをお詫びしなければならない」と
    語ったそうです。

  • 報復が報復の連鎖を産む。<br />戦後七十年を経ても、中韓の人々の恨みはまだ終わってはいません。<br />それどごろか、第二世代第三世代へ継承されてもいます。<br /><br />我々が目指すべきは、そういう連鎖を断ち切って<br />一回完全に終わらせないといけないのだなぁと思うのです。<br /><br />ナショナリズムはナショナリズムでいいんですが<br />一回リセットしておかないとね。

    報復が報復の連鎖を産む。
    戦後七十年を経ても、中韓の人々の恨みはまだ終わってはいません。
    それどごろか、第二世代第三世代へ継承されてもいます。

    我々が目指すべきは、そういう連鎖を断ち切って
    一回完全に終わらせないといけないのだなぁと思うのです。

    ナショナリズムはナショナリズムでいいんですが
    一回リセットしておかないとね。

  • 旧中畑陣屋<br /><br />徳川幕府直参五千石の旗本、松平軍次郎の代官所として中畑村など七ヶ村を支配していました。<br /><br />現在の矢吹町から移築復元した建物で福島県の重要文化財に指定されています。

    旧中畑陣屋

    徳川幕府直参五千石の旗本、松平軍次郎の代官所として中畑村など七ヶ村を支配していました。

    現在の矢吹町から移築復元した建物で福島県の重要文化財に指定されています。

  • 花と茅葺き屋根<br /><br />何の花なのかな?

    花と茅葺き屋根

    何の花なのかな?

  • 嶺南庵麟閣<br /><br />蒲生氏郷公の庇護のもと少庵(千利休の次男)は鶴ヶ城の城内に麟閣を作りました。<br /><br />その遺構の流れを汲んで再現された茶室だそうです。

    嶺南庵麟閣

    蒲生氏郷公の庇護のもと少庵(千利休の次男)は鶴ヶ城の城内に麟閣を作りました。

    その遺構の流れを汲んで再現された茶室だそうです。

  • 外れに、佐々木只三郎の墓がありました。<br />いきなりのテンションUPです。(笑)<br /><br />佐々木只三郎って誰?とお思いの方も大勢居られると思います。<br /><br />京都見廻組ってご存知ですか?知らない?<br /><br />んじゃ、坂本龍馬を暗殺したとされるグループって言えばわかりますかね。

    外れに、佐々木只三郎の墓がありました。
    いきなりのテンションUPです。(笑)

    佐々木只三郎って誰?とお思いの方も大勢居られると思います。

    京都見廻組ってご存知ですか?知らない?

    んじゃ、坂本龍馬を暗殺したとされるグループって言えばわかりますかね。

    会津天満宮 寺・神社・教会

  • その京都見廻組を指揮したのが、佐々木只三郎なんですよ。<br /><br />只三郎、会津藩士だったんですね〜。<br /><br />そうか、そういう風につながるわけか・・・。<br /><br />何だか一人で納得してて申し訳ありません。点と点が線となってつながった感じがしたもので・・・つい。

    その京都見廻組を指揮したのが、佐々木只三郎なんですよ。

    只三郎、会津藩士だったんですね〜。

    そうか、そういう風につながるわけか・・・。

    何だか一人で納得してて申し訳ありません。点と点が線となってつながった感じがしたもので・・・つい。

  • 私的には妙に納得できたので、今回はここらへんで一端お開きとさせていただきます。<br /><br />例によって長い語りばっかりでご迷惑をおかけして申し訳ありません。<br />ちょっと油断すると、いくらでも語れるんで、つい・・・。<br /><br />まぁ私の旅行記、いつもこんな感じですけど<br />ここまでツマラナイお話にお付き合いいただき感謝します。<br />まだ第2部・第3部と続きます。お付き合いくださいませ。

    私的には妙に納得できたので、今回はここらへんで一端お開きとさせていただきます。

    例によって長い語りばっかりでご迷惑をおかけして申し訳ありません。
    ちょっと油断すると、いくらでも語れるんで、つい・・・。

    まぁ私の旅行記、いつもこんな感じですけど
    ここまでツマラナイお話にお付き合いいただき感謝します。
    まだ第2部・第3部と続きます。お付き合いくださいませ。

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この旅行記へのコメント (8)

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  • ニッキーさん 2016/08/29 21:18:41
    すばらしい。立て続けに2度も旅行に行かれたのですね!
    ねいちゃさん、こんにちは。
    白浜への旅と会津1作目、続けて拝見しました。

    お孫さん、かわいいですね〜。大きくなられたのでびっくりしました。
    うちの孫1号(女)も早や4歳になりました。子どもの成長は早いですね〜。
    孫2号(男)と3号(男)も来月には100日を迎え、お食い初めをする予定です。生まれが2週間しか違わないので、合同でやっちゃおうか、なんて今考えているところです。

    ところでねいちゃさん、お孫さんにでれでれじゃありませんかぁ。歴史語りに入った時のねいちゃさんと、場面場面でみごとに切り替えていらっしゃいますね。3世代旅行って楽しそうです。楽しいけれど、夫婦だけの旅行はちゃんと別に準備されて、手抜かりありませんね。立て続けに2度の旅行、それもまったく別のタイプの旅をされて・・・いいなぁ。

    会津旅行のお宿、素晴らしいですね!庭園を見ながらくねくね廊下を上がったり下がったり・・・まさに日本旅館の風情です。

    西郷頼母について、ねいちゃさんの講義のおかげでよくわかりました。私も現地で知ったり後で調べたりしましたが、ほんの一部でした。全体的にはそういう人生だったのですね。じっくり読ませていただきました。

    五色沼の毘沙門沼へは私も行きましたよ。例のミステリーツアーです。旅行記は他のブログに書いたので4トラにはアップしてませんが、ハート模様の鯉の写真もばっちり撮りました。あの頃はやることなすことついてたんです。今年はさっぱりです。

    「自然美にはのめり込めない」って、ねいちゃさん、もったいない。私は自然美が大好きなので、ねいちゃさんのエメラルドグリーンの沼の写真がとっても羨ましいです。私が行った時はあそこまでの色は見えませんでした。ねいちゃさん、ラッキーですよ。

    続きをお待ちしています。

    ニッキー

    ねいちゃ

    ねいちゃさん からの返信 2016/08/29 23:08:36
    RE: すばらしい。立て続けに2度も旅行に行かれたのですね!
    こんにちは、ご無沙汰しております。
    関東は今年は台風の当たり年のようで、
    明日にも東北に上陸とか、台風に慣れてない地域でしょうから心配ですね。

    > お孫さん、かわいいですね〜。大きくなられたのでびっくりしました。

    子供の成長は早いですね〜、毎日毎日細胞分裂を繰り返しているんでしょうな。
    私どもは毎日毎日、細胞が死滅しているというのに・・・。

    > ところでねいちゃさん、お孫さんにでれでれじゃありませんかぁ。

    子供だったらね、それこそ「ならぬものはならぬものです」と叱ったりするんですが、孫は何してもいいってな感じですわ。
    デレデレ・・・確かにそうかもしれません。
    死んだおやじも子供にはむっちゃ厳しかったんだけど、私の子供(孫)にはむっちゃ優しくて、「何それ?!」と思いましたもの。
    遺伝でしょうか・・・。(笑)

    >歴史語りに入った時のねいちゃさんと、場面場面でみごとに切り替えていらっしゃいますね。

    ウヘ、照れ隠しでございます。相好が緩んでいるのを悟られまいと懸命でした。

    >別のタイプの旅をされて・・・いいなぁ。

    孫旅は孫旅で結晶させて、本来の王道は王道でいくには、別企画しかありませんよね。このスタイル、初めてやってみたのですが、結構気に入りました。

    > 会津旅行のお宿、素晴らしいですね!庭園を見ながらくねくね廊下を上がったり下がったり・・・まさに日本旅館の風情です。

    ホントここ良かったです。
    冷蔵庫がないとか、アメニティがもう一つだったとかもありますが、この空間だけで満足でした。いつか行かれる機会があれば、ニッキーさんなら楽しんでもらえると思います。

    > 西郷頼母について、ねいちゃさんの講義のおかげでよくわかりました。

    この人、中間管理職の重荷を一身に背負われたお方で、何というか共感みたいなものを感じましたので、丁寧に説明させていただきました。
    一族を失い、最後は長男まで失って、自分一人が生きながらえる・・・壮絶ですよね〜。

    >今年はさっぱりです。

    あらあら、何かあったんですか?

    > 「自然美にはのめり込めない」って、ねいちゃさん、もったいない。

    美しいものは好きですよ。ウユニ塩湖やグランドキャニオンなんかも、見てみたいし、イグアスの滝やオーロラなんぞも見てみたい。
    ただまだ見ぬ、歴史遺産が一杯あるんで、優先順位的には後回しになっちゃうのは性分なのですね。
    アウシュビッツもアンコールワットもブルーモスクも、見てないんで、そっち優先なのです。

    続きは本日UPしました。
    お時間のある時にご覧ください。   ねいちゃ
  • るなさん 2016/08/26 13:30:20
    「ならぬことはならぬものです」
    ねいちゃ兄貴、まいどです♪

    会津は中学の修学旅行先でした。なんで京都・奈良じゃないねん?ってブチブチ言ってたことを思い出します(笑)
    でも、白虎隊や五色沼の美しさは印象に残っていますよ。と言っても五色沼のどれがどれなんだかは覚えてないけど(爆)

    いくら孫が可愛いって言っても、自分のための旅だってそりゃあ必要でしょう〜

    ラーメンか。
    パスタもそうだけど、本国に勝るとも劣らぬ技術の日本ってやっぱりすごいよね。
    パスタはイタリア以外で美味しいパスタに出合ったことはない。海外で食べるパスタはまずいと思いつつも、欧州で麺類が食べたくなるとパスタに走る私なんで、この前のスウェーデンでもまるで給食のソフト麺みたいなのに出くわして「やっちまった」って思いました(-_-メ)
    ホント、そう思うと日本のイタリアンは美味しい♪

    最近めっきり温泉地と無縁で、こういう文化財の建物の風情がとても新選組、じゃない新鮮です。
    苔の緑が美しく、和建築を引き立てるお庭ですね。

    「ならぬことはならぬものです」
    納得の言葉なんですが、私はこの言葉に逃げることが多い気がしますわ(爆)
    歴史から何を学ぶか?
    私のこの前のイタリア旅行記ボローニャ編でも少し触れているのですが、ある研究者の言葉が心に残ります。
    「困難にぶつかったら過去を勉強しなさい。未来は過去の中にある。」と。

    会津、歴史博士にはたまらん土地ですな。

    るな

    ねいちゃ

    ねいちゃさん からの返信 2016/08/26 23:21:25
    RE: 「ならぬことはならぬものです」
    こんばんは、姐さん。
    早々のご訪問、痛み入ります。歴史語り三昧で申し訳ないですが、あと二編お付き合いくださいませ。

    > 会津は中学の修学旅行先でした。

    関東圏では手近な観光拠点なんでしょうね、会津って。
    それでも、記憶に残っていたなら、関係者としてはしてやったりなんだろうね。
    私の中学の修学旅行は、鬼押出しとか白糸の滝でした。
    その一コマ一コマは記憶にあるのですが、どんな旅だったかは定かではありませんね。
    まぁ、修学旅行ってそんなものなんでしょうが。

    > パスタもそうだけど、本国に勝るとも劣らぬ技術の日本ってやっぱりすごいよね。

    イタリアに行った時に、ローマの大衆食堂みたいなとこで、パスタ食べたのですが、ホントに美味しかった。こんな名もない場末なのに、こんなにも美味しいバスタを食したことがなかったので、感涙ものでした。
    以来、パスタ愛が芽生えた私は、本場の味を追求すべく、日夜パスタを極めようと努力することになってます。(笑)
    日本のイタリアンは侮れませんね〜。ラーメンもまた然り。

    > 最近めっきり温泉地と無縁で、こういう文化財の建物の風情がとても新選組、じゃない新鮮です。

    私は温泉地はよく行くのですが、この向瀧さんはちょっと別格。
    料理は会津料理で、格別に旨いとは思わなかったけれど、その風情というか風格が半端なく臨場感をあおってくれる場所でした。
    冷蔵庫も置かれていないし、お風呂だってアメニティが充実しているわけではないのですが、その雰囲気に飲み込む環境ってすごいな〜と思います。

    > 納得の言葉なんですが、私はこの言葉に逃げることが多い気がしますわ(爆)

    「あかんもんはあかん」って楽な言葉だもんね、逃げじゃなくても、理屈じゃないんだという気概が伝わればいいんです。親の必死さって子供には伝わるから。

    > 「困難にぶつかったら過去を勉強しなさい。未来は過去の中にある。」と。

    どなたが仰った言葉なのか、不勉強ですけど。いいこと仰る。
    私の座右の銘にさせてもらってもいい言葉ですね〜。
    過去の失敗を未来に残さないように・・・でも、人ってバカなんですよね〜。
    同じ過ちを何度も繰り返す。
    でも私だけでも、何回でも、言い続けようと思ってます。
    不幸にして短い命の灯を消してしまわれた方々への手向けです。

    > 会津、歴史博士にはたまらん土地ですな。

    もうよだれがとまりません・・・。(笑)

    何ももらえなくても、もう一回言っときます。
    とっても美しい美魔女の姐さまへ。(爆)    ねいちゃ
  • ippuniさん 2016/08/25 00:33:23
    自分のための旅、会津へ
    ねいちゃさん、こんにちは

    今回は、凛々しいお孫さんは登場しないんですね。
    フルパワーで面倒を見るためにも、時々充電は必要です。
    私は充電のはずの旅が、修行に変わりつつあります(苦笑)

    さて、会津若松、と言えば白虎隊。。。
    白虎隊は、私にとっては生まれて一番最初の思い出です。
    幼稚園の頃、白い着物を着て、薙刀を持って、白虎隊の踊りを踊りました。
    今でも何故かその記憶だけが著しく残っていて、その時の藤山一郎の歌、
    「戦雲暗く陽は落ちて 孤城に月の影悲し…」
    今でも一語も忘れず歌詞を全部記憶しています。
    その踊りは、私の子供心に深く印象に残る、内容だったのでしょうね。

    会津と言う地名を聞いても勿論思い出すのですが、
    頼母の一族の悲劇のお話を今回お聞きした時、幼い頃に踊った内容と重なり、
    懐かしい思い出が蘇る反面、胸が詰まるような思いに駆られました。
    私も、踊りの中で最後に自害しましたのでね。

    女性だけならともかく、子供には何の罪もないのに…と
    今まさに子育て真っ最中の私には、そのことが何とも言えなく辛いですね。

    人は完璧ではないがゆえに、過去に起こった歴史から学ばなければならない、
    なのに最近は歴史を学ぶことすら興味を持たなくなった若者がたくさんいる、
    そんな状況が続くと、過去の過ちをまた繰り返すことだってあるでしょうね。

    ダメなことはダメ、なんですけど、それが分からない大人も大勢いますね。
    特に権力を持ってしまうとダメなことすらダメでなく思えてしまう。。。
    ダメなことはダメではあるけど、子供にはダメと言う前に、
    なぜダメなのか自分で考えて「しない」ようになって欲しいものです。
    なかなか難しいんですけど(苦笑)

    今回の旅行記、色々な思いにふけってしまいました。

    ippuni

    ねいちゃ

    ねいちゃさん からの返信 2016/08/25 21:16:29
    RE: 自分のための旅、会津へ
    こんばんわ〜ippuniさん。

    > 今回は、凛々しいお孫さんは登場しないんですね。

    孫旅はほんとにたま〜に、です。
    あの坊主パワーあるので、年寄には疲れる時もあるんです。
    毎週末にはやってくるので、私も修行の一環です。

    > 白虎隊は、私にとっては生まれて一番最初の思い出です。

    ippuniさんの「故郷」は福島県なんですか?
    小さい時の記憶って、なんでそれを覚えているのか、わかんないですけど
    きっと何かしらスゴイ、インパクトがあったんでしょうね。
    白虎隊の踊りを踊られたんですね、そんな方には今回の会津編は
    釈迦に説法なのかもしれませんが、私が感じた想いをつらつらと
    書き綴っていくつもりです。
    誤っている部分があれば、お教えくださいね。

    > 私も、踊りの中で最後に自害しましたのでね。

    頼母と言って、そのまんま通じることは嬉しいことですが、
    そこには凄惨な悲劇に通ずるので、悲しい記憶ですよね〜。
    孫を見てると、コイツが普通に成長してくれたらいいなと思うのですが
    それが許されない時代、そんな時代を作ったのは大人ですから
    そんな時代にならないように、頑張らないとね。

    > そんな状況が続くと、過去の過ちをまた繰り返すことだってあるでしょうね。

    正に私が危惧してるのもそんな所です。
    悲惨な記憶が薄れると、自己の憤りだけが独り歩きしてゆく。
    自虐史観だとか、色々言う方もおられますが、過去の戦争を理想化してはいけないとやっぱり思いますね。

    > なぜダメなのか自分で考えて「しない」ようになって欲しいものです。
    > なかなか難しいんですけど(苦笑)

    ちゃんと言ってあげれば、子供にも分かると思うのですよね。
    本気でちゃんと叱ってあげて、君がそうすると、他の人に迷惑がかかるよね〜
    自分がそうしたいのと、他人がそうしてほしくないのと、どっちが大事かな?
    そういう風に教えていくことが大人の使命です。

    > 今回の旅行記、色々な思いにふけってしまいました。

    ippuniさんはしっかりと直視して下さるので、書きごたえがあります。
    ただの旅行記だけど、何か感じてほしいっていつも思ってます。
    いつもいつもありがとうございます。  ねいちゃ

    ippuni

    ippuniさん からの返信 2016/08/25 21:51:52
    RE: RE: 自分のための旅、会津へ
    ねいちゃさん、こんにちは

    幼稚園の時に白虎隊を踊ったなんて書いたので、福島県出身のように見せかけてしまいましたが、私は神奈川県出身です。なんで、あの幼稚園で、毎年年長さんに白虎隊の踊りを教え込むのかよく分からないんですけど、きっと園長先生の希望なんでしょうね。

    ippuni

    ねいちゃ

    ねいちゃさん からの返信 2016/08/26 21:38:04
    RE: RE: RE: 自分のための旅、会津へ
    思わず笑ってしまいました。
    福島出身と見せかけておられたとは・・・。
    でも、神奈川県で妙に納得です。(笑)

    園長先生の来歴には、きっとどっかで会津と関わりがあると睨みました。
    昨今のご時世では、こういうのは反戦教育とか、偏向教育とか言われるので
    中々やられる方はおられないと思います。
    昔には普通に個人の思い入れでも、何かの役に立つと思われたなら
    どんどん取り入れられた時代でしょうから、きっとね、何かあるんですよ。
    それが証拠に、ippuniさんの中に根付いていますものね〜。

    一緒に会津を語れて、園長さんに感謝です。   ねいちゃ

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