2016/07/26 - 2016/07/27
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たびたびさん
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今回の旅は、米子から境港。米子は住んでいたこともあるので勝手知ったる街だったはずなんですが、観光地なんて言うイメージは全くない。高島屋が象徴する商業都市というのが一般的な米子の位置づけです。しかし、米子空港で得た情報だとそれだけでもないような。やや無理無理の感じもなくはないのですが、急きょ米子もコースに組み込んでこの機会に観光地らしきところを探索してみることにしました。
その後は、普通の観光。水木しげるロードです。
ということで。
旧加茂川沿いは、米子市内でほとんど唯一の観光エリア。米子市民ですら、米子には観光地なんかないと思っていますが、まあまあの米子城跡とこのエリアは観光地と言っていいでしょう。白壁土蔵や寺町などを回って、最後は最近売出し中の咲い地蔵まで。ちょっと地味ではありますが、観光客がほとんどいない分、時が止まったような雰囲気が楽しめると思います。
ところで、寺町には一直線の通り沿いに9つのお寺が並んでいます。米子城築城と同時に行われた街の整備でここに集められたものですが、いずれにしてもそれぞれが個性のある佇まい。近代的な本堂もあったりしますが、決して雰囲気を壊すようなことにはなっていない。ちゃんと共存しているように思います。
そして、せっかくなので、米子の歴史にも触れておくと。。
米子は伯耆の国なんですが、伯耆の国の国府があったのは倉吉。倉吉の打吹城は、応仁の乱の一方の大将山名宗全を生んだ山名氏の居城でもあり、このあたりまでは、伯耆の国の中心は米子ではなくて倉吉です。
関ヶ原の戦いの敗北により、尼子氏からせっかく奪った米子城を追われた毛利氏の一族、吉川広家。その後に、伯耆の国17万国の領主として、米子城に入ったのは中村一忠です。しかし、中村氏も米子城騒動から一忠の早逝により家系断絶、改易へ。ほどなく、徳川家康と姻戚関係ができたことで運が開けた池田輝政から始まる池田氏の因幡・伯耆32万石統治の時代が始まります。池田輝政のもう一方の系譜には岡山藩の藩主もいたのですが、鳥取と岡山の同じ池田氏同志のお国替えで幼い池田光仲が岡山藩から鳥取藩に入る。しかし、領国経営の藩主の負担を軽減するためとして、自分手政治という一部地域を家老に任せる制度を設けます。米子もその制度の対象となり、家老、荒尾氏が米子を預かり、明治維新まで続きます。
ちなみに、米子は、今でも鳥取に対するライバル心がとても強くて驚くほど。鳥取藩の城を決める際も鳥取にするか米子にするか最後まで議論があったといわれますから、ライバル関係はなかなかの古さです。一方で、池田光仲は、徳川家康のひ孫であり、幕府からは手厚い処遇を得ていたので、本来は穏やかな土地柄になってもよかったはずなんですが、自分手政治に守られたことで、逆にその穏やかさは米子まで及んでいないような。ちょっと皮肉な面もあるかもしれません。
鳥取と倉吉の旅も参考まで。
http://4travel.jp/travelogue/10711346
http://4travel.jp/travelogue/11112455
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米子空港に到着。
ここは、鬼太郎のキャラクターをもっと前面に出した派手な空港かと思ったんですが、想像していたよりはかなり大人しい感じでした。出たところの待合所に飛行機に乗った鬼太郎と目玉おやじのモニュメントがあって、これを撮ったくらい。あとは二階のステンドグラスの壁画くらいかなあと思います。 -
米子空港総合案内所は、到着ロビー横。少し時間があったので、ここで情報収集しました。近くの観光スポットとしては鬼太郎ロードか弓ヶ浜、大山・皆生温泉なんですが、米子市内の街歩きの情報も。
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地元でも米子市内は観光地としての認識はないんですが、この街歩き地図はなかなか充実しています。ネットで探しても、このレベルの地図はないので、観光協会でもアップしたらいいと思います。
ふーむ。米子なんか予定に入れてなかったのですが、せっかくなので、これは回ってみるしかないですね。 -
米子空港からまずやってきたのは、境水道大橋。この橋は、境港と対岸の島根半島を結ぶ橋です。この橋はない時代は渡船があって、島根半島の浦の海水浴場に向かい際はずいぶん待ち時間が長かったことを思い出します。
全長709mはそれとして、最大の特徴は島根県側の標高が50mであること。境港側はからこれをめがけて上って行くので今でも渡る時はちょっと緊張して運転しています。 -
空港近くにもお魚市場がありますが、地元の人が行くのはむしろこっちの境港水産物直売センターです。境水道大橋のたもとにあって、それを目標に訪ねました。
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あいにく火曜日で定休日でしたが、二軒のお店はやっていて問題なし。鮮魚と干物類を無事にゲットしました。
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のどぐろに加えて、カレイやハタハタの干物まで。
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しばらくは、ずいぶんリッチな朝飯を食べることになりました。
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ここからが米子の探索です。
米子城跡は、こんもりした山の上なんですが、 -
上まで登るのは私も今回が初めてです。
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ところで、米子城跡には天守閣も櫓もかつての城の遺構である建物は何も残っていません。一方で、この旧小原家長屋門は、米子城二の丸跡の南東側に建っていますが、米子市内にあった武家屋敷の建物を移築したもの。武家屋敷の建物としても市内で残るのは唯一だとか。
桁行20.38m、梁間4.03mの堂々とした大きさ。右側に1室、左側に2室があって、当時はたぶん門番が住んでいたのだと思います。 -
さて、下から見た時はそんなにたいしたことはないだろうと思ったんですが、
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なかなかどうして深い森の中を
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やぶ蚊に刺されながら上って行くというような
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けっこうしんどい登りです。
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これで着いたでしょうか。
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ほー。
しかし、頂上からの眺めは、大山や弓ヶ浜、足元の中海も含めて一望できて、 -
イチオシ
これは見応え十分。
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私が言うのもなんですが、これならもう少し知られてもいいような気がしますね。
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米子城を降りてきて。
湊山公園は、米子城跡と錦海の囲まれるような場所にあるけっこう大規模な公園。芝生広場のような場所や日本庭園のような場所もあります。 -
ここから始まるのは米子彫刻ロード。米子城跡のふもとから湊山公園、旧加茂川の流れる米子下町までけっこう長いルートです。遊歩道とかに彫刻が置かれることは珍しいことではないので、知らないと特別なものだとは思わないかも。私も、彫刻ロードの看板を見て、市が全体として企画したものだということが分かりました。
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で、こちらの錦海べりの遊歩道が一番のお勧め。
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安来・松江の方までつながる中海の遠景が意外に気持ちいいです。
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米子市児童文化センターは、同じく湊川公園の中。中の展示物とかより、周囲に設置してあるカブトムシのモニュメントとか、湊川公園で暑くなった後、ここで休憩がてら涼むとかの利用に便利な施設のように思いました。いずれにしても気兼ねはない施設です。
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イチオシ
もう少し進んで、隣は清洞寺跡。日本庭園の美しいエリアがあって、そこをいいます。
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かつては、亀島という小島。それを築山として周辺には広々した池が組み合わさって景色ができています。海辺と思って眺めると、一体どうしたんだろうというような景色です。
かつての島には3基の五輪塔。米子の2代城主、加藤貞泰が父の菩提を弔うために作ったもののようです。 -
旧加茂川の下流ならではの神社というなら宇気河口神社。
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街中にはあるのですが、真っ平らな境内の背後には中海がもうすぐそこ。近くの清洞寺跡である亀島にあった弁財天社を移したものとも伝えられるようですが、そのことも中海に近い場所の歴史に関わることを示しているように思います
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そして、この後藤家住宅は、いわゆる後藤さんとして米子でとっても有名なお家です。
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代々回船問屋を営んでいた商家の建物。国の重要文化財に指定されていて、今では一部の建物が残っているだけとはいえ、それでも辺りを睥睨するような存在です。内部の拝観等はできませんが、往時の賑わいは外観からでも十分偲べるでしょう。
近くに後藤駅というのがあって、これは後藤家が一体の土地も含めて無償で提供したもの。今でも米子の市民はこのことを忘れずにいて、後藤駅という響きには感謝の気持ちが残っているように思います。 -
京橋は、旧加茂川の一番下流に架かる橋。ゆったりした水の流れの先にはもうそこは中海です。左手はかつての回船問屋の後藤家住宅。中海は静かな海なので、北前船でも賑わったのだと思いますが、私的には中海だとむしろ北前船の賑わいのイメージは安来の方が強いような。安来節は北前船の影響だし、安来千軒はその象徴。安来と米子の港町の関係とか、もう少し勉強がしてみたくなりました。
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米子城の建物は何も残っていないと思ったら、しゃちほこが残っているそうで、米子下町の一角にある鹿島茶舗にありました。
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イチオシ
女将さんに尋ねると、こちらですと中庭に導かれて、なるほどこれですか。大きさはさほどではないですが、はっきりした目鼻立ちのくっきり系のしゃちほこ。お庭の飾りになっていましたが、あまりにも飾りとしてぴったりしてい過ぎて笑ってしまいそうでした。
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ながた茶店は江戸時代に創業した老舗のお茶屋さんのようですが、まちなか観光案内所のステッカーが貼ってありました。スイーツの試食なんかもやっていて、ちょっと寄って休憩するにもいいところです。
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同じ並びの下町館かどやは、このあたりのランドマーク的な施設。名前の通り、通りの角に建っていて、すぐにそれと気づきます。ただ、この日は平日だったのですが、なぜかお休み。看板にあった吾左衛門寿司というのが気になりました。
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お地蔵さんがここにもいらっしゃいました。
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少し入って、こちらは凉善寺。しかし、路地を少し入った場所なのでちょっと分かりにくいかも。
こちらの開基は、米子城主中村忠一の母。そういう意味では古刹ですが、本堂とかまだ建て替えられて間がないような新しさです。 -
境内には、後醍醐天皇の忠臣、備前の領主児島高徳の遺徳を偲ぶ児島高徳公顕彰碑がありますが、いわゆる明治維新の尊王攘夷の流れにあるもの。米子にも尊王攘夷の志士がいましたよという意味でしょうが、こうしたものはけっこう全国各地にあって、当時の流行のようなものかと思います。
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寺町のエリアに入って、まずは本教寺。寺町のお寺が軒を並べる通りからだと少し脇の通りです。
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日蓮宗の寺ですが、入口のずんぐりした楼門が立派で、目が止まりました。門前に「今月の聖語」という掲示板があって、なんだか大阪の北御堂みたいだなと思いました。
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これが寺町のメインストリートです。
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いくつもの寺が軒を並べていますが、この安国寺は、足利尊氏ゆかりの寺。
南北朝争乱の犠牲者を弔うために全国に安国寺を建てたのですが、そのうちの一つだそうです。なるほどそういうことでしたか。道理で安国寺という名前の寺にはよくお目にかかると思っていました。 -
ただ、この寺は元々は別の場所にあったのがこちらに移ってきたもの。山門の辺りの威厳がちょっといいですが、境内はすっきりしています。
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続いての妙興寺は、日蓮宗の寺。境内には米子城執政家老、横田内膳正村詮の墓があります。
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ちなみに、この横田内膳正村詮は、徳川家康から命を受けて、甥の幼い米子藩17万石の城主、中村一忠を助け力を尽くします。産業振興で功をあげ、現在の米子の基礎を築いたとされるほどの人物。しかし、これを羨んだ家臣の讒言により、非業の最期を遂げることに。これに対し、江戸幕府は即刻首謀者を処断、中村一忠も謹慎。間もなく一忠が早逝したことで中村家は断絶することともなりました。いわゆる米子城騒動です。
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なお、墓石は新しいので、これかなあとかなり迷いました。結局、どうしても確信が持てないので、お寺の方に聞いてやっとそれと確認できました。
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実成寺も日蓮宗の寺。入口に立つ堂々とした楼門と
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その奥に建つ本堂は正面に千鳥破風を設ける無駄のない姿。二つの石灯籠と緑が少し加わって、清貧な雰囲気かと思います。倉吉からこちらに移ってきた寺のようです。
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法蔵寺は、曹洞宗のお寺です。何んといっても目を引くのは緑の瓦の四脚門と土を重ねた土塀。少し傷んだ感じもしなくはないですが、存在感は健在です。
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そして、本堂はモダンなデザイン。銅板葺のような屋根も設計者の意図なのかどうか。意外な美しさのように思います。
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心光寺は、境内奥に江戸時代初期の作といわれる廻遊式庭園があります。
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門前にその説明があったので、奥のほうに入っていったのですが、
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これはお寺の居住部分のような場所。ちょっと図々しく入らないと見れません。
限られたスペースに、石組み、松、心字池がギュッと詰まっていて、なるほどよくできた眺めです。 -
寺町からまた移動して。
岡本一銭屋は、ちょっと知られたレトロな駄菓子屋さん。昭和25年に米子市で博覧会が開催された時に作られたという看板が渋いですね。 -
どこからやって来るのか分かりませんが、人けがないこのあたりでも、唯一ここだけはアイスクリームを食べている親子連れやお菓子を買い求める女性の姿とかちらほらあって賑わいがある。ちょっと不思議な光景です。
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こちらのモダンな坂口合名ビルは、米子下町の中心部より、もう少しほんどおりに近い辺り。この石造の洋風建築は、昭和6年に建てられたものです。大きさはさほどでもありませんが、正面に石柱を配する基本的な洋館構造にクリーム色の外観が美しくて、現在でも現役のビルだそうですが、それなりのメンテナンスをしながら維持されてきたのではないかと思います。
ちなみに、坂口家は米子に地盤を置く地方財閥。木綿業から興して、醤油醸造や製糸業、石油卸、林業等に進出。高島屋の家主でもあります。当主は、代々、坂口平兵衛を名乗り、坂口平兵衛と言えば米子では知らない人はいないお殿様みたいな存在。観光地スポットというよりも、米子の街を知るうえで象徴的な建物と言えるのではないかと思います。 -
旧加茂川沿いの白壁土蔵群のあるエリアもすぐそばです。
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限られたエリアなんですが、
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カッパ ロードというのもあって、加茂川の河童の家族が疎開先の日野川から帰ってきましたとかの設定があったり、ゆるい感じの観光スポット。まだ歴史もあまりないと思いますが、景色にそう合わなくもないのでこうして定着したんでしょう。しかし、ゆるゆるのところがいいところ。今後も過激にならないように祈ります。
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そして、この辺り一帯をさすのかもしれませんが、しょうじき村~笑い通りは、NHKの番組で米子の有名スポットみたいに紹介されました。ただ、実際のところはが、地元の人でもあまりそうした認知はしてないかも。下町を歩いていて、咲い(わらい)地蔵はどこですかと聞いてもすぐには分からない人が多いのが実情です。外からの見方とはけっこうギャップがあるように思います。
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そうはいっても、この咲い地蔵は、NHKの番組で紹介されたこともあって、今では一番メジャーな地蔵様。傍らに「念ずれば花ひらく」と記された石碑もあって、何かありがたい感じがする一角となっています。
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法勝寺町、紺屋町、四日市町、東倉吉町へと続く米子ほんどおりは、山陰では初めてのアーケード商店街だったようで、商都米子の象徴でもあった場所。かつては、土曜夜市でけっこう賑わい、今では戸板市やにぎわい市とか形を変えて続いています。
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近くに高島屋もあって、ここが米子の中心であるのは間違いないのですが、やっぱり元気がなくなっているのは否めないような気がします。
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米子市立山陰歴史館は、旧米子市役所。鉄筋コンクリート3階建て、赤レンガ色タイル張りの建物ですが、往時を知る人が見れば、外観からしてかなり老朽化していてちょっと寂しくなるような。
ただ、米子は山陰では歴史の表舞台にはいないし、民俗資料館という内容からも、この名前はまったく相応しくない。いろんな面でどうかなあという施設はあります。 -
ちょっと否定的なコメントが多くなっていますが、少し郊外に出て。
こちらは、総泉寺。 -
曹洞宗の寺で、檀家には米子城下の武士も多かった米子城下第一の巨刹です。で、米子城主の中村家、池田家とも縁があったというのですが、詳しいことは分かりません。
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ただ、この威厳のある伽藍は米子イメージをかなり変えるもの。ねずみと和尚の話が伝わっていたり、そんなところもちょっと気になるお寺です。
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同じく郊外の感應寺は、かつての米子城主、中村一忠の墓所があるお寺。開基は、徳川家康から中村一忠補佐の命を受けた家老、横田村詮。
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しかし、前述したとおり、村詮は讒訴にあって一忠に討たれてしまう。徳川幕府はこれを咎め、中村一忠を謹慎に処し、一忠は20才で早逝。中村家は断絶してしまうこととなりました。中村一忠の墓所は大名らしい豪壮さはありましたが、物語を知っているとどうしても寂しさというか、一種のあわれさえも感じてしまいます。
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さて、米子を終えて、翌日は再び境港です。
これは境港の玄関口、夢みなとタワー。ちょこっと寄ってみます。 -
中に入ると規模のあるフリースペース。
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その一角に、みなとまち商店街というのがありました。限られた範囲ですが、昭和を意識した駄菓子屋さんや雑貨屋さんが軒を並べていて、けっこう雰囲気がある。自分だけの懐かしいお気に入りを探すドキドキ感も感じられるように思います。
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夢みなと公園は、夢みなとタワーからおさかな市場を越えて歩いた先。海に臨んだ少し小高い丘が続いていて、それが中心。
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弓ヶ浜から大山を臨むお決まりの景色もありますが、海辺では魚釣りに興じる人たちもいて、のどかな公園です。
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そして、いよいよ鬼太郎ロードです。
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まずは、水木しげる記念館へ。
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入り口では、猫娘もお出迎え。
人形だと思ったら急に動いたので、ちょっとびっくりしてしまいました。 -
境港の水木しげる関係の施設としてはここが最も充実していて、鬼太郎ロードに来たなら、やっぱりここに寄らないと話にならないという施設でしょう。
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ゲゲゲの鬼太郎の仲間や
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イチオシ
妖怪キャラクターがジオラマ展示されたコーナーなど、
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イチオシ
本当によくできています。
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入口付近は写真撮影禁止ですが、
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撮影可の場所もけっこう多くて
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あまり不自由は感じませんでした。
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妖怪の世界観って、
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水木茂の専売特許でもないと思うのですが、ここまでたくさんのそれらしい妖怪を見せられると、やっぱり水木しげるってすごいです。ハリーポッターも空想の世界なんですが、この世界観も負けないくらいに素晴らしい。海外の人にも通じないはずはないように思うのですが、どうなんでしょうねえ。
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こちらも壁に飾られた妖怪たち。
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それぞれが、
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イチオシ
それぞれに
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怪しい雰囲気を漂わせて、
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イチオシ
楽しい、楽しい。
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水木しげるのファンじゃなくても、これなら十分に楽しめます。
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で、ここから、おさかなロードを通って、海とくらしの史料館に向かいます。
おさかなロードは海沿いの道ですが、けっこう距離もある。 -
賑やかな場所から離れていく不安もあったのですが、
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イチオシ
途中途中に置いてある魚のモニュメントがとても立派で、
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感心しながら拝見しました。
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雰囲気があって、よくできていますよね。
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漁船が係留されていて、こちらものどかな光景です。ちなみに、向こうは島根半島です。
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海とくらしの史料館は、魚のはく製所蔵数日本一というのですが、確かにこれはおびただしい数。
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イチオシ
ただ、広い部屋に体系的に並んでいるので、とても見やすく感じます。中央にある竜宮の使いやマンボウ・サメも大きいだけじゃなくて色が自然。
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蟹の標本もなかなかいいと思います。
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海とくらしの史料館の隣りは、境台場公園。
国の史跡で、幕末文久3年(1863年)に築かれた鳥取藩台場8か所の一つです。 -
公園は、周囲を土塁が囲むような形で、その土塁の上に桜並木と境港灯台があって、それが見どころ。
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境港灯台の方は扉を開けて中を拝見。らせんの階段がしっかりありました。
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海岸通りのおさかなロードを再び戻って。その途中で見かけたのは、「ある処にぼたもち山」というお菓子屋さん。観光客はあまりいないような場所なのでお菓子屋さんにはふさわしくないような感じもするんですが、それにしてはちゃんとしたお店。
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豆大福をいただきましたが、お餅の皮が柔らかくて、食べるとどろんと溶けてしまう。まあ、このタイプもないことはないという感じです。
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中心部に帰ってきました。
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もう一つ気になっていたゲゲゲの妖怪楽園は、鬼太郎ロードから少し脇道に入った場所。ちょっと気が付きにくい場所かもしれません。
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ただ、ここもなかなか充実の施設。前庭には小さな小屋が建っていて、子供が遊んでいたり、
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室内の遊具場ではではスタッフがちゃんといて指導もしてくれる。
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水木しげる記念館とはまた違った面白さがあると思います。
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駅の方に向かって、通りはまだまだ続きます。
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ここにも妖怪のモニュメント。
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イチオシ
記念館の妖怪もよかったですが、ブロンズの像もまた味がありますね。嫌いじゃないですよ~
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では、ちょっとお土産を。
妖怪饅頭は、いわゆる人形焼きなんですが、餡子だけじゃなくてチョコやクリームも入っている。そうしたバレエティの豊富さが水木しげるの世界観ともオーバーラップしているように思います。また、店内はオープンで楽しいデザイン。この売り場もショー的な要素があるでしょう。 -
妖怪神社は、水木しげるロード沿い。どちらかと言えば境港駅よりです。
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鬼太郎のキャラクターが適度に配されていまして、入口脇にある目玉おやじの清めの水、一反木綿の鳥居など。ちょこちょこ和める工夫があって楽しめます。
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駅に近い辺りに最近出来た河童の泉。ちらりと見ただけですが、美しい一角です。
ということで、鬼太郎ロードはおしまいです。 -
帰りの米子空港ですが、ショップの紹介を二つしておきましょう。
氷温食品は、米子空港の二階。錦織で話題ののどぐろとかの干物とか、境港であがった海の幸を豊富に取り扱っています。冷凍にしてあるので、持ち帰りも安心。一見ちょっと値段は高いかなという感じですが、こうした魚は味が抜群です。私は前日に境港の直売所で干物を買っていたのでここのは買いませんでしたが、その味が分かっている人なら、この値段はちゃんと見合っているように思います。 -
鬼太郎関係のお菓子とかであれば、ビーウィングがものすごく充実していて、これで十分。鬼太郎ロードで妖怪まんじゅうとか買いましたが、荷物にもなるし、最後にここで調達すればよかったなと思いました。
さて、これで、東京に帰ります。お疲れ様でした。
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