2015/11/17 - 2015/11/18
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旅人のくまさんさん
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世界文化遺産の厳島神社紹介の締め括りです。国宝で世界遺産の建造物が有名ですが、平安時代に平家一門がその繁栄を願って厳島神社に奉納した、国宝の『平家納経』も価値が高いものです。『法華経』30巻、『阿弥陀経』1巻、『般若心経』1巻、平清盛自筆の願文1巻と、経箱・唐櫃からなります。
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イチオシ
庇の瓦越しに眺めた、『豊国神社』の破風の光景です。軒平瓦と軒丸瓦には、金メッキが施されているようでした。織田信長が岐阜城の本丸御殿の瓦に使ったのが発掘されていますから、恐らく、安土城でも要所には使用したかもしれません。それを踏襲したのが秀吉です。
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これで厳島神社の摂社の『豊国神社』の見学はお終いです。最後に紹介する正面出入口の光景です。靴脱ぎ場には、雨天対策用のテントが張られていました。入場しての見学は些少でしたが、有料でした。
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帰り道の石段に降り積もった、楓の落葉です。すっかり雨に打たれていました。濡れた落ち葉の上を歩くのは、滑りやすくて危険ですから、落ち葉の少ない場所を選んで、ゆっくりと石段を下りました。
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イチオシ
同じく、道の脇に降り積もった楓の落葉です。この上を歩く必要はありませんので、もっぱら落ち葉の鑑賞です。世界三大紅葉樹は、ニッサ・シルバチカ、スズランノキ、とニシキギとされます。なぜか、『カエデ(楓)』が入っていませんが、恐らく日本の楓の紅葉の美しさがほかの国では見られないためでしょう。これまでの海外旅行では、楓の紅葉が綺麗だったのは、韓国北部くらいのものです。
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石段を下りるだけですから、あっという間に『塔の岡』から麓に下りてきました。その麓にあった、もみじ饅頭のお店の光景です。もみじ饅頭は、宮島では製造販売が普通のようでした。このお店も、店頭から見える場所で製造されていました。広島名物の牡蠣のお土産には躊躇しますが、もみじ饅頭は迷うことがありません。
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連絡船のフェリーの出発時間に合わせて、少し自由時間がありました。小雨でしたから、傘を差しながらの商店街散策です。往きにも潜った石の鳥居の光景です。鳥居とは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画する『結界』とされ、神域への入口を示すものです。今度は出口になりました。
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宮島の商店街の光景です。先ほど鳥居の外に出ましたので、俗界になります。鳥居の語源については所説あります。鶏の止まり木を意味する『鶏居』を語源とする説、止まり木、あるいは神前止まり木説、『とおりいる(通り入る)』が転じたとする借字説、サンスクリット語のトーラナ(塔門)を漢字から借音し表記したとする説などです。そのほかには、タイや韓国からの渡来説もあります。
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このお店ももみじ饅頭の製造販売店のようでした。店頭に各種のもみじ饅頭が並んでいました。お土産をもみじ饅頭にすることには迷いませんが、もみじ饅頭の品定めには迷う人も多いようです、赤い小豆餡屋白餡以外に、クリーム、チーズ、抹茶味など、きりがないくらい種類が増えています。
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待ち時間を考慮して、添乗員さんが、昼食のお店のお手洗いの使用を交渉してくれていました。慌ててフェリー乗り場までいかなくとも、このお店が利用できました。昼食の時にも見学した立派な庭と泉水の光景です。
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少し離れた場所からの図^無アップでしたから、錦鯉さんの姿がぼやけてしまいました。黒以外の鯉は『鯉(イロゴイ)』、赤い鯉はを『緋鯉(ヒゴイ)』、特に観賞魚として色彩や斑点など、体色を改良されたものは『錦鯉(ニシキゴイ)』と呼ばれます。
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並んでいるお地蔵さんは六地蔵ではなく、五地蔵さんでしたが、それぞれにキャッチフレーズをPRしていました。一番左の地蔵さんは、『試練には必ず宝があり』と教えていました。その次の地蔵さんの教えは、『弱いから強くなれる、持ってないから、何でも持てる』の現世利益の教訓でした。
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イチオシ
2年以上もの歳月を使って作られた、世界一の大杓文字の見出しがあった『ひろしま観光ナビ』からの引用です。『長さ7.7mの世界一の大杓子は、伝統工芸である宮島細工を後世に遺す目的で、宮島のシンボルとして2年10ヶ月の歳月をかけて制作されました』と紹介されていました。
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大杓文字には、神棚も祀ってありました。『ひろしま観光ナビ』には、『展示場所が決まらず14年間倉庫に収められていましたが、1996年12月に嚴島神社が世界遺産に登録されたことを記念して展示されるようになりました。宮島杓子は日々の調理の実用品のみならず「幸せをめしとる」との意味あいから、今では縁起物のお土産として重宝されています』、とも紹介されていました。
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しゃもじ(杓文字)に似顔絵を描くお店の紹介です。先ほど紹介した、縁起物の杓文字がプロマイド代わりになっていました。宮島の杓子の歴史は古く、18世紀の終わり頃、僧・誓真が島民の産業として、弁財天の琵琶の形をヒントに杓子作りを考案しました。高校野球の広島県代表チームの応援に杓子を使うのも今では甲子園でお馴染みの風景になりました。
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美味しそうな匂いを辺り中に漂わせていた、宮島産の牡蠣のお店です。店内には椅子席がありましたが、店頭販売もされていました。『広島の牡蠣収穫量は日本一。それには広島湾の豊かな恵みが大きく関係しています。波の穏やかな内海に注ぎ込む太田川の清流は豊富な栄養分を運び、牡蠣の成長に欠かせないプランクトンを繁殖させます』、とネットでも紹介されていました。
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そぞろ歩きしながら、宮島桟橋に向かいました。その途中の商店街光景が続きます。『百々(もも)商店』の看板が掛かったこのお店は、『お好み焼』のお店でしたが、『焼牡蠣』『穴子ちくわ』などの看板もありました。アツアツの穴子ちくわと生ビールのセットをお勧めするネット情報も目にしました。
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次に紹介するお店には、『たち花』の暖簾と『お食事処・たち花」の看板がありました。ショー・ウィンドウに色々な品が並べられていましたが、お勧めは、大きなお品書きに記されていた、『名物・かき料理』と『名物・あなご丼』のようでした。
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商店街を通り抜けて、海に面した堤防道が見える場所までやってきました。この辺りにも、『あなご丼』や『焼き牡蠣』の幟が立っていました。一階が食堂で、階上が旅館のようです。すでに、目印にしていた町の交番所を過ぎた場所のようでした。
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堤防道に面した大きなお店の『桃井物産店』の看板があったお店の光景です。店内には、宮島の伝統工芸品の大きなお盆や、店頭には客引き用の半袖Tシャツも吊り下げられていました。外国人向けもあるらしく、『侍』や『広島じゃけー』の文字が入ったTシャツもありました。
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宮島桟橋の近くまでやってきました。すでに、複数のフェリーが停泊していました。なぜか、波止場の周りの石垣には、川で採れる玉石垣が積まれていました。手前に見える紅白のフェリーは、定期船の『みやじま丸』でした。
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宮島桟橋ビルの光景です。宮島桟橋は、廿日市市宮島町の厳島内にあるJR西日本宮島フェリー宮島連絡船および宮島松大汽船宮島航路の宮島側の桟橋です。隣接する3号桟橋も含め、宮島港桟橋として案内されることもあるようです。現在の建物は、旧宮島町時代の1976年に完成した、鉄筋3階建の建物です。
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宮島桟橋ビル化、あるいはその近くのビルの前の光景だったようです。この辺りはかつては餌が貰えた場所だったのでしょうか、鹿さんが集まってくる場所のようでした。今は餌槍禁止ですから、山に戻れない鹿さんにとっては、生きていくのも大変そうです。
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すでに大勢の人が並んでいた桟橋の光景です。それでも800人乗り程度の定期船ですから、これくらいは1回で楽に乗船できそうです。乗ってしまえば、あっという間の10分ほどで宮島口の桟橋に到着します。
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印象的な屋根の造りの桟橋光景です。この場所は、すでに海に張り出した場所になるようです。少し前の台風の影響ですが、浮桟橋に渡る橋が落下していた写真を目にしました。この橋ではなく、並行する別の橋だったようです。
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宮島を出港した後で、振り返って眺めた厳島神社の『大鳥居』方面の光景です。厳島神社が一緒に見える方角ではなかったようです。ハイドの建物や木立などが霞んで見えていました。島全体が神聖な場所とされますが、併せて長い歴史を感じさせてくれる島でした。
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僅か10分の乗船では物足りないような、雨上がりの様に見えた幻想的な瀬戸内海の光景です。船の上に薄い雲がたなびき、その下を連絡船が行き交い、更にその背後には、半ば雲に包まれた山並みが見えていました。
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海上を行き交うフェリーの光景です。手前の青い船は航跡が右後ろに伸びていましたから、こちらのフェリーと同じく、本土の宮島口方面に向かう宮島松大汽船のフェリーの『厳島丸』ようでした。その左手に見えるのは、反対方向の宮島に向かうJRの連絡船の『ななうら丸』のようです。
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本土側の宮島口の桟橋が近付いてきたようです。海岸線近くのビルの姿が大きく見えてきました。左手に見えるフェリーは、JRの『みやじま丸』です。こちらのフェリーと同じ、『宮島口』の埠頭に向かっているようでした。
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さらに、本土側の宮島口の桟橋が近付いてきたようです。右手に見える10階建てほどの建物は、海沿いに建つリゾートマンション辺りに見えました。左側の同じほどの高さのビルは、『宮島コーラルホテル』の文字がありました。
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宮島口の波止場が目前となりました。この後、原爆ドームを見学した後、宮島より東に位置する、広島湾に面した『グランド・プリンスホテル・広島』に宿泊し、明日は日本海側の『出雲大社』の参詣です。古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていましたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称しました。明治維新に伴う近代社格制度下で、唯一『大社』を名乗る神社でした。
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