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小雨のアルジェ空港をサハラの奥地 Djanet(ジャネット)に向けて午前6時30分に飛び立った双発機は1時間もしないうちにL&#39;Atlas(アトラス山脈)を越え太陽の光が眩しくなった。<br /><br />途中の El Golea(エルゴレア)に着陸すると、10名ほどしかいない乗客が全員降り出した。何事かと乗務員に尋ねると、「これから先の寄港地の Tamanrasset(タマンラセット)上空が荒天のため飛行打ち切りで明朝3時に出発だ。」という。エール・アルジェリィの提携ホテルで1泊し、深夜の1時に迎えに来るという。<br /><br />乗客でやはりジャネットを目指しているフランス人グループの女性に聞いてみると、「サハラ路線ではよくあること」らしい。フランス人はサハラをまるで自分の庭のように思っているようだ。<br /><br />航空会社の粋な計らいで、El Golea(正式名称はアラブ語で El Meniaa:エル・メニーア)をマイクロバスで案内してくれるという。最初に向かったのは瓦礫の山の上に聳える Ksar(クサール:アラビア語に由来し、城壁に囲まれたオアシス住人の伝統的村落をさす。略奪等の攻撃を避けるために山の上に築かれることが多い。)でまるで城塞のようだった。<br /><br />先ほどの乗客のフランス人女性から、「今から La Tombe du Pere Foucauld(フコー神父の墓)を訪れるけれど一緒に行く?」と誘われた。フコー神父については予備知識が無かったので彼女に説明を求めた。フランスではフコー神父は探検家としても知られているという。<br /><br />Charles de Foucauld(1858年〜1916年)はフランス・カトリック教会の神父で探検家・地理学者でもある。自堕落な生活を送っていたフランス軽騎兵隊の士官だった彼はモロッコへの探検旅行を試み、深くサハラの砂の世界に魅せられる。フコーはキリスト教に回心しサハラ砂漠の奥地 Tamanrasset(タマンラセット)の貧しい庵に住みついた。<br /><br />彼は58歳で殉教したが、死の1年前に妹へ手紙を書いている。「タマンラセットでミサをあげて10年になります。でもたった1人の改宗者もいません。」フコー神父は Touaregs(トゥアレグ族)の人達にキリスト教を伝道するために Tamahaq(又はTamachek:タマシェク語)を学び生活を共にした。<br /><br />フコー神父はサハラの奥地で10年を経ても1人の改宗者も得ることができなかった。しかしフコー神父にとってそれは無意味なことではなかったはずだ。彼をサハラの奥地に向かわせたものは何だったのだろうか。何か不思議な力が彼をサハラに引き寄せたに違いない。そして彼は一切を捨てて砂漠に入って行った。

エル・ゴレア(アルジェリア):サハラ砂漠にフランスの探検家フコー神父の眠る街

40いいね!

1975/03/09 - 1975/03/10

27位(同エリア159件中)

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カリオカケイタ

カリオカケイタさん

小雨のアルジェ空港をサハラの奥地 Djanet(ジャネット)に向けて午前6時30分に飛び立った双発機は1時間もしないうちにL'Atlas(アトラス山脈)を越え太陽の光が眩しくなった。

途中の El Golea(エルゴレア)に着陸すると、10名ほどしかいない乗客が全員降り出した。何事かと乗務員に尋ねると、「これから先の寄港地の Tamanrasset(タマンラセット)上空が荒天のため飛行打ち切りで明朝3時に出発だ。」という。エール・アルジェリィの提携ホテルで1泊し、深夜の1時に迎えに来るという。

乗客でやはりジャネットを目指しているフランス人グループの女性に聞いてみると、「サハラ路線ではよくあること」らしい。フランス人はサハラをまるで自分の庭のように思っているようだ。

航空会社の粋な計らいで、El Golea(正式名称はアラブ語で El Meniaa:エル・メニーア)をマイクロバスで案内してくれるという。最初に向かったのは瓦礫の山の上に聳える Ksar(クサール:アラビア語に由来し、城壁に囲まれたオアシス住人の伝統的村落をさす。略奪等の攻撃を避けるために山の上に築かれることが多い。)でまるで城塞のようだった。

先ほどの乗客のフランス人女性から、「今から La Tombe du Pere Foucauld(フコー神父の墓)を訪れるけれど一緒に行く?」と誘われた。フコー神父については予備知識が無かったので彼女に説明を求めた。フランスではフコー神父は探検家としても知られているという。

Charles de Foucauld(1858年〜1916年)はフランス・カトリック教会の神父で探検家・地理学者でもある。自堕落な生活を送っていたフランス軽騎兵隊の士官だった彼はモロッコへの探検旅行を試み、深くサハラの砂の世界に魅せられる。フコーはキリスト教に回心しサハラ砂漠の奥地 Tamanrasset(タマンラセット)の貧しい庵に住みついた。

彼は58歳で殉教したが、死の1年前に妹へ手紙を書いている。「タマンラセットでミサをあげて10年になります。でもたった1人の改宗者もいません。」フコー神父は Touaregs(トゥアレグ族)の人達にキリスト教を伝道するために Tamahaq(又はTamachek:タマシェク語)を学び生活を共にした。

フコー神父はサハラの奥地で10年を経ても1人の改宗者も得ることができなかった。しかしフコー神父にとってそれは無意味なことではなかったはずだ。彼をサハラの奥地に向かわせたものは何だったのだろうか。何か不思議な力が彼をサハラに引き寄せたに違いない。そして彼は一切を捨てて砂漠に入って行った。

旅行の満足度
5.0
観光
4.0
ホテル
3.0
グルメ
2.0
ショッピング
2.0
交通
2.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
レンタカー 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
個別手配

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  • El Golea(エルゴレア)のロケーションマップ(出典:fr.geneawiki.com)<br />首都アルジェから南に直線距離で687km(道路距離:868km)

    El Golea(エルゴレア)のロケーションマップ(出典:fr.geneawiki.com)
    首都アルジェから南に直線距離で687km(道路距離:868km)

  • エルゴレアの市街図(出典:openstreetmap.org)<br />人口:4万人(2008年の調査による)

    エルゴレアの市街図(出典:openstreetmap.org)
    人口:4万人(2008年の調査による)

  • サハラ砂漠のオアシス上空の写真。

    サハラ砂漠のオアシス上空の写真。

  • 航空会社の粋な計らいで、El Golea(正式名称はアラブ語で El Meniaa:エル・メニーア)をマイクロバスで案内してくれるという。最初に向かったのは瓦礫の山の上に聳える Ksar(クサール:アラビア語に由来し、城壁に囲まれたオアシス住人の伝統的村落をさす。)

    航空会社の粋な計らいで、El Golea(正式名称はアラブ語で El Meniaa:エル・メニーア)をマイクロバスで案内してくれるという。最初に向かったのは瓦礫の山の上に聳える Ksar(クサール:アラビア語に由来し、城壁に囲まれたオアシス住人の伝統的村落をさす。)

  • Ksar(クサール)は略奪等の攻撃を避けるために山の上に築かれることが多い。まるで城塞のようだ。<br />

    Ksar(クサール)は略奪等の攻撃を避けるために山の上に築かれることが多い。まるで城塞のようだ。

  • エルゴレアのクサールは 9〜10世紀にかけて Berberes(ベルベル人)によって築かれた。

    エルゴレアのクサールは 9〜10世紀にかけて Berberes(ベルベル人)によって築かれた。

  • クサールは日干し煉瓦と石で築かれている。

    クサールは日干し煉瓦と石で築かれている。

  • クサールからはエルゴレアのオアシスを一望の下に眺めることができる。オアシスの向こうには Plateau(プラトー)と呼ばれるテーブルマウンテン、更にその奥には Le Grand Erg Occidental(西グラン・エルグ砂漠:サハラ砂漠の一部)が広がっている。

    クサールからはエルゴレアのオアシスを一望の下に眺めることができる。オアシスの向こうには Plateau(プラトー)と呼ばれるテーブルマウンテン、更にその奥には Le Grand Erg Occidental(西グラン・エルグ砂漠:サハラ砂漠の一部)が広がっている。

  • オアシスを 18万本の椰子の木が取り囲んでいる。その向こうは褐色の無(サハラ)が広がっている。

    オアシスを 18万本の椰子の木が取り囲んでいる。その向こうは褐色の無(サハラ)が広がっている。

  • Le Grand Erg Occidental(西グラン・エルグ砂漠:サハラ砂漠の一部)は高さが 300mを超すものもある。

    Le Grand Erg Occidental(西グラン・エルグ砂漠:サハラ砂漠の一部)は高さが 300mを超すものもある。

  • 街の名前の El Golea(新しくアラビア語で El Meniaaと名前が変更になった。)も El Meniaa共「難攻不落な城」を意味する。

    街の名前の El Golea(新しくアラビア語で El Meniaaと名前が変更になった。)も El Meniaa共「難攻不落な城」を意味する。

  • 日干し煉瓦と石で築かれたクサールは1,000年を経て荒廃が進んでいる。

    日干し煉瓦と石で築かれたクサールは1,000年を経て荒廃が進んでいる。

  • オアシスの町の中の様子。

    オアシスの町の中の様子。

  • エルゴレアのクサールと隊商がデザインされたアルジェリアの切手(Cariokakeita Museum所蔵)

    エルゴレアのクサールと隊商がデザインされたアルジェリアの切手(Cariokakeita Museum所蔵)

  • 街の中の Marche(市場)で反物を扱う店。

    街の中の Marche(市場)で反物を扱う店。

  • 街の中で見かけた住戸のドア。30枚の花弁がデザインされている。

    街の中で見かけた住戸のドア。30枚の花弁がデザインされている。

  • 先ほどの乗客のフランス人女性から、「今から La Tombe du Pere Foucauld(フコー神父の墓)を訪れるけれど一緒に行く?」と誘われた。フランスではフコー神父は探検家としても知られているという。写真はフコー神父をデザインしたフランスの切手。((Cariokakeita Museum所蔵)

    先ほどの乗客のフランス人女性から、「今から La Tombe du Pere Foucauld(フコー神父の墓)を訪れるけれど一緒に行く?」と誘われた。フランスではフコー神父は探検家としても知られているという。写真はフコー神父をデザインしたフランスの切手。((Cariokakeita Museum所蔵)

  • Charles de Foucauld(1858年〜1916年)はフランス・カトリック教会の神父で探検家・地理学者でもある。自堕落な生活を送っていたフランス軽騎兵隊の士官だった彼はモロッコへの探検旅行を試み、深くサハラの砂の世界に魅せられる。(写真の出典:Eglise Saint-Joseph)

    Charles de Foucauld(1858年〜1916年)はフランス・カトリック教会の神父で探検家・地理学者でもある。自堕落な生活を送っていたフランス軽騎兵隊の士官だった彼はモロッコへの探検旅行を試み、深くサハラの砂の世界に魅せられる。(写真の出典:Eglise Saint-Joseph)

  • フコー神父の墓は砂の中に半ば埋もれかけていた。

    フコー神父の墓は砂の中に半ば埋もれかけていた。

  • Tombe du Saint Pere Charles de Foucauld(フコー神父の墓)は 1929年(殉教の13年後)Tamanrasset(タマンラセット)から El Goleaの町はずれのこの地に移された。<br /><br />

    Tombe du Saint Pere Charles de Foucauld(フコー神父の墓)は 1929年(殉教の13年後)Tamanrasset(タマンラセット)から El Goleaの町はずれのこの地に移された。

  • Eglise Saint-Joseph(サン・ジョセフ教会)<br />フコー神父の墓の横に小さい教会が建てられた。通称 Eglise du Pere Foucauld(フコー神父教会)と呼ばれている。

    Eglise Saint-Joseph(サン・ジョセフ教会)
    フコー神父の墓の横に小さい教会が建てられた。通称 Eglise du Pere Foucauld(フコー神父教会)と呼ばれている。

  • そしてフコー神父の墓を見守るように十字架に架けられたキリスト像があった。

    そしてフコー神父の墓を見守るように十字架に架けられたキリスト像があった。

  • フコーはキリスト教に回心しサハラ砂漠の奥地 Tamanrasset(タマンラセット)の貧しい庵に住みついた。写真はフコー神父の生前最後となった 1915年(57歳)のもの。(写真の出典:Eglise Saint-Joseph)<br />

    フコーはキリスト教に回心しサハラ砂漠の奥地 Tamanrasset(タマンラセット)の貧しい庵に住みついた。写真はフコー神父の生前最後となった 1915年(57歳)のもの。(写真の出典:Eglise Saint-Joseph)

  • フコー神父は Touaregs(トゥアレグ族)の人達にキリスト教を伝道するために Tamahaq(又はTamachek:タマシェク語)を学び生活を共にした。写真はフコー神父が作成したタマシェク語の辞書の一部。(写真の出典:Eglise Saint-Joseph)<br /><br /><br />

    フコー神父は Touaregs(トゥアレグ族)の人達にキリスト教を伝道するために Tamahaq(又はTamachek:タマシェク語)を学び生活を共にした。写真はフコー神父が作成したタマシェク語の辞書の一部。(写真の出典:Eglise Saint-Joseph)


  • フコー神父が 1885年11月10日(27歳の時)に描いたエルゴレアのクサールのデッサン。(写真の出典:Eglise Saint-Joseph)<br />フコー神父はサハラの奥地で10年を経ても1人の改宗者も得ることができなかった。しかしフコー神父にとってそれは無意味なことではなかったはずだ。彼をサハラの奥地に向かわせたものは何だったのだろうか。何か不思議な力が彼をサハラに引き寄せたに違いない。そして彼は一切を捨てて砂漠に入って行った。

    フコー神父が 1885年11月10日(27歳の時)に描いたエルゴレアのクサールのデッサン。(写真の出典:Eglise Saint-Joseph)
    フコー神父はサハラの奥地で10年を経ても1人の改宗者も得ることができなかった。しかしフコー神父にとってそれは無意味なことではなかったはずだ。彼をサハラの奥地に向かわせたものは何だったのだろうか。何か不思議な力が彼をサハラに引き寄せたに違いない。そして彼は一切を捨てて砂漠に入って行った。

  • エルゴレア空港のカフェで談笑する Touaregs(トゥアレグ族)の若者達。

    エルゴレア空港のカフェで談笑する Touaregs(トゥアレグ族)の若者達。

  • エルゴレア空港を次の寄港地 Tamanrasset(タマンラセット)に向けて飛び立った飛行機からはサハラ砂漠の朝焼けを見ることができた。それはこの世のものとは思えない神々しいまでに美しい光景だった。

    エルゴレア空港を次の寄港地 Tamanrasset(タマンラセット)に向けて飛び立った飛行機からはサハラ砂漠の朝焼けを見ることができた。それはこの世のものとは思えない神々しいまでに美しい光景だった。

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  • 2013tomoさん 2015/08/17 20:21:28
    フコー神父の最後の写真初めて見ました。
    いつもながら詳細な下調べに基づいたブログ
    に驚いています。

    フコー神父については故森本哲郎氏の著書で
    読んだ記憶がありますがここまで詳しく書いて
    あるものは初めて見ました。

    特にフコー神父の晩年の写真は神々しい姿で
    感銘いたしました。

    確かフコー神父はその後現地住民の手にかかった
    と思いますが殉教という形で人生を終える直前
    の写真で貴重なものと存じます。

    これからも貴重なブログを楽しみにしています。

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