2015/05/23 - 2015/05/23
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旅人のくまさんさん
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高山陣屋址の紹介です。発掘調査が行われた、敷地内にある『郡代役宅跡』から出土した陶磁器類の遺物が展示されていました。
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イチオシ
写真を写している場所は畳がある『下台所』、女中や用人が食事をした場所です。白っぽい地肌が見えている場所が、『土間』です。かなり広い土間でした。
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『土間(どま)』の光景です。土間は、赤土、石灰に苦汁(にがり)を混ぜ、水を加えて練り叩き固めてあります。壁際には桶などが展示してありました。
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土間に展示してあった『バンドリ』です。雨具の1種です。『バンドリ』は、姿が似ているムササビのことです。
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部屋の片隅に置かれていた、蓋付きの鍋、桶やザルなどです。実際にこの場所で使用された品のようでした。
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囲炉裏には不可欠な、自在鉤です。高山陣屋址には、各所に囲炉裏がありましたが、冬に冷え込む飛騨高山の暖房器具を兼ねているようでした。
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囲炉裏に懸けられていた鉄瓶です。大勢の人が使用するためか、この場所の囲炉裏の金具などは、特に頑丈に出来ていたようです。
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『下台所』にあった囲炉裏(いろり)の光景です。『比多岐(ひたき)』や『地火炉(じかろ)』の呼び名もあります。
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囲炉裏の天井部分の光景です。下向きの柱に横方向に穴をあけ、その穴を利用して吊り下げられていました、
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『郡代役宅跡発掘調査遺物』の表示があった展示品の紹介です。展示されている品は、発掘品の一部であることが添書きされていました。
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イチオシ
4種類の磁器碗です。いずれも白地に青絵が施されていました。左上は鱗のような幾何学模様、その右は梅の絵のようです。左下は樹木の花のような模様、その右は家紋のような丸い絵です。この茶碗だけは欠けがないようでした。
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上の段の四つは磁器製品、下の段の4つは陶器製品です。上の段の右端が薄い青釉がかかった御神酒徳利、残りの三つは碗です。右から2つ目の酒器のような碗は『焼き継ぎの跡』がある色絵です。下の段の左側二つが小皿、右側の二つが燈明皿です。
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上の段の四つは、すべて磁器で、左から油壺、仏飯器と蓮華二つです。下の段は左の二つが磁器、次が陶器の餌猪口と墨書土器です。餌猪口は、鳥の餌入れです。
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最初に、三つに分けて纏めて撮影した陶磁器類の出土品です。一番右側に展示されていた陶磁器類です。
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中央部分に展示されていた陶磁器類です。
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一番左側に展示されていた陶磁器類です。壷、碗や皿など、保存状態の良い出土品が多くありました。
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『発掘調査の概要[遺構)』のタイトルがあった説明パネルです。発掘調査地点は、岐阜監獄高山支所が新築されたことで、郡代矢kぅ卓の建物はほとんど破壊されていましたが、江戸時代の生活綿花に掘りこまれた遺構のいくつかが検出できました。
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『史跡高山陣屋跡発掘調査』のタイトルがあった説明パネルです。調査期間は平成3年(1991年)4月19日から7月13日までです。発掘途中の航空写真なども紹介されていました。郡代時代の郡代役宅跡の復元は、文政13年(1830年)の『出来型掛絵図¥によったことも紹介されていました。
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『発掘調査結果の概要(遺物)』のタイトルがあった説明パネルの左半分です。出土した遺物は、江戸時代後期から明治、大正、昭和期に及び、殊に明治期以降の出土品が多いようです。出土した8点の銭貨は、すべて『寛永通宝』出会ったとこなどが説明されていました。
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『発掘調査結果の概要(遺物)』のタイトルがあった説明パネルの右半分です。煙管などの道具類、銭貨類と、その他[玩具類]の説明です。
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焚口が三つある竃の光景です。釜や鍋が載せられていました。薪が燃やされた形跡はありませんから、建物の再建工事と同時に造られたもののようです。
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木製の『入子(いれこ)』です。使い込んでありました。入子(いれこ)は. 同様の形状の大きさの異なる容器などを、順に中に入れたものです。重箱や杯などに入れ子細工が利用されます。
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下の段の左が『桶』、右が『蒸籠(せいろ)』です。『桶』は、円筒状の木製容器の総称で、用途別に故障が変わります。『蒸籠』は、穀類を蒸気を使って蒸す道具です。『甑(こしき)』とも呼ばれます。
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『煙草盆』です。刻みタバコ用の煙管(きせる)、火入(ひいれ)、灰吹(はいふ)などの喫煙具の一式を収めた盆のことです。
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左が『お櫃』、右が『湯桶』です。どちらも黒漆塗りのようでした。『お櫃』は、炊きあがったご飯を釜から移し、保温しながら食膳に運ぶ道具です。『湯桶』は、湯、酒、汁などを入れて、客に勧める道具です。
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木製の『入子(いれこ)』です。写真が重複したかも知れません。蓋と箱を組み合わせて、7個の独立した容器になります。『入子(いれこ)』細工で、世界で一番有名になったのがロシアのマトリョーシカですが、その原点は日本のコケシとの説もあります。
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『高坏(たかつき)』です。昔はお膳を兼ねた容器として用いられたようですが、現在では神前に供える品を載せる容器とされます。
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『役宅見学路順路』です。見学を終わった後での撮影ですが、見忘れはなかったようです。次は、青色の矢印に従って、大広間方面に向かうよう案内されていました。
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はっきりとしたことは分かりませんでしたが、母プ科用水をためておく窪みのようです。因みに民家の前を流れる疏水は、防火用水を兼ねていると紹介されていました。
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『高山陣屋・順路案内図』です。現在位置は、『広間』の入口付近です。最後に見学予定の『御蔵』が右手方面に表示されていました。
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イチオシ
49畳と記された、『広間』の光景です。儀式や会議などが行われた部屋です。畳が黒縁ではなく、紋縁ですから、高級役人が主体に使用した部屋のようです。
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