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■エストニアのリゾート地 ハープサル<br /><br /> 5月末にエストニアのリゾート地 ハープサル(Haapsalu)に行って来ました。タリンから西へ約100キロ、車で1時間半で行けます。電車かバスだと2時間ぐらいかかります。<br /><br /> ハープサルは13世紀に創立されました。「ハープサル」とは、「山鳴の林」という意味です。最初の300年間はドイツ人が作ったエーゼルヴィーク司教国の首都であり、16世紀半ばにデンマーク領土になり、100年後スヴェーデンに占領されました。スヴェーデン領だった期間はそれほど長くなかったのですが、その間に多くのスヴェーデン人が移住して、ハープサルはエストニアのスヴェーデン文化中心地になりました。エストニアのスヴェーデン人(いわゆる海岸スヴェーデン人rannarootslased)は、第二次世界大戦まで1万人ほどいましたが、エストニアがソ連に編入されたときにほとんどがスヴェーデンに帰国しました。<br /><br /> ハープサルにはスヴェーデン時代に作られたハープサル城があり、海岸スヴェーデン人博物館があります。<br /><br /> 18世紀初めの北方戦争の結果、エストニアはロシア帝国の支配下に入りました。ピョートル大帝が泊った駅がいまでもハープサルに残っています。ピョートル大帝はロシアの新しい港の適地を探していました。

ジーマのエストニア・レポート

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2014/05/31 - 2014/05/31

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JIC旅行センター

JIC旅行センターさん

■エストニアのリゾート地 ハープサル

 5月末にエストニアのリゾート地 ハープサル(Haapsalu)に行って来ました。タリンから西へ約100キロ、車で1時間半で行けます。電車かバスだと2時間ぐらいかかります。

 ハープサルは13世紀に創立されました。「ハープサル」とは、「山鳴の林」という意味です。最初の300年間はドイツ人が作ったエーゼルヴィーク司教国の首都であり、16世紀半ばにデンマーク領土になり、100年後スヴェーデンに占領されました。スヴェーデン領だった期間はそれほど長くなかったのですが、その間に多くのスヴェーデン人が移住して、ハープサルはエストニアのスヴェーデン文化中心地になりました。エストニアのスヴェーデン人(いわゆる海岸スヴェーデン人rannarootslased)は、第二次世界大戦まで1万人ほどいましたが、エストニアがソ連に編入されたときにほとんどがスヴェーデンに帰国しました。

 ハープサルにはスヴェーデン時代に作られたハープサル城があり、海岸スヴェーデン人博物館があります。

 18世紀初めの北方戦争の結果、エストニアはロシア帝国の支配下に入りました。ピョートル大帝が泊った駅がいまでもハープサルに残っています。ピョートル大帝はロシアの新しい港の適地を探していました。

  •  ハープサルの全盛期は19世紀半ばからです。ハープサル周辺の海の泥が病気治療に効くことが知られ、エストニア内外からハープサルに治療に行く人が増え始めました。ロシアのニコライ二世はペテルブルグからハープサルまで鉄道を引いて、列車で家族と一緒によく出かけました。だから、ハープサル駅の建物はとても豪華です。現在はその駅舎内に鉄道歴史博物館があります。<br /><br /> 1918年にハープサルは独立エストニアの町になり、1940〜1991年はソ連の一部となっていました。ソ連時代にエストニアは国境安全地域に指定されていたため、ハープサルは特別な許可書がなければ行けなかったのですが、1991年からは自由に訪問できるようになりました。以来、再び人気のリゾート地になっていきました。ハープサルは、北のフィンランド湾でなく、バルト海の外海の岸に位置するので、タリンより気候がいいですし、海もより温かいのです。<br /><br /> ロシアの有名な作曲家のピョートル・チャイコフスキーは、1867年の夏をハープサルで過ごしました。この町が気にいって、「ハープサルの思い出」というピアノの曲を書きました。今はハープサルの海岸に、「チャイコフスキーのベンチ」があります。150年前にチャイコフスキーが座っていたベンチではありません。ただのチャイコフスキー記念ベンチです。<br /><br /> 多くのエストニアの小さな町と同じく、ハープサルの中心部にはおいしいコーヒーやケーキの喫茶店があります。特に夏に行けば気持ちよく散歩出来る町です。ぜひハープサルに行ってみて下さい!

     ハープサルの全盛期は19世紀半ばからです。ハープサル周辺の海の泥が病気治療に効くことが知られ、エストニア内外からハープサルに治療に行く人が増え始めました。ロシアのニコライ二世はペテルブルグからハープサルまで鉄道を引いて、列車で家族と一緒によく出かけました。だから、ハープサル駅の建物はとても豪華です。現在はその駅舎内に鉄道歴史博物館があります。

     1918年にハープサルは独立エストニアの町になり、1940〜1991年はソ連の一部となっていました。ソ連時代にエストニアは国境安全地域に指定されていたため、ハープサルは特別な許可書がなければ行けなかったのですが、1991年からは自由に訪問できるようになりました。以来、再び人気のリゾート地になっていきました。ハープサルは、北のフィンランド湾でなく、バルト海の外海の岸に位置するので、タリンより気候がいいですし、海もより温かいのです。

     ロシアの有名な作曲家のピョートル・チャイコフスキーは、1867年の夏をハープサルで過ごしました。この町が気にいって、「ハープサルの思い出」というピアノの曲を書きました。今はハープサルの海岸に、「チャイコフスキーのベンチ」があります。150年前にチャイコフスキーが座っていたベンチではありません。ただのチャイコフスキー記念ベンチです。

     多くのエストニアの小さな町と同じく、ハープサルの中心部にはおいしいコーヒーやケーキの喫茶店があります。特に夏に行けば気持ちよく散歩出来る町です。ぜひハープサルに行ってみて下さい!

  • ■タリン国際バレエコンクール<br /><br /> 今年3月末にエストニアの首都・タリン市にて国際バレエコンクール(Tallinn International Ballet Competition)が開催されました。<br /><br /> タリンには、100年前から「エストニア」というオペラ・バレエ劇場が存在しています。この劇場では、オペラ座とバレエ団が活躍しています。また、タリンとタルトゥには、国立バレエ学校があります。バレエの首都であるサンクト・ペテルブルグに近いタリンのバレエ団は、「ロシア・バレエ派」を代表するバレエ団のひとつと評価されているのですが、ペテルブルグやヘルシンキでは大規模な国際バレエコンクールが行われているのに、タリンでは今までただ一度しかコンクールの開催がありませんでした。<br /><br /> バレエは芸術なので、誰が上手なのか決めるのは難しいです。バレエダンサーは、ソリストでもコール・ド・バレエでも、毎日何時間も練習しなければなりません。ただし、スポーツではないため、一番高くジャンプしたら一位という訳ではありません。演技と同様に、バレエには物語性や表現力が大事です。高くジャンプするのも大事ですが、表現力で観客を感動させる方が上手と考えられます。<br /><br /> さて、今回のタリンバレエコンクールの主催者は、タリンバレエ学校でした。校長先生は、昔のエストニアのプリマだったカイエ・コルブです。コンクールには、世界14カ国(エストニア、日本、ロシア、ウクライナ、スイス、フィンランド、その他)から、約60名のダンサーが参加しました。年齢別に4グループに分けて審査が行われました。Aグループ(10歳?14歳)、Bグループ(15歳?18歳)はバレエ学校の生徒達で、Cグループ(19歳?25歳)とDグループ(26歳?30歳)は、各国のバレエ団のプロのダンサーでした。<br /><br /> バレエコンクールの会場は、クーム(KUMU: Eesti Kunstimuuseum)というエストニア美術館内の舞台でした。美術館は、ピョートル大帝が奥さんのエカテリーナにプレゼントしたカドリオルグ公園の中にあります。美術館の中に250席のホールがあり、その舞台では国際会議からバレエ公演までいろんなイベントが行われます。<br /><br /> タリン国際バレエコンクールは、3月28日にタリン旧役所にて、タリン副市長が出席して開会式が行われ、29日、31日にクラシック・バレエ、30日にコンテンポラリー・バレエの審査が行われました。31日夕方に受賞者の発表があり、そして一番最後にガラコンサートが行われました。受賞者は各グループの女性と男性別に1位から3位までありました。<br /><br /> 日本人の参加者も結構成功しました。Dグループ一位は、ウクライナのキエフ子供オペラバレエ劇場で踊る長澤美絵、Bグループ三位は上垣内唯予、コンクールのベスト・デュエットはクレムリン・バレエ団の小池沙織とエゴール・モトゥゾーフでした。コンクールの結果や詳しい情報は、以下のサイトで見ることができます。<br /><br />http://www.tallinnballet.ee<br /><br /> 次回コンクールは2016年の夏に行われます。日本からも、是非見に来て下さい。バレエをやっている方は、是非参加して下さい。<br /><br />

    ■タリン国際バレエコンクール

     今年3月末にエストニアの首都・タリン市にて国際バレエコンクール(Tallinn International Ballet Competition)が開催されました。

     タリンには、100年前から「エストニア」というオペラ・バレエ劇場が存在しています。この劇場では、オペラ座とバレエ団が活躍しています。また、タリンとタルトゥには、国立バレエ学校があります。バレエの首都であるサンクト・ペテルブルグに近いタリンのバレエ団は、「ロシア・バレエ派」を代表するバレエ団のひとつと評価されているのですが、ペテルブルグやヘルシンキでは大規模な国際バレエコンクールが行われているのに、タリンでは今までただ一度しかコンクールの開催がありませんでした。

     バレエは芸術なので、誰が上手なのか決めるのは難しいです。バレエダンサーは、ソリストでもコール・ド・バレエでも、毎日何時間も練習しなければなりません。ただし、スポーツではないため、一番高くジャンプしたら一位という訳ではありません。演技と同様に、バレエには物語性や表現力が大事です。高くジャンプするのも大事ですが、表現力で観客を感動させる方が上手と考えられます。

     さて、今回のタリンバレエコンクールの主催者は、タリンバレエ学校でした。校長先生は、昔のエストニアのプリマだったカイエ・コルブです。コンクールには、世界14カ国(エストニア、日本、ロシア、ウクライナ、スイス、フィンランド、その他)から、約60名のダンサーが参加しました。年齢別に4グループに分けて審査が行われました。Aグループ(10歳?14歳)、Bグループ(15歳?18歳)はバレエ学校の生徒達で、Cグループ(19歳?25歳)とDグループ(26歳?30歳)は、各国のバレエ団のプロのダンサーでした。

     バレエコンクールの会場は、クーム(KUMU: Eesti Kunstimuuseum)というエストニア美術館内の舞台でした。美術館は、ピョートル大帝が奥さんのエカテリーナにプレゼントしたカドリオルグ公園の中にあります。美術館の中に250席のホールがあり、その舞台では国際会議からバレエ公演までいろんなイベントが行われます。

     タリン国際バレエコンクールは、3月28日にタリン旧役所にて、タリン副市長が出席して開会式が行われ、29日、31日にクラシック・バレエ、30日にコンテンポラリー・バレエの審査が行われました。31日夕方に受賞者の発表があり、そして一番最後にガラコンサートが行われました。受賞者は各グループの女性と男性別に1位から3位までありました。

     日本人の参加者も結構成功しました。Dグループ一位は、ウクライナのキエフ子供オペラバレエ劇場で踊る長澤美絵、Bグループ三位は上垣内唯予、コンクールのベスト・デュエットはクレムリン・バレエ団の小池沙織とエゴール・モトゥゾーフでした。コンクールの結果や詳しい情報は、以下のサイトで見ることができます。

    http://www.tallinnballet.ee

     次回コンクールは2016年の夏に行われます。日本からも、是非見に来て下さい。バレエをやっている方は、是非参加して下さい。

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