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1976年5月、日本で「サンチアゴに雨が降る」(原題:Il pleut sur Santiago)という映画を見た。(1975年製作のフランス・ブルガリア合作映画/ 監督・脚本:Helvio Soto(エルヴィオ・ソトー)/音楽:Astor Piazzolla(アストル・ピアソラ)上映中の2時間弱、軍によるクーデターを刻一刻と緊張感溢れる映像で追いかけていくので背筋が寒くなる思いがした。<br /><br />1970年10月、チリの大統領選挙で左翼政党のSalvador Allende Gossens (サルバドール・アジェンデ・ゴスセンス:1908-1973)が僅差で大統領となり、世界で初めて選挙を通じての社会主義政権が誕生した。南米における社会主義勢力拡大を懸念したアメリカ政府はCIAを通じて反アジェンデ派の多いチリ軍部にクーデター話を持ち込んだ。そればかりではない。驚くことに、当時の米国ニクソン大統領は、このクーデターを成功させるために周到な準備と政治的・軍事的支援をチリ軍部に与えていた。<br /><br />アジェンデは貧困の撲滅に取り組み、経済改革にも着手し、チリ最大の産業であったアメリカ資本の銅山を国有化し、労働者階級の人気を得た。焦ったアメリカ政府は、銅を市場に放出し、銅の国際価格を急落させてチリ経済を大混乱に導いた。このようにアメリカによるチリ社会情勢の不安定化工作が繰り返された。<br /><br />クーデター開始の暗号に用いられたのが、普段雨の降らない9月に「サンチアゴに雨が降る」であった。孤立したアジェンデは大統領府(モネダ宮:Palacio presidencia de La Moneda)に側近達と立て篭もり、反乱軍の戦車・戦闘機等による集中攻撃にも屈せず、自ら自動小銃を手に激しく交戦し自決した。<br /><br />アジェンデはその数時間前に左翼系放送局宛に「国民へのお別れの言葉」を送っており、その肉声が今でも残っている。La historia es nuestra y la hacen los pueblos(歴史は我々のものであり、人々が歴史を作るのです。)<br /><br />アメリカが後押しした軍部のクーデターによって社会主義派が一掃された後、首謀者であったピノチェト将軍(Augusto Pinochet Ugarte:1915-2006)が大統領に就任し強権政治が続いた。反政府派市民に対する弾圧、非公然の処刑や虐殺・暗殺が横行し、一説によると十万人以上もの市民が虐殺されたという。<br /><br />2002年1月、サンチアゴを訪れる機会を得た。ピノチェトは既に政界を退いていた。真っ先にモネダ宮に向かった。すっかり修復されたモネダ宮の前にアジェンデ像が建っていた。街の様子からは軍隊色も社会主義色も感じられない。人々は自由を謳歌しているように見える。モネダ宮の廻りを警備する兵士の姿は見えず、路の交通整理に当たる警官の表情からはとてもその暗黒の時代の出来事を想像することはできなかった。<br /><br />最近この旅行記を書くに当たってサンチアゴに住むCarolinaさんにメールで長年抱いていた疑問をぶつけてみた。社会主義者だったアジェンデのチリ市民の今の評価はどうなのかと。彼女の答えは、「今日多くの人々はアジェンデを愛着を持って思い出し、社会主義政治を賞賛している。」とのことだった。(hoy en dia, muchos le recuerdan con <br />carino y alaban sus politicas sociales.)<br />

サンチアゴ(チリ)その1:映画「サンチアゴに雨が降る」の舞台

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2002/01/12 - 2002/01/22

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カリオカケイタ

カリオカケイタさん

1976年5月、日本で「サンチアゴに雨が降る」(原題:Il pleut sur Santiago)という映画を見た。(1975年製作のフランス・ブルガリア合作映画/ 監督・脚本:Helvio Soto(エルヴィオ・ソトー)/音楽:Astor Piazzolla(アストル・ピアソラ)上映中の2時間弱、軍によるクーデターを刻一刻と緊張感溢れる映像で追いかけていくので背筋が寒くなる思いがした。

1970年10月、チリの大統領選挙で左翼政党のSalvador Allende Gossens (サルバドール・アジェンデ・ゴスセンス:1908-1973)が僅差で大統領となり、世界で初めて選挙を通じての社会主義政権が誕生した。南米における社会主義勢力拡大を懸念したアメリカ政府はCIAを通じて反アジェンデ派の多いチリ軍部にクーデター話を持ち込んだ。そればかりではない。驚くことに、当時の米国ニクソン大統領は、このクーデターを成功させるために周到な準備と政治的・軍事的支援をチリ軍部に与えていた。

アジェンデは貧困の撲滅に取り組み、経済改革にも着手し、チリ最大の産業であったアメリカ資本の銅山を国有化し、労働者階級の人気を得た。焦ったアメリカ政府は、銅を市場に放出し、銅の国際価格を急落させてチリ経済を大混乱に導いた。このようにアメリカによるチリ社会情勢の不安定化工作が繰り返された。

クーデター開始の暗号に用いられたのが、普段雨の降らない9月に「サンチアゴに雨が降る」であった。孤立したアジェンデは大統領府(モネダ宮:Palacio presidencia de La Moneda)に側近達と立て篭もり、反乱軍の戦車・戦闘機等による集中攻撃にも屈せず、自ら自動小銃を手に激しく交戦し自決した。

アジェンデはその数時間前に左翼系放送局宛に「国民へのお別れの言葉」を送っており、その肉声が今でも残っている。La historia es nuestra y la hacen los pueblos(歴史は我々のものであり、人々が歴史を作るのです。)

アメリカが後押しした軍部のクーデターによって社会主義派が一掃された後、首謀者であったピノチェト将軍(Augusto Pinochet Ugarte:1915-2006)が大統領に就任し強権政治が続いた。反政府派市民に対する弾圧、非公然の処刑や虐殺・暗殺が横行し、一説によると十万人以上もの市民が虐殺されたという。

2002年1月、サンチアゴを訪れる機会を得た。ピノチェトは既に政界を退いていた。真っ先にモネダ宮に向かった。すっかり修復されたモネダ宮の前にアジェンデ像が建っていた。街の様子からは軍隊色も社会主義色も感じられない。人々は自由を謳歌しているように見える。モネダ宮の廻りを警備する兵士の姿は見えず、路の交通整理に当たる警官の表情からはとてもその暗黒の時代の出来事を想像することはできなかった。

最近この旅行記を書くに当たってサンチアゴに住むCarolinaさんにメールで長年抱いていた疑問をぶつけてみた。社会主義者だったアジェンデのチリ市民の今の評価はどうなのかと。彼女の答えは、「今日多くの人々はアジェンデを愛着を持って思い出し、社会主義政治を賞賛している。」とのことだった。(hoy en dia, muchos le recuerdan con
carino y alaban sus politicas sociales.)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
3.5
グルメ
5.0
ショッピング
3.5
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
タクシー 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
個別手配

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  • チリ全図(出典:escolares.net)<br />チリの行政区分は北から南に割り当てられたローマ数字で表記されており分かり易い。現在15の州(首都 Santiagoのある Region Metropolitana:略して RMの首都州を含み、RMだけ番号が無い。)が存在する。尚、No.13は欠番。

    チリ全図(出典:escolares.net)
    チリの行政区分は北から南に割り当てられたローマ数字で表記されており分かり易い。現在15の州(首都 Santiagoのある Region Metropolitana:略して RMの首都州を含み、RMだけ番号が無い。)が存在する。尚、No.13は欠番。

  • サンチアゴの地図(出典:chilesites.com)<br />右上に見えるのが Cerro San Cristobal(サン・クリストバルの丘:標高 880m)ロープウェイやタクシーで登ることができる。

    サンチアゴの地図(出典:chilesites.com)
    右上に見えるのが Cerro San Cristobal(サン・クリストバルの丘:標高 880m)ロープウェイやタクシーで登ることができる。

  • サンチアゴ中心部の地図(出典:wpmap.org)<br />Palacio de la Moneda(大統領府)は地図の左下 Plaza de la Libertad(自由広場)の上に位置する。

    サンチアゴ中心部の地図(出典:wpmap.org)
    Palacio de la Moneda(大統領府)は地図の左下 Plaza de la Libertad(自由広場)の上に位置する。

  • 1976年5月、日本で「サンチアゴに雨が降る」(原題:Il pleut sur Santiago)が上映された。

    1976年5月、日本で「サンチアゴに雨が降る」(原題:Il pleut sur Santiago)が上映された。

  • 1971年会見するチリ大統領 Salvador Allende Gossens (サルバドール・アジェンデ・ゴスセンス:1908-1973)(出典:Time Life Pictures/ global.britannica.com)

    1971年会見するチリ大統領 Salvador Allende Gossens (サルバドール・アジェンデ・ゴスセンス:1908-1973)(出典:Time Life Pictures/ global.britannica.com)

  • 2002年1月に訪れた Palacio de la Moneda(モネダ宮/大統領府)<br />

    2002年1月に訪れた Palacio de la Moneda(モネダ宮/大統領府)

  • モネダ宮は元々造幣局として20年をかけて1805年に完成した。訪れた時には1973年のクーデターで爆撃された痕がすっかり修復されていた。モネダ宮の廻りには警備をする兵士の姿は見えなかった。

    モネダ宮は元々造幣局として20年をかけて1805年に完成した。訪れた時には1973年のクーデターで爆撃された痕がすっかり修復されていた。モネダ宮の廻りには警備をする兵士の姿は見えなかった。

  • 路の交通整理に当たる女性警官の表情からはとてもその暗黒の時代の出来事を想像することはできなかった。<br />

    路の交通整理に当たる女性警官の表情からはとてもその暗黒の時代の出来事を想像することはできなかった。

  • 彼女は29年間前の軍部のクーデターを知らない世代のようだ。

    彼女は29年間前の軍部のクーデターを知らない世代のようだ。

  • 街の様子からは軍隊色も社会主義色も感じられない。人々は自由を謳歌しているように見える。

    街の様子からは軍隊色も社会主義色も感じられない。人々は自由を謳歌しているように見える。

  • 1973年、演説するアジェンデ大統領。(写真の出典:BBC)

    1973年、演説するアジェンデ大統領。(写真の出典:BBC)

  • 1973年9月、軍に連行される市民。(写真の出典:BBC)

    1973年9月、軍に連行される市民。(写真の出典:BBC)

  • 1973年9月、アジェンデの立て篭るモネダ宮を包囲する軍の兵士達。(写真の出典:BBC)

    1973年9月、アジェンデの立て篭るモネダ宮を包囲する軍の兵士達。(写真の出典:BBC)

  • 反乱軍の戦車・戦闘機等による集中攻撃を受けるモネダ宮。(写真の出典:BBC)

    反乱軍の戦車・戦闘機等による集中攻撃を受けるモネダ宮。(写真の出典:BBC)

  • アジェンデは、自ら自動小銃を手に激しく交戦し自決した。写真は破損し血染めのアジェンデ愛用のメガネ。(写真の出典:BBC)<br />

    アジェンデは、自ら自動小銃を手に激しく交戦し自決した。写真は破損し血染めのアジェンデ愛用のメガネ。(写真の出典:BBC)

  • 2002年1月、サンチアゴを訪れる機会を得た。クーデターを指揮した反乱軍のピノチェトは既に政界を退いていた。修復されたモネダ宮の前にアジェンデの像が建っていた。<br />これは 2001年 6月に Allendeの業績を賛えて当時の大統領 Ricardo Lagosによって設置されたものである。実は政府の粋な計らいで、時を同じくして Allendeの生まれて育った町、Valparaisoにも別の銅像が設置された。

    2002年1月、サンチアゴを訪れる機会を得た。クーデターを指揮した反乱軍のピノチェトは既に政界を退いていた。修復されたモネダ宮の前にアジェンデの像が建っていた。
    これは 2001年 6月に Allendeの業績を賛えて当時の大統領 Ricardo Lagosによって設置されたものである。実は政府の粋な計らいで、時を同じくして Allendeの生まれて育った町、Valparaisoにも別の銅像が設置された。

  • 自由主義の現在のチリに社会主義政権を樹立したアジェンデ像は似つかわしくないのではないかと思った。いや、やはりチリの人々とモネダ宮には Allendeが心の支えになっている。彼が国民に贈った最後の言葉、La historia es nuestra y la hacen los pueblos(歴史は我々のものであり人々が歴史を作るのです。)が忘れられない。<br /><br />

    自由主義の現在のチリに社会主義政権を樹立したアジェンデ像は似つかわしくないのではないかと思った。いや、やはりチリの人々とモネダ宮には Allendeが心の支えになっている。彼が国民に贈った最後の言葉、La historia es nuestra y la hacen los pueblos(歴史は我々のものであり人々が歴史を作るのです。)が忘れられない。

  • Cerro San Cristobal(サン・クリストバルの丘:標高 880m)から望むサンチアゴ市街。ロープウェイやタクシーで丘の上に登ることができる。

    Cerro San Cristobal(サン・クリストバルの丘:標高 880m)から望むサンチアゴ市街。ロープウェイやタクシーで丘の上に登ることができる。

  • サンチアゴには近代的なビルが建ち並んでいる。夏にはアンデスの雪山が見える。

    サンチアゴには近代的なビルが建ち並んでいる。夏にはアンデスの雪山が見える。

  • Telefericoと呼ばれるロープウェイで丘の上に登ることができる。

    Telefericoと呼ばれるロープウェイで丘の上に登ることができる。

  • サン・クリストバルの丘の上には Imagen de la Virgen Maria (マリア像)が立っている。真っ白なマリア像は1908年に建立され、高さは14m

    サン・クリストバルの丘の上には Imagen de la Virgen Maria (マリア像)が立っている。真っ白なマリア像は1908年に建立され、高さは14m

  • サンチアゴの街中の看板。

    サンチアゴの街中の看板。

  • Estacion Central(正式には Estacion Alamada)<br />1989年に鉄道駅としての役目を終え、現在は歴史モニュメントとして保存されている。

    Estacion Central(正式には Estacion Alamada)
    1989年に鉄道駅としての役目を終え、現在は歴史モニュメントとして保存されている。

  • Mercado Central de Santiago(中央市場)<br />1872年中央市場として開業した。新鮮な魚や野菜の他、レストランとしての機能を持つ。

    Mercado Central de Santiago(中央市場)
    1872年中央市場として開業した。新鮮な魚や野菜の他、レストランとしての機能を持つ。

  • 中央市場横の木陰でアルパを弾く男性。

    中央市場横の木陰でアルパを弾く男性。

  • 中央市場の魚屋は活気がある。

    中央市場の魚屋は活気がある。

  • 魚屋のお姉さん。

    魚屋のお姉さん。

  • 果物屋のお兄さん。

    果物屋のお兄さん。

  • 中央市場内のレストラン街。

    中央市場内のレストラン街。

  • 中央市場内のレストランで食事をしながら歓談するサンチアゴ市民。

    中央市場内のレストランで食事をしながら歓談するサンチアゴ市民。

  • Erizos(ウニ)はこの皿が一人前。<br />

    Erizos(ウニ)はこの皿が一人前。

  • Anguila(うなぎの稚魚)のオリーブオイル煮。

    Anguila(うなぎの稚魚)のオリーブオイル煮。

  • サンチアゴに住む Carolinaさんが送ってくれた最近のモネダ宮のライトアップされた写真。(2013年10月1日撮影)

    サンチアゴに住む Carolinaさんが送ってくれた最近のモネダ宮のライトアップされた写真。(2013年10月1日撮影)

  • サンチアゴに住む Carolinaさんが送ってくれた「サンチアゴのモアイ像」の写真。イースター島から持ってきたものかと聞くと、レプリカだと云う。サンチアゴの新しい観光スポットになっているそうだ。(2013年10月20日撮影)

    サンチアゴに住む Carolinaさんが送ってくれた「サンチアゴのモアイ像」の写真。イースター島から持ってきたものかと聞くと、レプリカだと云う。サンチアゴの新しい観光スポットになっているそうだ。(2013年10月20日撮影)

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