
2014/04/02 - 2014/04/03
44位(同エリア7093件中)
chiaki-kさん
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2014年4月2日から4月11日までスペインに行って来ました。
当初の予定は4月2日14:05羽田発ルフトハンザ航空717便のはずでしたが、乗務員のストライキとやらでフライトが中止となり、21:20成田発ターキッシュエア(トルコ航空)に変更になってしまったことが出発の前日、○急交通社から連絡が入りました。
参加の可否も聞かれましたが、帰国便は予定通りのLH羽田着とのことで、有料駐車場も確保してしまったこともあり、参加を表明しましたが、後から考えると、ストライキは何ヶ月も前に組合から会社に通告されてており、直前というのは山ネコストを除いて無いはずなので、それを承知で旅程を組んだ旅行会社にもミスがあったよう気がします。
表紙の写真はサグラダ・ファミリアのステンドグラス。この時、外は大降りで柱に写る美しい光は撮れませんでした。
2024/03/02 一部修正
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
4/2
予定の2時間遅れで一旦羽田に集合。写真は羽田の第3ターミナルに駐機中のルフトハンザ機。え!ストライキじゃなかったの~? -
リムジンバスにて成田空港へ移動、バス代は当然ルフトハンザ持ち。写真は成田T1・G47に駐機中のターキッシュエアTK053便。ターキッシュエアには初めて乗る。
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21:20(JST) 成田出発。機種はエアバスA300系、足下はこんな感じでまあまあ。モニターは普通だったが日本映画は1本だけで、あまり興味のある映画は無かった。
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噂に聞いたエコノミーシートのアメニティグッズ。アイマスク、靴下、歯磨き&ブラシ、そして得体の知れない保湿剤?
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私が選んだ夕食はチキン料理。チキンが堅かったが、お味のほうはまあまあといったところ。
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かみさんが選んだのはラザニアとほうれん草の炒ったもの。ほうれん草、量多すぎ。
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昼便で行くはずが夜便となったので、これはイスタンブール到着2時間前に出た朝食。これもまあまあ。
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4/3
4:15(TST) トルコ、イスタンブール・アタチュルク空港到着。早朝のため待合の椅子で横になる人もチラホラ。この時間では店は1/4も開いていなかったが6時を過ぎると一斉にオープンした。さすがはハブ空港。 -
ターミナルの窓の外には空港の駐車場、その向こうにイスタンブールの街が見える。空港の敷地内と思われる場所にモスクやミナレットが。モスクの隣に盛大に湯気がのぼっている建物があるのだが、なんだろう。
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ターキッシュエアーのオフィスビルも見えたが、アヤソフィアは無理。
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8:40 イスタンブール空港を出発。この機種もエアバスだったがモニターは最新のタッチ式。
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TK1853便で出た朝食。これはおいしかった。
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音楽もあまり面白いものが無いのでトルコ・ポップスばかり聞いていたが、日本の歌謡曲と相通じており面白い。なかでも Ajda Pekkann の曲はテンポ良く、機内ではこれをBGMにしてルートマップをずっと見ていた。
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11:25(SST) 厚い雲が立ちこめたバルセロナ・エルプラット空港到着。迎えのバスに乗り込み最初についたのがバルセロナ港の昼食会場。
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まずはカヴァ(スペインのスパークリングワイン)で到着祝い。グラスで5E(ユーロ:以下ユーロはEで表す)だった。
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料理はカタルーニャ料理ということだが、タラのような白身魚はおいしかった。
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15:00 当初の予定では今日の朝一番で入場するはずだったサグラダ・ファミリアに6時間遅れて入場する。まずはお決まりのポジションから撮影。サグラダ・ファミリアは、カタルーニャ・モデルニスモ建築の最も良く知られた作品であり、カタルーニャの建築家アントニ・ガウディの未完作品である。
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イチオシ
池に映った逆さサグラダ・ファミリア。
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2004年の統計によれば、サグラダ・ファミリアはアルハンブラ宮殿やプラド美術館を抜いてスペインで最も観光客を集めており、2008年には270万人を集めた。生前のガウディが実現できたのは地下礼拝室と生誕のファサードだけであるが、これらは2005年にユネスコの世界遺産に登録された。
教会の建築費用は入場料と寄付に頼っているので、作業は遅遅として進まなかったが、1992年のバルセロナオリンピックを契機に訪問者が飛躍的に増加し、建築作業環境を好転させた。9代目設計責任者のジョルディ・ファウリは、ガウディの没後100年にあたる2026年に完成予定と発表している。 -
2010年11月7日にローマ教皇ベネディクト16世が訪れ、ミサを執り行い、聖堂に聖水を注いで教会として認定する。こうしてサグラダ・ファミリアは正式なバシリカ(聖堂)となった。
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東側の生誕のファサードでは、キリストの誕生から初めての説教を行うまでの逸話が彫刻によって表現されている。ファサードは3つの門によって構成され、左門が父ヨセフ、中央門がイエス、右門が母マリアを象徴する。
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中央門にある受胎告知
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イエス誕生のシーン
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祝福する天使達
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ハープを奏でる天使
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UPです
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東方の三博士
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左門ではローマ兵による嬰児虐殺、聖家族のエジプトへの逃避など
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右門にはイエスの洗礼などが彫られている。なお、これらの彫刻の修復には福岡市出身の彫刻家、外尾 悦郎氏(サグラダ・ファミリア主任彫刻家)が担当している。同じ日本人として誇らしい。
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教会内部へ入ると、まるで森の中へ迷い込んだような錯覚を覚える。
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あるいは風の谷のナウシカに登場する腐海の底に沈んだような気分にもなる。
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イチオシ
天井からは浄化された砂が・・・
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いや、降ってきたのは砂では無くて雨漏りの水が・・・ ちなみに我々が建物に入った直後、外は土砂降りに。
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大雨を避けるように地下のミュージアムに飛び込む。まずは建築当初の写真などを見て、
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模型を作る部屋を見て、
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完成予想図を見る。説明しているのは日本人現地ガイドさん。全部で18本立つ予定の塔は鐘楼になるとのこと。
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ミュージアムからさらに下の階には地下礼拝堂とガウディの墓がちらりと見える。
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ガウディはサグラダ・ファミリアに泊まり込んで設計に没頭するが、
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1926年6月7日、ミサに向かう途中、路面電車に轢かれ、事故の3日後に73歳で息を引き取った。写真はガウディの亡くなった横顔のスケッチ。
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雨はやっと小降りになったので外へ出る。これは誕生のファサードとは反対側にある受難のファサード。イエスの死と復活をテーマに彫刻を製作したのはカタルーニャ人彫刻家のジョゼップ・マリア・スビラックス。誕生のファサードと違い、なんとも現代的な彫刻で批判もあったようだが、私はこれはこれで良いと思う。スペインはピカソやダリを生んだ国なのだから。
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私が接吻した者が我が師であると言い、イエスにキスをするユダ。足下にはヘビが。
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大司祭の家に連れて行かれ、イエスを知らないと三度答えたペテロ。
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どうしたものかと悩むローマ総督ピラト。
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鞭打ちの刑の後、自分が磔刑される十字架を背負ってゴルゴタの坂を歩むイエス。
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イエスの顔は血と汗にまみれ、エルサレムの敬虔な女性ヴェロニカが差し出したヴェールで顔を拭くと、そこにイエスの顔が浮かぶ奇跡がおこる。
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磔刑となったイエス。左側の人物は右からしゃがみ込むマグダラのマリア、顔を覆う聖母マリア、聖母マリアを慰めるヨハネ。イエスの足下のドクロは死を意味しており、ガイドさんの話ではアダムのものらしい。そして右上には月が出ている。
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埋葬されるイエス、壁の割れ目はイエスの死の瞬間、大地が揺れたことを表している。
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復活し、天へ昇ってゆくイエス。
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見学を終わり外側に出るが写真は工事中の栄光のファサード。完成するとどんなものになるのか又、見に来たいものだ。
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ちらっと見えたバルセロナ水道局の建物。ロンドンにもこんなのあったね。
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ガウディのライバル、ドメニク・イ・モンタネールが手がけたサンパウ病院。1997年カタルーニャ音楽堂とともに世界遺産に登録される。残念ながら車窓見学のみ。
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バルセロナは緑の多い街。おっと2CV発見。
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カサ・ミラは修復中。
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カサ・バトリョも一瞬。
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17:00 旧市街でバスを降りた一行がまず向かったのはカタルーニャ音楽堂。
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こちらにも立派な彫刻が。
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ちょっと覗いてみた。
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バルセロナ旧市街、街角歩き。
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カタルーニャ独立運動のシンボル旗。
*2014/11の住民投票で、80%の住民が独立に賛成票を投じたが、スペイン政府は、この投票を正式なものと認めていない。 -
カタルーニャ・カテドラル(大聖堂)ちなみにサグラダファミリアはバシリカ(聖堂)なので格はこちらのほうが上。
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内部はこんな感じ。
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中央のドームからは光が差して、
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祭壇は光り輝いている。
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カテドラル前広場、下は地下駐車場。雨がまた強くなってきた。当初の予定ではフリータイムを利用して、この先にあるピカソ美術館へ行くつもりだったが残念。
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20:00 夕べ深夜に着くはずだったユーロホテル・ディアゴナルポートにチェックインする。
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部屋の中はこんな感じ。この後ホテルのレストランで夕食だったが、疲労困憊状態のため料理の写真を撮るのを忘れてしまった。夕食後はなにもせず、さっさと就寝する。
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4/4
泊まった部屋は中庭に向いており、右側が海岸沿いの店舗、左側と向かい側はアパートかマンションのようだった。天気が良ければ海岸まで散歩も出来たが曇天だったのでやめた。 -
ホテルの朝食。どこのホテルも毎朝こんな感じのバイキング。
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今日から我々を運んでくれるバスがやってきた。
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座席は横1人+2人掛けで、オットマンまで備わったVIPシート。
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9:00 ゆっくりと出発。
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カタルーニャ広場で下車。この広場の一角にFCバルセロナのオフィシャルショップがあるのだが、現地ガイドさんはランブラス通りを南下しはじめた。
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ランブラス通りは真ん中に広い歩道がある通りで、いろんな売店が林立している。
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土産物屋
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花屋
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サン・ジュセップ(ポケリア)市場
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市場の中はちょっと暗いが、マドリードのサン・ミゲル市場と違い地元の人たちも買い物に訪れる市場。値段もリーズナブル。ここでつまみ用のチーズと生ハムを購入。
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ランブランス通りにあったミロのデザインした歩道。
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レイアール広場には、
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若き日のガウディの作品となったガス灯がある。柱に巻き付いたヘビが印象的。
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やがてコロンブスの像が見えはじめランブラス通りは終点。
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バスはモンジュイックの丘を登り始めた。
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丘の展望台からはバルセロナの街が一望に。
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サグラダ・ファミリアも良く見えた。
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バルセロナ最後の見学は、闘牛場を改装したショッピングセンター「アレーナス・デ・バルセロナ」。なんとここにFCバルセロナのオフィシャルショップがあり、無事にバルサの正規シャツをゲット。
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屋上からはスペイン広場やカタルーニャ美術館が一望。ん、天気が良くなってきたぞ。
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12:00 バルセロナを後に、高速道路に入る。スペインの高速道路はA(アウトビア)で始まる無料の道路とAP(アウトピスタ)で始まる有料道路が混在しており、重複したり並んで走っていることもある。
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どんどん良くなる天候の中、バスはAP-7号線をタラゴナ・バレンシア方面へ快走する。
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後方ではカタルーニャの聖地、モンセラットの山々がいつまでも我々を見送ってくれた。アディオス、カタルーニャ&アディオス、バルセロナ。
これで「2014スペイン旅行記1:バルセロナ」は終了です。最後までご覧いただきありがとうございます。
2020/07/15 一部修正済み、2024/03/02 一部修正
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