
2002/01/19 - 2002/01/21
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カリオカケイタさん
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Chile(チリ)北部にある Iquique(イキケ)に住む友人を訪ねた。イキケはチリ南北 4,329kmに及ぶ国土の最北にある La Region de Tarapaca(タラパカ州)の州都で人口184,000人(2012年)の港街だ。
イキケの東45kmに位置する Pozo Almonte(ポソ・アルモンテ)には Humberstone(ハンバーストーン:スペイン語読みではウンベルストンとなる。)の硝石精製工場や教会・学校・劇場・労働者用住宅等がゴーストタウンのようになって残っているという。
友人の Lilian(リリアン)さんを誘ってタクシーを利用してハンバーストーン日帰りの計画を立てたところ、彼女の父親が猛反対した。
父親曰く、「僅か 45kmの距離ではあるが、イキケを一歩出ると、そこは死への道と恐れられた Desierto de Atacama(アタカマ砂漠)である。タクシーでは装備が不十分でタイヤが砂に埋まってしまい脱出困難となり人気も無い所なので助けを呼ぶこともできない。何よりタクシーの運転手の中には泥棒に豹変する輩もいるので危険だ。大事な娘の命を外国人のあなたに託すことはできない。」というものだ。
途方に暮れていると、父親が「自分が運転する4WDでなら娘と一緒にあなたを案内する。」という助け舟を出してくれた。ちなみに父親はチリ海軍の士官である。
かくしてゴーストタウン化したチリ硝石工場跡の残るハンバーストーン行きが実現した。
1872年に創業されたチリ硝石精製工場は 1958年に閉鎖され、1960年には打ち捨てられ誰もいなくなった。
ハンバーストーンは2005年に、サンタ・ラウラの硝石工場跡とともに、ユネスコの世界文化遺産に登録され、同時に危機遺産にも登録された。そこで働いていた3,700名の労働者達が独自の共同体文化を築いていたことや、ハンバーストーンで生産された硝石が南北アメリカ大陸やヨーロッパの大地を肥沃にし当時の食料事情の改善に寄与したという歴史的な意義等が評価された。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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チリ全図(提供:escolares.netmapa-de-chile)
イキケはチリ南北 4,329kmに及ぶ国土の最北にある La Region de Tarapaca(タラパカ州)の州都で人口184,000人(2012年)の港街だ。 -
イキケ周辺地図(提供:gochile.cl)
イキケの東45kmに位置する Pozo Almonte(ポソ・アルモンテ)には Humberstone(ハンバーストーン)の硝石精製工場跡や教会・学校・劇場・労働者用住宅等がゴーストタウンのように残っている。 -
Humberstone(ハンバーストーン)の硝石精製所跡のレイアウト
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イキケの宿泊したホテルから Playa Cavancha(カバンチャ・ビーチ)の眺め。
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イキケの中心部 Plaza Arturo Prat(プラット広場)に面した美しい Torre del Reloj(時計塔)
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友人の Lilian(リリアン)さんを誘ってタクシーを利用してハンバーストーン日帰りの計画を立てたところ、彼女の父親が猛反対した。途方に暮れていると、「自分が運転する4WD(写真中央)でなら娘と一緒にあなたを案内する。」という助け舟を出してくれた。
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父親曰く、「ハンバーストーンまでは僅か 45kmの道のりではあるが、イキケを一歩出ると、そこは死への道と恐れられた Desierto de Atacama(アタカマ砂漠)である。」と。
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Pampa del Tamarugal(タマルガル丘陵)からイキケの街並みを見下ろす。
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そこからすぐ「死への道」と恐れられた Desierto de Atacama(アタカマ砂漠)が広がっている。
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リリアンさんの父親曰く「タクシーでは装備が不十分でタイヤが砂に埋まってしまい脱出困難となり人気も無い所なので助けを呼ぶこともできない。何よりタクシーの運転手の中には泥棒に豹変する輩もいるので危険だ。」とのアドバイスを受けた。
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「アタカマ砂漠にタクシーで行くなど大事な娘の命を外国人のあなたに託すことはできない。」と父親が反対した。
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リリアンさんの父親はチリ海軍の士官だ。
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ハンバーストーンのチリ硝石精製工場跡が見えて来た。
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労働者用住宅跡。ハンバーストーンのチリ硝石精製工場では最盛期 3,700人の労働者が働いていた。地平線の部分に白く砂嵐が舞っているのが見える。
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ハンバーストーンのチリ硝石精製工場の中心部が見えて来た。
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2つの施設はベルトコンベヤーで繋がっていたようである。
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フレア・スタック(焼却用煙突)
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蒸気機関車がうち捨てられている。
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ハンバーストーン博物館。ここからは有料となる。
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ハンバーストーン博物館。入場するとすぐ脇に大きな馬車の車輪が残されていた。
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工場に勤めていた労働者の住居跡が並ぶ。
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街のメインストリート。労働者達はここで買物をし劇場に行くのを楽しみにしていたのであろう。
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立派な教会が残っていた。
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教会内部。
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Colegio San Mauricio(聖マウリシオ学校)の看板。
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同学校内部の落書き。子供達のものではなく観光客のものらしい。
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劇場跡。
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劇場内部。
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再びハンバーストーンのチリ硝石精製工場跡を訪れた。まるで西部劇に出て来るような荒涼とした風景だ。
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1872年に創業されたチリ硝石精製工場は 1958年に閉鎖され、1960年には打ち捨てられ誰もいなくなった。
ハンバーストーンは 2005年に世界遺産に登録された。そこで働いていた3,700名の労働者達が独自の共同体文化を築いていたことや、ハンバーストーンで生産された硝石が南北アメリカ大陸やヨーロッパの大地を肥沃にし当時の食料事情の改善に寄与したという歴史的な意義等が評価された。
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