2012/04/24 - 2012/05/03
73位(同エリア98件中)
ちゃおさん
804年、空海と最澄は同じ遣唐使団で留学僧として唐に派遣され、最澄の乗った船は無事に寧波に上陸し、そのまま150キロ程離れた天台山に向かい、当時の天台座主智者大師より教えを乞い、僅か3ヶ月で帰国の途に着いたが、一方の空海は、乗船した船が漂流して福州に着岸、その時空海は接見した地方長官の前で、唐紙に両手、両足、口に筆を咥えて書を書き、「五筆大師」と称せられた有名な故実がある。
当時の唐の文化人の舌を巻かせた異能の持ち主、空海はその後、長躯長安の都まで行き、2年間の修行の後、青龍寺で恵果阿闍梨の印可を受け、真言宗第八祖の阿闍梨となったものであるが、その彼も帰国の帰途、この寺に立ち寄ったようだ。先日洛陽の白馬寺でも空海像を見たが、当時既に大運河は完成してして、長安から洛陽、洛陽から開封、更には揚州までの水運の大動脈は物流に大いに貢献していたようだ。
蔵経堂の直ぐ横、この相国寺で最も重要な場所、「大師堂」、日本で言えば祖師堂に当たるものだが、この寺の祖と並んで青年の空海大師像が安置されている。昔からこの場所にこうして置かれていたものとは思えず、最近になって日本の参詣団が奉納したもののようだ。しかしこうした由緒あるお寺で日本人の僧侶像に遭うのは嬉しい。朝鮮僧ではなく、チベット、ベトナム僧でもない。日本が大乗を正当に継承していることをしみじみ感じた。
いつの頃の奉納か。大師像の後ろには寄付者の氏名、住所が細かく記載されている。大師堂の外の石碑にも寄付金額と氏名が刻印されている。当時の3万円は、今の金額に直せば如何程か。寄付を市、像を建て、皆、誇りに思っていたに違いない。このうちの何人がまだ生存しているのだろうか・・、いやもう大半は物故しているに違いない。さあ、先に歩を進めよう。もう間もなくこの寺の出口が見えてきた。
- 旅行の満足度
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