2012/11/18 - 2012/11/18
38位(同エリア59件中)
ひらりんさん
熊野古道伊勢路において一番厳しい八鬼山越えである。
ここの石畳は苔生しているのである。
厳しいので歩くヒトも少ないのであろう。
「アリの熊野詣」の時代は行き倒れも多くいたという。
山賊はいるし、熊も狼もいたことであろう。
熊野古道の迫力は感ずるのであるが、石畳は良く滑るし、天候も変わりやすい。
歩かれる方は、それなりの装備を用意することをお勧めしたいのである。
JR尾鷲駅〜JR三木里駅:14km
世界遺産登録地域:八鬼山道
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
JR尾鷲駅を出て駅前の狭い商店街を抜けると「まちかどHOTセンター」があるのである。
ここから、八鬼山越えに向かうのである。
なお、時間があるときは、立ち寄ることをお勧めしたいのである。 -
尾鷲市内を淡々と歩くのである。
「マハタ」が主張していたのである。
旨い魚である。
鍋にして食いたいのである。 -
古い家並みが続くのである。
風情があったのである。 -
「在蔵」である。
紀州藩へ納める年貢を保管してたとのこと。
今で言うところの税務署の金庫みたいなものか... -
「やのはま道」に入るのである。
やたらと狭いのである。
ただ、結構、面白かったのである。 -
「灰窯」である。
灰を作るための窯である。 -
懐かしい看板ではある。
-
八鬼山越えだけを目指すなら、バスで「向井」まで来て、歩くことも可能であるが、やはり、尾鷲市街地も歩いてもらいたいのである。
-
尾鷲節歌碑である。
熊野巡礼者が道に迷ったことから立てられたそうである。 -
八鬼山道に入った途端、タンクの主張の出迎えを受けたのである。
-
町石である。
一町ごとに立てられたそうである。
現存するは33体とのこと。
すべて、地蔵尊であるとのこと。
とりあえず、手を合わせておこう。 -
石畳道のスタートである。
まだ、このあたりは傾斜は緩いのである。 -
七曲がりに突入。
写真ではわかりにくいが強烈な登り坂である。
体重落とさねばと思った次第ではある。 -
七曲がりを抜けると尾鷲の街が見えてきたのである。
小休止である。 -
桜茶屋一里塚跡である。
昔はこんな急峻なところに茶屋があったのである。
山賊のシノギだったやも知れぬ。
また、金持ちそうな巡礼者に毒を盛ったりして...
ツマラヌ事を想像してしまったのである。 -
烏帽子石である。
妙な威圧感があったのである。 -
久木峠である。
小休止である。 -
三宝荒神堂である。
残念ながら戸が閉まっていて仏像を拝むことは出来なかったが、
とりあえず、手を合わせておこう。 -
明治道分岐である。
ウォーキングイベントにぶつかってしまったのである。
まあ、江戸道を歩く予定だから差し支え無いのである。
機会が出来れば明治道も歩いてみたいモノではある。 -
さくらの森エリア到着。
もう、ヨタヨタである。
弁当を食うのである。 -
さくらの森エリアから見た久鬼の集落である。
久鬼水軍の埋蔵金伝説もあるという。
発見したいのである。 -
下りに突入。
コチラも強烈な石畳。
急坂+良く滑る。
要杖である。
膝が笑うのである。 -
勝手に「馬の首木」と名付けたのである。
-
反対の主張である。
昔は赤ペンキで主張していたそうである。
売国左翼に唆されて、地権者が書いたモノであろうと推測するのである。 -
再び明治道と合流である。
膝が死にかけていたのである。
メタボのヲッサンにはキツイ山道であった。 -
八鬼山出口である。
古人もここまで来て、ほっとしたと推測するのである。 -
名柄一里塚跡である。
小休止して膝の感覚を戻すのである。 -
三木里の海岸である。
古人も海の景色を見て魚を食いたくなったと推測するのである。
現代人は尾鷲市内に戻り「寿司」を食うのである。 -
ゴールの三木里駅である。
地元の人の話によれば、三木里には山賊がいたそうである。
現代人はこのあと「夢古道おわせ」に行き、湯につかるのであった。
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