2010/07/01 - 2010/07/01
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oterasanさん
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2012年10月2日(火)更新
第2日目・2010年7月1日(木)
台湾2日目、今日は1駅隣の宣蘭観光へ、そして宜蘭より普通列車で1時間弱の武塔にあるサヨンの鐘を見に行きます。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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礁渓駅から電車で10分(15元)宜蘭駅へ向かいます。
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各駅停車の普通電車。
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宜蘭駅へ8:31着。
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駅から歩いて中山公園の入口を通過。
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「宜蘭設治記念館」へ。(入館料30元)
1906年に建てられた和洋折衷様式の木造建築。
日本統治期には歴代の地方長官官邸として使用。 -
宣蘭の歴史を時代ごとに分け、政治や町の移り変わりについての貴重な資料が展示されています。
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日本との関わりの歴史が中国や韓国と異なり友好的な部分を多く見かけることが出来ます。
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日本語のパンフレットもありました。 -
続いて歩いて10分の「宜蘭酒廠」へ。
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日本統治期の100年近くの歴史をもつ酒工場へ。
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甲子蘭酒文物館と台湾紅麹館が併設されており台湾の酒文化に関する資料を参観できます。
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酒好きの私は試飲を3杯飲みましたが紹興酒に似ていました。
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中山路のほぼ中央に位置する媽祖廟「昭応宮」
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門前の竜の彫刻が施された泉州白石彫の柱や、獅子の彫刻、精密な木彫りの梁などが素晴らしい。
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これから是非と思った所へ行くため宜蘭は1時間半のみ、駆け足の観光となり駅に戻りました。
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10:00発の下り列車に乗ります。
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武塔駅まで普通列車で62元(180円)。
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無人の武塔駅に着きました。若者数名と共に駅を出ましたが店も家も何もありません。
ド田舎へ来てしまいました。
若者たちは待っていたトラックに乗って去っていくと私がただ一人。 -
歩いて10分国道沿いドライブインがあり隣のヤシの木の向こうにありました目的の沙韻記念館(サヨン記念館)。
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「サヨンの鐘」について
昭和13年(1938年)日本統治化にこの地に駐在していた日本人の巡査に召集令状が届き、出征することとなった。
この巡査は村の学校の教師も兼ねて面倒見もよく村人から慕われいた。
出征で山を下りるときの荷物運びを村の青年達が手伝った中に少女サヨン・ヨハンもその一人であった。
当日は悪天候で川に掛った丸木橋を渡るとき、荷物を背負ったサヨンが足を滑らせ増水した川に落ち命を落とした。
出征する恩師を見送るために少女が犠牲になった事が格好の愛国美談となり、台湾総裁によって遭難現場近くに「サヨンの鐘」「愛国乙女サヨン遭難の碑」が建てられた。
だそうです。 -
西条八十作詞、古賀政男作曲で渡辺はま子が歌い、美談とともに内地外地を問わずヒットした「サヨンの鐘」の歌が12時に流れてきました。
涙の出そうな良い曲です。 -
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入口には鳥居がありました。
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橋の側に武塔村の地図が、この辺りが遭難現場ではないかと思われます。
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駅へ帰る途中昔の住民がテーマの看板を多く見かけました。
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上りの電車は1時間待ちです。
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中学生がホームに入り急に賑やかになりなりました。
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帰りの電車賃は37元(110円)。
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礁渓駅まで帰り、日本食のラーメン屋へ。
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ビールと
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牛肉ラーメンで150元。味は今一でした。
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温泉の湧き出る小川を中心に整備された「湯園溝公園」
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誰でも無料で利用できる足湯があります。
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ホテルの入口。ここの主人は日本語も英語も通じないので漢字で会話。
しかし半分以上は通じませんでした。
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今夜はマックで。
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