2012/08/18 - 2012/08/19
347位(同エリア1914件中)
吉備津彦さん
陣屋とは、江戸時代に郡代・代官が治政を行った場所で、御役所や郡代(代官)役宅、御蔵などを総称して陣屋と呼びます。
飛騨代官は安永六年(1777)に飛騨郡代に昇格し、当時3ヵ所あった郡代役所(関東・西国・美濃)と並んで幕府の重要な直轄領となりました。
幕末には全国に60数ヵ所あったと言われている郡代・代官所の中で、当時の建物が残っているのはこの高山陣屋だけです。
全国で唯一建物が現存する遺跡で、昭和4年には国史跡に指定されました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
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イチオシ
直轄領とは、江戸幕府直轄地で、幕府の経済的基盤をなした領地を言います。
なぜ幕府は天正十四年(1586)から金森氏が6代(106年間)にわたり支配してきた飛騨の国に着目し、元禄五年(1692)に直轄領としたのでしょうか。
その理由は、豊富な山林資源(木材)と地下資源(金(きん)・銀・銅・鉛)であったと言われています。高山陣屋 名所・史跡
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高山陣屋は、高山城主金森家の下屋敷(向屋敷)として使われていましたが、直轄領となってからは陣屋として代官や郡代がここで飛騨の政治を行いました。
以来慶応四年(1868)に至るまで176年間、江戸幕府は25代の代官、郡代を派遣して飛騨の国を支配してきました。
高山陣屋 名所・史跡
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明治維新以後、陣屋の建物は高山県庁舎等として使用され続けました。
昭和44年に飛騨県事務所が移転した後、岐阜県教育委員会は高山陣屋の保存へと乗り出し、足かけ16年の歳月と、約20億円という費用をかけて、平成8年3月に修復・復元が完成しました。
こうして江戸時代の高山陣屋の姿がほぼ再現されたのです。高山陣屋 名所・史跡
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向こうに見える屋根が板葺きの米倉
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使者の間 駕籠がありました。
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イチオシ
御白州、拷問用の抱石もありました。
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イチオシ
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宿泊した高山ワシントンホテル
飛騨高山ワシントンホテルプラザ 宿・ホテル
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フロント・ロビーのさるぼぼ
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JR高山駅前にホテルはあります。
高山駅 駅
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イチオシ
閉門中の陣屋門
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葵の御紋の提灯
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陣屋の門前で朝市開催中でした。
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朝市全景
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山岡鉄舟銅像青雲
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