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『青蔵鉄道で行く聖徒ラサとショトウン祭8日間』というツアーに参加した旅行記のまとめ。チベットでの出来事の印象など。<br /> <br /> チベット旅行のまとめ−エピローグEpilogueはチベットの悲しみについてである。それを旅の結論とするのは、まさに寂しいが、それはモーツアルトの曲の紺に近い“碧さ”である。ショトン祭後とツアー最終日のラサ郊外湖への遠足についても記してゆく。チベットブルーはそらの青さであったが、それは豊富な水の碧さでもあった。<br /> 写真は青蔵鉄道からの草原風景。

チベット行 −エピローグEpilogue:悲しきチベットTristesTibet−

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2011/08/24 - 2011/08/31

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kiku_suiさん

『青蔵鉄道で行く聖徒ラサとショトウン祭8日間』というツアーに参加した旅行記のまとめ。チベットでの出来事の印象など。
 
 チベット旅行のまとめ−エピローグEpilogueはチベットの悲しみについてである。それを旅の結論とするのは、まさに寂しいが、それはモーツアルトの曲の紺に近い“碧さ”である。ショトン祭後とツアー最終日のラサ郊外湖への遠足についても記してゆく。チベットブルーはそらの青さであったが、それは豊富な水の碧さでもあった。
 写真は青蔵鉄道からの草原風景。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
3.0
同行者
その他
交通手段
鉄道 観光バス 徒歩
航空会社
中国国際航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
風の旅行社
  • 【エピローグEpilogue】 <br /> 旅はいつかは終わる。そして、記憶としての新たな時間を刻み始める。<br /><br /><br /> 鹿野山大接心から帰ってきた。これも一つの小さな旅であった。河野太通老師の提唱は、無門関第八則“奚中造車”。有にして無、『空』についてである。 <br /><br /> 「チベットでの空(くう)とはそら(空)とその青さ」であった。 それは、輝ける光と深い青色の空間として、①それのみで存在し、朝焼け夕焼けなどにも変らぬ空として②本性を有し、宇宙があり、それを認識するものがある限り③永遠に存在する。<br /> 空(くう)とは非実体だが、そら(空)は『実体』を成立させる三原則を満たしている。そんなことを小さな旅の帰り道で考えていた。<br /><br /> 8月下旬、終戦記念日に関連して、とりためたVIDEOを見ながら、戦争そして人の殺し合いについて書こうとしていた。<br /> フクシマ原発から、非戦闘市民への当に直接投下という広島・長崎の原爆の非人道性、大東亜戦争における日本戦没者数は230万人。民間人死者数80万人。<br /> 第二次大戦全体での犠牲者数は5,335万人。戦死者数については、ソ連の1,450万人が図抜けて多い。<br /> “Hearts&Minds”で描かれるベトナム戦争での無差別殺戮、“Pianist”のアウシュビッツ150万人の虐殺。映画“SevenYears InTibet” もあったが、中国はチベットで仏像を破壊したのみならず、何人の僧侶・人々を殺戮してきたか。その中国共産党も毛沢東の経済政策の失敗で3,000万人を死亡させたといわれる。<br /> その時のブログは、『人間というのは何者 -最も恐ろしい被創造物-』というタイトルにしたが、いまだに“下書き”のまま公開できない。<br /><br /> これらの事実は“悲しみ、哀しみ”というよりも“痛み”だろう。人間は、一方では東北ボランティアなどに見られるように、驚くばかりの優しさがあるのに、また、一方では戦争殺戮といった残虐な行為をしうるのか。そのダイナミックレンジの大きさに戸惑うと共に、精神の構造や心のあり方を仏教・宗教、唯識心理学に求めても、答えはなかなか見つからなかった。<br /><br /><br /><br /> チベット旅行のまとめ-エピローグEpilogueはチベットの悲しみについてである。それを旅の結論とするのは、まさに寂しいが、それはモーツアルトの曲の紺に近い“碧さ” である。前回の続きのショトン祭後とツアー最終日のラサ郊外湖への遠足についても記してゆく。チベットブルーはそらの青さであったが、それは豊富な水の碧さでもあった。<br /><br /><br />(写真は現在の我が家の仏壇。チベットの思い出が詰まっている。文殊菩薩を仏として安置した。ロウソクの光に輝く姿は、まさにここしか無いというようにその場所にぴったりと収まった。手前一対の龍馬は仏を守護するかのように咆哮し鎮座している。仏壇の周りに掛けられた白い布はカタ(旅の安全を祈願して旅行者にマフラーのように掛けられるが、土産店が文殊菩薩を包んでくれ、チベットから来たもの)。左にはマニ車、右には自作マニ石、中央には数珠、手首輪を配し、セラ寺で求めた黄色布製の曼荼羅が背景となっている。線香立てにも虚空菩薩の梵字がある)<br />

    【エピローグEpilogue】 
     旅はいつかは終わる。そして、記憶としての新たな時間を刻み始める。


     鹿野山大接心から帰ってきた。これも一つの小さな旅であった。河野太通老師の提唱は、無門関第八則“奚中造車”。有にして無、『空』についてである。

     「チベットでの空(くう)とはそら(空)とその青さ」であった。 それは、輝ける光と深い青色の空間として、①それのみで存在し、朝焼け夕焼けなどにも変らぬ空として②本性を有し、宇宙があり、それを認識するものがある限り③永遠に存在する。
     空(くう)とは非実体だが、そら(空)は『実体』を成立させる三原則を満たしている。そんなことを小さな旅の帰り道で考えていた。

     8月下旬、終戦記念日に関連して、とりためたVIDEOを見ながら、戦争そして人の殺し合いについて書こうとしていた。
     フクシマ原発から、非戦闘市民への当に直接投下という広島・長崎の原爆の非人道性、大東亜戦争における日本戦没者数は230万人。民間人死者数80万人。
     第二次大戦全体での犠牲者数は5,335万人。戦死者数については、ソ連の1,450万人が図抜けて多い。
     “Hearts&Minds”で描かれるベトナム戦争での無差別殺戮、“Pianist”のアウシュビッツ150万人の虐殺。映画“SevenYears InTibet” もあったが、中国はチベットで仏像を破壊したのみならず、何人の僧侶・人々を殺戮してきたか。その中国共産党も毛沢東の経済政策の失敗で3,000万人を死亡させたといわれる。
     その時のブログは、『人間というのは何者 -最も恐ろしい被創造物-』というタイトルにしたが、いまだに“下書き”のまま公開できない。

     これらの事実は“悲しみ、哀しみ”というよりも“痛み”だろう。人間は、一方では東北ボランティアなどに見られるように、驚くばかりの優しさがあるのに、また、一方では戦争殺戮といった残虐な行為をしうるのか。そのダイナミックレンジの大きさに戸惑うと共に、精神の構造や心のあり方を仏教・宗教、唯識心理学に求めても、答えはなかなか見つからなかった。



     チベット旅行のまとめ-エピローグEpilogueはチベットの悲しみについてである。それを旅の結論とするのは、まさに寂しいが、それはモーツアルトの曲の紺に近い“碧さ” である。前回の続きのショトン祭後とツアー最終日のラサ郊外湖への遠足についても記してゆく。チベットブルーはそらの青さであったが、それは豊富な水の碧さでもあった。


    (写真は現在の我が家の仏壇。チベットの思い出が詰まっている。文殊菩薩を仏として安置した。ロウソクの光に輝く姿は、まさにここしか無いというようにその場所にぴったりと収まった。手前一対の龍馬は仏を守護するかのように咆哮し鎮座している。仏壇の周りに掛けられた白い布はカタ(旅の安全を祈願して旅行者にマフラーのように掛けられるが、土産店が文殊菩薩を包んでくれ、チベットから来たもの)。左にはマニ車、右には自作マニ石、中央には数珠、手首輪を配し、セラ寺で求めた黄色布製の曼荼羅が背景となっている。線香立てにも虚空菩薩の梵字がある)

  • 【ショトン祭後】<br /> ショトン祭後、午後ノルブリンカ宮殿にでかける2時間半ほどの唯一のフリータイムは、私の最大の目的でもあった土産物探しの買い物で費やされる。因みにこの日の全歩数は19,873歩。 さすがにその午後の見学が躊躇われるような状況。遅い夕食のあと、次の日は帰国に向けて大量の購入物を含め、荷造りに夜中1時すぎまでかかる。次の日の出発も早朝なので、帰国の飛行機の中で寝れれば良いとウトウトしたところで、モーニングコール前に起きる。

    【ショトン祭後】
     ショトン祭後、午後ノルブリンカ宮殿にでかける2時間半ほどの唯一のフリータイムは、私の最大の目的でもあった土産物探しの買い物で費やされる。因みにこの日の全歩数は19,873歩。 さすがにその午後の見学が躊躇われるような状況。遅い夕食のあと、次の日は帰国に向けて大量の購入物を含め、荷造りに夜中1時すぎまでかかる。次の日の出発も早朝なので、帰国の飛行機の中で寝れれば良いとウトウトしたところで、モーニングコール前に起きる。

  • 上写真のノルブリンカ宮殿はダライラマ法王の夏の離宮。ショトン祭の時にはチベットオペラも演じられている。<br /> ラサ最後のそしてショトン祭の日、ホテルから祭りの花火が見えた。遠くにラサの象徴ポタラ宮も見える。<br />

    上写真のノルブリンカ宮殿はダライラマ法王の夏の離宮。ショトン祭の時にはチベットオペラも演じられている。
     ラサ最後のそしてショトン祭の日、ホテルから祭りの花火が見えた。遠くにラサの象徴ポタラ宮も見える。

  • 【ツアー最終日】<br /> ツアー最終日はラサ郊外湖への遠足。カンパラ峠(4,750m)から「神秘の湖」ヤムドク湖を訪れた。昼食は近くの湖のほとりでとる。チベットブルーはそらの青さであったが、それは豊富な水の碧さでもある。

    【ツアー最終日】
     ツアー最終日はラサ郊外湖への遠足。カンパラ峠(4,750m)から「神秘の湖」ヤムドク湖を訪れた。昼食は近くの湖のほとりでとる。チベットブルーはそらの青さであったが、それは豊富な水の碧さでもある。

  • ヤムドク湖に向かう途中、川に掛かる祈祷旗のタルチョ。

    ヤムドク湖に向かう途中、川に掛かる祈祷旗のタルチョ。

  • チベットは水も豊富だ。写真はチベット郊外の水に映る太陽。

    チベットは水も豊富だ。写真はチベット郊外の水に映る太陽。

  • ヤムドク湖での写真撮影用のチベット犬。首輪の赤が湖の青と好対照。<br /><br />

    ヤムドク湖での写真撮影用のチベット犬。首輪の赤が湖の青と好対照。

  •  ヤムドク湖を少し下ったところの湖の水辺でホテルから持ってきた昼食を取る。積み上げられた石とタルチョ。チベットブルーが空だけでなく、湖や水にあることがわかる。河原ならぬ湖畔で賽の河原のように、石が積み上げられ、祈祷旗のタルチョも掛けられている。ガイドの人の説明によれば、石と旗は遥か向こうのヒマラヤ山系に向かい運気を高めるための祈祷のものだと言う。私も幾らか近くの石を積み上げ祈り、買い損なったマニ石の代わりに梵音文字を彫りこんだ。

     ヤムドク湖を少し下ったところの湖の水辺でホテルから持ってきた昼食を取る。積み上げられた石とタルチョ。チベットブルーが空だけでなく、湖や水にあることがわかる。河原ならぬ湖畔で賽の河原のように、石が積み上げられ、祈祷旗のタルチョも掛けられている。ガイドの人の説明によれば、石と旗は遥か向こうのヒマラヤ山系に向かい運気を高めるための祈祷のものだと言う。私も幾らか近くの石を積み上げ祈り、買い損なったマニ石の代わりに梵音文字を彫りこんだ。

  • 【チベットラサ遠景】<br /><br /> 写真は標高の高い峠から遥かにチベットラサ市内の方向を望む。 <br /><br /> 下記のチベット旅行記(ラサに到着! チベット旅行記2:瑞樹さんの旅行ブログ)にチベットの歴史がきちっと書かれている。<br />http://4travel.jp/traveler/saemizuki/album/10169727/ <br /> 自らの無知・無明を恥じるばかりだが、まずラサに侵入した外国軍は1904年のイギリスで、そのときもダライ・ラマ13世は一時モンゴルに亡命、1908 年には清軍侵攻でインドに亡命など、帰国したのちも知らなかったことが多かった。歴史的には、その後も武装蜂起や反乱、そして凄惨・悲惨な殺害・虐待が延々連綿として続けられる。それだけでなく、寺院や文化財も徹底的に破壊された。<br /><br /> 『1989年にも大規模なデモが発生し、流血の事態に発展したそうです。延べ数十万人のチベット人が虐殺され、彼らの漢族及び”中国”に対する憎しみは今も消えていないようです。』 引用の旅行記は、青蔵鉄道が建設される直前の2006年04月29日〜05月07日だから、つい最近の北京五輪を前にした2008年3月の騒乱(暴動という言葉は使えない)は記載されていない。今回も民家を含めいたるところに中華人民共和国の国旗が掲げられている。『この暴動を好機と捉えた中国政府は徹底的なチベット独立派への取り締まりを行い、ラサ市内に多く居住していたチベット独立派は壊滅的打撃を受けた。』と下記ブログにある。 <br />http://ja.wikipedia.org/wiki/2008%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E9%A8%92%E4%B9%B1

    イチオシ

    【チベットラサ遠景】

     写真は標高の高い峠から遥かにチベットラサ市内の方向を望む。

     下記のチベット旅行記(ラサに到着! チベット旅行記2:瑞樹さんの旅行ブログ)にチベットの歴史がきちっと書かれている。
    http://4travel.jp/traveler/saemizuki/album/10169727/
     自らの無知・無明を恥じるばかりだが、まずラサに侵入した外国軍は1904年のイギリスで、そのときもダライ・ラマ13世は一時モンゴルに亡命、1908 年には清軍侵攻でインドに亡命など、帰国したのちも知らなかったことが多かった。歴史的には、その後も武装蜂起や反乱、そして凄惨・悲惨な殺害・虐待が延々連綿として続けられる。それだけでなく、寺院や文化財も徹底的に破壊された。

     『1989年にも大規模なデモが発生し、流血の事態に発展したそうです。延べ数十万人のチベット人が虐殺され、彼らの漢族及び”中国”に対する憎しみは今も消えていないようです。』 引用の旅行記は、青蔵鉄道が建設される直前の2006年04月29日〜05月07日だから、つい最近の北京五輪を前にした2008年3月の騒乱(暴動という言葉は使えない)は記載されていない。今回も民家を含めいたるところに中華人民共和国の国旗が掲げられている。『この暴動を好機と捉えた中国政府は徹底的なチベット独立派への取り締まりを行い、ラサ市内に多く居住していたチベット独立派は壊滅的打撃を受けた。』と下記ブログにある。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/2008%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E9%A8%92%E4%B9%B1

  • 【悲しきアジア】<br /> 米国は広島・長崎に原爆を投下したあとも、ヴェトナム戦争で何をしてきたか。(ハーツ・アンド・マインズの記録映画の中で、ウェストモーランド大将は、“東洋では西洋ほど命の値段が高くない。人口が多いから命が安くなる。生命は重要ではないのだ。”とまで語っている。<br /><br /> また、『1975年 ポル・ポト時代のカンボジアでは総人口の1/3を殺し尽くした戦後最大級の虐殺。。。うず高く積み重ねられた白骨の山を目前にする時、人間が、どうしたら、こんなに残酷になれるのか、我々は問わずにはいられない・・・』 という記事にも出会う。<br />http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_d.html<br /><br /><br /> そして、“チベットのモーツアルト” Mozart in Tibet (中沢新一)。本の内容は忘れてしまったが、何故かMozart、Tibet両者は悲しみで結びつく。<br /> 『モーツァルトは「悲しい」と最初に記述して残したのはスタンダールのはずだ。そう、モーツアルトは悲しいのだ。モーツァルトに捧げられた頌歌は多いが、古今の最高の表現は「疾走する悲しみ」というコピーだ。  「疾走する悲しみ(tristesse allante)」と書いたのはアンリ・ゲオン。『モーツァルトとの散歩』でだ。後に小林秀雄によって『モオツァルト』で引用され、日本の文学的音楽鑑賞者の中で有名になってしまった。』http://horikoshim.com/ stillalive/?p=79

    【悲しきアジア】
     米国は広島・長崎に原爆を投下したあとも、ヴェトナム戦争で何をしてきたか。(ハーツ・アンド・マインズの記録映画の中で、ウェストモーランド大将は、“東洋では西洋ほど命の値段が高くない。人口が多いから命が安くなる。生命は重要ではないのだ。”とまで語っている。

     また、『1975年 ポル・ポト時代のカンボジアでは総人口の1/3を殺し尽くした戦後最大級の虐殺。。。うず高く積み重ねられた白骨の山を目前にする時、人間が、どうしたら、こんなに残酷になれるのか、我々は問わずにはいられない・・・』 という記事にも出会う。
    http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_d.html


     そして、“チベットのモーツアルト” Mozart in Tibet (中沢新一)。本の内容は忘れてしまったが、何故かMozart、Tibet両者は悲しみで結びつく。
     『モーツァルトは「悲しい」と最初に記述して残したのはスタンダールのはずだ。そう、モーツアルトは悲しいのだ。モーツァルトに捧げられた頌歌は多いが、古今の最高の表現は「疾走する悲しみ」というコピーだ。  「疾走する悲しみ(tristesse allante)」と書いたのはアンリ・ゲオン。『モーツァルトとの散歩』でだ。後に小林秀雄によって『モオツァルト』で引用され、日本の文学的音楽鑑賞者の中で有名になってしまった。』http://horikoshim.com/ stillalive/?p=79

  • 【悲しきチベット TristesTibet】<br /> 一番の問題は、チベット民族の人々に、もう何をやっても無駄だと思わせるような、諦め感、諦観、倦怠感のようなものが広がってくることだろう。我々、団塊世代の日本の状況では、全学連70年安保・東大日大闘争の政治的季節のあとに訪れた三無主義(無気力・無関心・無感動)の蔓延と同じようなものだろうか。<br /><br /> 今回のチベット行では、精神のうちにも身体うちにも、さまざまな風景を見い出し蓄積した。より具体的には、視覚を中心にした五感、チベットブルー(Tibetian bleu)というのがあるそうだ。空気が少なく青天と呼ぶに相応しく、コバルトブルーよりも濃い。まさに、<br /> 『それは宇宙に近い蒼色』。<br />http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/9837/tibet_1_1.htm <br />http://yukinnko21.blog17.fc2.com/blog-entry-386.html<br /><br /><br /> レヴィ・ストロース(Claude Levi-Strauss) の“悲しき熱帯 Tristes Tropiques” <br />http://www.documen.tv/asset/ About_Tristes_Tropiques.html では、近代文明が熱帯民族を崩壊瓦解させてゆく様子が述べられている。<br />  “Tristes Tibet!!”。 今回も、すでにかなりの兆候や痕跡が見出されたが、チベットの将来はどうなるのだろうか。それは、宇宙の紺碧のようなチベットブルーの深い悲しみをたたえているかも知れないし、『チベットのモーツアルト』の題名にもあるように、Mozartの疾走する悲しみ(tristesse allante)、涙で愚弄できない軽やかな足取りを保っているのだろうか。

    イチオシ

    【悲しきチベット TristesTibet】
     一番の問題は、チベット民族の人々に、もう何をやっても無駄だと思わせるような、諦め感、諦観、倦怠感のようなものが広がってくることだろう。我々、団塊世代の日本の状況では、全学連70年安保・東大日大闘争の政治的季節のあとに訪れた三無主義(無気力・無関心・無感動)の蔓延と同じようなものだろうか。

     今回のチベット行では、精神のうちにも身体うちにも、さまざまな風景を見い出し蓄積した。より具体的には、視覚を中心にした五感、チベットブルー(Tibetian bleu)というのがあるそうだ。空気が少なく青天と呼ぶに相応しく、コバルトブルーよりも濃い。まさに、
     『それは宇宙に近い蒼色』。
    http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/9837/tibet_1_1.htm 
    http://yukinnko21.blog17.fc2.com/blog-entry-386.html


     レヴィ・ストロース(Claude Levi-Strauss) の“悲しき熱帯 Tristes Tropiques” 
    http://www.documen.tv/asset/ About_Tristes_Tropiques.html では、近代文明が熱帯民族を崩壊瓦解させてゆく様子が述べられている。
      “Tristes Tibet!!”。 今回も、すでにかなりの兆候や痕跡が見出されたが、チベットの将来はどうなるのだろうか。それは、宇宙の紺碧のようなチベットブルーの深い悲しみをたたえているかも知れないし、『チベットのモーツアルト』の題名にもあるように、Mozartの疾走する悲しみ(tristesse allante)、涙で愚弄できない軽やかな足取りを保っているのだろうか。

  • 【Epilogue】 <br /> 今回のチベット旅行で、唯一汚点のように残った記憶。セラ寺での光景。<br /> 明らかにチベット民族と見えるかなり高齢の老婦人が、強い日差しを避けるように木陰から、僧侶達の問答を眺めていた。<br /><br /> チベットの午後の日差しは強い。私も普通のキャップ帽子では後頭部を日光で直撃されるので、バンダナで日避け覆いにしていたが、ついには、その老婦人近くの木陰に避難することになった。<br /><br /> そのとき、僧侶達の問答風景ではなく、見物している我々の方にカメラを向けている中年くらいの白人系の男に気がついた。かなりの望遠レンズを装着した一眼レフカメラを使っている。どうもチベット民族老婦人を狙っているようだ。<br /><br /> はじめは、自分自身が木に隠れて見えないようにしていたが、次第に大胆になり、かなりの至近距離から撮影を始めた。さらに同行のカメラを持った若い女も加わり、2人して写真を取りだす。それだけでなく、何も言わない、その老婦人の腕を引っ張って、たぶん明るいところでの撮影条件にするためだろうが、直射日光のあたる壁の前まで連れ出した。そして、また顔を間近に撮るように、2人して写真を何枚も執拗に撮り続けた。老婦人にしてみれば、僧侶達の問答見物どころではない。<br /><br /> すこし時間が経って見ると、解放?された老婦人は同じ樹のしたの木陰に、座り込んで再び、僧侶達の問答見物をしていた。今度もかなり私の隣に近いところに座っている。<br /> しばらくすると、再び例のカメラをもった男女が、こちらにカメラを向け、また写真を撮り始めた。<br /><br /> “Don&#39;t take (my) pictures, Go away, Go away !! ”と、私は彼らに向かって叫んだ。<br /> 若い女は「あんたを撮っているんじゃないヨ」とでも言っているのか、何かぶつぶつ言っている。<br /> “Go away, Go away !! ”と、私は彼ら向かって、また叫んだ。<br /> しぶしぶ、彼らは立ち去ったが、私は心の中で、まだ何度も、そしていつまでも叫び続けていた。<br /><br /> “Go away, Go away !! ”、“Go away, Go away !! ”<br /><br /><br />(本記事は<br />http://miyauchi-m.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/epiloguetristes.html を元に作成しました。<br /> 写真:庭の土に種をまいたら、コスモスの花が咲いた。COSMOS!! 宇宙を示す花。そして“秋桜”。)

    【Epilogue】 
     今回のチベット旅行で、唯一汚点のように残った記憶。セラ寺での光景。
     明らかにチベット民族と見えるかなり高齢の老婦人が、強い日差しを避けるように木陰から、僧侶達の問答を眺めていた。

     チベットの午後の日差しは強い。私も普通のキャップ帽子では後頭部を日光で直撃されるので、バンダナで日避け覆いにしていたが、ついには、その老婦人近くの木陰に避難することになった。

     そのとき、僧侶達の問答風景ではなく、見物している我々の方にカメラを向けている中年くらいの白人系の男に気がついた。かなりの望遠レンズを装着した一眼レフカメラを使っている。どうもチベット民族老婦人を狙っているようだ。

     はじめは、自分自身が木に隠れて見えないようにしていたが、次第に大胆になり、かなりの至近距離から撮影を始めた。さらに同行のカメラを持った若い女も加わり、2人して写真を取りだす。それだけでなく、何も言わない、その老婦人の腕を引っ張って、たぶん明るいところでの撮影条件にするためだろうが、直射日光のあたる壁の前まで連れ出した。そして、また顔を間近に撮るように、2人して写真を何枚も執拗に撮り続けた。老婦人にしてみれば、僧侶達の問答見物どころではない。

     すこし時間が経って見ると、解放?された老婦人は同じ樹のしたの木陰に、座り込んで再び、僧侶達の問答見物をしていた。今度もかなり私の隣に近いところに座っている。
     しばらくすると、再び例のカメラをもった男女が、こちらにカメラを向け、また写真を撮り始めた。

     “Don't take (my) pictures, Go away, Go away !! ”と、私は彼らに向かって叫んだ。
     若い女は「あんたを撮っているんじゃないヨ」とでも言っているのか、何かぶつぶつ言っている。
     “Go away, Go away !! ”と、私は彼ら向かって、また叫んだ。
     しぶしぶ、彼らは立ち去ったが、私は心の中で、まだ何度も、そしていつまでも叫び続けていた。

     “Go away, Go away !! ”、“Go away, Go away !! ”


    (本記事は
    http://miyauchi-m.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/epiloguetristes.html を元に作成しました。
     写真:庭の土に種をまいたら、コスモスの花が咲いた。COSMOS!! 宇宙を示す花。そして“秋桜”。)

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