2012/01/22 - 2012/01/22
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ひま人さん
関西の春を告げると古くから言い遣わされてきた東大寺の「お水取り」、この名称は、3月12日・13日に行われる「修二会」の中で若狭井からお水を汲みあげる儀式名で、「修二会」は正式には「十一面悔過(じゅういちめんけか)」といいます。そのお水取りの関連する地を訪ね歩いた。
京都府・南山城村の恋志谷神社、三重県伊賀市に入り、島ケ原宿散策、鵜宮神社、薬師堂磨崖仏、観菩提寺正月堂を訪ね、その歴史に触れた一日でした。写真は薬師堂の磨崖仏です。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス JRローカル 私鉄 徒歩
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恋志谷神社、鎌倉時代の末期、倒幕の計画が知れ笠置山に難を逃れた後醍醐天皇。それを天皇に想いを寄せていたある高位の女官が聞きつけ、伊勢で病気の療養中にもかかわらず駆けつけます。
しかし、彼女が着いた時すでに遅く、天皇は追っ手から逃れるため笠置山を発った後でした。
彼女は天皇に会えなかった悲しみと長旅の疲れから持病が再発。天皇に恋心を抱き続けながら、一目も逢うことが出来ないうちに自らの命を絶ってしまいます。
その時、彼女は天皇のことを心配し、恋い焦がれ、そして病に苦しむような辛いことは自分一人で十分と、人々の守り神になろうと遺言したそうです。このことを哀れんだ人々が祠を建てて、祀ったと言い伝えられています。恋愛成就、子授け、安産の後利益があるといわれます。 -
恋志谷神社のとなりに天満宮など5つのお社が並んでいます。
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恋路橋、沈下橋になっている。恋志谷さんへ通じる唯一の橋が、恋路橋。雨が降って木津川が増水すると沈んでしまう。でも、光の降り注ぐお天気の時は恋志谷さんもゴキゲンで「願いを聞いてあげるから、おいでおいで」と言っているみたい。
しかもこの恋路橋を歩いて渡ってお参りすると、願いがパワーアップするという噂も! -
大和街道、島ケ原宿。
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島ケ宿旧本陣、藤堂藩の時代、島ケ原は大和街道の宿場町として賑わいをみせていた。ひっそりと落ち着いたたたずまいを見せる旧本陣。諸大名の宿泊、休憩する宿屋など、伊賀、大和、山城への往来の要衝であったことがうかがわせる資料も多く残されているようです。
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鵜宮神社、125段の石段の上に鎮座する老樹に囲まれた古社。正月堂で行われる修正会を東大寺二月堂の修二会に見立て、正月堂の南にあるこの神社を鵜ノ宮としたと伝えられています。
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鵜宮神社本殿、奈良の二月堂での修二会の行法に全国13700余りの神神を集められた時、釣りをしており遅刻した若狭国の遠敷明神が後悔され、実忠和尚の夢枕に立って、若狭の清水を毎年修二会行法中に、観世音に献上すると約束されたところ、二月堂参道下の岩石がさけ、白黒の鵜がさけ目から飛び立ち、清水がこんこんと湧きだしたと言う。このこから修二会の行法が「お水取り」の名で有名になり、実忠和尚が感銘して遠敷明神を良弁杉の下に祀り鵜にちなんで「うの宮神社」と称しました。
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薬師堂、崖下に建つお堂の中に「磨崖仏」が安置されています。元岩動寺(薬師寺)の本尊および阿弥陀三尊立像で、花崗岩の自然石に四体の仏が半肉彫で刻まれ、向かって右端は、蓮華座の上に座し左手に薬壺を持った高さ51?の「薬師如来像」、左側の三体の仏は「阿弥陀如来三尊立像」で、中尊像は高さ78.8?の「阿弥陀如来立像」、如来を守るように、左右に高さ48.5?の「観音菩薩立像」と「勢至菩薩立像」が刻まれ、製作年代はともに1350年頃、南北時代と推定されています。表紙写真参照。
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観菩提寺楼門。一重二階、桧皮葺き総円柱、四隅に木鼻をつけ二階には欄干を施し優美重厚な室町初期のものとされています。
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観菩提寺本堂、俗に正月堂と称し、天平勝宝3年(751年)に奈良東大寺の実忠和尚により開創された、由緒ある寺院で全国的に有名なる古刹の一つです。奈良東大寺二月堂のお水取り(修二会・しゅにえ)に先駆けて行われることで知られ、ここ正月堂が発祥の地ともいわれています。
楼門、本堂、33年目に一度しかご開帳されない本尊の十一面観世音像は秘仏で、国重要文化財です。
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