1990/08/15 - 1990/08/26
560位(同エリア1018件中)
がおちんさん
雲南省の北部にあるニンランの街にて、陰暦の6月24日に行われる火把節(たいまつ祭り)に参加しました。
当時は観光化もされておらず、民族色の濃い、地元民のための祭りを見ることができました。
祭りの後は1ヶ月ぶりに瀘沽湖に行き、村を訪ねたりキャンプをして楽しみました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩
-
1990年8月15日(水)
たいまつ祭りの2日目。
大勢の少数民族が集まり、踊りが披露された。 -
イ族、プミ族、モソ人、ナシ族、チベット族などの人達が輪になって踊る。
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カラフルな彝族の人たち。
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男性陣にはさまれて踊るモソ人の女性。
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こちらはプミ族の男性。
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腰に刀を差しているのはチベット族の男性。
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プミ族とモソ人(永寧納西族)の民族服はほとんど同じだ。
後ろには電柱につかまって見物する人がいた! -
若い娘さんたちも楽しそうだ。
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これだけ民族衣装が集まると迫力があるなー。
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踊りに見とれる人々。
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お祭りはいったん休憩、人々は家に帰る。
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夜になり、火が焚かれた。
たいまつ祭りはこれからが本番だ。 -
昼間よりも、踊りに熱がこもっている。
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男性陣の視線の先は・・・。
祭りは恋人を探す場でもあるのだ。 -
祭りを見に来ていた人も、列に加わって踊る。
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誰もが高揚感に包まれていく。
これが祭りの醍醐味。 -
踊りの輪はどんどん大きくなっていく。
人が増えすぎて円形におさまらず、踊りの列はヘビのようにクネクネ進む。 -
いくつも列ができてしまい、少々カオス状態になるも、みんな楽しそうだ。
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このような少数民族の祭りは雲南各地で行われているが、その多くが未開放地区だったので、当時は観に行くのが困難だった。
しかし、後年の観光化された祭りや、金をとって見せるイベント的なものとは全く違う雰囲気があった。
それは、参加者である彼ら自身が楽しむための祭りであったことだ。 -
ずらりと並んだ彝族の女性。
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焚き火が燃え尽き、広場の電灯も消えた。
真っ暗になっても人々は踊り続ける。 -
大勢の人が暗闇で踊っているというのは不思議な光景だ。
と、思ったら、後ろのほうで火花が光った。 -
暗闇になったのは、花火を上げるためだったのだ。
うーん、ニクイ演出。 -
祭りが終わり、彝族の女性と記念撮影。
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こちらはプミ族の女性。
あでやかな姿にハッとする。
いつも思うけど、民族衣装というのは、その民族を最も美しくみせるようにつくられた服装だと実感する。 -
1990年8月16日(木)
たいまつ祭りを堪能し、今朝は瀘沽湖へ向う。
バスは2日に1便だけなので、早めに切符を買っておいた。 -
ニンランから5時間半かかって落水の集落に到着。
瀘沽湖の湖畔にあるプミ旅社に泊まる。 -
落水では魚以外の食材がほとんど手に入らないため、今回は果物や缶詰などを持参した。
静かな瀘沽湖を眺めながら、日本から持ってきたワインやビールで乾杯。 -
1990年8月20日(月)
今日は左所に行く。
前回、お世話になった蒙古族の人達に写真を持ってきたのだ。 -
丸木舟に乗って四川省側へ。
モソ人の船頭が民歌を何曲も歌ってくれた。 -
四川側に着き、旅の記念に石拾いをする。
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「眠くなった」と妻は湖畔で昼寝。
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馬の親子がやって来た。
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山道を歩いて左所に向う。
山の中に一軒だけ家があった。家の前にいたおばあさんから、「雨が降るから家に寄っていきなさい」と言われる。
すぐに降りそうではなかったが、お茶を頂いているあいだに、突然ザーザー降りになったので驚いた。
おばあさんは、「ほら、雨が降っただろ」と笑った。まるで「デルス・ウザーラ」のように天気が読めるのだった。 -
左所では、先月お世話になった蒙古族のH君やZ君らの家を訪ね、プリントしてきた写真を手渡した。
写真はA君とその甥と姪。 -
「私も撮って!」と家族の人。
約束どおり写真を持ってきたからか、何人からも撮影を頼まれた。 -
蒙古族もモソ人も、元々は同じ民族。衣装も同じだ。
「雲南と四川に分かれて、呼び名が変わった」と地元の人は言う。
そして、自分達はフビライ軍が大理を攻めたときの末裔であると信じている。 -
何気なく撮ったこれらの写真も、今では貴重な民族的資料となってしまった。
現在の彼らは、民族衣装を着ていない。
蒙古族の家は丸太で組んだログハウスのようだ。屋内への入り口は小さく、床が高いのも特徴的だった。
これだと家畜が侵入しないそうだ。納得。 -
私と妻も、民族衣装に着替えて記念撮影。
「おー、君達も蒙古族みたいだ」と彼らは喜んだ。 -
1990年8月23日(木)
今日は左所を出発する。H君ら3人が同行してくれた。
前回と同じく瀘沽湖で泳いだあと、彼らは雲南側の村まで送ってくれた。
再開を約束して別れる。
次に彼らと会えたのは、21年後のことだった。 -
湖畔にある、モソ人の村を通り過ぎる。
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トレイルを歩き、里格島まで来た。
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湖畔にてキャンプする。
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今日歩いてきた道を遠望する。
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鏡のような瀘沽湖。
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1990年8月24日(金)
今日は永寧まで足を伸ばす。歴史の古い町だが、寂寥感が漂っている。標高が高いせいか、夏なのに旅社の部屋には電気コンロがあった。
この町出身の雲南民族学院の学生の話では、ここから山をいくつも越え、金沙江ぞいを歩いて中旬(シャングリラ)に抜けるルートがあるという。
※地元民しか知らない山道をぜひとも歩いてみたかったのですが、結局行かずじまいとなり、21年後の夏に途中の区間だけトレッキングしました。
http://4travel.jp/traveler/gaochin/album/10594859/ -
永寧の写真屋さん。記念写真の背景は、なんと手書きの絵。
1元払えば、運転席から顔を出して写真が撮れるのだ。
都会の様子を描いたのだろうが、きれいな空の青さは、この地に住む人ならではの発想なのだろう。 -
1990年8月25日(土)
永寧から見た獅子山。瀘沽湖から眺めるのとは、ずいぶん形が違って見える。
女神祭り(農暦7月25日)のときは、地元の少数民族が集まってにぎわうそうだ。
いつかその祭りも見てみたいとの想いを胸に、永寧を後にする。
オンボロバスで、5日かけて昆明へ戻った。
雨の安順・貴陽〜国慶節に行った貴州省1990に続く
http://4travel.jp/travelogue/10651124
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