2011/09/24 - 2011/10/01
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ドクターキムルさん
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鎌倉市山ノ内と扇が谷3を結ぶ舗装道路が亀ヶ谷坂切通である。車両通行止の坂道であるが、バイクは通行しているのを見かける。切通が狭くて深いためにしばしば落石があるようだ。しかし、やぐらもほとんど見られず、鎌倉時代に造られた切通らしさは感じられない。亀ヶ谷坂切通は昭和44年(1969年)6月に国の史跡に指定されており、坂の上に史跡碑がある。
亀ヶ谷坂切通は鎌倉七口として江戸時代初期に出てくるが、鎌倉時代にこの位置に道があった確実な証拠はないようだ。切通が出来る前は山道があったはずで、霊梅社があるところから入る谷戸も今だ空き地が広がっているが、この奥からも山道があるのであろう。コートハウスが建っているところが勝因寺跡であろうか。寺から裏山に入る山道もあっただろう。勝因寺は勝縁寺ヶ谷にあったというが、コートハウスが建っている地に納まらなければ、霊梅社があるところから入る谷戸にも寺域が広がっていたかも知れない。
どこにでもあるような坂道が鎌倉の魅力を伝えることはない。ただ、近道として利用しているだけである。
(表紙写真は亀ヶ谷坂切通)
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山ノ内側の切通(9月24日)。9月24日、10月1日とも長寿寺から岩船地蔵堂に抜けた。
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山ノ内側の切通。
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山ノ内側から切通の頂上部手前にある六地蔵。台座のようなところに六地蔵が彫られている。
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六地蔵。
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六地蔵の右側端にあるお地蔵さま。
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六地蔵前の石塔と線香立て。
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六地蔵前の線香立て。
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山ノ内側から切通の頂上部付近へ。
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扇が谷側から上って来る人。
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扇が谷への下り。
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扇が谷への下り。
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扇が谷への下り。
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コートハウスの洞門。元々、洞門があったらしい。マンション建設の際に今のように変更されたようだ。勝因寺跡か?
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コートハウスの洞門。
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「田中智学師子王文庫址」石碑。最近、建てられたものだ。
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霊梅社。菅原道真を祀っていたが、今は海蔵寺に移されたという。
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「霊梅社社殿造営寄附芳名」とある。
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扇ガ谷のやぐら。
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扇ガ谷のやぐら。
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扇ガ谷のやぐら。
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切通の山ノ内側(10月1日)。
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山ノ内側から切通の頂上部付近へ。
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切通の頂上部付近には亀ヶ谷方面に道があったような感じだ。ただし、落石があり、倒木が横たわる。
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切通の頂上部付近に「国指定史跡 亀ガ谷坂」の看板が建つ。ネット越に。
「国指定史跡 亀ケ谷坂 昭和44年6月5日指定
扇ガ谷と山ノ内とを結ぶ道で、鎌倉から武蔵方面に通じる重要な出入り口であり、中世鎌倉の切通としての旧状をよくとどめている。鎌倉時代初期より使用されていたと推定され、巨福呂坂と共に鎌倉街道中ノ道の起点とされている。
*切通・・・山の尾根部分を掘り下げて通行可能にすると同時に、敵の進入に対する防御施設としたのが切通。亀ケ谷坂・朝夷奈切通・巨福呂坂・仮粧坂・大仏切通・名越切通・極楽寺坂の7つを称して鎌倉七口(切通)といい、国の「歴史の道百選」にも選ばれている。
平成11年3月 鎌倉市教育委員会」。 -
切通の頂上部付近の「国指定史跡 亀ガ谷坂」の看板を上から。
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切通の頂上部付近の崖。
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扇が谷への下り。切通の頂上部は深く掘り込まれている。
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扇が谷への下り。車止めがある。
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扇が谷への下り。
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扇が谷側には崖の上が平地になっているようだ。端に彼岸花が咲いている。
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扇が谷側には崖の上が平地になっているようだ。端に彼岸花が咲いている。
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端に咲く彼岸花。
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扇が谷への下り。
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扇が谷への下り。
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やぐら。
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コートハウス前。
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ごみ出し場に咲く彼岸花。
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ごみ出し場に咲く彼岸花。
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扇ガ谷のやぐら。
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扇ガ谷のやぐら。
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扇が谷のやぐらの前にある畑の扉。
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