2007/04/11 - 2007/04/16
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ゆらのとさん
先回のブログでようやく、今春出かけた欧州10カ国桜の旅の14日回のブログが終わった。今度、外国に出かけるのは10月でアフリカ(ケニヤ、タンザニア)である。目的はキリマンジャロの桜、それを見に行くために私をガードしてくれるケニアのジャフェットさんに25年ぶりに再会するためでもある。
それまでブログを休むのは心寂しい。最近、一日平均50のアクセスをいただくようになったのに、3ヶ月近くも休むと、アクセスは一桁に落ちるんじゃないかという心配もある。そして、もう一つ、4トラベルで、自分が行った所の世界地図を塗り潰したいという見栄もある。(私の4とラベルの入会は昨年)私は外国旅行を始めは38年前の37歳であったが、写真を撮るという趣味は無かった。肉眼レフで印象に残ったものを脳裏に焼き付けておけばよいと思っていた。
5年前にデジカメを初めて買った。その時、ようやく旅は写真で残すべきだいう事を気づいた。そして、旅行のテーマを統一して、77歳まで生きて一冊の本(自費出版)に纏めようと心に誓った。(テーマは外国の桜)
10月5日のアフリカ出発までの2ヵ月半、過去4年間、私が出かけた外国の旅を12回くらいに分けてブログに書かせていただく。 新鮮味は無いが貴方の知らない外国を私は体験なしているかも知れない。写真だけでも覗いていただければ幸いである。
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第1回は4年前の2007年の4月に行った中国東北部(旧、満州)の旅である。それまでに私は中国に4回行っていた。何故その時、中国の東北部を選んだかというと、28年前に他界した父と約束を果たすためと、東北部には敗戦まで、日本がその地を満州として支配しており、当時、日本から移植した桜が旅順を中心に咲いているという情報を得ていたからであった。
父との約束とは、戦時中、父は国民学校(現、小学校)の校長をしていた。父は5人の教え子が満州で戦死していたのである。一度、中国東北部を訪ねて教え子の冥福を祈りしたいと思いながらも、晩年、脳卒中に倒れて実現できなかった。父はその望みを私に託した。私は、「いいよ、俺が行ってお参りしてやるよ」なんて、軽く承諾しておきながら、23年間もほったらかしていた。私が外国の桜に関心を持つようになって、丁度いい機会だ、と実行したのである。(私は親不孝でジコチュウ)
他のブログ(楽天、「ゆらのと徒然草」)ではこの紀行文を何回かに分けて書いたが、ここでは写真を中心に中国東北部の春をUPさせていただく。
実はこの、ツアー大連に到着の予定だったのだが霧のため天津に到着した。従って、1日予定がロスとなり、一番行きたかった旅順には行くことができなくなった。旅にハプニングは付きもの。ハプニングも又楽しからずや、と自分に言い聞かせた旅であった。
次回は2007年9月に出かけたニュージーランドの桜旅である。
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 飛行機
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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ハルピンで。満州時代、日本が造った満州鉄道が今も立派に使われていた。松花江にかかる陸橋。4月始めは未だ寒く川辺は氷が残っていた。
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東北部に広がる大平原の夕日。日本が支配していた頃、満州平野といわれ、日本から100万近くの人が食料増産のために移住した。戦後、男性はソ連に抑留され、婦女子は無事帰還できずに亡くなった人が多い。
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大連の中学校の校庭の桜。この桜は戦後植えられたと思われる。中学船が桜の木の下でバスケットボールを楽しんでいた。
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大連の凌墓公園で。日本と同じようにお弁当を食べて花見を楽しんでいる人も多かった。(表紙の写真も)
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瀋陽から大連に向かう列車の中で知り合った大連の大学生。青年は日本に興味を持っており日本の企業で将来働きたいと夢を語っていた。リュックサックからきゅうりを出して私にくれた。
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ハルピンで。旧満州時代日本人が建てたビルがまだ使われていた。
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