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熊野古道には西回りの「紀伊路」と東回りの「伊勢路」がある。<br />伊勢路は、お伊勢参りを終えた旅人たちが熊野三山や西国三十三所詣のため巡った、いわば庶民の道<br />石畳の道と風景の中に、古い心が今も残る。

熊野古道・伊勢路を歩く ① ツヅラト峠

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2010/09/18 - 2010/09/18

182位(同エリア328件中)

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目黒警部さん

熊野古道には西回りの「紀伊路」と東回りの「伊勢路」がある。
伊勢路は、お伊勢参りを終えた旅人たちが熊野三山や西国三十三所詣のため巡った、いわば庶民の道
石畳の道と風景の中に、古い心が今も残る。

同行者
その他
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
JTB
  • 2010年9月 <br />出発地の小公園です。<br /><br />ウオーキングデーター<br />距離:6KM<br />時間:約3時間<br />高低差:約350M

    2010年9月 
    出発地の小公園です。

    ウオーキングデーター
    距離:6KM
    時間:約3時間
    高低差:約350M

  • 「ツヅラト峠登山口」<br />都を追われ、熊野詣の旅に出た花山法皇の遥拝所跡近くに、西国三十三所の観音石像が安置されています。<br /><br />

    「ツヅラト峠登山口」
    都を追われ、熊野詣の旅に出た花山法皇の遥拝所跡近くに、西国三十三所の観音石像が安置されています。

  • かつて伊勢と紀伊の国境であったツヅラト峠。<br />伊勢から熊野へ向かう旅人は、この峠に立ってはじめて熊野の海を目にした。<br />ツヅラとは九十九折のこと。<br />峠を越えると、紀伊長島町志子への下りはカーブが連続し、木立の中に石畳が現れる。<br />野面乱層積の石垣もよく保存されている。<br />江戸時代以降、街道は東寄りの荷坂峠ルートに代わったが、この峠道は、昭和の初め頃まで生活道として使われた。<br />

    かつて伊勢と紀伊の国境であったツヅラト峠。
    伊勢から熊野へ向かう旅人は、この峠に立ってはじめて熊野の海を目にした。
    ツヅラとは九十九折のこと。
    峠を越えると、紀伊長島町志子への下りはカーブが連続し、木立の中に石畳が現れる。
    野面乱層積の石垣もよく保存されている。
    江戸時代以降、街道は東寄りの荷坂峠ルートに代わったが、この峠道は、昭和の初め頃まで生活道として使われた。

  • ここより古道に入る。<br />谷川は宮川水系の最も上流のひとつです。 <br /><br />大内山川沿いを進みツヅラト峠を仰ぐ<br />

    ここより古道に入る。
    谷川は宮川水系の最も上流のひとつです。

    大内山川沿いを進みツヅラト峠を仰ぐ

  • ツヅラト峠案内

    ツヅラト峠案内

  • まずは、腹ごしらえします。

    まずは、腹ごしらえします。

  • 大阪発の日帰りバスツアー(JTB旅物語)についています、お弁当です。<br />料金の初回は3900円ですがだんだん高くなります。

    大阪発の日帰りバスツアー(JTB旅物語)についています、お弁当です。
    料金の初回は3900円ですがだんだん高くなります。

  • こちらは、コンビニで買いました ぶっかけうどんです。

    こちらは、コンビニで買いました ぶっかけうどんです。

  • ガイド役の語り部さんです。

    ガイド役の語り部さんです。

  • 古来より、熊野灘は苦行の代名詞でもあった。岩山が海岸線にまで迫る紀伊半島は峻険で雨が多く、峠越えの難路には土砂の流出や道の崩壊を防ぐための石畳が敷かれている。<br />狭い石畳道を、多くの旅人が一列になって歩く姿は&quot;蟻の熊野詣&quot;とも称された。<br />

    古来より、熊野灘は苦行の代名詞でもあった。岩山が海岸線にまで迫る紀伊半島は峻険で雨が多く、峠越えの難路には土砂の流出や道の崩壊を防ぐための石畳が敷かれている。
    狭い石畳道を、多くの旅人が一列になって歩く姿は"蟻の熊野詣"とも称された。

  • 峠道の傍らでは、志半ばにして生き倒れた巡礼たちの墓碑が静に見守っているのである。<br />

    峠道の傍らでは、志半ばにして生き倒れた巡礼たちの墓碑が静に見守っているのである。

  • 熊野古道とは、主に以下の5つの道を指す。<br /><br />紀伊路(渡辺津-田辺)<br />小辺路(高野山-熊野三山、約70km)<br />中辺路(田辺-熊野三山)<br />大辺路(田辺-串本-熊野三山、約120km)<br />伊勢路(伊勢神宮-熊野三山、約160km)<br />

    熊野古道とは、主に以下の5つの道を指す。

    紀伊路(渡辺津-田辺)
    小辺路(高野山-熊野三山、約70km)
    中辺路(田辺-熊野三山)
    大辺路(田辺-串本-熊野三山、約120km)
    伊勢路(伊勢神宮-熊野三山、約160km)

  • これらの多くは、2000年に「熊野参詣道」として国の史跡に指定され、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産における「遺跡および文化的景観」)として登録された。<br />なお、その登録対象には紀伊路は含まれていない。<br /><br /><br />

    これらの多くは、2000年に「熊野参詣道」として国の史跡に指定され、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産における「遺跡および文化的景観」)として登録された。
    なお、その登録対象には紀伊路は含まれていない。


  • 「道」が世界遺産として登録された他の例には、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」(文化遺産、スペイン)がある。<br />道が世界遺産として登録されること自体はまれである。<br /><br />

    「道」が世界遺産として登録された他の例には、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」(文化遺産、スペイン)がある。
    道が世界遺産として登録されること自体はまれである。

  • 熊野古道の遺構の特徴として、舗装に用いられた石畳が残っていることがある。<br />石畳が用いられたのは、紀伊半島が日本でも有数の降雨量の多い地域だからである。また、江戸時代に紀州藩により整備された一里塚が残っている個所もある。<br />

    熊野古道の遺構の特徴として、舗装に用いられた石畳が残っていることがある。
    石畳が用いられたのは、紀伊半島が日本でも有数の降雨量の多い地域だからである。また、江戸時代に紀州藩により整備された一里塚が残っている個所もある。

  • <br />熊野古道の中には、国道や市街地のルートと重複していて吸収されてしまったものもある。<br />こうしたことが生じるのには紀伊半島の地理が関係している。<br />すなわち、紀伊半島の中央部は、際立った高山こそないものの、どこまでも続く山々と谷に覆われている。<br />このため、古来より交通開発が困難であり、交通路に適する場所は限られている。<br />現在もこの事情は同様であり、結果として、現代の主要な交通路は古人の拓いた道に並行し、さらには上述のように重複することとなる。<br /><br />


    熊野古道の中には、国道や市街地のルートと重複していて吸収されてしまったものもある。
    こうしたことが生じるのには紀伊半島の地理が関係している。
    すなわち、紀伊半島の中央部は、際立った高山こそないものの、どこまでも続く山々と谷に覆われている。
    このため、古来より交通開発が困難であり、交通路に適する場所は限られている。
    現在もこの事情は同様であり、結果として、現代の主要な交通路は古人の拓いた道に並行し、さらには上述のように重複することとなる。

  • 世界遺産に登録されたものが熊野古道の全てではないことにも留意する必要がある。<br />これは、熊野詣それ自体の盛衰もあって正確なルートが不明になっている区間があること、歴史的な変遷から生じた派生ルートがありそのすべてが対象となっていないこと等による。<br />なお、そうした「忘れられた」ルートを再発見しようとする地元の動きもある。<br /><br />

    世界遺産に登録されたものが熊野古道の全てではないことにも留意する必要がある。
    これは、熊野詣それ自体の盛衰もあって正確なルートが不明になっている区間があること、歴史的な変遷から生じた派生ルートがありそのすべてが対象となっていないこと等による。
    なお、そうした「忘れられた」ルートを再発見しようとする地元の動きもある。

  • 熊野周辺は、日本書紀にも登場する自然崇拝の地であった。<br />907年の宇多法皇の熊野行幸が最初と言われる。<br /><br />

    熊野周辺は、日本書紀にも登場する自然崇拝の地であった。
    907年の宇多法皇の熊野行幸が最初と言われる。

  • 熊野三山への参詣が頻繁に行われるようになったきっかけは、1090年の白河上皇の熊野行幸からと言われている。白河上皇はその後あわせて9回の熊野行幸を行った。これにより京都の貴族の間に熊野詣が行われるようになった。その後、後白河上皇も33回の熊野行幸を行っている。<br />

    熊野三山への参詣が頻繁に行われるようになったきっかけは、1090年の白河上皇の熊野行幸からと言われている。白河上皇はその後あわせて9回の熊野行幸を行った。これにより京都の貴族の間に熊野詣が行われるようになった。その後、後白河上皇も33回の熊野行幸を行っている。

  • 峠の檜林

    峠の檜林

  • <br />江戸時代に入ると、伊勢詣と並び、熊野詣は、広く庶民が行うようになったといわれている。<br />一時は、熊野付近の旅籠に1日で800人の宿泊が記録されたこともあったようだ。<br />明治維新後、神仏分離令により熊野古道周辺の神社の数は激減。熊野詣の風習も殆どなくなってしまった。<br />熊野古道自体は、大正から昭和にかけて国道が整備されるまで、周囲の生活道路として使用されつづけた。<br /><br />


    江戸時代に入ると、伊勢詣と並び、熊野詣は、広く庶民が行うようになったといわれている。
    一時は、熊野付近の旅籠に1日で800人の宿泊が記録されたこともあったようだ。
    明治維新後、神仏分離令により熊野古道周辺の神社の数は激減。熊野詣の風習も殆どなくなってしまった。
    熊野古道自体は、大正から昭和にかけて国道が整備されるまで、周囲の生活道路として使用されつづけた。

  • 世界遺産(文化遺産)としての「紀伊山地の霊場と参詣道」には熊野古道等の「参詣道」以外にも、吉野・大峯、熊野三山、高野山を含む。<br />

    世界遺産(文化遺産)としての「紀伊山地の霊場と参詣道」には熊野古道等の「参詣道」以外にも、吉野・大峯、熊野三山、高野山を含む。

  • 世界遺産登録地域 <br />ツヅラト峠道 <br />大紀町大内山志子谷から紀北町紀伊長島区島原間、総延長1.4km。<br /> 

    世界遺産登録地域
    ツヅラト峠道
    大紀町大内山志子谷から紀北町紀伊長島区島原間、総延長1.4km。
     

  • ツヅラトとは九十九(つづら)折れの事であり、峠道は東隣の荷坂峠道と共に、伊勢と紀伊の国境越えの道である。<br />大内山からの登りに比べ、紀伊長島へ下る峠道は、この名の通りジグザグと蛇行しながら麓の志子集落へと向う。<br />峠は、かって伊勢と紀伊の国境であった所で、伊勢から熊野を目指す旅人が、この峠に立って初めて、紺碧の熊野の海を目にした聖地・熊野への玄関口である。<br /><br /> 

    ツヅラトとは九十九(つづら)折れの事であり、峠道は東隣の荷坂峠道と共に、伊勢と紀伊の国境越えの道である。
    大内山からの登りに比べ、紀伊長島へ下る峠道は、この名の通りジグザグと蛇行しながら麓の志子集落へと向う。
    峠は、かって伊勢と紀伊の国境であった所で、伊勢から熊野を目指す旅人が、この峠に立って初めて、紺碧の熊野の海を目にした聖地・熊野への玄関口である。

     

  • 江戸初期に紀州徳川藩主・頼宣公が入国して以降は、東寄りの荷坂峠が街道のメインルートとなって、現在の国道42号線に受け継がれているが、古いほうのツヅラト峠道は昭和の初期まで地元の人達に生活道として使われていた。<br /><br />

    江戸初期に紀州徳川藩主・頼宣公が入国して以降は、東寄りの荷坂峠が街道のメインルートとなって、現在の国道42号線に受け継がれているが、古いほうのツヅラト峠道は昭和の初期まで地元の人達に生活道として使われていた。

  • ここより古道登りです。

    ここより古道登りです。

  • 峠までの古道は通常の山道と何ら変わない。

    峠までの古道は通常の山道と何ら変わない。

  • 「ツヅラト峠頂上」標柱  石作りの標識。<br />

    「ツヅラト峠頂上」標柱 石作りの標識。

  •  ツヅラト峠(357m)<br /> この峠が伊勢から聖地・熊野への入口<br />

    ツヅラト峠(357m)
    この峠が伊勢から聖地・熊野への入口

  • 峠からの熊野灘の眺望は素晴らしい。<br />標高357m。<br />伊勢から熊野三山を目指す巡礼者が、初めて熊野の海を目にした場所です。<br /><br />

    峠からの熊野灘の眺望は素晴らしい。
    標高357m。
    伊勢から熊野三山を目指す巡礼者が、初めて熊野の海を目にした場所です。

  • 眺めがすばらしい。<br />ここは海抜357m。<br />眼下に広がるのは紀伊長島町、赤羽川河口一帯です。<br />ここより一気に海抜0mの紀伊長島町志子地区まで九十九折(ツヅラオ)れの坂道を下ります。<br />それでツヅラト峠という名前がつきました。 <br />

    眺めがすばらしい。
    ここは海抜357m。
    眼下に広がるのは紀伊長島町、赤羽川河口一帯です。
    ここより一気に海抜0mの紀伊長島町志子地区まで九十九折(ツヅラオ)れの坂道を下ります。
    それでツヅラト峠という名前がつきました。

  • 峠見晴台から眺める熊野灘<br /><br />

    峠見晴台から眺める熊野灘

  • 谷に面して数ヶ所にある石垣は、いにしえから長い風雪に耐え道を護ってきた、いわば道路保護の遺跡といえます。<br /><br />

    谷に面して数ヶ所にある石垣は、いにしえから長い風雪に耐え道を護ってきた、いわば道路保護の遺跡といえます。

  • 志子川の最上流付近<br />石でかためた側面[石垣] <br />急な坂の側面は、自然石で石垣を築き、がっちり固められています。<br />工法は野面乱層積(ノヅラランソウヅミ)といわれるむかしからのつくりかたで組まれ、古道をしっかりと守っています。 <br /><br />

    志子川の最上流付近
    石でかためた側面[石垣]
    急な坂の側面は、自然石で石垣を築き、がっちり固められています。
    工法は野面乱層積(ノヅラランソウヅミ)といわれるむかしからのつくりかたで組まれ、古道をしっかりと守っています。

  • 深い緑のシダ類が茂る中を、ジグザグに縫うように石畳が敷かれています。<br />

    深い緑のシダ類が茂る中を、ジグザグに縫うように石畳が敷かれています。

  • 険阻さゆえに開発から逃れた熊野古道は現代人の癒しの道として甦った。<br />深い緑、清らかなせせらぎ、路傍にたたずむ史跡や石仏。<br /><br />

    険阻さゆえに開発から逃れた熊野古道は現代人の癒しの道として甦った。
    深い緑、清らかなせせらぎ、路傍にたたずむ史跡や石仏。

  • 峠道の傍らでは、志半ばにして生き倒れた巡礼たちの墓碑が静に見守っている。<br />険阻さゆえに開発から逃れた熊野古道は現代人の癒しの道として甦った。<br />

    峠道の傍らでは、志半ばにして生き倒れた巡礼たちの墓碑が静に見守っている。
    険阻さゆえに開発から逃れた熊野古道は現代人の癒しの道として甦った。

  •  庚申堂(コウシンドウ) <br />高さ2mほどのお堂の中に3体の石像があります。<br />いずれも江戸時代のもので、おだやかな顔をしています。<br />手をあわせると「ほっと」する思いがします。 <br /><br />

     庚申堂(コウシンドウ)
    高さ2mほどのお堂の中に3体の石像があります。
    いずれも江戸時代のもので、おだやかな顔をしています。
    手をあわせると「ほっと」する思いがします。

  • 深い緑、清らかなせせらぎ、路傍にたたずむ史跡や石仏。<br /> <br />

    深い緑、清らかなせせらぎ、路傍にたたずむ史跡や石仏。

  •  約200mに渡って続く階段状の石畳路<br /><br /><br />

    約200mに渡って続く階段状の石畳路


  • ツヅラト峠は降水量が少ないためか地道が大半で、石畳路は少ない。<br />この石畳路も最近発見されるまでは落ち葉や土に埋もれ、ひっそりと眠っていた。<br />

    ツヅラト峠は降水量が少ないためか地道が大半で、石畳路は少ない。
    この石畳路も最近発見されるまでは落ち葉や土に埋もれ、ひっそりと眠っていた。

  • 紀伊長島側登り口

    紀伊長島側登り口

  • 志子石標(左の石柱)<br />高さ30cm程の石標に「右:いせ道、左:やま道」と記載されていた。

    志子石標(左の石柱)
    高さ30cm程の石標に「右:いせ道、左:やま道」と記載されていた。

  • ツヅラト峠を後にして

    ツヅラト峠を後にして

  • [牟婁こえて、鶯聞くや梅が谷]<br />この碑は、何代目かの殿さまが巡視でこの地を訪れたとき耳にしたというウグイスの声をよんだ句であるといわれます。  <br />

    [牟婁こえて、鶯聞くや梅が谷]
    この碑は、何代目かの殿さまが巡視でこの地を訪れたとき耳にしたというウグイスの声をよんだ句であるといわれます。

  • バスが待っている終点東長島、国道422号線です。

    バスが待っている終点東長島、国道422号線です。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ゆみナーラさん 2011/04/17 10:39:15
    いいコースですね
    目黒さんこんにちわ^^

    6k3時間の熊野古道ウォーク、いいですね〜

    深い緑と空気の神聖さに心が洗われそうです。是非機会があったら行って見たいと思いました。気軽?に歩けそうなコースだし^^!
    たまには日本をこうやって楽しむのもいいですよね。

    多分近場の瀞峡はクルーズしたことあるんですが、古道はまだ行ったことがありません、このあたり南紀一帯は本当に好きなんです。
    東京からだとツアー料金高いんだよな〜〜〜
    「ホテル浦島に泊まる○○ 44800円〜」  など(^^)

                           ゆみなら

    目黒警部さん からの返信 2011/04/17 16:00:02
    RE: いいコースですね
    熊野古道伊勢路の全12回の日帰りバスツアーに昨年は4回参加しました。
    今年も続きの古道を歩いてみようと思っています。
    世界的にも、しだ植物の宝庫として有名な古道らしいです。
    緑の美しいシダを見て歩くだけでも楽しいコースです。
    歩く時間は3−4時間ですので年配の方も多く参加されています。
    大阪からだと朝の8時発にて帰りは20時〜21時のバスツアーになっていますので丸1日、楽しめました。

目黒警部さんのトラベラーページ

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